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「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」
平成23年6月20日に行われたテレビ電話会議システムの裁判に向けて提出した陳述書を掲載します。記載している事柄は、すべて真実です。
 
           
 
陳述書 新宿での査問の詳細 その5
 
              平成23年6月12日
 
           住所略
                    髙倉良一
 
山本氏の確認発言
 
山本氏は「さらに確認するが、白バラという名前で、文書または音源を送ったことはないか。」と尋ねました。私は「一切ありません。」と答えました。山本氏は「筆跡が一致すれば、表に出てしまうんだぞ。」と脅しました。再度、私は「やっていません。」と答えました。
すると、山本氏は「今の話を前提にして、内部で収まるかどうか検討する。今の話では、とても納得できないので、日記を奥様が持ってらっしゃるんだったらば、もう一回だけ出してもらって、一つ一つ髙倉さんにチェックさせますから。」と、有無を言わさないような口調で告げました。
出版もされていない日記の内容を、私にチェックするようにと強要することは、言論を封殺する以外の何物でもないと考えました。精神の自由に対する侵害でもあります。完全に狂っていると思いました。そして、このようなことを強要する創価学会に宗教法人の資格を与えていること自体が、将来必ず問題になると思いました。
私が「やってません。どうぞやって下さい。」と述べると、山本氏は「本当に正直に言ってもらっていいですよ。ここまでの話だったら、まだ何とかできますからね。」と告げました。すると、和田氏が「僕は信じられない。こんなことをやる人間ではないと思いますよ。」と口を挟みました。
山本氏は「何とか事を収めたいので、髙倉さんのためにもご家族のためにもね。」と発言しました。山本氏が「ご家族のためにもね。」と発言したので、私はぞっとしました。
さらに、山本氏は、私が弟とも頻繁に連絡を取っていると述べました。私は、宗教的呪縛状態に陥っていた妻が、創価学会池田カルト一派の問題点に気が付くように、弟にも協力を依頼していました。そして、弟とのやり取りを日記に詳細に書いていました。山本氏は日記の中の弟に関する記述を問題にしたのだと、私は感じました。そして、私は、弟の身にも危険が及ぶ可能性があるとのではないかと不安に駆られました。
山本氏の発言は、私の返答次第では、私の弟にも危険が及ぶのだという雰囲気を漂わせながらの発言でした。この発言は、まさに脅迫だと思いました。
 
佐々木氏に関する発言
 
山本氏は「佐々木さんと喜多さんとのことに関しては、確認させてもらいます。」と発言しました。それから、山本氏は、佐々木氏が日記のことをどのように言っていたかと尋ねました。私は「最初は、12月の末、12月27日か28日。それから年が明けて、1月8日か9日に、何回か研究室で査問されました。1、2週間前に、佐々木氏から『疑って済まなかった。髙倉氏はシロだと四国の幹部が言った』と言われた。」と述べました。
山本氏が「シロという発言が、本当かどうか確かめられますね。」と言ったので、私は「本当です。」と答えました。すると、山本氏は「佐々木さんは、そんな話はしてませんけどね。」と述べました。そこで、私は「佐々木氏は、四国の最高幹部である松下氏達と市内のファミリー・レストランで話した時には、幹部が証拠もあると語っていた。しかし、調査の結果、『髙倉さんは情報を漏らしていないことが分かった。』と、香川県の幹部から佐々木氏は告げられた。」と述べました。
この「佐々木さんは、そんな話はしていませんけどね。」との山本氏の発言を聞き、私は驚きました。山本氏は、佐々木氏のことを知らないと述べていたことを忘れたのだと思いました。
前述のように山本氏は、最初は、田村氏のことを知らないと述べていました。しかし、途中で、幸子氏の電話が話題になった時に、田村氏と連絡があったことを認めました。
佐々木氏についても、山本氏は、最初は知らないと述べていました。しかし、この山本氏の発言は、佐々木氏のことを知っていたばかりか、佐々木氏とも連絡を取っていたことを認めたものだと思いました。
 
和田氏への詫び状
 
和田氏は「日記を読んでいないので、どんなに書かれているのか分からない。学会の人達は、日記の内容をどんどん広げている。もし、その話が、俺の女房に入ると大変だ。和田っていう人は、こういう人なんだということになって。」と言われました。山本氏が「ちょっと広がっていますね。話を聞いても。」と口を挟みました。
和田氏は「俺は退職して静かに暮らしたいのに、女房とけんかすることになる。女房に見せるために詫び状を書いてくれ。」と、私に要求しました。
私は「詫び状を書けということは、和田氏らしくない。」と反論しました。そしては、詫び状を強要することは、侮辱以外の何ものでもないと発言しました。しかし、和田氏は「詫び状を書いてもらう。」との言葉を連発しました。そこで、私は、和田氏に対して詫び状を書くことに同意しました。和田氏の苦境を救うことができるのであれば、仕方がないと考えたからです。
和田氏は「奥さんのために書いた日記が組織に渡った時に、本当は貰った人が、もし常識があるならば、『本人は了解していますか。』と聞くべきだ。もし、『本人は知りません。』と言った場合には、『これは夫婦のプライバシーの問題になりますから、見るべきではありません。』と述べて返却するべきだった。『これは受け取るわけには行きません。プライバシーに関わるものだから、本来、日記は見るべきものではありません。何か問題があるならば、夫婦で揃って相談して下さい。』と言うべきだと言ったんだ。『日記を手にした時に、僕のことが書いてあるならば、その瞬間に僕を呼ぶべきだろう。』と言ったんだ。それを何カ月も経ってから呼んで来いということ自体が、僕はよく分からない。日記の中に、俺のことが書いてあるからといって、私に髙倉さんを呼び付けさせて、俺のために詫び状を書けということは強要罪になるかもしれない。しかし、詫び状を書いてもらう。」と発言しました。
 
発言の制止
 
私が、「公開もされていない日記を問題にして査問をするということ自体が、本来的には名誉棄損です。しかも、公開されていない日記の内容を分析し、追及してやるとか、問題にすると言ったら脅迫です。本当に申し訳ないけれども、創価学会の。」と言いかけると、山本氏が、突然立ち上がりました。そして、手を前に突き出し、顔を真っ赤にしながら、「それをおっしゃったら危ないですよ。」と言って、私の発言を制止しました。
私は、山本氏の行動に圧倒されました。そして、続けて発言しようとしていた「最高幹部による犯罪です。」という言葉を飲み込みました。もし、私が「最高幹部による犯罪です。それどころか、池田大作名誉会長の責任も問われることになります。」と述べると、私は何をされるか分からないと直感したからです。山本氏が私の発言を制止したこと自体が、この査問を、私に対する凶悪な脅迫であると山本氏が考えていた証拠だと思いました。
さらに、山本氏の行動から、エレベーターの中で、和田氏が「殺したくない。」と告げたことの真意に関する確信を深めました。山本氏は、和田氏が「高松のメンバーが殺すと言っている。」と私に告げたことを前提にしながら、私を尋問していたのだと考えました。
とともに、山本氏の動作で、私は、この部屋での会話の内容が録音されているのだと気が付きました。会話はすべて録音されているので、山本氏は脅迫罪に問われないようにと用心しながら、言葉を選らびながら話していたのだと思いました。そして、私の「最高幹部による犯罪です。」という言葉が記録に残ると、他の学会幹部から山本氏自身の責任が問われると思い、慌てて私の発言を制止したのだと考えました。
私が「なぜ、日記が。」と述べると、山本氏は「奥さんが日記を渡した。その日記が広がらないようにしている。」と述べました。さらに、「和田さんの個人の問題は知りませんよ。名誉棄損もないね。不法侵入も含めて、そういう話ですから。」と発言しました。和田氏は「もし創価学会の情報を漏らしている人がいたら、大変な問題になる。」と述べました。
私は「この場でメモを書いて詫び状にします。正式には、後日届けますが、こんな風に山本さんも、これでなんとか収めようというお気持ちでやって来てらっしゃるので、まずは、メモをこの場で書いて、後で正式にお届けするというのでよろしいでしょうか。」と述べました。
山本氏は「私でしたら、それでいいですよ。私、関係ありません。」と発言しました。私は「和田さんとの関係で書かせてもらう。」と述べました。山本氏は、将来、告訴されないために予防線を張っているのだと思いました。山本氏の「私、関係ありません。」という発言は、自らが強要罪や脅迫罪に問われないようにと、計算した上での発言だと思いました。私は、山本氏の狡賢い発言に呆れました。山本氏は、創価学会の顧問弁護士の指導に基づいて、巧妙に立ち回っているのだと感じました。
 
原田会長の関与
 
和田氏が「会長にはどうしたらいいでしょうか。」と発言すると、山本氏は「会長には、ちょっと小耳に挟みますから。」と述べました。さらに、和田氏が「髙倉さんも何かお詫びをした方がよろしいのでは。」と述べると、山本氏は「そんな簡単な話じゃないですよ。さっきの話を、私、全部信じた訳ではありません。おそらく調べれば分かると思うから。」と述べました。
和田氏が「徹底的に調べるしかないでしょう。」と発言すると、山本氏は「当たり前ですよ。調べたら簡単に分かることですよ。」と述べました。
実は、和田氏は、自身が査問されることを私に伝えた電話で、野崎氏から、このままでは年金の支給が停止されてしまうので、学会本部から呼び出される前に出頭したいとの相談があったと言われました。
そこで、和田氏は、野崎氏に対して、年金が取り消されることなどは絶対にないと述べるとともに、日記の内容はすべて髙倉の創作であると述べるようにと話したと言われました。その後、野崎氏は、当時、九州に居た原田会長の携帯電話に電話し、学会本部に出頭することになったと言われました。
和田氏からの電話があってから数日後に、私は、野崎氏に連絡しました。野崎氏は、原田会長からは「髙倉と縁したこと自体が問題だ。」と言われ、詫び状を書くように命じられたと言われました。野崎氏が謝罪文を手渡すと、原田会長は「髙倉の女房の実家は資産家だから、髙倉は離婚されたら困るだろう。」と発言したので、野崎氏は「髙倉さんの家庭のことは知らない。」と述べたそうです。
以上のような野崎氏と原田会長とのやり取りを踏まえた上で、和田氏は「会長にはどうしたらいいでしょうか。」と言われたのだろうと、私は思いました。さらに、和田氏は、山本氏によって録音されていることを前提に、この査問が原田会長の指示に基づいていることの証拠を残すために、このような発言をしたのだと思いました。
私は「和田公雄様、私の創作した日記のことで、大変ご迷惑をお掛けしました。誠に申し訳ございません。」と詫び状のメモを読み上げ、「これでよろしいですか。」と尋ねました。私は、この詫び状を書く際に、わざと字を間違えて書きました。そして、書き損じた用紙はポケットの中に入れ、持ち帰りました。
山本氏は「この後、四国のメンバーと相談しなければなりませんので。これから連絡を取らすという形になると思います。」と発言しました。
この発言を聞いて、山本氏は、四国創価学会の最高幹部とも入念な打ち合わせをしているのだと思いました。四国の幹部は誰一人として私を査問した者はおりません。佐々木氏が、全て査問をしていました。四国の幹部達は、佐々木氏の報告に基づいて判断していたはずです。
 
日記に登場する大学教授
 
山本氏は「日記の中に、大学の先生の名前が沢山出ていますので。」と述べ、さらに、「日記の中に、創価学会のカルトの運動」と書いてあると、恐ろしい顔付きをしながら追及し始めました。
私は、カルトとは言っていないけれども、創価学会のことを香川大学の先生方に話したことは認めました。すると、山本氏は、日記の中に記載していた大学の先生方の名前を一人一人読み上げました。そして、それぞれ、どんな話をしたのかと確認しました。山本氏が大学の先生方の名前を持ち出したことは、山本氏が、私の日記を詳細に読んでいた証拠だと思いました。
山本氏は「この先生達に、創価学会について誤解を与えるような発言をしているので、その発言を訂正して欲しい。」と言いました。さらに、「香川大学の件では、今後関係者と協議させてもらいます。」と発言しました。
私は、山本氏の発言に動揺しました。私や家族だけではなく、日記の中に名前を挙げた香川大学の教授の方々にまでも、何らかの制裁を加えようとしているのだと考えたからです。私は、何としても、香川大学の先生方に、危険が及ぶようなことは避けなければならないと考えました。
 
 

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 平成23年6月20日に行われたテレビ電話会議システムの裁判に向けて提出した陳述書を掲載します。
 
 なお、今回、以下のブログとリンクさせて頂くことになりました。
 
 たおしちゃうぞ!創価学会
 創価ニュース(スマートフォン サイト)
 
           記
 
陳述書 新宿での査問の詳細 その4
 
              平成23年6月10日
             住所略
                 髙倉良一
 
妻の直感
 
私は、佐々木氏の発言を紹介しました。2008年1月8日の午後、佐々木氏から、私と息子がブログを作って、創価学会の情報を発信していたと言われたと述べました。しかし、私は、佐々木氏が述べたようなことは絶対にしていないと発言しました。すると、山本氏は、「ブログのことは知らない。それは後から確認する。」と言いました。
そして、山本氏は「奥さんは日記を見て、これは同時放送(創価学会では、毎月1回、東京の創価学会本部で開催される幹部会の模様を録画編集したものを、各地にある会館に衛星放送で中継し、会員が視聴できるようにしています。正確な意味では録画放送です。)だねという記載でピンと来たと。確かに、30分、40分、先生(池田名誉会長)の話とか幹部の話を流しっ放しにしているという形であれば、料金も上がるからな。」と決め付けました。山本氏は、私と息子が、同時放送の内容を外部に漏らしたと断定しました。
私は「違います。そんなことはしていない。」と強く否定しました。しかし、山本氏は、そんな風に思われたのだと発言しました。
さらに、「そういう話が、四国の幹部に入ってくる。そして、四国の幹部である高橋さん、松下さん、婦人部長、それから松下総県長は、大変悩んで苦しんで、基本的に事件としてやるかどうかっていうところに、今来ているわけだよ。」と、硬い表情で述べました。そして、私をにらみながら、「どうします。」と尋ねました。
実際には、同時放送が行われる会合には、創価学会員だけではなく、会友と称されている創価学会の理解者も入場して視聴することが許されています。しかも、池田名誉会長の話は編集されたものです。
池田名誉会長が、この会合に参加している公明党の国会議員を糾弾したり、創価学会の最高幹部を汚い言葉で罵倒したような発言は削除されていると言われています。
私は「大変悩んで苦しんで」との発言に、どんな意味が込められているのだろうかと考えました。信仰に関する会合の模様を、秘密にしなければならないという発想自体が理解できませんでした。
しかし、「事件としてやる」ということは、和田氏が電話で伝えてきた内容を意味しているのだということに気が付きました。すなわち、和田氏を査問した幹部が「全四国と全九州の創価学会員を総動員して、髙倉を反逆者として糾弾する大キャンペーンを行う。徹底的に追い詰めて破綻させる。」と述べたことを意味しているのだと考えました。さらに、高松の学会員が私を殺すと言っていたとの発言も頭をよぎりました。
 
通話記録の請求
 
私は「息子が同時放送に行った際に、写真を送ったりしたことはあります。」と述べました。そして、それは通話記録を見たら分かることだと述べました。
すると、私の発言を待っていたとばかりに、山本氏は、息子の携帯がどこにあるかと尋ねました。そして、「契約者の名前がお父さんの名前になっているので、お父さんの方で請求してもらわないと履歴が見られない。」と言いました。
この発言を聞いた瞬間、山本氏は「通話記録を提出する。」との発言を、私から引き出すつもりだったのだと気が付きました。意図的に誘導していたのだと思いました。私は、山本氏の巧みで狡猾な尋問の手法に驚きました。脅迫罪から免れるために、私の方から通話記録を提出したという形にしようとしていたのだと考えました。
私は、通話記録を請求することを了解しました。すると、山本氏はニヤリと笑いながら、「髙倉さん親子が、学会の、特に3月と4月の会合の内容を録音し、携帯でそれを送ったかどうかについては、履歴を確認させて頂いて。」と発言しました。そこで、私は「結構ですよ。」と同意した上で、「そんなこと、一切やっていない。」と述べました。
これまで、裁判で、創価学会が組織的に関与したと認定された宮本共産党委員長宅電話盗聴事件や、創価大学職員で青年部の最高幹部だった人物による携帯電話の通話記録の盗み出し事件のことは知っていました。
しかし、まさか、山本氏が、私に携帯電話の通話記録の提出を要求するとは予想もしていませんでした。警察が犯罪捜査の一環として通話記録の提出を求めるのであればともかく、宗教法人の最高幹部が、信者に対して通話記録の提出を請求することは本当に恐ろしいことだと感じました。
 
最後のチャンス
 
山本氏は、私にマスコミや福本氏に手紙を書いたかと威迫するような声で尋ねました。私は、福本氏以外に手紙を送ったことはないと述べました。
すると、山本氏は「それでいいのか。もしその後、具体的な証拠が出てくると、今の話は全部崩れるんだからね。ここで打診しているのが、最後のチャンスなんだぞ。」と、私を脅しました。私は、この発言に大変な恐怖を感じました。特に、「最後のチャンス」という言葉が気になりました。創価学会の幹部達は、私をどのように処遇するつもりなのだろうかとぞっとしました。
私が「確かに福本氏に送りました。」と答えると、山本氏は「何を送ったんだ。」と、どすの聞いた声で尋ねました。私は、白バラの由来を書いた手紙だと答えました。
すると、山本氏は「白バラの運動の内容と現実とを合わせると、情報をリークすることを示唆するような内容の手紙であるとしか読めないんだ。」と声を荒げました。さらに、山本氏は「手紙には、四国の会館での会合の内容が、そのまま書かれているんだ。頑張って下さいと書いただろう。」と怒った口調で発言しました。
私は「違います。四国の会館のことなどを書いた記憶は全然ない。」と否定しました。私は、山本氏は、わざと、このような発言をしたのではないかと思いました。私は、福本氏への手紙には、四国の会館に関することなど全く書いていなかったからです。
すると、和田氏が「なぜ日記を書くにしても、もっと学会員を味方にし、世間の人間を味方にするような論評が書けなかったのか。わざと誤解されるようなことを書く理由が、あなたほどの人間が、あなたほどの正しい人間が、何でそんなに現実に消耗するような書き方しかできなかったのですか。奥様を改良するのに決定的に重要なことだったんですか。」と質問しました。
私は、内心では、日記の内容にまで言及した和田氏に呆れました。日記に書く内容まで干渉するということは、極めて理不尽なことだと感じました。しかしながら、この質問に対して、私は「夫婦喧嘩の腹いせに書きました。」と述べました。山本氏は「2年間ずっと頭に来たままというのは無理だよ。」と、ニヤニヤ笑いながら述べました。そこで、私は「毎日毎日、創価学会のことで、妻とやり合っていたのです。」と答えました。
 
実質的な仲人
 
すると、山本氏は、創価学会の九州の最高幹部である田村氏と、その夫人である田村幸子氏(創価学会の学術部員で、九州産業大学商学部教授、以下、幸子氏と記述)のことを話題にしました。田村氏夫婦は、私と妻の実質的な仲人です。
昭和60年の4月末日、九州創価学会男子部の最高幹部だった田村氏から電話が架かって来ました。田村氏は、小倉在住の創価学会員である坂本利勝氏(以下、坂本氏と記述)から一人娘の結婚相手を見つけて欲しいと依頼されたとのことでした。田村氏は、現在、この女性は女子部の本部長をしているが、このままでは女子部の最高幹部になることは確実で、そうなると結婚するのが遅れてしまうと坂本氏は心配していると言われました。
坂本氏は、北九州の小倉で洋服の問屋を経営されている資産家だが、自分の店を継がせるつもりはなく、将来、自分の資産を創価学会と公明党のために使ってくれるような人物を、娘の夫にしたいと言われたそうです。田村氏は、自分が結婚したい程だとも言われました。
5月の連休に、坂本利勝氏の自宅で見合いすべく、私は田村氏夫婦とともに北九州に参りました。小倉駅で私達を迎えた女性が、後に私と結婚することになる坂本和美氏でした。出会った瞬間、私のこれまでの人生は、この女性とめぐり合うためにあったのだと直感しました。私は、事前には相手の写真も釣書も渡されませんでしたので、この時が初対面でした。
私は、この女性と結婚すると決めて交際することにしました。結婚するまでの間は、沢山の手紙をやり取りしましたが、創価学会の活動に真剣に取り組もうという内容が中心でした。
その後、私の指導教官で、当時九州大学法学部長だった有地教授夫妻に仲人をお願いし、昭和61年の2月23日に、小倉の日蓮正宗のお寺で結婚式をし、小倉国際ホテルで結婚披露宴を行いました。しかし、実質的な仲人は、田村氏夫婦だったのです。
 
田村幸子氏からの電話
 
山本氏は「田村九州長の奥さんが、あなたに電話をして来ましたね。」と発言しました。私は「覚えていない。電話はなかったと思います。それは妻に対してではないですか。」と答えました。
山本氏は、即座に私の返答を否定しました。そして、「いやいや本人。奥さんに電話したのを、あなたが取ったかどうか分かりませんが。」と述べ、「実は、田村さんの奥さんが日記のことも含めて非常にびっくりされて、和美さんにどうなっているのかというようなことを話している最中に、あなたが電話を変わった。その時、あなたは、いつでも来い、公開討論をしようと発言したね。」と言いました。
私が、幸子氏とは話していないと答えると、山本氏は「言っていない?嘘を付くんじゃないぞ。田村さんは聞いているって。」と怒鳴りました。私が「いつでも来いとは言っていません。田村さんが来られるのであれば、みんなで公開してやりましょうと、妻には言いました。」と述べると、山本氏は「その話が田村さんに伝わったんだ。」と言いました。
査問の途中で、私が田村氏との出会いなどを話した時には、山本氏は、田村氏のことを「知らない。」と述べました。田村氏からの電話に関する発言では、山本氏は嘘を付いていたことを自白したようなものだと思いました。山本氏は、佐々木氏の時も、最初は「知らない。」と述べながらも、途中では、佐々木氏と連携していることを認める発言をしました。私は、山本氏は、田村氏とも十分な打ち合わせをしているのだと確信しました。
 
車内での妻との会話
 
2007年11月に、愛媛県美術館で、東京富士美術館(創価学会の所有する美術館)が企画した国立ロシア美術館展が開催されました。私は、この美術展を鑑賞すべく妻と娘を連れて、車で松山へ向かう途中で、妻から幸子氏から電話があったことを告げられました。
妻は、「田村さんの奥さんが、髙倉さんの家のお役に立つことがあればと、明日訪ねて来るから。」と発言しました。高速道路を運転中でしたので、私は少し驚きました。私は、幸子氏に話すことは全くないし、もし来られたら、その会話はすべて録音し、その内容を公開すると話しました。
別の陳述書で明らかにしますが、私が妻に日記を渡してから、妻の母親や親戚が、つぎつぎと高松に訪ねて来ました。幸子氏が、どのような目的で、私と会いたいと言われるのかは分かりませんでした。しかし、おそらくは、妻の母親が幸子氏に依頼したのではないかと思いました。
かつて、幸子氏は、田村氏と創価学会のことを話すと、最後には、田村氏は逆上してしまうと言われたことがありました。また、幸子氏から、創価本部職員による横領事件は沢山聞いたことがあると言われたことや、公明党の代表だった神崎武法氏の夫人は、池田名誉会長を冷ややかに見ていると言われたこともありました。しかしながら、幸子氏は、創価学会と池田名誉会長に対する批判をされたことはありませんでした。
私は、幸子氏のことを妻と話しても生産的ではないと思い、話題を変えました。そして、妻に、もし、この国立ロシア美術館展が創価学会とは全く無関係であれば、わざわざ、松山まで鑑賞に行くかと質問しました。
実は、今回の松山での美術館に行くことを、妻から創価学会の活動の一環だからと強要されたからです。創価学会は、その勢力を誇示するために、組織的に観客を動員しており、妻は、地域の創価学会幹部から松山に鑑賞に行ったことを報告することが求められていました。息子は、母親の発言に反発し、高松で留守番すると述べたので、妻と娘と私の三人で松山に向かったのです。
創価学会は、各種の選挙と連動させる形で、全国で池田名誉会長の写真展や平和行動展、富士美術館が企画した美術展を開催しています。そして、このような会合に、各地の有力者を来賓として招待するとともに、その地域の創価学会員を鑑賞に動員しています。
ちなみに、香川県で、池田名誉会長のコレクションとでも言うべきナポレオンに関する美術品が公開されたことがありました。その時には、熱心な創価学会員は何回も入場できる券を購入し、連日、地域の学会員や友人を連れて鑑賞に行っていました。そして、毎日、どれだけの人間を会場に連れて行ったかを報告していました。
しばらく、このような美術展に関するやり取りをしていると、妻は、私に、なぜ創価学会を脱会しないのかと質問しました。そこで、もし今、私が脱会したら、どういう結果になると予想されるかを説明しました。
 
夫婦の問題ではなくなっている
 
私が、妻に対して、幸子氏に公開討論すると伝えるように述べたと話すと、山本氏は「そんなことを公開でやるのか。」と呆れた顔をしながら発言しました。
さらに、「髙倉さんのおっしゃっていることが真実であるとした上でも、これはやっぱりなかなか難しい問題になってるんだ。いろんな方に、田村さんも入ってきちゃってるし、私が抑えきれない状況になりつつあるんだ。本当はお二人の問題だから、和美さんとご主人がまず話し合う問題だと思いますけども、そういう状況になくなってまして」と述べ、「子どもたちが情報を流してしまって、こっちは敢えて止めてるのに、いろんな話が出てしまっているので、もうやむなく、和田さんに話したことがあった。和田さんも否定されたので、じゃあご本人と白黒付けてもらうしかないと。その上で、この問題をどうするという話になるわけ。」と言いました。
この発言を聞いて、私は、山本氏は田村氏と相談の上、私を査問しているのだとの確信を深めました。そして、妻と私が話し合う問題であるにもかかわらず、「そういう状況になくなってまして」との山本氏の発言は、創価学会本部が、妻に対して、私と離婚するように強要している証拠だと考えました。家庭の問題に、創価学会本部が介入して来たばかりか、離婚を強要するのは、大変な人権侵害だと思いました。
さらに、「この問題をどうするかという話になるわけ。」との山本氏の思わせ振りの発言は、和田氏が、エレベーターの中で告げた「優秀な人間を殺したくない。」という言葉に込めた殺害予告の意味も含まれているのだと考えました。
 
和田氏の提案
 
この発言に対して、私が「妻とのことでお騒がせて申し訳ありません。」と謝罪すると、和田氏は「日記を読んでいないし、断片的に聞いただけだが、奥さんの好きなように創価学会の活動をやらせれば。」と言われました。そして、「原田会長の前で謝るべきだ。山本氏や四国の幹部や九州の幹部が許すかどうかは知らないけれども、俺の気持としてはそうなって欲しい。」と言われました。この和田氏の発言を聞き、私は、原田会長の指示で、この査問が行われているのだと確信しました。
私が「大変申し訳ない。」と述べると、和田氏はあらゆる人に謝罪せよと言われました。私が四国の幹部の所に行き、一人ひとりに謝罪すると述べると、山本氏は「それはちょっと待ってもらいたい。」と発言しました。
さらに、山本氏は「手の込んだことをしたね。あなたが、やったことでしょう。すごく多分利用されているよ。」と発言すると、和田氏は「あなたの背後にやばい人達がいるのではないかと思ってた。」と、再び言われました。
私が、再度「情報を漏らしていないと」否定すると、和田氏は「それを信じて良かったよ。」と言われ、「どうやって償うのか。」とも言われました。
私は内心では、和田氏の発言に驚きました。私の日記を妻に渡したことで、創価学会本部の人間に対して償う必要などあるはずがありません。私に断ることもなく、勝手に、私の日記の内容を分析したばかりか、殺すとの脅迫をし、このような査問を実施している創価学会本部の幹部こそが、私に償うべきだと思ったからです。

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 平成23年6月20日に行われたテレビ電話会議システムの裁判に向けて提出した陳述書を掲載します。陳述書の内容は、そのすべてが真実です。創価学会池田カルト一派から脅迫されている私には、虚偽の主張をしなければならない理由は全くありません。
 
7月19日午後4時30分から行われたテレビ電話会議システムの裁判で、裁判官は、被告側に対して、この日から一週間以内に求釈明の文書を提出するようにと命じたとのことです。そして、私の訴訟代理人である生田暉雄先生には、8月末までに、被告側からの求釈明に対する回答を行うようにと求めたそうです。
 
 次回の裁判は、テレビ電話会議システムで、9月6日午後1時30分からです。創価学会池田カルト一派の訴訟代理人達は、どのような求釈明の文書を提出するでしょうか。
 
             記
 
陳述書 新宿での査問の詳細 その3
 
              平成23年6月1日
           
住所略
                    髙倉良一
野崎氏との出会い
 
すると、山本氏はびっくりしたような表情を浮かべました。そして、話題を野崎氏のことに変えました。私は、「野崎氏には離婚のことで相談をしています。」と述べました。野崎氏は、「夫婦の関係は弁証法的に発展する。」と言われ、本当に親身になって、私にアドバイスされていました。
野崎氏とは、和田氏と知り合ってから7,8年経過した頃に出会いました。香川県の学術部の会合に参加した時のことです。創価学会の教学部門(創価学会では、教義のことを教学と呼んでいます。)の最高幹部の一人だった野崎氏が、この会合で講演をされたのです。
会合終了後に野崎氏と会食をしていた際に、私は、知人のアメリカ人の創価学会員が「アメリカの創価学会員は、もし、池田名誉会長が証人喚問の席で女性スキャンダルを認めたとしても、池田先生もヒューマンであったと考えるだけで、信心がおかしくなることはない。」と述べたことを紹介しました。そして、私は、池田名誉会長が国会に証人喚問されるのであれば、堂々と喚問に応じるべきだと発言しました。
それからしばらくして、野崎氏から電話が架かって来ました。野崎氏は「髙倉さんのような問題意識を持っていたら、香川の人たちと一緒になって創価学会の活動をするのは大変でしょう。」と言われました。そして、「大阪で、毎月1回日曜日に教学の研究会を開催しているので出て来られませんか。」との誘いを受けました。
私は、この誘いを受けて、高山直子氏(創価学会員の医師で構成されているドクター部の最高幹部、以下高山氏と記述)の診療所で開催されていた研究会に参加するようになりました。
 
野崎氏への相談
 
実は、この時期、私は池田名誉会長をどのように捉えるべきかと悩んでいました。また、日蓮仏法の本来の教義から、創価学会の活動は背理しているのではないかとも考えるようになっていました。
そこで、大阪の研究会に参加した時に、野崎氏に、池田名誉会長をどのように捉えるべきかを相談しました。その際、野崎氏に、なぜ池田名誉会長に対する認識が変わったのかを質問しました。
すると、野崎氏は池田名誉会長に対して疑問を持つようになった契機は、「言論問題」(昭和44年末から昭和45年にかけて、創価学会と公明党が、創価学会を批判する書籍の出版を妨害した事件のことです。昭和45年5月3日に開催された創価学会の本部幹部会で、当時の池田会長は言論妨害という意図はなかったと弁明しつつも謝罪しました。この時に、それまで一体だった創価学会と公明党は組織上分離されました。)の際に、池田氏が述べた発言だったと言われました。
池田会長は、この事件に関して世間から創価学会に対して浴びせられた批判に関して、「まるで処女がいきなり襲われて輪姦されたようなものです。」と述べたそうです。野崎氏は、このような例え話をした池田会長の感覚に、本当にびっくりされたそうです。
それから、創価学会本部の資料室に保管されていた戸田城聖創価学会二代会長と池田会長の発言記録などを調べるようになったと言われました。さらに、野崎氏の実弟で故野崎勲氏(創価学会副会長で聖教新聞相談役主筆)は、池田会長の信頼が厚い青年部の最高幹部であったため、様々な情報を入手することができたと言われました。また、野崎氏は池田会長のゴーストライターとして抜擢され、池田会長の真実の姿に接する機会に数多く恵まれたとも言われました。
しかしながら、野崎氏は自らの池田名誉会長に関する考え方を、私に押し付けるような発言は一切されませんでした。あくまでも、私の質問に応じるという形での発言でした。
妻は、私が大阪の研究会に行くようになってから信心がおかしくなったと述べていますが、野崎氏との出会いが、池田名誉会長と創価学会に対する認識が変わる契機となったことは確かです。それまでも、和田氏とは、いろいろな話をしておりました。しかし、認識が変化するようになったのは、野崎氏の影響の方が大きかったと思います。
 
野崎氏の発言内容
 
ある時、野崎氏は、池田名誉会長のことを謀略の天才であると言われたことがありました。そして、現在、池田名誉会長は、「言論問題」以前の政教一致状態、すなわち、公明党と創価学会が一体となる体制を目指しているとも言われました。
さらに、矢野絢也元公明党委員長が出版される本の中で、創価学会が二千億円を脱税したことをもみ消したことが明らかにされるが、この問題はまだ時効になっていないので、池田名誉会長の証人喚問や逮捕に発展するかもしれないと言われました。
また、野崎氏は、池田名誉会長の女性スキャンダルが問題になった時に、この問題で池田氏は打倒されると思ったが、そうはならなかった。もし、打倒されるとするならば、池田氏の金銭問題であり、この問題が、一般の国民にとっても一番分かり易いと言われました。
その際、野崎氏は、池田氏の個人資産は、スイスの銀行に預けられていたが、規制が厳しくなり、香港にある上海銀行に移された後、ケイマン諸島にある銀行に移動されたと言われました。
ある時に、創価学会の最高幹部が本部職員を集めて、「君たちの給料は、創価学会にとってはゴミみたいな微々たるものだから心配することはない。」と発言したことがあり、職員が「俺たちはゴミか。」と愚痴をこぼしていたこともあったと言われました。
さらに、野崎氏からは、東村山市の市議会議員で、創価学会を批判していた人物が自殺したと言われている事件の真相を教えてもらったこともありました。この時には、創価学会は、オウム事件にも関与していると言われました。
野崎氏は、日本で起きた訳の分からない事件には、すべて創価学会が絡んでおり、警察の公安、内閣調査室、国税庁、アメリカのCIAも、創価学会の犯罪行為を完全に把握していると言われていました。そして、これらの機関は、池田名誉会長の力が弱まるのを待っており、将来必ず、創価学会の犯罪を摘発するだろうと言われていました。
さらに、創価学会本部はインターネットを監視しており、創価学会を批判するブログやホームページを潰す工作をしているとも言われました。
創価学会の最高幹部で、しかも、池田名誉会長の側近だった野崎氏が語られた事柄に、私は大変驚きました。野崎氏の発言の内容は憶測や伝聞ではなく、いずれも明白な証拠があるものだと感じました。
 
野崎氏に関する質問
 
山本氏は「家庭の話云々ではなくて、創価学会のことを、和田さんとは違った角度で、野崎さんの名前で、池田名誉会長が要人と会見をする際の模様を書いただろう。なぜ、日記に、こんなことを書いたんだ。」と、私をにらみつけました。
私が、「そんなことを書いたような気がする。」と答えると、山本氏は、「なぜ、この内容については、和田さんの名前を使わなかったのか。」と追及しました。
この質問に対して、私は、「池田名誉会長と要人との会見の模様については、インターネットに書いてあったような気がする。」と答えました。山本氏は、「週刊誌とかインターネットの話を信じて、それを使ったのか。その中には、和田さんの名前を書いていないか。」と、顔をしかめながら確認しました。私は、和田氏の名前も使ったと答えました。
実は、野崎氏と和田氏の双方から、池田名誉会長が海外の要人と会見する際の模様を聞いたことがあります。その話を日記に書いたことが、池田名誉会長を個人崇拝している山本氏の逆鱗に触れたのだと感じました。
実際には、日記には、野崎氏の発言を以下のように書いていました。
野崎さんは、池田の代わりに長男が海外で代理を務めているが、彼らは式典に参加した後は遊んでいるのだと言っていた。日本でも、かつて池田が全国を回っていた頃、会合終了後は遊びだったとのことだ。」
「池田名誉会長は世間話的な応対をするだけで、その後の専門的な応答はすべて、池田氏の側近がしている。それをさも、池田氏本人が要人と会談しているかのように聖教新聞には掲載している。」
 
徳岡氏のことに関する質問
 
野崎氏に関する話が一段落すると、山本氏は、徳岡氏のことを話題にしました。徳岡氏は、創価学会の学術部員で、京都大学出身の方です。前述の学術部の会合に私が参加した際に、私を野崎氏に紹介して下さった方です。
徳岡氏は、四国電力の研究所を定年退職されてからは、大阪で、健康食品の販売などの事業をされていました。大阪の研究会にも何回か参加されたことがありました。
「徳岡氏は、野崎氏の後輩で健康食品の販売をしています。」と、私は答えました。山本氏は、「日記の中に、徳岡さんの話が出ている。徳岡さんから電話があったな。」と尋ねました。
私は「ありました。」と答えました。そして、徳岡氏からは「福本氏(元参議院議員)と連携を取っていると思われている。」と言われたので、私は、「福本さんとはもう十数年も会っていません。」と答えたと述べました。実際、私は、福本氏が愛媛大学の助教授だった頃に会ったことがあるだけでした。
 
大阪の研究会に関する質問
 
山本氏は、大阪の研究会のメンバーを確認すると言い出しました。山本氏に対して、私は、「精神科医の高山直子氏のところで開催されていた仏法の勉強会に参加し、そこには、婦人部の人達も来ており、講師の一人が野崎氏でした。」と述べ、研究会の内容を説明しました。
山本氏は、「その勉強会から帰ると、奥さんにいろんな話をしただろう。その内容は、日記に書いていないこともあるな。それで、和美さんは、その話と日記の話を総合したんだよ。和田さんも勉強会に参加しているという風に、最初は思ったわけだ。」と断定するような口調で告げました。
以下、この研究会のことを説明します。研究会には、創価学会員である高山氏の後輩の医師、婦人部の幹部、野崎氏、友岡雅弥氏(聖教新聞の記者で学術部の幹部、以下友岡氏と記述)、徳岡氏などが参加され、仏法の原典を講読していました。私が参加した時には、長尾雅人著『摂大乗論-和訳と注解』(講談社インド古典叢書)を、野崎氏が解説されていました。
その後、土曜日にも研究会が開催されることになりました。土曜日は、岩波文庫の中村元訳『ブッダのことば』を、野崎氏とともに読み進めて行くものでした。この研究会には、高山氏のクリニックに勤務されているカウンセラーと医師も参加されていました。
日曜日の研究会では、仏法の原典の講読が終わると、メンバーの一人だった中本征利氏(以下、中本氏と記述)が、自らの著作『日蓮と親鸞』(人文書院、2004年)の内容を講義されるようになりました。中本氏は、原始仏典から日蓮に至るまでの仏法を講じられました。
中本氏は京都大学医学部出身で、中本征利精神分析クリニークの院長でした。中本氏は創価学会員ではありませんが、仏法に関してはもちろん、哲学、世界史、日本史、文学、精神分析学についての造詣が大変深く、碩学とは、こんな人物を指すのだろうと感じていました。野崎氏は、中本氏はヘーゲルの精神現象学の方法論を根底に据えて、仏法を理解されていると言われていました。
この研究会に参加して仏法の原典を読み進める間に、私は、創価学会の仏法理解が極めて浅薄なものだということを痛感させられました。さらに、中本氏の講義を手掛かりにしながら、『日蓮と親鸞』を読み進める間に、私は、創価学会の教学に関する捉え方が大きく変わりました。創価学会の教学は、池田名誉会長を宣揚するために、日蓮大聖人の言葉を都合良く利用しているに過ぎないものだと、私は考えるようになりました。
この研究会の席では、創価学会と池田名誉会長に関する批判がなされることは全くありませんでした。仏法を研鑽する純粋な研究会でした。
 
研究会終了後の懇親会
 
研究会終了後、参加者の数名が参加する懇親会では、創価学会の活動に関する議論をしていました。この席では、創価学会本部職員の実態や池田名誉会長の発言などが語られました。
高山氏は、創価学会の婦人部の最高幹部が大阪に来ると、池田名誉会長や創価学会のことで悩んでいるとの相談を受けることが度々あると言われました。中部の創価学会の最高幹部が、池田名誉会長のことに疑問を持ち精神的に不安定になったこともあると、高山氏は言われました。
友岡氏は、池田名誉会長から指導を受けて、池田名誉会長がハーバード大学で「生も歓喜、死も歓喜」というテーマで行った講演の原稿を執筆したと言われました。私が、どんな指導だったのかと質問すると、友岡氏は「池田先生から、今度は生死のことで講演したいと言われただけだった。」と答えたので、本当に驚きました。講演の内容は、すべて友岡氏が考えたとのことでした。
野崎氏は、かつて池田氏が会長だった頃に、京都大学の学生を相手に講義をしたテープを聞き直したら、池田氏は脈絡のない激励の言葉を発するだけだったと言われました。しかし、池田氏の講義に参加していた学生達は皆興奮していたので、そのことに気が付かなかったそうです。そこで、野崎氏達が、講義の内容を、池田氏が語ったかのように書き直したと言われました。
その他にも、本部職員の金銭スキャンダルのことや、公明党の議員が、どのようなプロセスで選出されるのかなども語られました。創価学会の青年部幹部達は、日本の政治を動かしているのは自分達だと豪語しているということが話題となったこともありました。
私は、このような話を聞いて本当に悩みました。この席で語られる池田名誉会長の言動は、どう考えても宗教指導者の資質が疑われるような内容ばかりだったからです。しかも、困ったことに、いずれも裏付けとなる証拠があるものばかりだったからです。
大阪から帰ると、研究会終了後の懇談の席で語られていた池田名誉会長と創価学会本部職員に関するスキャンダルを、私は妻に対して話していました。東京に出張し和田氏と面会した時も、妻に対して、和田氏から聞かされた創価学会のスキャンダルめいた内部情報を中心に話していました。
当時、聖教新聞では、自由座談会というコーナーで、日蓮正宗の僧侶の金銭スキャンダルや女性スキャンダルが取り上げられ、僧侶が腐敗堕落しているとの糾弾キャンペーンが展開されていました。
私は、妻に対して、これらの記事の内容は、その主語を入れ替えるならば、すべて池田名誉会長にも当てはまるものだと述べていました。そして、池田名誉会長を絶賛し、個人崇拝を宣揚している創価学会は、北朝鮮のような存在であると述べていました。
 
野崎氏と和田氏との関係
 
山本氏は、日記の記述から、私と和田氏と野崎氏が会ったことがあるのだと妻が考えたのだろうと言いました。そして、「和田さんは、家族の相談には応じた。しかし、池田先生に関して悪口は一言も言っていないんだな。」と、山本氏は探るような目付きをしながら、私に確認しました。
そこで、私は、和田氏に対して大阪の研究会のことを話した際に、和田氏が野崎氏のことを徹底的に批判したことを紹介しました。また、野崎氏も、和田氏のことをカルトの教祖的な側面があると語っていたと述べました。私は、和田氏と野崎氏との関係を察知されないようにと言葉を選びながら話しました。
実際には、和田氏と野崎氏と私の3人で、一緒に会ったことがありました。その席で二人とも異口同音に、現在のような創価学会にならないようにするためには、何回かチャンスがあったと言われました。「言論問題」の時や、日蓮正宗との対立から池田氏が会長を勇退した時などです。そして、現在のような創価学会にしてしまったことについては、二人とも責任があると言われていました。
それから、和田氏は、池田氏のことを本当に恐ろしい人間だと言われていました。また、池田氏が大阪に頻繁に行く理由についても、思わず耳を疑うようなことを言われました。さらに、創価学会の歴史は偽造の歴史であるとも言われました。
しかし、査問の場で、和田氏の発言を紹介すると、和田氏に危険が及ぶと考えました。そこで、私は、和田氏は創価学会の勝海舟のような人だと思っていると述べました。私は、和田氏は創価学会の問題点と限界を認識しながら、その中で一生懸命に立て直しをしようと努めている方だなと考えていたからです。そして、このような方がおられる限り、創価学会は大丈夫だと思っていると発言しました。
すると、山本氏は「そんな風に人の名前を入れるから、ご本人が痛くもない腹を探られるんだ。」と声を荒らげました。
ここで、和田氏が口を挟みました。和田氏は、「俺は、あなたの裏に弁護士がいて、背後で操作しているのかなと思っているよ。」と発言しました。この発言に、私はびっくりした顔をしました。すると今度は、和田氏は「髙倉さんが情報を漏らしたということは信じられない。」と言われました。さらに、和田氏は、「俺は、あなたが福本などと連携を取るということは、絶対に信じない。」と言われました。
 
白バラの手紙
 
私は、情報を漏らしていないと述べ、福本氏に「改革に向けて、あなたはあなたの立場で頑張って下さい。」との手紙を、ペンネームで送ったと述べました。
すると、山本氏は「白バラというのがそうだな。ナチスの行動を少女がすっぱ抜いて。それをビラにして撒くという話だろう。」と述べたので、私は、すっぱ抜くという話ではないと否定しました。
白バラとは、第二次世界大戦末期に、ドイツ国民にヒトラー打倒を呼びかけ、ナチスドイツに対する抵抗運動を行ったミュンヘン大学の教授と学生グループの名前です。
ところが、山本氏は、私が、福本氏にビラの配布を依頼したのだと言い張りました。私は、「ビラのことなど全く知りません。創価学会の内部で、学会を改革するために頑張りますとの手紙を書いただけです。」と述べました。
この私の発言に、山本氏は激昂しながら「何を改革するんだ。」と詰問しました。私は、「当時思ったのは、妻のように盲信的になるのではなく、本当に考える人間にならなくてはならない。妻が、池田先生に対する忘恩が許せないから離婚すると言い出し、私に創価学会の活動を強要するようになったことを、息子はとても悩んでいました。そこで、このままでは息子が精神的にもたないと思いました。息子の気を紛らわさせるために、映画『聖なる嘘つき』をヒントにして、具体的なことは何もしていないけれども、創価学会に反対しているような活動をしている振りをしました。」と述べました。
すると、山本氏は息子のことに言及しました。私は、再び、息子のことが話題になったので、内心震え上がりました。これまで以上に、慎重に話さなければならないと思いました。そうでなければ、私が殺害されるだけではなく、息子の身も危なくなると感じました。

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 平成23年6月20日に開かれたテレビ電話会議システムの裁判に向けて提出した陳述書を掲載します。
 
                      記
 
陳述書 新宿での査問の詳細その2
 
              平成23年5月30日
           
      住所略(陳述書には記載)
                    髙倉良一
 
日記に書いた和田氏の発言
 
山本氏は、日記の内容について質問し始めました。和田氏が本当に発言したかどうかを確認すると述べました。
私が、和田氏の発言として日記に書いたのは、池田名誉会長に関する事柄や創価学会の問題点、さらに、日本の政治の在り方など、多彩な内容でした。以下の「」内の発言は、すべて和田氏が私に語られたことです。
本部職員となって3ヶ月目に、新入職員の代表として池田氏と二人だけで2時間近く懇談した。その時に、創価学会の問題点などを話した。すると、全く回答がなく、池田氏は黙って聞いているだけだった。そして最後に一言、『もし戸田先生だったら、君に何と言われただろうか。』と告げられた。
この発言を聞いて、池田氏は自分というものが何もない空虚な人間だと思った。この時点で、池田氏の本質を見抜いた。」
国際部に所属していた時に、何度も、池田名誉会長が外国の要人と会見する席に参加した経験がある。池田氏は、海外の要人に対して、家族のことや、今度生まれ変わるとすればどんな存在として生まれたいか等を質問する。すると、相手は池田氏の雰囲気に呑まれてしまう。そして、海外の要人が池田氏に何か質問をすると、池田氏本人は答えずに、周囲に待機している創価学会の幹部に回答させる。自分も、何度か池田氏に代わって答えたことである。
すると、池田氏は、自分は分かっているけれども、あえて側近の幹部に回答させたという素振りをする。側近が要人の質問に答えると、さも池田氏本人が考えていることを、わざわざ代わりに答えさせたという態度を取る。
池田名誉会長には、創価学会ドクター部に所属している大勢の医師が主治医となっている。池田氏は140歳まで生きるつもりであり、健康そのものだ。
「池田名誉会長の生活費は、第一庶務(池田氏の秘書集団)の経費などを含めると、年間400億円近くになる。これだけの額が、たった一人のために使われている。」
人間は有限な存在で未完成の存在であり、どんな行動をしても、必ず後悔する存在である。だからこそ、人間に絶対性を求めるのではなく、法を求めるのだ。個人崇拝は、仏法とは全く相反するものだ。人間は法の下に平等な存在であり、信者を階級化することは絶対に許されない。本来、精神的な価値は見えないものだ。見えないにもかかわらず、信者に序列をつけること自体が間違いである。
妻帯せずに、一切捨てる物がない聖職者のみが人間の魂に触れることができる。仏の行為とは、代償を求めずに、隠れた善行を実践するように働きかけることであり、勝利に勝る敗北の人生を選び取ることだ。」
「創価学会には、日蓮論も、本尊論も、教団論のいずれもない。」
「日本や海外で大事件が起きた時に、どのように報道するかという視点から聖教新聞を読む。このような視点を持つと、聖教新聞社には、いかに人材がいないかが良く分かる。
「本部職員が、創価学会の改革のために立ち上がることはない。」
日本全国の創価学会員の家庭では、財務(創価学会に対する寄付)の金額をめぐって、夫と妻が対立している。」
「家庭不和を起している財務で集められたお金は、広宣流布(仏法を世界中に広めること)とは、全く関係のない池田大作名誉会長の自己顕示のために使われている。」
「髙倉さんのところは、子どもが問題の本質を理解していることと、比較的経済的に豊かな方だから救われている。ほとんどの創価学会員の家庭では、子どもは学会活動に熱心な母親の側に立っている。」
「日本の政治は、有権者と政治家の複合汚染だ。しっかりした判断力を持つ有権者が育っていないが故に、公明党のような政党に投票するのだ。
「現在の日本の混迷を生み出している責任は、創価学会にある。」
 
和田氏の発言かどうかの確認
 
山本氏は、日記の中の「男は手駒、女は手篭め」という表現が和田氏の発言であると断定しました。このような表現は、和田氏の口癖と一致していると言われました。そして、日記の中に書いてある和田氏の発言は、すべて和田氏本人の発言であり、私が創作したものではないだろうと詰問しました。
この和田氏の発言については、2007年5月21日の日記に書いた以下の部分に関するものだと思います。
昨日の聖教新聞の2面の下隅に、森田元理事長が亡くなった記事が掲載されていた。注意しなければ見落とすような扱いだった。
かつて、和田さんは、池田の幹部に対する応対を、『男は手駒、女は手篭め』と語ったことがあったが、今回の森田氏の死亡記事からは、幹部は使い捨てということが、ありありと感じられる。本当に、池田のための、池田による、池田学会なのだ。
以前、確か、『はったり特急』(創価学会を批判するブログの名前)だったと思うが、学会の古参幹部が亡くなった時に、その功績を称えるような記事を載せるべきだとの主張を読んだ。
森田氏の死亡記事を読みながら、これが、もしも池田であれば、聖教新聞は、どんな扱いをするだろうかと考えた。おそらく、大々的にその功績を紹介することであろう。
理事長経験者ですら、こんな扱いをする創価学会が、人間を大切にするという主張をしているのだ。笑止千万の一語に尽きる。」
山本氏が問題にした「男は手駒、女は手篭め」という記述は、和田氏が、私に池田名誉会長の女性スキャンダルの詳細を興奮された口調で語られた時に、和田氏自身が言われたものです。
和田氏が述べた池田氏の不倫の相手となった女性の人数は、びっくりするほど沢山でした。池田氏のことを信奉している創価学会婦人部の会員が、このスキャンダルの内容を知るならば、創価学会は瞬時に崩壊するのではないかと感じました。
本当は、山本氏が「男は手駒、女は手篭め」という表現は和田氏の発言であるとの指摘は正しいものでした。私が日記に和田氏の発言として書いた事柄は、すべて和田氏が語ったことです。
しかし、私は、これらの発言は何かの本に書いてあったものだと述べ、和田氏の発言ではないと否定しました。私は、和田氏のことを守り抜かねばならないと必死でした。
すると、山本氏は、和田氏の発言として書いてあることは全部嘘かと確認しました。そこで、私は、一部は本当であると肯定し、日蓮論や教団論などは本当だと述べました。しかし、それ以外は、週刊誌などに掲載されていたことだと述べました。
しかし、山本氏は、和田氏の名前が記されているのはなぜかと、険しい表情で追及しました。
さらに、山本氏は、私の妻が「和田氏や野崎至亮氏(元創価学会副教学部長、以下野崎氏と記述)氏などの4人によって、夫の信心がおかしくなった。」と言っていると告げました。妻は、「この4人のせいで、夫と息子の信心がおかしくなり、夫は、創価学会は悪の巣窟であり、池田名誉会長はカルトの頭目であると述べるようになった。」と述べていると、山本氏は発言しました。
この山本氏の発言を聞いて、私は、学会本部の管理下に妻が置かれているのだと思い、とても不安になりました。
さらに、山本氏は、「日記を一冊しか読んでいないけれども、その内容は出版すればセンセーショナルなものでリアリティーのある内容だ。」と発言しました。
この発言に対して、私は、日記は小説として書いたものだと述べました。私が和田氏と電話で打ち合わせをした際に、和田氏から「日記の内容はすべて創作したものであり、事実ではではないということにしなければならない。」と言われていたからです。
私は、大学院の時代に、先輩から論文だけではなく小説も書くようにと言われたので、小説を書く勉強をしていたと述べました。私は、和田氏に危険が及ばないようにと、日記の内容は創作であると言い張りました。
 
話題を変える
 
私は、何とかして話題を変えようと思いました。そこで、池田大作名誉会長との出会いや、創価学会の副会長である佐藤政春氏(以下、佐藤氏と記述)と田村隆雄氏(以下、田村氏と記述)のことを話しました。
まず、池田名誉会長については、私にダイレクトに御本尊(信仰の対象としての曼荼羅のこと)のことを教えて下さった方だと述べました。それから、九州大学出身の本部職員で、当時九州男子部長だった田村氏と、創価学会本部から九州の創価学会青年部担当の最高幹部として派遣された佐藤氏との出会いを話しました。その内容は、以下のようなものでした。
私は、佐藤氏から「創価学会は平和と文化と教育の団体であるとの看板を掲げているものの、その中身が明確ではないので、その内容を考えるように」と言われ、さらに、「将来必ず宗教連合という時代が来るので、その時に備えて宗教連合が可能となるような理論を考えるように」と言われため、とても悩みました。
私は、自分自身の変革を願って日蓮正宗に入信し、創価学会で活動するようになりました。社会変革を願って入会したのではありませんでした。しかも、宗教連合という発想は、他の宗教を邪宗だと批判する日蓮大聖人の教えに反するものだと考えたからです。佐藤氏の発言は、私にとっては驚き以外の何物でもありませんでした。
ちょうどこの頃、中国を訪問していた池田会長(当時、池田氏は会長でした)が福岡に立ち寄ることがありました。その時、九州大学の学生部に所属していた会員には、池田会長が出席する会合に参加するようにとの連絡がありました。
私は、この会合に勇んで駆け付けました。そして、会合終了後、池田会長に「先生、先生に指導を受けたいことがあります。」と呼び掛けました。すると、池田会長は私の方を振り向いて、「そんなことは自分で解決しろ。」と言われました。
その瞬間、確かに、社会の変革を目指して行動するかどうかということは自分自身で決めることだと閃きました。しかし、宗教連合のことに関しては、何としても池田会長の指導を受けたいと思いました。そこで、池田会長が移動された後を追い続けましたが、結局、指導を受けることはできませんでした。
この日自宅に戻って、夜の勤行をしようと仏壇の前に座った瞬間に、「そんなことは自分で解決しろ。」という池田会長の指導は、私自身が御本尊を受持しているということを教えて下さったものだと思いました。御本尊に唱目を上げるならば、自分自身で問題を解決できるのだということを指導されたのだと感じたのです。いわば、信仰の核心を示されたのだと思いました。
このように、池田会長の発言を捉えた結果、私は、ますます、創価学会の活動に熱心に取り組むようになりました。本当に無我夢中でした。
ところが、野崎氏との出会いで、池田会長の発言は誤魔化しであったということが分かりました。野崎氏によれば、池田氏は、相手が自分では答えられない質問をしようとしていると感じると、先手を打って、「自分で解決しろ。」という言葉を連発するとのことでした。この言葉で、相手を誤魔化すのだと言われました。
 
日記を書いた理由
 
山本氏は、佐藤氏と田村氏のことは知らないと否定しました。しかし、これは真っ赤な嘘だと思いました。特に、田村氏については、山本氏自身が、この後で「田村九州長の奥さんが、あなたに電話をして来ましたね。」と発言しました。田村九州長とは、創価学会副会長の田村隆雄氏のことです。
私は、山本氏が平然と嘘をつくのに呆れました。そして、山本氏が、佐々木氏のことを知らないと発言していたことも嘘だと思いました。少なくとも、山本氏は、四国の最高幹部から佐々木氏のことを聞いていたに違いないと考えました。
それから、私は、池田大作名誉会長のことについては、期待があるからこそ、日記には批判的に書いたのだと説明しました。
この発言に対して、山本氏は「方法論を間違えましたね。」と述べました。さらに、和田氏から、なぜ、こんなことをしたのかと問われました。そこで、私は、日記を書いた理由を夫婦げんかのストレス発散のためだと述べました。
すると、山本氏が「和田さんの質問に答えていない。」と大声を上げました。和田氏は、重ねて、なぜ日記を書いたのかと尋ねました。和田氏は「この日記で、誰も幸せになっていない。あなたは学会からも迫られた。」と言われました。和田氏の「学会からも迫られた。」との発言には、とても凄みがありました。
私は、「日記を渡した理由は、妻が、日記を読んで、宗教のことで争うことはおかしいということに気がついて欲しかったからです。」と述べました。この発言に対して、山本氏は「奥さんは、日記の中にあなたの本音が書いてあり、しかも、その本音には、関わった人が多くいたと話している。」と述べました。さらに、山本氏は「池田先生の崇高な精神を分かっているか。」と問いました。
私は、和田氏が日記を書くこと自体までも問題にしたことと、山本氏の「池田先生の崇高な精神」との発言に、内心では呆然としました。和田氏の発言は、人間の精神までも支配しようとしていることを意味するのではないかと思いました。また、山本氏が、発言と実際の行動が矛盾している池田氏のことを尊崇していることに驚きました。
しかしながら、そんな素振りを見せると危ないと思いました。私は、佐々木氏から厳しい査問を受けた結果、池田名誉会長のことを尊敬するようになったと答えるとともに、佐々木氏の発言を紹介しました。佐々木氏は、四国の最高幹部である喜多青年部長が、私のことを創価学会の改革を一生懸命考えている人であると発言したと述べました。
 
情報の漏えい
 
和田氏は、山本氏から聞いたと前置きをして、高松の会合の内容が外に出たことは絶対に許せないと発言しました。和田氏は、いつもは会合に出ないのに、私が、たまたま参加した会合の内容が外に漏れていると追及しました。
そこで、私は「これまでも会合には出ている。」と答えました。そして、会合の内容も日記には書いているはずだと答えました。
この発言に対して、山本氏はテーブルを激しく叩きながら、「日記には会合の内容は書いていないぞ。嘘を付くのもいい加減にしろ。」と怒鳴りました。
私は、会合では、創価学会の幹部が民主党を仏敵だと述べていたので、そのことをマスコミが取り上げればとの願望を日記の中に書いていると述べました。具体的には、2007年7月26日の日記に、以下のように書きました。
四国池田文化会館で午後8時から開催された地区部長会に参加した。会合では、幹部が民主党を仏敵だと断定し、これから4日間の選挙活動の内容を具体的に指導した。
公職選挙法で禁止されている投票当日の活動も、細かく指示していた。幹部の話し振りからは大変焦っているという印象を受けた。
また、話の内容は、公明党を批判する民主党を打倒せよとのファシズム的な主張以外の何ものでもなかった。創価学会は平和団体という仮面の下に、独裁体制を目指していることを宣言したような演説であった。
今日の会合の模様が広く世間に公表されるならば、創価学会は反民主主義の極めて危険な団体であると糾弾されることだろう。このような指導を臆面もなく開始したことは、学会本部と池田さんが追い詰められている証拠だと思う。
池田さんのスキャンダルが公表される以前に、日本各地で開催されたであろう創価学会の会合の模様が、マスコミによって日本国民に広く伝えられることを祈らずにはおられない。」
すると、山本氏は「会合の内容を録音し、それを紙に置き起こしたのか、音源にしたのかは分からないが、それを第三者にリークしたのは髙倉さん親子だな。息子を巻き込んだらやばいな。」と、再びテーブルを激しく叩きながら発言しました。
私は、「やばいな。」との発言にぞっとしました。息子が、どんな目に遭わされたのだろうかと不安に駆られました。私のただならない様子に、和田氏は法律に詳しい人が日記に書いて、それを実行するということはありえないと述べました。
私は、息子が妻に連れられて会合に参加した時に、同時中継の写真を撮って送ってきたことはあると述べました。すると、山本氏は、恐ろしい目付きで、なぜ会館で写真を撮ったりしたらダメだと言わなかったのかと尋ねました。私は、宗教の会合で手荷物検査をすること自体がおかしいことであり、公開の場で宗教の問題を話すべきであると反論しました。
この反論に対して、山本氏は「万が一最初から録音するつもりで入って来られたら、その瞬間に侵入罪になる。」と、声を荒らげて発言しました。私は「そうなんですか。」と答えるとともに、「なぜ息子を巻き込んだことになるのか。」と問い返しました。そして、息子とは、同時中継の会合に一緒に行っていたと述べました。
山本氏は、息子の携帯電話で、創価学会の幹部の話を中継したかと追及しました。さらに、息子が「これが本当の同時中継だね。」と発言したかと尋ねました。
私が、息子は、そう言っていたと述べると、山本氏は、「そんな風に子どものことを教育してはいけないんだ。」と締め上げるような声を上げました。さらに、「あなたが池田先生のことが嫌いであれば、創価学会を退会し、奥さんと決別すればいい問題だ。」と、私を脅しました。
この発言を聞き、山本氏は、私を創価学会から追放するばかりか、妻と離婚させようと画策しているのだと感じました。山本氏の狙いは、この場で、私から創価学会を退会するとの発言を引き出し、退会したことを理由として、妻に離婚するようにと指導しようとしているのだと思いました。そこで、私は毅然とした態度で、退会するつもりは全然ないと答えました。
「奥さんと決別すれば良い」との山本の発言は、離婚の強要以外の何ものでもありません。この発言は、創価学会池田カルト一派が、私と妻を離婚をさせようとした決定的な証拠であると思います。創価学会の幹部が離婚を強要することなど、あってはならないことです。
創価学会池田カルト一派は、個人が日記を書くこと自体を問題視したばかりか、その内容を分析した挙句、家庭の問題に介入して来たのです。創価学会池田カルト一派の幹部が、宗教的呪縛状態に置かれている妻を操作していることは明白だと思いました。
 

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 最近、私の周辺で不審な動きがあります。詳細は明らかに致しませんが、これまで以上に身辺には注意しようと思っています。とともに、健康管理には気を付けようと思います。
 
 今回、新たに、以下のブログとリンクさせて頂きます。
「創価学会ノート」(http://d.hatena.ne.jp/zadia1906/
 
 なお、下記の陳述書は、平成23年6月20日に開かれたテレビ電話会議システムの裁判に向けて提出したものです。
 
            記
 
陳述書 新宿での査問の詳細その1
 
            平成23年5月28日
           
             住所 略
                  髙倉良一
 
和田氏との待ち合わせ
 
2008年2月中旬の朝、和田公雄氏(以下、和田氏と表記)から電話が架かって来ました。その内容は、創価学会の幹部から、私を東京に呼び出すようにとの指示を受けたので、上京して欲しいというものでした。
2月14日の夜遅くの和田氏からの電話で、創価学会本部の幹部達が、私を仏敵として糾弾する大キャンペーンを行うと告げられるとともに、高松の創価学会員たちが私の殺害を予告していると言われました。そこで、私は和田氏の要請に応じなければならないと考え、即座に上京すると答えました。
すると、和田氏は、査問の場所と時刻を告げました。待ち合わせ場所は東京の京王プラザホテルのロビーで、時刻は正午とのことでした。
和田氏は、査問の場所を、なぜ創価学会の会館ではなくホテルにしたかという理由を、以下のように説明しました。
創価学会の会館は入館する際に身体検査をされるので、そのような検査をされないように場所をホテルにしたとのことでした。そして、私を査問する人間はヤクザのような人間ではなく、国立大学の教授を相手にするのに相応しい人物にして欲しいと頼んだと言われました。
さらに、査問の前に、私と打ち合わせをしたいと言われました。相談した結果、査問前日の午後5時に、新宿の紀伊國屋書店の哲学書コーナーで待ち合わせ、対応策を協議することにしました。
 
査問に関する相談
 
和田氏からの電話の内容に、私は心の底から恐怖を感じました。そこで、知人のA弁護士に連絡し、どのように対応すべきかを相談しました。A弁護士は、和田氏は尾行されているに違いないので、事前に会うことは危険だと言われました。
和田氏からは、「尾行は振り切るから心配するな。」と言われたと述べると、A弁護士は、尾行から逃れることは絶対にできないと言われました。そして、和田氏に全く連絡することなく、この待ち合わせをキャンセルするようにと言われました。A弁護士は、打ち合わせをしないで査問に臨むことが最良の策だと言われました。
このアドバイスを受けて、私は和田氏との待ち合わせをキャンセルすることにしました。そして、査問当日まで、和田氏には全く連絡をしないことにしました。
また、私は殺害される危険もあるので、どのような対応をすべきかもA弁護士に相談しました。刺殺されないようにするために、どのような服装を着用するかについての具体的なアドバイスも、A弁護士から受けました。
さらに、検察庁の幹部であるB検察官にも相談すべきかどうかをA弁護士に尋ねました。すると、A弁護士は、B検察官に相談されることに賛成されました。そこで、私はB検察官にも相談することにしました。
数日後、B検察官に査問の対応を相談しました。将来、査問に携わった人間を告訴するためには、どのような証拠を揃えて置くべきかに関するアドバイスも受けました。この相談の時には、私の友人にも臨席してもらいました。
 
エレベーターでの会話
 
 2008年2月24日の正午過ぎに、東京の京王ブラザホテルのロビーで、私は和田氏に会いました。和田氏は「昨日、待ち合わせをしていたのに、なぜ来なかったのか。」と厳しい口調で、私に尋ねました。さらに、「昨日、携帯に連絡したのに何で出ないの。」と言われました。
私は、周囲に盗聴器が仕掛けられている可能性があると考えました。そこで、わざと「そんな連絡していないではないですか。」と答えました。
エレベーターに乗ると、和田氏は険しい顔をしながら「優秀な人間を殺したくない。」と告げました。この発言を聞き、私は背筋がぞっとしました。和田氏が面と向かって、「殺したくない。」と発言するなどということは全く予想もしていなかったからです。査問の直前に、しかも、和田氏と私しか居ないエレベーターの中で、このような発言をしたことを訝しく思いました。
私は、査問の結果次第では、本当に殺されるのだと思いました。そこで、私は「殺したくないって何の話ですか。」と尋ねました。すると、和田氏は「あなたの書いたもの。」と発言しました。和田氏は、私の日記のことを言っているのだと思いました。今日、私の家族が来ているのかと質問すると、和田氏は「家族には会えない。」と述べました。
 
山本哲也副会長との出会い
 
10階でエレベーターを出て、和田氏の指示した部屋に入りました。その部屋は角にあり、会議室のような感じがしました。部屋の中には、山本哲也氏(以下、山本氏と表記)という創価学会の四国担当の副会長がいました。私は、山本氏が参加した会合に出席したことがあったので、すぐに、山本氏だと分かりました。
私は、なぜ、山本氏がこの部屋に居るのかと尋ねました。すると、山本氏は自身の名前を名乗った後、「和田さんに話を聞いて頂いていると思うんですけれども」と発言しました。そこで、私は、和田氏に「何のことですか。」と尋ねました。
すると、和田氏は「僕も良く分かんないだわ。あなたが書いた日記が、奥さんから外に出たみたいだ。創価学会のトップの方に。四国担当の山本氏も、その日記を読んだらしい。その中に私のことが書いてある。」と言われました。
私は内心では、山本氏は、和田氏が受けた査問の内容を、私に連絡していることを前提にして査問しているのだと確信しました。陳述書「和田氏の受けた査問の内容その1」と陳述書「和田氏の受けた査問の内容その2」の中で述べたことですが、「国立大学の教授が、こんな日記を書いていたということは絶対に許すことができない。全四国と全九州の創価学会員を総動員して、髙倉を反逆者として糾弾する大キャンペーンを行う。徹底的に追い詰めて破綻させる。大学におられないようにしてやる。」との発言と、「高松の学会員は逆上して、髙倉を殺すと言っている。」との発言を、和田さんが私に伝えていることを前提にした発言だと思いました。
さらに、エレベーターの中で、和田氏が、私に「殺したくない。」と告げたことも理解できました。山本氏は、自らは脅迫罪に問われないように細心の注意を払いながら、査問が始まる前に、和田氏に私を脅迫するように指示したのだと直感しました。
そして、山本氏の判断次第では、私は査問直後に拉致され、最悪の場合には殺される可能性があるとの恐怖に駆られました。
 
なぜ、創価学会の会館で調べないのか
 
私は、和田氏に、妻が「こちらから連絡するまではそっとしておいて欲しい。」とのメールを送信し、突然、帰省したので、私の家族に会わせてくれると思ったので、このホテルに来たのだと述べました。
実は、2007年12月25日の夕方に、私が研究室を出て帰宅しようとしていた時に、突然、妻から、小倉にある実家に向けて出発したというメールが届きました。この日に帰省するということは全く相談されていなかったので、私は本当にびっくりしました。
その前夜に家族全員で忘年会をした際には、妻からは、今年の夏、私の誕生日には何もしていなかったので、その代わりにとクリスマスプレゼントを貰っただけに、妻の行動が全く理解できませんでした。子ども達も、この日に帰省するとは考えていなかったはずです。
突然、妻が子ども達を連れて帰省した後、陳述書「被告佐々木信行氏による査問の概要その1」で述べたように、香川大学教授で、創価学会員の佐々木信行氏(以下、佐々木氏と記述)から、創価学会の内部情報を漏らしたとの理由で、徹底的な査問を受けました。
しかし、その査問の過程で、佐々木氏は、創価学会の幹部は、私を「白」だと断定したと述べていました。
このように佐々木氏から言われていたので、まさか、四国担当の副会長である山本氏が、私を査問するとは予想もしていませんでした。そこで、私は、なぜ家族ではなく、山本氏がここに居るのかと不思議そうな顔をしながら質問しました。さらに、私は「なぜ日記のことをこんな所で話すのですか。信濃町の創価学会の会館で話さないのですか。」と述べました。
すると、山本氏は「公式にしない方がいいと思っている。」と発言しました。さらに、創価学会の会館を利用すると、その記録が本部に残るとも言われました。
この発言を聞き、私は、創価学会本部が組織的に関与していることを、山本氏は隠蔽しようと画策しているのだと思いました。今回の査問には、創価学会本部は全く関与していないという対応ができるようにしているのだと思いました。だからこそ、私の査問を創価学会の会館以外の場所でと述べた和田氏の提案を、創価学会本部が受け入れたのだと思いました。
と同時に、創価学会の会館で査問をすれば、その記録を破棄することも可能なはずなのに、このようなホテルで査問を行えば、その記録を改竄することはできないはずなのに、間が抜けていると思いました。
私は、「日記を読むようにと妻に渡したけれども、それが、どのようになったのかが分からない。」と述べました。そして、「香川大学の教授で、創価学会の学術部員である佐々木信行氏から、17,8時間近くも日記のことで問い質された。」と述べました。そして、なぜ、創価学会の会館で話さないのかと重ねて質問しました。
すると、山本氏は、「和田さんのために、あえて、この場所にしました。」と発言しました。私が「何の話か分からない。」と述べると、山本氏は「何の話か分かって下さい。」と凄みのある声を出しました。この山本氏の発言は、和田氏が私に話をしていることを前提にしているとしか考えられませんでした。私は、巧妙な形で脅迫されているのだと痛感させられました。
私が、重ねて信濃町にある創価学会の会館でと述べると、山本氏は「和田さんの名誉といろんな幹部の名誉もあるから駄目だ。」と発言しました。
 
佐々木氏の発言を紹介
 
私は、佐々木氏の発言を紹介しました。佐々木氏から「2007年の12月末頃に、創価学会の四国の最高幹部から呼び出しがあり、日記の内容について査問するようにと依頼された。」と告げられたと述べました。そして、佐々木氏からは、私を調べた際に、もし、妻が日記を届けても、創価学会本部は相手にしないだろうと言われたことを伝えました。また、佐々木氏からは、元公明党の参議院議員の福本潤一氏(以下、福本氏と記述)に手紙を書いたかと聞かれたので、私は福本氏に手紙を書いたことは認めたと述べました。
福本氏は公明党の参議院議員でしたが、2007年6月15日に公明党に離党届を出し、公明党と創価学会の関係を批判しました。すると、同年6月18日に、公明党は党紀違反を理由にして、福本氏を除名処分にしました。それから、福本氏は、創価学会からも除名されました。その後、福本氏は創価学会に対する批判活動を展開されるようになりました。
私は、福本氏に、創価学会の改革に頑張るとの手紙をペンネームで出しました。しかし、内部情報の漏洩などは全く行っていませんでした。
そもそも、宗教法人法で法人格を与えられている創価学会に、社会に明らかにすることができないような秘密があるということ自体が不可思議なことだと思いました。しかも、創価学会の本部職員でもない私が、創価学会の組織や池田大作創価学会名誉会長に関する機密情報などを知っているはずもがありませんでした。
 
映画『聖なる嘘つき』
 
それから、私は、映画『聖なる嘘つき』のことを話しました。この映画は、第2次世界大戦中に収容所に入れられていたユダヤ人が、周囲の人々に希望を与えるために、ラジオを持っていると嘘をつき、まもなく連合軍がナチスを打倒するという虚偽のニュースを話し続けたというものです。この主人公は公開処刑されたのですが、他のユダヤ人たちは殺される寸前に連合軍によって解放されたという映画です。
実は、息子は、小学2年生の時から、創価学会のことをおかしいと感じ始め、3年生になって、妻から創価学会の少年部の合唱団に入れられた際に、創価学会は間違っていると確信したそうです。しかし、両親が創価学会の活動に参加しているので、ずっと黙っていたそうです。
ところが、私と妻が創価学会の活動の捉え方に関して対立した結果、私の息子は、父親が創価学会に疑問を持っていることを知り、父親と協力して、母親を創価学会池田カルト一派の宗教的呪縛から解放したいと願うようになりました。その結果、創価学会の活動を強要する母親との対応に疲れ、とても神経質になってしまいました。
そこで、私は映画『聖なる嘘つき』をヒントにして、息子のストレスを発散させるために、創価学会に反対している活動をしている振りをしたと説明しました。
 
日記を渡した目的
 
私が妻に日記を渡した目的は、妻が自分の頭で創価学会のことを考えるようにとのつもりだったと述べました。妻は、私に対して「池田先生に対する忘恩が許せないから離婚する」と発言して以来、私に創価学会の活動を強要していました。創価学会のことについて話し合う余地は全くないばかりか、池田大作創価学会名誉会長を批判することは絶対に許さないという態度を取り続けていました。
しかも、週刊誌に書かれていることは全部嘘であるという創価学会の指導を信じ込んでいました。2007年2月6日に、創価学会に関する批判が週刊誌に掲載されていたと妻に伝えたことがあります。すると、妻は軽蔑した口調で「週刊誌を読むの」と尋ねました。そこで、私が「読んだ上で正しい判断をすることが大事なのに、創価学会が、最初から週刊誌を読むなと指導していることは間違っている。」と述べました。しかし、妻には全く通じませんでした。
さらに、創価学会池田カルト一派は、週刊誌などの報道の一部の誤りを徹底的に糾弾し、他の部分までも全部嘘であると信じ込ませる手法を採用しています。インターネットについては、虚偽だから絶対に読むなという指導をしています。聖教新聞に、以下のような記事が掲載されたことがありました。
「なかには、インターネットを使って、学会をデマで中傷をする連中もいる。」「正面きって学会に物を言えない。そんな勇気も確信も根性もないものだから、こそこそとインターネットに書き込む。」「ご苦労、ご苦労(大笑い)。それで何か自分が大きなことでもやった気になっている。おめでたいやつらだよ(爆笑)。『まともな人間じゃない』んだ(笑い)。」「そういうのに限って、真夜中や真っ昼間に、パソコンにかじりついて他人の悪口を書いている。通常の社会生活を営んでいたら、そんなヒマなんかあるわけがない(大笑い)。」
このような教育を徹底された結果、妻は週刊誌という言葉を聞いただけで顔がゆがみました。そこで、日記には、私自身の考えや週刊誌などに書いてあった事柄を、いろんな人が発言したかのように書いたと述べました。
 
査問の目的の説明
 
私は、かつて、和田氏とは家族全員で会ったことがあると述べました。すると山本氏は、目を輝かせながら「会ったんですね。」と確認しました。そして、山本氏は、新宿での査問の目的を説明し始めました。山本氏は「高松の幹部は苦しんでいるんだ。そして、いろんな動きをしている。今日のことは、高橋四国長、松下婦人部長、松下県長は知っている。髙倉さんも一成君(私の長男で当時小学6年生)も非常に厳しい状況に置かれている。」と言いました。そして、あえて非公式にしているとも言いました。
この発言を聞き、創価学会本部は、四国の幹部と連絡を取っているのだと確信しました。佐々木氏が私を査問した際に名前を挙げた幹部と、山本氏が述べた幹部の名前が一致したからです。
さらに、山本氏が、私ばかりか息子の名前まで挙げ、「非常に厳しい状況に置かれている。」と述べたので、私は驚愕しました。妻が子ども達を小倉に連れ去ってから、私には、息子からも娘からも全く連絡がありませんでした。おそらく息子は、厳しく追及されているに違いないと感じました。
それだけに、山本氏の発言で、私は肝を冷やしました。山本氏は、息子のことを話題にすれば、私が大変なショックを受けることを計算し尽くした上で、このような発言をしたのだと考えたからです。これほどの陰湿な脅迫はないと感じました。
 
山本氏の卑劣極まる脅迫
 
私は、佐々木氏の発言を再度紹介しました。佐々木氏は、創価学会の幹部が、私の日記を読むはずはないと述べていたからです。
すると、山本氏は「そんなのは関係がない。」と、私を大きな声で一喝しました。そして、強い口調で「そちらのお母さんも噛んでいる。」と述べました。
この発言を聞き、私は、心の底から恐怖を感じました。鹿児島に一人で住んでいる継母のことまで言及されるとは、全く予期していなかったからです。継母は創価学会員ではありません。継母は、突然、私の妻が子ども達を小倉に連れ去ってしまったことを大変心配していました。
まさか、継母のことまで話題になるとは考えてもいませんでした。創価学会員ではない私の継母にまでも、何らかの危害を加えようと考えているのだと思うと、絶望的な気持ちになりました。卑劣極まりない脅迫だと思いました。
山本氏は、私の心の動揺を見透かすかのように、和田氏に対して「真意も含めて聞かないとえらいことになりますよ。」と畳みかけるように発言しました。
「えらいことになる」という言葉は、和田氏が事前に私に伝えていた殺害予告のことをほのめかしたのだろうと思いました。継母のことに言及した直後に、このような言葉を発し、山本氏は言質を取られないような形で、私を脅したのです。直接、殺すと告げる以上に、恐怖と絶望を与えるやり方だと感じました。
そこで、私は、再度、創価学会の会館で話し合いたいと述べました。しかし、山本氏は「和田さんの名誉と日記に出て来るいろんな幹部の名誉もあるから駄目だ。」と断言しました。さらに、山本氏は「会館であれば、喜んで四国の幹部が来る。」と発言しました。四国の幹部が何をするか分からないぞとの口振りでした。
私が「四国の幹部に日記のことで迷惑を掛けているのであれば、四国の幹部に対して正々堂々と話したいので会館に行こう。」と述べました。
しかし、山本氏は全く応じようとはしませんでした。山本氏は、私が会館に向かう途中で逃げ出すのではないかと危惧したのではないかと思います。私は、これ以上会館に行くことに固執すると、かえって危険な事態が生じるかもしれないと判断しました。そこで、会館に行くことは断念して、「この部屋で結構です。」と発言しました。
 
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大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
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