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「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」

 201793日に、一橋大学の国立・西キャンパス本館で、法と教育学会の第8回学術大会が開催されました。この大会の第9分科会で発表した報告の概要をご紹介させて頂きます。

 

         記

 My憲法発表活動の可能性を探る日本人一人一人が主権者となる絶好のチャンス到来

          香川大学教育学部 高倉良一

 第2次安倍政権が誕生して以来、日本国憲法に関する議論は拍車がかかるようになった。 安倍晋三内閣総理大臣は、第 96 条の改正、緊急事態条項の創設、憲法第 9 条に第 3 項を追加するという提案まで、手を替え品を替えながら、日本国憲法の改正実現を目指そうとしている。

これまでの報告の概要

 法と教育学会で、報告者は、20139月には「憲法大学習運動の立法化は可能か?」とのテーマで、2015 9月には「3歳児からの憲法学習の可能性を考える」とのテーマで発表を行った。前者は「演説」であり、後日、その内容を「日本国憲法の最大のピンチを最大のチャンスに変えるための3つの提案」(香川大学生涯学習教育研究センター研究報告第1933頁以下、20143月)としてまとめた。後者は、201410月に、香川大学教育学部の「未来からの留学生」というイベントで、日本国憲法をテーマにして実施した演劇、クイズ、紙芝居の実践記録の映像を上映した。こ上映によって、幼稚園児、保育園児、小学校低学年の児童も、日本国憲法の内容を理解することが可能であることを実証した。

今回の報告の概要

 現在、日本国憲法に関する書籍は枚挙にいとまがないほど出版され、論文も数多く発表されている。

 これらは、大別するならば、日本国憲法を擁護すべきであるとの立場からの主張と、何らかの形で改正をなすべきであるとの立場からの主張に大別することができよう。

 ところが、両者の主張は対立しているものの、日本国憲法に関する議論は、憲法学者や 政治家などの特定の専門家に委ねるという点では共通の土台に立っているのではないかと思われる。少なくとも、日本人一人一人が主権者として憲法案の作成に取り組み、自由に発表しようとの提案はなされていないのではないかと思われる。

 そこで、今回の報告では、特定の専門家に任せるのではなく、日本人一人一人が主権者として新しい憲法案の作成に取り組む運動を展開しようとの提案を行うことにしたい。

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 弁護士は水先案内人、船長は当事者本人


 

 

  今から何年前だっただろうか。高松のお寺で開催された愛媛教科書裁判の報告会に参加したことがある。その時、この裁判を起こした原告の1人である僧侶が、自己紹介で述べた発言が耳にこびりついている。

「私の趣味は裁判、特技は敗訴。」

ニコニコしながら住職が語ったこの言葉に、私は心底驚いた。私の人生では、直接、裁判に係ることはないと考えていたからである。しかも、負けることを全く苦にしていないことに感銘を受けた。

しかし、人生とは本当に不思議なものである。現在、自分でもいくつの訴訟に関わっているかを忘れるほど、多くの裁判に係っている。

家庭裁判所における調停や裁判、東京地方裁判所、東京高等裁判所、そして、最高裁判所と様々な裁判所での訴訟当事者となっている。そして、これまでのところ、その結果はすべて敗訴なのである。

これらの裁判で、裁判官の忌避を申し立てたことはもちろん、裁判官を相手にした国家賠償請求訴訟を起こしたこともある。

また、私が損害賠償請求訴訟を起こした相手側から、いわゆるスラップ訴訟を起こされたばかりか、給料の差し押さえまで受けたことがある。

これらの裁判に関しては、私の命の大恩人である弁護士の生田暉雄先生が、そのすべての訴訟代理人となっておられる。

裁判を開始した直後に私が書いた陳述書に関して、5W1Hがはっきりしないと、生田先生から指摘されたことがある。「自信満々で書いたのでしょうが、あなたの書いた陳述書の内容は、弁護士が書くものです。当事者は、裁判官の心情に切々と訴えかけるような文章を書かなければなりません。」と言われて、生田先生から陳述書を突き返され、1ヵ月間、全く文章が書けなくなったこともあった。

ところが、人間は成長するものである。

「この準備書面を書いたのは、あなたでしょう。」

昨年1月末に、東京地方裁判所で行われた証人尋問の席で、相手方の訴訟代理人弁護士からなされた質問に、私は心底驚くとともに、呆れ返った。

準備書面は、訴訟代理人である弁護士が作成するものである。「この陳述書を書いたのは」ではなく、相手方の弁護士は、準備書面をかざしながら質問したのである。

こんな質問をする弁護士を訴訟代理人としている団体には、いかなる意味においても未来はないと確信したものである。

「裁判を弁護士に任せきりにしてはなりません。当事者も、裁判の展開と共に成長しなければなりません。」

この生田先生のお言葉は、国民が裁判を武器として活用する上での至言だと感じている。

裁判の船長は当事者である。弁護士は水先案内人なのだ。そう考えるならば、当事者と弁護士との関係は変わるべくして変わるに違いない。その結果、日本の裁判制度自体が変わることだろう。

なぜ、生田先生は、「共に成長」と言われているのか。その理由は明解である。生田先生は単なる「弁護士」ではないからだ。生田先生は、日本の土壌を根底から変えようと志されている「教育家」だからだ。「革命家」でも「教育者」でもない。厳しい修行を自らに課されている「教育家」なのだ。

偉大な「教育家」である生田暉雄先生から、文字通り叱咤激励されながら裁判闘争を展開している私は、何と運が強く恵まれていることかと感じる今日この頃である。本当にありがたいの一語に尽きる。

 

 

 



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 なお、義捐金の収支に関しては、裁判がすべて終了した時点で明らかにさせて頂きます。
 
         記
1. 郵便局の振り込み用紙や、お手持ちのゆうちょ銀行の口座から振り込まれる場合
   口座記号番号 01680-3-132288
   口座名称(漢字) 白バラ運動支援義捐金
    口座名称(カナ) シロバラウンドウシエンギエンキン
 
2. 他の金融機関から振り込まれる場合
 
   店名(店番)一六九(イチロクキュウ)店(169)
   預金種目  当座    
     口座番号  0132288
 
  市民連帯の会の山崎康彦様から、下記のメールを頂きました。私の訴訟代理人である弁護士の生田暉雄先生が、日本の裁判官の実態を明らかにされた記事です。
 
 生田先生のご了解も頂きましたので、法教育講座シリーズとしてご紹介します。その内容に、きっと驚かれるのではないかと存じます。
 
 ところで、最近、生田先生に、創価学会員に尾行され困っておられる方からのご相談があったそうです。現在、生田先生は、この方の訴訟代理人を引き受ける方向で準備されておられるとのことです。
 
 創価学会から何らかの被害を受け、裁判を考えておられる方は、生田法律事務所にご連絡なさってください。生田先生が対応なさるとのことです。
 
            記
 
 
杉並の山崎です
いつも御世話様です。
 
元裁判官が語る最高裁事務総局に支配されている日本の裁判官の実態!
 
[裁判官の独立]は日本国憲法第76条第3項に以下のように規定されています。
 
すべての裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び
法律にのみ拘束される。
 
 4月26日東京地裁大善文雄裁判長は[小沢裁判]一審判決で[限りなく黒い無罪判決]を出しましたが、大善裁判長ら3名の裁判官が憲法に規定された[裁判官の独立]によってこの判決を出したとは到底思えません。何故ならば日本の裁判官3000名は、昇格、転勤の人事権を独占する最高裁事務総局に実質的に支配されているからです。
 
 裁判官歴22年の生田暉雄弁護士は2年前の講演会で[最高裁事務総局に支配されている裁判官の実態]を語っておられます。以下の【該当記事】をお読みください。最高裁事務総局に支配されている日本の裁判官の実態がよくわかります。
 
【該当記事】
 
 元裁判官が証言する日本の裁判所と裁判官の暗黒の実態 (1/3)
2011-01-22
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/b23963d9be86f7de98fed32f7ee53c87
 
元裁判官が証言する日本の裁判所と裁判官の暗黒の実態 (2/3)
2011-01-22  
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/a1172ed1c5b17bc3c4b2cfe0381879b9
 
元裁判官が証言する日本の裁判所と裁判官の暗黒の実態 (3/3)
2011-01-22
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/2ea1f984527370603967ad9348da63a7
 
生田暉雄弁護士が語る最高裁事務総局に支配されている日本の裁判官の実態!
 
生田暉雄氏のプロフィール
 
・1970年  裁判官任官
・1987年  大阪高等裁判所判事
・1992年  退官(裁判官歴22年)
・同年、弁護士登録(香川県弁護士会所属)
・現在…裁判は主権実現の手段であるとの考えのもとに、東京、宇都宮、愛媛の教科書裁判に関与している。また、最高裁の「やらせタウンミーティング」違法訴訟、国民投票法違憲訴訟を提訴すべく、準備中
 
生田暉雄弁護の重要な発言を箇条書きしました。
 
裁判官の日常生活
 
 それで裁判官になって、22年間で7箇所転勤しているわけです。3年に1回の転勤ということです。裁判官の生活はどんなものかといいますと高松家裁へ行ったのが47歳のときです。このとき、所長と上席には黒塗りの車が配車されるんです。
 
  だから、裁判所と官舎の往復は車に乗ってくださいと言われるんです。車に乗って5分か6分ぐらいの距離なのですが、車に乗ってくれと。よその部の裁判官の顔を見るというのは、たまたまトイレで顔を合わせるぐらいで、普段の行き来はありません。月1回ぐらいに 判例研究会という、裁判官全員が集まる会があり、顔を合わせるのはそのときぐらいです。それ以外は、よその部に遊びに行ったりもしません。自分の部、裁判官4人構成の部の隣に書記官、事務官という10人前後の人数がおる部屋があって、それが一体となっているということです。
 
裁判官の市民生活
 
 それから、裁判官の市民生活ということですが、裁判官はほかの国の裁判官と違って、市民的自由というのは一切ありません。フランスやドイツは労働組合を結成できるとなっていまして、実際にも組合を結成していますが、日本ではそういうことはありえません。
 
自分は偉いんだという意識は人一倍強くて権力意識なんかも非常に強い
 
 宇和島市始まって以来の騏麟児、秀才だというので東大、司法試験現役で通って、裁判官になってきている人。そういうふうな、もう勉強については無茶苦茶よくできる。だけど、勉強以外はあまり得意ではないという人が多いです。
 
 それから法律家としても、裁判官としては務まるけれども、検事のような仕事はできないし、もちろん弁護士にもなれない。裁判官以外にはなれない。だけれども、自分は偉いんだという意識は人一倍強くて、権力意識なんかも非常に強い。いっしょに裁判をやっていましても、裁判長とかほかの陪席の方にも出てきた人にも、社会的地位が上の人には、つまり強い者には弱くて、弱い者に対しては非常に強圧的に出ていく。
 
最高裁は裁判官に憲法違反の統制をしている
 
 裁判官というのは、みんな自分は勉強ができると、人よりも落ちると言われることに一番弱い体質なんです。比べられて落ちると言われることにです。そういうことから、これを逆手にとれば、一番裁判官をうまく統制できるということになります。
 
 現在、最高裁は裁判官に憲法違反の統制をしています。それはどういうことでやるかといいますと、裁判官になって20年目までは、月給はみんな平等に上がっていきます。20年目までが4号というところです。21年目に4号から3号になるかどうかということで、ふるいにかけられるわけです。3号にならないと裁判長にもなれません。それから、4号から3号になる給料差ですが、これはだいたい2000年、平成12年の基準でいきますと、4号俸の月額が90万6000円、3号俸になる と106万9000円で、16万3000円差があります。毎月で16万3000円違って、これがボーナスや諸手当、給料の1割がつく大都市手当、それらを合わせると、だいたい年間で500万円の差になる。結構大きいんですよ。
 
 だけど、その給料差だけじゃなしに、相手は3号になったのに、会合の座席でいえば、自分を飛び越して上座に行っちゃったのに、自分は行っていないという、こういう屈辱感みたいなものも大きいんですよね。そういうことで、非常に3号にみんななりたくて仕方がない、21年目ぐらいからは。
 
検事の要求と違う判決は出さない
 
 だけど最高裁は、どういう要件があれば3号になって、どういう要件がなければ3号にならないかという基準を明らかにしないのです。だから、こういう行動をとっていたら、最高裁は自分を嫌わないだろうかとか、最高裁に評価されるんじゃないかということを非常に気にして生活や判決もします。だから、まず考えられるのは、組合関係の判決なんかで、検事と違うような判決を出せば、まず最高裁からもにらまれるであろうということは、推測は立ちますから、検事の要求と違うような判決は、まず出さないと思います。裁判官としてはまず出さない。
 
ヒラメ裁判官が多い理由
 
 そういう最高裁が何を考えているのかという、上ばかりを見るというので、「ヒラメ裁判官」といわれています。ヒラメというのは海底で砂の中にうずくまって、目だけを上に上げて生活しているらしいのですが、そういう上ばかり見ているというので、ヒラメ裁判官という。そういうことです。
 
 給料をそういうふうに餌にする。それで3号にならないと、2号にもならない、1号にもならない。1号にならないと所長にもなれないということです。1号と4号とでは、月にして30万円以上の差がありますから、これが年間になって、諸手当、ボーナスから全部含めますと、1000万ぐらいの差になってくる。
 
 それから、退職金も全部そういうことで計算されてきますから、生涯所得では相当の差になってくるということです。みんな3号、2号、1号に早くなりたいということで、最高裁のほうばかりを向いて仕事をする。
 
検事の出す白白調書を信用するのは給料差別による餌があるからです
 
 20年、30年経ってから、あの自白調書はおかしいと、えん罪であったというのが出てくることがあるが、これはある意味では分かりきっていながらも、自白調書を信用して有罪の判決を出しているわけなんです。検事の出す白白調書を信用していくというのは、こういう給料差別による餌があるからです。
 
その出世を妨げたくないというのもあって憲法違反というのは合議で言わな
  かったのです
 
 私も何とか人よりも早くというか、それぐらい裁判官でまともにやっていきたいという気もあったわけですから、特に私は高裁へ入ったのが、同期のみんなよりもかなり早いのです。
 
 それはどういうことかというと、当時、3回目に徳島地裁へ行った。ところが徳島地裁では、その前にラジオ商事件とか、森永ドライ砒素ミルクの事件なんかがあって、ほかの事件が全部止まって、ロッカーに何本ももうほとんど判決を書くだけの事件がたまっているのです。
 
 それで、生田君、君はこれを全部処理してから転勤してくれと言われて、当時は極めてまじめですから、言われたことはそのとおり受けてやるということで、土日にほかの裁判官がテニスする中でも、私は運動服に着替えていって、古い記録を、ほこりだらけの記録をひっくり返して、ほとんど転勤までに処理していった。そういう処理能力が買われて、高裁に行ったんじゃないかなと思います。
 
 それから、できるだけ自分の良心に反することはしまいと思っていたのですが、いまでもはっきりと覚えているのは、徳島から尼崎支部へ行きまして、ここで、公職選挙法の戸別訪問が憲法違反かどうかという有名な事件がかかっていました。
 
 それで、私はどういうことを結論にすべきか非常に迷ったのですが、私自身の保身も働き、それと支部長が裁判長で、尼崎の支部長というのは順当にいけば、次、所長に出られるのです。その出世を妨げたくないというのもあって、憲法違反というのは合議で言わなかったのです。
 
 それで、あとでその支部長、裁判長から、生田君が憲法違反を言い出したらどうしようかと思って、困っていたけれども、生田君は言わないでくれたから、私も所長になれると喜んでくれた。それで、その人は所長で出て行ったのです。そういうふうな妥協もあって、高裁の判事になっていったんじないかなと。だから、かなり自分としては忸怩たるものがあるわけなんですよ。
 
任地による差別
 
 任地というのも非常に関係しています。ここの東京地裁にいたり、非常に優秀だといわれるような人、要するに最高裁の覚えがめでたい人 は、東京から一歩も動かない。東京地裁の判事、高裁の判事、司法研修所の教官、最高裁の調査官。そういうことでグルグル回っていたら、もうずっと東京だけで過ごせる人がいる。
 
 その次にいい人は、東京、大阪、名古屋とか大都市だけを動く。それから、その次が東京にいて、いったん地方に出て3年以内に帰ってくる。大阪にいて3年以内に大都市へ戻ると、こういう人もいます。それより下の人は、もう地方ばかりを回っている。そういう任地による差別というのがあります。
 
 それで、東京なんかにいれば、世論の注目を浴びるような大きな事件をやれますが、地方では滅多にそういうことはありえません。そういうことからも、やりがいの点で非常に違ってくる。だから、みんな大都市に行きたい。こういうことです。
 
 じゃあ、地方都市にいる裁判官のほうが、冷や飯を食っているだけに、最高裁の言うことを聞かん人が多いのかと思うかもしれませんが、必ずしもそうとは言えない。起死回生の挽回をしたいという人もおりますから、地方にいても「超ヒラメ」という人もおります(笑)。なかなか分からないということになります。
 
最高裁のウラ金とウラ取引
 
 それで4号から3号になるかどうか。ここからは私の推測なのですが、21年目には前年まで4号だった人の3分の1ぐらいしか3号にならないんじゃないか。その次の3分の1が翌年の3号、それから翌々年にパラパラッと3号になったり、一生3号にならない人というのもおります。私は、何人も4号で裁判官終わっている人を知っています。
 
 そうすると、もう退職金から生涯所得から、相当違ってくることになります。それだけじゃなしに、最高裁はこの4号から3号になる人、全員分の予算を獲得していて、その年には3分の1しか3号にせずに、残りの3分の2の分をウラ金として取っているんじゃないか。だから、残りの3分の2の予算額というのは、相当な金額のウラ金が毎年、最高裁に入るんじゃないか。
 
 こういう推測をして、私は公文書公開で追及していますが、それに一切最高裁は答えようとしません。それぐらいの予算のウラ金ができるから、それを使って、気に入った裁判官は10年以上たつと外遊に行かせてくれたりもします。
 
 それから、最高裁はいろいろな研究会等を設けて、学者にもお金をばらまいています。そこに入れるかどうかというのは学者としても、もう生命線のような形になっています。そういうところにもお金をばらまいてやっている。
 
 それから、裁判員裁判に当たっても、例えば市民の公聴会みたいなので、その会場のエレベーターのボタン押しに、1日5000円を出したとかいうので騒がれていますが、そういう裁判員裁判のときに27億を出したとか、そういうところにもお金をふんだんに使えるぐらいに、ウラ金をちゃんと準備しているということです。
 
GHQにうまくだまされた日本人
 
 それから第二次世界大戦後、憲法改正をした国では、ほとんど憲法裁判所という裁判所を持っています。ところが日本は、アメリカ型の司法裁判所の司法判断の中で、憲法違反の裁判もするということになっています。
 
 それがどう違うかというと、憲法裁判所の場合は事件にならなくてもこれは憲法違反だという訴えを起こせるから、主権の行使としては一番直接的なわけです。日本の場合は憲法違反があって、それで損害を受けたという事件性がなければ、その元になっている法律の憲法違反は言えないのです。
 
 典型的なのが、警察予備隊が憲法違反だという裁判を起こされたときに、その憲法違反によってどういう損害を受けたのか、その損害が明らかでないから、事件性を備えていないからだめですよというので、さっさと却下になったのがあります。
 
 戦後、違憲判断ができるようになったというので大いにもてはやされましたが、それは戦後に憲法改正をやった国は、ほとんど憲法裁判所を設けているからです。オーストリア、イタリア、ドイツ、トルコ、ユーゴスラビア、フランス、ポルトガル、スペイン、ギリシャ、ベルギー、韓国もそうです。これはGHQにうまく日本人はだまされているんだと、私は思います。
 
民事裁判が日本では非常に少く勝訴率は10%
 
 それから行政事件では、先にも言いましたように、ドイツでは50万件、日本では1800件、500分の1です。それからアメリカなんかだったら、訴えを起こすと、相手は手持ち証拠を全部開示しなきゃならんというのがあります。日本ではそういうことはありませんから、行政訴訟を起こしても、こちら側には証拠がありませんから、ほとんど負けです。それが500分の1の差です。
 
 それからドイツでは、公務員はメモの義務というのがあって、応対した市民との会話等を全部きめ細かに書く義務がある。そのメモを訴訟が起こされたらすぐ提出する義務があります。日本ではそういうことはありません 
 
 それからドイツではノートの切れ端に、この公務員はこういう違法行為をしている、この行政行為はこういう違法であるという走り書きのメモを裁判所に送り届けても、それが訴えとみなされますが、日本ではよほどきちんと書いた訴状でも、あんたは原告適格がありません、あるいは訴えの利益がありませんとかで、約20%は門前払いではねられる。最終的に勝つのは、市民の約10%。そんなのだから、もうみんな行政訴訟を起こしません。そのために、主権の行使が非常にマイナスになっている。
 
 それから民事裁判でも、日本は裁判が少ないのが世界的に有名で、だいたい裁判官数でもヨーロッパの10分の1。10分の1の人数でやっているわけです。その上、ヒラメで最高裁の統制を受けていますから、どういう結論になるかは、もう目に見えています。
 
 そういうことで、民事事件というのは公的な法的なサービスであるべきなのに、日本ではこれは裁判という権力作用であると、こういうふうなとらえ方をしていて、民事裁判をできるだけ少なくしようとしている。それで、民事裁判が日本では非常に少ないということを外国の研究者が日本の大学の雑誌なんかに書いていますが、日本の学者はそういうことは書かない。我々は遅れた社会に住まわされている
 
大変なところにわれわれは住まされている
 
 こういうことで、裁判官が統制されてしまっていますので、なかなか裁判官は、組合の弾圧を受けた事件なんかで、本来誰が見ても無罪のはず、こんな無罪が何で分からんのかという思いはあるでしょうが、それはもう裁判官が分かった上で、最高裁の統制を受けて、これは有罪にしないと自分の地位が危ないということでやっているわけですから、無罪になったりすることはまず考えられないんじゃないか。だから、逆にいえば無罪にしなかった場合に、自分の地位が危ない場合は無罪になる。
 
 これが鈴木宗男の事件と、最近の厚労省の村木局長の事件との違いなわけです。鈴木さんの場合は世間の評価が悪い。だから、鈴木さんに賄賂を送ったという人の調書を証拠として、鈴木さんを有罪にする。村木さんの場合は、そういう村 木さんが有罪であるという関係者の調書は信用性がないというので排除して、村木さんを有罪にしない。それは村木さんの場合は、どうも村木さんが正しいという世論のほうが強いということで、これを有罪にしていては、逆に自分の地位がヤバイ。こういう読みだろうと思うわけです。そういうことで有罪か無罪かが決まってしまうというのが日本の裁判です。
 
 だから、組合の弾圧事件なんかでも、これを有罪にしたら、有罪にした裁判官の地位が危ないんだというぐらいの世論の盛上りがないかぎりは、難しいだろうという気がします。だから、担当弁護士の能力とかそんな問題ではないわけです。はっきり言いまして日本の社会には、近代社会の三権分立はない。もう非常に遅れた社会に生活している。大変なところにわれわれは住まされているんだということで、私なんかは腹が立って仕方がないのです。
 
                                  (終わり)

                           以上

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 あなたは裁判員になりたいですか-法教育講座シリーズ その1」(2011年3月16日付け)に加筆訂正をした原稿を掲載します。
 
この原稿は、5月に出版される『社会への扉を拓く―あなたとつくる生活科・社会科・総合の物語―』に所収される予定です。この本は、小・中・高の教員と教員志望の学生を対象にしたものです。
 
締め切りを延ばしに延ばして頂き、その内容は3分の1に削減しました。最後まで、ご高覧頂ければ幸いです。
 
************************
 
公民分野の中核となる法教育
 
はじめに
 
わが国では,教員免許を取得する者は日本国憲法の単位を取得することが義務付けられている。したがって,初等中等教育の現場で,子どもたちの教育に携わっている教員は全員,日本国憲法についての知識を有しているはずである。
 
しかし,初等中等教育における日本国憲法の教育は,十分な成果を上げているであろうか。
 
司法試験の予備校のカリスマ的教師として有名な伊藤真氏は,「私たちの塾に通う学生の多くは,憲法と法律の違いを知らない。」と述べている(1)。そして,「小学校から憲法を学んでいながら,憲法で最も大切なことを知らない」ばかりか,「権力についての恐ろしさを知らない」し,「人権や平和について,まったく抽象的な理解しかない」と指摘されている(2)。
 
なぜ,伊藤氏が指摘されるような事態が生じているのであろうか。その原因は,少なくとも二つあるのではないかと思われる。一つは,初等中等教育の現場で,日本国憲法を教えてきた教員に責任があると思われる。一つは,そのような教員を養成してきた大学の教員に責任があると思われる。
 
初等中等教育段階の子どもたちは,担当する教師によって,その科目の学習に対する興味が左右されることが多いように思われる。とするならば,法教育を担当する教師の責任は重大であることは言うまでもない。
 
これから法教育を担当する教員は,憲法教育の失敗を繰り返してはならない。そのためには,担当教員が,法教育の意義を理解して置くことが必要である。本稿では,この点に焦点を絞って述べることにしたい。
 
法教育の定義をめぐる見解
 
法教育という用語から,どんな事柄が思い浮かぶだろうか。法律は苦手だ,難しそうだと感じるかもしれない。大学の法学部や法律に関連する専門学校で,法律に関する事柄を学んだ者は,法学教育と法教育には,どんな違いがあるのだろうかと考えるかもしれない。また,憲法教育と法教育との関係を,どのように捉えるべきかとの疑問を持つかもしれない。
 
さて,法教育に関するわが国の代表的な研究者の一人である江口勇治筑波大学教授は「法教育という概念は,アメリカにおいて1960年代後半にはじまるLaw-related educationの翻訳語である。」と述べている(3)。
 
アメリカでは「ロースクールでの法律家養成教育である法学教育(Legal Education)と区別される形で,1930年代から,市民の法や法制度に対する理解や法過程への参加を促す学校教育としての法教育が実践されるようになり」(4),1978年に制定された法教育法では,Law-related educationとは「法律専門家でない人々を対象に法律,法(形成)過程,法制度,これらを基礎づける基本原則と価値に関連する知識と技術を身につけさせる教育」(5)と定義された。
 
平成15年7月29日に,わが国の法務省が発足させた法教育研究会は我が国における法教育の普及・発展を目指して-新たな時代の自由かつ公正な社会の担い手をはぐくむために-」との表題を附した報告書を公表した。その後、平成17年5月に、この報告書を踏まえつつ、法教育を推進することを目的とした法教育推進協議会を発足させた。
 
この法教育推進協議会では「法教育とは,法律専門家でない一般の人々が,法や司法制度,これらの基礎になっている価値を理解し,法的なものの考え方を身に付けるための教育をいう。」と定義した(6)。この定義は,アメリカの法教育の定義に基づいたものであると思われる。
 
近年,井門正美秋田大学教授が,アメリカの法教育に立脚するものとは異なる定義を提案された。井門教授は,法教育を「学習者の法的実践力を育成する教育である」と定義し,法的実践力とは「法に関する知識・理解とその運用能力,ならびに,それらを批判し,是正・創造する能力である。」との見解を発表されたのである(7)。
 
法教育の意義を考える
 
 筆者は,法教育推進協議会の定義は適切なものではないと考える。そして,井門教授の見解の方が,以下の三つの理由から妥当ではないかと考える。
 
 一つは,「法教育を一般市民の教育と専門家養成の教育に最初から分けてしまうのは市民の司法参加時代に逆行するように思われる。」(8)との井門教授の指摘は正しいと考えるからである。
 
一つは,教員養成学部で「学生自身が民主主義社会の担い手であることを自覚することと,子どもの人権を尊重できる教師になろうと決意できるようになることを教育目標」(9)とし,教員には「子どもたちを司法の場においても,単に便益を得る客体としてではなく,自らの力で主体として活動する市民へと育てる」(10)使命があり,そのためには「日常生活に必要な法律に関する知識を身につけるとともに,法的なものの考え方,すなわち,リーガル・マインドを身につけることができるような授業を実施」(11)できる教員を育成すべく努力してきた筆者の教育実践と合致していると思われるからである。
 
 一つは,法を知ることの重要性を明らかにした沢登佳人教授の「法はその時代において最も高次包括的な統一的社会(現代では国家社会)の根本的な構成原理および具体的な構成技術の総体である。人間は,そのような社会の中でそのような原理・技術に服従しまたはそれと闘いながら,人生の大半を送る。国民に対して注がれる法の眼差は,人生の喜怒哀歓を見つめる眼差しである。ゆえに法を知ることは人生を知ることであり,人生を知ることは考える葦に外ならぬ人間の生存としての人生の目的そのものである。」(12)との言葉に即していると思われるからである。
 
法教育の可能性
 
さて,法教育を「法的実践力を育成する教育」と捉えるならば,これまでの憲法教育は,法教育の中に包含されるのではないかと思われる。その結果,新しい憲法教育を展開できるようになると思われる。
 
 そうすれば,現在,わが国で進行中の教育に対する国家統制,すなわち,「グローバル・エコノミーのもとにおける大競争に日本が勝つことのできる人材養成という目的を前面に掲げ,『君が代』と『日の丸』の強制処分問題,国家の設定したスタンダードに基づく評価(学力テストの実施),学校をめぐる競争的環境の形成(学テ結果の公表と学校選択),学校組織の階層化(副校長,主幹教諭,指導教諭などの新職の法制化),国際学力比較の詳細な紹介,教育の仕方による教師への攻撃,教科書検定・採択問題」(13)に対抗できる賢明な国民を育成することが可能になると思われる。
 
なぜならば,理想的な法教育が実施されるならば,まず,これまでは難しいと敬遠してきた法的な問題に関する内容を理解しようとの態度が形成されるからである。そして,政府やマスメディアの見解を鵜呑みにするのではなく,様々な角度から物事を多面的に検討した上で,適格な判断を下そうと考えるようになるはずである。さらに,他者の主張を傾聴しつつも,自らの判断を主張できるようになるからである。
 
終わりに
 
法教育の授業では,裁判員制度がその中核となることは言うまでもない。本書に掲載されている附属坂出小学校と附属高松中学校の実践は,子どもたちが,裁判員制度の内容を理解するという点に置いては,優れた成果を収めているように思われる。
 
しかしながら,裁判員制度は,憲法違反のデパートであると評されるほど様々な問題点があると指摘されている(14)。しかも,その真の狙いは「裁判に国民を参加させ,強権的裁判の実態を国民に体験させることによって,国家権力の強大さ,恐ろしさを知らしめ,国民をして国家権力に従順な国民にさせようとしている」(15)のであり,「この制度は,国民を,裁判して処罰する側,権力の側に無理矢理立たせ,それに反抗するものは不適格者としてはじいていくという仕組み」(16)であると指摘されているのである。
 
したがって,もし,裁判員制度の問題点に触れない授業だけを行うならば,教員が基本的人権の侵害を援助することにもなりかねない。今後の課題は,子どもたちの発達段階を念頭に置きながら,裁判員制度の問題点をどのような形で織り込むかである。
 
この点に関しては,裁判員法第15条第15号で「学校教育法に定める大学の学部,専攻科又は大学院の法律学の教授又は准教授」が裁判員に就職することが禁止されていることが,授業の有力な教材となるのではないかと思われる。この規定を取り上げた授業を実施するならば,子どもたちは,裁判員制度の本質を比較的容易に見抜くことができるのではないだろうか。
 
なぜならば,この規定は,法の下の平等に反し「合理的な根拠は見出しい得ない」ばかりか,「もしも,刑事訴訟法の大家であるような大学教授が,刑に服することを覚悟の上で,実際に裁判員として参加した体験に基づいて,裁判員制度の欺瞞性を明らかにするならば,その批判は,体験に裏打ちされたものだけに,大きな反響を呼ぶことになる」(17)ので,このような事態を防止する意図が含まれていると思われるからである。
 
(1)     伊藤真「憲法を実践する法律家養成のなかで-中高生に対する憲法教育の大切さ」全国法教育ネットワーク編『法教育の可能性―学校教育における理論と実践-』(現代人文社,2001年)133頁。
(2)     同上134頁。
(3)     日本社会科教育学会編『社会科教育学辞典』(ぎょうせい,2000年)190頁。
(4)     関東弁護士連合会編『法教育―21世紀を生きる子どもたちのために-』(現代人文社,2002年)11頁
(5)     同上書11頁。
(6)     法教育推進協議会 『私法分野教育の充実と法教育の更なる発展に向けて』(http://www.moj.go.jp/content/000004354.pdf,2009年)1頁。
(7)     井門正美『役割体験学習論に基づく法教育-裁判員裁判を体感する授業』(現代人文社,2011年)24頁。
(8)     同上書24頁。
(9)     髙倉良一「教員養成学部における法教育担当者養成の試み」全国法教育ネットワーク編『法教育の可能性-学校教育における理論と実践-』(現代人文社,2001年)144頁。
(10)     渡邊弘「中等教育以下における法教育の充実を-『市民の司法』の実現へ向けて」月刊司法改革7号(2000年)15頁。
(11)     髙倉・前掲145頁。
(12)     沢登佳人『法の基本構造』(風媒社,1969年)4頁。
(13)     生田暉雄「裁判員制度,隠された本当の狙い」伊佐千尋・生田暉雄編著『裁判員拒否のすすめ-あなたが「冤罪」に加担しないために』(WAVE出版,2009年)139頁。
(14)     裁判員制度の問題点を指摘する文献としては,伊佐千尋『裁判員制度は刑事裁判を変えるか-陪審制度を求める理由』(現代人文社,2006年),高山俊吉『裁判員制度はいらない』(講談社,2006年),矢野輝雄『あきれる裁判と裁判員制度-[裁判官は,なぜ信用できないのか?]』(緑風出版,2006年),生田暉雄『裁判が日本を変える』(日本評論社,2007年),石松竹雄・土屋公献・伊佐千尋『えん罪を生む裁判員制度-陪審裁判の復活に向けて』(現代人文社,2007年),小田中聰樹『裁判員制度を批判する』(花伝社,2008年),小浜逸郎『「死刑」か「無期」かをあなたが決める-「裁判員制度」を拒否せよ!』(大和書房,2009年),西野喜一『裁判員制度批判』(西神田編集室,2008年)を参照されたい。
(15)     生田・前掲「裁判員制度,隠された本当の狙い」151頁。
(16)     小田中・前掲書21頁。
(17)     髙倉良一「裁判員就職禁止事由に関する一考察-なぜ,法律学の大学教授と准教授は裁判員になることができないのか?」香川大学生涯学習教育研究センター研究報告第14号101頁(2009年)。

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はじめに

私の研究テーマの一つは、法教育です。2011年2月26日に、香川大学教育学部で「日本の根幹としての法教育の基礎とは何か-賢明な裁判員になるために必要なことは?組織のオモテもウラも知り尽くした3人が熱く語る」とのタイトルで開催した「講演とシンポジウム」は、研究の一環として企画したものです。

これから、このブログで、「あなたは裁判員になりたいですか-法教育講座シリーズ」を開講させて頂きますので、よろしくお願い致します。

なお、私が、創価学会池田カルト一派を、東京地方裁判所に訴えた裁判の訴状は、近日中にブログで公開致します。

法教育の定義とは

さて、法教育という言葉から、どんな事柄を連想されるでしょうか。難しいものではないかと感じられる方も、いらっしゃるかもしれません。大学の法学部や法律に関連する専門学校を卒業された方は、法学教育と法教育には、どんな違いがあるのだろうかと思われるかもしれません。

法教育に関するわが国の代表的な研究者の一人である江口勇治筑波大学教授は、「法教育という概念は、アメリカにおいて1960年代後半にはじまるLaw-related educationの翻訳語である。」(1)と述べておられます。

アメリカでは、「ロースクールでの法律家養成教育である法学教育(Legal Education)と区別される形で、1930年代から、市民の法や法制度に対する理解や法過程への参加を促す学校教育としての法教育が実践されるようになり」(2)、1978年に制定された法教育法では、Law-related educationとは「法律専門家でない人々を対象に法律、法(形成)過程、法制度、これらを基礎づける基本原則と価値に関連する知識と技術を身につけさせる教育」(3)と定義されました。

さて、平成15年7月29日に、わが国の法務省が発足させた法教育研究会は、「我が国における法教育の普及・発展を目指して-新たな時代の自由かつ公正な社会の担い手をはぐくむために-」との表題を附した報告書を公表しました。その後、平成17年5月に、この報告書を踏まえつつ、法教育を推進することを目的とした法教育推進協議会を発足させました。

この法教育推進協議会では、法教育を「法教育とは,法律専門家でない一般の人々が,法や司法制度,これらの基礎になっている価値を理解し,法的なものの考え方を身に付けるための教育をいう。」(4)と定義しています。

 この定義は、アメリカの法教育の定義に基づいたものです。しかし、私は、法教育とは「学習者の法的実践力を育成する教育である」と定義し、法的実践力とは「法に関する知識・理解とその運用能力、ならびに、それらを批判し、是正・創造する能力である。」(5)と定義された井門正美秋田大学教授の見解の方が、以下の二つの理由から優れているのではないかと思います。

 一つは、「法教育を一般市民の教育と専門家養成の教育に最初から分けてしまうのは市民の司法参加時代に逆行するように思われる。」(6)との井門教授の指摘は正しいと考えるからです。

 一つは、「教員養成学部で、小学校や中学校の教員を志望する学生を対象として、彼らが、将来、児童や生徒に対して、生活に関係する法律の知識を教授できるようになるとともに、法的な考え方を教えられるようになることを目標とする」(7)教育実践を行ってきた私の考え方に即していると思われるからです。

(1)日本社会科教育学会編『社会科教育学辞典』(ぎょうせい、2000年)190頁。
(2)関東弁護士連合会編『法教育-21世紀を生きる子どもたちのために-』(現代人文社、2002年)11頁。
(3)同上11頁。
(4)法教育推進協議会 『私法分野教育の充実と法教育の更なる発展に向けて』(http://www.moj.go.jp/content/000004354.pdf、2009年)1頁。
(5)井門正美『役割体験学習論に基づく法教育-裁判員裁判を体感する授業』(現代人文社、2011年)24頁。
(6)同上24頁。
(7)髙倉良一「教員養成学部における法教育担当者養成の試み」全国法教育ネットワーク編『法教育の可能性-学校教育における理論と実践-』(現代人文社、2001年)143頁。

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本名:髙倉良一(たかくらりょういち)
性別:
男性
職業:
大学教員
趣味:
思索と散歩と映画鑑賞
自己紹介:
HN:希望
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
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