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「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」
今回で、平成23年4月28日に、東京地方裁判所第12部に提出した陳述書の掲載は終了します。
 
次回からは、平成23年6月10日付けで、東京地方裁判所第12部に提出した準備書面と陳述書を掲載する予定です。
 
                      記
 
陳述書 新宿での査問の概要 その2
              平成23年4月26日
                     髙倉良一
 
山本氏の確認発言
 
山本氏は、「さらに確認するが、白バラという名前で、文書または音源を送ったことはないか。」と尋ねました。私は、「一切ありません。」と答えました。山本氏は、「筆跡が一致すれば、表に出てしまうんだぞ。」と脅しました。再度、私は、「やっていません。」と答えました。
山本氏は、「何とか、ことを収めたいので、髙倉さんのためにもご家族のためにもね。」と発言しました。
山本氏が「家族のためにもね。」と発言したので、私はぞっとしました。私の返答次第では、家族にも危険が及ぶのだという雰囲気を漂わせながらの発言だったからです。
 
和田氏への詫び状
 
和田氏は、「日記を読んでいないので、どんなに書かれているのか分からない。学会の人たちは、日記の内容をどんどん広げている。もし、その話が、俺の女房に入ると大変だ。和田っていう人は、こういう人なんだということになって。」と言われました。和田氏は、「俺は退職して静かに暮らしたいのに、女房とけんかすることになる。女房に見せるために詫び状を書いてくれ。」と私に言いました。
和田氏は、「日記の中に、俺のことが書いてあるからといって、私に髙倉さんを呼び付けさせて、俺のために詫び状を書けということは、強要罪になるかもしれない。しかし、詫び状を書いてもらう。」と発言しました。
 
発言の制止
 
私が、「公開もされていない日記を問題にして、査問をするということ自体が本来的には名誉棄損です。しかも、公開されていない日記の内容を分析し、追及してやるとか、問題にすると言ったら脅迫です。本当に申し訳ないけれども、創価学会の。」と言いかけると、山本氏が、突然、立ち上がりました。そして、手を前に突き出し、顔を真っ赤にしながら、「それをおっしゃったら危ないですよ。」と言って、私の発言を制止しました。
私は、山本氏の行動に圧倒されました。私は何をされるか分からないと感じたからです。山本氏が私の発言を制止したこと自体が、この査問は、私に対する凶悪な脅迫であると考えていた証拠だと思います。
山本氏の動作で、私は、この部屋での会話の内容が録音されているのだと気が付きました。会話はすべて録音されているので、山本氏は、自分の口からは脅迫罪に問われないようにと用心しながら、言葉を選らんで話していたのだと思いました。
 
原田会長への対応
 
和田氏が、「会長にはどうしたらいいでしょうか。」と発言すると、山本氏は、「会長には、ちょっと小耳に挟みますから。」と述べました。
さらに、和田氏が、「髙倉さんも何かお詫びをした方がよろしいのでは。」と述べると、山本氏は、「そんな簡単な話じゃないですよ。さっきの話を、私、全部信じた訳ではありません。恐らく調べれば分かると思うから。」と述べました。
山本氏は、「この後、四国のメンバーと相談しなければなりませんので。これから連絡を取らすという形になると思います。」と発言しました。この発言を聞いて、山本氏は、四国創価学会の最高幹部とも入念な打ち合わせをしているのだと思いました。
 
日記に登場する大学教授
 
それから、山本氏は、「日記の中に、大学の先生の名前が沢山出ていますので。」と言い、さらに、「日記の中に、創価学会のカルトの運動」と書いてあると、恐ろしい顔付きをしながら追及し始めました。
山本氏は、「この先生たちに、創価学会について誤解を与えるような発言をしているので、その発言を訂正して欲しい。」と言いました。
私は、山本氏の発言に動揺しました。私や家族だけではなく、日記の中に名前を挙げた香川大学の教授の方々にまでも、何らかの制裁を加えようとしているのだと考えたからです。私は、何としても、香川大学の方々に危険が及ぶようなことは避けなければならないと考えました。
 
携帯電話の番号確認
 
山本氏は、私の携帯の電話番号を尋ねました。私が携帯の番号を告げると、山本氏は、私の携帯に電話したので、私は山本氏の電話番号を登録しました。山本氏の携帯電話の番号は、×××-××××-×××(裁判所に提出した陳述書には番号を記載しています。)でした。
 
山本氏の再確認
 
山本氏は、「情報テロをしていないか。」と尋ねたので、私は、「息子と特殊部隊の話をした時に、情報テロのことを話し、そのことを日記には書いた。」と述べました。私は、「四国の情報が漏れた時の息子の通話記録を取って下さい。私じゃないです。」と述べました。
それから、山本氏は、フォーラム21の乙骨氏(反創価学会の活動をしているジャーナリスト)を話題にしました。そして、フォーラム21の記事の中に、四国の創価学会の会合のことが出ていると述べました。
 
夫婦の問題は関係ないとの発言
 
山本氏はニヤ付きながら、「婦人部がどういう思いでやっているのか。洗脳されているとか、外から見たような話で、先生(池田名誉会長)を貶めている。そんな話を信じ込んでしまって、つまらんことしたということですよ。そのことを反省して頂かないと。夫婦の問題って関係ない、はっきり言えば、夫婦の問題は関係ない。」と断言しました。
私が、「夫婦の問題は関係ない。どういうことですか。」と質問すると、山本氏は、「夫婦の問題があって書いたとおっしゃるけど、それは書いて奥さんに読めといった瞬間に、違う話になってますからね。」と言いました。
山本氏の「違う話になってますからね。」という発言は、創価学会本部が日記の内容を分析した上で、私を糾弾しようとしていることを示すものだと思いました。そうでなければ、こんな話をするはずがないと考えたからです。
 
12月15日の行動
 
山本氏は、最後に一つと前置きし、12月15日に、和田氏から電話があったかと尋ねました。
山本氏は、「その時に何かあったようで、髙倉さんが、その夜に荒れたらしい。しかも、その時の息子さんの電話には、和田さんからの着信履歴があった。それで、和田さんがという話になったわけです。和田さんが一番最後にした会話は、どんな内容ですか。」と、私を睨みつけながら尋ねました。
和田氏は、「俺は良く覚えていない。」と発言しました。私は、「ぎっくり腰になって大変だからという話をしました。和田さんからは、人生いろんな大変な体験をするのが重要と言われました。いつだったか覚えていないけれども。」と述べました。
 
妻の要望
 
山本氏は、「私に直接ではありませんが、奥さんから、一成君が落ち着くまで絶対に何もしないで下さいと言われて。それで、2カ月間査問をしなかったのは、和美さんのそういう要望があると、田村さんから聞いていたので、私が四国も抑えて。逆に言うと、一成君が元気になったということですよ。そこで、私が和田さんに連絡したり、和田さんを通して今日のような機会を持ってもらったということは、一成君が落ち着いてきたということです。それで、和美さんが大丈夫ですから、やって下さいということになったんです。」と言いました。
山本氏は思わせ振りの口調で、妻と息子の名前を挙げました。この二人の名前を出せば、私が動揺するに違いないと計算した上での、実に巧妙な脅迫をしているのだと考えました。
 
情報の漏洩
 
山本氏は、「民主党の石井一がこの問題を持ち出すかもしない。」ときつい口調で発言しました。私が、「そんなことは知りません。」と述べると、山本氏は、「私も信じたいですね。」と言いました。
さらに、山本氏が、「ブログにいろんな書き込みをしたな。」と尋ねたので、私は、「していません。」と答えました。山本氏は、「では、複数の大学の関係者に誤解されるようなことは発言しただろう。」と詰問しました。私は、「その点に関しては反省しています。」と答えました。
このように言わなければ、香川大学の関係者に対して、創価学会本部の意向を受けた人物が何をするか分からないと考えたからです。
 
信頼関係を破壊したのは誰か
 
和田氏は、「奥さんには、やりたいように自由に学会活動をさせるように。そして、あなたは、学会から、あいつはおかしいと狙われるようなことはしないで、そんな時間があったら勉強して、学問に精進してその道で先生(池田名誉会長)に応えることがあなたの償いですよ。」と言われました。
山本氏は、「現実にいろんな人を裏切り、いろんな人に迷惑を掛け、一番大事な奥さんとの信頼関係、お子さんとの関係も、君が壊したわけですからね。」と断定しました。和田氏は「本当にこれで懲りたんですね。悪いということが分かったですね。」と言われました。
 
和田氏は無関係との判断
 
山本氏が、「一応、和田さん、この話については、和田さんに対する疑問は全部晴れました。」と述べると、和田氏は、「背後に誰かいるのかと思ったけれども、そんな感じでもない。こんなくだらないことで2時間も費やすってこと自体ナンセンスだ。」と発言しました。
 
詫び状の強要
 
山本氏は、「奥さんに詫び状を書いて送ったらどうですか。」と言いました。私は、妻がそっとして欲しいというメールを送って来たことを話すとともに、息子と娘と妻に年賀状を送ったと述べました。
息子には、「お父さんは人間として恥ずべき事は何にもやっていない。」というメッセージを書いたと述べました。
すると、山本氏は、急に態度を変えて、「今の話をすると、尻尾を出しますよ。」と厳しい口調で発言しました。私は、「尻尾も何も。」と答えました。山本氏は、「今の話は重要なんですよ。全部嘘だと言ってたんじゃないからね。」と畳みかけるように発言しました。
山本氏は、「一成君は、完全に、お父さんは未だに信念を持って反学会活動をしていると思っているよね。恥ずべきことはないと言われる度に、そういう風に考えますよ。」と発言しました。そして、山本氏は、「息子さんにも、詫び状を書かなければ、到底許されないことだろう。」と、凄まじい形相で発言しました。
この発言を聞いて、私は、息子に対して詫び状を書くことに同意しました。息子を何としても守り抜かなければならないと考えました。そこで、「そんな誤解をされるような表現をしたこと自体を謝ります。」と述べると、山本氏は、全部嘘で何もやっていないかと確認しました。私は、「一部は本当です。しかし、九割九分は創作で、息子を守るためにお父さんが勝手にやった、悪いと書きます。」と発言しました。
 
今後の学会としての対応
 
山本氏は、「この先の話については、四国のメンバーとやり取りさせて頂いて。というのは、原田会長と話すのは僕しかできませんので。ただし、我々が一番危惧しているところの疑いが晴れたならば、穏便に話ができると思います。その疑念が晴れない間は、当然、あの日記を基にして判断しますので。学会としての処分はあるかもしれないと思います。そういう問題だと認識して頂いて。」と告げました。
私は、できることならば、この場で収めて欲しいと頼みました。そして、「本当は、四国の幹部に謝罪しないといけないと思うのですが、わざわざ機会を作るというのも申し訳ないので。」と述べました。
山本氏は、「それも含めて話をしますけれども、現実に非常に苦しんでいる人がおりますので。基本的に処分するのは四国の創価学会ですので、この管轄の話になります。」と言いました。
本当は、私は、創価学会の幹部に対して詫びなければならないようなことは、全く行っていません。しかし、謝罪しなければ、私はもちろん、家族や香川大学の方々に対して、どのような危害が加えられるかと恐れました。そこで、「謝罪しなければ。」と発言したのです。
 
佐々木氏への対応
 
 私は、「佐々木氏に、今日のことを話しても良いのだろうか。」と質問しました。すると、山本氏は「話すのを待ってくれませんか。」と発言しました。
私が「分かりました。佐々木さんにはこの話はしません。」と述べると。山本氏が「いや話すだろう。」と言ったので、私は「話しません。」と答えました。
 
以前からのチェック
 
山本氏は、「四国の創価学会の会館には、香川大学の髙倉教授が池田先生を批判したという記録が保管されている。創価学会員の香川大学の女子学生が、髙倉教授に勉強会の相談に行ったら、教授が、そのような発言をしたという報告の記録が残っている。」と発言しました。
私が、「何を言ったかは覚えていません。」と述べると、山本氏は、聞いた女子学生は大変なショックを受けて、直ちに、四国の幹部に報告をしたのだと言いました。
私は、この話を聞いて、四国の創価学会の幹部は、以前から私をチェックし、監視していたのだということを初めて知りました。とともに、いわば密告するような組織を作り上げていたことに、底知れぬ恐怖を感じました。
 
安藤氏に関する質問
 
突然、山本氏が、「安藤さんて、どなたですか。」と尋ねました。そこで、私は、「安藤さんは、私の卒論を担当した学生で、私の日記はベストセラーになるだろうと言われた。」と答えました。
山本氏が、「日記を見せたわけですか。」と聞いたので、私は、「見せるはずがありません。見せたのは女房だけです。息子には読み聞かせたことはあります。」と答えました。
すると、山本氏は、「安藤さんには、日記の内容は言わなかったか。」と尋ねました。私が言っていないと答えると、山本氏は、「言っていないのに、勝手にその内容が出ている。」と言いました。
 
和田氏の発言
 
和田氏は、「もう一切関わらない。いろんなことを言わない。何事もなかったように、一日も早く行動することが最優先なことだから。反論したいこともあるかもしれないけれども、やったことについて反論する余地はないよ。」と言われました。
山本氏は、「今日は私の話、伺った趣旨は終わりましたので。」と発言しました。すると、和田氏が、「これから後、しばらく話したいな。」と言われたので、私は和田氏と一緒に部屋を出ました。
 
査問終了後の和田氏の発言
 
ホテルから東京駅に向かう途中に、和田氏は、「今日の査問には、金城会(池田名誉会長の警護担当者のグループ)の委員長も加わる予定だった。しかし、ノロウイルスに感染したため欠席した。本当は、髙倉さんには原田会長宛の詫び状を書かせる予定だった。しかし、学会本部の顧問弁護士から、詫び状を書かせると強要罪に問われる可能性があると言われたので中止した。そこで、自分宛てに詫び状を書いてもらった。」と言われました。
それから、和田氏は、昨日の出来事を教えてくれました。待ち合わせ場所の紀伊国屋書店の哲学書コーナーに赴いたところ、創価学会本部に勤務している青年部の男女10数名が、このコーナーにたむろしていたそうです。
和田氏は、私が現れないので、私が創価学会の特殊部隊に拉致され、どこかで暴力的な取り調べを受けているのではないかと心配されていたそうです。
和田氏の話を聞いて、私は顔面蒼白となりました。私がA弁護士のアドバイスに基づいた行動をしていなければ、どんなことになっていたのかと身の毛が縮む思いがしました。
 

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今回は、新宿の京王プラザホテルで、私が受けた査問に関する陳述書を掲載致します。この陳述書は、平成23年4月28日に東京地方裁判所第12部に提出しました。
 
創価学会池田カルト一派の訴訟代理人は、平成23年5月10日付被告準備書面(1)の中で、「平成20年2月24日午後、東京の京王プラザホテルの1室で、被告山本が、訴外和田公雄(以下「訴外和田」という)同席の下、約3時間に渡って原告と面談したことは認め」ています。
 
被告準備書面(1)につきましては、「創価学会池田カルト一派との裁判シリーズその9」をご覧下さい。
 
 
陳述書 新宿での査問の概要 その1
              平成23年4月23日
                     髙倉良一
 
陳述書の位置付け
 
 この陳述書では、私が東京に呼び出されて、創価学会の幹部による査問を受けるに至った経緯と、査問の内容の概要を述べることにします。査問の内容の詳細については、別の陳述書で明らかにします。
 
和田氏との待ち合わせ
 
和田公雄氏(以下、和田氏と表記)が査問を受けた日の夜遅くに、和田氏から電話がありました。その電話で、創価学会本部の幹部たちが、私を仏敵として糾弾する大キャンペーンを行うと告げられたばかりか、さらに、高松の創価学会員たちが私の殺害を予告していると言われていました。
数日後の朝、和田氏から電話が架かって来ました。その内容は、創価学会の幹部から、私を東京に呼び出すようにとの指示を受けたので協力して欲しいというものでした。
私は上京しなければならないと考えました。即座に上京すると答えました。すると、和田氏は、事前に打ち合わせをしたいと言われました。そこで、査問の前日の午後5時に、新宿の紀伊國屋書店の哲学書コーナーで待ち合わせ、対応策を協議することにしていました。
上京する直前に、私は、知人のA弁護士(以下、A弁護士と記述)に連絡し、どのような対応をすべきかを相談しました。A弁護士は、事前に会うことは危険だと言われました。
そこで、和田氏に全く連絡することなく、この待ち合わせをキャンセルしました。
 
エレベーターでの会話
 
2008年2月24日の正午過ぎに、東京の京王ブラザホテルのロビーで、私は和田氏に会いました。和田氏は「昨日、待ち合わせをしていたのに、なぜ来なかったのか。」と厳しい口調で、私に尋ねました。
エレベーターに乗ると、和田氏は険しい顔をしながら「優秀な人間を殺したくない。」と告げました。そこで、私は「殺したくないって何の話ですか。」と尋ねました。すると、和田氏は「あなたの書いたもの。」と発言しました。和田氏は、私の日記のことを言っているのだと思いました。
この発言を聞き、私は背筋がぞっとしました。そして、査問の結果次第では、私は本当に殺されるのだと思いました。
 
山本哲也副会長との出会い
 
10階でエレベーターを出て、和田氏の指示した部屋に入ると、山本哲也氏(以下、山本氏と表記)という創価学会の四国担当の副会長がいました。私は、山本氏が参加した会合に出席したことがあったので、すぐに山本氏だと分かりました。
私は、なぜ、山本氏がここにいるのかと尋ねました。すると、山本氏は自身の名前を名乗った後、「和田さんに話を聞いて頂いていると思うんですけれども」と発言しました。
そこで、私は、和田氏に「何のことですか。」と尋ねました。私は内心では、山本氏は、和田氏が受けた査問の内容を、私に連絡していることを承知しているのだと確信しました。さらに、エレベーターの中で、和田氏が、私に「殺したくない。」と告げたことも打ち合わせ済みだろうと思いました。
山本氏は、自らは脅迫罪に問われないように細心の注意を払いながら、査問が始まる前に、和田氏に私を脅迫するように指示したのだと直感しました。
 
なぜ、創価学会の会館で調べないのか
 
私は「なぜ、こんな所で話すのですか。信濃町の創価学会の会館で話さないのですか。」と述べました。すると、山本氏は「公式にしない方がいいと思っている。」と発言しました。
この発言を聞き、私は、山本氏は創価学会本部の指示を受け、組織的に関与していることを隠蔽しようと画策しているのだと思いました。
私は、再度、創価学会の会館で話し合いたいと述べました。しかし、山本氏は「和田さんの名誉といろんな幹部の名誉もあるから駄目だ。」と発言しました。
 
佐々木信行氏の発言を紹介
 
私は、香川大学教授で創価学会学術部員の佐々木信行氏(以下、佐々木氏と表記)の発言を紹介しました。佐々木氏から「2007年の12月末頃に、創価学会の四国の最高幹部から呼び出しがあり、日記の内容について査問するようにと依頼された。」と告げられ、これまで数回厳しく取り調べられたと述べました。
 
査問の目的の説明
 
山本氏は、新宿での査問の目的を説明しました。山本氏は「高松の幹部は苦しんでいるんだ。そして、いろんな動きをしている。今日のことは、高橋四国長、松下婦人部長、松下県長は知っている。髙倉さんも一成君(私の長男で当時小学6年生)も非常に厳しい状況に置かれている。」と言いました。そして、あえて非公式にしているとも言いました。
この発言を聞き、創価学会本部は、四国の幹部と連絡を取っているのだと確信しました。佐々木氏が、私を査問した際に名前を挙げた幹部と、山本氏が述べた幹部の名前が一致したからです。
さらに、山本氏が、私ばかりか息子の名前まで挙げ、「非常に厳しい状況に置かれている。」と述べたので驚愕しました。
山本氏は、息子のことを話題にすれば、私が大変なショックを受けることを計算し尽くした上で、このような発言をしたのだと考えました。これほどの陰湿な脅迫はないと感じました。
 
山本氏の卑劣極まる脅迫
 
私は、佐々木氏の発言を再度紹介しました。佐々木氏は、創価学会の幹部が、私の日記を読むはずはないと述べていたからです。
すると、山本氏は「そんなのは関係がない。」と、私を大きな声で一喝しました。そして、強い口調で「そちらのお母さんも噛んでいる。」と述べました。
まさか、私の継母のことまで話題になるとは考えてもいませんでした。創価学会員ではない継母にまでも、何らかの危害を加えようと考えているのだと思うと、絶望的な気持ちになりました。卑劣極まりない脅迫だと思いました。
私は、これ以上会館に行くことに固執すると、かえって危険な事態が生じるかもしれないと判断しました。そこで、会館に行くことは断念して、「この部屋で結構です。」と発言しました。
 
和田氏の発言かどうかの確認
 
山本氏は、日記の内容について質問し始めました。和田氏が発言したかどうかを確認すると発言しました。山本氏は、和田氏の発言として書いてあることは全部嘘かと確認しました。そこで、私は、一部は本当であると肯定し、日蓮論や教団論などは本当だと述べました。
しかし、それ以外は、週刊誌などに掲載されていたことだと述べました。ともかくも、私は、和田氏に危険が及ばないようにと必死でした。
 
情報の漏洩
 
山本氏は「会合の内容を録音し、それを紙に書き起こしたのか、音源にしたのかは分からないが、それを第三者にリークしたのは髙倉さん親子だな。息子を巻き込んだらやばいな。」と、再びテーブルを激しく叩きながら発言しました。
私は、「やばいな。」との発言にぞっとしました。息子が、どんな目に遭わされたのだろうかと不安に駆られました。
さらに、山本氏は、「あなたが池田先生のことが嫌いであれば、創価学会を退会し、奥さんと決別すればいい問題だ。」と、私を脅しました。
この発言を聞き、山本氏は、私を創価学会から追放するばかりか、妻と離婚させようと画策しているのだと感じました。山本氏の狙いは、この場で私から創価学会を退会するとの発言を引き出し、退会したことを理由として、妻に離婚するようにと指導しようとしているのだと思いました。
 
野崎至亮氏に関する質問
 
山本氏は、話題を野崎至亮氏(以下、野崎氏と表記)のことに変えました。私は、「野崎氏には離婚のことで相談をしています。」と述べました。
山本氏は、「家庭の話云々ではなくて、創価学会のことを、和田さんとは違った角度で、野崎さんの名前で、池田名誉会長が要人と会見をする際の模様を書いただろう。なぜ、日記に、こんなことを書いたんだ。」と、私をにらみつけました。
私は内心、日記に書いた内容までをも問題にする感覚に愕然としました。創価学会の幹部は、人間の心の中までをも統制しようとしているのだと感じました。
 
徳岡氏のことに関する質問
 
今度は、徳岡氏のことが話題になりました。徳岡氏は学術部員で、京都大学出身の方です。
山本氏は、「日記の中に、徳岡さんの話が出ている。徳岡さんから電話があったな。」と尋ねました。私は、徳岡氏からは「福本氏(元参議院議員)と連携を取っていると思われている。」と言われたので、私は、「福本さんとはもう十数年も会っていません。」と答えたと述べました。
 
大阪の研究会に関する質問
 
山本氏は、大阪での研究会のメンバーを確認すると言い出しました。私は、「精神科医の高山直子氏のところで開催されていた仏法の勉強会に参加し、そこには、婦人部の人たちも来ており、講師の一人が野崎氏でした。」と述べ、研究会の内容を説明しました。
山本氏は、「その勉強会から帰ると、奥さんにいろんな話をしただろう。その内容は、日記に書いていないこともあるな。それで、和美さん(妻の名前)は、その話と日記の話を総合したんだよ。和田さんも勉強会に参加しているという風に、最初は思ったわけだ。」と断定するような口調で告げました。
 
白バラの手紙
 
私は、福本氏に「改革に向けて、あなたはあなたの立場で頑張って下さい。」との手紙を、創価学会白バラの名前で送ったと述べました。
すると、山本氏は「白バラというのがそうだな。ナチスの行動を少女がすっぱ抜いて、それをビラにして撒くという話だろう。」と述べたので、私は、すっぱ抜くという話ではないと否定しました。
ところが、山本氏は、私が福本氏にビラの配布のことを依頼したのだと言い張りました。私は、「ビラのことなど全く知りません。創価学会の内部で、学会を改革するために頑張りますとの手紙を書いただけです。」と述べました。
この私の発言に、山本氏は激昂しながら「何を改革するんだ。」と詰問しました。
それから、山本氏は息子のことに言及しました。私は、再び、息子のことが話題になったので、内心震え上がりました。これまで以上に、慎重に話さなければならないと思いました。そうでなければ、私が殺害されるだけではなく、息子の身も危なくなると危惧したからです。
 
妻の直感
 
山本氏は「奥さんは日記を見て、これは同時放送(創価学会では、毎月1回、東京の創価学会本部で開催される幹部会の模様を録画編集したものを、衛星放送で各地にある会館に中継し、会員が視聴できるようにしています。)だねという記載でピンと来たと。確かに、30分、40分、先生(池田名誉会長)の話とか幹部の話を流しっ放しにしているという形であれば、料金も上がるからな。」と決め付けました。
私は、「違います。そんなことをはしていない。」と強く否定しました。山本氏は、「そういう話が、四国の幹部に入ってくる。そして、四国の幹部である高橋さん、松下さん、婦人部長、それから松下総県長は、大変悩んで苦しんで、基本的に事件としてやるかどうかっていうところに、今来ているわけだよ。」と、硬い表情で述べました。そして、私をにらみながら、「どうします。」と尋ねました。
私は、息子が同時中継に行って、写真を送ったりしたことはありますと述べました。そして、それは通話記録を見たら分かることだと述べました。
すると、私の発言を待っていたとばかりに、山本氏は、息子の携帯がどこにあるかと尋ねました。そして、「契約者の名前がお父さんの名前になっているので、お父さんの方で請求してもらわないと履歴が見られない。」と言いました。
この発言を聞いた瞬間、山本氏は、「通話記録を提出する。」との発言を私から引き出すつもりだったのだと気が付きました。意図的に誘導していたのだと思いました。私は、山本氏の巧みで狡猾な尋問の手法に驚きました。脅迫罪から免れるために、私の方から通話記録を提出したという形にしようとしていたのだと考えました。
 
田村氏からの電話
 
山本氏は「田村九州長の奥さんが、あなたに電話をして来ましたね。」と発言しました。私が、田村氏の奥さんとは話していないと答えました。
すると、山本氏は「実は田村さんの奥さんが、日記のことも含めて非常に奥さんが、和美さんがびっくりされて、どうなっているのかというようなことを話している最中に、あなたが電話を交代した。その時、あなたは、いつでも来い、公開討論をしようと発言したね。」と言いました。
私が重ねて否定すると、山本氏は「言っていない?嘘を付くんじゃないぞ。田村さんは聞いているって。」と怒鳴りました。
さらに、山本氏は、「髙倉さんのおっしゃっていることが真実であるとした上でも、これはやっぱりなかなか難しい問題になってるんだ。いろんな方に、田村さんも入ってきちゃってるし、私が抑えきれない状況になりつつあるんだ。本当はお二人の問題だから、和美さんとご主人がまず話し合う問題だと思いますけども、そういう状況になくなってまして。」と述べました。
この発言を聞いて、私は、山本氏は田村氏と相談の上、私を査問しているのだと思いました。そして、妻と私が話し合う問題であるにもかかわらず、「そういう状況になくなってまして。」との山本氏の発言は、創価学会本部が、妻に対して、私と離婚するように強要している証拠だと考えました。家庭の問題に、創価学会本部が介入して来たばかりか、離婚を強要するのは、大変な人権侵害だと思いました。
さらに、「この問題をどうするかという話になるわけ。」との山本氏の思わせ振りの発言は、和田氏が、エレベーターの中で告げた「優秀な人間を殺したくない。」という言葉に込めた殺害予告の意味も含まれているのだと考えました。
 
和田氏の提案
 
和田氏は「日記を読んでいないし、断片的に聞いただけだが、奥さんの好きなように創価学会の活動をやらせれば。」と言われました。そして、「原田会長の前で謝るべきだ。山本氏や四国の幹部や九州の幹部が許すかどうかは知らないけれども、俺の気持ちとしてはそうなって欲しい。」と言われました。
私は内心では、和田氏の発言に驚きました。私の日記を妻に渡したことで、創価学会本部の人間に対して償う必要などあるはずがありません。私に断ることもなく、勝手に、私の日記の内容を分析したばかりか、殺すとの脅迫をし、このような査問を実施している創価学会本部の幹部こそが、私に償うべきだと思ったからです。
 
                           以上
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今回は、平成23年4月28日に、東京地方裁判所第12部に提出した和田公雄氏に関する陳述書を掲載致します。
和田氏からは、「裁判経過をブログで公開する事はプライバシーの侵害であり人権の否定であると抗議」するとのメールが届いています。
もちろん、和田氏が抗議されるお気持ちも十分理解できます。
しかし、今回の陳述書を、和田氏がご覧になられるならば、和田氏の誤解も解消されるのではないかと存じます。
和田氏が怒りをぶつけるべき相手は、私ではなく、創価学会池田カルト一派に対してではないでしょうか。
和田氏が、創価学会池田カルト一派を徹底的に論破されるとともに、私の命を救うために土下座して下さったおかげで、これまでのところ、私は殺害されることを免れています。和田氏に対しては、私の命の恩人であると心から感謝致しております。
 
             記
 
陳述書 和田氏の受けた査問の内容 その2
 
             平成23年4月20日
                    髙倉良一
徹底して叩く
 
査問した幹部は、「和田、髙倉がやっていないかどうかを証明しろ。髙倉には疑惑がある。高松の地区部長会での話が、元参議院議員福本に流れている。高松の創価学会では大騒動になっている。髙倉の背後には野崎と友岡もいるはずだ。お前達の人間関係は全部分かっているんだ。竹入(元公明党委員長)や矢野(元公明党委員長)よりも徹底して叩いてやる。和田、お前も責任を取れ。髙倉には絶対に連絡するな。連絡して髙倉と口裏を合わせるなよ。髙倉の女房からは、九州にいる母親を通して、日記が九州の最高幹部の田村(田村隆雄創価学会副会長)に渡った。そして、田村から四国の幹部に日記が届けられ、それが学会本部に届けられたんだ。髙倉の奥さんからは、まだ動かないで欲しいという連絡があった。髙倉の女房からOKが出たら、髙倉を徹底的にやる。人間として存在できないようにしてやる。」と言われたとのことです。
この発言に対して、和田氏は再び、「髙倉の日記のことは何も知らない。チンプンカンプンだ。こんなことをすること自体が大変な人権侵害だ。こんなことが世間に明らかになったら、創価学会は大変なことになるぞ。」と反論されたそうです。
しかし、幹部たちは、この反論に全く耳を傾けることなく、髙倉の命を救いたかったら土下座しろと告げたそうです。さらに、「お前の責任で処理しろ。髙倉を東京に呼び出せ。」と怒鳴り付けたとのことです。
 
髙倉を殺すとの発言
 
和田氏は根負けして「呼び出すのであれば学会本部ではなくて、どこかのホテルにして欲しい。そして、調べるのは二人か三人にして欲しい。今、俺を調べているようなヤクザみたいな男たちが取っ替え引っ替え出て来て、取り調べるのだけは勘弁して欲しい。どうか説得力のある紳士的な幹部に、査問を担当させて欲しい。」と言われたそうです。
すると、学会幹部は、「高松の学会員は逆上して、髙倉を殺すと言っている。一応は止めるけれども、彼らはいつ暴発するか分からない。高松の学会員が暴れ出したら、こちらも創価新報で大キャンペーンを張る。和田、お前は甘いんだよ。髙倉と女房の間には確執がある。九州と四国と東京で連携して、反創価学会の活動をしていたんだろう。和田、お前がその活動の発火点だ。」と断定したとのことです。
この発言に対して、和田氏は「それは誤解だ。連携していない。反創価学会の活動などとしていない。俺は、これまで一度も学会の情報を外に漏らしたことはない。いつも、正々堂々と執行部に意見をして来ただけだ。俺が、内部情報をリークするはずがない。俺は、創価学会を守る側の人間だ。そんなことは、お前たちも良く分かっているはずだ。」と述べると、幹部はこう言ったそうです。
「髙倉は内部情報を漏らしたんだ。髙倉の息子は違うことを言っている。父親に騙されたと言っている。今、息子は本心に戻って正しいことを言っているんだ。
髙倉の人生は終わりだ。髙倉は池田先生に反逆した師敵対だ。創価新報で、髙倉を糾弾する大キャンペーンをする。髙倉の日記は、学会本部では大問題になっているんだ。髙倉には野崎もつるんでいるんだ。
髙倉の女房は、和田と野崎が旦那をおかしくしたと言っている。女房は正義感が強い。髙倉の女房はしっかりと題目を上げている。女房は、髙倉は和田に嵌められたと言っている。
黒幕は、和田お前だ。お前に責任があるんだ。和田、早急に髙倉を呼び出せ。」
 
和田氏との対話の内容
 
その後、幹部たちから、和田氏と私がどんなことを話していたかを追求されたので、主として哲学と倫理の問題について話し合っていたと言われたそうです。さらに、少年非行や教員養成学部の問題点や、これまで読んだことのある本の内容を話題としていたと言われたとのことです。
そして、和田氏と私の対話の中では、「池田先生のことが話題になったことは一度もない。」と発言されたそうです。
すると、幹部は、「日記の中には、お前との話の内容が克明に書かれている。聖教新聞の友岡の発言も書いてある。友岡に確認したが、その内容については友岡の発言と一致した。日記に書いてある和田の発言も本当だろう。」と述べたそうです。
この追求に対して、和田氏は、「日記は、髙倉個人の考えを主観的に書いたものだ。俺の発言という部分は、俺が言ったことではない。髙倉の創作だ。」と反論されたそうです。
この反論に対して、取り調べた幹部は、「髙倉の日記には、野崎の思想や学会の組織に関する情報も克明に書いてある。学会本部に就職した直後のお前の発言も書いてある。」と述べたそうです。
この発言に対して、和田氏は、創価学会のことを部外者に話したことはないと強く否定されたとのことです。そして、こんな取り調べを  する幹部たちのやり方は汚いと批判し、こんなことをすること自体、現在の日本では絶対に許されないことだとも述べたそうです。
すると、幹部は、「周りの状況証拠からは、髙倉が情報を漏らしたことは明白だ。四国の学会幹部たちも髙倉のことを信用していない。四国の幹部たちは、髙倉を昔からマークしていたんだ。」と述べたそうです。
 
和田氏の反駁
 
このように言われた和田氏は、以下のように、学会の幹部たちを徹底的に批判したとのことです。
「お前たちのやっていることは、社会的には絶対に許されない犯罪だ。人権侵害だ。もし、髙倉の女房をけしかけて離婚裁判を起こしたら、髙倉は必ず、お前たち学会の幹部から殺すと脅迫されたことを裁判で明らかにするはずだ。そうなったら、困るのは創価学会の方だ。
個人の日記を、本人の承諾もないのに勝手にコピーして回覧したばかりか、その内容を分析して日記に書かれていた人間を呼び出して取り調べるなどということは、とんでもない人権侵害だ。創価学会の最高幹部たちが、こんなことをやったということが明らかになれば、社会で大問題となるぞ。
創価学会に批判的な日記を書いたことを理由にして、髙倉の家族を分断して破壊しようとすることなど絶対に許されない。お前たちは大変な仏罰を受けるはずだ。創価学会は、ファシズム以上の犯罪者集団だ。」
この反論に対して、幹部たちは和田氏を、「髙倉と関係していないのであれば、なぜ、そんなに髙倉を庇うんだ。」と、再び大声で責め立てたそうです。そして、高松の学会員たちが私を殺すと言っていることを繰り返し述べたそうです。
 
和田氏の土下座
 
和田氏は、かつて、私の継母、妻、息子、娘と会ったことがあります。「髙倉を殺す。」と責め立てられている最中に、その時のことが脳裏に浮かんだそうです。そして、あの家族を破壊するようなことだけは何としても防がなければならないと思われたそうです。
そこで、和田氏は、「髙倉を許して欲しい。」と再び発言されたとのことです。すると幹部たちは、和田氏に再び土下座しろと要求したので、遂に和田氏は土下座されたそうです。和田氏は、私に、土下座したのは生まれて初めてのことだったと言われました。
土下座した和田氏に対して、幹部たちは、「お前の責任で髙倉が情報をリークしたかどうかを調べろ。そして髙倉が誰とつながっているかを明らかにしろ。髙倉には、やったことはやったと言わせろ。そして、今後は一切致しませんと言わせろ。そうしたら、この問題は完全に収めてやる。学会本部から、四国と九州に、学会員を暴徒化させないようにとの指示を出す。和田、お前の責任でケジメをつけろ。絶対に、学会本部が責任を問われるようなことは言うなよ。お前にも家族がいるだろう。生活があるだろう。お前の女房は本部職員だっただろう。お前の責任で、全部処理するんだ。絶対に、池田先生の名前を出すなよ。お前だって、ちゃんと、やり方は分かっているはずだ。髙倉を上手に処理するんだ。もし、お前が失敗したら、その時はその時だ。会員は、池田先生のことを信じているんだ。純粋なんだ。池田先生が仏敵だと言われたら、絶対に信じるんだ。もし、和田、お前が、ケジメをつけられなかったら、損得抜きでなりふり構わずに髙倉を攻撃する。髙倉とつながっている人間たちも含めて全滅させてやる。学会員が半減したとしても、必ず総攻撃をしてやるからな。髙倉を殺すからな。」と告げたそうです。
 
創価学会による脅迫
 
以上の内容は全て、和田氏が私に電話で伝えたものです。和田氏は、創価学会本部で約5時間半近くも査問され、とても疲れたので自宅に戻らずに学会本部近くのホテルに宿泊することにしたそうです。そして、このホテルの部屋から、和田氏は、学会幹部たちの取り調べの内容を携帯電話で克明に知らせてくれたのです。
矢野元公明党委員長は、学会本部に呼び出されて取り調べを受けた際に、幹部たちから土下座しろと言われたとのことです。家族を殺すということも仄めかされたとも証言されています。
福本潤一元参議院議員も、学会幹部から、「殺しもあるからな。」と言われたと、その著書の中で証言しています。
この二人に対してなされたのと同様の発言が、和田氏になされたのです。土下座を要求し、かつ、殺すとの発言は、学会幹部たちが査問する時の常套文句ではないかと思います。
和田氏の取り調べを行った幹部たちは、和田氏が、私にその内容を伝えることを想定していたのは間違いありません。私は、間接的に創価学会の最高幹部たちから殺すという脅迫を受けたのです。
この取り調べの中で、幹部たちは、私の妻和美と息子一成のことについても言及しています。妻和美も、私の日記が創価学会本部にまで届けられ、その内容が分析されていたということを認識していたことは間違いありません。ただし、妻和美は、学会の幹部たちが私を殺すと脅迫したことまでは知らないと思います。
和田氏からの電話の内容に、私は心の底から恐怖を感じました。創価学会は、これまで考えていた以上に、恐ろしいカルト団体であると確信しました。身震いが止まらず、背筋に悪寒が走りました。そして、この夜は一睡もできませんでした。
 
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今回は、平成23年4月28日に、東京地方裁判所第12部に提出した和田公雄氏に関する陳述書を掲載致します。
創価学会池田カルト一派の和田氏に対する査問は激烈なものでした。このような査問を行う団体が、宗教法人であるということは信じられません。
 
            記
 
陳述書 和田氏の受けた査問の内容 その1
 
             平成23年4月18日
                    髙倉良一
 
和田公雄氏からの電話
 
2008年2月12日の午後、和田公雄氏(以下、和田氏と表記)から電話がありました。創価学会会長原田稔氏の名代と称する人物から、今度の金曜日に創価学会本部に出頭するようにとの連絡があったと言われました。その際、名代と称する人物は、和田氏に対して、私の日記のことで取り調べたいことがあると告げたとのことでした。
和田氏は、創価学会本部は、自分の交友関係などを詳細に調査し情報の収集が終わったので、いよいよ和田氏本人を査問することにしたのだと言われました。和田氏は、このところ、ずっと尾行がついていたとも言われました。その声は、とても興奮されていました。
創価学会本部は、私の日記の内容を徹底的に分析しているとも言われました。大がかりなプロジェクト・チームを結成し、毎日、私の日記の内容を検討していると言われました。
しかし、自分は、日記の内容を全く知らないので、どんなことを書いていたのかを教えて欲しいと頼まれました。そこで、私は、日記の中で、和田氏に言及している箇所を全部読み上げて聞いてもらいました。
すると、和田氏は、日記の中で和田氏の発言として書いた事柄は、「髙倉さんが全て創作した内容で、自分の発言ではない。そんなことを発言したことはないので迷惑千万だ。」と述べると言われました。
しかし、日記の記述を全部否定すると、逆に、疑惑を招くので適当に話してもらうように依頼しました。そして、私と連絡を取り合っていたかという点については、「家庭の問題で、時々相談に応じていた。」という発言をするようにと頼みました。
すると、和田氏は、書いた本人の了解もなしに、なぜ、個人の日記を資料として査問するのかを問題にすると言われました。そこで、和田氏には、私の日記の入手経路を聞いてもらうようにお願いしました。
和田氏は、今回の査問の目的は、私の背後には和田氏がおり、和田氏の影響で、私が創価学会批判をするようになったことを確認し、和田氏と関係がある創価学会員を全て摘発することを目的としているのだろうと言われました。
私は、香川大学教授で創価学会の学術部員である佐々木信行氏(以下、佐々木氏と表記)から査問を受けた際に、「四国の創価学会の幹部は、髙倉さんを白と認定した」と言われたと述べました。すると、私を追い詰めると、「窮鼠、猫を噛む」という結果になるので、今のところは静観することにしたのだろうと、和田氏は言われました。
 
殺害するとの予測
 
和田氏は、「将来、髙倉さんが忘れた頃に、創価学会とは直接の因果関係が分からない者に、髙倉さんを殺させる工作をするはずだ。本体(池田大作創価学会名誉会長のことを意味する言葉)は、自分を批判した者は絶対に許さない。目と目を合わせた上で、すっ飛んで行って、相手を殺害するような人間が、創価学会本部には大勢いる。本体の取り巻きは、髙倉さんとその家族がバラバラになることを面白がっている。誰も、髙倉さんの家族の将来のことなど考えていない。」と言われました。
和田氏の電話で、私の日記が学会本部にまで届けられていることを知った瞬間は、妻と離婚しようかと思いました。そう伝えると、和田氏は、「奥さんは無明(仏法用語で、真理を悟ることができない状態を意味する)なのだから」と言われ、「この問題で、家族がバラバラにされないことが勝利だ。」とも言われました。この和田氏の発言で、私は妻とは離婚しないとの覚悟が定まりました。
私が、「今年の初めに、池田カルトと関わることが馬鹿馬鹿しくなった。」と述べると、和田氏は、「学会の方が、髙倉さんを絶対に放置しない。」し、さらに、「学会を改革しようとしている人間が、根こそぎ摘発されると暗黒時代が続く。」と言われました。
和田氏からの電話の内容に、私は、大変驚きました。特に、私が忘れた頃に、創価学会本部の意向を受けた者が、私を密かに殺害するに違いないと断言されたので、大変なショックを受けました。この日は一睡もできませんでした。そして、翌日は、食事が全く咽喉を通りませんでした。
 
和田氏の受けた査問の概要
 
2月14日の夜遅くに、和田氏から電話が架かって来ました。和田氏は、その日の午後6時に創価学会本部に呼び出され、午後11時20分頃まで大勢の学会幹部たちによって徹底的な査問を受けたとのことでした。
和田氏の電話の内容を要約すると、創価学会本部の幹部たちは、私を創価学会の内部情報を漏らした反逆者であると断定したとのことでした。そして、青年部の機関紙である創価新報に、私の日記を掲載し、私を仏敵として糾弾する大キャンペーンを行うと告げたとのことでした。さらに、高松の創価学会員たちが私を殺すと言っているというものでした。
以下、和田氏からの電話の内容をメモしたカードと、当時の記憶を手掛かりにしながら、和田氏からの電話の内容を再現します。
 
反逆者として糾弾する
 
まず、和田氏は、つぎのように言われたそうです。
「髙倉の日記に書いてある内容については、創価学会本部は髙倉を告訴する。四国創価学会の情報を、髙倉が週刊誌にリークしたのは間違いない。情報をリークした人間たちの顔ぶれは全部分かっている。元参議院議員の福本潤一が、民主党に情報を提供している。お前たちのことは分かっている。」
この幹部の発言に対して、和田氏はこう述べたそうです。
「俺は、髙倉が日記を書いていたということなど知らない。日記の内容に関しても、全く関知していない。もし、個人の日記が学会本部に届けられたとしても、この日記はプライバシーに関わるものだから、学会本部ではお受けできませんのでお返しますというのが筋だ。それを、日記を受け取ったばかりか、日記の内容を分析して、日記の中に書いてあった人間を呼び出すなどということは、前代未聞の大変な人権侵害だ。こんなことは、戦前の特高警察ですらやらなかったことだ。」
この和田氏の発言に対して、幹部たちは「いずれにしても、この日記に書かれていることは創価学会に対する裏切りだ。日記の内容を創価新報に掲載する。国立大学の教授が、こんな日記を書いていたということは絶対に許すことができない。全四国と全九州の創価学会員を総動員して、髙倉を反逆者として糾弾する大キャンペーンを行う。徹底的に追い詰めて破綻させる。大学におられないようにしてやる。」と述べたとのことです。
 
和田氏の反論
 
この幹部の発言に対して、和田氏は、以下のように反論したと言われました。
「四国の創価学会の会館の中で、どんな話がなされたのかを社会に明らかにできないということ自体がおかしい。
宗教団体の会館の中で、池田先生に喜んで頂くためにとか、選挙活動は功徳があるからと、公明党の候補に投票を呼び掛けているばかりか、民主党は仏敵だと演説していること自体が間違っている。
世間に対して公表できないような活動をしていたこと自体が大問題だ。健全な市民社会の常識に反する活動をしていることがおかしなことだ。
もし、髙倉教授を反逆者として糾弾するのであれば、世間の人々は皆、髙倉教授の側に付くはずだ。おかしなことをしているのは創価学会の方だ。こんな人権侵害が許されるはずがない。
個人の日記の内容を、書いた本人の了解もなしに分析することなど絶対に許されない。その上、日記に書かれている人物を尾行調査し、本部に呼び出して査問することなどは、もの凄い人権侵害だ。犯罪だ。もし、髙倉教授を糾弾するキャンペーンを新聞でしたら、創価学会員は半減するぞ。」
すると、幹部は、和田氏に対してこう言い放ったそうです。
「たとえ創価学会員が3分の1に減ったとしても構わない。言う通りにしなければ、髙倉を裏切り者として徹底的に叩いて追い詰める。自殺するように追い込んでやる。髙倉は絶対に許すことができない。こんな人間が、国立大学の教授であっていいはずがない。大学でスキャンダルをでっち上げることなど、簡単にできるんだ。血祭りにしてやる。和田、お前も良く知っているだろう。創価学会を批判した人間たちを口封じしてきたやり方を。殺すことなんか簡単なんだ。」
この幹部の常軌を逸した発言に驚いた和田氏が「それだけは止めてくれ。」と述べると、この幹部から「和田、お前は、なぜ、そんなに髙倉を庇うんだ。もし、髙倉と連携していないのであれば、お前は髙倉を庇う必要はないだろう。」と追及されたそうです。
これに対しては、和田氏は「髙倉は鹿児島の人間だ。追い詰めると、何をするか分からない。正義感がとても強い男だ。」と述べたそうです。
すると、この幹部は、「和田、お前が黒幕だろう」と追及し、さらに、「野崎(元創価学会副教学部長)と友岡(聖教新聞の記者)も髙倉の黒幕だ。お前たちが髙倉にやらせたことは分かっている。」と発言したそうです。
そこで、和田氏は「反創価学会の活動は一切やっていない。髙倉の日記は、本人が創作して書いたものだ。私と髙倉の間には何もない。創価学会の情報をリークしたことなど一度もない。」と発言しました。
すると、取り調べをした幹部は「はっきり言え。お前たちは福本とどういう関係だ。髙倉は香川大学の教授だ。福本は元愛媛大学の助教授だ。髙倉には、創価学会に敵対する行動は一切やりませんと一筆書いてもらう。和田、お前が髙倉に書かせろ。お前が全責任を取れ。髙倉が、創価学会本部を脅迫罪で訴えることができないように、お前が詫び状を書かせるんだ。学会本部が表にでない形にして、一切を処理するんだ。
和田、お前が全貌を明らかにするのであれば、髙倉は許してやる。そして、和田、お前が、今後は創価学会に敵対する行動は一切やりませんと髙倉に一筆書かせろ。
そうでなければ、全四国と全九州の創価学会員を総動員して、池田先生に対する師敵対として、髙倉を徹底的に糾弾してやる。髙倉が自殺するように追い込んでやる。」と述べたとのことです。
この発言に対して、和田氏は、「俺も髙倉もそんな活動はしていない。俺に免じて髙倉を許してくれ。」と述べたそうです。
 
 
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今回は、平成23年4月28日に、東京地方裁判所第12部に提出した香川大学教授佐々木信行氏に関する陳述書を掲載致します。
佐々木氏の訴訟代理人の答弁書は、「創価学会池田カルト一派との裁判シリーズその5」に掲載してありますので、ご参照下さい。
なお、この陳述書は甲4号証です。「創価学会池田カルト一派との裁判シリーズその12」に掲載した陳述書は、甲3号証の間違いでした。
 
                   記
 
陳述書 被告佐々木信行氏による査問の概要 その2
               
平成23年4月7日
                       髙倉良一
 
2008年1月17日 午後
 
被告佐々木氏から、突然、電話で呼び出されました。研究室が隣りですので、応じない訳には行かないと思い、すぐに研究室を訪ねたところ、2時間半近く査問を受けました。
被告佐々木氏の目は、狂気を帯びていました。創価学会の独特な使命感に基づき、反逆者を許さないぞとの顔付きをしていました。私は、被告佐々木氏のただならない雰囲気を感じ、これまで以上に発言の仕方を慎重にしなければならないと感じました。
最初に、被告佐々木氏は、1月8日以降、四国の幹部からは問い合わせはないと告げました。被告佐々木氏によれば、私を査問するようにとの依頼をした四国創価学会の幹部は、高橋四国長と松下総県長、喜多青年部長だとのことでした。被告佐々木氏は、四国池田文化会館ではなく、栗林公園近くにあるガストというファミリー・レストランで彼らと面会したと告げました。
この3人に、被告佐々木氏が「池田先生の本を読み、池田思想を研究している。」と述べると、3人は皆「自分達は読んでいない。」と述べたとのことでした。
この日は、私は、一言も池田大作名誉会長の批判はしませんでした。もしも一言でも批判めいた発言をするならば、被告佐々木氏は、私のことを反逆者だと断定すると考えたからです。そして、被告佐々木氏の報告に基づき、狂信的な創価学会員によって殺される可能性があるかもしれないと思ったからです。
被告佐々木氏は、「『池田先生』との出会いは、強烈な体験であり、『池田先生』に関しては全く揺らいでおらず、もし、『池田先生』が『空虚』であると分かったら、学会の信心を止め、個人での信仰にする。」と述べました。そして、佐々木氏は「自分はマインド・コントロールされているかもしれない。」と発言しました。
しかし、私は同調するようなことは一切述べませんでした。被告佐々木氏が、私から池田大作名誉会長批判の言質を取ろうと企んでいると考えたからです。
被告佐々木氏は、この日も、これまでと同様、私と息子が共同でブログを作り、内部情報を発信したと幹部がみなしており、その証拠もあると告げました
私は、ブログを開設したりはしていないので、とても驚きました。さらに、証拠もあると言われたので、私を、創価学会員を結束するための仏敵に仕立て上げるつもりだと感じました。
被告佐々木氏は、私のことを守るような報告をしたと述べつつも、万が一、情報を漏洩していたら許さないぞとも述べました。被告佐々木氏は、創価学会と対立している日蓮正宗の機関誌に、私が何らかの投稿をしたら「髙倉さんは、もうおしまいだぞ。」と強い口調で発言しました。その目は怒りに満ち満ちたものでした。私は殺されるかもしれないとの恐怖を感じました。
このように、被告佐々木氏は、私を厳しく取り調べるかと思えば、その一方では、私の味方であるというような発言もしました。この被告佐々木氏の対応に、私は試されているのだと感じました。
私は、これまで以上に、極めて慎重に話しました。被告佐々木氏の報告次第で、どんな危害が私と息子に加えられるか分からないと考えたからです。
査問が終わると、私は疲れ果ててしまいました。殺されるかもしれないとの恐怖を感じた結果、食事をしようとする気力も生じませんでした。そして、夜は、一時間置きに目が覚めました。
 
2008年1月23日
 
被告佐々木氏から、研究室に電話が架かって来ました。その第一声は「一昨日から何回も電話していたけれども、やっと、先生につながった。お話したいことがある。」というものでした。
私は「研究室に伺います。」と返事をし、被告佐々木氏の研究室へ行こうとしたら「今、研究室に卒論指導を担当している学生がいるから。」と、被告佐々木氏は、いきなり私の研究室に入って来ようとしました。そこで、私は研究室のドア付近で対応しました。
被告佐々木氏は、「こんな所で何ですが。」と前置きしながら、現在、彼が住んでいるマンションを、私に購入して欲しいと発言しました。被告佐々木氏は、自分は実家に引っ越すが、マンションの周囲に住んでいる学会員から、信心をしている方に売却して欲しいと要望されていると述べました。そして、「先生が、こちらでマンションを購入される予定があるのであれば、是非とも買って頂きたい。」と述べました。さらに、被告佐々木氏は「購入されたら、このマンションの一室を地区の拠点(創価学会の活動の打ち合わせをする会場)として提供して欲しい。」とも言われました。
私は、即座にマンションを購入するつもりはないと断りました。そして、「無料であれば別ですが。」と言い添えました。冗談めかして、努めて明るい口調で断りました。
しかし、内心では、猛烈な怒りと恐怖を感じました。被告佐々木氏は、節税対策の賃貸マンションを7、8室所有していると私に話したことがありました。賃貸マンションを用いた資産運用を自慢していました。
被告佐々木氏は、私を査問しているという立場を悪用して、自分のマンションを売りつけようと企んでいるのだと思いました。しかも、そのマンションを創価学会の活動拠点として提供することに応じるかどうかで、私を試しているのだと思いました。
被告佐々木氏が自分の立場を利用して、金儲けをしようとしていることに、私は呆然としました。と同時に、マンション購入を断ったことで、被告佐々木氏がどのような報告をするであろうかと脅えました。
その後、日時は覚えていませんが、もう一度、被告佐々木氏は、電話でマンションの購入を依頼して来ました。私は、本当に驚きました。電話の日時の記憶が定かでないのは、その依頼が、私に大変な心理的圧迫と恐怖をもたらしたからではないかと思います。
 
2008年 2月8日 時刻不明
 
研究室に入るとすぐに、被告佐々木氏から、私と話したいとの電話が架かって来ました。おそらく、私が研究室に入室したのを確認した上での電話だと思いました。
被告佐々木氏の研究室に赴くと「数日前に四国の喜多青年部長からメールと電話があったので、1時間半近く面談した。」と言われました。被告佐々木氏は、四国の幹部は、私を改革派とみなし、完全に「シロ」と判定したと告げました。
これまでは、四国の幹部は、私と息子がブログを作り、情報を流しているとの証拠を持っていると話していたそうです。しかし、証拠のことについては「今回は全く言及しなかった。」と被告佐々木氏は述べました。
そこで、被告佐々木氏は「四国の幹部は、証拠』を掴んでいなかったと判断した。ただし、その疑い』は、奥さんが、日記の記述から情報を提供したことに由来するのだろう。」と述べました。
私は、この発言から妻に渡したはずの日記が、いつの間にか創価学会本部にまで届けられ、その内容を詳細に分析されていたのだと確信しました。
驚いたことに、被告佐々木氏は、個人の日記を創価学会本部が、本人の同意も求めることなく調べるということについて、全く疑問を持っていないようでした。私は、被告佐々木氏は、創価学会の幹部が私に行っている人権侵害行為を是認し同調しているのだと思いました。
この時もこれまでと同様に、被告佐々木氏は「情報を漏らしたら裏切り者だ。池田先生は、きちんとした弟子を育てているので、池田先生亡き後も、集団指導体制にはならない。」と発言しました。
被告佐々木氏が裏切り者と発言した際には、私の目を注視し、憎悪に満ちた顔付きをしていました。私は全く反論せずに、被告佐々木氏の発言を聞き流しました。そうしなければ、危ないと直感したからです。
この日も査問が終わると、ぐったりとなりました。私は、このような過酷な査問を続けている被告佐々木氏の目的は、精神的にも肉体的にも私を追い詰めて、発作的に自殺を図るように仕向けているのではないかということに思い至りました。被告佐々木氏の真意に気が付き、私は身体中に悪寒が走りました。この日は、一睡もできませんでした。
翌朝、洗面所の鏡を見て、自分の顔の変化に驚きました。頬はげっそりとこけ、目は落ちくぼみ、真黒なくまができていました。
 
2008年2月13日午後4時過ぎ
 
被告佐々木氏から「昨日、四国の最高幹部である総県長から、髙倉さんの動向に変化がないかとの電話があった。変化はないとの返事をしたが、これから話したい。」との電話がありました。私が「予定があるので。」と断ると、被告佐々木氏からは「明日、話したい。」と言われました。
もしもこの依頼を断ると、被告佐々木氏からどんな報告がなされるか分からないとの恐怖に駆られました。そこで、やむなく応じることにしました。
 
2008年2月14日午後
 
2月12日の午後、和田公雄元創価学会インターナショナル海外相談部長から、「創価学会の原田稔会長の名代と称する人物から、髙倉さんの日記のことで取り調べたいことがあるので、創価学会本部に出頭するようにとの連絡があった。」と電話で告げられました。
そこで、私は、被告佐々木氏の呼び出しは、和田公雄氏からの電話に関連しているのだと考え、身体中から血の気が引いて行くような感じがしました。大変な恐怖に駆られました。私は、創価学会の先輩である和田公雄氏からは、信心に関する指導を受けていただけです。にもかかわらず、私と和田公雄氏とを結びつけて、私を反逆者として糾弾するつもりなのだと感じました。
この日は、被告佐々木氏から、約2時間に及ぶ査問を受けました。その内容は、四国の最高幹部が、私に、創価学会に反対する活動を行っている東京在住の学会員のグループについての情報を提供して欲しいと望んでいるというものでした。私は、そのような活動をしているグループのことは何も知らないと答えました。
私が情報を漏らしていると査問していたにも関わらず、今度は、東京在住のグループの情報を提供して欲しいとの申し出に驚愕しました。そして、創価学会池田カルト一派は、何を考えているのか分からないと戦慄が走りました。
この日の査問は、和田公雄氏からの電話があった直後だったので、細心の注意を払いながら応答しました。可能な限り、穏やかな口調で話すようにしました。内心の恐怖と闘いながら、脅えているような素振りは、全く感じさせないように振舞いました。
その結果、査問が終了して自身の研究室に戻ると、身体中から力が抜けてしまいました。自宅に戻る時は足取りが重く感じられ、身体全体が地面に沈み込んでしまうような気がしました。この夜は、野菜ジュースしか咽喉を通りませんでした。夜は、幾度となく目が覚めました。
 
2008年2月16日
 
夜、被告佐々木氏から電話がありました。その前々日の2月14日の夜遅くに、和田公雄氏から、創価学会本部で徹底的な査問を受けたとの連絡がありました。その査問の席で、和田氏は「髙倉の日記を創価学会の青年部の機関紙に掲載し、徹底的に糾弾する。四国と九州の創価学会員を総動員して髙倉を追い詰める。高松の学会員は髙倉を殺すと言っている。」と告げられたと言われました。
このような電話が和田公雄氏からあった直後だけに、被告佐々木氏の電話に、私は何を言われるのかと身構えました。こちらから架け直すと、被告佐々木氏からは「四国の青年部幹部が、先生の研究室の電話番号を照会して来たので教えました。その幹部は、先生が『シロ』だと分かったので、創価学会を改革するための意見を求めに来ます。」と告げられました。
 この被告佐々木氏の電話に、創価学会の四国の幹部が、直接、私を査問することに決定したのではないかと思い、身震いがしました。この夜は一睡もできませんでした。私は、心の底から湧き上がってくる恐怖に脅えました。
 
2008年3月日時不明
 
別の陳述書で、その詳細を明らかにしますが、私は、和田公雄氏の立会いの下に、2月24日の午後に、東京の京王ブラザホテルの一室で、被告山本哲也氏から厳しい査問を受けました。
この査問終了後の3月中旬から下旬にかけて、数回、被告佐々木氏から電話が架かって来ました。その内容は、創価学会の会館でセミナーが開催されるので、一緒に参加しようというものでした。
被告佐々木氏は、私を会合に参加させて自分の手柄にしようと考えているのか、それとも、四国の最高幹部達を私に引き合わせて、さらに厳しい査問をしようと企てているのではないかと感じました。
私は、被告佐々木氏の誘いを断ると、どのような報告がなされるか分からないと不安に感じつつも、創価学会の会館に赴くと、自らの身を危険に晒すことになると判断しました。
私は、とても残念そうな声の調子で、被告佐々木氏の誘いを研究多忙であるとの理由から断りました。にもかかわらず、被告佐々木氏は何回も誘いの電話を架けて来ました。私は、その応対に疲れ、気力がなくなりました。
 
おわりに
 
 以上が、被告佐々木氏が私に対して行った査問の概要です。その詳細については、別の陳述書で明らかにします。
 この陳述書を作成している間、被告佐々木氏の声が聞こえて来るような気がしました。過酷な査問を受けている当時の記憶がよみがえり、再び、心に深い傷を負ったような気がしました。
被告佐々木氏の訴訟代理人に対して、直ちに虚偽の答弁書を撤回することを求めます。その上で、被告佐々木氏が真摯な態度で謝罪し、かつ、その全財産を贖罪のために提供することを強く要望します。
                        以上

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プロフィール
HN:
本名:髙倉良一(たかくらりょういち)
性別:
男性
職業:
大学教員
趣味:
思索と散歩と映画鑑賞
自己紹介:
HN:希望
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
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