ある方から頂いた「池田大作とデューイ」とのタイトルが付された原稿の続きを、以下ご紹介致します。
記
このような行為は一体、いつごろから行われているのだろうか? 先に引用した高倉良一氏の告発にあるように、2010年㋄以前は、池田大作氏本人が執筆していたのであろうか?
いや筆者はもっと初期からこのような行為は行われていただろうと推論している。というのも10年以上前に、ある図書館で偶々、見かけた仏教哲学大辞典(私の記憶では初版)なるものが、池田大作著作?【今回、アマゾンで取り寄せたら(第三版、昭和50年)池田大作監修になっていた】だったようなあやふやな記憶を最近、確認してみた。以下の内容は、私がFacebookに投稿した内容を若干修正したものである。
中村元先生はあの佛教語大辞典(東京書籍)御執筆にあたって苦労を重ねられ、一人一人の協力者に実名入りで謝意を表しているのには中村先生のお優しい人柄が感じられる。
それに対して池田大作氏はこうである。
前略「多忙な中を大事業完遂のために時間を割き、昼夜をわかたず尽力していただいた編纂委員の功績は、公布史に永久にとどめられるであろう」後略。(昭和四十八年五月三日)
とあるだけである。第三版では編者は創価学会教学部ということになっているが、この投稿の末尾に引用した日達氏の文章からもそうであるが(日達氏は編纂と表現している)、いかにも池田大作氏が作り上げたかのような印象の辞典に出来上がっている。要するにこの本は、池田大作著作の仏教哲学大辞典であるかのような印象を一般の庶民なら信じ込んでしまうであろう。
今後、研究する人は大変だ。教団発行の池田大作全集でこの大辞典がどういう扱いなのかは知らないが、辞書編纂というのは中村元先生も告白されているように、大変な作業だと聞く。限られた時間の中で当時の池田大作氏が辞書の執筆?、編纂?、監修?に充てられる余裕が果たしてあったかどうか、チェックする必要はあるだろう。こんなでかい大辞典を自分の名前を表札に出して刊行する指導者だ。だからもしかしたら、噂が時々あるようにその著作群には、ゴーストライターがいても不思議ではない、と私は思うのだが、本当のところはどうなのだろう。
【前略】
「又、創価学会二代会長戸田城聖先生も、仏教辞典を作りたいと云われたことを、私はしばしば聞き知っている。
玆に会長池田先生は、日亨上人や恩師の遺志を継ぎて、今此の仏教哲学大辞典を完成発行せられたことは、世界人類の正しい仏教の研究の上に於いて、又仏教の信仰をあやまらしめない為に於いて、最高の指南書となるのであるから、誠に慶賀すべきことである。
此の故に、私は本大辞典を編纂せられた池田先生に、深く感謝と敬意を表するのである。
私は今日以後、わが弟子には必ず此の仏教哲学大辞典を座右に備えしめ、一段と宗学の研鑽に精進せしめようと思っている。
宗内の向学の士も、此れに倣うことを進めるのである。
昭和三十九年十月十三日 総本山法主 日達」[28]。
[28]注 引用中の文章は第三版(昭和五十年)のものである。
つづく
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大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
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