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「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」
 Kan様が、2011年9月7日(水)午前零時15分付けのコメントで、運ちゃん様が運営されておられるブログ「想学サロン2.0」に掲載された桃太郎様のコメントを紹介して下さいました。
 
桃太郎様のコメントを拝読し、私は、早速、「想学サロン2.0」に、感想とお願いのコメントを投稿致しました。
 
すると、桃太郎様は、私の願いに応じて下さり、2011年9月11日にコメントを投稿して下さいました。
 
桃太郎様のコメントの内容は、実に素晴らしいものです。そこで、今回は、Kan様がご紹介された桃太郎様のコメント、私の依頼のコメント、および、桃太郎様が私のブログに投稿されたコメントをご紹介申し上げます。
 
桃太郎様のコメントを紹介して下さったKan様、「想学サロン2.0」を運営されておられる運ちゃん様、そして、桃太郎様に、心より厚く御礼申し上げます。
 
2011/09/06(Tue)20:49   by 桃太郎
 
六ケ月さん、はじめまして。桃太郎といいます。
今年の3月末からこのブログでお世話になっています。 私は外部の者ですが、運ちゃんさんのお人柄や考え方・課題意識の素晴らしさに引かれ、又、参加されている方々の誠実さに心を打たれ、ここに参加しました。
以来、私はこのブログから多くのものを学ばせて頂き、更には、大きな励ましもいただいております。
< 納得のできないものは、他の人には進められない >
あなたは他の人に対しても、自分に対しても誠実な方だと思います。あなたに責任はありません。自分を責めたり不安に思ったりすることはありません。あなたは犠牲者の一人ですから。
あなたの「学会組織への疑問」「リーダーへの疑問」は当然な事かと思われます。しかし、尚家族への複雑な思い、組織における対処のあり方等、困難で悩ましい問題も多いことかと思われます。
お母様は信仰から信じこんでしまい、自分は良かれと思ってのこと、組織・教団の真の姿が見えないゆえのこと、犠牲者といってもいいと思います。責めてみてもしかたないことです。自分自身が今のこの状況を乗り越え、幸せになった姿を見せてあげることが一番の恩返しかと思います。
この管理者の運ちゃんさんをはじめ、ここに参加されている方々はあなたにとって大いに力になって下さると思います。
私のよく知っている身近な方であなたと同じような状況に置かれている人がおられます。そのことの大変さは本当に厳しい問題として理解ができます。焦らずに御自身の生き方をしっかりと見据えて頑張って下さい。
こうした問題は、あなただけではなく、どの宗教に於いてもそうですが、子どもに責任がある問題ではなく、自分で判断のできない幼い時に信者・会員とされていたことに大きな問題があると、私には思われます。創価学会は「一家和楽」と言って、そのような指導をしてきたと思います。
子供とはいえ、将来予定されるであろう「宗教の選択問題」においては、「選択自由の権利」が担保されていなければなりません。このことは、創価学会だけでなく他の宗派仏教、新興宗教、キリスト教や他の外国の宗教においても当然なことと、私は考えています。
正しい宗教であるかどうかの判断ができる思考力を育てながら、その人にふさわしい時期に、しかも思考錯誤をしながら「自由な心を大切に」し、人生を経験しながらゆっくりと選択すればよいことで、全く急がねばならない問題ではないと思います。
広く世間に目を向けてみると、自分の人生を大切にし、尚その上で社会に貢献し協調的な生き方をされている多くの方々が居られます。そこでは、創価学会とかどの宗教とかの問題に関係がありません。
いろいろな宗教の方、又は無宗教の方も充実した人生を過ごしておられます。それでも人生は悲喜こもごもです。
20歳台や30歳台で本当に生涯に亘って自分に相応しい宗教を自信を持って選択できている人なんかいるのでしょうか?( 神官や僧侶でさえ妖しいものです。)
もしもその時期にそれを選択したとしても、様々な人生経験の上で他の宗派宗教に選択し直すことがあっても良いと私は考えています。
何をもって正しい宗教とするかは難しい問題ですが、少なくとも独善的排外的な宗教でないこと、強引な布教をしなくても自ずとその良さが伝わってくるような宗教であって欲しいものです。
先祖代々の宗教をなんの疑問も感じないで続けているのが世間の実状でしょうから、これからの時代は宗派宗教や教団から次第に離れていくことが多くなることでしょう。
教団・組織に所属しないで、自分で自分にふさわしい信仰の姿を求める生き方があっても不思議でないと思います。
そこで、もっともっと大切なことは、仕事や地域への関わりの中で「人の在り様」を学び自分の人生を豊かなものにすることであり、さらには歴史・伝統、歴史・思想から多くを学び柔軟で幅広い見識を身につけ、芸術・文化を楽しみながらもその世界に生きた人の生き様から豊かな人間性を学ぶことも大切ではないでしょうか。こうした自分の人生を豊かにすることなくして、何の宗教なんでしょうか、私にはわかりません。何をおいても信じることが先という呪縛をかけるのは、カルトといってもいいでしょう。
したがって、教団・組織のための信者・檀徒ではなく、信者・会員のための教団・組織の筈が、もしも逆転しているようであれば大変なことでしょう。
組織・教団の理念をどんなに美しい言葉で飾ってみても、実際にやられていることが間違っているとしたら、その組織・団体は会員を騙していることになります。
そんな組織・教団の矛盾に疑問を感じた時に、疑問と思うことに対して「 おかしいことは、おかしい」と言える会員でなければならないし、「疑問を持つ自由」「言える自由」を持てる組織・教団でなければならないと思うのです。創価学会が進めてきた指導の実際は、そのようになっていないと思われることが多すぎます。
私が戦後の創価学会の歩みを調べた範囲なので誤りがあれば訂正しますが、過去に内部に居て活躍されていた方々の事実の告発を見る限り、又現在も内部に居ながら現状を訴えている多くの声を聞く限りは、組織・指導者は謙虚に反省し改善を図るべきかと思います。
私が創価学会や公明党に関心を持つようになったのは、一つには、平成11年、公明党が政権に参加するようになって、政治が一般国民からすると何かと妖しいもの危険なものに感じられてきたからです。
私は、昭和50年頃、創価学会は絶対に時の政権に入ったり、擦り寄ったりはしない政党だと思っていました。
どの政権とも距離を置き、政治を監視する役目に徹するだろうと考えていたので、ものの見事に裏切られました。
公明党のイラク戦争への姿勢( 自衛隊イラク派遣H15年)、公然と行われる自民党への投票の協力、学会員の投票の姿勢と「F票取り」と言われる選挙運動のあり方など、民主主義の根幹を揺るがす問題について見逃すことができなかったことが挙げられます。
二つには、創価学会から親戚の者が直接被害を受けたことがあったということが挙げられます。いわゆる「折伏」ということに関係してです。
新聞の啓蒙、投票依頼と併せて、信者拡大の取り組みがなされている実態に驚きました。表面は優しい言葉で近づき、徐々に心を支配していくという、卑怯なやり方でもって入信を迫るのです。日蓮さんはこんな教えを説いてはいないと思います。
公明党については5年ばかり前から、創価学会につては3年ほど前から勉強を始めました。仏教、公明党・創価学会に関しての書籍を優に70冊ぐらいは読んだと思います。いわゆる「御書」「日蓮宗」の専門書はまだ勉強ができていませんが、学問としての仏教を学ぶつもりはありません。現実に起きている問題において宗教を学んでいく考えです。
その中にはジャーナリストなど反創価関係のものだけでなく、内部の方々の告発的な書籍もずいぶんと読みました。内部におられた方々の発言ですから、嘘や誤魔化しはほとんどないと言って良いと思われます。
「福島源次郎」さん、「藤原行正」さん、「原島嵩」さん(元教学部長)、「矢野恂也」さん(元公明党委員長)、「小川頼宣」さん(教学部教授)、等々の内部の重責を担った方々の証言は特に衝撃的なもので、他にも沢山あります。
私は、その教団・組織が何を考えて何を言っているかということは信用していません。何がなされたのか、何が行われているのかが、重要な問題である筈です。言う事だけならどんな宣伝でも可能です。相手を納得させる根拠にはなりません。
戦後の創価学会の歴史を見る時、この教団ほど内部告発の多い教団はなく、裁判沙汰の多い教団も無いでしょう。
裁判沙汰の75%近くが敗訴であるという実態は何を物語っているのでしょうか。
創価学会ほど宗門と激しく対立し攻撃した教団もめずらしく、又組織のトップを支えてきた重要幹部でさえ、組織を批判したがゆえに激しく攻撃された教団も驚きです。宗教に関係する団体とはとても思えません。
創価学会ほど直接的に政治へ介入する宗教団体も珍しいでしょう。宗教団体ではないとは言えず、税免除の問題との関係はどうなるのでしょうか。公明党の委員長を選出する選挙が開かれた政党としてマスコミ、国民に見える形で行われているのでしょうか。
創価学会ほどご都合主義で指導を変更したり、内部情報を隠蔽し、誤魔化しをしたという教団は少ないでしょう。
学会の「教義」は破綻していると言われていますが、会員の方達はそのことをどれほど知っていて、又どのように思っておられるのでしょうか。
創価学会ほど学会員を盲目にしコントロールするため、日蓮さんの「教え」をねじ曲げ、悪しく利用している教団も珍しいでしょう。
「功徳と罰」をセットにし、組織への疑問、指導者リーダーへの疑問に縛りをかけ、教祖でもないリーダーを盲信させる宗教団体は「カルト宗教」と見なされてもしかたがないでしょう。
「統一教会」や「顕正会」をカルトと創価学会は呼んでいるそうですが、創価学会も自らの姿を問い直すことが求められるでしょう。
この教団ほど巨大なお金を集める教団も珍しいでしょう。
この教団ほど数値目標を掲げさせ競争を煽る教団も少ないでしょう。( 供養・寄付の額、F票の獲得数、新聞啓蒙の数、雑誌の購読数など)
財務を振込みで納めさせたり、寄付を100万円単位で求められたりする人もあったりで、毎年の収入収益を合わせて3,000億円ほどもあろうかという団体で、このお金が何に使われているかという会計報告が明らかでない団体も大きな問題でしょう。
学会の幹部や職員の給料は、信者会員の財務や寄付や新聞・書籍などの会員への売上金でまかなわれていることからすれば、不透明な会計は大変な問題です。一般社会では考えられません。
関連した企業を多く持ち、金力でもつて大きな影響をおよぼしている宗教団体もめずらしい。時に暴力団にも関わりがある事件を抱える宗教団体とは何なんでしょう。
この教団ほど外向けの宣伝と実際との食い違いの大きい教団も珍しいでしょう。一般社会の目に見えないことで重大なことが多すぎるため、国民一般は大いに不安を感じています。
又、会員も多い巨大な教団ですが、これほど脱会の多い教団も珍しいでしょう。在家信者の会ですから出入りが多くて当たり前かと思えるのですが、実際は、脱会は組織からの圧力でなかなか大変だと内部告発で知り驚きです。
例を挙げればきりがないほどです。創価学会はこれら外からの指摘に対しては、いつも「嘘」・「デマ」だと言って学会員の目・耳を塞いできました。
一般外部の者からすれば、どうしてこんなことに対して疑問に思わないのだろうかと、とても不思議に思っていました。
しかし、間もなくその理由はブログでの学習で理解することができるようになってきました。それは学会員の方々の実に生々しいマインドコントロールという現実での叫びの実態からはっきりと知ることができるようになったからです。
こうした中で、公明党、創価学会の外向けに行われていることと、内部で行われていることとの余りにも大きな違いに驚いてしまったのです。
もちろん、「日蓮さん」「法華経」の良いところを真摯に学びたいということから「創価学会」に入った人もあったと思います。しかし、組織・教団は余りにも「会員」の善意を利用し、宗教団体としてやってはならないことをやってしまったようです。誠実に信仰だけに創価学会を考えてきた人たちはみじめで、実に気の毒なばかりです。
このような方々のためにも社会一般に説明のつく、信仰中心の穏かで明るく開かれた団体に改善し成長できるよう希望するところです。
先ずは、外部の人との付き合いも多くし、視野を広くし目を遠くに向け、また様々な考えに耳を傾け、ご自身の人生を豊かにし、希望と勇気を持って生きて欲しいと願っています。 長々と失礼しました。
 
桃太郎様に、お願いがあります。
2011/09/08(Thu)23:38  by 希望 
 
 kan様が、私のブログ「白バラ通信 パンドラの箱」で、桃太郎様の分析のコメントを紹介して下さいました。
 桃太郎様の緻密な分析と表現力には、感銘を受けました。本当にありがとうございました。
 勝手なお願いで恐縮ですが、なぜ、仏法とは無縁の個人崇拝が、日蓮仏法の信徒団体である創価学会の中で誕生したのかについての桃太郎様のご見解を教えて頂ければ幸いです。
 現在、私は裁判の準備に追われ、創価学会がカルト化したことに関する分析までは手が回りません。厚かましいお願いですが、何卒よろしくお願い申し上げます。
 
» 希望様
 
希望様、ご依頼の件について、少し長くなりますが、お許し下さい。
 
前回の私のコメントをここの紙面にご紹介くださったとのこと、>・・・、緻密な分析と表現力に感銘・・< 誠にお恥ずかしいことです。唯、私の頭に残っているところの考えを思いつくままに書き連ねたに過ぎません。穴でもあったら入りたいくらいです。
私は、平凡なサラリーマンを退職し2年半前から、外部の者として「創価学会の問題」にある意味の「危うさ・不安」を感じて、関係した書籍を数十冊( 宗教学者、ジャーナリスト、学会内部の方、内部批判派の方、脱会者の方など)を読んで勉強してみました。その感想は一言で表現すれば「 闇の世界の恐ろしさ 」ということになると思います。世間一般では考えられない世界のことでした。最近は「創価学会」に関する一般書籍はあまり発刊されていないのですが、「黒い手帳」「私が愛した池田大作」「池田大作の品格」「創価学会の真実」(原島 嵩)などを読んで衝撃を受けました。「これが事実とすれば大変なことだ」と。
内部の方、それも以前、「池田先生」の近くで活躍された方々が書かれたことだから「嘘・デマ」はないものと考えてよいと受け止めました。それだけに世間の方々は大変な衝撃を受けたに違いがありません。
更に私は、学会員で庶民の方の「生の声」が知りたくて、「学会崇拝」の方、「学会批判」の方のどちらの意見もネットで学んできました。先ず膨大なブログの数に驚きました。そして、その中に述べられている事実の重さに、悲しい気持ちで一杯になりました。
私は、テーマごとに課題意識を持って読んでいたのではなく、ポイント・要点の整理もしないまま、アトランダムに読み進めてきました。したがって頭の中は混乱状態で整理ができていません。
貴殿がお尋ねの 『 なぜ、仏法とは無縁の個人崇拝が、日蓮仏法の信徒団体である創価学会の中で誕生したのかについての見解を・・・』という件についてですが、とても大きな課題・難しい問題で、私にはとてもご覧いただけるような考えがまとめられるとは思えません。
しかしながら、何かをお届けしなければならないというささやかな思いから、またしても、思いつくままのところを述べさせていただきたいと思います。
私なりの理解ですから、間違いが多いかも知れません。ご指摘くだされば訂正もし、又そこから学んでいきたいと思っておりますので、宜しくお願いいたします。
先ず、創価学会の歴史の流れに係わってのことを考えてみたいと思います。内部の方にとっては今さらという感じの内容になるとおもいますが・・・。
昭和25年~32年、「戸田会長」の大号令のもとに、「幸福製造器」をテコにしての「折伏」大行進であった時代、「池田青年」は中堅幹部で、自分が「会長」になろうとは、考えてもいなかったことでしょう。しかし、昭和32年~35年の3ケ年の間に形勢は大きく転換。つまり青年部が、「初代会長」の息のかかった古参幹部から組織の主導権を奪ってしまうほどに成長してきたことが「青年幹部・池田」を育てたと言って良いと考えられます。
「池田大作」が一人で「創価学会」の基礎・土台を作ったかのように言われているのは、それを叫ぶことによって利益を得る周りの幹部が祭り上げたものとして考えるのが、順当なところでしょう。
この時代は「宗門の権威を土台に信仰を軸とした学会組織」なのか「宗門と対等に立とうする組織、政治・経済への係わりも含めた権力指向の学会組織」なのかという、主導権の争奪戦の時代と言って良いように私には思えます。何故そう思うのかということですが、「戸田会長」自身の考えは、「日蓮本仏、法華経」に帰依しながらも、多分に功利主義、現実主義、権力志向の哲学の持ち主と見えるからです。
昭和33年~昭和50年頃まで「池田会長」にとっは、「戸田会長」の権威と「日蓮正宗」の権威を利用しなければならない時代であり、「在家信者の会長」・リーダートップとして「座」を確立し、安定させることに専心していた時代だと考えられます。「顕正会」「正信会」の抑え込み、「日蓮宗」等の他宗派からの批判への対応、「言論弾圧事件」以降のマスコミ界、政界への対応、一般世論へ向けての「学会イメージ」の修復など、エネルギー消耗は大変なものだったでしょう。
良い意味でも悪い意味でもこの時代の学会幹部は能力的に高い方が多く、学会への貢献度も高い方が多かったと思われます。更に、この時代の幹部は信仰心が篤く寛容な方が多く、一部学会の誤りがあっても許容範囲を広く持ち、本当に「日本の幸福と平和を実現できるのは自分達だ」との理想を持っていた方もあったように思われます。
池田会長がまだ「個人崇拝」されない時代は、学会にとってはある意味、組織としての一体感を持ち、組織に活力のある良き時代でもあったかも知れません。会員一般の方々も昭和40年~50年頃、高度成長の右肩上がりの高揚感ある時代を受けて、生活向上の実際も実感でき、夢を持っていた時代でしょう。(さも、それは信仰を持った結果のご利益からだと思い込ませるのが、新興宗教のミソではあるのですが。)
昭和47年「正本堂建設」後、集めた寄付・供養のお金が巨大であったことに驚いた「池田会長」は、宗教が「巨大ビジネス」として成り立つことを確信し、「会長」としての自信をもったのもこの頃からであり、『宗門から離れる 』ことを構想するようになったのもこの頃から始まっていたと捉えることができるように思います。昭和45年まで、「宗門」のために「日蓮聖人の仏法を布教すること」を表向きのポーズとしてきたものの、昭和46年の「金剛会」の設立では、「宗教団体としての使命」はほどほどにし、組織拡大のための「折伏読本」は隠し、日蓮正宗以外は「邪宗教」としていた「邪宗論」を引っ込め、「学会の顔」を変えるようになってきました。
池田会長はもともと敬虔な信仰を持つ方ではなかったように思われます。既に、昭和35年の頃、自分の時代が作れたら、宗教を利用しての「巨大ビジネス」を夢みていたのではないでしょうか? 戸田会長の二つ目の構想は、確かに「池田大作氏」の中にしっかりと生きて繋がっているのではないかと思われます。「金と権力」への執着が「創価学会」の流れを大きく変質させてきていたことは、「名誉会長」「創価官僚」や一部中堅幹部は理解できていても、一番大切な「学会員」の殆んどは、そのことの重大性をご存じないのだ、と云っていいように思われます。(その具体的な裏付けについては、ここでは省略いたします。)
昭和52年問題「宗門対学会の事件」で「池田会長」は「名誉会長」として身を退くことになりますが、むしろこのことは「池田崇拝」の構築にとって都合が悪くないことに気が付き、「傀儡の会長」を動かし、「池田信仰」を強化しやすくなってきていた、と考えられます。
しかし、戸田門下生の「竜 年光」「福島源次郎」「藤原行正」「石田次男」などの内部勢力が残っている時代は「池田崇拝」の具体的な手立てはできなかったが、これらの勢力を次々に追い落とすことができた段階で、「池田独裁体制」を具体的に画策するようになってきた、と考えられます。そして、このことに我慢のできなかった方々が、次々と内部告発をされることとなります。「山崎正友氏」「原島 嵩氏」など内部の重要な人物は、池田大作が「創価学会」を私物化し、「池田信仰」「池田崇拝」を求めるようになったことへの怒りであったと、私は考えています。(私は、宗門が正しいとか学会が正しいとかを言っているのではありません。)
いずれは、「宗門」から完全に「分かれる」ことを考える「名誉会長」と池田会長のもとに育ってきた「創価官僚・幹部」は、「教義上のこと」についてぶつかることになるのですが、当然のこととして乗り越えなければ、新興宗教として邪教化したことの汚名を「創価学会」は被ることになるので、なんとしても、この問題は、学会が生きるか死ぬかの極限の問題となってきていたのでしょう。そのことが「内部告発者」や「宗門」への宗教団体とは思えない攻撃・呪詛となって現れてきたことと考えられます。
「宗教団体」としての「品位なき闘い」は、むしろ「創価学会」に大きな傷と損失を残したと云っていいと思われます。
したがって、一方では「池田神格化」を急がねばならないことから、極端な「池田先生」の宣揚を次々とせざるをえなくなったのでしょう。聖教新聞の極端なこれらに関した記事は、会員の多くの者でさえ目をそむけてしまいたくなるもので、一般世間の者を益々遠避けてしまう結果を産んだことになったのです。この意味では、内部の一部極端な崇拝者を除いて、「池田神格化」に成功していないと考えて、ほぼ間違いはないと思われます。
「名誉会長」はこれまでのように「在家信者の棟梁」では済まされない訳ですから、「教義」が「宗門」からの借り物ということからすれば、益々「名誉会長」の「神格化」は厳しく求められるようになると考えられます。
昭和60年頃から内部告発が多くなり、「宗門」との抗争が厳しくなるにつれ、外からの批判を消すことも必要となってきます。秘密裏に「宗門」から独立することを画策していた「名誉会長」「本部幹部」は「池田崇拝」を浸透させるための「あらゆる手」を打ってきたと考えられます。
会長になる前の時代の業績から始まって、今日までの多大な「業績」を顕彰し、海外への「名誉会長」の存在感のアピール、海外の著名人との対談、あらゆる新聞、雑誌、放送メディア、学会会館での会合の場での宣揚等々、会員への呼びかけが凄まじく行われてきました。
平成11年「自自公内閣」の成立は、一時は「創価学会」に高揚感を与えたものの、節度なき権力への接近、F票取りや選挙運動の闘いの呼びかけ、あからさまな自民党への選挙協力など、国民一般の目を疑わせ警戒心を大きく高めることになってしまいました。
又、「創価学会」の金力と権力への執着は、会員の信仰心の善意を利用しての「財務・寄付」「新聞拡張」など、数値目標を掲げて競争心を煽っての「学会活動」を厳しいものにし、寧ろ会員の心の離反を産み、「池田崇拝」を汚すことを導くこととなっているように見えます。
しかし、「名誉会長」とはいえ、「教祖」になりえない単なる「在家信者の棟梁」が新たな宗教団体の「教祖」となるには、他の「大きな権威」を借りざるを得なくなるでしょう。
「個人崇拝」には、誰も疑うことのできない『権威』づけが必要です。
内部だけで顕彰だ宣揚だとどれだけ言っても、社会一般に認められうる「教祖」となり、新たな開かれた「宗教」を確立するには、今後どれほどの「信頼回復」の努力が必要でしょうか? 閉じられた世界を大きく開き、社会一般の人々と一緒に考えてゆくことが絶対に欠かせないと、私は考えるのです。
( 「池田崇拝」に視点を置き、「創価学会」の歴史の流れに係わっての感想を述べさせていただきました。あくまでも私の拙い感想です。宜しくご指摘ご指導下さいますようお願いいたします。
又別の機会に「権威づけ」との係わりで感想をまとめられたらと思っています。長々と失礼をいたしました。)
桃太郎 2011/09/11(Sun)13:47:16 編集

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» 無題
ポチさん発言『高倉さん。 自身の日記を他人に見られたくらいで裁判起こす稀有お方、さすがです』。 私は、宗教とは無縁の外部者で、ここのブログをずっと拝見させていただいている者ですが、ポチさんのこの発言には怒り心頭です。高倉氏の離婚訴訟の唯一の原因はまさにこの日記なのです。ポチさん、発言する前に事実を正しく把握してから発言しなさい。さらに、この日記を離婚原因にさせている創価学会のやり方が卑劣なのです。離婚原因にならないはずの日記を勝手に読んで、訴訟問題にさせているのは創価学会の方なんですよ!あなたの発言は全く主客転倒のの論理だと気づいてほしいなあ! 
 
 また、憲法で保障されている学問の自由の基幹をなす大学における自治・学問の自由の意味は、原発問題で、原子力の専門家で脱原発のメッセージを出し続けられている京都大学の小出裕章先生の姿勢に体現されている如しです。ポチさんもう少し自分の基本的な思考方法を内省してみてください。全く当たり前の客観的な思考ができていない!!創価学会思考になると、全く客観的思考が働くなるのですか!!
 
 またポチさんの「賢明な奥様」発言も、全く無意味。その理由が「奥様は忘恩は許せないと思っていらっしゃる。」忘恩とは誰に対しての忘恩なんですか?不正が山積みかも知れない創価学会への、それとも北朝鮮なみの組織トップの世襲制志向の池田氏へ?
 奥様が賢明なら考えるべきことは、忘恩の代償として500万円を組織に献金するのではなく、お子さんの個人としての人格を大切し、大きな視野を持って成長する可能性を探してあげることだと思います。母親は、欧米では稀有で、特に日本人の母親にありがちな習性として、自分のお腹痛めて産んだ子供をいつまでも自分の所有物と考え続けることが多いといわれていますが、子供は自分とは自分とは違う人格だと認識するのが、自分の所有物でないと自覚するのが、先ずは賢い奥様の前提条件だと思います。
  
 息子さんの和成君でしたっけ。彼は大変な状況下にあるなあ、その心理状況を察するに言葉を失います。ブログによると小学2・3年生の時に創価学会のあり方に疑問を持つようになったということで、大変聡明なお子さんだと思います。三つ子の魂で、創価学会の活動に邁進する母親の有様を目の当たりにし、複雑な心境だと思います。現在、多分中学高学年か、高校生位だと思いますが、母親の支えにならないといけないという心情もあり、創価学会の改革の意識は封印して、そんな母親に合わせないといけない状況なのかもしれない。そんな彼の複雑な心情はその鬱憤のはけ口として、父親に向けられる可能性もあろうと思います。それは全くのお門違いと聡明なる和成くんなら、気づけるはずと信じています。
 高倉氏は、和成君が幼い頃、創価学会の矛盾を感じたことは正しいということを身を挺して『和成、君の考えたことは正しかったのだよ。』となんと公の場でも表現し続けているのです。和成君、君のお父さんは命がけで君は正しかったと言い続けているのです。聡明な君ならわかるはずです。善良な多くの信者のためにも。和成君,お母さんのことではなく、自分のことをしっかりと考えてください。
 
 賢明な母親なら、息子に思いやられるのではなく、自分の息子の将来において一番大事な時期に、自分のことより息子さんのことを思いやらないといけないはずなのです。自分の思想なんてどうでもいいのです。息子さんの将来を大きな視野で見てあげることの方があなたの考えよりはるかに大事なのです。そのためには、半分は息子さんの所有者である高倉氏と息子さんの将来について話合うことしかないのです。

 日記に書かれたことが忘恩・だとか、自分への侮辱だといって、話合うことを一切しないで、お子さんを実家へ連れて行った。これは、お子さんにとってはまさに悲劇です。あなたが創価学会であろうが、イスラムであろうが、キリスト教であろうが、オウムであろうが、そんなことはどうでもいい、お子さんの将来を冷静に客観的に考えてやるのが、賢い母親の役目なのです。

 お子さんをそのような悲劇の状況にさせたのは、そのように物事を客観的に見れなくなっているのは、また離婚訴訟にもなったのは、何故ですか。創価学会という存在がなかったら、何事も起きなかったのです。お子さんののびのびとした、幸せな生活が送れたはずなのです。
 奥さん、それらはあなたのせいではない、高倉氏のせいでもないのです。

 組織に完全な組織はありえない、ニーチェ曰く『批判という風が吹かない組織はよどんで、そして死んでしまう』のです。改革の意識は組織のためにも大事なのです。高倉氏は多くの善良な多くの信者のためにも組織にありがちな膿を出してしまおうと戦っているわけで、組織を批判したから、離婚、それは違うでしょう。
 
 お子さんの豊かなはずの将来を限定してしまう権利はあなたにはないことは理解できるはずです。お子さんの将来を限定させるように離婚問題を手段として働きかけているのがもし創価学会ならば、お子さんにとって憎むべきは高倉氏ではなくて、創価学会であることは自明でしょう。

 最後に、奥様が賢明な奥様になられますよう!!
和成君が若者らしい自由な発想を持った、はつらつとした生き方ができますよう!!心から念じています。

 長々失礼しました。
川内原発の隣人 2011/09/16(Fri)14:01:53 編集
» 「忘恩の輩」
恩という言葉は、やたら創価学会で使います。
忘恩の輩は許さない! 
こんなような言葉も、聖教新聞でも頻繁に使われたものです。
会合でも婦人部幹部が、ヒステリックに叫んでいたものでした。
「忠実」か「裏切り者」かで、敵か味方で区別するのが創価の思想。
中立な立場の者も批判する記事を、数年前、聖教新聞で見た事があります。

『子どもを 立派な後継者に !』

冗談じゃない、こんな創価学会はおかしい!と言う人を、ガチガチの信者達は、「恩知らず!」「裏切り者!」と批判します。
それが我が子であってもです。
親子で物も言いやすい分、露骨に子供を罵ることもあるでしょう。
子供は純粋に「疑問」を持っているのに、「信心がないから疑問を持つんだ!」と頭ごなしの親も多い。
池田大作や創価学会の幹部達は、親子の絆をも学会組織の為に利用していると言わざるを得ません。


ところで学会書籍の話です。
学会書籍は、言論弾圧事件以前の古いものが読み物として面白いです。
池田大作講演集にしろ、戸田質問会集にしろ、折伏教典にしろ、「頭大丈夫?」と思えることがいっぱい書いてあります。
池田室長時代の書籍を読むと、まさに創価学会は軍隊です。
他教団の道場に乗り込んで警察になった事も、「宗教史に残る輝かしい戦績」として書かれています。
過去の過激な時代を隠したがる創価学会なのに、トルストイの言葉「ひとたび発せられた言葉は、永久にあとに残る」を引用したりするので笑えますが・・・

だから、今の創価学会員が不思議なのです。
ここまで矛盾して「おかしい宗教団体」なのに、なぜ疑問をもたないのか。
また、大学機関に於いては、これほどまでに「カルト教団」であるのにも関わらず、「全国カルト対策大学ネットワーク」から創価学会を対象からはずしているのか。

学術界の創価学会の侵蝕は、かなりのものだと思っています。
元学会2世 2011/09/16(Fri)15:30:54 編集
» 無題
ポチって名前、ほんとに犬に失礼です。。
犬のほうが、もっと聡明で賢く理性的です。。

ポチって、ほんとうに人を不愉快な気持ちにさせるのが得意だよなあ。。
この人、幸せそうぢゃないよ。。どうみたってね。。
幸せな人は、こんな文章書けないモノ。。
幸いは心よりいでて我を飾る。。
災いは口よりいでて我を破る。。でしたっけ??

高倉さま。。ゴメンなさい。。
つい、相手をしてしまったわたしっておバカ。。
流れ星 2011/09/16(Fri)21:40:57 編集
» 恐縮です^^
髙倉様

桃太郎さんのコメントが、こだわった私見などがなく実に客観的な分析で素晴らしかったので、ご紹介させて戴いただけなのですが、ご丁寧なお言葉を戴き、恐縮いたしております。
そして、深き礼節に・その人間性の深さを感じます。
多忙極まる日々にありながら、そうやって一人一人の振る舞いに気を配り・大切に思い・ちゃんと感謝で称えておられる。

気持ちはあっても、そこまでちゃんと言葉が綴れないのが喧騒の世間で生きてる方々の姿だと思います。
でも、その中での気配り・ありがとうございます^^。

川内原発の隣人のコメント
いや、見事!と申しますか・・・何度も頷きながら拝見いたしました。
私自身、子供を持つ親であり父です。
その立場でも、何度も頷きながら拝見いたしました。
私は酒は飲むし・値上がりしたのに煙草は吸うし・・・飲んだくれのオヤジなんですけどね^^;。
でも、子供のためなら命なんて惜しくない!
世の中の父親と同じように、そう思ってるオヤジです。

そして、なんか・・ちょっと嬉しい気持ちにもなりました^^。
髙倉様の強き味方・英知の味方、そんな方がちゃんといることを更に実感できて、嬉しい気持ちになりました。♪

で、一言コメントを・・と思いましたが
書こうとした内容が、殆ど元学会2世さんと同じでした^^;。
元学会2世さんのコメント、100%同意いたします。

>だから、今の創価学会員が不思議なのです。
>ここまで矛盾して「おかしい宗教団体」なのに、なぜ疑問をもたないのか。

持ってる方が増えています。
でも、生きる上でのしがらみと・その人の優しさ的情感で言えないのだと思います。
まして、家族に狂信者がいれば・ドロドロの修羅場にもなります。
狂信者とはいえ、生活を支えあって信頼してる大切なパートナーですし、その人がいなければ現実として日々の生活が困ります。
いろんな現実が交差してると思います
ウチもそうなんですけどね。。。。

先日、あるブログで友人で創価の幹部と食事をした話をコメントしました。
今日、その友人とまた晩メシを食べていました。
ちょっと安く上げて、お好み焼きでした。
その人の奥様が生活のため仕事を持ちながら、母親や主婦もしながらの聖教新聞配達をしてるのが、なんとも大変だと苦悩に満ちた顔で言ってました。

「もう配達員がいなんですよ。。。
 だから体を壊しそうでも辞めれないんです」
そう言ってました。

「おいおい、おかしいだろう^^;...
やめればいいじゃないか。聖教新聞社が配達員とか段取りすればいい話じゃないのか」

「いやぁ。。。kanさん、知ってるでしょう。
 地元の学会員に配達を無理やり頼んでくるんですよね。
池田先生のお手紙だ!それだけ尊い使命があるんだ!とか幹部が言ってきて、配達する人もいないから仕方なく・泣く泣くやってるんですよね。こんなバカ安い給金で・・・なんんか、嫁さんが可哀想なんですよね。。。」

「じゃあ、断われよ!
 なに、夫婦でグズッてんだ!
 嫁さんを守ったらんかい!
 非課税で会員からむしり取った金が数千億円とか一兆円とか持ってる池田大作や創価がやれよ!って言えばいいじゃないか!」

そう言ったのですが、そうするとまた誰かが困る。。。と言って、配達員がいないから。。。と言って話が途切れました。
優しさ溢れる良き人で、良き友人です。
人の優しさを、巨額の財産がある組織が・腐ったカルトが「道具」として日々利用してる。

こんなことはごく一部です。
全て会員さんは使い捨ての「道具」として、利用されてる。
でも、人のよさとしがらみで・・・困った実態でも、そのままでズルズルと日々が流れている。
もちろん、その後の責任など池田大作や組織は(組織は池田大作の所有物なので一緒ですが・・)一切取らない。
そんな実態が全国にあると思います。
真面目な会員さんたちは、いつまで道具として池田創価に利用され続け、日蓮を利用した大金持ちの宗教団体もどきは・いつまで狂気の搾取を続けるのでしょうか?

会員さんが老いて亡くなるまで、ずっとそうなのでしょうね。。。
kan 2011/09/17(Sat)00:34:51 編集
» 申し訳ありません
川内原発の隣人さんへの所感
「さん」が抜けていました。

「川内原発の隣人」となっていました。
今、気がつきました。

大変なご無礼な形となり、申し訳ありませんでした。m(_ _)m
kan 2011/09/17(Sat)00:48:34 編集
» 無題
池田氏側から回答はなかったのでしょうか?
そうすると本人死亡としてメディアに公表するわけですね。
取り上げるメディアがどれだけあるか心配ですが。
元学会員 2011/09/29(Thu)18:50:27 編集
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本名:髙倉良一(たかくらりょういち)
性別:
男性
職業:
大学教員
趣味:
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自己紹介:
HN:希望
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
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