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「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」

 創価学会にどのような対応をすべきかに関して、最高裁判所内部で何らかの議論が続いていることは確実なようです。

 

 元大阪高等裁判所の判事で、私の訴訟代理人弁護士である生田暉雄先生によれば、国政に大きな影響を与える裁判に関しては、担当裁判官は、最高裁判所事務総局の顔色を伺いながら判決を下すとのことです。裁判官の独立は、全くのフィクションだとのことです。

 

「創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その200」http://wrpandora.blog.shinobi.jp/Entry/469/でご紹介致しましたが、昨年の10月20日の午後1時30分から東京地方裁判所803号法廷で行われた裁判で、小海隆則裁判長裁判官は、判決期日を平成27年1月27日午後1時10分と指定されました。

 

 ところが、平成27年1月20日に、東京地方裁判所の書記官から生田暉雄先生の法律事務所に電話がありました。その内容は、判決期日を延期するというものでした。

 

生田先生によれば、判決期日を延期する場合には、通常は、同時に新たな判決期日を指定するとのことです。

 

しかし、1月20日の電話では、判決期日を延期するということだけが告げられました。

 

 3月13日(金)午後6時現在、東京地方裁判所からは全く連絡がありません。

 

 また、「創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その203」http://wrpandora.blog.shinobi.jp/Entry/474/でご紹介致しましたが、平成27年2月2日に、東京高等裁判所に対する即時抗告申立ての理由書を提出しました。

 

 この即時抗告は、私が池田大作創価学会名誉会長を訴えている裁判の担当裁判官を、東京地方裁判所が創価学会員であると認めながらも、忌避の申立てを却下した決定に対する即時抗告です。

 

 この決定については、「創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その196」http://wrpandora.blog.shinobi.jp/Entry/457/をご参照下さい。

 

この即時抗告に関しても、3月13日(金)午後6時現在、東京高等裁判所からは全く連絡がありません。

 

東京地方裁判所と東京高等裁判所の対応は、異例の一語に尽きます。

最高裁判所事務総局は、池田大作創価学会名誉会長の動向に関する何らかの情報を入手しているのかもしれません。



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» 司法には頑張って欲しい
「宗教家としてこんな裁判起こして恥ずかしくないんですかっ!」

だったかな?

創価学会の異常さは司法の場においても有名な話ですよ。確か。

異常な判決や表面的な創価白星は裏で何やらうごめいているそうです。

司法のように「真っ当な裁きを下すのが当たり前」という本来人間の道に即した、正しい法に則った目を持つ人達にとっても嫌なんじゃないかしら?世界からカルト指定されている営利団体のやり方を持ってこられるのは。

まぁ、何にしても、池田大作が表舞台に立てないのは、狂信幹部二人しか映らない、派手好きな池田大作が自分の舞台を飾る勤行の姿の写真にするのに少数人数しか写さない・写せない新聞の写真を見ても明白だし。
表舞台に立ってない池田大作の名前を広告塔にして洗脳してる集団がカルト創価池田狂幹部連中な事実は変わらないんだから、その事実を認めないわけにはいかないんじゃないかしらね。

盲目信者を飼い殺しにするために悩乱池田大作をあたかもお元気であるかのように思い込ませて、何か聞かれても「池田先生はお元気よっ!」と答える末端信者とか。W。洗脳されてますから。
しかも「池田先生はお元気」で釣るとか。W。詐欺ですから。

創価脳だと、そういう事実には気が付けないんでしょうね。


兎にも角にも、司法にはカルト基地外に屈さずに堂々と正しく事実と法に則した判決を行っていただきたいものだ。


高倉先生も生田先生も頑張って下さいね。

正義の司法にも期待してます。日本の正義が貫かれますように。

ひろこ 2015/03/15(Sun)22:14:32 編集
» 遠藤文書見解
今度は、遠藤孝紀総合教学部長が長谷川副会長に宛てたとする「御教示・御教導願い」という私信がネット上に流出している。
このような私信が流出するのは解せないが、ネット情報によると、遠藤氏は最近になって、SGI教学部長、総合教学部長、副会長等の役職を解かれ、来月3月には職場も退職されるという。
もしも遠藤氏の人事が事実なら、この際、内実を世に知らしめる使命感から自ら私信を公開したとも考えられる。
この文書もおそらく本部では怪文書扱いされているものと思われるが、当事者でしか書き得ない内容となっており、私はおそらく第三者による作り物ではないと思う。
この私信文書を読んでの感想は、池田先生のご意志、ご発言を巡って最高幹部の言が右往左往しており、池田先生が教学部幹部も含めた主要最高幹部を集めて一言ビシッと指導されれば、一切が解決するのに、何故それが無いかということである。
遠藤文書を読めば、池田先生が極めて限られた最高幹部とだけしか接しておられないことが分かる。遠藤氏にしても、池田先生に直接指導を受ければ全て解決するのに、それが叶わないから、このように呻吟せねばならなくなる。こうなったら、かつて池田先生から「これからは、私のことをお父さんだと思いなさい。」と激励を受けた人が、「お父さん」に面会を求めて、面会の叶わない人に代わって池田先生の真意を伺うよりほかないのではないか?
「お父さんに会いに来ました!」と面会を求める人に対して、門前払いのような対応をする権利は誰にも無い。
半分冗談、半分本気の話だが、それはさておき、今回の会則、教義事項の改正について、池田先生の本意なのかどうかが明確に分かる「池田先生ご本人のコメント」が無いことが問題の核心のような気がする。
杞憂であれば良いが、その日によって言うことがコロコロ変わるような健康状態なら長谷川副会長の遠藤氏に対する対応も不思議ではない。師匠の池田先生も87歳のご高齢であり、認知症の症状があっても何ら不思議ではないのだ。
大変、僭越であり、書くことも憚られるが、万が一、そのような状況なのであれば、即刻会内外にこれを公表し、全ての役職から開放して差し上げ、名実ともにご隠居して頂かなければならない。それが最高幹部の最高幹部たる責務である。
いずれにせよ、今のように先生のご意志が曖昧なままでは、何かにつけてトラブルが続き、そのうち取り返しがつかない事態に陥ることを大いに憂う。
本当に池田先生がお元気で、現在の本部内の状況を正しく把握されているなら、すでにビシッと指揮を執られているであろう。
しかし、遠藤文書を見る限り、すでに期待できる状況には無いと思わざるを得ない。事実上、池田門下が全てを牽引する時代に入っていることになるが、その出足から大きく躓いていると言うしかない。


以上、
high-gentlemanの日記より

http://d.hatena.ne.jp/high-gentleman/20150225/1424854400

これ常識 2015/03/16(Mon)14:38:47 編集
» 遠藤文書全文
注釈
総合教学部長・SGI 教学部長の遠藤孝紀副会長が 2014 年 7 月 10 日午後、
会長・原田、副理事長・長谷川に査問を受けた。これは当日の午前中、副理事長宛てに提出した質問文書である。
2014/7/10 付と思われる

下記より質問文書(通称・遠藤文書)

きょうの呼び出しは、昨年来の「大御本尊・会憲問題」に関連する事柄であると推測します。
昨年9月以来、教学部の行動は、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信
受し、日蓮大聖人の御書を根本とする創価学会会則に些かも悖るものでないと確信しております。
私の立場で、あれこれ申し上げるのは、はなはだ僣越であり、躊躇いたしましたが、こと御本尊と先生に関する最重大事であり、そこにわずかでも私情を差しはさめば仏法違背になりますので、申し述べさせていただきます。この根本事を
絶対にあいまいにしたり、ごまかしてはならないという一点は、もちろんご賛同願えると信じます。
そこで、午後の話の大前提として以下の諸点について確認させていただきた
く存じます。

■1.先月、長谷川本部長、谷川総長は、戒壇の大御本尊に関する教義変更
について「池田先生は、大御本尊との決別を大前提とされていた」「大御本尊と
の決別は先生の意志であった」と明言されました。
しかし池田先生は昨年、会則における大御本尊の記述変更の報告書に対し

「そこまでする必要があるのか。今は事件を起こしていくというのは小さい考え方だ。もう少し流れの様子を見ていきなさい」
と明快に御指導されています。
この点について谷川総長は先月、大御本尊との決別は池田先生の御意志で
あったが、先生が途中で判断を変えられた等の説明をしていました。
しかし、この御指導には、そうした曖昧な説明を許す余地は全くありません。
しかも昨年9月から2カ月近く、10回以上行われた会議では、秋谷議長、谷川総長はじめ、だれ一人として、「池田先生は大御本尊との決別を大前提とされていた」「大御本尊との決別は先生の意志であった」
などとは述べてはいません。
そればかりか、谷川総長は、「大御本尊(問題)に執着しているのは、実は秋谷
議長である」と再三に渡って明言しています。さらに谷川総長は「大御本尊と決別できないけれども、どう決別したかのような印象を与えるかだ」
等と、「実質」は無理でも「印象」さえ作れればいいという発言を繰り返しています。こうした夥しい矛盾について、どのようにお考えでしょうか。
先月は、宮地の作成した文書のうち、昨年の9月19日、20日の出来事が焦点になりました、
「戒壇の大御本尊とは決別する」「学会常住の御本尊を大御本尊と位置付け
る」と池田先生から御指導を受けたという原田会長の発言について、昨年の9月19日、大山第一庶務室長は、「池田先生は全くそんなことを言われていない」
「会長もそうした指導は受けていない」「こんなやり方をしていたら学会の信心も教学も崩れてしまう」と明言されました。
また翌20日、長谷川本部長は、「池田先生は大御本尊と決別するなどとは言っていない」「会長は嘘をついている」「御本尊では宗門と決別できない」「急いでやる必要など全くない」と確言されました。
さらに、その折、池田副理事長も「総本部ができて、お祝いする時にやる必要はない」「2年ぐらいして勤行会が一回りしてから考えれば十分である」等と述べています。
こうした経緯については、私自身も記録に残しております。
ところが先月、長谷川本部長は「原田会長が嘘を付いているなどということは
私は絶対に言わない」と、立ち位置を180度変えられ、その後、更に「『池田先生が決着を付けると御指導された』と会長が言うなら、会長は嘘を付いているということだ」と、再び主張を変えられました。
(2013年)9月の発言は、根本尊敬の対象である御本尊に関する師匠の御指南についてです。
「戒壇の大御本尊とは決別する」「学会常住の御本尊を大御本尊と位置付け
る」というのは、池田先生に決裁を頂いた方針だったのでしょうか。

もし、そうであるなら、教学部は昨年9月以来、全面的に師匠の御意向に背
いていたということになります。教学部の教義的な主張が全面的に師敵対だったということになります。私も森中も、池田先生に腹を切ってお詫びすべきことになります。
教学部は全面的に師敵対であったいうことでしょうか。この点も是非とも明瞭にしていただきたいと存じます。
■2. 私どもは、再三にわたり「教義変更は先生のご指示ですか」と確認し、「そうではない」という諸氏の明言を信じて、「これを実現させては絶対にならない」と
行動いたしました。日蓮大聖人と先生に背く不法を阻止するために智慧をしぼり、同憂の士と連携もとったことも私はあります。
その結果、先生の明々白々の御指導をいただき、「学会が、先生の御心に背
く大罪を犯すことを防げて、本当によかった」と安堵いたしました。
私から申し上げるのは僣越ですが、教義変更を推進しようとした皆さんからも
「たいへんな間違いをするところであった。おかげで助かりました」と感謝されるものと信じておりました。
かりに万歩ゆずって、教義変更について何らかの先生のご指示が、かつてあ
ったのだとしても(それは「ない」というのが、かつての皆さんの明言でしたが)、先生が更に熟考されて「すべきでない」と判断されたのであれば、先判・後判の義からいっても、後の御指示が有効であり、正義であることは論をまちません。
私どもの努力の結果か、この「一歩深い御指導」をいただけたのですから、皆
様にとっても大変にありがたいことではないでしょうか。いわんや、最重大事の
御本尊についての判断ですから、どんなに慎重に慎重を期してもしすぎではないのですから。
いずれにしても、皆様にとって喜ばしい結果であったと思います。ところが、
私どもに感謝されるどころか、正反対の対応をされております。これはなぜでしょうか。
皆様の基準が池田先生であるならば、まことに理解に苦しむ話であります。
こういうことをあいまいなままにしては、学会の支柱である師弟の精神は崩れてしまうのではないかと危惧いたしますので、あえて明確に教えていただきたく存じます。
■3.先月、宮地の方から、弓谷の言動に関してお伝えいたしました。弓谷は、
前代未聞の女性問題を起こして男子部長を頚になった人間です。池田先生が、弓谷の不祥事で、大変に苦しまれたとうかがっています。先生御自身、「あいつは将来、絶対に叛逆する。絶対に使うな」と断じられたと聞き及んでおります。その弓谷が、大御本尊という学会にとって最重要の事項について、どういう資格、
どういう立場で調査に当たったのでしょうか。
■4.漏洩騒ぎ【注*01】の際には、調査委員会から、私のコンピューターと携帯電話が一方的に取り上げられました。再三、不当性を訴えたにもかかわらず、
今に至るまで返答がありません。職員の就業規則に背く越権行為であると考えますがいかがでしょうか。
【注*01:教学部レポート(「大御本尊問題と会憲の問題点」)の流失を指す】
■5.そもそも、昨年9月以来、会議、打ち合わせ、尋問など全てが強権的、強圧的な雰囲気で行われてきました。これは、明確なパワーハラスメントであると判断しております。

谷川総長自身も、昨年 11 月、信原幸弘東大教授、菅野博史創大教授との酒
席で、「宮地は軽い人格障害だ」と嘲笑する菅野氏に同調し、「あいつは生意気
だから30分ばかし締め上げてやった」等と発言しています。谷川総長にはパワーハラスメントをしている自覚があったのです。必要とあらば、旧知の信原東大教授に証言していただくつもりです。
繰り返しになりますが、私たち教学部の行動は、大聖人の御指南にも、三代
会長の御精神にも、些かも悖るものでないと確信しております。
誤りであると言われるなら、御書に照らして池田先生の御指導に照らして、どこが誤りであるか、指摘していただきたいと存じます。
「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」
私は、どこまでも池田先生に殉ずる覚悟でおります。
**――***――**

長谷川本部長
御教示・御教導願い

2014/7/17
御多亡のところ、失礼いたします。
さまざま、ぜひとも御教えを賜りたい点があり、大慈悲をもって、御教示・御教導をお願い申し上げます。
私一身のことではなく、学会の将来に関して根本的な重大性をもった問題で
ありますから、必ずや御返答を頂けるものと信じております。
大きな誤解があったと懸念しております
7月10日の対面には、原田会長、長谷川本部長の御臨席を賜りましたが、その際に私が抱いたのは「これは、根本的な誤解があるではないか」という確信めいた思いです。要点は二つあります。
一つは、原田会長の失脚のようなものを目指した、謀略めいた動きに私が加
担していると思われているのではないかという懸念です。これは、とうてい想像もしたことのないことであり、だからこそ、お二人が「分派活動」いう言葉で言われんとされている内容が、まったくピンと来ず、理解できなかったのです。
御本尊に誓って、そのような発想も、もちろん行動も、私にはありません。きちんと調べていただければわかることです。
私にあったのは、ただただ「性急にして無理な教義変更によって、池田先生
と会員に、取り返しのつかない損失を与える」ことを「断じて阻止しなければならない」という一念だけでありました。
二つには、会長は「自分は池田先生のご意思を実行したのだ」と今なお信じ
ておられるのではないかという発見です。つまり、「自分は先生の認可があったからこそ、教義変更を推進したのに、そんな認可はなかったと言われ、『嘘を付いている』かのごとく批判されるのは心外だ」と思っておられるのかもしれない、
ということです。
ここにも大きな誤解があるのではないでしょうか。先生の御指示に関する会長の誤解」であり、また「会長は先生の御指示を単に誤釈あるいは拡大解釈されただけであるのに、御指示を意図的にゆがめていると信じた」私どもの誤解です。
説明いたします。
昨年8月20日午後、会長の報告に対して、先生は「それでいい、そのとおりだ」
と御指示されました。
これを私どもは「大誓堂に安置される学会常住御本尊を化儀の広宣流布の
象徴と位置づける。それを行うに際し、あたかも弘安2年の大御本尊が一切の御本尊の根本・根源であるかのように過度にその存在を意義づける言い方については、会員の信仰が混乱しないよう、見直しを図る」と解釈しました。そして、
事実、その通りの先生の裁可でありました。
ところが、会長はこれを「学会常住御本尊を、弘安2年の大御本尊に替わる
新たな根本の大御本尊と意義づける。弘安2年の大御本尊については、信仰
上も教義上も、もはや学会には関係のないものとして完全に決別する」というところまで拡大解釈されたのではないでしょうか。まさに、先生の「そこまでやる必要があるのか」というご指摘どおりであり、先生はもともと「そこまで」認可してはおられなかったということだと思います。
もしこれが実相に近いとすれば、私どもは「会長は誤解しておられるのではないか」と言うべきであり、「会長は嘘をついている」と言うべきではありませんでした。これが当たっていれば、謹んでおわび申し上げます。
私どもの「誤解」の背景には,先生の御指示を最もよく知っておられるはずの長谷川本部長の「会長は嘘を付いている」という言葉、大山室長の「先生は全くそんなことを言われていない」「会長もそんな指導受けていない」という言葉などがあったわけですが、先日の対面の結果、「もしかすると、会長は主観的には
『自分は先生の御指示通りやったのだ』と思っておられるのではないか」と思うに至った次第です。
学会は「池田先生が基準」ではなく「会長が基準」なのでしょうか
先日(2014/7/10)の対面で私が驚いたのは、原田会長、長谷川本部長のお
二人が声をそろえ、口をそろえて、「(大御本尊問題に関する議論の)内容はともかく」となんと10回以上も繰り返されたことでした。私が大御本尊問題の「内容」に触れようとすると、「それに答える必要はない」と即座にさえぎられたことも
含めて、「内容の実質には立ち入りたくない」というお気持ちが、ありありと強く迫ってまいりました。
しかし、本当に「内容は問題ではない」のでしょうか。
実際には、反対に「内容」が仏法と池田先生の指導に適っているか否かで、今回の問題は180度、その「意味」が変わってくるのではないでしょうか。あたかもオセロゲームのように、白と黒は一気に反転するのです。
あるいは、会長御自身の主観では「自分は正義であり、先生の意図をくんで
やったのだ」と思われているかもしれません。しかし、仏法に関する正邪は「主観」で決まるのではなく「文証・理証・現証」という「客観的」な基準に拠らねばならないということを教えてくださったのが、ほかならぬ目蓮大聖人であられます。
だからこそ、その御精神のまま、主観的な思いではなく、互いの主張内容を
客観的に吟味すべきなのではないでしょうか。
具体的には、私どもの行動を「分派活動」と非難されましたが、私どもの主張のほうが正義であり、「執行部による性急な学会教義改変」のほうが池田先生の御指導に沿っていないのであれば、むしろ変更を無理に推し進めようとした行為のほうが、「池田先生を師とする創価学会」から逸脱しようとする、いわば「分派活動」となる――客観的には、こういう理路になってまいります。また、日寛上人の教学を根本としてきた戸田先生以来の伝統の学会から離反する「分派活動」ではないでしょうか。(会長に対して「分派活動」などという言葉を用いること
は畏れ多いことですが、論理を明瞭にするために、敢えてこのような失礼な表現を用いたこと、ご寛恕ください)
お教えください。
創価学会は、いついかなるときも「池田先生が基準」なのではないでしょうか。
「そうでない」と言うなら、会長の意図に従わず、阻止しようとした私どもは「分派活動」となるのでしょう。
「そうである。池田先生が基準である」と言うなら、池田先生の御指示でない教義変更を強要した方が「分派活動」をなされたことになります。だからこそ「内容次第」なのです。
もちろん、そんな背信を会長がなされるわけがありませんし、本部長がそれを支持されるはずもありません。その点、ありのままの「事実」を多くの心ある幹部・会員諸氏に知っていただき、そのご判断・ご意見を謙虚にうかがえば、皆様の正義は証明されるはずではないでしょうか。そのための記録も私どもは残しております。
「会長は無謬」なのでしょうか
(2014 年)6月4日、長谷川本部長は、私と宮地に言われました。
「頼むよ、あんたよ。二人が転んじゃったら、どうすんだよ。学会教学、原田会長のもとで、もう右って言えば右という論文を書く。左って言えば左の論文を書く。
創価学会教学っていうのは、そういうもんじゃない」
私は「そういうもん」だとは考えておりません。これでは「教学部は『時の会長に信伏随従せよ』と言っているのと同じではないでしょうか。こう言われた時、私は「法主が白と言えば白。黒と言えば黒」という宗門を思い起こしてしまいました。
法主無謬説を唱える宗門と学会が全く異なっていることは言うまでもありません。
そこで長谷川本部長にお伺いしたいのです。
「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」との日興上人の御遺誡をどのようにお考えでしょうか。
創価学会会則に「(会長は)教義および化儀を裁定する」と定めてあるのだから、どんな時でも会長は無謬であり、信伏随従すべきであるとでも言われるのでしょうか。
大聖人は仰せであります。「仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば
経の如くに説かざるをば何にいみじき人なりとも御信用あるべからず候か」
「経の如くに説かざる」人間には、どのような立場の相手であろうと従ってはならない。これは御本仏の御命令であります。
原田会長、長谷川本部長は、私たちの行動を「分派活動」と決めつけられま
した。しかし、「会長の指示を阻止しようとして会合するのは分派活動という主張が成り立つ前提は、「会長の指示が、御書と三代会長の指導に照らして、間違いなく正しいものである」ことです。
反対に、会長の指示が御書と三代会長の指導と異なっているにもかかわらず、
関係者の再三の指摘にも耳を貸さず、強行するのであれば、それこそ大切な多くの会員を自らの「仏法違背の道」に巻き込み、道連れにしていく「分派活動」に他なりません。そうではないでしょうか。
こうした「分派活動」を阻止することは、真の仏弟子の使命であります。
大聖人は重々誡められています。
「若し善比丘あって法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せざれば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり 若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」
今回行われようとした教義改変は明らかな誤りです。こうした暴挙の阻止のため、同憂の士が集まることは、御言に照らし、道理に照らして、正義であります。
反対に、その戦いを避けるならば、御本仏から「仏法の中の怨」との責めを被ること必定です。
実際、私どもが阻止のために行動しなければ、性急な意図が「実現」し、結果的に、池田先生のお考えに反する結果になったのではないでしょうか。私ども
の行動の「おかげで」、先生に違背せずにすんだのではないのでしょうか。
そうした行動を「処分」するということは、いついかなるときも「池田先生が基準」という原則と完全に矛盾するのではないでしょうか。それとも、その基準自体が間違いなのでしょうか。
学会の原理原則にかかわるこの問いに答えず、沈黙したまま、「処分」を強行されるのであれば、それは会長みずから率先して「師弟の道から逸脱している」
姿ではないでしょうか。それ自体が、私どもの行動の正しさを強く「裏づけ」「実証」してくださることになるのではないかと考えます。
良識ある多くの方も、そう考えるほかないと賛同されると信じます。
これは将来にわたっても十分、起こりうる事態でありますから、会長御自身にも明確に答えていただきたいのです。日興上人が先々の未来まで考えられて、遺誡を残されたように。
すなわち「時の会長が、誤れる行動をしようとしている時でも、会長の意図を阻止する行動をした者は、それだけで分派活動であり、処分の対象になる」と主張されるのでしょうか。
主張の「内容にかかわらず」会長の意向に沿わない者は処分する――これで
は、「会長無謬説」「会長独裁制」であると認めていることになります。
「会長は無謬ではない」のであれば、「会長の行為は誤っているのではない
か」という主張の「内容」を吟味するのが当然ではないでしょうか。
この点、いかがお考えでしょうか。
二転三転する御主張の真意はどこにあるのでしょうか。
昨年9月20日、長谷川本部長は、教義改変の画策に関して「池田先生は大
御本尊と決別するなどとは言っていない」「会長は嘘をついている」「御本尊では宗門と決別できない」「急いでやる必要など全くない」と、会長を厳しい口調で批判されました。まさに「切って捨てる」ような口調であり、表情であられました。
にもかかわらず、この6月4日に対面した際には、谷川総長の「池田先生は大御本尊との決別を大前提とされていた」「大御本尊との決別は先生の意志であった」と言う主張に賛同し、宮地作成の文書についても「内容が全くの虚偽だ」という態度を表明されました。
その上、「『原田会長が嘘をついている』などということは私は絶対に言わない」と昨年9月20日の発言を否定され、その点に関する記録を当方が読み上げると、今度は更に変わって「『池田先生が決着を付けると御指導された』と会長が言うなら、会長は嘘をついているということだ」と、あわてて前言を翻されました。
更に7月10日には、中央会議(昨年10月3日)における方面長の発言内容【注*02】について「『皆やはり方面長だな、大変しっかりしているな』と受け止めた」等と肯定的に評価されています。もし大御本尊との決別が最初から先生の御意思であったならば、このような肯定的評価など出てくるはずがないのではないでしょうか。
また、つい1カ月半前(6月4日)には「内容の問題が大事だ」と述べておられたにもかかわらず、今回(7月10日)は「内容はともかく」と何度も何度も繰り返しておられました。
ことは、大御本尊にかかわり、学会の将来にかかわり、池田先生にかかわる
大事です。長年、池田先生に仕えてこられた本部長が、先生の御指示につい
て180度異なる主張をなされる真意は、どこにあるのでしょうか。
おそらく、凡愚の私などには、とうてい理解できない甚深の意味があるのだと思いますが、ぜひとも御教示願いたく、お願い申し上げます。
【注*02:教学部レポートによると原田会長の説明に疑問を呈するものだった】
「これは先生の明確な御指示」という言は真実なのでしょうか 11
このように、問題の要点は「振出し」に戻ります。
「池田先生は、大御本尊との決別を大前提とされていた」のか否か?
「今、大御本尊と決別することが先生の明確な御意思であった」のか否か?
この「内容」こそが、最重要のポイントです。これによって、皆様と私どもの行動の黒白は180度反転します。
昨年の9月19日、大山室長は証言しておられます。
「先生は全くそんなことを言われていない」「会長もそんな指導受けていない」
「会長も先生の前で『いろいろな意見がありますので、慎重の上に慎重に進めます』そう言っていた。確かに『慎重に進めます』とは言ってた。あわてて事を進めるなんて、そんなこと言ってないよ。一切。言うわけない]「こんなやり方をしてたら、学会の信心も崩れてしまう。教学も崩れてしまう」
更に池田副理事長も「せっかく、総本部ができて、お祝いなのに。お祝いの
時にやる必要などない。何で、今やるなんてなったのか」等と繰り返し言われています。
また谷川総長は、我々との打ち合わせの際、弘安2年の大御本尊に対する
秋谷議長の執着が招いた混乱だと率直に吐露しておられます。
「秋谷議長は、結構恐ろしいけど、板御本尊に結びついていく論理とか感覚
がしみこんでいるんだ。だから『やっぱり学会常住御本尊も広宣流布の大御本尊にした方がいいじゃないか』となるんです。結局、抜け出よう抜け出ようと言っている人たちの命にすごく深く入っているわけですよ」
「やっぱり秋谷議長の中に弘安2年の大御本尊が、すごく深く入っている。深く入っているがゆえに、抜かなきゃならないという意識がすごく強い。抜く方に関心が行って、今回何をしなければならないかということが、むしろ後になってしまう。それで議論の混乱を招いている。会長は説明したらかなり速く分かりました。
秋谷議長は分からない」
なにより池田先生御自身が「そこまでする必要があるのか。今は事件を起こしていくというのは小さい考え方だ。もう少し流れの様子を見ていきなさい」と明快に裁定を下されています。この師匠の言葉まで、自分たち都合のいいように捻じ曲げることは許されるのでしょうか。
要するに、この最重要のポイントについては、かつて長谷川本部長みずから
断じられたように「会長は嘘をついている」、あるいは私が推測した通り「会長は誤解しておられる」のではないでしょうか。
「そうではない」と言われるのであれば、具体的に「何年何月何日の何時ごろ、どこで、だれの立会いのもとで、どのようなご指導があったのか」を会長から明示していただければ幸いです。
それをなされないのであれば、邪推するわけではありませんが、そういう明確な御指導は「なかった」からこそ、内容に踏み込むことを、あれほど忌避されたのではないのでしょうか。「内容」を検討すれば、先生と会長との齟齬が明白になってしまう――そのことを恐怖されたのでなければ幸いです。
そうではないと言われるのであれば、「内容」について、具体的に反駁していただきたく、お願い申し上げます。ことは御本尊と先生にかかわる根本事です。
誤れる「内容」に執着していれば、誰人であれ、堕地獄は間違いありません。ゆえに、私の誤りをも大慈悲をもって、御教導願いたく、伏してお願いするもので
す。
「内容」だけでなく「形式」面でも逸脱していないでしょうか
「内容次第」であることはご理解願えたと思います。
でもなお、内容よりも形式が大事であると言われるなら、教えていただきたいことがございます。
そもそも今回の教義改変の画策は、当会の意思決定のルールから逸脱した
ものではないでしょうか。
第1に、学会の未来を決する重要事でありながら、永遠の指導者である池田先生に、最終盤に至るまで、決裁を仰ぐ「報告書」すら提出していない。
第2に、執行部の合議を経ずに、独断専行的に決めようとした。
第3に、小委員会を推進派で固め、密室で協議を進めた。
第4に、教学部に対し、従来の教学とまったく整合性のとれない教義改変を強要した。
第5に、その際、「恫喝」まがいの荒々しい言動が繰り返された。
(先日、お答えいただけなかったので、再度、記させていただきますが、昨年9月以来、会議や尋問など全てが強権的、強圧的に行われてまいりました。私のコンピューターと携帯電話も一方的に取りげられました。著しい人権蹂躙であります。再三、不当性を訴えたにもかかわらず、今に至るまで一言の返答すらありません。これは法的見地からも明らかなパワーハラスメント行為です。また、谷川総長の毎回毎回の言動も常軌を逸した強権的なものでした。全て記録に残してあります)
第6に、全てが池田先生の御意思であるかのように印象づけ、日本とSGI各国の首脳たちの意見を出しにくくさせた。
第7に、責任役員会の際、事前に根回しした一部の人間に示威的な言動をさせるなどの不明朗な策略を巡らした。九州の山本氏、北海道の浜名氏から直接うかがっています。
これらがルールの逸脱でなくてなんでありましようか。
内容から言っても、形式から言っても、道理を逸脱した異常な画策と言われ
ても仕方のない実態だったのではないでしょうか。それを実行された方々に、それを阻止しようとした人を裁く資格がおありだとお考えでしょうか。
「そんな理屈は関係ない」と、今後も態度で示されるのであれば、それは、実態的に「会長独裁制」であり、「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」との御本仏の教えを無にする強権主義ではないかと愚考いたします。
もとより私は自分が処分されることなど恐れてはおりません。むしろ「誉れ」と思っております。しかし、こうした職権乱用が横行すれば、仏意仏勅の和合僧団は崩れ去ってしまいます。私は、そのことを恐れるのです。御本仏日蓮大聖人のお怒りを、また不惜身命で学会を護ってこられた三代会長ならびに真面目な会員の悲しみを恐れるのです。
ちなみに、宮地に関しては、皆様の言われる「分派活動」なるものにはまったく関与しておりませんので、教学室でこれまで以上に活躍してくれることを私は信じ、期待しております。
彼は将来の学会にとって不可欠の大人材であり、彼が活躍しなければ教学
の振興は実質的に不可能になってしまいます。これは、私見のみならず、衆目の一致するところです。
また先生の指導選集の連載も、毎回毎回、世界各国と連携を取りながら細心
の配慮をもって進めておりますので、万が一にも彼が外されるようなことがあれば、連載が立ち行かなくなるか、致命的な失敗が起こることは必至です。
先生にとっても、会員にとってもマイナス価値でしかないこうした結果を招きよせてよいという資格は誰にもないと信じます。
そもそも、彼は「御書と池田先生を基準」に正義感をもって行動しただけであり、あの文書【注*03】も、その一環として作成したものです。そして、皆様の御主張のように、文書を彼のそうした意図と異なるかたちで利用しようとする人間が存在したと「仮定」したとしても、それは彼のまったくあずかりしらぬことであり、こういうかたちで文書が問題視されることで、むしろ迷惑をこうむっている被害者であります。
私も65歳になろうとしています。もはや地位も立場も何も惜しくはありません。
むしろ「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」との法華経の経文を、かつてない実感をもって拝せることに無上の喜びを感じております。
憂えるのは、ただ学会の将来であり、「池田先生第一」で生きている真面目な後輩たちの活躍の道を閉ざしたくないという一心で、申し上げました。その真情に免じて、数々の無礼の言、ご容赦を賜りますように。そして、大慈大悲をもってこれらの疑問に答えてくださいますよう、重ねてお願い申し上げます。

2014 年 7 月 17 日 遠藤 拝
これ常識 2015/03/16(Mon)16:28:58 編集
» 紹介
百花繚乱 http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/

言霊百神 http://futomani.jp/
Ino 2015/03/16(Mon)23:00:41 編集
» 無題
全国の主要都市において、創価学会の悪行、犯罪が知れ渡ってる日常です

裁判所の対応もそれに沿ったものだと感じました!

悲しいし、司法はずるいです
こういった時間があるなら、悲惨な暮らしになっている訴訟待ちのこういった人を、裁判所は救う必要がありますとこの場を借りて言いたいです




匿名 2015/03/18(Wed)20:22:05 編集
» ≪ここで頑張れるか崖っぷちの公明党≫
≪ここで頑張れるか崖っぷちの公明党≫

※「安倍総理の暴走を自民党内部で止めるることはできない。」、「戦前の体制に戻りつつある。」と元自民党・衆議院議長氏であった河野洋平氏が、今朝3月22日の番組で発言されていました。また、元自民党の幹事長の山崎拓氏と古賀誠氏も、週刊朝日の3月6日号で「戦前の軍国主義に回帰しつつある。」との発言をされています。さらに、「天皇陛下は≪平和憲法を守っていくことが国際貢献である≫とお思いであるのに対し、≪憲法も歴史認識も変えることが国際貢献である≫との考えの安倍総理とは対照的である。」と、天皇陛下のご学友であるジャーナリストの橋本明氏は発言されています。まさに、「戦後レジュームからの脱却」を高らかに謳い「戦前レジュームヘの回帰」に驀進中の安倍総理は、まさに東条英機の亡霊が現代版の姿で乗り移っている状態ですね。

 マスメディアも、産経・読売・フジテレビ(安倍総理の甥が昨年入社)を中心にまさに戦時中の大本営発表の様相です。今回はアメリカに敵対してではなく、アメリカと一緒である点が違いますが、アメリカの戦争はアメリカの軍需複合産業体の仕業と思われる戦争で、ベトナム戦争・イラク戦争とか間違った戦争が多いのは周知の事実です。そのような戦争にも喜んで参加したいんですよね!!安倍総理!!太平洋戦争で広島・長崎の原爆を含め、300万人もの日本人の犠牲を払い、戦後70年でかけて営営と築き上げてきた≪平和国家=日本≫という世界中の民族・人種を超えての日本の国家像を壊しつつあるのですよ!!山崎拓氏は「首相はタブーを破る快感と名誉心でやっている。」とも発言されています。日本の歴史には、世界に知れ渡った、戦後70年もの≪平和国家=日本の姿≫をぶち壊した人物=安倍晋三として、名誉あるその名は間違いなく後世に残っていくことでしょう。

※マスメディアの権力監視機能の形骸化だけでなく、検察も、政治と金の問題を見ても一目瞭然、安倍政権に対しては、おお甘状態と化しています。

※「安倍総理の暴走を自民党内部で止めるることはできない」したがって、「公明党に期待したいが・・・」とも河野氏は発言されました。「新安保体制上の規制も不明瞭なところが多く、あまり期待できないでしょう。」とのこと。

※平和主義=公明党の存亡がかかっていますぞ!!ここで、創価学会の多くの信者の信念を裏切らないためには、自民との連立の解消を宣言して、さすが平和の党だとの大英断をすべきところでしょう。そうできないとしたら、池田大作先生に「自民党の新安保体制に賛成します。」との明確な声明を出させるか。そうすれば、創価学会の多くの信者の入り混じった思惑も払拭でき、また長年のコバンザメ状態から脱却できると思いますが。


◎私は無宗教ですが、遠藤文書の≪学会は「池田先生が基準」ではなく「会長が基準≫なのでしょうか≫とし、日蓮の言葉を引用しながらも、≪結局は永遠の指導者である池田先生≫に帰結する文面を読みました。創価学会内部のマインドコントロールの根深さを、ただ、ただ痛感するしかありません。かつて池田大作氏は≪自分は日蓮を超えている≫と発言したとのコメントがここに掲載されたことがありますが、YOUTUBEの池田大作氏の驚くべき破廉恥な映像https://www.youtube.com/watch?v=JDGyNtprjzQ(アメリカSGI&関西合同総会)を見るにつけ、創価学会には実態を知らない多くの信者がいるだけに、なおさら罪深き宗教団体だなという感を強くします。


◎今回、安倍総理の暴走の傲慢さとそれに追随する公明党の姿を検証してみました。
≪安倍総理の傲慢その4=戦後70年、自民党重鎮、発言≫≪安倍総理の傲慢その5=原発問題≫≫≪安倍総理の傲慢その6=沖縄問題≫は次回にします。

◎≪安倍総理の傲慢その1=天皇陛下軽視の態度≫(戦後70年に向け)
週刊現代の3月14日号で、天皇陛下の学友でジャーナリストである橋本明氏は次のように発言されています。
「お立場上、天皇陛下がご自身の思いを口にされることは少ないのですが、平和に対する考え方が陛下と総理で大きく異なるのです。政府と皇室の関係は今、とても危険な状態にあるといえます」「天皇陛下には『日本の憲法は、アメリカの知識人の力も借りて作った遺産である』というお考えがあります。そして、それを守ることこそ国際貢献になるという信念を昔から持っておられる。ところが、一方安倍総理は,改憲に邁進し、『積極的平和主義』を唱えて海外に自衛隊を派遣することを、国際貢献と考えている。」天皇皇后陛下は「元気なうちに太平洋戦争で戦地となった海外の地域をできる限り訪れ、戦没者を慰霊したい」という意向から、この4月にはパラオ共和国・ペリリュー島を訪問される予定だとのこと。
 
※とにかく「憲法も歴史認識も全部変える」と息巻く安倍総理と「先ずは戦争の犠牲者に向き合わねば」という天皇陛下の思いは実に対照的だ、と橋本氏はおっしゃっています。安倍総理の傲慢さは、安倍総理の意向で公共放送であるはずのNHK放送が、天皇陛下のお言葉の重要部分を意図的に削除して放映した案件でも明らかです。戦後70年の節目を迎えるにあたり、天皇陛下の平和へのご意向と、それとは対照的な安倍総理と、それに追随する平和主義の党を自称する公明党の姿勢を、しっかりと見極める必要がありそうです。その事案は。次の通りです。

●2013年12月23日。この日、天皇陛下は80歳の傘寿を迎え、天皇の「お言葉」がマスコミに配布されました。「お言葉」は同日各メディアによっていっせいに報じられたが、重要部分を“意図的に”カットしたメディアがあった。それが公共放送局のNHKです。 削除された天皇の「お言葉」の該当部分は以下のようなくだりです、(再掲載)

≪天皇のお言葉≫
 「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」(そのまま)

 ●現状の平和と民主主義、そして憲法を「守るべき大切なもの」とした護憲発言であり、さらには憲法を作った主語を「日本」とし「知日派の米国人の協力も忘れてはならない」と加えるなど、「連合国からの押しつけ憲法論」への反論ともとれる発言でした。しかし、NHKはこの部分だけをカットし、一切報じることはなかったのです。この安倍政権の公共放送の政権放送局化は、さらに、問題だらけの籾井体制のNHKで進化し“安倍ちゃん放送局”になっていきます。


◎≪安倍総理の傲慢その2=日本の世界の報道の自由度は61位≫
※これは世界のメディアは日本を自由民主主義の国とはみなしていないということを意味します。
●今年2015年の世界の報道の自由度ランキングにおいて、日本は世界の第61位と発表されました。この悲惨な結果は日本のマスコミ自ら招いた結果であり、また自らの存在意義の否定になるだけに、どのマスコミも報道しません。今の傲慢な安倍政権では当然でしょうが、日本は先進国といわれる国々の中ではダントツの最下位です。日本の前後はいわゆる後進国や発展途上国だけです、因みに50位コロモ51位台湾52位ルーマニア53位ハイチ54位モンゴル55位モーリタニア56位パプアニューギニア57位アルゼンチン58位クロアチア59位マラウイ60位韓国61位日本62位ガイアナ63位ドミニカで、アパルトヘイトの差別国だった南アフリカすら日本よりずいぶん上位で39位です。

※現在、安倍政権は情報操作で安倍ちゃん放送局と化した籾井NHKだけでなく、大手テレビ・新聞などマスメディアの会長・社長を懐柔して現場に圧力をかけ、さらになんと、安倍政権を%8
福島原発の隣人 2015/03/22(Sun)15:41:35 編集
» ≪途中できれました。続きです≫
※現在、安倍政権は情報操作で安倍ちゃん放送局と化した籾井NHKだけでなく、大手テレビ・新聞などマスメディアの会長・社長を懐柔して現場に圧力をかけ、さらになんと、安倍政権を批判した記者を探しだすという“魔女狩り”さながらのことさえ行っているといわれます。日本の報道自由度世界ランキング61位は、まさに世界の目は、日本を表現の自由が保障された民主主義の国とは見ていないことを意味します。自由・民主党の看板は安倍総理のおかげで偽りになってしまいました。自民党の重鎮である山崎拓氏・古賀誠氏によると(週刊朝日3月6日号)、自民党内の発言すら、安倍総理の意向に迎合し、反対できないような雰囲気だそうです。
先進国欧米のメディアは、メディア最大の役割は「権力に対するチェック」にあるという原則に従って、現職の大統領や首相と個人的ともいえる接触を自主的に避け、報道の公平・公正を保つという姿勢があります。それとは対照的に、日本のマスメディアの会長・社長のようにメディアの本分を忘れ、総理の飼い犬のようについて回るような日本の報道は、まさしく欧米先進国の笑いものでしょう。とても民主主義国におけるメディアの有り様ではありません。


(閑話休題)
※先日の国会で、根拠のない野次を飛ばし委員長からも注意を受けながら、その後も侘びれた風もなくニヤニヤしているという有様は、一国の総理としての品性を全く欠くもので、まさに日本国民の恥さらしです。その後も陳謝を求められても、何度も遺憾・遺憾と上から目線の発言を繰り返すのみで、全く反省のかけらもなし!!もし、オバマ大統領がそんな態度を採ったとしたら、まさしく国中で非難の嵐でしょう。他方、安倍総理は、国会での絶対多数の勢力からの傲慢さと大手新聞・TVを情報操作している安心感もあり、それほどまでに勝手気ままな態度がとれるのです。安倍総理の答弁中は「今、私が話しているのです、野次は止めてください」と言いながら、安倍総理自身は、若手議員だった頃から先頭に立って野次を飛ばしていた張本人です。総理になってからもツイ、本性が出たわけですが、それはまさにオバマ大統領と比較できるようなレベルでは全くありませんね。安倍総理の祖父岸信介以来の念願である、アメリカと対等に立ちたいという気持ちはよーく、よーく理解できますが、人格も・・・・!!だからですね。そのようなミッションはインポッシブルでしょう。

※2チャンネルを毎日確認しているという噂がある安倍総理の、ニヤニヤ発言はネット右翼(ネトウヨ)から賞賛されているみたいです。天皇制謳歌の君が代を歌えとの主張よりも、安倍総理は天皇を軽視するなと主張する方が遥かに重大だと思うんですが。


◎≪安倍総理の傲慢その3=後藤さん殺害に対する安倍首相の対応の検証≫
●安倍首相は「邦人の人命の救助のため全力を尽くす」と甲高い声で繰り返し叫んでいました。しかし、その発言は安倍総理の全くの大嘘で、最初から後藤さんを救う気はなかったとしか考えられません。何故なら、そもそもイスラム国によって拉致監禁された外国人の解放には絶対のルールがあって、それは、身代金が払われれば必ず解放され、支払われなければ必ず殺害するというものです。フランスはアメリカの空爆有志連合国であり、テロリストとは交渉しないという原則を挙げながらも、裏で身代金を払い自国民であるフランス人解放に成功したことが判明しています。またトルコ人の解放も身代金が払われています。そのように裏で身代金が払われたと見られる15人は全員が解放されているのです。ここでは、イスラム国の絶対のルールをしっかりと銘記することが重要です。身代金が支払われなければ人質は必ず殺害されるのです。トルコ・フランスはそれを承知していたからこそ、自国民の人命を優先したのです。

●他方、日本の安倍総理は、後藤さん殺害の1ヶ月以上前の、12月24日に外務省の職員に後藤さんの奥さんを訪問させ、テロリストとは交渉しないこと、また身代金の要求は拒否する旨を後藤さんの奥さんに伝えました。この事実は大変重要です!!このことはイスラム国の絶対のルールからすれば、後藤さんの殺害を、この時点で、安倍総理が承認したことを意味するのです!!
 したがって、後藤さんの奥さんへのメールを利用してイスラム国と連絡交渉を全くしなかったことも、安倍総理が後藤さんの殺害を了承していたと考えると当然だったと理解できます。

※安倍総理がそのように後藤さんの殺害を了承していたとなれば、後藤さんの奥さんへのメールを利用しなかったことに加え、以下のような安倍総理の後藤さん救助に対する姿勢や、後藤さん拘束を知りつつ、イスラム国の面前での「イスラム国と戦う国へ支援する」という勇ましい声明もすべて辻褄が合ってきます。

≪安倍総理の邦人救助への姿勢≫

①イスラム教の学者中田氏やジャーナリストの常岡氏がイスラム国の司令官と人質解放の交渉の途中で帰国した際に、警察から私戦予備・陰謀容疑で家宅捜査を受けたため、人質救出のための再渡航はできませんでした。外務省は中田氏や常岡氏に「イスラム国とのルートがあることは十分に知っていながら、そのルートを利用するどころか、妨害までしたのです。」(常岡氏の発言)

②また新右翼団体の≪一水会≫の木村三浩代表は、スペイン人ジャーナリスト2人の解放に成功した実績があり、イスラム国との窓口となる人物と接触したが、その人物への日本政府からの接触はななかった、日本政府は独自の交渉ルートの模索の努力を怠った、と発言されています。

③自民党元幹事長の山崎拓氏は、「現地対策本部は、トルコに置くべきでシリアから逃げて来た役に立たない大使館があるヨルダンに置くべきではなかった」と発言されています。「ヨルダンは隣国のイスラム国を空爆している国」で、イスラム国が交渉をするとは全く思えない国=ヨルダンに、日本の現地対策本部を移したのです。しかも、交渉はイスラム国が敵国としているヨルダン任せきりという状況を日本政府が容認したのです。

※ここでも、安倍総理の人質救出の意欲なしの態度が明らかです。トルコに対策本部を置くことはトルコの身代金に応じての救出に賛同することを意味します。したがって、アメリカの意向だけを金科玉条にし、しかも後藤さん殺害はすでに了承している安倍総理としては、トルコはとり得ない選択であり、空爆に参加しているヨルダンに置かれた、何もできない、何もしない現地対策本部は当然の選択だったわけです。

④後藤さんがイスラム国に拘束されているのを知りながら、イスラム国と戦う国々への支援を、中東の国々の最大の敵国であるイスラエルで発表すると、後藤さんがどうなるかは分かっていたはずです。テロリストとは交渉しない・身代金払わないと言っている以上、安倍総理のイスラム国に戦う国々への支援の表明は、そもそも、国際貢献=テロとの戦いを大々的にアピールする安倍流パーフォーマンスであり、後藤さんの殺害を確実にしただけでなく、殺害をさらに早めるものでした。

※安倍総理の「あらゆるルートで人質解放に全力を尽くす」と繰り返される発言は、最初から全くの嘘で、後藤さんの殺害を承知の上で行った、安倍流パーフォーマンスだったと言えます。安倍総理は、中東歴訪直前に「フランスのテロ事件でイスラム国がクローズアップされている時に、ちょうど中東に行けるのだから、オレはツイている、世界が安倍を頼りにしているということじゃないか」と嬉しそうに語っていた、との官邸関係者の証言が安倍総理の、邦人の人命救助への姿勢をはっきりと表わしています。

※「テロと交渉しない」と表明している有志連合参加国でもあるフランスは「テロと交渉しない」と「人命救助」とは別の論理であるとして人命救助を優先的に考えました。フランスは裏で人質交渉をしてフランス人を解放したのです。安倍総理の邦人の生命を守るという意識は、総理の「あらゆるルートで人質解放に全力を尽くす」との発言とは裏腹に、全く欠如しているのです。「アメリカが『テロと交渉するな』といっているから、それに従いました」との安倍総理の論理は、日本国民を本当には守れない総理の意味しかありません。自己責任で済むならば、政府も外務省も不要です。

※今回の安倍総理の外交の失態を糾弾しているのは、ほぼ週刊誌とネットだけで、大手新聞社・TVは「政府を批判するものはテロに加担するもの」と繰り返す安倍総理の破綻極める論理に従い、頻繁な安倍総理による懐柔・圧力・恫喝によって飼い犬と成り下がって、その結果として、安部総理の交渉失敗の責任を隠すキャンペーンを大々的に、産経・読売・フジテレビを先頭に張る始末でした。さらに批判した記者の“魔女狩り”があることも先に述べた通りです。(その結果が報道自由度世界ランキング61位です。)

※公明党=創価学会は安倍総理の今回の安倍総理の外交の失態をどう捉えたのでしょうか?公明党新聞・聖教新聞はどんな対応をしたのでしょう?
福島原発の隣人 2015/03/22(Sun)16:19:13 編集
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大学教員
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大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
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