忍者ブログ
「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」
  ご紹介するのが大変遅くなってしまいましたが、創価学会池田カルト一派の訴訟代理人達から送付されて来た求釈明の申立書(創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その31参照)に対する釈明の準備書面を掲載致します。
 
                記
 
平成23年(ワ)第413号 損害賠償請求事件
準 備 書 面 ⑹
 
原告 髙倉良一
 
被告 原田 稔
                       外3名
 
平成23年9月1日
 
                  原告訴訟代理人
弁護士 生田暉雄
 
 
東 京 地 方 裁 判 所  御 中
 
 
被告佐々木の訴訟代理人の求釈明に対する釈明
 
                 記
 
第1、求釈明1について
 
 1、⑴⑵「介して出席」について等 について
    佐々木は東京の創価学会本部には出席していないという趣旨である。
 
 2、⑶ 四国の創価学会幹部も東京の本部には出席していない。
 
 3、⑷ 四国の幹部とは
    高橋慎吾四国長である。
 
 4、⑸ 四国の幹部と佐々木の面談
    立証の問題で、釈明事項ではない。
 
 5、日記について
    佐々木は、日記は読んでいない。
 
 
第2、求釈明2について
 
⑴について
  その通りである。
 
⑵ア~ウについて
  その通りである。
 
⑶エについて
  立証の問題である。
 
以上
 
平成23年(ワ)第413号 損害賠償請求事件
準 備 書 面 ⑺
 
原告  髙倉良一
 
被告  原田 稔
外3名
 
平成23年9月1日
 
                  原告訴訟代理人
弁護士   生田暉雄
 
 
東 京 地 方 裁 判 所  御 中
 
 
被告原田らの訴訟代理人による求釈明に対する釈明
 
                 記
 
第1、求釈明1について
 
 ⑴ 和田の査問について
 
  ア、被告原田、同山本が、2008年2月14日創価学会本部で、和田公雄を査問。
    査問の内容は、原告が創価学会の内部事情を漏洩しているのではないか。その黒幕が和田ではないか。原告と元公明党参議福本との関連について、和田の知るところを述べよ、というものである。
 
   (ア)(イ)(ウ) 被告原田、同山本が査問したということである。被告田村は、被告原田、同山本が和田を査問することを、2008年2月11日創価学会本部で、被告原田、同山本と共謀した。
 
  イ、和田に対する査問の目的は、準備書面⑸の4頁 ⑵殺人予告、拉致未遂、強迫、強要の①で述べている通りである。
 
 ⑵ 拉致未遂について
 
拉致は、池田大作名誉会長、被告原田、同山本、同田村の、2008年2月12日の創価学会本部における共謀により、和田に2008年2月23日に待ち合わさせ、待合せ場所に来た原告を、創価学会公宣部の職員多数に拉致させる計画であったが、原告が事前に察知して、待ち合わせ場所に行かなかったので、未遂に終わった。
 
 
第2、求釈明2について
 
 ⑴ 創価学会主導による離婚訴訟について
   甲第21ないし25号証のとおりである。
 
以上
 
平成23年(ワ)第413号 損害賠償請求事件
準 備 書 面 ⑻
 
原告 髙倉良一
 
 被告 原田 稔
外3名
 
平成23年9月1日
 
                  原告訴訟代理人
弁護士   生田暉雄
 
 
東 京 地 方 裁 判 所  御 中
 
 
準備書面(7)の訂正申立
 
                 記
 
1、平成23年9月1日付 準備書面(7)の2頁6行目を、下記のとおり訂正する。
 
    誤 : 「創価学会公宣部の職員」
    正 : 「創価学会広宣部の職員」
 
以上

banner_21.gif
 ブログランキングに参加しています

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
PR
  ご紹介が遅くなりましたが、当事者照会に対する回答と、裁判期日の変更通知を掲載致します。
 
 前回の当事者照会は、相手方に9月15日に送付しました。その際、回答期限を9月29日と指定しましたが、その回答は9月27日に届きました。
 
今回は、10月14日に、相手方に当事者照会を送付しました。その際、回答期限を10月28日と指定しました。すると、その4日後の10月18日に回答がありました。
 
前回は、回答まで12日間かかりました。しかし、今回は、わずか4日後の回答でした。
 
 つぎに、創価学会を訴えた裁判は、11月18日から11月15日に変更されました。11月18日は、創価学会の創立記念日です。当初の予定が、なぜ変更されたのでしょうか。不思議なことです。
 
 ところで、11月2日に、高松家庭裁判所で、妻から私に対する離婚請求訴訟の判決が下されました。
 
この裁判を担当した今村和彦裁判官は、妻からの離婚請求を認め、子ども達の親権者を妻とするとともに、財産分与と養育費の支払いを命じました。妻からは、私に対して500万円の慰謝料請求もなされていましたが、慰謝料請求は一切認めないものでした。
 
私の訴訟代理人である生田暉雄弁護士は、今村裁判官の判決は、相手方の訴状を丸写しにしたような判決であり、論評に値しないと言われました。
 
確かに、生田弁護士が指摘されたように、相手方の主張と、こちらの主張を詳細に検討した結果の判断ではありませんでした。将来、このブログに、判決の詳細な分析を掲載する予定です。
 
なお、この離婚裁判については、高松高等裁判所に控訴する手続きを生田弁護士に依頼しました。
 
              記
 
東京地方裁判所 平成23年(ワ)第29303号損害賠償請求事件
東京地方裁判所 平成23年(ワ)第31387号損害賠償請求事件
原告 髙倉良一
被告 池田大作、創価学会
 
     当事者照会(1)(2)に対する回答書
 
                 平成23年10月18日
 
原告訴訟代理人弁護士 生田 輝雄 先生
 
      住所 略
                新麹町法律事務所
      電話 略
      FAX 略
 
        被告訴訟代理人弁護士   福島 啓充
        被告訴訟代理人弁護士   宮山 雅行
        被告訴訟代理人弁護士   井田 吉則
        被告訴訟代理人弁護士   石田 廣行
 
第1 当事者照会書(1)について
1.照会事項1ないし4について
本件訴訟の審理と何ら関連性を有せず、回答の要をみないと考えます。
 
2.照会事項5について
(1)照会事項(1)(2)の事実はありません。
(3)ママ 照会事項(3)は、いずれも創価学会とは全く無関係なことです。
 
第2 当事者照会書(2)について
本件訴訟の審理と何ら関連性を有せず、回答の要をみないと考えます。
以上
               記
 
事件番号 平成23年(ワ)第31387号
損害賠償請求事件
原告 髙倉良一
被告 創価学会
 
        事務連絡(ファクシミリ用)
                   平成23年10月18日
原告代理人 生田暉雄様
 
FAX番号 略
      住所 略
           東京地方裁判所民事部第43合議A係
             裁判所書記官 水 出 芳 春
                  電話 略
                  FAX 略
 
頭書の事件について、先に指定した下記の期日が取り消されましたので、通知します。
            記
期日 平成23年11月18日午後1時15分
口頭弁論期日
場所 526号法廷(5階)
                           以上
 
banner_21.gif
 ブログランキングに参加しています

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
  「創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ」37、38、39にコメントを投稿された、あほか様、ブタ作様 、kan様、クロ様、もも(ら) 様、くくな様、愉快な創価学会様、読者様、通行びと様、元学会2世様、ちゅらら様、通りすがり様、遠い場所からの支援者様、瀬戸プログの帰り道様、知盛13号様、北斗七星様に対して、心より厚く御礼申し上げます。
 
現在、皆様方に対して、個別に御礼のコメントを差し上げる余裕がありません。大変心苦しく感じておりますが、ご理解の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
 
おかげさまで、私は元気一杯です。これも皆、このブログをご覧になり、私を激励して下さる方々のおかげであると感じています。本当にありがとうございます。
 
今回掲載致しますのは、創価学会に対する訴状と当事者照会、ならびに、創価学会名誉会長池田大作氏に対する二回目の当事者照会です。
 
池田氏に対する二回目の当事者照会を読んだ際に、私は、生田先生に対して「最初の当事者照会と同じではありませんか。」と申し上げました。すると、生田先生は「良く読んで下さい。」と言われました。
 
その違いに気付いた私は、大笑いしました。そして、生田先生は天才だと改めて痛感させられました。池田氏に対する最初の当事者照会と、今回の当事者照会の違いにご注目下さい。
 
また、創価学会に対する当事者照会についても、思わず、爆笑するような記載がありました。どのような返答がなされるかが楽しみです。
 
ところで、池田氏に対する裁判の期日は、平成23年11月15日午前10時30分です。創価学会に対する裁判の期日は、平成23年11月18日午後1時15分です。
 
11月18日は、創価学会の創立記念日です。この日に、創価学会に対する裁判が行われることになるとは予想もしませんでした。時の符号とは、本当に不思議なものです。
 
             記
 
訴 状
 
 
 
住所略
原 告   髙  倉  良  一
 
住所略
(送達場所)
原告訴訟代理人
弁 護 士  生  田  暉  雄
TEL 略
FAX 略
 
 
住所略
被 告   創 価 学 会
代表者 代表役員 正 木 正 明
 
 
損 害 賠 償 請 求 事 件
 
訴訟物の価額  金10,000,000円
貼用印紙額       金50,000円
 
 
第1、請求の趣旨
 
1、被告は、原告に対し、金1,000万円及びこれに対する平成20年2月24日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 
2、訴訟費用は被告の負担とする。
 
との判決並びに第1項に対する仮執行宣言を求める。
 
第2、請求原因
 
1、被告は、昭和27年9月8日宗教法人として成立された法人である(甲第1号証)。
 
 2、宗教法人法第11条によると「1項では、宗教法人は、代表役員その他の代表者がその職務を行うにつき第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。2項では、宗教法人の目的の範囲外の行為により第三者に損害を加えたときは、その行為をした代表役員その他の代表者及びその事項の決議に賛成した責任役員、その代務者又は仮責任役員は、連帯してその損害を賠償する責任を負う。」(甲第2,3,4号証)。
 
 3、創価学会の代表役員その他の代表者である第三代会長・名誉会長池田大作及び創価学会会長原田稔は、原告に以下のとおり損害を与えた。
 
⑴ 第三代会長・名誉会長池田大作は、原告に別紙㈠の不法行為を加え、原告に同別紙㈠の損害を加えたことにより、原告は別紙㈠のとおり、池田大作に対して訴訟を提起している。
 
⑵ 創価学会会長原田稔は、原告に、別紙㈡の不法行為を加え、原告に、同別紙㈡の損害を与えたことにより、原告は別紙㈡のとおり、原田稔等に対して訴訟を提起している。
 
 4、原告の受けた損害の詳細は以下のとおりである。
 
  ⑴ 熱心な創価学会員の夫婦である原告ら夫婦間において、平成9年から年間少なくとも100万円を下らない寄付(創価学会では財務という)をしようと夫婦で決意していた。
平成9年から平成18年まで夫婦は9年間に1000万円以上の寄付をしている。
 
⑵ しかしながら原告において、創価学会が池田カルト化していることに、平成15年頃から次第に疑問を抱き始めた。
 
⑶ 原告は妻に創価学会の問題点を指摘して、どう対処すべきか相談するも、創価学会を信じ切っている妻は、原告の提案には全く応じず、原告の執拗な提案に次第に心身ともに疲れ果てて対応しなくなった。
 
⑷ そこで原告は、創価学会の問題点(特に池田カルト)等を日記に記し、2007年(平成19年)10月6日に2006年(平成18年)3月から1年7ヶ月分の日記6巻1000頁を渡した。
 
⑸ これに先立ち、香川県の創価学会、特に四国の婦人部において、妻に対して、原告が創価学会の反逆者であり、原告と離婚するよう指導し、妻は指導に従って、2007年(平成19年)12月25日、妻は九州の実家に帰った。
 
⑹ 創価学会において、妻から本件日記を取り上げ、創価学会本部においてこれを詳細に検討して、別紙㈠㈡の通り、原告を査問し、さらには査問に先立って、査問のため東京に来た原告の拉致を計画し、さらには、原告夫婦を離婚させる工作に及んだ。
 
⑺ 原告は、日記というプライバシーの根源のもので、自己情報コントロール権を被告に勝手に侵害された。
 
⑻ 日記を精査した被告は、原告を査問し、査問に先立ち、原告の拉致を計画し、原告に対し、殺害を予告し、その上、原告夫婦の離婚を画策している。
 
⑼ 国立大学の教授である原告が被告から受けた損害は、どんなに少なく見積もっても金1000万円を下るものではない。
 
⑽ そこで、原告は、別訴で、創価学会第三代会長・名誉会長の池田大作(別紙㈠)及び創価学会会長原田稔等(別紙㈡)を訴えているものであるが、本訴で、宗教法人法に基づき創価学会自体を訴えるものである。
 
 5、結論
   
原告は、宗教法人法11条に基づき、被告創価学会に対し、請求の趣旨記載のとおり、請求する。
 
以上
 
当 事 者 照 会 書 ⑴
平成23年10月14日
 
 
住所略
原 告   髙  倉  良  一
 
 
住所略
原告訴訟代理人
弁 護 士  生  田  暉  雄
TEL 略
FAX 略
 
 
 
                 記
 
一、当事者照会
  民事訴訟法163条、同規則84条2項により、当事者照会を致しますので、後記回答すべき期間内にご回答下さい。
 
 1、当事者
    原告 髙倉良一
    被告 創価学会
 
 2、事件の表示
    平成23年(ワ)第31387号
 
 3、訴訟の係属する裁判所の表示
    東京地方裁判所
 
 4、照会年月日
    平成23年10月14日
 
 5、照会をする事項及びその必要性
    後記照会事項及び本件訴訟の主張、立証のため。
    原告は、被告創価学会に損害賠償請求を提訴した。
    ところが、マスコミ、風評等によると、創価学会は犯罪行為と深くかかわっている。
    原告は創価学会員として、かかるマスコミ、風評等を一切信じることなく、学会員としての勤めに邁進してきた。
    しかし、原告自身が創価学会から殺害予告、拉致未遂、創価学会主導による原告夫婦の離婚訴訟等を受けるに及び、創価学会の実態に無関心ではいられなくなった。
    そこで、以下の事項について照会に及ぶ。
 
 6、法163条の規定により照会をする旨
    法163条、規則84条2項により当照会をする。
 
 7、回答すべき期間
    平成23年10月28日
 
 8、照会をする者の住所、郵便番号及びファクシミリ番号
住所 略
原告訴訟代理人
弁 護 士  生  田  暉  雄
TEL 略
FAX 略
 
 9、相手方
住所 略
被 告   創 価 学 会
 
 
二、照会事項
 
 1、原告は、創価学会の第三代会長であり、名誉会長である池田大作を別訴において被告として訴えている(東京地裁、平成23年(ワ)第29303号)。
   その意味で、原告は、池田大作の生死に重大な利害関係を有する。
   マスコミでは池田大作は平成23年9月に死去したと伝えられている。池田大作は死亡しているのか。
   また池田大作の本名は成太作(ソン・テチャク)という韓国民といわれている。池田大作の本名を明らかにされたい。
創価学会は、宗教法人として、宗教法人法第1条に基づき、自己の第三代会長であり、名誉会長の生死並びに同人の意思能力について、原告に明らかにする義務があり、生死を偽り、意思能力を偽った場合は、宗教法人資格を濫用したものとみなされるべきである。
   そこで、被告創価学会において、池田大作の生死及び本名を明らかにされたい。
   池田大作が生存している場合は、その病名、意思能力の程度如何を明らかにされたい。
 
 2、信者(創価学会の会員)の地位について
   判例上(最判昭和35年6月2日、広島地判昭和49年4月18日、名古屋地判昭和51年4月16日、東京高判平成6年3月23日、最判平成7年7月6日等)、信者の法的地位については、宗教法人の構成要素と解されている。
   そして、当該法人の規則等において、信者がどのようなものとして位置づけられているかによって決すべきであるといわれている。
   そこで、創価学会において、会員は、創価学会に対してどのような権利を有するかを明らかにされたい。
 
 3、寄付について
   本訴の背景については、創価学会における会員からの寄付についての不透明さが原因の一端でもあるので、寄付について透明にしていただきたい。
  ⑴ 被告に対し、創価学会会員からの年間の寄付額はいくらか。
⑵ 被告は、創価学会会員から受けた寄付をどのようなことに使っているか。
⑶ 被告から名誉会長(池田大作)に月額もしくは年額いくらの金銭を渡しているか。
⑷ 創価学会代表者正木正明、創価学会会長原田稔の各報酬の月額もしくは年額はいくらか。
 
 4、法曹関係者の人数について
   刑事告発、各種裁判、行政庁への依頼等を提起しても、創価学会会員に阻まれますので、創価学会員の法曹関係者等を明らかにして下さい。
⑴ 裁判官      
⑵ 検事       
⑶ 弁護士      
⑷ 警察官      
⑸ 外交官      
⑹ 国家公務員    
⑺ 地方公務員    
 
 5、犯罪行為との関係について
 創価学会による犯罪行為と世間ではウワサされており、原告も創価学会から殺害の予告を受け、心身が凍りつく思いでした。
 ⑴⑵では、以下の創価学会の行為についてお答え下さい。⑶以下については、創価学会の行為かどうかお答え下さい。
 
⑴ 原告の拉致未遂について
① 2008年2月24日の東京の京王プラザホテルにおける被告の、原告に対する査問に先立ち、2月23日午後5時創価学会員和田公雄と、新宿の紀伊國屋書店の哲学書コーナーで待ち合わせをすることを、被告は和田から聞いていたか。
 
 ② 被告は、原告と和田が書店で待ち合わせをすることを知って、被告は原告を拉致して原告と痛めつける予定であったか。
 
⑵ 2008年2月15日の、被告による創価学会員和田公雄に対する、原告と和田の関係についての和田の査問の目的は何であったか。
  原告に対する殺害行為を和田に告げ、和田の口から原告に、原告を殺害することを告知することが目的であったか。
 
⑶ 第三者の殺害等
① 1995年(平成7年)9月2日の東村山市議朝木明代の死亡は、創価学会において殺害した疑いが濃厚である(「怪死」乙骨正生、教育史料出版会)といわれている。さらには、創価学会が関連する複数の暴力団員が朝木の創価学会に対する行動を止めさせるため、屋上のフェンスで朝木を抱え上げて、止めないと落とすぞと脅していて、朝木を屋上から落としてしまったという説もある。
創価学会において朝木明代を殺害したのか。
 
 ② 朝木明代の問題に及ぶと、創価学会を擁護するインターネットのブログにおいて、逆鱗に触れたように感情的な反論が出てくるが、創価学会とこのインターネットのブログの執筆者と関連があるのか。
 
③ 創価学会において、暴力担当係、拉致担当係、殺人担当係、等の暴力担当の職員を配置しているのか。
 
④ 創価学会において、暴力団と密接な関係があるといわれている。
     創価学会と密接な関係がある暴力団名を明らかにされたい。
 
以上
 
当 事 者 照 会 書 ⑵
平成23年10月14日
 
 
住所 略
原 告   髙  倉  良  一
 
 
住所 略
(送達場所)
原告訴訟代理人
弁 護 士  生  田  暉  雄
TEL 略
FAX 略
 
                 記
 
一、当事者照会
  民事訴訟法163条、同規則84条2項により、当事者照会を致しますので、後記回答すべき期間内にご回答下さい。
 
 1、当事者
    原告 髙倉良一
    被告 池田大作
 
 2、事件の表示
    平成23年(ワ)第29303号
 
 3、訴訟の係属する裁判所の表示
    東京地方裁判所
 
 4、照会年月日
    平成23年10月14日
 
 5、照会をする事項及びその必要性
    本件訴状の訂正、主張、立証のため。
    原告は、被告池田大作に損害賠償請求を提訴した。
    ところが、マスコミ、風評等によると、被告は平成23年9月に死亡していると伝えられている(添付資料)。
    原告としては、死者を相手に訴訟をすることは出来ず、相続人を相手にしなければならない。
    被告が死亡しているかどうか、平成23年9月15日に当事者照会をしたが再度照会するので、明らかにしていただきたい。
    照会に対する回答が得られない場合は、被告が死亡しているため回答できないと考え、その旨、公に公表したいと考えている。
また、被告池田大作の本名は成太作(ソン・テチャク)という韓国名といわれている。訴状訂正の必要があるので、本名を知らされたい。
 
 6、法163条の規定により照会をする旨
    法163条、規則84条2項により当照会をする。
 
 7、回答すべき期間
    平成23年10月28日
 
 8、照会をする者の住所、郵便番号及びファクシミリ番号
住所 略
原告訴訟代理人
弁 護 士  生  田  暉  雄
TEL 略
FAX 略
 
 9、相手方
住所 略
被 告   池  田  大  作
 
二、照会事項
 
 1、池田大作の死亡年月日。
   池田大作の本名、本籍地、つまり戸籍の所在地、及び戸籍上の氏名、並びに住民登録地及び住民登録上の氏名。
 
 2、なお、池田大作が生存している場合、池田大作の病状及び判断能力の有無、程度。後見人選任の有無。
 
 3、池田大作の病状及び判断能力の有無・程度を明らかにする医師の直近の診断書。
 
以上

banner_21.gif
 ブログランキングに参加してます

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

 
 下記の陳述書は、昨年、高松家庭裁判所に提出したものです。この陳述書を、生田先生は、平成23年7月19日(火)にテレビ電話会議システムで行われた裁判に向けて提出されました。
なお、次回のブログには、創価学会に対する訴状と当事者照会を掲載する予定です。また、池田大作氏に対する当事者照会の第二弾も掲載致します。
 
            記
 
陳述書(9) これまでの経緯について(その1)
                平成22年11月15日
                       髙倉良一
はじめに
 
妻和美と同様に、創価学会の熱心な活動家であった私が、なぜ、創価学会の池田名誉会長と創価学会に対する認識が変わり、日記の中で創価学会のことを「創価学会池田カルト」と書くまでになったのか、そして、妻和美が宗教的呪縛状態にあると考え、妻和美を覚醒しようと考えるようになったのかに関する経緯を述べることにします。
陳述書(1)で述べたように、私の願いは、何としても家族の絆を取り戻したいということです。そして、家族の絆を取り戻すことができる日まで、忍耐強く精進を重ねようという覚悟をしています。
これまでの経緯を踏まえれば、妻和美の離婚請求は、わが国の裁判所の法的判断には馴染まないものです。その理由を明らかにする上でも、これまで明確に述べていなかった真実を全て明らかに致します。
 
創価学会との出会い
 
創価学会と出会ったのは、昭和52年7月初旬でした。当時、九州大学法学部の学生だった私は、入学時から所属していた法律研究会を通じて知り合った先輩の鯰越溢弘氏(現在新潟大学法科大学院教授)のお宅に伺いました。すると、奥さんの鯰越則子氏は、鯰越氏が創価学会に入会されたと言われました。元中核派の学生運動の活動家だった鯰越氏が創価学会に入会したと聞き、私はとても驚きました。
鯰越氏はマルクス主義の用語を使いながら、南無妙法蓮華経という題目の意味を説明するとともに、創価学会のことを熱心に話されました。
そこで、私は鯰越氏に2つの質問をしました。まず、なぜ、鯰越氏が創価学会に入ったかという質問をしました。この質問に対して、鯰越氏は創価学会で社会革命ができると思ったと言われました。
つぎに、私は、この頃悩んでいた自身の天邪鬼な性格に関する質問をしました。私は、相手のことを好きなのに嫌いだと述べてしまうようなことがあったからです。この質問に対して、鯰越氏は、天邪鬼を治すためには、相手のことを大切に思って、それを実践することだと言われました。
この言葉を聞いて、私は目から鱗が落ちたような気がしました。私は、鯰越氏の答えを聞いて、自分自身が自己中心的な生き方をしていたのだということを思い知らされました。私に欠けているのは、相手のことを大切に思うことなのだと痛感しました。とともに、鯰越氏の変化に驚かされました。私は、鯰越氏が、なぜ、こんな発言をするようになったのだろうかと疑問を持ちました。
翌日、私は、書店で創価学会に関する本を3冊購入しました。当時、私は大学院受験の勉強をしていましたが、勉強に取り掛かる前に、まず創価学会の本を30分間ほど読むことにしました。仏法の知識がほとんどなかった私にとっては、その内容はとても新鮮でした。
疑問を持ったのはただ1カ所のみでした。それは、三証の原理という箇所でした。三証とは、日蓮大聖人が宗教の正邪を判定するために唱えられた基準のことです。自身の教えの中に、宗教の正邪を判定する基準があるということは、自己を正当化するだけのことではないかと感じました。しかし、これ以外は本当にその通りだと考えました。
7月末からは、朝、太陽に向かって南無妙法蓮華経という題目を唱えるようになりました。9月に入ると、朝だけではなく、夜、月に向かって題目を唱えるようになりました。そして、9月に行われた大学院入試に合格したことは、題目を唱えた功徳だと思いました。
そして、さらに創価学会に関する本を購入し読み進めました。その結果、12月の中旬頃には、日蓮大聖人の仏法を根本とする創価学会の教義は正しいと確信するようになりました。しかし、この時点では、私は創価学会に入会しようとは思いませんでした。組織に加入し拘束されることには抵抗があったからです。
 
創価学会の座談会に出席
 
昭和53年の1月、鯰越氏が夕食をご馳走するから自宅に来るようにと言われました。そこで、鯰越氏の自宅に伺うと、今からお前を創価学会の座談会に連れて行くから、その場で創価学会に入会するとの決意発表をするようにと言われました。
この発言に対して、私は、政治学を研究していた大学院の先輩安倍俊二 (現長崎大学教育学部講師)氏から、創価学会に入るのは考えた方がいいよと言われたことを話しました。すると、鯰越氏は、安倍氏のことを彼は評論家だと言いました。そして、俺は実践家だと言われました。この言葉を聞いて、私は吹っ切れた感じがしました。そして、私は実践家として生きようと思いました。
それから、鯰越氏の案内で、団地内の一室で開催されていた創価学会の座談会に参加しました。その会場には、部屋が一杯になるほどの創価学会員が詰め掛けていました。ちょうど、この日は、創価学会の教学試験(創価学会では、日蓮大聖人の仏法を会員が理解することを目的とした試験を行なっています。)が終了した直後の座談会でした。
この座談会の席で、年配の男性が、たどたどしい言い方で「自分は、学校を満足に出ておらず、文字も読むことができなかった。しかし、教学試験に挑戦するために、大学ノートで字の読み書きを練習することから勉強を始めた。」との発言を聞いた時には、私は、心の底から感動しました。さらに、創価学会員達が自ら進んで次々と手を挙げて自分の意見を述べている姿に接し、「地沸の菩薩」(法華経を流布するために生まれてきた人間のことを指します。)とは、この方々のことだと感じました。
この座談会には、聖教新聞社に勤務している本部職員が、座談会での御書講義(創価学会の座談会では、日蓮大聖人の手紙の一節を幹部が講義することになっています。)の担当幹部として参加されていました。座談会終了後に、私は、この幹部に対して、私であれば、このように講義すると述べました。今にして思えば、生意気だったと思いますが、その時は、日蓮大聖人の教えをもっと分かり易く講義して欲しいと感じたからです。
その翌日、鯰越氏から電話が架かってきました、この座談会に参加していた創価学会の本部職員(創価学会の専従職員のことを本部職員と呼んでいます。)が、鯰越氏の自宅を訪問し、私のことを、創価学会に是非とも必要な人材であるから入会して欲しいと言われたとのことでした。鯰越氏は、お前の代わりに入会申し込みのカードを書いて良いかと言われましたので、私はお願いしますと述べました。
 
創価学会の青年部幹部との出会い
 
昭和53年7月7日に、私は、日蓮正宗の御本尊を授与され、正式に創価学会の会員になりました。それ以来、私は夢中になって活動をしました。
それから半年程過ぎた頃、本部職員の田村隆雄氏と出会いました。九州大学出身だった田村氏は、私に、創価学会本部から九州の創価学会青年部担当の最高幹部として派遣されて来られた佐藤政春氏を紹介して下さいました。佐藤氏は、早稲田大学大学院の修士課程を修了後、本部職員となった方です。九州創価学会男子部の最高幹部だった田村氏は、佐藤氏が大学院を修了されていたので、私を指導するのに相応しいと考えられたようです。
佐藤氏は、学生部の最高幹部達が、大学卒業後、続々と創価学会の本部職員となることに疑問を持たれたそうです。このままでは創価学会は必ず官僚主義になってしまうと危機感を持たれ、創価学会の官僚主義化を阻止すべく、早稲田大学の大学院に進学し、なぜ、ソビエト共産党が官僚主義に陥ってしまったのかをテーマに研究されていたとのことです。
しかし、大学院の指導教授が亡くなられ、その直後に、池田大作創価学会会長(当時は会長)から「これからどうする」と尋ねられたので、「お願いします」と答えたところ、本部職員として採用されたそうです。
私は、佐藤氏が創価学会の会館の宿直を担当される際には、佐藤氏を訪ねることにしました。そして、創価学会の活動や、日蓮大聖人の仏法、大学院での研究や指導教官との対応などに関して、佐藤氏から指導を受けるようになりました。
当時、大学院では、私の指導教官だった有地亨教授から創価学会の活動をやり過ぎているのではと厳しい指摘を受けていました。大学院の集中講義に来られた東京大学の稲本洋之助教授に、指導教官有地教授が、私が学会員であるということを話したところ、そんな人間は大学院を辞めさせてしまえと言われたと告げられたこともありました。
しかし、このような指導教官有地教授の反対にも関わらず、私は、創価学会の活動に熱心に取り組んでいました。そして、鯰越氏の所属していた支部の男子部から、私の地元の学生部(創価学会員の学生と大学院生の組織)に所属を変更してもらい活動するようになりました。また、学術部(大学や研究所に勤務している研究者の組織)のメンバーにも加えてもらいました。
 
入会後の悩み
 
学生部に移行した頃、佐藤氏から思いがけないことを言われました。佐藤氏は、創価学会は平和と文化と教育の団体であるとの看板を掲げているものの、その中身が明確ではないので、その内容を考えるようにと言われました。さらに、将来必ず宗教連合という時代が来るので、その時に備えて宗教連合が可能となるような理論を考えるようにと言われました。
私は、佐藤氏の発言に大変驚きました。私は、自分自身の変革を願って日蓮正宗に入信し、創価学会で活動するようになったのです。社会変革を願って入会した訳ではありません。しかも、宗教連合という発想は、他の宗教を邪宗だと批判する日蓮大聖人の教えに反するものだと考えたからです。佐藤氏の発言は、私にとっては驚き以外の何物でもありませんでした。
ちょうどこの頃、中国を訪問していた池田会長が福岡に立ち寄ることがありました。その時、九州大学の学生部に所属していた会員には、池田会長が出席する会合に参加するようにとの連絡がありました。私は、この会合に勇んで駆け付けました。そして、会合終了後、池田会長に「先生、先生に指導を受けたいことがあります。」と呼び掛けました。すると、池田会長は私の方を振り向いて、「そんなことは自分で解決しろ。」と言われました。
その瞬間、確かに、社会の変革を目指して行動するかどうかということは自分自身で決めることだと閃きました。しかし、宗教連合のことに関しては、何としても池田会長の指導を受けたいと思いました。そこで、池田会長が移動された後を追い続けましたが、結局、指導を受けることはできませんでした。
この日、自宅に戻って、夜の勤行をしようと仏壇の前に座った瞬間「そんなことは自分で解決しろ。」という池田会長の指導は、私が御本尊を受持しているということを教えて下さったものだと思いました。
しかし、後述の野崎至亮氏(元創価学会副教学部長)との出会いで、池田会長の発言は誤魔化しであったということが分かりました。しかし、この時点では、全く疑問を感じませんでした。そして、ますます、創価学会の活動に熱心に取り組むようになりました。
 
妻和美との出会い
 
昭和60年の4月末日、九州創価学会男子部の最高幹部だった田村氏から電話が架かって来ました。田村氏は、坂本利勝氏から一人娘の結婚相手を見つけて欲しいと依頼されたとのことでした。田村氏は、現在、この女性は女子部の本部長をしているが、このままでは女子部の最高幹部になることは確実で、そうなると結婚するのが遅れてしまうと坂本利勝氏は心配していると言われました。
坂本利勝氏は、北九州の小倉で洋服の問屋を経営されている資産家で、自分の店を継がせるつもりはなく、将来、自分の資産を創価学会と公明党のために使ってくれるような人物を、娘の夫にしたいと言われたそうです。そして、田村氏は、自分が結婚したい程だとも言われました。
5月の連休の頃、坂本利勝氏の自宅で見合いすべく、私は田村氏夫婦とともに北九州に参りました。小倉駅で私達を迎えた女性が、後に私と結婚することになる妻和美でした。出会った瞬間、私のこれまでの人生は、この女性とめぐり合うためにあったのだと直感しました。
私は、この女性と結婚すると決めて交際することにしました。結婚するまでの間は、沢山の手紙をやり取りしましたが、創価学会の活動に真剣に取り組もうという内容が中心でした。見合いの後、私の父親と継母(実母は私が20歳の時に亡くなり、父親は再婚しました。)に結婚のことを伝え、小倉の坂本利勝氏の自宅で結納をしました。その後、私の指導教官の有地教授夫妻に仲人をお願いし、昭和61年の2月23日に、小倉の日蓮正宗のお寺で結婚式をし、小倉国際ホテルで結婚披露宴を行いました。
この頃、私は九州大学法学部の助手でした。しかし、九州大学法学部の内規で、助手の任期は昭和61年の3月末日までとなっていました。4月からは、西日本短期大学の常勤講師となる予定でした。ところが、実際には非常勤講師でした。そこで、私と妻和美は、私の塾でのアルバイト収入と妻和美の実家からの援助で暮らしていました。
5月の中旬頃だったと思います。香川大学教育学部が、法律学を担当する助手を募集しているという話を、指導教官の有地教授から伝えられました。そこで、私は応募することにしました。
ところが、応募書類の準備をしている最中に、私の大学院の先輩達が、私が創価学会員であることを理由として、就職活動の妨害をするようになりました。香川大学教育学部の中でも、私が創価学会員であることを理由として採用に反対する動きがあったようです。その結果、指導教官の有地教授も、どうせ創価学会員だから就職は駄目になるに決まっていると言い出し、二度と推薦書は書かないと言われました。
そこで、私は妻和美ととともに、一生懸命題目を上げました。すると、9月初めに香川大学教育学部から、私の面接をするとの通知がありました。この面接を受けた時に採用の内定を告げられ、9月中旬に正式に採用通知がありました。私と妻和美は、この採用通知を信心の功徳を考え、お互いに喜び合いました。
 
高松での活動
 
昭和61年10月1日から、香川大学教育学部の助手として勤務を始めました。その後しばらくして、創価学会では、男子部の部長に任命されました。また、創価学会の会館警備を担当する牙城会のメンバーにも任命されました。妻和美は、婦人部のヤングミセスという組織のメンバーに任命されました。その後、妻和美は29歳の時に支部の婦人部長に任命されました。この年齢で支部婦人部長に任命されたことは極めて異例のことで、当時、香川県では最年少の支部婦人部長でした。
この時期は、夫婦二人で一生懸命活動に取り組みました。公明党の選挙活動では、二人揃って上京し友人や親戚に投票の依頼をしました。聖教新聞の啓蒙活動(新聞の購読を依頼することを、新聞啓蒙と呼んでいます。)や折伏(入信の勧誘)にも真剣に取り組みました。
財務(創価学会が、毎年1度実施する一口1万円からの寄付のことです。)については、夫婦で相談しその金額を決めていました。私は、創価学会の会館で大勢の会員を前にして、財務の体験発表をしたこともあります。天引きの共済預金で貯めていた金額300万円を全額引き出し、その全てを財務としたこともありました。
もっとも、財務の額に関しては、妻和美と言い争いになることもありました。妻和美は、可能な限り多くの財務をしたいと考えていました。妻和美は、財務のことを宇宙銀行にお金を預けるようなものだと発言していました。
しかし、私は、やり過ぎではないかと考えたこともありました。財務の金額で口論をしていた時に、涙ながらに財務のことを訴える妻和美の姿に接し、妻和美は、私を成仏させるために私の妻になったのだと感じたこともありました。そこで、反対したことを心から謝罪して、妻和美の希望する通りの金額を財務としたこともあります。
その後、私の父親が、手術不能と言われた末期の腎臓ガンの手術に成功した時には、毎年100万円の財務を10年間続けようと決意しました。そして妻和美も同意してくれたので、夫婦で財務を続けました。
 
学会幹部に対する不信
 
創価学会の婦人部の活動に、文字通り一心不乱に打ち込んでいた妻和美は、体調を崩しました。病院に行くと、医師からはストレスが原因であると言われ、のんびりした生活をするようにと言われました。
そこで、妻和美は、当時、四国の最高幹部だった和田興亜副会長に連絡し、指導を受けました。すると、和田副会長は医師の言う通りにすべきだと言われました。
ところが、婦人部の幹部達は、自分達の頭越しに、直接、和田副会長に指導を受けたということを問題視しました。それまでも、妻和美は、婦人部の幹部達から嫉まれ虐められていました。妻和美が、現場の一般会員達のことを第一に考え、一般会員に無理な活動を強いる婦人部の幹部達に意見することがあったからです。妻和美の発言は、婦人部の幹部達の不評を買っていたようです。
 結局、妻和美は、支部婦人部長から支部副婦人部長に降格されました。これは極めて異例な処置でした。学会の役職が変わる時には、その上の役職に任命することが通例だったからです。
支部婦人部長の交代式の前夜、妻和美は一生懸命挨拶の原稿を書いていました。ところが、その交代式では、妻和美は一言も挨拶をさせてもらえませんでした。このことは、妻和美には大ショックだったようです。私も本当にびっくりしました。このことが、私が、高松の創価学会の組織の在り方に嫌気が差す契機となりました。
また、この頃、私は相続に関する問題で、香川県の創価学会の最高幹部の一人に、夫婦揃って指導を受けたことがあります。すると、その数日後、香川県の学術部のメンバーから、この幹部が、私達夫婦が指導を受けに来たことを吹聴していると聞かされました。プライバシーに関する事柄を言い触らしている幹部に、私は失望しました。
しかしながら、この頃は個々の幹部に失望し官僚的な体質には問題点を感じたものも、池田名誉会長や創価学会の在り方自体には疑問を持つことはありませんでした。
 
創価学会に関する疑問の芽生え
 
創価学会に対する疑問を持つようになったのは、私は、日蓮大聖人の仏法に感銘して入信したことが、その根本にあると思います。私は、当時の池田会長の思想や行動に感銘して入会したのではありません。
入信した当初、聖教新聞には、当時の池田会長のことを人生の師匠であると賛嘆する記事が数多く掲載されていました。しかし、本来、師匠は日蓮大聖人です。池田会長は信者の代表に過ぎません。
ところが、私の周囲の会員達は、皆、池田会長を崇拝していました。公明党の選挙活動では、国会議員を初めとする候補者は、皆口々に、池田先生に勝利の報告をし喜んで頂くとの演説をしていました。そして、創価学会の幹部達は、創価学会を批判する政治家は仏敵だと発言していました。
本来、議員は国民の代表として、国民全体のために活動すべきであるにもかかわらず、池田先生のためにと連呼しながら選挙活動をしていることに違和感がありました。
中国の天安門事件の直後、創価学会の青年部が訪中団を公募しました。私は、この訪中団の一員として中国の北京と上海を訪問しました。創価学会では、池田名誉会長のことを日本と中国との国交回復の最大の功労者であり、中国の民衆も高く評価していると聖教新聞では報道されていました。しかし、中国を訪問した際に、聖教新聞は情報操作しているのではないかと感じるような体験をしました。
その後、創価学会は日蓮正宗と対立し、結局、池田名誉会長と創価学会は宗門から破門されました。宗門との対立が明確になってからは、聖教新聞には、連日のように宗門を罵倒する記事が掲載されました。
それまでも、創価学会の内部情報を漏らした創価学会の元顧問弁護士達や創価学会を批判した政治家達については、罵詈雑言を浴びせる記事が掲載されていました。しかし、宗門に対する記事は、それらをはるかに凌ぐものでした。
聖教新聞の購読を、創価学会に入会していない大学教授や友人達にお願いしていた私は、このような記事を掲載することに強い違和感を懐きました。そこで、聖教新聞本社に勤務し、池田名誉会長のゴーストライターの一人でもある知人の友岡雅弥氏に電話で抗議したところ、多くの会員達から、私と同様の電話が架かって来ていると言われました。しかし、このような記事を掲載するのは、全て池田名誉会長の指示だから、どうすることもできないと言われました。
 
banner_21.gif ブログランキングに参加しています


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
 下記の陳述書は、昨年、高松家庭裁判所に提出したものです。この陳述書を作成した時点では、創価学会池田カルト一派に対して損害賠償請求訴訟を行うつもりは、生田先生も私も全くありませんでした。
 
しかし、昨年10月末のある出来事によって、生田先生と私は、創価学会池田カルト一派に対する損害賠償請求訴訟を起こすことに致しました。二人とも覚悟が定まったのです。
 
下記の陳述書を、生田先生は、平成23年7月19日(火)にテレビ電話会議システムで行われた裁判に向けて提出されました。創価学会が、妻からの離婚請求訴訟を主導していることを示す証拠としてです。
 
             記
 
陳述書(1) 現在の私の心境
 
                  平成22年10月16日
                           髙倉良一
はじめに
 
平成19年12月25日に、突然、妻和美が息子一成と娘知絵を実家に連れ去ってから、2年10カ月近くが経過しようとしています。この陳述書では、現在の私の心境と、これまで明らかにしていなかった真実の概要を述べることにします。
平成18年3月13日の朝、妻和美が「池田先生に対する忘恩が許せないから離婚する」と発言して以来、これまでに生じた出来事と真実の詳細な内容については、別の陳述書で述べることに致します。
 
私の覚悟
 
結論から先に述べると、私の願いは、創価学会の一部幹部達によって破壊されてしまった家族の絆を、何としても取り戻したいということです。そのためには、真実を明らかにしなければならないとの覚悟が定まりました。
昨年末に、不成立に終わった調停の席でも、これまでの裁判においても、二つの理由から、私は、必ずしも全ての真実を明らかにしていませんでした。一つは、関係者に対して大変な迷惑を掛ける可能性があると考えたからです。一つは、最悪の場合には、私の生命にも危険が及ぶ可能性があると考えたからです。
しかし、妻和美との間に生じた問題を円満に解決するとともに、息子一成と娘知絵の将来のことを考えるならば、この裁判の場で真実を述べなければならないと決断するに至りました。その上で、家族の絆を取り戻すことができる日まで、忍耐強く精進を重ねようと決意致しました。
私が真実を明らかにすることによって迷惑が及ぶ可能性がある関係者の方々には、それぞれの立場で自身を守って頂くような行動をされるようにと祈るしかないと判断しました。また、真実を明らかにすることこそが、私の生命を守ることにつながると考えるようになりました。
 
真実の概要
 
妻和美が離婚を請求した本当の理由は、創価学会の活動の在り方に関する考え方の対立を解消すべく、私が妻和美に渡した日記『髙倉親子奮闘記』が創価学会本部に届けられ、その内容が分析されたためです。その結果、妻和美は、創価学会の一部幹部達から、私と離婚するようにと指導されたのだと思います。
これまで明らかにしなかった真実とは、私と妻和美の離婚問題に関しては、創価学会の一部幹部達が組織的に関与しているということです。しかも、日記の内容に関する事柄で、私が、創価学会の一部幹部達から殺すとの脅迫を受けたことです。
平成19年12月初めに、創価学会の本部職員から、妻和美に渡した日記の内容に関して、創価学会本部が、私の身辺調査をしているから言動に注意するようにとの連絡を受けました。その際、私の日記に記載されている人物に関係する人々も徹底的に調べてられていると告げられました。
同年12月末に、妻和美が「こちらから連絡するまではそっとして置いて欲しい」とのメールを送信し、実家に子ども達を連れ去った翌日から、創価学会の四国の最高幹部の依頼を受けた学術部(学術部とは、大学と研究所に勤務している創価学会員が所属している組織です。)のメンバーから、私が創価学会の内部情報を漏らしたとの追及を幾度も受けました。私を取り調べた学術部のメンバーは、これまでの私と妻和美とのやり取りの詳細を、四国の最高幹部達は知っていると明言しました。
平成20年2月中旬には、私の先輩である創価学会員から、高松の創価学会員達は髙倉を殺すと言っているとの連絡がありました。その際、東京の創価学会本部の幹部達は、私の日記に書かれていることは創価学会に対する裏切りであり、日記の内容を創価新報(創価学会青年部の機関紙)に掲載するとともに、全四国と全九州の創価学会員を総動員して、私を反逆者として糾弾する大キャンペーンを行う計画を立てているとも言われました。
さらに、同年2月末に、私は東京に呼び出されました。そして、創価学会の四国担当の最高幹部から、内部情報を漏らしたとの査問を受けました。しかも、その席では、私の先輩から謝罪文を書くようにと言われ、一筆書かされました。四国担当の最高幹部は、息子一成に対しても詫び状を書くようにと強要しました。
その上で、東京に呼び出されたことは、絶対に口外しないようにと言われました。九州と四国の学会幹部達に対しても、絶対に話してはならないと厳命されました。
同年3月初めに、私は、息子一成に対して詫び状を書きました。この詫び状は、妻和美によって創価学会本部に届けられ、その内容を徹底的に分析されるとの前提で書いたものです。息子一成が、注意深く読めば、私の真意が伝わるような書き方をしたつもりでした。
その後、同年5月中旬に、妻和美の代理人の弁護士から離婚の協議をしたいとの連絡がありました。突然の連絡に、私は大変驚き、私の先輩である創価学会の幹部に連絡しました。
すると、この先輩からは、創価学会本部の一部幹部達は、日記の中で池田名誉会長を徹底的に批判した人間を「絶対に許さない。」と語っていると言われました。一部幹部達は、まず、妻和美と私を離婚させ、私が家庭的に問題のある人間であるとの噂を流し、つぎに、勤務している大学内でスキャンダルをでっち上げ、さらに、私の友人や知人に対して、髙倉と付き合うとろくなことはないと脅し、私を社会的に葬り去り、自殺に追い込もうと計画しているのだと言われました。
妻は、陳述書の中で「被告の方こそ、嘘が嘘を呼び、仮想・空想・机上の空論は広がり過ぎて、収拾が着かなくなってはいまいか。大学教授なのだという自尊心があまりにも強過ぎて、保身の余り、被害妄想になってはいないか。きっとそんなことは無いと否定するだろうけど。」と述べています。
しかしながら、私が、脅迫を受け査問をされたことは全て真実です。創価学会の一部幹部達は、私のことはもちろん、妻和美や息子一成、娘知絵、義母坂本澄子氏のことなど全く考えていません。妻和美の代理人の弁護士達も、裁判の結果がどうなっても構わないと考えていることは明らかです。池田名誉会長を個人崇拝することこそが正しい信仰だと信じ込んでいる一部幹部達は、裁判を通じて私を追い込み、反逆者として表舞台に引き出すことが狙いです。
すなわち、もし、私が、大学教授という立場で週刊誌などで創価学会のことを糾弾するならば、衰退傾向にある創価学会員を団結させるための絶好のスケープゴートに仕立て上げることでしょう。一部幹部達の目的は、創価学会を私物化したばかりか、カルト化させた池田名誉会長から誉められることだけが目的なのです。
以上の真実の概要についての詳細は、別の陳述書で明らかにする予定です。
 
妻和美の救済
 
妻和美は、陳述書の中で、私が妻和美を救うということは恐ろしいことだという趣旨のことを述べています。そして、私のことを「嘘と芝居の人」であると述べています。
しかしながら、「池田先生に対する忘恩が許せないから離婚する」という妻和美の主張は、社会常識的に考えて正当なものでしょうか。妻和美が、こんな発言をしたこと自体、私と妻和美の対立の本質は、創価学会の在り方を巡ってであることは明らかです。
私は、妻和美に対して、本来の日蓮大聖人の仏法から逸脱してしまった池田名誉会長に盲従してはならないと考えただけです。家族の絆と子ども達の幸福よりも、池田名誉会長を個人崇拝させるようになってしまった創価学会を優先させている妻和美を覚醒しようとすることは、良心のある人間であるならば当然のことではないかと思います。
家族の絆や子ども達の将来のことよりも、池田名誉会長に対する忠誠を優先した妻和美は、完全に理性を喪失し、宗教的呪縛状態に置かれていることは明白です。
私は、妻和美に対して、池田名誉会長を個人崇拝することを信仰の中核に据えるようになった創価学会のことを、日本の中の北朝鮮であると述べていました。しかし、北朝鮮の金正日氏を批判したことが許せないとの理由から、夫と離婚しようとする妻が日本人の中にいるでしょうか。
妻和美も、私が、どれほど金正日氏を批判したところで、私と離婚するとは言わないことでしょう。金正日氏と池田名誉会長を入れ替えて考えるならば、妻和美の離婚請求が不当であることは明白ではないかと思います。
 
これまでの対応
 
私のことを「嘘と芝居の人」であると述べていること自体が、妻和美が宗教的呪縛状態に置かれていることの証拠だと思います。マインド・コントロールに関する著作には、直接的に信仰のおかしさを指摘しても逆効果であると書かれています。盲信状態にある人間が、内発的に誤りに気が付くように対応しなければならないと書かれています。
妻和美が、宗教的呪縛状態から解放されるためには、かなりの時間がかかるのではないかと思います。そこで、私は、徹底的に時間を稼ごうとして参りました。別の陳述書で明らかにしますが、時間こそが最大の良薬であると考えたからです。
しかも、創価学会の一部幹部達からの脅迫などを明らかにすると、私の生命に危険が及ぶ可能性があると危惧していました。
私は、ひたすら、妻和美と義母坂本澄子氏が、自らの誤りに気が付くようにと祈って参りました。社会情勢が変化し、創価学会の数々のスキャンダルが社会問題として取り上げられるようにと祈って参りました。
 
心境の変化
 
今年7月の参議院選挙では、公明党は総得票数を減らし、議席を2つ減らしたものの、前回の衆議院選挙の時のような壊滅的な打撃は受けませんでした。現在の政治情勢は混沌としており、もしかすると、公明党は再び与党になる可能性もあります。
このような情勢を受けて、私の心境は変化しました。妻和美が変わることを祈るのではなく、私自身が家族の絆を取り戻すことができる人間となるべく精進を重ねようと祈るようになりました。妻和美と社会情勢の変化を願うのではなく、私自身が家族の絆を取り戻すことができる人間となるべく忍耐強く生き抜こうと思うようになったのです。すなわち、相手の変化を求めるのではなく、私自身が現状を打破することができる人間とならなければならないと考えるようになりました。
日蓮大聖人は、一生成仏抄という手紙の中で「南無妙法蓮華経と唱えるとも己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらずそ法なり」と書かれています。この文章は、自分自身に内在している仏性を湧現できるようにと祈るのが仏法であり、他者が変化するようにと祈るのは仏法とは反する外道であると趣旨です。
私は、妻和美が子ども達を連れ去って以来、これまでの間、仏法とは反する祈りをして来たのです。やっと、私は自らの誤りに気が付きました。
 
創価学会への対応
 
創価学会の一部幹部達が、私に対して前代未聞の人権侵害を行っていることを裏付ける具体的な証拠はあります。しかしながら、私は創価学会の一部幹部達を告訴し、彼らと対決するつもりは全くありません。スキャンダルまみれの創価学会の一部幹部達と、私の人生を賭けて戦うことは愚かなことだと考えています。
インターネットのブログなどでは、現在の創価学会の在り方を批判するものは沢山あります。出版物でも枚挙に遑がありません。私の先輩である創価学会の元最高幹部は、警察の公安、内閣調査室、国税庁、アメリカのCIAも、創価学会の犯罪行為を完全に把握していると言われていました。そして、今はただ、ひたすらチャンスが到来するのを待っていると言われていました。創価学会の真実の姿は、近い将来、必ずや明らかにされるに違いありません。
もっとも、私は、創価学会の崩壊を願っているのではありません。前述のように、私は、創価学会の一部幹部達によって破壊された家族の絆を取り戻したいだけです。妻和美、息子一成、娘知絵、そして、義母坂本澄子氏と、笑顔の絶えない家庭を構築したいと願っています。
その上で、創価学会が、日蓮大聖人の説かれた精神に適った団体に立ち戻ることを祈っています。池田名誉会長を個人崇拝する組織から、日蓮大聖人の仏法を中心にする組織に変わることができるならば、創価学会は世界宗教として、再び大発展を遂げる可能性があるのではないかと祈るような気持ちを有しています。
私は、陳述書を提出する前に、創価学会の最高幹部達に対して、妻和美に離婚裁判を取り下げ、一家和楽の信心を目指すようにとの指導をお願いするつもりです。裁判の席で、創価学会の一部幹部達の人権侵害行為を明らかにしたくないからです。もし、この陳述書が提出された場合には、最高幹部達が、私の願いを聞き入れなかった場合です。
 
妻和美に対する感情
 
妻和美の陳述書を読むと、妻和美は私に対する憎悪の念で一杯のようです。それは、この陳述書の末尾の「最後に、私が離婚にあたって弁護士をつけた一番の理由を記したい。それは被告が山のような嘘と芝居の人だから。」という記述から読み取ることができるのではないかと思います。
妻和美の陳述書については、別の陳述書で詳細に意見を述べることにしますが、妻の言葉は宗教的呪縛下に置かれているが故のものだと思います。時間はとてもかかることでしょうが、妻和美が宗教的呪縛から解放される日が訪れるならば、妻和美の私に対する感情と評価は一変すると考えています。
日蓮大聖人の仏法の立場からは、妻和美は善悪の見分けが分からない無明の状態だと思います。創価学会の一部幹部達の指導を信じて疑わない妻和美は、いわば、無明という名の酒を飲まされて酩酊状態にあると思います。そのために、物事の正常な判断ができない状態に置かれているのではないでしょうか。しかし、そんな妻和美も、酩酊状態から目覚める時が来るはずです。
もしすると、妻和美は、内心では、池田名誉会長を個人崇拝し、その批判者を反逆者として糾弾する創価学会の一部幹部達の誤りに気が付いているのではないかとも思います。最後の調停の席で、調停員に対して、妻和美が「自分ではどうすることも出来なくなった。」と発言したことは、その現われではないかと思います。
私は、妻和美を憎んだり軽蔑したりという気持ちは全くありません。私は、妻和美に対して感謝の気持ちで一杯です。とともに、このような陳述書を書かざるを得なくなった妻和美に対して、心から申し訳ないという気持ちがしています。
生田暉雄弁護士の書かれた準備書面には、私と妻和美は二人とも三障四魔に侵されている状態であると記載されています。この準備書面を一読して、私は生田弁護士の日蓮仏法に関する理解能力に驚愕しました。
日蓮大聖人は、成仏しようとする際には様々な障害が現れると説かれています。私も妻和美も、悟りを開こうとする人間の前に立ちはだかる第六天の魔王の走狗と化した創価学会の一部幹部達によって、大変な人権侵害を受けています。その結果、私は、ますます自身の信仰心を鍛えられています。このような試練を与えてくれるきっかけを与えてくれた妻和美に対して、私は心の底から感謝しています。
日蓮大聖人の御書の中に「法華経を信じる者は冬の如し。冬は必ず春となる。未だ昔より聞かず、見ず、冬の秋と返れる事を『法華経』を信じる人の凡夫となる事を。経文には『もし法を聞くことあらん者は一として成仏せずということ無けん。』と説かれて候。」という一節があります
私は今回の体験から、この一節のポイントは「法華経を信じる者は冬の如し。」という点にあるのではないかと感じています。経文通りの実践を貫くならば、法華経を信じる者は厳寒の冬を体験せざるを得なくなるのではないかと考えています。
私は、妻和美のおかげで、この御書を身読することができたような気がしています。その意味でも、妻和美に対して心から感謝しています。ありがたい限りです。
厳寒の冬も、春の訪れとともに、いっせいに草木が芽生えます。冬が厳しければ厳しい程、春の花々の美しさは素晴らしいと感じることでしょう。将来、妻和美、息子一成、娘知絵、そして、義母坂本澄子氏とともに、日蓮大聖人の教えに適った生活ができる日が到来することを心より楽しみにしています。
 
裁判に対する要望
 
裁判に対する要望につきましては、結論のみを申し上げ、別の陳述書で詳細を述べることにします。この訴訟については、以下のいずれかの対処をなさって下さいますようにお願い申し上げます。
一つは、生田弁護士が準備書面の中で述べておられますように、速やかに、妻和美と代理人達の離婚請求を棄却して頂きたいと存じます。
速やかに棄却して頂きたいという理由は、本件が宗教上の争いであるからです。生田弁護士が準備書面で主張されているように、この裁判は離婚裁判にはなじまないものです。
一つは、もし速やかに棄却されないのであれば、逆に、徹底的に時間をかけて真相を明らかにした上で、妻和美の請求を棄却して頂きたいと存じます。
矛盾するような主張かもしれませんが、私は、裁判の席を通じて真相を明らかにする覚悟が定まりました。真相が明らかになれば、妻和美が宗教的呪縛から解放される可能性が高くなるのではないかと思われるからです。
また、裁判が継続している限り、創価学会の一部幹部達は、私に危害を加えることは困難ではないかと考えられるからです。
裁判官殿に置かれましては、本件の特殊な事情をご理解の上、妻和美の離婚請求を棄却される判決を下されることをお願い申し上げます。
 
banner_21.gif
 ブログランキングに参加しています

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村



カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
4 5 6 7 8
11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
プロフィール
HN:
本名:髙倉良一(たかくらりょういち)
性別:
男性
職業:
大学教員
趣味:
思索と散歩と映画鑑賞
自己紹介:
HN:希望
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
最新コメント
[10/29 日本国侵略・皇室乗っ取りのナチスのカトリック]
[10/28 桃太郎]
[10/27 高松市民]
[10/25 NONAME]
[10/23 桃太郎]
フリーエリア
最新トラックバック
バーコード
ブログ内検索
P R
アクセス解析
カウンター

Copyright © [ 白バラ通信 パンドラの箱 ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート and ブログアクセスアップ
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]