「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」
以下、桃太郎様が、2011年12月4日から2012年1月7日にかけて投稿されたコメントをご紹介致します。桃太郎様のコメントに、私は、とても励まされています。
» 無題
四国高松も紅葉が深まり、晩秋と初冬が入り乱れての毎日かと存じます。お忙しいこととは拝察いたしますが、時には、紅葉を楽しむ時間を持たれ、心のリフレッシュをされるのも大切なことかと思われます。
これから,益々寒さが増してきます。ご自愛くださいますよう。
先月末、近くの京都の紅葉を楽しんできました。昨年の紅葉より見栄えが悪かったように感じました。それにしても、場所・寺社によれば、一日何千人?・・若しかして何万人かも知れないという観客で歩くことも大変なほどでした。行かなければいいのですが、家から近いのでつい出かけてしまい、その度に拝観料の高いことに腹を立てています。毎日、何百万円もの拝観料を得て、どうするのでしょうか?維持・管理費にどれだけかかるのでしょうか?
福島、宮城、岩手の東北三県の紅葉はどうでしょうか?・・・ね。TVニュースでみかけたのでは、旅館・ホテルの予約申し込みが悲惨な状況であり、又、漁業関係に生きている方々では、食品工場の再建資金が得られず厳しいところへ追いつめられている事業主の姿がありました。( 国の補助金を受けるには、3割程度の自己資金の準備が必要とされており、その融資が金融機関から得られないということでした。)
四月の頃、「メディア、知識人、各関係者」などが盛んに言っていたのは、「震災支援は一時的なものに終わるのではなく、継続が大事だ」ということではなかったのか?
これから先、益々寒さが増してくる時期に、「国会の先生方」は何をしているのでしょうか?・・ね。数日前、岩手県知事が「仮設住宅」に一晩宿泊され、その寒さを実感し、対策を具体的に職員と検討したいと話しておられた姿を見かけました。「極限で生活している人々の立場」に立って考え・行動する姿勢が、国会議員さんには絶対欠かせないということを知って貰いたいものです。TVニュースから各県の職員の方がよほど頑張っているのではないかという感想が全国の視聴者に持たれたことでしょう。
「創価学会」は毎年莫大な「供養・寄付」を集められており、しかも、利他行・菩薩行をよびかけての学会活動ですから、こんなニュースを見かけたら居ても立ってもいられなくなり、学会組織は莫大な資金援助を、各会員さんは心の籠った援助を頑張ってなさっておられるのでしょうか?・・・ね。ぜひとも尋ねてみたいものです。
全国の「宗教法人」に関わって生きている方々も、これらのニュースをご覧になっていると思うのですが、何を感じ何を考えられているのでしょうか? 国家財政も破綻しており、「財政支出削減」は当然のことであっても、「事業仕分け」ではそれほど財源を期待できず、「国会議員・公務員削減」問題は遅々として進まない等々の状態で、「宗教法人が暴利を貪る問題」に手をつけないで、「消費税率アップの問題」に手をつけるというのは、国民は納得し難いと思うのですが、私の考え違いなのでしょうか? 諸外国での「宗教法人課税」の問題はどうなっているのか、どなたか教えて下さればと思っています。
矢野氏が出版の「乱脈経理」が世間で盛んに取りざたされています。宗教法人税が何かと問題になる度に、「創価学会の脱税問題」が必ずクローズアップされています。非課税の宗教施設を選挙に使うという一連の行為によって、政教分離を定めた憲法をも貶めています。それに対して、既成宗教、新宗教の宗教界の多くは、表向き何も言わない、言えないのが実状のようです。宗教法人税制の「共通利害」がその底流にあるからでしょう。「公明党」が存在する限りは「宗教法人税」は安泰であるという、こんな奇妙な「安堵感」を宗教界は持っているのではないだろうか?・・とは私の憶測に過ぎないのかな・・・? こんな姿勢だから、「カルト教団」の反社会的な行動に毅然とした批判・対処もできないのだろうと、広く世間が疑っても仕方ないと思ってしまいます。
それにしても、他の「既成宗教」・「新宗教」の教団は、「創価学会」の勢力拡大には神経を尖らせながらも、政権与党から降りたら途端に「宗教法人税」の改革問題では沈黙どころか、拒否反応を示すという、何とも宗教団体というものは姑息で汚いものかと、溜息も出ません。ある意味で、「創価学会」からお金を貰っているようなものです。
池田先生が国内であっても一度旅行に出れば何百万円以上の経費がかかっているそうですが、年間ではいくらになっていたのでしょうか? 聞くところでは、全国に20数か所に「研修所」と称して、「池田先生」のための特別施設が準備されているそうですが、貧しい会員の方からの財務・寄付が如何に多くても、「池田先生」個人のものではありません。課税すべきところに課税できないでいて、厳しく治めさせられる我々の税金は何なんでしょうか? 政府による国民からの搾取・略奪と云ってもいいものでしょう。
外車を乗り回すという既成教団の若いお坊さんが居られると聞いたことがあり、寺社の全てに該当するものではないにしても、「創価学会」と同じ穴のムジナであり、堕落の極みでしょう。こんな「税金の問題」や「腐敗の問題」を抱えていて「創価学会」の批判もないものでしょう。
これらの問題を放置していて、「税と社会保障の一体改革」なんかの表向きの宣伝をされても、「ハイ、そうですか」と国民の誰も頭をタテにはしないでしょう。
今後、益々「矢野氏」の内部告発が続いて出されて、「創価学会」の暗闇が全国民に明らかにされて欲しいものです。
< 参考までに >
この度、「矢野氏」が「創価学会」の脱税問題を広く世間に知らしめたのですが、既に、「龍 年光氏」の著作で「池田創価学会の脱税を糾弾する」という著書があります。第二次宗門問題の最中に出されたもので、脱税問題の他にも「池田創価問題」が分かりやすく書かれています。
( 龍 年光氏は大正10年生まれ池田氏より8歳年上で、昭和21年から日蓮正宗の信徒となり、昭和34年から60年まで都議会議員7回連続、福議長も爪、平背手2年に「創価学会」を脱会し、「創価学会を解散させよ」の著書を出版し(平成2年)、全面的に池田独裁体制と闘っている。)
桃太郎 2011/12/04(Sun)19:52:56 編集
» 無題
公明党・創価学会は次期総選挙へ向けて準備体制に入っているそうである。どのようなスタンスで臨もうとしているのだろうか?大阪府知事・市長のダブル選挙では、「表向き」は自主投票のスタンスであったそうである。今さら驚くことはないのだが、相変わらず「風見鶏」の姿をしっかりと見せてくれているようである。
中央政界では、民主と自民の二大政党の間を巧みに泳ぎ回り、大阪ダブル選挙では民主と自民への等距離のスタンスを見せながら、実はその陰で「勝ち馬に乗る」という狡猾さを貫いたと云えそうである。その見えにくい部分をジャーナリストの「山村明義氏」が次のように報告している。
≪ ・・・・・・。選挙直前、橋本徹氏のブレーンである「堺屋太一氏」と創価学会の「西口良三副理事長」が二度に亘って会談している。中央政界では民主と自民の間を巧みに泳ぎ回りながら、・・・・大阪ダブル選挙では「自主投票」と云うポーズをとり、それ以上に強い勢力が現れれば。すぐに態度を変化させる。・・・・・等々。≫
局所的には、自民にスタンスを置きながら、陰では民主にも接近できる余地を残すという「ダブルスタンダード」はお家芸でお手の物である。実際のところ、何が本当なのかは、一般国民は勿論のこと、学会員でさえ分かっていないであろうと思われる。
唯、分かっているのは、「創価学会・池田教」が安泰でありさえすれば「善し」とすることだけである。公明党の毅然とした国民へ向けての政策・信念などを示す覚悟もなければ、力もない。ひたすら党利党略に走り、政治をかき混ぜるだけである。公明党が与党に最接近するのは、総選挙後のことだろう。自らの立ち位置を明確にすることなく、「国民政党です」などと言っても、誰も信じないだろう。
丸ごと「創価学会党」である。どちらにつくのが得策か、右に向いたり左に向いたりの政党に嫌気もささず、学会員の人達は、次期選挙ではまたまた選挙運動を信仰にして「功徳?」を求め走り回るのだろうか?これが「宗教団体」とはとても思えない。「宗教法人」の仮面を被った「政治団体」の何ものでもない。政教一致の「憲法違反」です。選挙運動は信仰にはならない。国法、世間法より仏法が上にあるなどという教えは、「日蓮」「法華経」を悪しく用いた邪教「カルト」て゛あり、絶対にあってはならないことである。
学会員の多い大阪のことだから、大阪府知事選くらいは、民主自民の双方に毅然と距離を置き、単独候補を立てて政策を訴えたらどうか、と思う。・・・とは言っても、始めから勝てない試合には顔さえ出さないのが公明党の基本スタンスだそうであるから、絶対にそれはないだろう。
『先生に傷をつけてはならない』こと、これが公明党存立の絶対条件である・・・と聞いたことがある。公明党議員で、学会員以外の議員はどれくらいいるのだろうか? 正に公明党は「創価学会党」になっているのではないだろうか?
この20年間日本の政治の流れを見ると、公明党が政治に「揺さぶり」をかければかけるほど政治の劣化・腐敗が進んだのも事実であろう。
政治家がずる賢いのか、国民が「ノ―天気」なのか?日本に「政党政治」「民主政治」は根付かずである。
元々、「宗教法人」に認められていること自体がおかしい「創価学会」の「脱税もみ消し事件」に手を貸す政党は、国民へ反逆罪?を犯していることになりはしないか。即刻解党すべきである。
ヨーロッパ諸国、他の諸外国でも「カルト」(宗教セクト)と指定されている「創価学会」が、自ら作った政党に犯罪のもみ消しをさせたり、政党を利用して他へ圧力・脅威を加えるなど、もっての外である。諸外国人から見れば、とても理解できない事態が先進国日本?で大手を振って闊歩している。日本民族として恥かしい限りである。即刻に宗教法人格を剥奪すべきである。
矢野氏の内部告発「乱脈経理」をまさか「嘘・デマ」とは言えまい。過去40年間でどれほどの重要幹部が「内部の真実」を告発してきたことか、その逐一を挙げればきりが無い。
一方でようやくにして、末端の会員さんの具体的でやり切れない悲しい告発が近年相次いで報告されるようになり、創価学会の真実が広く国民に知れるようになってきた。大いに望ましいことである。
外部の者も微力ながら、騙され続けている貧しい会員さんへの支援の手を差し伸べたい。まずは、広く国民に真実を知って貰うことが緊急の課題である。
桃太郎 2011/12/14(Wed)13:29:25 編集
» 明けましておめでとうございます
希望様 明けましておめでとうございます。
新春早々、感動のメッセージに胸が震えました。
『永遠の命と思って夢を持ち』 希望様とともに
上を向いて歩んでいきたいと思います。
本年こそ希望さまにとって輝かしい一年になりますよう 心からお祈り申しあげます。
平成24年 元旦 桃太郎より
桃太郎 2012/01/01(Sun)20:23:08 編集
» 流れ星さんへ
流れ星さん 桃太郎です。
お久しぶりです。年末は少し遠くに出掛けていましたので。 本年もよろしくお願いいたします。
新年早々、念のいった印刷された「年賀状」を頂戴されたようで、・・・ゴミ箱には勿体ないのでは、と笑ってしまいました。
<一言も言葉を交わさず・・・、縁も持たず、1年を無事に終わらせたいです。>
そのように、成就できますことを、お祈りするばかりですが、・・・果たして・・・?
<だって彼らにしたら、私は不幸せになって貰わねばならない存在なのですから・・・。>
ますます、笑ってしまいました。彼らはどこかの国からお越しになられたお方でしょうか? 自分で考えることなく生きられるのですから、これくらいノ―天気・御花畑の生活も、気分の上だけにおいては上々なのでしょうね。暮らしの実態は、果たしてどうですかね?
何十年も選挙違反に走り回っていて、目覚めた時には何を思うのでしょうか? 目覚めるのが恐ろしいのではないでしょうか? いやいや、法律や憲法より「創価仏法」の方が高いのですから、並々のことでは目が覚めないでしょうね?
コピーのニセ本尊を拝まされても平気なのでしょうか? ご供養のお金が、金融投資に、企業拡大へ化けたり、生コンの箱モノをやたらと増やしたり等々、大切な自分のお金が信心以外に利用されていて、これも大有りなんでしょうか?
それにしても、二世・三世さんは気の毒です。せめて、教義内容への気づきはともかくも、社会悪・犯罪まがいのことは直ちに止めて貰いたいものです。世間一般に被害・迷惑はかけて欲しくないものです。被害者であると同時に加害者にもなっていることに早く気づいて欲しいものです。
各支部で各組織で走り回られている役員の皆さんには、内部の上からの情報だけでなく、悩み苦しんでいる多くの会員さんの真実の声に耳を傾け、謙虚にそれを受け止め、名実ともに「正しい宗教人」として生きていただきたいものです。自ら宗教人としての尊厳を傷つけることなく、組織の人間である前に良識ある一日本人として、広く日本の民主政治の確立のためにその有能な才能を発揮されることを、外部の者としても切にお願いしたいものです。
身を退かれた流れ星さんには、時折、心の傷を思い起こさせられることがあろうとも、ご家族を大切にし新しい年を充実させ幸せを掴んでいただきたいと願っています。
<補足>
年末に、トラブルがあったようですね。
ブログ上の問題がなかったなら・・・という問題と、同じ方向を向いているのに、・・・少しばかりの立ち位置がずれていることで、こんなことになって本当に残念です。
「言葉」は使い方によっては、自分で自分を煽り、本当の自分とは「ずれたもの・内面」をその場て相手に与えてしまうこともあるものです。私が度々いろいろな場所で経験していますので、貴女の気持ちもよく解るように思えます。私も自分の感情や言葉に自分で酔ってしまうほうですから・・・・出会いがしらの交通事故のような感じもしますけどね。
違っていたらごめんなさい。
これからもよろしくお願いしますね。
桃太郎 2012/01/07(Sat)14:17:03
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» 無題
四国高松も紅葉が深まり、晩秋と初冬が入り乱れての毎日かと存じます。お忙しいこととは拝察いたしますが、時には、紅葉を楽しむ時間を持たれ、心のリフレッシュをされるのも大切なことかと思われます。
これから,益々寒さが増してきます。ご自愛くださいますよう。
先月末、近くの京都の紅葉を楽しんできました。昨年の紅葉より見栄えが悪かったように感じました。それにしても、場所・寺社によれば、一日何千人?・・若しかして何万人かも知れないという観客で歩くことも大変なほどでした。行かなければいいのですが、家から近いのでつい出かけてしまい、その度に拝観料の高いことに腹を立てています。毎日、何百万円もの拝観料を得て、どうするのでしょうか?維持・管理費にどれだけかかるのでしょうか?
福島、宮城、岩手の東北三県の紅葉はどうでしょうか?・・・ね。TVニュースでみかけたのでは、旅館・ホテルの予約申し込みが悲惨な状況であり、又、漁業関係に生きている方々では、食品工場の再建資金が得られず厳しいところへ追いつめられている事業主の姿がありました。( 国の補助金を受けるには、3割程度の自己資金の準備が必要とされており、その融資が金融機関から得られないということでした。)
四月の頃、「メディア、知識人、各関係者」などが盛んに言っていたのは、「震災支援は一時的なものに終わるのではなく、継続が大事だ」ということではなかったのか?
これから先、益々寒さが増してくる時期に、「国会の先生方」は何をしているのでしょうか?・・ね。数日前、岩手県知事が「仮設住宅」に一晩宿泊され、その寒さを実感し、対策を具体的に職員と検討したいと話しておられた姿を見かけました。「極限で生活している人々の立場」に立って考え・行動する姿勢が、国会議員さんには絶対欠かせないということを知って貰いたいものです。TVニュースから各県の職員の方がよほど頑張っているのではないかという感想が全国の視聴者に持たれたことでしょう。
「創価学会」は毎年莫大な「供養・寄付」を集められており、しかも、利他行・菩薩行をよびかけての学会活動ですから、こんなニュースを見かけたら居ても立ってもいられなくなり、学会組織は莫大な資金援助を、各会員さんは心の籠った援助を頑張ってなさっておられるのでしょうか?・・・ね。ぜひとも尋ねてみたいものです。
全国の「宗教法人」に関わって生きている方々も、これらのニュースをご覧になっていると思うのですが、何を感じ何を考えられているのでしょうか? 国家財政も破綻しており、「財政支出削減」は当然のことであっても、「事業仕分け」ではそれほど財源を期待できず、「国会議員・公務員削減」問題は遅々として進まない等々の状態で、「宗教法人が暴利を貪る問題」に手をつけないで、「消費税率アップの問題」に手をつけるというのは、国民は納得し難いと思うのですが、私の考え違いなのでしょうか? 諸外国での「宗教法人課税」の問題はどうなっているのか、どなたか教えて下さればと思っています。
矢野氏が出版の「乱脈経理」が世間で盛んに取りざたされています。宗教法人税が何かと問題になる度に、「創価学会の脱税問題」が必ずクローズアップされています。非課税の宗教施設を選挙に使うという一連の行為によって、政教分離を定めた憲法をも貶めています。それに対して、既成宗教、新宗教の宗教界の多くは、表向き何も言わない、言えないのが実状のようです。宗教法人税制の「共通利害」がその底流にあるからでしょう。「公明党」が存在する限りは「宗教法人税」は安泰であるという、こんな奇妙な「安堵感」を宗教界は持っているのではないだろうか?・・とは私の憶測に過ぎないのかな・・・? こんな姿勢だから、「カルト教団」の反社会的な行動に毅然とした批判・対処もできないのだろうと、広く世間が疑っても仕方ないと思ってしまいます。
それにしても、他の「既成宗教」・「新宗教」の教団は、「創価学会」の勢力拡大には神経を尖らせながらも、政権与党から降りたら途端に「宗教法人税」の改革問題では沈黙どころか、拒否反応を示すという、何とも宗教団体というものは姑息で汚いものかと、溜息も出ません。ある意味で、「創価学会」からお金を貰っているようなものです。
池田先生が国内であっても一度旅行に出れば何百万円以上の経費がかかっているそうですが、年間ではいくらになっていたのでしょうか? 聞くところでは、全国に20数か所に「研修所」と称して、「池田先生」のための特別施設が準備されているそうですが、貧しい会員の方からの財務・寄付が如何に多くても、「池田先生」個人のものではありません。課税すべきところに課税できないでいて、厳しく治めさせられる我々の税金は何なんでしょうか? 政府による国民からの搾取・略奪と云ってもいいものでしょう。
外車を乗り回すという既成教団の若いお坊さんが居られると聞いたことがあり、寺社の全てに該当するものではないにしても、「創価学会」と同じ穴のムジナであり、堕落の極みでしょう。こんな「税金の問題」や「腐敗の問題」を抱えていて「創価学会」の批判もないものでしょう。
これらの問題を放置していて、「税と社会保障の一体改革」なんかの表向きの宣伝をされても、「ハイ、そうですか」と国民の誰も頭をタテにはしないでしょう。
今後、益々「矢野氏」の内部告発が続いて出されて、「創価学会」の暗闇が全国民に明らかにされて欲しいものです。
< 参考までに >
この度、「矢野氏」が「創価学会」の脱税問題を広く世間に知らしめたのですが、既に、「龍 年光氏」の著作で「池田創価学会の脱税を糾弾する」という著書があります。第二次宗門問題の最中に出されたもので、脱税問題の他にも「池田創価問題」が分かりやすく書かれています。
( 龍 年光氏は大正10年生まれ池田氏より8歳年上で、昭和21年から日蓮正宗の信徒となり、昭和34年から60年まで都議会議員7回連続、福議長も爪、平背手2年に「創価学会」を脱会し、「創価学会を解散させよ」の著書を出版し(平成2年)、全面的に池田独裁体制と闘っている。)
桃太郎 2011/12/04(Sun)19:52:56 編集
» 無題
公明党・創価学会は次期総選挙へ向けて準備体制に入っているそうである。どのようなスタンスで臨もうとしているのだろうか?大阪府知事・市長のダブル選挙では、「表向き」は自主投票のスタンスであったそうである。今さら驚くことはないのだが、相変わらず「風見鶏」の姿をしっかりと見せてくれているようである。
中央政界では、民主と自民の二大政党の間を巧みに泳ぎ回り、大阪ダブル選挙では民主と自民への等距離のスタンスを見せながら、実はその陰で「勝ち馬に乗る」という狡猾さを貫いたと云えそうである。その見えにくい部分をジャーナリストの「山村明義氏」が次のように報告している。
≪ ・・・・・・。選挙直前、橋本徹氏のブレーンである「堺屋太一氏」と創価学会の「西口良三副理事長」が二度に亘って会談している。中央政界では民主と自民の間を巧みに泳ぎ回りながら、・・・・大阪ダブル選挙では「自主投票」と云うポーズをとり、それ以上に強い勢力が現れれば。すぐに態度を変化させる。・・・・・等々。≫
局所的には、自民にスタンスを置きながら、陰では民主にも接近できる余地を残すという「ダブルスタンダード」はお家芸でお手の物である。実際のところ、何が本当なのかは、一般国民は勿論のこと、学会員でさえ分かっていないであろうと思われる。
唯、分かっているのは、「創価学会・池田教」が安泰でありさえすれば「善し」とすることだけである。公明党の毅然とした国民へ向けての政策・信念などを示す覚悟もなければ、力もない。ひたすら党利党略に走り、政治をかき混ぜるだけである。公明党が与党に最接近するのは、総選挙後のことだろう。自らの立ち位置を明確にすることなく、「国民政党です」などと言っても、誰も信じないだろう。
丸ごと「創価学会党」である。どちらにつくのが得策か、右に向いたり左に向いたりの政党に嫌気もささず、学会員の人達は、次期選挙ではまたまた選挙運動を信仰にして「功徳?」を求め走り回るのだろうか?これが「宗教団体」とはとても思えない。「宗教法人」の仮面を被った「政治団体」の何ものでもない。政教一致の「憲法違反」です。選挙運動は信仰にはならない。国法、世間法より仏法が上にあるなどという教えは、「日蓮」「法華経」を悪しく用いた邪教「カルト」て゛あり、絶対にあってはならないことである。
学会員の多い大阪のことだから、大阪府知事選くらいは、民主自民の双方に毅然と距離を置き、単独候補を立てて政策を訴えたらどうか、と思う。・・・とは言っても、始めから勝てない試合には顔さえ出さないのが公明党の基本スタンスだそうであるから、絶対にそれはないだろう。
『先生に傷をつけてはならない』こと、これが公明党存立の絶対条件である・・・と聞いたことがある。公明党議員で、学会員以外の議員はどれくらいいるのだろうか? 正に公明党は「創価学会党」になっているのではないだろうか?
この20年間日本の政治の流れを見ると、公明党が政治に「揺さぶり」をかければかけるほど政治の劣化・腐敗が進んだのも事実であろう。
政治家がずる賢いのか、国民が「ノ―天気」なのか?日本に「政党政治」「民主政治」は根付かずである。
元々、「宗教法人」に認められていること自体がおかしい「創価学会」の「脱税もみ消し事件」に手を貸す政党は、国民へ反逆罪?を犯していることになりはしないか。即刻解党すべきである。
ヨーロッパ諸国、他の諸外国でも「カルト」(宗教セクト)と指定されている「創価学会」が、自ら作った政党に犯罪のもみ消しをさせたり、政党を利用して他へ圧力・脅威を加えるなど、もっての外である。諸外国人から見れば、とても理解できない事態が先進国日本?で大手を振って闊歩している。日本民族として恥かしい限りである。即刻に宗教法人格を剥奪すべきである。
矢野氏の内部告発「乱脈経理」をまさか「嘘・デマ」とは言えまい。過去40年間でどれほどの重要幹部が「内部の真実」を告発してきたことか、その逐一を挙げればきりが無い。
一方でようやくにして、末端の会員さんの具体的でやり切れない悲しい告発が近年相次いで報告されるようになり、創価学会の真実が広く国民に知れるようになってきた。大いに望ましいことである。
外部の者も微力ながら、騙され続けている貧しい会員さんへの支援の手を差し伸べたい。まずは、広く国民に真実を知って貰うことが緊急の課題である。
桃太郎 2011/12/14(Wed)13:29:25 編集
» 明けましておめでとうございます
希望様 明けましておめでとうございます。
新春早々、感動のメッセージに胸が震えました。
『永遠の命と思って夢を持ち』 希望様とともに
上を向いて歩んでいきたいと思います。
本年こそ希望さまにとって輝かしい一年になりますよう 心からお祈り申しあげます。
平成24年 元旦 桃太郎より
桃太郎 2012/01/01(Sun)20:23:08 編集
» 流れ星さんへ
流れ星さん 桃太郎です。
お久しぶりです。年末は少し遠くに出掛けていましたので。 本年もよろしくお願いいたします。
新年早々、念のいった印刷された「年賀状」を頂戴されたようで、・・・ゴミ箱には勿体ないのでは、と笑ってしまいました。
<一言も言葉を交わさず・・・、縁も持たず、1年を無事に終わらせたいです。>
そのように、成就できますことを、お祈りするばかりですが、・・・果たして・・・?
<だって彼らにしたら、私は不幸せになって貰わねばならない存在なのですから・・・。>
ますます、笑ってしまいました。彼らはどこかの国からお越しになられたお方でしょうか? 自分で考えることなく生きられるのですから、これくらいノ―天気・御花畑の生活も、気分の上だけにおいては上々なのでしょうね。暮らしの実態は、果たしてどうですかね?
何十年も選挙違反に走り回っていて、目覚めた時には何を思うのでしょうか? 目覚めるのが恐ろしいのではないでしょうか? いやいや、法律や憲法より「創価仏法」の方が高いのですから、並々のことでは目が覚めないでしょうね?
コピーのニセ本尊を拝まされても平気なのでしょうか? ご供養のお金が、金融投資に、企業拡大へ化けたり、生コンの箱モノをやたらと増やしたり等々、大切な自分のお金が信心以外に利用されていて、これも大有りなんでしょうか?
それにしても、二世・三世さんは気の毒です。せめて、教義内容への気づきはともかくも、社会悪・犯罪まがいのことは直ちに止めて貰いたいものです。世間一般に被害・迷惑はかけて欲しくないものです。被害者であると同時に加害者にもなっていることに早く気づいて欲しいものです。
各支部で各組織で走り回られている役員の皆さんには、内部の上からの情報だけでなく、悩み苦しんでいる多くの会員さんの真実の声に耳を傾け、謙虚にそれを受け止め、名実ともに「正しい宗教人」として生きていただきたいものです。自ら宗教人としての尊厳を傷つけることなく、組織の人間である前に良識ある一日本人として、広く日本の民主政治の確立のためにその有能な才能を発揮されることを、外部の者としても切にお願いしたいものです。
身を退かれた流れ星さんには、時折、心の傷を思い起こさせられることがあろうとも、ご家族を大切にし新しい年を充実させ幸せを掴んでいただきたいと願っています。
<補足>
年末に、トラブルがあったようですね。
ブログ上の問題がなかったなら・・・という問題と、同じ方向を向いているのに、・・・少しばかりの立ち位置がずれていることで、こんなことになって本当に残念です。
「言葉」は使い方によっては、自分で自分を煽り、本当の自分とは「ずれたもの・内面」をその場て相手に与えてしまうこともあるものです。私が度々いろいろな場所で経験していますので、貴女の気持ちもよく解るように思えます。私も自分の感情や言葉に自分で酔ってしまうほうですから・・・・出会いがしらの交通事故のような感じもしますけどね。
違っていたらごめんなさい。
これからもよろしくお願いしますね。
桃太郎 2012/01/07(Sat)14:17:03
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» カルトの歴史「これが創価学会の真実だ!(笑)」
高倉先生30万プレビュー越えおめでとうございます。
皆さんの参考になればと考えまして、私見ですが創価学会の歴史についての簡単な説明をさせて頂きます。
牧口常三郎は、日蓮独自の天照大神が記された曼荼羅と、南朝を正統とする大日本皇道立教会に代表される国粋主義とを合体させる思想に注目し、国粋主義者達と交流することで当時の政治家達と知遇を得ることになりました。
そして仏教の捏造教義(注1)である「人類は救いようが無い末法の衆生である」との恐ろしく傲慢な押し付けと、マルキシズムの理論の「大衆は愚かである」との傲慢な誤解の共通点に目をつけて、「志賀重昂や日蓮やヘーゲルやマルクス以上の思想を作り上げその体現者となる(笑)」との己の野心の為に、日蓮の教義を利用して『価値論』(注2)を著し、さらに日蓮正宗を利用して創価教育学会を設立しました。
しかし牧口の目論見は、当時の社会状況の変化により見事に挫折して、獄中で無残な最期を遂げました。
戦後、戸田城聖が「牧口の意思を継いで社会変革の体現者となる(笑)」との己の野心の為に設立した創価学会は、「国家社会主義」と「末法破滅思想」と「仏教」と「日蓮正宗」の教義を合体し捏造して作り上げたカルト(注3)教義を「人間革命(笑)」の言葉を旗印にして戦後の日本の混乱の中で、社会から見放された階級層の人々の帰属意識と目的意識を巧妙に利用して信者に取り込んでいきました。
そして信者達の、日本文化固有の親切心を歪ませて拡大させた上に、社会変革行為と、社会に見当はずれの復讐をさせる行為を、同一視させる詐欺同然の指導による「カルト大乗活動」で勢力を拡大していきました。
さらに、牧口に紹介された保守系の政治家や権力者達と交渉して、創価学会の熱心な信者達を大量に地方議員にして、与党に敵対する左翼政党の勢力を阻害することで、お互いの利害を一致させ協力関係を結びました。
戸田は、創価学会を日本最大の宗教団体にして勢力を拡大することで、日本固有の文化を破壊し、政治 経済 教育 を侵害して国家転覆をし、その後に世界制覇を目論んでいました。
しかし、創価学会が政治に介入してしまったことで、組織が次第に権力者達に取り込まれていくことによるストレスを解消する為に、浴びるように酒を飲み、過度の飲酒で判断力と体力を喪失し、「創価学会から一念三千様(久遠元初の仏)が現れ全てを救ってくれるだろう(笑)」との虚言を、獄中に閉じ込められて酷くなった妄想癖と、酒で破壊された脳細胞から搾り出して、責任逃れをし続けながら、病による無残な最期を遂げました。
戸田の跡継ぎの座を無理やり奪い取った、愚かすぎるほどのコンプレックスの塊である池田大作は、大蔵商事での高利貸し業務で、裏社会の有力者達や、朝鮮人勢力の有力者達と知遇を得ることになり、独自に彼らとの協力関係を築き上げ「世界に教えを広める為には金が必要だ」「金で功徳を手に入れられる」との大意の言葉を旗印にして、信者達から財務と称して、財産を巻き上げて蓄えた資金力で、政教分離の原則を侵害する公明党を設立して、積極的に政治に介入し日本を支配しようと画策しました。
公明党が与党に転じたのは池田の当初からの目論見であったと推察します。
そして、小説『人間革命』を、『法華経』と日蓮の『御書』と『三国志』等を稚拙に真似、釈尊や日蓮や歴史上の有名人を利用して、池田大作と戸田城聖と牧口常三郎を宣揚する為の創価学会の捏造物語にして、信者達に閉ざされたカルト教義と物語を刷り込む手段にしました。
それから、創価学会の紅衛兵を養成する為に、創価学園を設立して、無節操に寄せ集められた著名人の言葉で捏造して作り上げた創価思想(笑)で学生達を洗脳して、池田に忠誠を誓う狂信者達を社会に送り込んでいきました。
さらに、手っ取り早く日本を支配する為に、「総体革命」の名の下に、社会の重要な場所に洗脳した信者達を潜入させて、その権力と影響力を拡大していきました。
仕上げに、日蓮正宗を否定して、宗教家(苦笑)であり教育者(苦笑)であり思想家(苦笑)であるとのマルチな位置づけで、日蓮を超える「永遠の指導者(笑)」になることで己を神格化し、世界制覇への野望をむき出しにしたのです。
しかし現在池田は、長年に渡る過度の暴食と、健康など考慮しない怠惰な生活の報いを受け、糖尿病、心臓疾患、脳梗塞等の重度の合併症で意識が混濁した状態に陥いっています。
実は池田は創価学会と信者を見捨て、すでに海外に逃亡しているか、逃亡を計画中であるとの噂もありますが、いずれにせよ、内外共に1年数ヶ月以上も不在の状態が続いているのは間違いない事実です。
そして現在、その日本社会の寄生虫同然の存在である創価学会は、「永遠の指導者(笑)」の不在と、中央組織内の熾烈な派閥抗争(笑)の為に、衰退への途を辿る無残な様相を呈しています。
信者や財務の減少により、次第に勢力が減少している創価学会は、池田と側近達が、信頼していた人間に裏切られたとの言い訳等で、日蓮正宗と和解交渉をするシナリオと、お得意の敵対者達を冤罪に陥れるシナリオと、衆議院選挙か池田を被告にした裁判の直前に池田の死を公開して、カルト信者達を煽るシナリオで、最後の悪あがきをする以外はないであろうと推察します。
カルト教義と、無節操に寄せ集められた著名人の言葉で捏造した創価思想(笑)を盲信した狂信者達は、長時間呪文を唱え、言葉と行動が乖離した絶対的に矛盾する、傲慢この上ない自称「ジユノボサツの修行」の名の下に、人を支配し敵対者を憎悪することに熱狂する「仏性」を冒涜した活動により、心が引き裂かれて次第に人格が壊れてしまった挙句の果てに、人格障害(注4)や鬱病や精神障害に陥り自らの人生を破綻させています。
日本固有の文化の特色である、自尊心、道徳心、尊重心、責任感、美意識、誠意、謙譲の美徳、教養、どれ一つとして保っていない狂信者達の姿は、間違っても、信仰者どころかまともな人間の姿ではありません。
それどころかあらゆる手段で日本固有の文化と、日本人固有の心性を破壊するその姿は彼らの言うところの魔そのものなのです。
その狂信者達の無残な姿を目の当たりにして、ボサツの修行活動を止めることで覚醒した純真な学会員や脱会者の証言及び内部告発により、創価学会は社会的な信用を益々失い、教団は内部分裂し崩壊して、見事に破綻している渦中にあります。
創価学会は現在、残された資金と惰性で、かろうじて存在を許されている消える前のろうそくの火のような状態にすぎません(笑)
善意?の学会員達は、池田の死後に現れる「池田センセーにも問題が有ったのは事実だ、しかしセカイコーフの為に、私が創価学会を一回壊して、根本から立て直す(爆笑)」と言う大嘘つきに、上辺だけを作り直した朝礼暮改の教義で騙され、自分勝手に先の無い悪夢の続きに浸りたいが為だけに、潰れかけの組織にしがみついて、創価学会と共に滅んでいく道を選ぶことでしょう。
それでも創価学会のカルト信者達は、オウム真理教のカルト信者以上に、熱烈に艱難辛苦を望んでいるのですから嬉しくってたまらないことでしょう(苦笑)
死に体の創価学会はオウム真理教以上のスケープゴートにされることでしょうが自業自得です(笑)
オウム真理教は教義を「カルト小乗」から「カルト大乗」にして破綻しました。
創価学会の教義は元々「カルト大乗」ですから破綻して当然なのです。
オウム真理教や、創価学会のような、終末論を利用し煽る宗教や、思想が流行ることが、世の中の混乱の要因でしょう。
オウム真理教の真実は、日本社会の歪みと教育について、現在の問題点を考察する為の露払いにすぎませんでした。
創価学会の真実は、日本社会が根本的に抱える、様々な病理と矛盾と問題点を本格的に考察し、日本社会を抜本的に改善する為に非常に役立つことでしょう。
ひいては世界の過去から現在に至る、一神教とイデオロギーと権力との複雑な関係から発生した、様々な病理と矛盾と問題点を本格的に考察する為の参考になることでしょう。
日本で今後、オウム真理教や創価学会のようなカルト団体が、反社会的な活動をすることで起こす犯罪や、非常に厄介で深刻な社会問題を繰り返させない為には、自国の歴史ある固有の文化を尊重している欧州の先進国を見習って、カルト宗教教義や、マルキシズムに代表されるカルトイデオロギーを宣揚する団体に、権力及び金力を与えない仕組みを新しく作り上げる必要があります。
オウム真理教問題の後に、このような仕組みを作るのを妨害したのが何者なのかは、皆様方は良くご存知でしょう(笑)
ちなみに私はいかなる宗教団体の教えもイデオロギーも信じておりません(笑)
ほとんどの宗教団体や、イデオロギーを宣揚する団体は、諸刃の剣の権力そのものでしょう。
特にカルト宗教教義とカルトイデオロギー宣揚思想は、欲深く、胡散臭い人間達にとって、非常に魅力的な「権威」と言う名前の、人間を支配する為の便利な「道具」であり、世界を破壊することのみを目的とした「権力」になるのです。
唯一絶対の最高の真理などはこの世には存在しません。
そんなものがあれば、この世の中はここまでおかしくなる筈がありません。
真理とは人それぞれに固有のものですから、人様に強要できるものではないのです。
なぜならば、真理とは、主体性のある生き方を貫いた人間のみが手に入れることを許される自分だけの宝物だからです。
特定の宗教や思想を頼りにしなくても、良識を保ち、様々な苦悩をして、主体的に生きた無名の人々は、自分だけの固有の真理を作り上げています。
そして自分だけの固有の真理を、臆面もなく他者に押し付けるような、恥ずかしい真似はけっして行いません。
自分だけの固有の真理を真っ向から主張するのは、主体性の無い頭のおかしな人間が、偉そうに自分勝手に破綻した教義を図々しく押し付てきた場合だけでしょうか。
何を信仰の対象に選んだとしても、それはしょせん己の姿を写す鏡にすぎないのです(苦笑)
ちなみに宗教や思想や、未だに解明されない宇宙の法則を否定しているわけではないので念の為(笑)
以上「桃太郎」さん「元学会2世」さんのコメントを参考にさせて頂きました。
大変に勉強になりました。有難うございました。
完全に脱洗脳できてない純真な学会員さんは、安易に他の団体の人達に取り込まれないように注意してください。
完全に脱洗脳した純真な学会員さんは、普通の人より賢くなってますから大丈夫でしょうね。
まーどんな道を選ぼうと自己責任ですから別にいーんですけど(笑)
(注1)
中国にはインドから八万宝蔵と呼ばれる数多くの仏教経典がもたらされたが、それらの経典の内容はまちまちであった為、どれが真実の教えなのか判らない状態であった。そこで、中国の仏教者達は、それら膨大な経典を全て釈迦が説いたものという前提に立って、経典(補注1) に優劣を付け格付けをする教相判釈を立てた。
いくつかの教相判釈の中の1つが、天台宗の実質的な開祖である智顗(538-597)が立てた「五時教判」だが、現在の仏教学では、智顗の「五時教判」の内容は歴史的事実ではないと論破されている。
智顗が教相判釈の基準とした、大乗が小乗より上位であるとの説明は、大乗仏教側が部派仏教側を貶した説明である、大乗仏教側は部派仏教が用いていた釈迦の直説を比較的忠実に伝えている『阿含経』(補注1)を小乗教として軽んじ研究しなかった。
智顗が「五時教判」で、『阿含経』を最も低級な教えとして位置付けたのも、「阿含経は小乗教」という先入観念からと思われる。
『摩訶止観』は大乗仏教の論書でその中で説かれている「一念三千」は心の姿(実相)について、智顗が創案した教説である。
『大乗起信論』は大乗仏教の代表的概説書であり如来蔵思想の系統に立つ大乗仏教の論書で「唯識論」(天台宗や華厳宗などの法性宗は、「阿摩羅識」を加えて新たに「九識」を立てた)が説かれている。インドの2世紀の有名な仏教詩人馬鳴の作と伝えられているが、中国における偽作で実際の成立は5-6世紀のころだろうと考えられている。1巻、2巻の漢訳構成で、サンスクリット(補注2)訳経典も、チベット(補注3)訳経典も存在しない。
このようにして大乗仏教と小乗仏教という区分けが捏造されただけであり、元々釈迦は大乗仏教と小乗仏教という区分けを説いていなかったことが証明されている。
日蓮はこの智顗の五時教判説を拠所にして「法華経こそ真実最高の法」と主張し、法華経信仰を掲げただけにすぎない。
日蓮が自身の教えの根拠とする経典の元にした、「釈尊が四十四年未顕真実」と説いたとされている『無量義経』は、現在の仏教学では、西暦五百年頃に中国で作られた『法華経』の前に説かれたとされる『大乗経名無量義教菩薩法仏所護念』に仮託して作られた経典とされ、『法華経』の権威を高めるために捏造して創作された偽経典であるとされている。
『法華経』の断片はシルクロード各地では散見されるのだが 開経とされるはずの『無量義経』は一切見当たらない。
『無量義経』が法華経にとって重要な経典であるならば、『法華経』に付随して伝播するはずであるが、『無量義経』はサンスクリット経典も無く、チベット訳経典すらも存在しない出所不明の経典である。
なお、『法華経』は釈迦滅後、数百年後に成立しており、大乗仏教を理論的に体系化した龍樹菩薩の『竜樹の第一次結集』にも存在しない、その内容も釈迦時代を反映していない、釈迦の直説ではない偽作経典である。
「末法」の概念は、初期大乗仏典の『法華経』が創作された数百年後の、大乗仏教の勢いが衰えた時期に創作された中期大乗仏典の『大集経』の仏法衰退思想が、中国で末法思想展開の契機になったことから発生した区分けにすぎない。
このようにして釈迦滅後に創始された大乗仏教により「末法」という区分けが捏造されただけであり、元々釈尊は「正法」と「像法」の区分けは説いているが、「末法」という区分けを説いていなかったことが証明されている。
そして、この末法思想が日本にも伝えられ、日本では、鎌倉時代がその末法に突入する時期として認識され、衆生を救済する新しい仏法として、法然の浄土宗や親鸞の浄土真宗などの、念仏により死後に西方極楽浄土の阿弥陀如来の御許への往生を唱えた念仏信仰や、日蓮の法華経信仰などの法華一乗を唱えた鎌倉仏教が成立していったのである。
しかし曹洞宗を開いた道元は、釈迦在世でも愚鈍で悪事を働いた弟子もいたことや、末法を言い訳にして修行が疎かになることを批判し、末法思想を否定した。
特に日本では末法思想と終末思想が混同されて広まったという経緯がある。
末法思想とは、仏法が衰退していき、仏の教えが時代を経て次第に通用しなくなるという思想である。そこに世情不安や天変地異は含まれない。したがって末法思想は「この世の終わり」を意味するものではない。
なお、仏法の衰退と共に社会情勢の不安や天変地異も説く『法滅尽経』などもあるが、一般的にはこれは後世になって創作された偽経とされている。
また大乗仏教では、空論の展開から「不増不減」や「無始無終」を説いている。さらに『大乗涅槃経』では末法である仏法の衰退時において再び仏法が世に出現することを説き、末世における悲観的な見方を根本的に否定している。したがって末法思想=終末論とはいえない。
日本では末法思想とこの世の終わりという終末思想が混同されてしまったのである。特に日蓮の思想を見ると、鎌倉幕府に対して「末法になると天災地災・他国からの侵略・国内紛争などが起きて国が滅んでしまうから、他の宗派の信仰を捨てて法華経信仰をせよ」と迫り、国家諫暁を行なっている。これは明らかに末法思想と終末思想を混同した考え方だと言える。それだけに、日本では末法に対して恐怖感を抱いたのであろう。
終末論(終末思想)とは、歴史には終わりがあり、それが歴史そのものの目的でもあるという考え方であり、目的論という概念の下位概念である。
社会が政治的、経済的に不安定で人々が困窮に苦しむような時代に、その困窮の原因や帰趨を、神や絶対者の審判や未来での救済に求めようとするのは、どこの文化でも宗教一般に見られ、ユダヤ教からキリスト教、イスラム教、ゾロアスター教といった一神教においてのみならず、仏教などの宗教などにおいても同様の考え方がある。しかし、終末ということの基準を、個々人の死の意味ではなく、民全体にとっての最後のとき、民全体に対する最後の審判と義人選別救済のとき、とするならば、終末論は本質的に一神教のものである。
近年の釈迦生存年代によると、日蓮は像法時代にあたり、日蓮が末法の行者であるとの根拠は、釈迦活躍年代を書いた『周書異記』が原典だが、現代の考古学研究では中国仏教が儒教に対する優位性を確保するために制作した偽書であることが証明されている。
仏教の歴史はある意味で釈迦への裏切りと誤解の歴史であったと言える。 自由思想家である釈迦が創始した仏教は合理的で論理性の高いものであり、異端や異なる考え方に寛容であった、また釈迦は道理に基づく理法を強調して呪術を禁じており、信や信仰を強調していなかった。「信仰を捨てよ」とまで言ったのである。
原始仏教(釈尊の仏教)は快楽主義と苦行主義をともに否定しその両辺に偏らない中道が悟りに導く実践的方法だとする八正道や<自帰依・法帰依>や空観に基づき、神々への信仰を否定する自己究明型の合理的な宗教であり、「無神論的宗教」と言う人もいるほどである。釈迦の死後、すぐに釈尊の神格化は部派仏教で始まったと考えられる。
仏滅後400~500年頃、そこに諸仏・菩薩やバラモン教やヒンズー教の神を導入することで信仰への道を更に押し進め、主導したのが大乗仏教徒と言える。その信仰への道を正当化し理論づけるため釈迦が説いたとされる大乗経典を創作(偽作)したと考えられる。この流れは後期大乗仏教である密教の成立期(13世紀)まで続いたと考えられる。
歴史的にも大乗仏教が勃興する紀元前後からインド伝統の土着の神々を信仰するヒンズー教が勃興し盛んになって行った。仏教は新興のヒンズー教によって徐々に圧倒されつつあった。 仏教はこれに対抗する必要にせまられていたのである。このような宗教的背景を考えれば、仏教の変容と大乗仏教の誕生は理解し易いであろう。
大乗仏教というものが、ヒンドゥー教の強い影響のもとに成立したと見るのは、今日では学界の定説とも言ってよいものである。
これを端的に示すものとして、大乗経典における呪文、呪術の受容ということがある。
大乗経典はキリスト教、イスラム教などの一神教のように、ひたすら信を強調する特色があり、釈迦の真意を説く経典ではないであろう。
悟りと自利を強調した出家修行者の、釈迦を神格化し難解な教理と修行で構成して成立された部派仏教(小乗仏教)を否定して、悟りよりも利他を強調し、釈迦をさらに神格化し、因果応報という観念と、インド伝統の輪廻転生の思想を結びつけて、悟りより利他の救済行のみに心を砕く菩薩を新たに創造し、神通力を強調した感動的な物語と教義を創作して在家信者の教化をはかり成立したのが大乗仏教である。
まさに両極端は一致すると言えるであろう。何事もほどほどが肝要である。
横超慧日著『法華思想の研究』、菅野博史著『法華経 永遠の菩薩道』、増谷文雄著『根本仏教と大乗仏教』、中村元監修『新・佛教辞典』増谷文雄著『仏陀 その生涯と思想』等の仏教関連書籍及び『創価学会批評ブログ』『『禅と悟り:その合理的アプローチ』の説明を参考にさせて頂きました(笑)
ブログ主様へ、大変に勉強になりました。有難うございました。
(注2)
柳田国男は「牧口君は哲学を著述するには読書量が足らなすぎるのではないか」と語っていた。
(注3)
「カルト」の定義については欧州各国のカルト認定基準を参考にしています。
(注4)
人格障害の一般的な診断基準は社会的逸脱や柔軟性の欠如、社会的または職業的な領域における機能の障害、生涯にわたる言動の持続性などが挙げられ、これに加えて他の精神疾患や薬物的または生理学的な作用によって引き起こされた症状ではないのであれば、その状態は人格障害であると診断される。
カルトの指導者や信者の多くはサイコパスかソシオパスである。
(補注1)
阿含経典群原始仏典にはパーリ五部および漢訳のものがあり、その一部は釈尊の言葉を比較的忠実に伝えているといわれるが、漢訳は一般に意訳も多く、明らかに原語にない言葉が挿入されている場合もあるため、漢訳『阿含経』の信頼性はより低いものと考えられる。
(補注2)
「サンスクリット語」は、紀元前5世紀から紀元前4世紀にパーニニがその文法を規定し、その学統によって整備された古典サンスクリット(古典梵語)のことを指す。
また、サンスクリットの表記には時代・地域によって多様な文字が使用された。インドでは紀元前後にセム系文字に由来するブラーフミー文字とカローシュティー文字の2系統がある。このうちの前者がグプタ文字から発達して6世紀ごろにシッダマートリカー文字となった。さらに7世紀頃ナーガリー文字に発達、10世紀にはデーヴァナーガリーとなった。いわゆる「梵語・梵字」はシッダマートリカーを元とし、紀元後6世紀頃に中央アジアで成立した「悉曇文字」のことを指す。
(補注3)
「チベット語」は紀元後7世紀頃に制定された、起源がサンスクリットの表音文字のことを指す。
チベットでは、7世紀から14世紀にかけてインドから直接に仏教を取り入れた。チベットでは仏教を取り入れるにあたって、サンスクリット語の原典からチベット語へ、原文をできるだけ意訳せず、そのままチベット語に置き換える形の逐語訳で経典を翻訳したため、チベット語の経典は仏教研究において非常に重要な位置を占める。
チベット仏教の特徴と見なされる要素の大部分は、後期インド仏教の特徴である。
OMAKE
敦煌文献の価値について
文献が壁の中に封じ込まれたのは11世紀前半と推定されており、経緯については2つの説がある。
1.敦煌が西夏により占領された際に経典を焚書されることを恐れて隠したという説。
2.不必要なもの・価値のないものをとりあえず置いておいたという説。
1つ目の説は井上靖の小説『敦煌』が採用しているが、これは根拠の無い想像に過ぎない、西夏朝は仏教を実質上の国教として信仰しており、さらに異民族の文化を尊重していたので、経典を破壊すること自体がありえない、この敦煌文献にはとうてい価値の無さそうなものが多数含まれており、中には習字の書き損ないと思われるものまである、という疑問が指摘され、現在では2つ目の説がほぼ定説となっている。
敦煌文献が注目された理由はそのバラエティさで、雑多な経典の写本や、当時の民俗・政治の実態を知る上で貴重な日常文書などである。またその無価値さゆえである。無価値と判断したものを苦労して保存しようとする者はまずいない。であるからそのような物が現存する可能性はそれこそ奇跡に近い。その奇跡の成果である唐代の土地台帳などから均田制など唐代に行われていたとされる諸制度が、実際にどのように運営されていたかの研究が進められている。
世界の著名人が大好きなカルトちゃん、わざわざ説明してあげちゃう私に感謝してね(笑)
おまけ
ところで、平田容疑者の突然の出頭は、カルトちゃん同士の責任の擦りあいでしょうか?(笑)
また、怪しい証人が突然出てきたりしたら少しは楽しめるんでしょうね。
でも、なぜかTVや新聞の無駄なネタになるだけのような気がしますが。
オウム事件の闇の部分は、警察と公安とかがまともに協力しさえすれば、かなりの部分が解決できると思いますがね。
しかし、もっと他に大事なネタがあるんじゃねーかな(苦笑)
ところで小沢ちゃんはやっぱり無罪になるみたいですね。
「晴れて潔白です」「冤罪」ですとか言って、お馬鹿な頭のゆるい、判官びいきの有権者達の票を獲得するつもりでしょうね。
こんなことなら強制起訴なんかしないで、グレーゾーンのままにしてたほうが良かったのでは?と思っているのは私だけでしょうか。
国民から完全に信用を失った民主党は小沢ちゃんに頼る以外は打つ手がないのでしょうか。
もし前原ちゃんが、民主党の次の首相とかになったりしたら、公明党は嬉しくってしょうがないでしょうね。(たぶんメフィラス星人も嬉しいかも)
でも自民党が邪魔するでしょうからねー
あ、邪魔をしてるのは公明(恍迷)党でしたね、ごめんなさい(苦笑)
まったく公明(恍迷)党は政党団体なのか宗教団体なのかよくわかりませんから困ったものですね。
公明党の議員が自分で立ち位置を判断できないのはなぜでしょう?(爆笑)
他にも、ちゃっかり公明党の後釜の座に居座ったみんなの党とか、大阪を、昔の堺にみたいにしたい、浪速の両替商と仲良しの橋本ちゃんとかが、虎視眈々と政権奪取のチャンスを狙っているのでしょうねー
基本的に政治家の方々は、賭博みたいな選挙だけを生きがいにしてますから困ったものです。
大笑いしているのは欲ボケした官僚達だけでしょう。
わずかばかりの、まともな政治家の方々が一番大変なんでしょうね。
ところで国民不在の政治はいつまで続くのでしょうか(いや勝手に言ってるだけなんですけどね)
「もー好きにしとくんな!」「絶対に投票なんてしねーよ!」って思ってるのは私だけでしょうか?(爆笑)
(ここだけの話ですが、私は今まで一度も投票したことがございません)
それではみなさんごきげんよう(笑)
皆さんの参考になればと考えまして、私見ですが創価学会の歴史についての簡単な説明をさせて頂きます。
牧口常三郎は、日蓮独自の天照大神が記された曼荼羅と、南朝を正統とする大日本皇道立教会に代表される国粋主義とを合体させる思想に注目し、国粋主義者達と交流することで当時の政治家達と知遇を得ることになりました。
そして仏教の捏造教義(注1)である「人類は救いようが無い末法の衆生である」との恐ろしく傲慢な押し付けと、マルキシズムの理論の「大衆は愚かである」との傲慢な誤解の共通点に目をつけて、「志賀重昂や日蓮やヘーゲルやマルクス以上の思想を作り上げその体現者となる(笑)」との己の野心の為に、日蓮の教義を利用して『価値論』(注2)を著し、さらに日蓮正宗を利用して創価教育学会を設立しました。
しかし牧口の目論見は、当時の社会状況の変化により見事に挫折して、獄中で無残な最期を遂げました。
戦後、戸田城聖が「牧口の意思を継いで社会変革の体現者となる(笑)」との己の野心の為に設立した創価学会は、「国家社会主義」と「末法破滅思想」と「仏教」と「日蓮正宗」の教義を合体し捏造して作り上げたカルト(注3)教義を「人間革命(笑)」の言葉を旗印にして戦後の日本の混乱の中で、社会から見放された階級層の人々の帰属意識と目的意識を巧妙に利用して信者に取り込んでいきました。
そして信者達の、日本文化固有の親切心を歪ませて拡大させた上に、社会変革行為と、社会に見当はずれの復讐をさせる行為を、同一視させる詐欺同然の指導による「カルト大乗活動」で勢力を拡大していきました。
さらに、牧口に紹介された保守系の政治家や権力者達と交渉して、創価学会の熱心な信者達を大量に地方議員にして、与党に敵対する左翼政党の勢力を阻害することで、お互いの利害を一致させ協力関係を結びました。
戸田は、創価学会を日本最大の宗教団体にして勢力を拡大することで、日本固有の文化を破壊し、政治 経済 教育 を侵害して国家転覆をし、その後に世界制覇を目論んでいました。
しかし、創価学会が政治に介入してしまったことで、組織が次第に権力者達に取り込まれていくことによるストレスを解消する為に、浴びるように酒を飲み、過度の飲酒で判断力と体力を喪失し、「創価学会から一念三千様(久遠元初の仏)が現れ全てを救ってくれるだろう(笑)」との虚言を、獄中に閉じ込められて酷くなった妄想癖と、酒で破壊された脳細胞から搾り出して、責任逃れをし続けながら、病による無残な最期を遂げました。
戸田の跡継ぎの座を無理やり奪い取った、愚かすぎるほどのコンプレックスの塊である池田大作は、大蔵商事での高利貸し業務で、裏社会の有力者達や、朝鮮人勢力の有力者達と知遇を得ることになり、独自に彼らとの協力関係を築き上げ「世界に教えを広める為には金が必要だ」「金で功徳を手に入れられる」との大意の言葉を旗印にして、信者達から財務と称して、財産を巻き上げて蓄えた資金力で、政教分離の原則を侵害する公明党を設立して、積極的に政治に介入し日本を支配しようと画策しました。
公明党が与党に転じたのは池田の当初からの目論見であったと推察します。
そして、小説『人間革命』を、『法華経』と日蓮の『御書』と『三国志』等を稚拙に真似、釈尊や日蓮や歴史上の有名人を利用して、池田大作と戸田城聖と牧口常三郎を宣揚する為の創価学会の捏造物語にして、信者達に閉ざされたカルト教義と物語を刷り込む手段にしました。
それから、創価学会の紅衛兵を養成する為に、創価学園を設立して、無節操に寄せ集められた著名人の言葉で捏造して作り上げた創価思想(笑)で学生達を洗脳して、池田に忠誠を誓う狂信者達を社会に送り込んでいきました。
さらに、手っ取り早く日本を支配する為に、「総体革命」の名の下に、社会の重要な場所に洗脳した信者達を潜入させて、その権力と影響力を拡大していきました。
仕上げに、日蓮正宗を否定して、宗教家(苦笑)であり教育者(苦笑)であり思想家(苦笑)であるとのマルチな位置づけで、日蓮を超える「永遠の指導者(笑)」になることで己を神格化し、世界制覇への野望をむき出しにしたのです。
しかし現在池田は、長年に渡る過度の暴食と、健康など考慮しない怠惰な生活の報いを受け、糖尿病、心臓疾患、脳梗塞等の重度の合併症で意識が混濁した状態に陥いっています。
実は池田は創価学会と信者を見捨て、すでに海外に逃亡しているか、逃亡を計画中であるとの噂もありますが、いずれにせよ、内外共に1年数ヶ月以上も不在の状態が続いているのは間違いない事実です。
そして現在、その日本社会の寄生虫同然の存在である創価学会は、「永遠の指導者(笑)」の不在と、中央組織内の熾烈な派閥抗争(笑)の為に、衰退への途を辿る無残な様相を呈しています。
信者や財務の減少により、次第に勢力が減少している創価学会は、池田と側近達が、信頼していた人間に裏切られたとの言い訳等で、日蓮正宗と和解交渉をするシナリオと、お得意の敵対者達を冤罪に陥れるシナリオと、衆議院選挙か池田を被告にした裁判の直前に池田の死を公開して、カルト信者達を煽るシナリオで、最後の悪あがきをする以外はないであろうと推察します。
カルト教義と、無節操に寄せ集められた著名人の言葉で捏造した創価思想(笑)を盲信した狂信者達は、長時間呪文を唱え、言葉と行動が乖離した絶対的に矛盾する、傲慢この上ない自称「ジユノボサツの修行」の名の下に、人を支配し敵対者を憎悪することに熱狂する「仏性」を冒涜した活動により、心が引き裂かれて次第に人格が壊れてしまった挙句の果てに、人格障害(注4)や鬱病や精神障害に陥り自らの人生を破綻させています。
日本固有の文化の特色である、自尊心、道徳心、尊重心、責任感、美意識、誠意、謙譲の美徳、教養、どれ一つとして保っていない狂信者達の姿は、間違っても、信仰者どころかまともな人間の姿ではありません。
それどころかあらゆる手段で日本固有の文化と、日本人固有の心性を破壊するその姿は彼らの言うところの魔そのものなのです。
その狂信者達の無残な姿を目の当たりにして、ボサツの修行活動を止めることで覚醒した純真な学会員や脱会者の証言及び内部告発により、創価学会は社会的な信用を益々失い、教団は内部分裂し崩壊して、見事に破綻している渦中にあります。
創価学会は現在、残された資金と惰性で、かろうじて存在を許されている消える前のろうそくの火のような状態にすぎません(笑)
善意?の学会員達は、池田の死後に現れる「池田センセーにも問題が有ったのは事実だ、しかしセカイコーフの為に、私が創価学会を一回壊して、根本から立て直す(爆笑)」と言う大嘘つきに、上辺だけを作り直した朝礼暮改の教義で騙され、自分勝手に先の無い悪夢の続きに浸りたいが為だけに、潰れかけの組織にしがみついて、創価学会と共に滅んでいく道を選ぶことでしょう。
それでも創価学会のカルト信者達は、オウム真理教のカルト信者以上に、熱烈に艱難辛苦を望んでいるのですから嬉しくってたまらないことでしょう(苦笑)
死に体の創価学会はオウム真理教以上のスケープゴートにされることでしょうが自業自得です(笑)
オウム真理教は教義を「カルト小乗」から「カルト大乗」にして破綻しました。
創価学会の教義は元々「カルト大乗」ですから破綻して当然なのです。
オウム真理教や、創価学会のような、終末論を利用し煽る宗教や、思想が流行ることが、世の中の混乱の要因でしょう。
オウム真理教の真実は、日本社会の歪みと教育について、現在の問題点を考察する為の露払いにすぎませんでした。
創価学会の真実は、日本社会が根本的に抱える、様々な病理と矛盾と問題点を本格的に考察し、日本社会を抜本的に改善する為に非常に役立つことでしょう。
ひいては世界の過去から現在に至る、一神教とイデオロギーと権力との複雑な関係から発生した、様々な病理と矛盾と問題点を本格的に考察する為の参考になることでしょう。
日本で今後、オウム真理教や創価学会のようなカルト団体が、反社会的な活動をすることで起こす犯罪や、非常に厄介で深刻な社会問題を繰り返させない為には、自国の歴史ある固有の文化を尊重している欧州の先進国を見習って、カルト宗教教義や、マルキシズムに代表されるカルトイデオロギーを宣揚する団体に、権力及び金力を与えない仕組みを新しく作り上げる必要があります。
オウム真理教問題の後に、このような仕組みを作るのを妨害したのが何者なのかは、皆様方は良くご存知でしょう(笑)
ちなみに私はいかなる宗教団体の教えもイデオロギーも信じておりません(笑)
ほとんどの宗教団体や、イデオロギーを宣揚する団体は、諸刃の剣の権力そのものでしょう。
特にカルト宗教教義とカルトイデオロギー宣揚思想は、欲深く、胡散臭い人間達にとって、非常に魅力的な「権威」と言う名前の、人間を支配する為の便利な「道具」であり、世界を破壊することのみを目的とした「権力」になるのです。
唯一絶対の最高の真理などはこの世には存在しません。
そんなものがあれば、この世の中はここまでおかしくなる筈がありません。
真理とは人それぞれに固有のものですから、人様に強要できるものではないのです。
なぜならば、真理とは、主体性のある生き方を貫いた人間のみが手に入れることを許される自分だけの宝物だからです。
特定の宗教や思想を頼りにしなくても、良識を保ち、様々な苦悩をして、主体的に生きた無名の人々は、自分だけの固有の真理を作り上げています。
そして自分だけの固有の真理を、臆面もなく他者に押し付けるような、恥ずかしい真似はけっして行いません。
自分だけの固有の真理を真っ向から主張するのは、主体性の無い頭のおかしな人間が、偉そうに自分勝手に破綻した教義を図々しく押し付てきた場合だけでしょうか。
何を信仰の対象に選んだとしても、それはしょせん己の姿を写す鏡にすぎないのです(苦笑)
ちなみに宗教や思想や、未だに解明されない宇宙の法則を否定しているわけではないので念の為(笑)
以上「桃太郎」さん「元学会2世」さんのコメントを参考にさせて頂きました。
大変に勉強になりました。有難うございました。
完全に脱洗脳できてない純真な学会員さんは、安易に他の団体の人達に取り込まれないように注意してください。
完全に脱洗脳した純真な学会員さんは、普通の人より賢くなってますから大丈夫でしょうね。
まーどんな道を選ぼうと自己責任ですから別にいーんですけど(笑)
(注1)
中国にはインドから八万宝蔵と呼ばれる数多くの仏教経典がもたらされたが、それらの経典の内容はまちまちであった為、どれが真実の教えなのか判らない状態であった。そこで、中国の仏教者達は、それら膨大な経典を全て釈迦が説いたものという前提に立って、経典(補注1) に優劣を付け格付けをする教相判釈を立てた。
いくつかの教相判釈の中の1つが、天台宗の実質的な開祖である智顗(538-597)が立てた「五時教判」だが、現在の仏教学では、智顗の「五時教判」の内容は歴史的事実ではないと論破されている。
智顗が教相判釈の基準とした、大乗が小乗より上位であるとの説明は、大乗仏教側が部派仏教側を貶した説明である、大乗仏教側は部派仏教が用いていた釈迦の直説を比較的忠実に伝えている『阿含経』(補注1)を小乗教として軽んじ研究しなかった。
智顗が「五時教判」で、『阿含経』を最も低級な教えとして位置付けたのも、「阿含経は小乗教」という先入観念からと思われる。
『摩訶止観』は大乗仏教の論書でその中で説かれている「一念三千」は心の姿(実相)について、智顗が創案した教説である。
『大乗起信論』は大乗仏教の代表的概説書であり如来蔵思想の系統に立つ大乗仏教の論書で「唯識論」(天台宗や華厳宗などの法性宗は、「阿摩羅識」を加えて新たに「九識」を立てた)が説かれている。インドの2世紀の有名な仏教詩人馬鳴の作と伝えられているが、中国における偽作で実際の成立は5-6世紀のころだろうと考えられている。1巻、2巻の漢訳構成で、サンスクリット(補注2)訳経典も、チベット(補注3)訳経典も存在しない。
このようにして大乗仏教と小乗仏教という区分けが捏造されただけであり、元々釈迦は大乗仏教と小乗仏教という区分けを説いていなかったことが証明されている。
日蓮はこの智顗の五時教判説を拠所にして「法華経こそ真実最高の法」と主張し、法華経信仰を掲げただけにすぎない。
日蓮が自身の教えの根拠とする経典の元にした、「釈尊が四十四年未顕真実」と説いたとされている『無量義経』は、現在の仏教学では、西暦五百年頃に中国で作られた『法華経』の前に説かれたとされる『大乗経名無量義教菩薩法仏所護念』に仮託して作られた経典とされ、『法華経』の権威を高めるために捏造して創作された偽経典であるとされている。
『法華経』の断片はシルクロード各地では散見されるのだが 開経とされるはずの『無量義経』は一切見当たらない。
『無量義経』が法華経にとって重要な経典であるならば、『法華経』に付随して伝播するはずであるが、『無量義経』はサンスクリット経典も無く、チベット訳経典すらも存在しない出所不明の経典である。
なお、『法華経』は釈迦滅後、数百年後に成立しており、大乗仏教を理論的に体系化した龍樹菩薩の『竜樹の第一次結集』にも存在しない、その内容も釈迦時代を反映していない、釈迦の直説ではない偽作経典である。
「末法」の概念は、初期大乗仏典の『法華経』が創作された数百年後の、大乗仏教の勢いが衰えた時期に創作された中期大乗仏典の『大集経』の仏法衰退思想が、中国で末法思想展開の契機になったことから発生した区分けにすぎない。
このようにして釈迦滅後に創始された大乗仏教により「末法」という区分けが捏造されただけであり、元々釈尊は「正法」と「像法」の区分けは説いているが、「末法」という区分けを説いていなかったことが証明されている。
そして、この末法思想が日本にも伝えられ、日本では、鎌倉時代がその末法に突入する時期として認識され、衆生を救済する新しい仏法として、法然の浄土宗や親鸞の浄土真宗などの、念仏により死後に西方極楽浄土の阿弥陀如来の御許への往生を唱えた念仏信仰や、日蓮の法華経信仰などの法華一乗を唱えた鎌倉仏教が成立していったのである。
しかし曹洞宗を開いた道元は、釈迦在世でも愚鈍で悪事を働いた弟子もいたことや、末法を言い訳にして修行が疎かになることを批判し、末法思想を否定した。
特に日本では末法思想と終末思想が混同されて広まったという経緯がある。
末法思想とは、仏法が衰退していき、仏の教えが時代を経て次第に通用しなくなるという思想である。そこに世情不安や天変地異は含まれない。したがって末法思想は「この世の終わり」を意味するものではない。
なお、仏法の衰退と共に社会情勢の不安や天変地異も説く『法滅尽経』などもあるが、一般的にはこれは後世になって創作された偽経とされている。
また大乗仏教では、空論の展開から「不増不減」や「無始無終」を説いている。さらに『大乗涅槃経』では末法である仏法の衰退時において再び仏法が世に出現することを説き、末世における悲観的な見方を根本的に否定している。したがって末法思想=終末論とはいえない。
日本では末法思想とこの世の終わりという終末思想が混同されてしまったのである。特に日蓮の思想を見ると、鎌倉幕府に対して「末法になると天災地災・他国からの侵略・国内紛争などが起きて国が滅んでしまうから、他の宗派の信仰を捨てて法華経信仰をせよ」と迫り、国家諫暁を行なっている。これは明らかに末法思想と終末思想を混同した考え方だと言える。それだけに、日本では末法に対して恐怖感を抱いたのであろう。
終末論(終末思想)とは、歴史には終わりがあり、それが歴史そのものの目的でもあるという考え方であり、目的論という概念の下位概念である。
社会が政治的、経済的に不安定で人々が困窮に苦しむような時代に、その困窮の原因や帰趨を、神や絶対者の審判や未来での救済に求めようとするのは、どこの文化でも宗教一般に見られ、ユダヤ教からキリスト教、イスラム教、ゾロアスター教といった一神教においてのみならず、仏教などの宗教などにおいても同様の考え方がある。しかし、終末ということの基準を、個々人の死の意味ではなく、民全体にとっての最後のとき、民全体に対する最後の審判と義人選別救済のとき、とするならば、終末論は本質的に一神教のものである。
近年の釈迦生存年代によると、日蓮は像法時代にあたり、日蓮が末法の行者であるとの根拠は、釈迦活躍年代を書いた『周書異記』が原典だが、現代の考古学研究では中国仏教が儒教に対する優位性を確保するために制作した偽書であることが証明されている。
仏教の歴史はある意味で釈迦への裏切りと誤解の歴史であったと言える。 自由思想家である釈迦が創始した仏教は合理的で論理性の高いものであり、異端や異なる考え方に寛容であった、また釈迦は道理に基づく理法を強調して呪術を禁じており、信や信仰を強調していなかった。「信仰を捨てよ」とまで言ったのである。
原始仏教(釈尊の仏教)は快楽主義と苦行主義をともに否定しその両辺に偏らない中道が悟りに導く実践的方法だとする八正道や<自帰依・法帰依>や空観に基づき、神々への信仰を否定する自己究明型の合理的な宗教であり、「無神論的宗教」と言う人もいるほどである。釈迦の死後、すぐに釈尊の神格化は部派仏教で始まったと考えられる。
仏滅後400~500年頃、そこに諸仏・菩薩やバラモン教やヒンズー教の神を導入することで信仰への道を更に押し進め、主導したのが大乗仏教徒と言える。その信仰への道を正当化し理論づけるため釈迦が説いたとされる大乗経典を創作(偽作)したと考えられる。この流れは後期大乗仏教である密教の成立期(13世紀)まで続いたと考えられる。
歴史的にも大乗仏教が勃興する紀元前後からインド伝統の土着の神々を信仰するヒンズー教が勃興し盛んになって行った。仏教は新興のヒンズー教によって徐々に圧倒されつつあった。 仏教はこれに対抗する必要にせまられていたのである。このような宗教的背景を考えれば、仏教の変容と大乗仏教の誕生は理解し易いであろう。
大乗仏教というものが、ヒンドゥー教の強い影響のもとに成立したと見るのは、今日では学界の定説とも言ってよいものである。
これを端的に示すものとして、大乗経典における呪文、呪術の受容ということがある。
大乗経典はキリスト教、イスラム教などの一神教のように、ひたすら信を強調する特色があり、釈迦の真意を説く経典ではないであろう。
悟りと自利を強調した出家修行者の、釈迦を神格化し難解な教理と修行で構成して成立された部派仏教(小乗仏教)を否定して、悟りよりも利他を強調し、釈迦をさらに神格化し、因果応報という観念と、インド伝統の輪廻転生の思想を結びつけて、悟りより利他の救済行のみに心を砕く菩薩を新たに創造し、神通力を強調した感動的な物語と教義を創作して在家信者の教化をはかり成立したのが大乗仏教である。
まさに両極端は一致すると言えるであろう。何事もほどほどが肝要である。
横超慧日著『法華思想の研究』、菅野博史著『法華経 永遠の菩薩道』、増谷文雄著『根本仏教と大乗仏教』、中村元監修『新・佛教辞典』増谷文雄著『仏陀 その生涯と思想』等の仏教関連書籍及び『創価学会批評ブログ』『『禅と悟り:その合理的アプローチ』の説明を参考にさせて頂きました(笑)
ブログ主様へ、大変に勉強になりました。有難うございました。
(注2)
柳田国男は「牧口君は哲学を著述するには読書量が足らなすぎるのではないか」と語っていた。
(注3)
「カルト」の定義については欧州各国のカルト認定基準を参考にしています。
(注4)
人格障害の一般的な診断基準は社会的逸脱や柔軟性の欠如、社会的または職業的な領域における機能の障害、生涯にわたる言動の持続性などが挙げられ、これに加えて他の精神疾患や薬物的または生理学的な作用によって引き起こされた症状ではないのであれば、その状態は人格障害であると診断される。
カルトの指導者や信者の多くはサイコパスかソシオパスである。
(補注1)
阿含経典群原始仏典にはパーリ五部および漢訳のものがあり、その一部は釈尊の言葉を比較的忠実に伝えているといわれるが、漢訳は一般に意訳も多く、明らかに原語にない言葉が挿入されている場合もあるため、漢訳『阿含経』の信頼性はより低いものと考えられる。
(補注2)
「サンスクリット語」は、紀元前5世紀から紀元前4世紀にパーニニがその文法を規定し、その学統によって整備された古典サンスクリット(古典梵語)のことを指す。
また、サンスクリットの表記には時代・地域によって多様な文字が使用された。インドでは紀元前後にセム系文字に由来するブラーフミー文字とカローシュティー文字の2系統がある。このうちの前者がグプタ文字から発達して6世紀ごろにシッダマートリカー文字となった。さらに7世紀頃ナーガリー文字に発達、10世紀にはデーヴァナーガリーとなった。いわゆる「梵語・梵字」はシッダマートリカーを元とし、紀元後6世紀頃に中央アジアで成立した「悉曇文字」のことを指す。
(補注3)
「チベット語」は紀元後7世紀頃に制定された、起源がサンスクリットの表音文字のことを指す。
チベットでは、7世紀から14世紀にかけてインドから直接に仏教を取り入れた。チベットでは仏教を取り入れるにあたって、サンスクリット語の原典からチベット語へ、原文をできるだけ意訳せず、そのままチベット語に置き換える形の逐語訳で経典を翻訳したため、チベット語の経典は仏教研究において非常に重要な位置を占める。
チベット仏教の特徴と見なされる要素の大部分は、後期インド仏教の特徴である。
OMAKE
敦煌文献の価値について
文献が壁の中に封じ込まれたのは11世紀前半と推定されており、経緯については2つの説がある。
1.敦煌が西夏により占領された際に経典を焚書されることを恐れて隠したという説。
2.不必要なもの・価値のないものをとりあえず置いておいたという説。
1つ目の説は井上靖の小説『敦煌』が採用しているが、これは根拠の無い想像に過ぎない、西夏朝は仏教を実質上の国教として信仰しており、さらに異民族の文化を尊重していたので、経典を破壊すること自体がありえない、この敦煌文献にはとうてい価値の無さそうなものが多数含まれており、中には習字の書き損ないと思われるものまである、という疑問が指摘され、現在では2つ目の説がほぼ定説となっている。
敦煌文献が注目された理由はそのバラエティさで、雑多な経典の写本や、当時の民俗・政治の実態を知る上で貴重な日常文書などである。またその無価値さゆえである。無価値と判断したものを苦労して保存しようとする者はまずいない。であるからそのような物が現存する可能性はそれこそ奇跡に近い。その奇跡の成果である唐代の土地台帳などから均田制など唐代に行われていたとされる諸制度が、実際にどのように運営されていたかの研究が進められている。
世界の著名人が大好きなカルトちゃん、わざわざ説明してあげちゃう私に感謝してね(笑)
おまけ
ところで、平田容疑者の突然の出頭は、カルトちゃん同士の責任の擦りあいでしょうか?(笑)
また、怪しい証人が突然出てきたりしたら少しは楽しめるんでしょうね。
でも、なぜかTVや新聞の無駄なネタになるだけのような気がしますが。
オウム事件の闇の部分は、警察と公安とかがまともに協力しさえすれば、かなりの部分が解決できると思いますがね。
しかし、もっと他に大事なネタがあるんじゃねーかな(苦笑)
ところで小沢ちゃんはやっぱり無罪になるみたいですね。
「晴れて潔白です」「冤罪」ですとか言って、お馬鹿な頭のゆるい、判官びいきの有権者達の票を獲得するつもりでしょうね。
こんなことなら強制起訴なんかしないで、グレーゾーンのままにしてたほうが良かったのでは?と思っているのは私だけでしょうか。
国民から完全に信用を失った民主党は小沢ちゃんに頼る以外は打つ手がないのでしょうか。
もし前原ちゃんが、民主党の次の首相とかになったりしたら、公明党は嬉しくってしょうがないでしょうね。(たぶんメフィラス星人も嬉しいかも)
でも自民党が邪魔するでしょうからねー
あ、邪魔をしてるのは公明(恍迷)党でしたね、ごめんなさい(苦笑)
まったく公明(恍迷)党は政党団体なのか宗教団体なのかよくわかりませんから困ったものですね。
公明党の議員が自分で立ち位置を判断できないのはなぜでしょう?(爆笑)
他にも、ちゃっかり公明党の後釜の座に居座ったみんなの党とか、大阪を、昔の堺にみたいにしたい、浪速の両替商と仲良しの橋本ちゃんとかが、虎視眈々と政権奪取のチャンスを狙っているのでしょうねー
基本的に政治家の方々は、賭博みたいな選挙だけを生きがいにしてますから困ったものです。
大笑いしているのは欲ボケした官僚達だけでしょう。
わずかばかりの、まともな政治家の方々が一番大変なんでしょうね。
ところで国民不在の政治はいつまで続くのでしょうか(いや勝手に言ってるだけなんですけどね)
「もー好きにしとくんな!」「絶対に投票なんてしねーよ!」って思ってるのは私だけでしょうか?(爆笑)
(ここだけの話ですが、私は今まで一度も投票したことがございません)
それではみなさんごきげんよう(笑)
» ただ今、勉強中です
「オウム真理教」の指名手配者「平田 信」が大晦日に自首、匿っていた「斎藤明美」も自首してきた。地下鉄サリン事件から概ね17年が経過してのことである。
当時、「オウム真理教」をめぐって「カルト」問題が評論家によって盛んに論議されていたが、それ以来「カルト」と言えば「オウム」という短絡的な思考様式が日本に充満していたように思う。
「カルトとは何か?」の定義は、現在においても学者によってまちまちのようで、当時にあっては尚更のこと混乱した状態であったように、ボンヤリと思い出す。その頃、私は宗教など胡散臭いものとして全く関心はなかった。唯、この世の中には頭のいいお方もいろいろあり、秀才と狂信は紙一重のもので、こんな科学の時代に恐ろしいお人がおられるものだと驚いたものだった。しかし、それでもやはり特別な地域の特殊社会でのできごとでしかないだろう、くらいにしか考えていなかったように思い出す。
ところが、私が「カルト」問題を身近に感じさせられたのは、「創価学会」の問題に出会った僅か3年足らず前のことである。もともと創価学会に関心があったわけでもないので、天理教、PL教団、立正校正会などの新興宗教の仲間くらいにしか考えていなかった。
しかし、調べていくにつれ想像を超える由々しき問題が闇深く秘められていることが分かってきたのである。
大学教授の藤原弘達氏、内藤国夫氏、溝口 敦氏、古川利明氏、島田裕巳氏、山田直樹氏、段 勲氏等、その他多数のジャーナリストの書籍に学ぶにつれ、「カルト創価」の世界を深く覗き見ることとなった。オーム事件までは、カルト問題はアメリカを中心とするキリスト教世界でのできごとくらいの認識でしかなかったので、驚きを越え、恐怖の世界と感じられた。更にそれは、外から捉えたよりも、内部の方々の声をブログで知るようになって、より一層鮮明に関心が引き付けられ、理解が深まってきたように思う。
昭和60年にフランス国民議会では「創価学会」のことを「金集めの宗教」として報告されているが、その当時日本では、創価問題を「カルト問題」として広く世間で論議されてはいなかったように思い出す。平成7年の「地下鉄サリン」事件のショックによってようやく慌ただしく「カルト」問題が論議され始めたのであろう。それでも、尚「創価問題」を広く深く十分に論議された形跡が見えないのはなぜか? 更に、平成12年(2000年)フランス国営テレビが、「SGIフランス」を反社会的宗教教団「カルト(セクト)」として紹介しているが、当時の日本の宗教学者・宗教人、マスコミなどを含めてこのことをどれくらい正面から受け止め深めていったのだろうか、広く議論がすすまなかったとすれば何故なのか、疑問に思われるところである。
内部事情を知らないのは本家本元の日本ばかりであるとは、日本の宗教界、学者界、マスコミ界などノ―天気なものだと、今になってつくづく感じるのは私一人であろうか?
ここ最近、「カルト」ととは何か、「創価学会」がなぜ「カルト化」してきたのか、又それは何時の頃からか、他の「カルト」問題とどこが違っており、又似ているのか等々について、私は大いに関心を持っている。ネットや書籍、ブログ「コメント」の真実にも目を向けて学習を深めたいものと考えている。このことがひいては、「高倉先生」の「創価カルト問題」への理解を進める一助になればと思うのである。
次回、お粗末のものであっても、調べ得た少しばりのものを資料として紹介したいと考えている。
当時、「オウム真理教」をめぐって「カルト」問題が評論家によって盛んに論議されていたが、それ以来「カルト」と言えば「オウム」という短絡的な思考様式が日本に充満していたように思う。
「カルトとは何か?」の定義は、現在においても学者によってまちまちのようで、当時にあっては尚更のこと混乱した状態であったように、ボンヤリと思い出す。その頃、私は宗教など胡散臭いものとして全く関心はなかった。唯、この世の中には頭のいいお方もいろいろあり、秀才と狂信は紙一重のもので、こんな科学の時代に恐ろしいお人がおられるものだと驚いたものだった。しかし、それでもやはり特別な地域の特殊社会でのできごとでしかないだろう、くらいにしか考えていなかったように思い出す。
ところが、私が「カルト」問題を身近に感じさせられたのは、「創価学会」の問題に出会った僅か3年足らず前のことである。もともと創価学会に関心があったわけでもないので、天理教、PL教団、立正校正会などの新興宗教の仲間くらいにしか考えていなかった。
しかし、調べていくにつれ想像を超える由々しき問題が闇深く秘められていることが分かってきたのである。
大学教授の藤原弘達氏、内藤国夫氏、溝口 敦氏、古川利明氏、島田裕巳氏、山田直樹氏、段 勲氏等、その他多数のジャーナリストの書籍に学ぶにつれ、「カルト創価」の世界を深く覗き見ることとなった。オーム事件までは、カルト問題はアメリカを中心とするキリスト教世界でのできごとくらいの認識でしかなかったので、驚きを越え、恐怖の世界と感じられた。更にそれは、外から捉えたよりも、内部の方々の声をブログで知るようになって、より一層鮮明に関心が引き付けられ、理解が深まってきたように思う。
昭和60年にフランス国民議会では「創価学会」のことを「金集めの宗教」として報告されているが、その当時日本では、創価問題を「カルト問題」として広く世間で論議されてはいなかったように思い出す。平成7年の「地下鉄サリン」事件のショックによってようやく慌ただしく「カルト」問題が論議され始めたのであろう。それでも、尚「創価問題」を広く深く十分に論議された形跡が見えないのはなぜか? 更に、平成12年(2000年)フランス国営テレビが、「SGIフランス」を反社会的宗教教団「カルト(セクト)」として紹介しているが、当時の日本の宗教学者・宗教人、マスコミなどを含めてこのことをどれくらい正面から受け止め深めていったのだろうか、広く議論がすすまなかったとすれば何故なのか、疑問に思われるところである。
内部事情を知らないのは本家本元の日本ばかりであるとは、日本の宗教界、学者界、マスコミ界などノ―天気なものだと、今になってつくづく感じるのは私一人であろうか?
ここ最近、「カルト」ととは何か、「創価学会」がなぜ「カルト化」してきたのか、又それは何時の頃からか、他の「カルト」問題とどこが違っており、又似ているのか等々について、私は大いに関心を持っている。ネットや書籍、ブログ「コメント」の真実にも目を向けて学習を深めたいものと考えている。このことがひいては、「高倉先生」の「創価カルト問題」への理解を進める一助になればと思うのである。
次回、お粗末のものであっても、調べ得た少しばりのものを資料として紹介したいと考えている。
» 今後ともよろしくお願い申し上げます。
愉快な創価学会様
お祝いのコメント、ありがとうございました。心より厚く御礼申し上げます。
今回の愉快な創価学会様のコメントは、これまで投稿して下さった中で、群を抜くものではないかと感じています。将来、「コメントに応えてシリーズ」の中で、ご紹介させて頂きます。
このようなコメントを、「30万プレビュー越えおめでとうございます」とのお言葉を添えて投稿して下さり、自分のことで大変恐縮ですが、私は何と運が強いのだろうと痛感させられました。本当にありがたい限りです。
ちなみに、私は、大学院時代から指導教官に運が強い男だと言われていました。
なお、「柳田国男は「牧口君は哲学を著述するには読書量が足らなすぎるのではないか」と語っていた。 世界の著名人が大好きなカルトちゃん、わざわざ説明してあげちゃう私に感謝してね(笑) 」の箇所を拝読し、私も大笑いしました。楽しいコメント、誠にありがとうございました。
「笑う門には福来る」です。今後とも、鋭く、かつ、楽しいコメント、何卒よろしくお願い申し上げます。
桃太郎様
コメント、ありがとうございます。興味深く、コメントを拝読させて頂きました。
先日、ある方から、福島泰照氏の『創価学会・公明党の解明』(展望社)を頂戴致しました。とても値段の高い本なので、大変恐縮致しました。
この本を拝読し、創価学会初代会長の「利美善」、二代会長の「幸福製造機」、「生命論」、三代会長の「王仏冥合論に基づく公明党」、「師弟不二」は、いずれも全て誤っていると確信致しました。
早速、生田先生にも、そのコピーをお届け致しました。生田先生は、公明党が買い占めたので、古書としての値段が高くなっているのではないかと言われていました。
おそらく、桃太郎様も、この本をご覧になっておられるのではないかと存じます。次回の桃太郎様のコメントを心より楽しみにしております。
これまでのご配慮に厚く御礼申し上げますとともに、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
お祝いのコメント、ありがとうございました。心より厚く御礼申し上げます。
今回の愉快な創価学会様のコメントは、これまで投稿して下さった中で、群を抜くものではないかと感じています。将来、「コメントに応えてシリーズ」の中で、ご紹介させて頂きます。
このようなコメントを、「30万プレビュー越えおめでとうございます」とのお言葉を添えて投稿して下さり、自分のことで大変恐縮ですが、私は何と運が強いのだろうと痛感させられました。本当にありがたい限りです。
ちなみに、私は、大学院時代から指導教官に運が強い男だと言われていました。
なお、「柳田国男は「牧口君は哲学を著述するには読書量が足らなすぎるのではないか」と語っていた。 世界の著名人が大好きなカルトちゃん、わざわざ説明してあげちゃう私に感謝してね(笑) 」の箇所を拝読し、私も大笑いしました。楽しいコメント、誠にありがとうございました。
「笑う門には福来る」です。今後とも、鋭く、かつ、楽しいコメント、何卒よろしくお願い申し上げます。
桃太郎様
コメント、ありがとうございます。興味深く、コメントを拝読させて頂きました。
先日、ある方から、福島泰照氏の『創価学会・公明党の解明』(展望社)を頂戴致しました。とても値段の高い本なので、大変恐縮致しました。
この本を拝読し、創価学会初代会長の「利美善」、二代会長の「幸福製造機」、「生命論」、三代会長の「王仏冥合論に基づく公明党」、「師弟不二」は、いずれも全て誤っていると確信致しました。
早速、生田先生にも、そのコピーをお届け致しました。生田先生は、公明党が買い占めたので、古書としての値段が高くなっているのではないかと言われていました。
おそらく、桃太郎様も、この本をご覧になっておられるのではないかと存じます。次回の桃太郎様のコメントを心より楽しみにしております。
これまでのご配慮に厚く御礼申し上げますとともに、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
» 引っ越しました
シニフィエです。
愉快な創価学会さま、見事な記述に恐れ入りました。素晴らしかったです。
高倉先生、いつもフォローしてくださり感謝感謝です。「対話を求めて」の新しい場所が決まりました。ここ数日、FC2さんへ緊急避難していましたが、晴れてこちら↓に引っ越しました。
http://signifie.wordpress.com/
またコメント投稿者の表記の間違いも修正することができました。ここなら当分大丈夫だと思います。
なにかとお騒がせしてしまって恐縮です。
今後ともよろしくお願いいたします。
愉快な創価学会さま、見事な記述に恐れ入りました。素晴らしかったです。
高倉先生、いつもフォローしてくださり感謝感謝です。「対話を求めて」の新しい場所が決まりました。ここ数日、FC2さんへ緊急避難していましたが、晴れてこちら↓に引っ越しました。
http://signifie.wordpress.com/
またコメント投稿者の表記の間違いも修正することができました。ここなら当分大丈夫だと思います。
なにかとお騒がせしてしまって恐縮です。
今後ともよろしくお願いいたします。
» ありがとうございます(笑)
みなさんの、ご参考になれば幸いです。
ところで私にも学習させてくださいね(笑)
カルトの歴史「これが創価学会の真実だ!(笑)」
の私のコメントに、仏教についての簡単な説明を追加しておきました。
ちなみに私は、仏教には興味がないので念の為(笑)
ところで私にも学習させてくださいね(笑)
カルトの歴史「これが創価学会の真実だ!(笑)」
の私のコメントに、仏教についての簡単な説明を追加しておきました。
ちなみに私は、仏教には興味がないので念の為(笑)
» 無題
愉快な創価学会さまの論破に目から鱗、痛快でその筋の通った確信にただただ感動するばかりです。
そんな中、わたしのまたまた稚拙な戯言をすみません。
創価学会を辞めると決断した時は、正直、地獄に落ちてヨシと思う気持ちまで自分が至ったからです。
しあわせになりたい。。とかではないところが笑えますよね。
そのくらいの覚悟がないと正直、脱会などできないと思います。
そのくらいマインドコントロールは強烈なモノで、辞めて5年になろうとするいまも正直、こころの傷は癒えず日々傷むばかりです。。
いまわたしは、その傷や恐怖心を癒すために、ひたすら魂の放浪中です。
なにしろ自分でトコトン味わって体験して苦しんでみないと結論が出ない人のようで。。(苦笑)
ただいま、とても想うのは、この世の中を変えようとか、世界を変えようとか、みんなをしあわせに。。とかは、もういっかなって感じています。
ひとつは、たぶん純粋な想いで始まったとしても人は変容し、やがて権力に飲み込まれていく性であるように思うからです。。
もうひとつは、そんな世の中を変えるなんて、我が身すらよく理解できていないのに。。と思うから。。
また、もうこれ以上余計なエゴで変えていく必要ないのに、もうそのままで、あるがままでいいんじゃない。。と思うようになりました。
なぜなら、この地球上で人間が良くしよう変えようとしてきたことで、この地球の存在そのもので果たして有益なものが存在しているか?ということです。。
すみません。。話しがいつも飛躍しすぎてばかりで。。
なにしろ放浪中で、ときには混乱することもしばしばなのです。。
創価学会を辞めると地獄に堕ちるというマインドコントロールが、いつ完全に消えるのか、そのためには独りでは到底無理だと実感したので、あらゆる結界を張りめぐらそうと計画中です。。(笑)
あ、でも。。選ばれしモノ的な地湧の菩薩的な思い込み癖は消えましたけれど。。(笑)
最近見た邦画で主人公が。。「わたしは、中の下の女ですから!」って叫ぶシーンで、何故か胸がスカッとしました。。(笑)
女子部のときから、ジャンヌダルクとかさ、洗脳されまくってイかれてたぜ。。
そんな中、わたしのまたまた稚拙な戯言をすみません。
創価学会を辞めると決断した時は、正直、地獄に落ちてヨシと思う気持ちまで自分が至ったからです。
しあわせになりたい。。とかではないところが笑えますよね。
そのくらいの覚悟がないと正直、脱会などできないと思います。
そのくらいマインドコントロールは強烈なモノで、辞めて5年になろうとするいまも正直、こころの傷は癒えず日々傷むばかりです。。
いまわたしは、その傷や恐怖心を癒すために、ひたすら魂の放浪中です。
なにしろ自分でトコトン味わって体験して苦しんでみないと結論が出ない人のようで。。(苦笑)
ただいま、とても想うのは、この世の中を変えようとか、世界を変えようとか、みんなをしあわせに。。とかは、もういっかなって感じています。
ひとつは、たぶん純粋な想いで始まったとしても人は変容し、やがて権力に飲み込まれていく性であるように思うからです。。
もうひとつは、そんな世の中を変えるなんて、我が身すらよく理解できていないのに。。と思うから。。
また、もうこれ以上余計なエゴで変えていく必要ないのに、もうそのままで、あるがままでいいんじゃない。。と思うようになりました。
なぜなら、この地球上で人間が良くしよう変えようとしてきたことで、この地球の存在そのもので果たして有益なものが存在しているか?ということです。。
すみません。。話しがいつも飛躍しすぎてばかりで。。
なにしろ放浪中で、ときには混乱することもしばしばなのです。。
創価学会を辞めると地獄に堕ちるというマインドコントロールが、いつ完全に消えるのか、そのためには独りでは到底無理だと実感したので、あらゆる結界を張りめぐらそうと計画中です。。(笑)
あ、でも。。選ばれしモノ的な地湧の菩薩的な思い込み癖は消えましたけれど。。(笑)
最近見た邦画で主人公が。。「わたしは、中の下の女ですから!」って叫ぶシーンで、何故か胸がスカッとしました。。(笑)
女子部のときから、ジャンヌダルクとかさ、洗脳されまくってイかれてたぜ。。
» 叫ぶ満島ひかり(笑)
あのーみなさん、くどいようですが「さま」はやめてくださいね。
「さん」にしてください。
もう言いませんからよろしくお願いします(笑)
ところで、満島ひかりの代表作は「愛のむきだし」「クヒオ大佐」「川の底からこんにちは」「悪人」「スマグラー おまえの未来を運べ」ですね。
「愛のむきだし」では、カルト教団に洗脳され、ロボットのようになっていた女を演じましたが、満島ひかりが追い詰められて爆発して、主人公に馬乗りになり、聖書の言葉を叫ぶように唱える。次第に自分の感情を取り戻していく場面はとても感動的でした。
「クヒオ大佐」では実在の、父がハワイのカメハメハ大王の末裔、母がエリザベス女王の妹の夫の従姉妹だという。聞くだけで怪しい結婚詐欺師(笑) をモデルにしたという、日系アメリカ人で、軍のジェット・パイロットだと偽り、何人もの女性をだまして金を巻き上げた結婚詐欺師のクヒオ大佐(堺雅人)には、なかなか落ちない女を演じていたのが満島ひかりで、なぜかだしぬけに「なぜ、わたしなんだよ!」と男言葉で叫ぶ場面が笑えました。
「川の底からこんにちは」では、満島ひかりは「所詮、わたしは中の下の女だから...」と言い続けて耐える女(実は上から目線で自分が傲慢なことに気がつかない女)を演じるのですが、会社はつぶれかけている。父親は死にかけている。周りの人間には非難されている。男には棄てられ、徹底的に追い詰められます(笑)
しかし、彼女はダメ男の元恋人が残した少女の親になることを決意し、保育園に入れて毎日送り迎えをします。
そして、会社の朝礼で「わたしは、中の下の女ですから!あなたたちだって同じ!」と開き直って叫び、土壇場で、おばさんたちの支持を得る場面は感動的でした(笑)
「悪人」では、解体業の男(妻夫木聡)に殺される女を演じました(笑)
偶然に金持ちの大学生に会い、大喜びで(笑)その男の車に乗るんですが、山中で車を止めた大学生に彼女の息がニンニク臭いと非難され、聞くに堪えないひどい言葉で侮辱されます。
その上に「降りろ。降りないと蹴り出すぞ」とまで言われます。
満島ひかりが、誰もいない山中の道ばたに蹴り出され、置き去りにされて、道ばたにうずくまって起きあがれない姿は哀れでした。
そこへ自分が前に寝てやった解体業の男(妻夫木聡)がやってきます。
尾けていたのだ、すべて見られた、と彼女は唖然とします。
自分が見下していた男に、最も見られたくないことを見られた屈辱、その怒りが男に向かい。「車に乗れ。送ってやる」という男に、「何でアンタがここにいるのよ。罰が当たったって思っているんでしょ...、あんたに拉致された。レイプされたと訴えてやる。誰もアンタの言うことなんか信用しないわ」と、腹いせのように彼女は言い募り、叫びます。
そして興奮した解体業の男(妻夫木聡)に、あっさり殺されてしまいます。
追い詰められて叫ぶ女を演じさせたら満島ひかりに敵う女優はいないと思います(笑)
「スマグラー おまえの未来を運べ」では、殺し屋背骨に暗殺される児玉組長の18歳の妻で、秘密の運送屋スマグラーの仕事の依頼主。組長の未亡人として暗殺事件の始末をつけるため、背骨の護送に強引に同行する。外見や容貌は歳相応ながら、児玉亡きあとの組を取り仕切る女傑 児玉ちはる、を演じています。
護送される殺し屋背骨(安藤政信)は「俺は死が怖い、人間は細胞が何個もつながって出来ている、ひとつの細胞にも意味がある、俺はそれを壊してきた」と語ります。
彼は殺し屋ですが、死が怖い以上に、死に対して後ろめたい感情を持っていたのです。
女傑役の、児玉ちはる(満島ひかり)は、逃げ癖が身についている砧涼介(妻夫木聡)から貰ったたこ焼きを捨て、こう説教します。
「私だったら、自分の居場所を作るために、争いを避けたりしない!」
「悪人」とは立場が逆転しているので笑えました。
追い詰められてる砧涼介(妻夫木)が
「オレ、前向きに行こうって思うんす」というのに対して
寡黙な秘密の運送屋スマグラーのジョー(永瀬正敏)が
「前向きにだと!?、どっちが前だかわかってんのか?」
と問い返す場面が印象的でした。
私の大好きな作家、坂口安吾は「堕落せよ!そこから全てが始まるのだ」と語っています(笑)
シニフィエさんにも聞いてみてくださいね(笑)
おまけ
ピラニアの生態
ピラニアは、メチニス系の草食魚類から、1000万年 - 800万年前ほど前、雑食のメガピラニア(学名:Megapiranha paranensis)を経て、現代の肉食のピラニアへと進化した。そのため草食系の気質が多く残っている。
概して臆病な性質であり、特に単体での性格は極端に臆病であるため群れることを好む。
自分より大きく動くものに対しては、すぐ逃げ出す傾向がある。
野生種の食物は他の魚や稀に水に落ちた雛鳥やネズミなど、主に自分よりも小型の魚類や動物類である。
他には川で死にかけている、もしくは川で死んでからあまり時間が経っていない動物類の肉も食べている。
ただし「たとえ空腹でも大型の温血動物は襲わない」という説は誤りである。獲物からは常に距離を取り、その安全圏から獲物の肉を盗み取るように高速に泳ぐ。
しかし、血液臭や水面を叩く音に敏感に反応し、群れ全体が興奮状態となると水面が盛り上がるほどの勢いで獲物に喰らい付くが、これは単なる反射行動であるようである。
群れは常に同じ水域で活動しており、ほとんど移動しない。そのため、乾季になると多くのピラニアが干上がった川に取残され、カメや鳥やアヒルの餌となっている(笑)
ピラニアというと、集団で獲物に襲いかかってその肉を 食いちぎる凶暴な肉食魚、というイメージが有るのですが、St Andrews University(セント・アンドリュース大学の研究者達の発表によると、 実際にはそれは「魚、植物、昆虫などを主に食べる、雑食性の生き物」で、 群を作っているのは大きな動物を集団で襲う為では無く、むしろ自分達が 食べられ無い様にする為なのだそうです。
イメージされている姿とは大分異なるものなのですが、実際に彼等が生息して いるアマゾンでは、イルカ、カイマンワニ、ピラニアより大きな魚といったその領域の生き物達によって、ピラニアが襲われるそうです。
それらの天敵に対抗する為に、彼等は大きな群を形成しているのだ、と 研究者は語っています。
つまり、それは、イワシ、アジ、サンマなどの魚が群を作っているのと相似形の現象 なわけです。
実際に、生態を観察すると生殖可能な年齢の魚達が群の中央部にいて、「外敵」 から保護される状態になっているのだそうです。
また季節的な変動によって 生息領域の水位が低下し、より小さな水域で泳ぎ回らなければならなくなった 場合に、ピラニア達は捕食者達に襲われにくくするためにより大きな群を作り出している、という事実が語られています。
空腹でも、大きな川や湖では大型の温血動物は襲わず、弱った魚などを捕食しています。
アマゾンの子供達はピラニアがたくさんいる湖で元気に水遊びをしています。
アマゾンに住んでいる人々は、たんぱく質豊富なピラニアを食用とする他、切れ味のよいピラニアの歯で散髪をしています。
ピラニアは天敵に襲われたりして、餌が食べられなくなって弱ると、見境も無く共食いをしてあっさり自滅してしまいます(笑)
カルトちゃんの生態は、獰猛に見える臆病なピラニアと、全く同等といえるでしょう(爆笑)
それではみなさんごきげんよう(笑)
「さん」にしてください。
もう言いませんからよろしくお願いします(笑)
ところで、満島ひかりの代表作は「愛のむきだし」「クヒオ大佐」「川の底からこんにちは」「悪人」「スマグラー おまえの未来を運べ」ですね。
「愛のむきだし」では、カルト教団に洗脳され、ロボットのようになっていた女を演じましたが、満島ひかりが追い詰められて爆発して、主人公に馬乗りになり、聖書の言葉を叫ぶように唱える。次第に自分の感情を取り戻していく場面はとても感動的でした。
「クヒオ大佐」では実在の、父がハワイのカメハメハ大王の末裔、母がエリザベス女王の妹の夫の従姉妹だという。聞くだけで怪しい結婚詐欺師(笑) をモデルにしたという、日系アメリカ人で、軍のジェット・パイロットだと偽り、何人もの女性をだまして金を巻き上げた結婚詐欺師のクヒオ大佐(堺雅人)には、なかなか落ちない女を演じていたのが満島ひかりで、なぜかだしぬけに「なぜ、わたしなんだよ!」と男言葉で叫ぶ場面が笑えました。
「川の底からこんにちは」では、満島ひかりは「所詮、わたしは中の下の女だから...」と言い続けて耐える女(実は上から目線で自分が傲慢なことに気がつかない女)を演じるのですが、会社はつぶれかけている。父親は死にかけている。周りの人間には非難されている。男には棄てられ、徹底的に追い詰められます(笑)
しかし、彼女はダメ男の元恋人が残した少女の親になることを決意し、保育園に入れて毎日送り迎えをします。
そして、会社の朝礼で「わたしは、中の下の女ですから!あなたたちだって同じ!」と開き直って叫び、土壇場で、おばさんたちの支持を得る場面は感動的でした(笑)
「悪人」では、解体業の男(妻夫木聡)に殺される女を演じました(笑)
偶然に金持ちの大学生に会い、大喜びで(笑)その男の車に乗るんですが、山中で車を止めた大学生に彼女の息がニンニク臭いと非難され、聞くに堪えないひどい言葉で侮辱されます。
その上に「降りろ。降りないと蹴り出すぞ」とまで言われます。
満島ひかりが、誰もいない山中の道ばたに蹴り出され、置き去りにされて、道ばたにうずくまって起きあがれない姿は哀れでした。
そこへ自分が前に寝てやった解体業の男(妻夫木聡)がやってきます。
尾けていたのだ、すべて見られた、と彼女は唖然とします。
自分が見下していた男に、最も見られたくないことを見られた屈辱、その怒りが男に向かい。「車に乗れ。送ってやる」という男に、「何でアンタがここにいるのよ。罰が当たったって思っているんでしょ...、あんたに拉致された。レイプされたと訴えてやる。誰もアンタの言うことなんか信用しないわ」と、腹いせのように彼女は言い募り、叫びます。
そして興奮した解体業の男(妻夫木聡)に、あっさり殺されてしまいます。
追い詰められて叫ぶ女を演じさせたら満島ひかりに敵う女優はいないと思います(笑)
「スマグラー おまえの未来を運べ」では、殺し屋背骨に暗殺される児玉組長の18歳の妻で、秘密の運送屋スマグラーの仕事の依頼主。組長の未亡人として暗殺事件の始末をつけるため、背骨の護送に強引に同行する。外見や容貌は歳相応ながら、児玉亡きあとの組を取り仕切る女傑 児玉ちはる、を演じています。
護送される殺し屋背骨(安藤政信)は「俺は死が怖い、人間は細胞が何個もつながって出来ている、ひとつの細胞にも意味がある、俺はそれを壊してきた」と語ります。
彼は殺し屋ですが、死が怖い以上に、死に対して後ろめたい感情を持っていたのです。
女傑役の、児玉ちはる(満島ひかり)は、逃げ癖が身についている砧涼介(妻夫木聡)から貰ったたこ焼きを捨て、こう説教します。
「私だったら、自分の居場所を作るために、争いを避けたりしない!」
「悪人」とは立場が逆転しているので笑えました。
追い詰められてる砧涼介(妻夫木)が
「オレ、前向きに行こうって思うんす」というのに対して
寡黙な秘密の運送屋スマグラーのジョー(永瀬正敏)が
「前向きにだと!?、どっちが前だかわかってんのか?」
と問い返す場面が印象的でした。
私の大好きな作家、坂口安吾は「堕落せよ!そこから全てが始まるのだ」と語っています(笑)
シニフィエさんにも聞いてみてくださいね(笑)
おまけ
ピラニアの生態
ピラニアは、メチニス系の草食魚類から、1000万年 - 800万年前ほど前、雑食のメガピラニア(学名:Megapiranha paranensis)を経て、現代の肉食のピラニアへと進化した。そのため草食系の気質が多く残っている。
概して臆病な性質であり、特に単体での性格は極端に臆病であるため群れることを好む。
自分より大きく動くものに対しては、すぐ逃げ出す傾向がある。
野生種の食物は他の魚や稀に水に落ちた雛鳥やネズミなど、主に自分よりも小型の魚類や動物類である。
他には川で死にかけている、もしくは川で死んでからあまり時間が経っていない動物類の肉も食べている。
ただし「たとえ空腹でも大型の温血動物は襲わない」という説は誤りである。獲物からは常に距離を取り、その安全圏から獲物の肉を盗み取るように高速に泳ぐ。
しかし、血液臭や水面を叩く音に敏感に反応し、群れ全体が興奮状態となると水面が盛り上がるほどの勢いで獲物に喰らい付くが、これは単なる反射行動であるようである。
群れは常に同じ水域で活動しており、ほとんど移動しない。そのため、乾季になると多くのピラニアが干上がった川に取残され、カメや鳥やアヒルの餌となっている(笑)
ピラニアというと、集団で獲物に襲いかかってその肉を 食いちぎる凶暴な肉食魚、というイメージが有るのですが、St Andrews University(セント・アンドリュース大学の研究者達の発表によると、 実際にはそれは「魚、植物、昆虫などを主に食べる、雑食性の生き物」で、 群を作っているのは大きな動物を集団で襲う為では無く、むしろ自分達が 食べられ無い様にする為なのだそうです。
イメージされている姿とは大分異なるものなのですが、実際に彼等が生息して いるアマゾンでは、イルカ、カイマンワニ、ピラニアより大きな魚といったその領域の生き物達によって、ピラニアが襲われるそうです。
それらの天敵に対抗する為に、彼等は大きな群を形成しているのだ、と 研究者は語っています。
つまり、それは、イワシ、アジ、サンマなどの魚が群を作っているのと相似形の現象 なわけです。
実際に、生態を観察すると生殖可能な年齢の魚達が群の中央部にいて、「外敵」 から保護される状態になっているのだそうです。
また季節的な変動によって 生息領域の水位が低下し、より小さな水域で泳ぎ回らなければならなくなった 場合に、ピラニア達は捕食者達に襲われにくくするためにより大きな群を作り出している、という事実が語られています。
空腹でも、大きな川や湖では大型の温血動物は襲わず、弱った魚などを捕食しています。
アマゾンの子供達はピラニアがたくさんいる湖で元気に水遊びをしています。
アマゾンに住んでいる人々は、たんぱく質豊富なピラニアを食用とする他、切れ味のよいピラニアの歯で散髪をしています。
ピラニアは天敵に襲われたりして、餌が食べられなくなって弱ると、見境も無く共食いをしてあっさり自滅してしまいます(笑)
カルトちゃんの生態は、獰猛に見える臆病なピラニアと、全く同等といえるでしょう(爆笑)
それではみなさんごきげんよう(笑)
» 今後ともよろしくね(笑)
ブログの荒らし対策、カルトの正体と目的及びその手法について、カルトの傲慢さについての考察、カルトの罰の恐怖の呪縛についての考察、カルトの罪悪感についての考察、カルトからの脱洗脳についての考察、脱洗脳後の対処についての考察、脱洗脳の為に自己へ様々な問いかけをすることの意味と必然性、カルトの被害者についての考察、 深刻な社会問題としてカルトの害毒を考え訴えることの必然性、高倉先生の支援者についての考察等、については概ね終了したと存じます。
ご常連の皆様方には、今後、高倉先生のブログと、このブログに関連する他のブログを応援して守り立てて頂ければ、非常に嬉しく存じますので何卒宜しくお願いいたします。
私も皆様方と同様に、オブザーバーとしての立場で、できる範囲での、応援をさせていただきますので、どうぞ宜しくお願いいたします(笑)
おまけ
愉快なコメントはゆるく続けますのでよろしくね(笑)
ご常連の皆様方には、今後、高倉先生のブログと、このブログに関連する他のブログを応援して守り立てて頂ければ、非常に嬉しく存じますので何卒宜しくお願いいたします。
私も皆様方と同様に、オブザーバーとしての立場で、できる範囲での、応援をさせていただきますので、どうぞ宜しくお願いいたします(笑)
おまけ
愉快なコメントはゆるく続けますのでよろしくね(笑)
» 向上著しいですね
正義の騎士が巨大な悪の巣窟・池田カルトに戦いを挑んで、周囲の景色を彩る四季も移り変わり今に到っています。
昨年は低次元のカルト的なコメントもありましたが、徐々にそれらも移り変わり・貴ブログの質の高さをひしひしと感じています。
桃太郎さんや愉快さんを始め、コメンターの方々の内容がとても質が高くて素晴らしく感嘆いたしております。
何事においても同じ水準・同じステージ・そして同じ波動はおのずと引き合い共鳴し合うものです。
ブログの純粋な高尚さを物語っていると思います。
やはりそれは髙倉様のご人徳と、そして潔き丈夫の写し鏡だと思います。
カルトに洗脳され・MCされた方々には客観的な判断ができないので、悲しいかな「悪」としか見えないと思いますが、普通の常識を持つ方々や広い視野を持つ方々にとっては必ず目に止まり、「真実」を知るブログだと思います。
さらに人間性や精神性の高い方なら、誰しも共感し応援したくなることでしょう。
21世紀になり、いろんな事柄があまりに多く起き続けています。
大震災や構造不況、中国や韓国の動向を直視し庶民も「学び」の日々が続いています。
気づきの日々が続いています。
権力やカルトにいいように利用され・騙されてきた庶民が、徐々に真実に気づいています。
そういう庶民の「気づき」や「学び」は、新たな幸せへの開拓路です。
今まで都合のいい情報ばかり流され・権力側やカルトに利用され・本来の自分らしい幸せを得れなかった庶民の新たな滑走路です。
貴ブログは今、池田創価に全く関わりのない人たちにとっても、とても大切な存在だと思います。
何故なら、池田創価の悪汁はあらゆる分野に、ある時は直接に・ある時は間接的に弊害をもたらしているからです。
大衆から一番お金を奪えるモノは何か?
大衆から一番時間を奪えるモノは何か?
大衆を一番利用できるモノは何か?
大衆を一番ごまかせるモノは何か?
物理や数学や歴史等の学問?・・これは事実が見える。
政治?・・これも現実生活に繋がってるし、指摘がうるさい。
科学?・・これは現実の検証が物を言う。
教育全般?・・無難な路線でいかないと角がたつ。
それら全てをクリアしつつ、庶民を利用できるのが「宗教」です。
宗教は理屈抜きで、教義的にうったえることができます。
全てを上手な言葉でうやむやにできます。
上手く騙せると、今後は庶民は言いなりに「奴隷化」して従います。
洗脳され・MCされるままに人生をおくり、言われるままに人を悪者呼ばわりします。自分や家族が直接迷惑を受けたわけじゃないのに・何の被害を受けたわけじゃないのに、創価組織から言われるままに大声で「悪者」呼ばわりします。
そのことを事実か否か・確かめようともせず・検証もせず、ただ言われるままに「悪者」として罵るのです。
会合では、その悪者を罵る替え歌まで全員で歌う始末です。
この実態は明らかに異常です。
常軌を逸していますし、ある意味・狂っています。
普通の常識的な感覚ならそうなのですが、洗脳されるとそれすらわからなくなる。自分の意見などなく、池田創価がいうことが正義であり、それが全てとなっていくのです。
表面上の「人間主義」だの「平和主義」という安易な言葉にコロッと騙されて、利用され続けます。
それが池田創価学会の真実であり、現実です。
そのことに気づいた人たちが、日々増えています。
ただ、生きる上でのしがらみ故に・とりあえず静かにしてる。
水面下にいる。
そういう人たちは、会員さんだけじゃなく数多くいます。
創価に勤務してる職員にも数多くいます。
むしろ創価職員のほうが、その気持ちは強いかもしれません。
異常な汚辱を垣間見る機会が多いのですから。
よほど心根が腐らないと、普通の感覚では勤務などできないでしょうからね。
池田氏の命令の下、会員からむしり取ったお金のおこぼれで生活してる職員さんたちです。
職員の中には普通の感覚の人もいて、胸が痛む人もいるかもしれません。
でも、不況に関係ない大きな法人組織です。
おとなしくして池田カルトに随従するふりをしてれば、生涯安泰の生活があります。
そういう職員さんも増えてると思います。
情報のない非力な庶民のこんな私ですら、池田カルトの実態を述べることができるくらい「汚辱の実態」が表面化してる創価学会だということです。
今年も髙倉様の益々の御健勝、お祈りいたします。
昨年は低次元のカルト的なコメントもありましたが、徐々にそれらも移り変わり・貴ブログの質の高さをひしひしと感じています。
桃太郎さんや愉快さんを始め、コメンターの方々の内容がとても質が高くて素晴らしく感嘆いたしております。
何事においても同じ水準・同じステージ・そして同じ波動はおのずと引き合い共鳴し合うものです。
ブログの純粋な高尚さを物語っていると思います。
やはりそれは髙倉様のご人徳と、そして潔き丈夫の写し鏡だと思います。
カルトに洗脳され・MCされた方々には客観的な判断ができないので、悲しいかな「悪」としか見えないと思いますが、普通の常識を持つ方々や広い視野を持つ方々にとっては必ず目に止まり、「真実」を知るブログだと思います。
さらに人間性や精神性の高い方なら、誰しも共感し応援したくなることでしょう。
21世紀になり、いろんな事柄があまりに多く起き続けています。
大震災や構造不況、中国や韓国の動向を直視し庶民も「学び」の日々が続いています。
気づきの日々が続いています。
権力やカルトにいいように利用され・騙されてきた庶民が、徐々に真実に気づいています。
そういう庶民の「気づき」や「学び」は、新たな幸せへの開拓路です。
今まで都合のいい情報ばかり流され・権力側やカルトに利用され・本来の自分らしい幸せを得れなかった庶民の新たな滑走路です。
貴ブログは今、池田創価に全く関わりのない人たちにとっても、とても大切な存在だと思います。
何故なら、池田創価の悪汁はあらゆる分野に、ある時は直接に・ある時は間接的に弊害をもたらしているからです。
大衆から一番お金を奪えるモノは何か?
大衆から一番時間を奪えるモノは何か?
大衆を一番利用できるモノは何か?
大衆を一番ごまかせるモノは何か?
物理や数学や歴史等の学問?・・これは事実が見える。
政治?・・これも現実生活に繋がってるし、指摘がうるさい。
科学?・・これは現実の検証が物を言う。
教育全般?・・無難な路線でいかないと角がたつ。
それら全てをクリアしつつ、庶民を利用できるのが「宗教」です。
宗教は理屈抜きで、教義的にうったえることができます。
全てを上手な言葉でうやむやにできます。
上手く騙せると、今後は庶民は言いなりに「奴隷化」して従います。
洗脳され・MCされるままに人生をおくり、言われるままに人を悪者呼ばわりします。自分や家族が直接迷惑を受けたわけじゃないのに・何の被害を受けたわけじゃないのに、創価組織から言われるままに大声で「悪者」呼ばわりします。
そのことを事実か否か・確かめようともせず・検証もせず、ただ言われるままに「悪者」として罵るのです。
会合では、その悪者を罵る替え歌まで全員で歌う始末です。
この実態は明らかに異常です。
常軌を逸していますし、ある意味・狂っています。
普通の常識的な感覚ならそうなのですが、洗脳されるとそれすらわからなくなる。自分の意見などなく、池田創価がいうことが正義であり、それが全てとなっていくのです。
表面上の「人間主義」だの「平和主義」という安易な言葉にコロッと騙されて、利用され続けます。
それが池田創価学会の真実であり、現実です。
そのことに気づいた人たちが、日々増えています。
ただ、生きる上でのしがらみ故に・とりあえず静かにしてる。
水面下にいる。
そういう人たちは、会員さんだけじゃなく数多くいます。
創価に勤務してる職員にも数多くいます。
むしろ創価職員のほうが、その気持ちは強いかもしれません。
異常な汚辱を垣間見る機会が多いのですから。
よほど心根が腐らないと、普通の感覚では勤務などできないでしょうからね。
池田氏の命令の下、会員からむしり取ったお金のおこぼれで生活してる職員さんたちです。
職員の中には普通の感覚の人もいて、胸が痛む人もいるかもしれません。
でも、不況に関係ない大きな法人組織です。
おとなしくして池田カルトに随従するふりをしてれば、生涯安泰の生活があります。
そういう職員さんも増えてると思います。
情報のない非力な庶民のこんな私ですら、池田カルトの実態を述べることができるくらい「汚辱の実態」が表面化してる創価学会だということです。
今年も髙倉様の益々の御健勝、お祈りいたします。
» 寒中御見舞い申し上げます
愉快な創価学会さん 素晴らしいコメント、流石は鋭い切り口、多くのものを学ばせていただきました。中でも貴兄の次のコメントを大切にしていきたいと思います。ありがとうございました。
≪ 特定の宗教や思想を頼りにしなくても、良識を持ち、様々な苦悩をして、主体的に生きた無名の人々は、自分だけの固有の真理を作り上げています。≫
全く同感です。思想でも信仰でも道徳でも、権威主義によって上から被せられるものではありません。私の最も憎悪するところです。
≪ 自分だけの固有の真理を真っ向から主張するのは、主体性の無い頭のおかしい人間が偉そうに自分勝手に破綻した教義をずうずうしく押し付けてきた場合だけでしょうか。≫
不思議なことに、俗に言う学歴の高い人ほどこのような方が多く見受けられます。才人と狂人は紙一重のようです。困ったことにこれらの狂人は純朴な人達を言葉巧みに騙すのです。その教義信仰に吸い寄せる魔法を持っていて、恐ろしい世界に無理やり囲い込みます。ひとたび取り込むと「あなたは選ばれた人」などと甘い言葉で自尊心をくすぐり、又時には、「教えに素直でないと地獄に落ちる」などと、全く根拠のない「脅し文句」で罪もない人を組織に縛り付け、「お金」を激しく出させたり、色々なものを買わせたり、選挙に走らせたり、時間も身体も縛りつけます。宗教とは呪縛からの解放である、と私は学んだのですが、間違いなのでしょうか?「創価学会」はまるで逆です。不思議です。宗教学者の先生方に是非ともお聞きしてみたいものです。
kanさん お久しぶりです。お元気なご様子で嬉しく思います。貴兄のコメント嬉しく拝見いたしました。
≪ 権力やカルトにいいように利用され・騙されてきた庶民が徐々に真実に気づいています。そういう庶民の「気づき」や「学び」は幸せへの開拓路です。今まで都合のいい情報ばかり流され、権力・カルトに利用され、本来の自分らしい幸せを得られなかった庶民の新たな滑走路です。≫
いい言葉ですね。心が明るくなってきます。是非ともこのように進んでいって欲しいものです。
創価問題に出会って2年半、色々と学び考えてきました。宗教の、仏教の、キリスト教の何たるかを殆んど分からないまま、又外部の者にも拘わらず、昨年4月からブログにコメントを載せるようになりました。自分でもなんと厚かましいものか、「豚のしっぽ」を掴んで「巨象」を知ったかのような、とんでもない勘違いがあるかも知れないと心配しながらの参加でした。又、今さら私が書籍・ネットで学んだことを書き込んでみても、「象」の尻に触ってみる程度の問題であるだろうし、それがどれだけの意味があるのか、外部の拙いコメント等が「盲信的な会員」の方々に何らかの気づきを与えられることもないし、恐らく目を向けられることもないだろう等々、自嘲の気持ちも抱きながらのブログへの参加でした。
≪ カルトに洗脳され・MCされた方々には悲しいかな「悪」としか見えないと思いますが、普通の常識を持つ方々や広い視野を持つ方々にとっては必ず目に止まり「真実」を知るブログだと思います。≫
嬉しい言葉です。心が癒され、元気が出てきます。洗脳され・MCされた人にも心を開いて貰えるようなコメントが届けられるようになりたいと思います。しかし、内部の精神的に追い詰められている方々、今現在目覚めかけていて苦しまれている方々のコメントは切実感があり、胸を打たれるものが多いのです。これらに比べると外部のコメントなんか何ものでもないと、憚られてしまいます。
しかし、こんな浅学無恥なものでも拙い考えを述べる立場は持っていると考えています。その理由の第一は、公益法人(宗教法人)の税免除という国家補助を支える税金負担者としての立場があり、第二は、選挙運動を信仰にして会員を縛り、宗教を政治に利用される社会悪・政治的頽廃の不正を糺し民主政治の成長を求める一市民としての立場があり、第三には、直接創価学会から被害を受けているものとしての立場、等によるものです。
時には、間違ったことを各こともあるかも知れませんが、指摘して下さればいつでも訂正することはやぶさかではありません。
私は信仰は大切なものと考えていますが、宗派宗教に執着はありません。教典教義について深く学ぼうという考えも持っていません。信仰心は誰でも持っていて当たり前と考えていますが、ある宗派の教義を絶対的と考え、他の人にその宗教・信仰を押し付けることはすべきではないと考えています。宗教は、教団や教祖に依存すべきものではなく、個人一人ひとりが、長い人生のスパンの流れの上で、様々な人との出会いを頂き、そこで価値あるものや文化に出会い、他の悲喜こもごも多様な生き様に深く学びながら、自らの実存をかけた生活をくぐり抜けることによって、自らが創造していくものであると考えているからです。
とりわけ、目の前の個人を教祖として崇拝し盲信するなどは、前世紀どころか数世紀昔の社会の出来事くらいにしか思っていません。神秘的なものへの関心は誰でも持っているものかも知れませんが、絶対的な存在「神」を認めることはできず、根拠のない権威、或いは「奇蹟」「呪術」にすがりついて生きるということは私にはできません。教祖として最も相応しくない方ほど、自分のことを自分で「父」「師」として崇拝させようとするものであり、「教祖」に自分からなろうとするもののようです。恐ろしいことです。(オウムだけではありません。)
歴史を遡ってみても、最澄、法念、親鸞、更に日蓮でさえも「自分のことを崇拝せよ」とは云っていないでしょう。釈迦に至っては「教団」「寺院」でさえ不要であると言っています。池田大作氏はこれら尊師・祖師以上に自分のことを立派であると考えているのでしょうか?創価学会の幹部は「池田氏」を「御本仏」にしようと考えているのでしょうか?
元学会幹部で内部告発した「竜年光氏」「原島嵩氏」「藤原行正氏」等は、壇家のトップでしか過ぎない、しかも宗教人に程遠い「池田氏」が「師匠」では物足らず「教祖」まで求めていると言っています。元教学部長の原島嵩氏は嘆いていました。「なぜ父・原島宏冶はあんな男を会長にしてしまったのか、いまだに謎である。」と。
これら元幹部の脱会が示す意味は大きく、そこに語られた事実は「真実」だと思われます。自分の実際の体験を具体的に語っているのですから、嘘・偽りである筈がありません。組織の上からの「見るな、聞くな」「疑うことは先生に弓を引くことになり、魔を呼び込む」という指導を何も考えず受け入れてしまう会員さんはまだまだ多いのでしょうか?
昭和25年頃からの「創価学会の歴史」を一覧してみましたが、なんと事件の多いこと、裁判沙汰の多いこと、選挙違反の多いこと、宗門との争いの多いこと等々、呆れかえるばかりです。とても「宗教団体」とは思えません。更には、それらの事件・出来事の背景に誤魔化し・もみ消し・嘘等の多いことか、驚くばかりです。組織ぐるみの悪行・謀略であっても、ひとたび表に出れば、下部役員の個別事件として会員・役員を切って捨て、決して組織としての方針や指導の過ちを認めないという、批判拒否の姿勢で葬り去っていきます。他の宗教団体と違って
半世紀にも亘ってこのようなことができたのは、何と云っても公明党の政党を持ち、権力へ浸透して創価学会を守らせているからだと考えられます。これらのことは、矢野恂也氏の「黒い手帳」「私の愛した池田大作」「乱脈経理」等に詳しく書かれています。こんなことで、世界宗教どころか、日本の社会に認められる宗教にさえとてもなれないでしょう。
≪ 狂信者達の無残な姿を目のあたりにして、菩薩の修行活動を止めることで覚醒した純真な学会員や脱会者の証言および内部告発により、創価学会は社会的な信用を益々失い、教団は内部分裂し崩壊して、見事に破綻している渦中にあります。≫
「愉快な創価学会さん」のご指摘のように、日本国のために、名もなき貧しき人達のためにも、一日も早く多くの方が目覚めて欲しいものです。(ご指摘が狂信役員さんにも届いて欲しいものです。)
希望様の益々のご健勝をお祈りいたします。大寒になりました。ご自愛下さいますよう。
退職して2年半、硬い頭を振り搾って勉強をしております。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。(長くなるといけませんので、今日はこれにて失礼いたします。)
≪ 特定の宗教や思想を頼りにしなくても、良識を持ち、様々な苦悩をして、主体的に生きた無名の人々は、自分だけの固有の真理を作り上げています。≫
全く同感です。思想でも信仰でも道徳でも、権威主義によって上から被せられるものではありません。私の最も憎悪するところです。
≪ 自分だけの固有の真理を真っ向から主張するのは、主体性の無い頭のおかしい人間が偉そうに自分勝手に破綻した教義をずうずうしく押し付けてきた場合だけでしょうか。≫
不思議なことに、俗に言う学歴の高い人ほどこのような方が多く見受けられます。才人と狂人は紙一重のようです。困ったことにこれらの狂人は純朴な人達を言葉巧みに騙すのです。その教義信仰に吸い寄せる魔法を持っていて、恐ろしい世界に無理やり囲い込みます。ひとたび取り込むと「あなたは選ばれた人」などと甘い言葉で自尊心をくすぐり、又時には、「教えに素直でないと地獄に落ちる」などと、全く根拠のない「脅し文句」で罪もない人を組織に縛り付け、「お金」を激しく出させたり、色々なものを買わせたり、選挙に走らせたり、時間も身体も縛りつけます。宗教とは呪縛からの解放である、と私は学んだのですが、間違いなのでしょうか?「創価学会」はまるで逆です。不思議です。宗教学者の先生方に是非ともお聞きしてみたいものです。
kanさん お久しぶりです。お元気なご様子で嬉しく思います。貴兄のコメント嬉しく拝見いたしました。
≪ 権力やカルトにいいように利用され・騙されてきた庶民が徐々に真実に気づいています。そういう庶民の「気づき」や「学び」は幸せへの開拓路です。今まで都合のいい情報ばかり流され、権力・カルトに利用され、本来の自分らしい幸せを得られなかった庶民の新たな滑走路です。≫
いい言葉ですね。心が明るくなってきます。是非ともこのように進んでいって欲しいものです。
創価問題に出会って2年半、色々と学び考えてきました。宗教の、仏教の、キリスト教の何たるかを殆んど分からないまま、又外部の者にも拘わらず、昨年4月からブログにコメントを載せるようになりました。自分でもなんと厚かましいものか、「豚のしっぽ」を掴んで「巨象」を知ったかのような、とんでもない勘違いがあるかも知れないと心配しながらの参加でした。又、今さら私が書籍・ネットで学んだことを書き込んでみても、「象」の尻に触ってみる程度の問題であるだろうし、それがどれだけの意味があるのか、外部の拙いコメント等が「盲信的な会員」の方々に何らかの気づきを与えられることもないし、恐らく目を向けられることもないだろう等々、自嘲の気持ちも抱きながらのブログへの参加でした。
≪ カルトに洗脳され・MCされた方々には悲しいかな「悪」としか見えないと思いますが、普通の常識を持つ方々や広い視野を持つ方々にとっては必ず目に止まり「真実」を知るブログだと思います。≫
嬉しい言葉です。心が癒され、元気が出てきます。洗脳され・MCされた人にも心を開いて貰えるようなコメントが届けられるようになりたいと思います。しかし、内部の精神的に追い詰められている方々、今現在目覚めかけていて苦しまれている方々のコメントは切実感があり、胸を打たれるものが多いのです。これらに比べると外部のコメントなんか何ものでもないと、憚られてしまいます。
しかし、こんな浅学無恥なものでも拙い考えを述べる立場は持っていると考えています。その理由の第一は、公益法人(宗教法人)の税免除という国家補助を支える税金負担者としての立場があり、第二は、選挙運動を信仰にして会員を縛り、宗教を政治に利用される社会悪・政治的頽廃の不正を糺し民主政治の成長を求める一市民としての立場があり、第三には、直接創価学会から被害を受けているものとしての立場、等によるものです。
時には、間違ったことを各こともあるかも知れませんが、指摘して下さればいつでも訂正することはやぶさかではありません。
私は信仰は大切なものと考えていますが、宗派宗教に執着はありません。教典教義について深く学ぼうという考えも持っていません。信仰心は誰でも持っていて当たり前と考えていますが、ある宗派の教義を絶対的と考え、他の人にその宗教・信仰を押し付けることはすべきではないと考えています。宗教は、教団や教祖に依存すべきものではなく、個人一人ひとりが、長い人生のスパンの流れの上で、様々な人との出会いを頂き、そこで価値あるものや文化に出会い、他の悲喜こもごも多様な生き様に深く学びながら、自らの実存をかけた生活をくぐり抜けることによって、自らが創造していくものであると考えているからです。
とりわけ、目の前の個人を教祖として崇拝し盲信するなどは、前世紀どころか数世紀昔の社会の出来事くらいにしか思っていません。神秘的なものへの関心は誰でも持っているものかも知れませんが、絶対的な存在「神」を認めることはできず、根拠のない権威、或いは「奇蹟」「呪術」にすがりついて生きるということは私にはできません。教祖として最も相応しくない方ほど、自分のことを自分で「父」「師」として崇拝させようとするものであり、「教祖」に自分からなろうとするもののようです。恐ろしいことです。(オウムだけではありません。)
歴史を遡ってみても、最澄、法念、親鸞、更に日蓮でさえも「自分のことを崇拝せよ」とは云っていないでしょう。釈迦に至っては「教団」「寺院」でさえ不要であると言っています。池田大作氏はこれら尊師・祖師以上に自分のことを立派であると考えているのでしょうか?創価学会の幹部は「池田氏」を「御本仏」にしようと考えているのでしょうか?
元学会幹部で内部告発した「竜年光氏」「原島嵩氏」「藤原行正氏」等は、壇家のトップでしか過ぎない、しかも宗教人に程遠い「池田氏」が「師匠」では物足らず「教祖」まで求めていると言っています。元教学部長の原島嵩氏は嘆いていました。「なぜ父・原島宏冶はあんな男を会長にしてしまったのか、いまだに謎である。」と。
これら元幹部の脱会が示す意味は大きく、そこに語られた事実は「真実」だと思われます。自分の実際の体験を具体的に語っているのですから、嘘・偽りである筈がありません。組織の上からの「見るな、聞くな」「疑うことは先生に弓を引くことになり、魔を呼び込む」という指導を何も考えず受け入れてしまう会員さんはまだまだ多いのでしょうか?
昭和25年頃からの「創価学会の歴史」を一覧してみましたが、なんと事件の多いこと、裁判沙汰の多いこと、選挙違反の多いこと、宗門との争いの多いこと等々、呆れかえるばかりです。とても「宗教団体」とは思えません。更には、それらの事件・出来事の背景に誤魔化し・もみ消し・嘘等の多いことか、驚くばかりです。組織ぐるみの悪行・謀略であっても、ひとたび表に出れば、下部役員の個別事件として会員・役員を切って捨て、決して組織としての方針や指導の過ちを認めないという、批判拒否の姿勢で葬り去っていきます。他の宗教団体と違って
半世紀にも亘ってこのようなことができたのは、何と云っても公明党の政党を持ち、権力へ浸透して創価学会を守らせているからだと考えられます。これらのことは、矢野恂也氏の「黒い手帳」「私の愛した池田大作」「乱脈経理」等に詳しく書かれています。こんなことで、世界宗教どころか、日本の社会に認められる宗教にさえとてもなれないでしょう。
≪ 狂信者達の無残な姿を目のあたりにして、菩薩の修行活動を止めることで覚醒した純真な学会員や脱会者の証言および内部告発により、創価学会は社会的な信用を益々失い、教団は内部分裂し崩壊して、見事に破綻している渦中にあります。≫
「愉快な創価学会さん」のご指摘のように、日本国のために、名もなき貧しき人達のためにも、一日も早く多くの方が目覚めて欲しいものです。(ご指摘が狂信役員さんにも届いて欲しいものです。)
希望様の益々のご健勝をお祈りいたします。大寒になりました。ご自愛下さいますよう。
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» ブログのご紹介
高倉先生、ならびに読者の皆様、こんにちは。
ご存知の方も多いかもしれませんが
「日本よ何処へ」というブログを御紹介致します。
なぜかURLに入れても表示されないことが多いですので、
yahooでブログ名、もしくは せと弘幸 と入力してみてください。
1/22のエントリー
「オウム真理教事件の謎に迫る②
ーなぜ、カルトは危険であるとの認識を避けたのか?」
は示唆に富む内容です。
(①は先週だったと思います。オウムの宣伝に加担しながら平気な顔をしている文化人達を見る事ができます。)
過去の記事一覧から閲覧できます
ご一読頂ければ幸いです。
取り急ぎご紹介まで。
注・せと弘幸というのはブログ主の名前です。
ご存知の方も多いかもしれませんが
「日本よ何処へ」というブログを御紹介致します。
なぜかURLに入れても表示されないことが多いですので、
yahooでブログ名、もしくは せと弘幸 と入力してみてください。
1/22のエントリー
「オウム真理教事件の謎に迫る②
ーなぜ、カルトは危険であるとの認識を避けたのか?」
は示唆に富む内容です。
(①は先週だったと思います。オウムの宣伝に加担しながら平気な顔をしている文化人達を見る事ができます。)
過去の記事一覧から閲覧できます
ご一読頂ければ幸いです。
取り急ぎご紹介まで。
注・せと弘幸というのはブログ主の名前です。
» 不作為の罪(笑)
創価学会の犯罪には、組織や学会員が積極的に犯罪行為を犯す、「作為の罪」と、
組織や学会員が、組織においてなすべきことをしない、出来ない、という「不作為の罪」があります。
「作為の罪」と、「不作為の罪」で泣き寝入りをさせられているのは「創価学会の被害者」と「純真な学会員」です。
善意(笑)の学会員達は、この「不作為の罪」を至る所で普通に行える、お見事な傲慢さと無責任っぷりが身についた、「見ざる聞かざる言わざる」で平気な頭のおかしな可哀想な人間なのです(これ学会員だけに限らないんですけどね)
しかし、ドーシの不善を平気で看過できる、素晴らしいジユノボサツノジヒを保っているとは、創価学会の教義は本当に便利な教えですね(苦笑)
ダイジョーブッキョーのホケキョーがサイコーの教えなのがよく解りました(笑)
ジユノボサツとは本当に凄いですね。
外面如菩薩内心如夜叉とはこのことでしょうか(爆笑)
「釈迦」も「日蓮」も、感激して涙を流して喜んでいることでしょう(苦笑)
傲慢な菩薩などありえません。
「釈迦」と「日蓮」が絶対に許しません。
それは「仏性」への冒涜なのです。
創価学会のカルト信者達は、世間の人々の慈悲の心に縋りつき甘えているだけにすぎないのです。
創価学会は、宗教の皮を被った確信犯のカルト破壊集団に間違いありません。
創価学会のカルト信者達が、脱洗脳して一般人になった元信者を裏切り者呼ばわりするのは、革命の名を借りた復讐行為が大好きな、過激派の犯罪者達が、改心して一般人になった人間を裏切り者呼ばわりするのと、まったく同じですから笑ってしまいます。
非合法組織や犯罪組織の構成員と同様の心性ではありませんか(笑)
なぜ改心した、かつての仲間を裏切り者呼ばわりするのか?
それはカルトの呪縛から解放されないカルト信者自身が、カルトの呪縛から解放された人間を羨んでいるからです。
しかし、カルトの呪縛から解放される為に、必要な努力をしない人間などには、同情する必然性はありません。
このような輩は、創価学会が崩壊した後に、のこのこ出てきて、いけしゃあしゃあと
「私もだまされて酷い目に遭った被害者なんです。同情してください。助けてくださいよ」とか
「実は人知れず組織を崩壊させる為の活動をしていたんです凄いでしょう」とかの
どこぞのカルト国家の人間に酷似した、わかりやすい言い訳をして、見事な偽善者っぷりを炸裂させ、世間の人々から大笑いされることでしょう。
それどころか、創価学会から酷い実害を蒙った被害者達から、見事に復讐されることでしょう(笑)
自業自得とはこのことでしょうか(苦笑)
「作為の罪」と、「不作為の罪」は、分不相応な野望や欲望の為に、頭のおかしな権力者に媚びへつらい、お人よしの民衆を欺く、企業家や政治家や官僚やマスコミや学者や文化人や芸能人に、特に当てはまる言葉なのです(笑)
カルトの歴史「これが創価学会の真実だ!(笑)」
のコメントに、説明をまた追加しておきました
こんな↓感じで(笑)
仏教の歴史はある意味で釈迦への裏切りと誤解の歴史であったと言える。 自由思想家である釈迦が創始した仏教は合理的で論理性の高いものであり、異端や異なる考え方に寛容であった、また釈迦は道理に基づく理法を強調して呪術を禁じており、信や信仰を強調していなかった。「信仰を捨てよ」とまで言ったのである。
悟りと自利を強調した出家修行者の、釈迦を神格化し難解な教理と修行で構成して成立された部派仏教(小乗仏教)を否定して、悟りよりも利他を強調し、釈迦をさらに神格化し、因果応報という観念と、インド伝統の輪廻転生の思想を結びつけて、悟りより利他の救済行のみに心を砕く菩薩を新たに創造し、神通力を強調した感動的な物語と教義を創作して在家信者の教化をはかり成立したのが大乗仏教である。
まさに両極端は一致すると言えるであろう。何事もほどほどが肝要である。
オウム真理教は教義を「カルト小乗」から「カルト大乗」にして破綻しました。
創価学会の教義は元々「カルト大乗」ですから破綻して当然なのです。
おまけ
ジャック・バウアーは絶対に放射線防護服を着用しないと思います。
でも小枝チョコを野原で食べるのは大好きだと思います(笑)
前原ちゃんは菓子パンと調理パンのどっちが好きなのかな?(苦笑)
最近、子供達の間でなぜか、缶(管)蹴りが流行っているそうですね(笑)
自民党の坊ちゃん議員はなぜかシークレットブーツを愛用しているそうです(笑)
鹿児島県生まれの元海軍士官の私の叔父は、宮沢賢治と蛍と猫とりんごとハナミズキと鯛焼きと将棋が大好きで、なぜかPerfume(パフューム)のファンなのですが、政治に無関心な私には苦手な存在です(笑)
それではみなさんごきげんよう(笑)
組織や学会員が、組織においてなすべきことをしない、出来ない、という「不作為の罪」があります。
「作為の罪」と、「不作為の罪」で泣き寝入りをさせられているのは「創価学会の被害者」と「純真な学会員」です。
善意(笑)の学会員達は、この「不作為の罪」を至る所で普通に行える、お見事な傲慢さと無責任っぷりが身についた、「見ざる聞かざる言わざる」で平気な頭のおかしな可哀想な人間なのです(これ学会員だけに限らないんですけどね)
しかし、ドーシの不善を平気で看過できる、素晴らしいジユノボサツノジヒを保っているとは、創価学会の教義は本当に便利な教えですね(苦笑)
ダイジョーブッキョーのホケキョーがサイコーの教えなのがよく解りました(笑)
ジユノボサツとは本当に凄いですね。
外面如菩薩内心如夜叉とはこのことでしょうか(爆笑)
「釈迦」も「日蓮」も、感激して涙を流して喜んでいることでしょう(苦笑)
傲慢な菩薩などありえません。
「釈迦」と「日蓮」が絶対に許しません。
それは「仏性」への冒涜なのです。
創価学会のカルト信者達は、世間の人々の慈悲の心に縋りつき甘えているだけにすぎないのです。
創価学会は、宗教の皮を被った確信犯のカルト破壊集団に間違いありません。
創価学会のカルト信者達が、脱洗脳して一般人になった元信者を裏切り者呼ばわりするのは、革命の名を借りた復讐行為が大好きな、過激派の犯罪者達が、改心して一般人になった人間を裏切り者呼ばわりするのと、まったく同じですから笑ってしまいます。
非合法組織や犯罪組織の構成員と同様の心性ではありませんか(笑)
なぜ改心した、かつての仲間を裏切り者呼ばわりするのか?
それはカルトの呪縛から解放されないカルト信者自身が、カルトの呪縛から解放された人間を羨んでいるからです。
しかし、カルトの呪縛から解放される為に、必要な努力をしない人間などには、同情する必然性はありません。
このような輩は、創価学会が崩壊した後に、のこのこ出てきて、いけしゃあしゃあと
「私もだまされて酷い目に遭った被害者なんです。同情してください。助けてくださいよ」とか
「実は人知れず組織を崩壊させる為の活動をしていたんです凄いでしょう」とかの
どこぞのカルト国家の人間に酷似した、わかりやすい言い訳をして、見事な偽善者っぷりを炸裂させ、世間の人々から大笑いされることでしょう。
それどころか、創価学会から酷い実害を蒙った被害者達から、見事に復讐されることでしょう(笑)
自業自得とはこのことでしょうか(苦笑)
「作為の罪」と、「不作為の罪」は、分不相応な野望や欲望の為に、頭のおかしな権力者に媚びへつらい、お人よしの民衆を欺く、企業家や政治家や官僚やマスコミや学者や文化人や芸能人に、特に当てはまる言葉なのです(笑)
カルトの歴史「これが創価学会の真実だ!(笑)」
のコメントに、説明をまた追加しておきました
こんな↓感じで(笑)
仏教の歴史はある意味で釈迦への裏切りと誤解の歴史であったと言える。 自由思想家である釈迦が創始した仏教は合理的で論理性の高いものであり、異端や異なる考え方に寛容であった、また釈迦は道理に基づく理法を強調して呪術を禁じており、信や信仰を強調していなかった。「信仰を捨てよ」とまで言ったのである。
悟りと自利を強調した出家修行者の、釈迦を神格化し難解な教理と修行で構成して成立された部派仏教(小乗仏教)を否定して、悟りよりも利他を強調し、釈迦をさらに神格化し、因果応報という観念と、インド伝統の輪廻転生の思想を結びつけて、悟りより利他の救済行のみに心を砕く菩薩を新たに創造し、神通力を強調した感動的な物語と教義を創作して在家信者の教化をはかり成立したのが大乗仏教である。
まさに両極端は一致すると言えるであろう。何事もほどほどが肝要である。
オウム真理教は教義を「カルト小乗」から「カルト大乗」にして破綻しました。
創価学会の教義は元々「カルト大乗」ですから破綻して当然なのです。
おまけ
ジャック・バウアーは絶対に放射線防護服を着用しないと思います。
でも小枝チョコを野原で食べるのは大好きだと思います(笑)
前原ちゃんは菓子パンと調理パンのどっちが好きなのかな?(苦笑)
最近、子供達の間でなぜか、缶(管)蹴りが流行っているそうですね(笑)
自民党の坊ちゃん議員はなぜかシークレットブーツを愛用しているそうです(笑)
鹿児島県生まれの元海軍士官の私の叔父は、宮沢賢治と蛍と猫とりんごとハナミズキと鯛焼きと将棋が大好きで、なぜかPerfume(パフューム)のファンなのですが、政治に無関心な私には苦手な存在です(笑)
それではみなさんごきげんよう(笑)
» ありがとうございます。
シニフィエ様
コメント、ありがとうございました。「対話を求めて」の新しい展開を楽しみにしています。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
愉快様
コメント、ありがとうございました。私は、以前も申し上げましたように、「愉快な創価学会」というハンドル・ネームは大好きでした。
しかし、今回は、ご改名を心よりお慶び申し上げます。
数々のコメントを投稿して下さっておられる愉快様には、これまで同様「様」付けとさせて頂きます。悪しからず、ご了承下さいますようにお願い申し上げます。
ところで、私は、ワシントンを訪問した時に、ハナミズキの美しさに心を打たれました。私の父方にも海軍士官がおりました。偶然の符合ですね。
なお、映画「悪人」を鑑賞したことが、私が、池田カルト一派に対して訴訟を起こすきっかけの一つとなりました。人間として、深い深い生き方をしなければならないと感じました。将来、そのことをブログに記載します。
流れ星様
コメント、ありがとうございました。精神遍歴をありのままにコメントして下さり、感銘を受けました。今後とも、自由に心情をコメントして頂ければ幸いです。
kan様
いつもながら素晴らしいコメント、ありがとうございました。私も、kan様のような感性と論理に支えられた展開ができるような表現力を身に付けたいと感じています。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
桃太郎様
素晴らしいコメント、ありがとうございました。
特に、以下の記述には感服致しました。
「こんな浅学無恥なものでも拙い考えを述べる立場は持っていると考えています。その理由の第一は、公益法人(宗教法人)の税免除という国家補助を支える税金負担者としての立場があり、第二は、選挙運動を信仰にして会員を縛り、宗教を政治に利用される社会悪・政治的頽廃の不正を糺し民主政治の成長を求める一市民としての立場があり、第三には、直接創価学会から被害を受けているものとしての立場、等によるものです。 」
今後とも鋭いコメント、何卒よろしくお願い申し上げます。
通りすがり様
コメント、ありがとうございました。ご紹介頂いたブログは、毎日拝読しております。今後ともよろしくお願い申し上げます。
コメント、ありがとうございました。「対話を求めて」の新しい展開を楽しみにしています。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
愉快様
コメント、ありがとうございました。私は、以前も申し上げましたように、「愉快な創価学会」というハンドル・ネームは大好きでした。
しかし、今回は、ご改名を心よりお慶び申し上げます。
数々のコメントを投稿して下さっておられる愉快様には、これまで同様「様」付けとさせて頂きます。悪しからず、ご了承下さいますようにお願い申し上げます。
ところで、私は、ワシントンを訪問した時に、ハナミズキの美しさに心を打たれました。私の父方にも海軍士官がおりました。偶然の符合ですね。
なお、映画「悪人」を鑑賞したことが、私が、池田カルト一派に対して訴訟を起こすきっかけの一つとなりました。人間として、深い深い生き方をしなければならないと感じました。将来、そのことをブログに記載します。
流れ星様
コメント、ありがとうございました。精神遍歴をありのままにコメントして下さり、感銘を受けました。今後とも、自由に心情をコメントして頂ければ幸いです。
kan様
いつもながら素晴らしいコメント、ありがとうございました。私も、kan様のような感性と論理に支えられた展開ができるような表現力を身に付けたいと感じています。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
桃太郎様
素晴らしいコメント、ありがとうございました。
特に、以下の記述には感服致しました。
「こんな浅学無恥なものでも拙い考えを述べる立場は持っていると考えています。その理由の第一は、公益法人(宗教法人)の税免除という国家補助を支える税金負担者としての立場があり、第二は、選挙運動を信仰にして会員を縛り、宗教を政治に利用される社会悪・政治的頽廃の不正を糺し民主政治の成長を求める一市民としての立場があり、第三には、直接創価学会から被害を受けているものとしての立場、等によるものです。 」
今後とも鋭いコメント、何卒よろしくお願い申し上げます。
通りすがり様
コメント、ありがとうございました。ご紹介頂いたブログは、毎日拝読しております。今後ともよろしくお願い申し上げます。
» カルトの定義と『サイコパス』(Psychopath)について
皆様方のご参考迄に、私が好んで使用している言葉「カルトちゃん」の元になっている、カルトの定義について簡単に纏めてみました。
カルト(Cult)は、「崇拝」、「礼拝」を意味するラテン語 Cultusから派生した言葉で、元来は「儀礼・祭祀」などの宗教的活動を意味しており否定的・批判的なニュアンスは無かった。しかし現在では、反社会的な宗教団体を指す世俗的な異常めいたイメージがほぼ定着している。ただし、反社会的な問題のない団体に独自の主観によりカルトのレッテルを貼る等の混乱が見られたり、派生的な用法が多岐にわたって使用されはじめており、境界線があいまいな言葉である。
カルトの元々の意味は「正当な宗教に対する新しい宗教」という位置づけでしたが、現在では「極端な(時に危険な、また反社会的な)思想を持った宗教又は団体」という意味で使われています。
宗教とは関係なく、あまりに極端な思想を持った団体でも、カルトという単語を用いることがあります(例:カルト宗教、カルト政党、カルトイデオロギー団体、カルト国家、環境カルト団体)
ジャーナリズムの世界では、「反社会的な宗教や団体」という意味で使われるのが一般的で、宗教やイデオロギーの教義や理論を利用して信者を奴隷化したり、集団囲い込み、つきまとい、ストーカー、暴力、テロ、殺人、を伴う信者の勧誘や洗脳を平気で行ったり、組織の拡大や金や権力を目的とする犯罪を、平気で犯す宗教団体や、イデオロギー団体、に対して用いられます。
「破壊的カルト」(=カルト)とは、
信者本人の人格破壊
信者と信者の家族との間の関係破壊
信者と社会との関係破壊
カルト・セクトの見分け方
真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する。
組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない。
自分の頭で考えることをしないように指導する。
世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ。
白黒を常にはっきりさせる傾向が強い。
外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える。
信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある。
組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる。
家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている。
社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする。
外部に対して正体を隠す傾向がある。
生活が細部にわたって規定される。
組織が信者の生活のすべてになっている。
共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている。
組織からの離脱について極度の恐怖心を与える。
「創価学会SGI」を、カルト・セクト認定した、フランス国民議会の、「アラン・ジュスト報告書」による「カルト・(セクト『全体主義セクト』)」の定義(反社会的行為を行なう宗教団体の基準)は以下の通りです。
1. 精神の不安定化(mental destabilization)
2. 法外な金銭的要求 (exorbitant character of the financial requirements)
3. 社会からの隔離 (isolation from society)
4. 身体的健康への危険性 (danger to physical health)
5. 子供の「歩兵」化 (embrigadement [bringing into the "troops"] of the children)
6. 多少の反社会的な言説 (the more or less antisocial speech)
7. 法や秩序に関するいくつかの騒動 (disorders with the law and order)
8. 係争の重要性 (importance of the legal contentions)
9. 従来の経済回路からの逸脱 (the possible diversion of the traditional economic circuits)
10. 公権力への浸透の試み (attempts at infiltration of the public authorities)
『全体主義』はフランス語で「totalitaire」といいます。『全体主義』は他者からの反対は絶対認めないし、民主主義の考え方も絶対に認めない上に、社会全体と人間のプライバシーまでもコントロールします。
『セクト』はフランス語で「sectaire」と言い、熱狂的なグループを意味します。そのグループの意見は狭くて、厳格です。そして、強烈な異説排除を行います。
カルトの特徴について
マイクル・シャーマーによれば、一般的に以下のように性格づけられます。
指導者に対する崇拝
聖人、あるいは神格に向けられるものとさして変わらない賛美。
指導者の無謬性
指導者は絶対に間違いを犯さないという確信。
指導者の知識の広さ
哲学的な事柄から日常の些細なことまで、指導者の信条や口にすることはなんでも無条件に受け入れる。
説得のテクニック
新たな信徒を獲得し、現状の信仰心を補強するために、寛大なものから威圧的なものまで手段はさまざま。
秘密の計画
信仰の真の目的と計画が曖昧としている、あるいは新規入信者や一般大衆にはそれらが明確に提示されていない。
欺瞞
入信者や信徒は、その頂点に立つ指導者や集団の中枢部に関してすべてを知らされるわけではなく、また大きな混乱を招くような不備や厄介事に発展しそうな事件、あるいは状況は隠蔽されている。
金融面および性的な利用
入信者や信徒は、その金銭およびそのほかの資産を差し出すよう説得され、指導者には一人かそれ以上の信徒との性的関係が許されている。
絶対的な真理
さまざまなテーマにおいて、指導者、あるいは集団が見いだした究極の知識に対する盲信。
絶対的な道徳観
指導者、あるいは集団が確立した、組織の内外を問わず等しくあてはまる、思考および行動に関する善悪の基準への盲信。その道徳の基準にきちんと従えば、組織の一員としていられるが、そうでない者は破門されるか罰せられる。
カルトの指導者や信者の多くは、『サイコパス』か『ソシオパス』(反社会性人格障害)であるとされ以下のような特徴があります。
良心の異常な欠如
他者に対する冷淡さや共感のなさ
慢性的に平然と嘘をつく
行動に対する責任が全く取れない
罪悪感が全く無い
過大な自尊心で自己中心的
口達者
精神病質(サイコパシー、Psychopathy)は、反社会的人格の一種を意味する心理学用語であり、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使わている。精神病質者を英語で『サイコパス』(Psychopath)という。類似する用語として、社会病質(ソシオパシー、Sociopathy)、社会病質者(ソシオパス、Sociopath)がある。
精神病質者を英語で(『サイコパス』Psychopath)といい、連続強姦殺人犯、シリアルキラー(連続殺人者)や、重度のストーカー、常習的詐欺師・放火魔、カルトの指導者の多くが『サイコパス』に属すると考えられている。さらに、窃盗/万引き、ドメスティックバイオレンス、幼児虐待、非行少年グループ、資格を剥奪された弁護士・検察官や医師、テロリスト、組織犯罪の構成員、金のためならなんでもやる人間、悪徳実業家なども当てはまることがある。
ロバート・ヘアによると、『サイコパス』は他者に愛着を持ち辛く、良心(不安感)に乏しく、加えて攻撃的(反社会的)な人物であるとされる。 これは先天(器質)的な脳障害で、異常なほど強力な防衛機制(不安に対処する能力)が働くので不可抗力とされるが、後者の反社会性は後天的な要因であるため強化(矯正)可能と見ている。
一方『ソシオパス』は後天的要因(反社会性)のみが濃いとされ、多くの「ストーカー」はこれに属するということになる。 なぜならストーカー行為は相手に愛着を持たなければ長期間(一ヶ月等)の継続的なストーキングは不可能だからである。 ヘア曰く、サイコパスのストーキングは激しい怒りの衝動で突発的に引き起こされ1日か2日で終わるという。
『サイコパス』は社会の捕食者(プレデター)であり、生涯を通じて他人を魅了し、操り、情け容赦なく我が道だけをいき、心を引き裂かれた人や期待を打ち砕かれた人、財産を奪われ尽くした人を後に残して行く。良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。その多くは刑務所内にいるが、社会に出ている者もまた多い。その大部分は殺人を犯すことなく自分たちの業を押しつけてくる。北米には少なくとも200万人、ニューヨークだけでも10万人の『サイコパス』がいると、犯罪心理学者ロバート・D・ヘア(en:Robert D. Hareは統計的に見積っている。
精神病質の原因と考えられているのは前頭葉の障害であるとされ、健常者の脳波とはまるで違う脳波を見せる。精神病質は遺伝病だとされる意見が主とされている。逆に、家庭・周囲環境や障害に因る心身の衰弱によるものなどによる、精神病質に似た性格異常は仮精神病質(偽精神病質)とされ、精神病質とは識別されている。
エミール・クレペリンによると『サイコパス』のひとつに「空想虚言者」という類型がある。
【想像力が異常に旺盛で、空想を現実よりも優先する】
一見才能があり博学で、地理・歴史・技術・医学など、何くれとなく通じていて話題が豊富であるが、よく調べるとその知識は他人の話からの寄せ集めである。
【弁舌が淀みなく、当意即妙の応答がうまい】
好んで難解な外来語や人を脅かす言説をなす。
【人の心を操り、人気を集め、注目を浴びることに長けている】
自己中心の空想に陶酔して、他人の批判を許さない。自ら嘘をついて、いつのまにかその嘘を自分でも信じ込んでしまうのである。
行動遺伝学者デヴィッド・リッケン(David・T・Lykken)は反社会的人格を、「サイコパス的人格」、「ソシオパス的人格」、「性格神経症」の三つに大別し、「サイコパス的人格」は元来の性格、気質などの先天的なもの、「ソシオパス的人格」は、親の育て方などによる後天的なもの、「性格神経症」は、衝動的で子供じみた無茶な行動を好み失敗して周囲に迷惑をかけて、他者に責任を転嫁し反省することはなく、自分が不利になるような行動を繰り返すと云う特徴があるもの、として位置付けています。
反社会性人格障害の一般的な特徴は、道徳を無視する良心の呵責がない心性、社会的逸脱行為や思考柔軟性の欠如、社会的または職業的な領域における機能の障害、生涯にわたる異常な言動の持続性などが挙げられ、これに加えて他の精神疾患や薬物的または生理学的な作用によって引き起こされた症状ではないのであれば、その状態は人格障害であると診断されます。
全てが創価学会やマルキシズム宣揚団体に代表されるカルト団体やカルト信者に該当します。
ご興味がある方は、教義や理論や活動内容で考えてみませんか(笑)
ちなみに創価学会を信じない方が純真な学会員さんです。
カルトちゃんが「ナリスマシ」という言葉に敏感に反応するのは、自分達が金太郎飴みたいなステレオタイプの個性だから、皆一緒で見分けがつかないのを気にしているからです。
カルトちゃんはお馬鹿ですから、自分が気にしてることを他の人達が気にしてると思い込んでいます。
例えば宗教的な呪縛とかのね(笑)
それから、強い人にひたすら弱く(笑)、弱い人にひたすら強い(笑)ので、人様の靴を舐めるか、自分の靴を舐めさせるような卑屈な人間関係しか築けません。
後、実は無視されるのを一番嫌がります。
嘘でも、唯一最高の教えを保って自慢しないと、基本的に誰にも相手にされない怠け者だからです。
しかし、カルトちゃんは、よく臆面もなく、自分のコンプレックスを自慢できますよね(笑)
なんで人より劣っていることを自慢できるのかな?
呪文を唱えて組織に都合がいい活動をさせられるだけで、知恵が身につくと本気で思い込んでるから笑ってしまいます。
知恵が身につく為に必要な、まともな努力をしないと、知恵は身につかないのが当たり前なんですが、なんで分らないんでしょうね(笑)
高倉先生もひたすら考え続けることが肝要と言われていましたね。
しかし無理やり盲信を強要させられる子供達や、本当に気が弱くて断れない人や、社会変革(破壊)の言葉でだまされちゃう人は本当に可哀相ですよね。
創価学会は仏教の教義を悪解釈して、考えることが即迷いだから考えるなとか洗脳してますから困ったものです。
考えるには対象に疑問を持つのが絶対条件なんですがね。
オウム真理教の信者も、教義について疑念を持ったり、考えたりすることを厳しく禁じられていました。
帰納法と演繹法をすり替えて説明してるのも、オウム真理教とかマルキシズムとかの、行き過ぎた教条主義と全く同じです。
せっかく苦労しても、ちゃんと考えて苦悩をしないと意味がないんですけどね。
そういえば私の経験では、「オレは武道やってるんだぞ」って、やたら自慢する奴は案外弱いんですよね(笑)
なぜか、結構でかい奴に限ってそうなんですよ、どうしてなんだろうね(爆笑)
そして、なぜか英語よりもローマ字を好んで使用するという特徴があるんですよ。
「もも(ら)」さんもよくご存知だと思います(笑)
本当に強い人は油断させる為に強がったりしません。ましてや脅したりは絶対しません。
ヤクザも脅すのが好きな奴はやっぱり弱いんですよ。
もっとも、シノギの為にやられちゃったほうが、いいっていう合理的な理由もあるそうですけどね(笑)
カルトから脱洗脳する為には、呪縛的忌避を無視して、破綻した教義の疑問点を客観的に見つめ直し、専門用語ではなく、一般的な用語で考え続けることが効果的です。
同時に組織内の人間との信頼関係と、公表事実との対立についても考察をする必要があります。
最後に『サイコパス』への自衛策(by バビアク&ヘア)を紹介します。
1. 『サイコパス』についての知識を得る
彼らの策略には、専門家でさえだまされることがある。それでも、『サイコパス』の策略から逃れるためには、彼らの"正常を装った仮面"の奥に隠れた素顔を見破る目を養わなければならない。
2. 安易に『サイコパス』のレッテルを貼ってはいけない
実際には、その人物に『サイコパス』とおぼしき特徴や行動が多く見られることを認識すれば、それで十分だ。
『サイコパス』の傾向が見られる人間の精神分析を試みたり、罪悪から救おうとしたり、変えようとしたりするのは、勝ち目のないゲームに参加するようなものだ。
3. 自分自身を知る
自分を知ることは、『サイコパス』が仕掛けるわなへの免疫力を高めるうえで役に立つ。
4. 『サイコパス』にとっての利用価値を知る
そういうときは、こう自問してみよう。「この人は、私の何が欲しいのだろうか。」
5. 自分の"つぼ"と "弱み"を知る
彼らは、つぼを利用してあなたの気を引き、彼らの関心事や計画に巻き込むのだ。
あなたに欠けているものを与えることを、その気もないのに約束するのは、無限連鎖講やスリーカードモンテのようなカードゲームで使われるテクニックだ。
6. 『サイコパス』が他人を操る手法を理解する
もっとも経験豊かな心理学者でさえも、魅力的な『サイコパス』の甘言に惑わされてしまうのだから、あなたが安全である保証はどこにもない。だからといって、『サイコパス』の他者を操る手口を、さらに学ぶことを思いとどまるべきではない。
7. 誘惑を退ける (幸運を!)
悪いことに、『サイコパス』に出会った直後は、好印象をもつことが多い。
少なくとも、相手に関する新たな情報が入るたびに、第一印象をもう一度見直すことにしよう。
理由は定かではないが、『サイコパス』と出会ったすべての人が好印象を抱くわけではないことを注意しておく。
8. 『サイコパス』的絆を避ける
だが、不幸にも、あなたが『サイコパス』と結んでいるのは、まやかしの絆なのだ。それはあなたの心のなかにしか存在しない。ここまでくると、あなたは『サイコパス』に利用される可能性が高くなる。
9. 『サイコパス』のゲームに加わらない
いったん、サイコパシック・ボンドが固く結ばれると、あなたは、『サイコパス』があなたのつぼや弱みに乗じて協力を取りつけたり、二人の関係をあらためて確認したりすることに気がつくだろう。
『サイコパス』との関係は、つねに一方通行だ。あなたは、金、住居、セックス、権力、支配権などを与え続け、『サイコパス』はそれを奪う一方だ。
10. 自己喪失と自己否定を乗り越える
人を欺き、操り、機を見るに敏な『サイコパス』の行動に、多くの被害者は困惑し、自信を失い、自分を責めるようになる。
自信を失い、自分を責めてばかりいる人を助けるのはそうたやすいことではない。
11. 虐待されたら、ただちに助けを求める
『サイコパス』の行動に疑問を投げかけ、不審な矛盾点を問いただすことには、『サイコパス』に報復されるリスクがついて回る。
情緒的、心理的虐待は、被害者にとって筆舌に尽くしがたい苦しみであるのもかかわらず、外からはなかなか把握できない。
12. 自分自身が『サイコパス』の手駒に過ぎなかったと気づいたとき、どうすべきか
重要なことは、客観的に状況を分析し、さらなる接触や報復から自分の身を守ることだ。
13. 羞恥心を乗り越える
羞恥心は虐待に対する自然な反応だ。このために、多くの虐待的状況は、未報告のままである。
それは、あなたの落ち度ではない。『サイコパス』は捕食者で、あなたはその獲物であり、犠牲者に過ぎなかったのだ。
14. 怒りと雪辱
被害者は加害者への強い怒りを感じ、仕返ししたいと思っている。これは、比較的健全な状態といってもいいかもしれない。ただし被害者が感情に赴くままに行動を起こさない限りは。
ロバート・D・ヘア/ポール・バビアク著「社内の『知的確信犯』を探し出せ」より抜粋、
怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけねばならない、深遠をのぞきこむとき、その深遠もこちらを見つめているのだ。
フリードリッヒ・ニーチェ「 ツァラトゥストラはかく語りき」より抜粋、
参考書籍 マーサ・スタウト「良心をもたない人たち」、ロバート・D・ヘア「診断名サイコパス」
おまけ
最近、件の叔父の影響でPerfumeのファンになってしまい、すっかりはまっています(笑)
大人買いしたDVDやネットの動画を、仕事そっちのけで鑑賞しているのですが、職場にPerfumeの隠れファンが結構いるのに驚きました。
私が女史と呼んでいるバツイチの素敵なお姉さんに冷やかされましたが、中田のファンだからとか、音楽性に惹かれているとかの言い訳はせずに、堂々と「ただ綺麗な女の子が好きなだけなんだよ」と言ってやりました。
ちなみに私は、職場では「結婚できない男」と言われております(笑)
あ、そうそう、Perfumeネタなんですけど、掟ポルシェって面白い男ですよね。
つまらないお話で恐縮です(笑)
タイガーマスクの伊達直人の役は、管直人よりも渡辺謙のほうがいいと思います(笑)
それではみなさんごきげんよう(笑)
カルト(Cult)は、「崇拝」、「礼拝」を意味するラテン語 Cultusから派生した言葉で、元来は「儀礼・祭祀」などの宗教的活動を意味しており否定的・批判的なニュアンスは無かった。しかし現在では、反社会的な宗教団体を指す世俗的な異常めいたイメージがほぼ定着している。ただし、反社会的な問題のない団体に独自の主観によりカルトのレッテルを貼る等の混乱が見られたり、派生的な用法が多岐にわたって使用されはじめており、境界線があいまいな言葉である。
カルトの元々の意味は「正当な宗教に対する新しい宗教」という位置づけでしたが、現在では「極端な(時に危険な、また反社会的な)思想を持った宗教又は団体」という意味で使われています。
宗教とは関係なく、あまりに極端な思想を持った団体でも、カルトという単語を用いることがあります(例:カルト宗教、カルト政党、カルトイデオロギー団体、カルト国家、環境カルト団体)
ジャーナリズムの世界では、「反社会的な宗教や団体」という意味で使われるのが一般的で、宗教やイデオロギーの教義や理論を利用して信者を奴隷化したり、集団囲い込み、つきまとい、ストーカー、暴力、テロ、殺人、を伴う信者の勧誘や洗脳を平気で行ったり、組織の拡大や金や権力を目的とする犯罪を、平気で犯す宗教団体や、イデオロギー団体、に対して用いられます。
「破壊的カルト」(=カルト)とは、
信者本人の人格破壊
信者と信者の家族との間の関係破壊
信者と社会との関係破壊
カルト・セクトの見分け方
真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する。
組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない。
自分の頭で考えることをしないように指導する。
世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ。
白黒を常にはっきりさせる傾向が強い。
外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える。
信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある。
組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる。
家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている。
社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする。
外部に対して正体を隠す傾向がある。
生活が細部にわたって規定される。
組織が信者の生活のすべてになっている。
共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている。
組織からの離脱について極度の恐怖心を与える。
「創価学会SGI」を、カルト・セクト認定した、フランス国民議会の、「アラン・ジュスト報告書」による「カルト・(セクト『全体主義セクト』)」の定義(反社会的行為を行なう宗教団体の基準)は以下の通りです。
1. 精神の不安定化(mental destabilization)
2. 法外な金銭的要求 (exorbitant character of the financial requirements)
3. 社会からの隔離 (isolation from society)
4. 身体的健康への危険性 (danger to physical health)
5. 子供の「歩兵」化 (embrigadement [bringing into the "troops"] of the children)
6. 多少の反社会的な言説 (the more or less antisocial speech)
7. 法や秩序に関するいくつかの騒動 (disorders with the law and order)
8. 係争の重要性 (importance of the legal contentions)
9. 従来の経済回路からの逸脱 (the possible diversion of the traditional economic circuits)
10. 公権力への浸透の試み (attempts at infiltration of the public authorities)
『全体主義』はフランス語で「totalitaire」といいます。『全体主義』は他者からの反対は絶対認めないし、民主主義の考え方も絶対に認めない上に、社会全体と人間のプライバシーまでもコントロールします。
『セクト』はフランス語で「sectaire」と言い、熱狂的なグループを意味します。そのグループの意見は狭くて、厳格です。そして、強烈な異説排除を行います。
カルトの特徴について
マイクル・シャーマーによれば、一般的に以下のように性格づけられます。
指導者に対する崇拝
聖人、あるいは神格に向けられるものとさして変わらない賛美。
指導者の無謬性
指導者は絶対に間違いを犯さないという確信。
指導者の知識の広さ
哲学的な事柄から日常の些細なことまで、指導者の信条や口にすることはなんでも無条件に受け入れる。
説得のテクニック
新たな信徒を獲得し、現状の信仰心を補強するために、寛大なものから威圧的なものまで手段はさまざま。
秘密の計画
信仰の真の目的と計画が曖昧としている、あるいは新規入信者や一般大衆にはそれらが明確に提示されていない。
欺瞞
入信者や信徒は、その頂点に立つ指導者や集団の中枢部に関してすべてを知らされるわけではなく、また大きな混乱を招くような不備や厄介事に発展しそうな事件、あるいは状況は隠蔽されている。
金融面および性的な利用
入信者や信徒は、その金銭およびそのほかの資産を差し出すよう説得され、指導者には一人かそれ以上の信徒との性的関係が許されている。
絶対的な真理
さまざまなテーマにおいて、指導者、あるいは集団が見いだした究極の知識に対する盲信。
絶対的な道徳観
指導者、あるいは集団が確立した、組織の内外を問わず等しくあてはまる、思考および行動に関する善悪の基準への盲信。その道徳の基準にきちんと従えば、組織の一員としていられるが、そうでない者は破門されるか罰せられる。
カルトの指導者や信者の多くは、『サイコパス』か『ソシオパス』(反社会性人格障害)であるとされ以下のような特徴があります。
良心の異常な欠如
他者に対する冷淡さや共感のなさ
慢性的に平然と嘘をつく
行動に対する責任が全く取れない
罪悪感が全く無い
過大な自尊心で自己中心的
口達者
精神病質(サイコパシー、Psychopathy)は、反社会的人格の一種を意味する心理学用語であり、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使わている。精神病質者を英語で『サイコパス』(Psychopath)という。類似する用語として、社会病質(ソシオパシー、Sociopathy)、社会病質者(ソシオパス、Sociopath)がある。
精神病質者を英語で(『サイコパス』Psychopath)といい、連続強姦殺人犯、シリアルキラー(連続殺人者)や、重度のストーカー、常習的詐欺師・放火魔、カルトの指導者の多くが『サイコパス』に属すると考えられている。さらに、窃盗/万引き、ドメスティックバイオレンス、幼児虐待、非行少年グループ、資格を剥奪された弁護士・検察官や医師、テロリスト、組織犯罪の構成員、金のためならなんでもやる人間、悪徳実業家なども当てはまることがある。
ロバート・ヘアによると、『サイコパス』は他者に愛着を持ち辛く、良心(不安感)に乏しく、加えて攻撃的(反社会的)な人物であるとされる。 これは先天(器質)的な脳障害で、異常なほど強力な防衛機制(不安に対処する能力)が働くので不可抗力とされるが、後者の反社会性は後天的な要因であるため強化(矯正)可能と見ている。
一方『ソシオパス』は後天的要因(反社会性)のみが濃いとされ、多くの「ストーカー」はこれに属するということになる。 なぜならストーカー行為は相手に愛着を持たなければ長期間(一ヶ月等)の継続的なストーキングは不可能だからである。 ヘア曰く、サイコパスのストーキングは激しい怒りの衝動で突発的に引き起こされ1日か2日で終わるという。
『サイコパス』は社会の捕食者(プレデター)であり、生涯を通じて他人を魅了し、操り、情け容赦なく我が道だけをいき、心を引き裂かれた人や期待を打ち砕かれた人、財産を奪われ尽くした人を後に残して行く。良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。その多くは刑務所内にいるが、社会に出ている者もまた多い。その大部分は殺人を犯すことなく自分たちの業を押しつけてくる。北米には少なくとも200万人、ニューヨークだけでも10万人の『サイコパス』がいると、犯罪心理学者ロバート・D・ヘア(en:Robert D. Hareは統計的に見積っている。
精神病質の原因と考えられているのは前頭葉の障害であるとされ、健常者の脳波とはまるで違う脳波を見せる。精神病質は遺伝病だとされる意見が主とされている。逆に、家庭・周囲環境や障害に因る心身の衰弱によるものなどによる、精神病質に似た性格異常は仮精神病質(偽精神病質)とされ、精神病質とは識別されている。
エミール・クレペリンによると『サイコパス』のひとつに「空想虚言者」という類型がある。
【想像力が異常に旺盛で、空想を現実よりも優先する】
一見才能があり博学で、地理・歴史・技術・医学など、何くれとなく通じていて話題が豊富であるが、よく調べるとその知識は他人の話からの寄せ集めである。
【弁舌が淀みなく、当意即妙の応答がうまい】
好んで難解な外来語や人を脅かす言説をなす。
【人の心を操り、人気を集め、注目を浴びることに長けている】
自己中心の空想に陶酔して、他人の批判を許さない。自ら嘘をついて、いつのまにかその嘘を自分でも信じ込んでしまうのである。
行動遺伝学者デヴィッド・リッケン(David・T・Lykken)は反社会的人格を、「サイコパス的人格」、「ソシオパス的人格」、「性格神経症」の三つに大別し、「サイコパス的人格」は元来の性格、気質などの先天的なもの、「ソシオパス的人格」は、親の育て方などによる後天的なもの、「性格神経症」は、衝動的で子供じみた無茶な行動を好み失敗して周囲に迷惑をかけて、他者に責任を転嫁し反省することはなく、自分が不利になるような行動を繰り返すと云う特徴があるもの、として位置付けています。
反社会性人格障害の一般的な特徴は、道徳を無視する良心の呵責がない心性、社会的逸脱行為や思考柔軟性の欠如、社会的または職業的な領域における機能の障害、生涯にわたる異常な言動の持続性などが挙げられ、これに加えて他の精神疾患や薬物的または生理学的な作用によって引き起こされた症状ではないのであれば、その状態は人格障害であると診断されます。
全てが創価学会やマルキシズム宣揚団体に代表されるカルト団体やカルト信者に該当します。
ご興味がある方は、教義や理論や活動内容で考えてみませんか(笑)
ちなみに創価学会を信じない方が純真な学会員さんです。
カルトちゃんが「ナリスマシ」という言葉に敏感に反応するのは、自分達が金太郎飴みたいなステレオタイプの個性だから、皆一緒で見分けがつかないのを気にしているからです。
カルトちゃんはお馬鹿ですから、自分が気にしてることを他の人達が気にしてると思い込んでいます。
例えば宗教的な呪縛とかのね(笑)
それから、強い人にひたすら弱く(笑)、弱い人にひたすら強い(笑)ので、人様の靴を舐めるか、自分の靴を舐めさせるような卑屈な人間関係しか築けません。
後、実は無視されるのを一番嫌がります。
嘘でも、唯一最高の教えを保って自慢しないと、基本的に誰にも相手にされない怠け者だからです。
しかし、カルトちゃんは、よく臆面もなく、自分のコンプレックスを自慢できますよね(笑)
なんで人より劣っていることを自慢できるのかな?
呪文を唱えて組織に都合がいい活動をさせられるだけで、知恵が身につくと本気で思い込んでるから笑ってしまいます。
知恵が身につく為に必要な、まともな努力をしないと、知恵は身につかないのが当たり前なんですが、なんで分らないんでしょうね(笑)
高倉先生もひたすら考え続けることが肝要と言われていましたね。
しかし無理やり盲信を強要させられる子供達や、本当に気が弱くて断れない人や、社会変革(破壊)の言葉でだまされちゃう人は本当に可哀相ですよね。
創価学会は仏教の教義を悪解釈して、考えることが即迷いだから考えるなとか洗脳してますから困ったものです。
考えるには対象に疑問を持つのが絶対条件なんですがね。
オウム真理教の信者も、教義について疑念を持ったり、考えたりすることを厳しく禁じられていました。
帰納法と演繹法をすり替えて説明してるのも、オウム真理教とかマルキシズムとかの、行き過ぎた教条主義と全く同じです。
せっかく苦労しても、ちゃんと考えて苦悩をしないと意味がないんですけどね。
そういえば私の経験では、「オレは武道やってるんだぞ」って、やたら自慢する奴は案外弱いんですよね(笑)
なぜか、結構でかい奴に限ってそうなんですよ、どうしてなんだろうね(爆笑)
そして、なぜか英語よりもローマ字を好んで使用するという特徴があるんですよ。
「もも(ら)」さんもよくご存知だと思います(笑)
本当に強い人は油断させる為に強がったりしません。ましてや脅したりは絶対しません。
ヤクザも脅すのが好きな奴はやっぱり弱いんですよ。
もっとも、シノギの為にやられちゃったほうが、いいっていう合理的な理由もあるそうですけどね(笑)
カルトから脱洗脳する為には、呪縛的忌避を無視して、破綻した教義の疑問点を客観的に見つめ直し、専門用語ではなく、一般的な用語で考え続けることが効果的です。
同時に組織内の人間との信頼関係と、公表事実との対立についても考察をする必要があります。
最後に『サイコパス』への自衛策(by バビアク&ヘア)を紹介します。
1. 『サイコパス』についての知識を得る
彼らの策略には、専門家でさえだまされることがある。それでも、『サイコパス』の策略から逃れるためには、彼らの"正常を装った仮面"の奥に隠れた素顔を見破る目を養わなければならない。
2. 安易に『サイコパス』のレッテルを貼ってはいけない
実際には、その人物に『サイコパス』とおぼしき特徴や行動が多く見られることを認識すれば、それで十分だ。
『サイコパス』の傾向が見られる人間の精神分析を試みたり、罪悪から救おうとしたり、変えようとしたりするのは、勝ち目のないゲームに参加するようなものだ。
3. 自分自身を知る
自分を知ることは、『サイコパス』が仕掛けるわなへの免疫力を高めるうえで役に立つ。
4. 『サイコパス』にとっての利用価値を知る
そういうときは、こう自問してみよう。「この人は、私の何が欲しいのだろうか。」
5. 自分の"つぼ"と "弱み"を知る
彼らは、つぼを利用してあなたの気を引き、彼らの関心事や計画に巻き込むのだ。
あなたに欠けているものを与えることを、その気もないのに約束するのは、無限連鎖講やスリーカードモンテのようなカードゲームで使われるテクニックだ。
6. 『サイコパス』が他人を操る手法を理解する
もっとも経験豊かな心理学者でさえも、魅力的な『サイコパス』の甘言に惑わされてしまうのだから、あなたが安全である保証はどこにもない。だからといって、『サイコパス』の他者を操る手口を、さらに学ぶことを思いとどまるべきではない。
7. 誘惑を退ける (幸運を!)
悪いことに、『サイコパス』に出会った直後は、好印象をもつことが多い。
少なくとも、相手に関する新たな情報が入るたびに、第一印象をもう一度見直すことにしよう。
理由は定かではないが、『サイコパス』と出会ったすべての人が好印象を抱くわけではないことを注意しておく。
8. 『サイコパス』的絆を避ける
だが、不幸にも、あなたが『サイコパス』と結んでいるのは、まやかしの絆なのだ。それはあなたの心のなかにしか存在しない。ここまでくると、あなたは『サイコパス』に利用される可能性が高くなる。
9. 『サイコパス』のゲームに加わらない
いったん、サイコパシック・ボンドが固く結ばれると、あなたは、『サイコパス』があなたのつぼや弱みに乗じて協力を取りつけたり、二人の関係をあらためて確認したりすることに気がつくだろう。
『サイコパス』との関係は、つねに一方通行だ。あなたは、金、住居、セックス、権力、支配権などを与え続け、『サイコパス』はそれを奪う一方だ。
10. 自己喪失と自己否定を乗り越える
人を欺き、操り、機を見るに敏な『サイコパス』の行動に、多くの被害者は困惑し、自信を失い、自分を責めるようになる。
自信を失い、自分を責めてばかりいる人を助けるのはそうたやすいことではない。
11. 虐待されたら、ただちに助けを求める
『サイコパス』の行動に疑問を投げかけ、不審な矛盾点を問いただすことには、『サイコパス』に報復されるリスクがついて回る。
情緒的、心理的虐待は、被害者にとって筆舌に尽くしがたい苦しみであるのもかかわらず、外からはなかなか把握できない。
12. 自分自身が『サイコパス』の手駒に過ぎなかったと気づいたとき、どうすべきか
重要なことは、客観的に状況を分析し、さらなる接触や報復から自分の身を守ることだ。
13. 羞恥心を乗り越える
羞恥心は虐待に対する自然な反応だ。このために、多くの虐待的状況は、未報告のままである。
それは、あなたの落ち度ではない。『サイコパス』は捕食者で、あなたはその獲物であり、犠牲者に過ぎなかったのだ。
14. 怒りと雪辱
被害者は加害者への強い怒りを感じ、仕返ししたいと思っている。これは、比較的健全な状態といってもいいかもしれない。ただし被害者が感情に赴くままに行動を起こさない限りは。
ロバート・D・ヘア/ポール・バビアク著「社内の『知的確信犯』を探し出せ」より抜粋、
怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけねばならない、深遠をのぞきこむとき、その深遠もこちらを見つめているのだ。
フリードリッヒ・ニーチェ「 ツァラトゥストラはかく語りき」より抜粋、
参考書籍 マーサ・スタウト「良心をもたない人たち」、ロバート・D・ヘア「診断名サイコパス」
おまけ
最近、件の叔父の影響でPerfumeのファンになってしまい、すっかりはまっています(笑)
大人買いしたDVDやネットの動画を、仕事そっちのけで鑑賞しているのですが、職場にPerfumeの隠れファンが結構いるのに驚きました。
私が女史と呼んでいるバツイチの素敵なお姉さんに冷やかされましたが、中田のファンだからとか、音楽性に惹かれているとかの言い訳はせずに、堂々と「ただ綺麗な女の子が好きなだけなんだよ」と言ってやりました。
ちなみに私は、職場では「結婚できない男」と言われております(笑)
あ、そうそう、Perfumeネタなんですけど、掟ポルシェって面白い男ですよね。
つまらないお話で恐縮です(笑)
タイガーマスクの伊達直人の役は、管直人よりも渡辺謙のほうがいいと思います(笑)
それではみなさんごきげんよう(笑)
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プロフィール
HN:
本名:髙倉良一(たかくらりょういち)
性別:
男性
職業:
大学教員
趣味:
思索と散歩と映画鑑賞
自己紹介:
HN:希望
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
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