「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」
以前、「コメントに応えてシリーズその6」で、桃太郎様のコメントをご紹介させて頂きました。今回は、それ以後に投稿された桃太郎様のコメント全部を3回に分けて掲載させて頂きます。
桃太郎様は、創価学会員ではありません。創価学会用語では「外部」と呼ばれる方です。この2年間近く、桃太郎様は創価学会のことを研究されて来られたとのことです。
私は、桃太郎様のコメントを拝読し、多くのことを学ばせて頂きました。また、とても励まされております。本当にありがたく感じています。
創価学会の問題を、「外部」の視点から分析されておられる桃太郎様のコメントをまとめてご覧になられることは、「内部」(創価学会員)の皆様にとっても有益なことではないかと存じます。そこで、投稿順に、桃太郎様のコメントをご紹介させて頂きます。
» 「乱脈経理」を読んでいます
10月20日、書店で「外から見た創価学会」(第三文明社 2008年刊)という本を購入し読んでみました。
インタビュー方式の編集で、次のような方が登場されていました。山折哲雄氏、玉野和志氏、松本健一氏、堀 幹夫氏、中島 誠氏、他12名の著名な方々で、それぞれに「創価学会」の功績を讃え、今後の期待を寄せての言説でした。
これだけを読むと、どんなに素晴らしい組織かと一般世間の人々は受け止めてしまうものでしょう。それだけに、知識人の言説は影響が大きく、公的に何かを評価するにあたっては抽象的な理念・精神だけでなく、実際には何が真実かということを把握してからの評価・言説でなければ、知識人としての見識が疑われてしまうのではないかと、深く考えさせられました。
そこで、参考とするために、「創価大学」の「建学の精神」もブログ検索してみました。そこには次のような素晴らしい基本理念が掲げられており、これまた、一般世間の誰もが「創価大学」は素晴らしいと受け止められるもので、創立者の存在を大きく示すに十分なものと感じられました。
> ①人間教育の最高学府たれ ②新しき大文化建設の揺籃たれ ③人類の平和を守る要塞地たれ <
今日10月23日、「乱脈経理」(矢野恂也著 10月20日出版)を購入して読んでいます。「黒い手帳」もショッキングなものでしたが、今度も大変なことが告発されています。この本では、高級官僚の実名が挙げられ、「創価学会」の経理・納税に関わっての「公明党・創価学会」の暗闇が描かれています。矢野書記長時代、ご当人が直接関与している事件ですから、嘘もデマもないでしょう。
また、私は、既に8月、「フロランス・ラクロワ」氏の論文で「創価学会、タブーの解剖」を読んでいました。様々な実地調査と聞き取りを踏まえての論文ということで、「創価学会」の抽象的な姿ではなく、裸のままの姿に近いものを見て取れると思われます。
これらのことから、「外から見た創価学会」の各氏の賞讃や創価大学の「建学の精神」との大きなずれを感じて、私は理解に苦しんでいます。
是非とも、国民の一人でも多くの方々にこれらを読んで比較し、「創価学会」の真実について考えて貰いたいものと願っています。
桃太郎2011/10/23(Sun)23:21:48 編集
» 勉強になりました
高倉様 20万ページビュー達成、おめでとうこざいます。
これからも、健康に益々ご留意ください。
ずいぶん遠いところから、外部の者ですが、微力ながら私にできる応援をやらせて貰っています。差し当たっては、外部の人々にもこのブログを紹介することぐらいですが・・・。大事なことかと思っています。
外部の方も結構このブログを見ているようです。コメントはできなくても関心は高いです。この裁判のことをとてもビックリして、「破門されたらなんでもやるのですね、まるでカルトではないですか」とのお話でした。
元々、破門される前から言論弾圧や選挙違反など、いろいろやっていますよ、トップや組織を批判すると、副会長幹部でも弾圧・除名されるという「全体主義」バンザイの「池田独裁カルト」ですよ、と私から「黒い手帳」の本の内容について補足説明をしてさしあげました。「矢野氏の事件では『いのち』まで脅され、今回の高倉氏も『いのち』を脅されての事件ですよ・・・・・」と。
彼女が云うのに、「これって脅迫罪で刑事事件ですよね、宗教に関係する人がすることなんですか、考えられない」との驚きでした。
愉快な創価学会さん、 「カルトの価値観」の説明、とても分かりやすくていいですね。外部の者には、創価学会が言っていることと、やっていることとがあまりにも違いすぎるので、なんで一般世間から嫌われるようなことを平気でできるのか、不思議でした。これらを読むと大いに理解できました。
選挙の時もひどいですから、独特の「価値観・考え方」を持っているのでしょうね。「宗教法人法」に違反しているのでは?「選挙違反」もバレなかったらなんでもOKなんでしょうか?こんなことをして「法戦」と云うそうですが、政教分離していないです。
>創価学会の教義では信者が勢力を広めることで、・・・・どのような手段を用いてもかまわない<
このことなんですね。
認知症になりかけのご老人や一人住まいのご老人を訪ねて、優しい声かけで接近し、新聞購読を頼みこみ、時を見て投票の依頼もさりげなくのぞけ、スキあらば折伏までも狙っての家庭訪問など、自分のやっていることが絶対に正しいと思ってのことでしょうかね?
病気がちの人、貧困家庭の社会的弱者を狙っての誘いこみ・唆し、なんと非人間的なやり口なんでしょう。「困っている庶民を救済してあげる」などという「思いあがり」・「独善的なやり方」がどれほど世間の人に迷惑で人間の尊厳を侵しているかが、彼ら・彼女らには理解できないのでしょうか?ね。
>創価学会の教義を信じる人間は最善の状態になり、信じない人間は最悪の状態になる<
これなんですね。
矢野氏や高倉氏への弾圧・攻撃は、どの教義にもとづいてのことかと思えば、次の教義によってのことなんですね。
>創価学会の教義では、教団の敵対者を糾弾する行為により信者は最高の状態になることができ、且つ、それが敵対者の為にもなる非常に良い行為である<
これこれ、これなんですよね。恐ろしい宗教です。
創価学会の教義、実践は絶対に正しく、絶対的真理であり、その他の宗教はすべて間違っており、創価学会の信者は特別に選ばれた人間で、庶民の救済、世界平和の実現のために、日々「師弟不二」を元に自らの生活すべてを捧げているのだ、・・・・・・と。
大変に勉強になりました。有難うございました。
桃太郎 2011/11/02(Wed)16:13:04 編集
» 無題
知識人とは何か?私にはその定義がどのようなものなのかよくわかりません。
定義というものはとても難しいもののように思われます。
世間一般・庶民感覚では、それぞれの専門分野において「信頼のできる言説」を持っておられる先生方という程度のことでしょうか?
・・・・ということにすれば、「大学の先生」だけではなく、「医師界」、「裁判官・検事・弁護士等の司法界」、「思想・宗教・哲学問題等の言論界」「政治・社会・経済問題等の言論界」等々、一定の専門的な言説を述べている方を挙げればきりが無いようです。
「政治家」「高級官僚」等々はどうでしょうか?庶民感覚ではどうやら「その範疇には入ってこない」のではなく『範疇にいれたくない』方々のようです。
世の中に「先生」と呼ばれている方々は各方面に種々多数居られますが、専門的な知識・技能の「才能」をお持ちであるがゆえの「庶民には見えないところでのご活躍」なども多いようで、その大部分は国民の利益を犯罪的に侵してしまって後に発覚するという、国民一人一人にとってはなんとも苛立たしいやら情けないやらの過去の出来事して葬られてしまいがちです。
「宗教人」、「宗教に関わって言説を述べられる方」も、俗に云う「先生方」とは違った意味で、又世の中に大きな影響を与える方々でしょう。
それは、事がことだけに内容が具体性を欠く「抽象的・観念的な問題」であり、極めて「主観的な感性」の問題であるだけに、何とでも言える言説であったり、又その言説の功罪を突かれた時に、何とでも言い逃れのできるものも多いようです。
客観的な事実が社会に知られた範囲での言説であれば、時としてそれに対する評価に一定の誤りがあったとしても、尚それはそれで外から見る人・読む人はその受け止め方を斟酌し勘案して臨めるのですが、事実を直接見ていない者に対して、他から一部を聞いただけの範囲で、さもそれが評価あるもののようにメディアを通じて述べられると、専門性のない庶民は騙されてしまいます。
オ―ム真理教の評価の時にもそうであったように、知識人たるものは、『創価学会の問題』においても、他の人から聞いただけで、思い込みや主観で物事を述べられてはならないでしょう。その時点で既に知識人ではなくなってしまいます。
客観的に事実を踏まえた発言でない時、その問題を実際よりも悪しく評価した時に比べて、事実よりも高く評価した時の世間一般への影響はどちらがより犯罪的なものになってしまうかということは自明なことです。間違った事実を覆い隠し高く評価するのですから、その評価の引き起こす犯罪性は計り知れないものとなるでしょう。それに関わった知識人はそれに関わったことについて自己洞察をなさっているのでしょうか? 疑問です。
「創価学会の問題」についての評価であっても、昭和25~45年頃、昭和45~63年頃、平成元年~23年頃、と三段階に区分しても大きく変わってきているはずです。それぞれの時期において「創価学会」の評論に関わって来られて、今現在ご健在の知識人の方々は、「原島嵩氏」の内部告発書『創価学会の真実』(2002年)、「矢野恂也氏」の『黒い手帳』などの真実を目にされて、内部の幹部としておられた重要な人物の発言に対して、それぞれの時期の評論をどう手直し修正されるのか、そのことについての見解を覗いたいものです。
名誉先生や現会長へのインタビューが「知識人」と称されている方によって行われているものを時に見かけますが、聞く側にその基となる事実の押さえがなく、又客観的に検証をしようとする視点が弱いことから、言われ放題であるように見えます。その云われ放題のことが、更にさも真実で正しいかのような錯覚を聞く人見る人に与えてしまのです。そのことは二重に罪が大きいと思われるのです。
この問題に全く素人の者が云うのも憚れるのですが、「曲がり角に立つ日本宗教」(2005年2月号)の『戦後の精神的空白と創価学会』で山折哲雄氏は「その空白を積極的に埋めようとしたのが創価学会であった」と述べられ、又、第三文明(2008年)では「創価学会は貧・病の問題を正面から受け止め、悩める多くの人をひき付け会員にし・・・人々に光を当てて救い上げたことは正しかったと思う。・・・・創価学会はやがて社会的な文化戦略へと方針を変えていったダイナミズムを持っていた」と高く評価されている。
これらは、上に挙げた「原島氏」の告発書を読まれてのことなのか、又学会内部の方がブログ等で悲鳴とも思える真実を発信されているものに目を通されての評論なのか、是非とも知りたいものです。一部を知っただけで全体を知っているかのように講釈をされることの問題の大きさをどう考えられるのか、聞いてみたいものです。
これとよく似た例として、「茂木健一郎と名誉会長の対談」(雑誌2010年4月中央公論)など、本当のところ直接に本人と対談しての言説なのか、書面交換での対談なのか、良く分かりません。直接対談しない形式であれば、茂木氏の質問に対してどのような対応・操作も可能となる答弁とされ、本人の「真実と本音」を聞き出していることにはならないのではないかと思われます。
「名誉先生」の対談の多くは、書面対談が多いということを聞かされたり、書籍の大半は「ゴーストライター」によって記述されたものだと聞かされたりすると、外部の者は、逆に何もかもが嘘ごと・創り事として捉えざるを得なくなってしまいます。
この点においても「知識人」は逆の加担をしていることにもなるのでは、と思ってしまいます。
「創価学会」の良いところだけを述べてそれがすべてかのように云うのではなく、併せて必ず問題とされていることを率直に述べなければ、それらの言説はすべて操作されたもの(お金に負けた言説)として断罪を受けるでしょう。
流れ星さん、お久しぶりです。お帰りなさい。
元気になられた様子で、とても嬉しく思います。貴女から私に初めてコメントを返して下さったことを思い返しています。今日は良い一日になりそうです。
聞くこと・見ること、そして考えること 2011/11/05(Sat)15:33:23 編集
» タイトルを間違えました
桃太郎です。
タイトルを「聞くこと、見ること、考えること」とするところを「名前」のところへ書いてしまいました。
失礼しました。
桃太郎 2011/11/05(Sat)15:58:11 編集
» まだまだ、これからです
地方(家庭)裁判所とは、こんなものでしょうから、残念とは思いたくありません。まだまだ、これからが大事です。
判決趣意書を見ていないので、私の憶測になりますが、「幼い子供を養育するのは母親が適切である」という一般論のレベルの判断、しかも、今回の離婚訴訟には背景として「創価問題」があり切り離せないということから逃げての判断かと、疑ってしまいます。
面倒になる判断は避けたいのでしょう。大きな視野で宗教絡みの事例に勇断を下すことは、地裁にとっても担当官とっても重たいもの、将来にとっても得策でないと・・・・。
子供さんがこれから立派に教育を受け、成人し自立されるまでにおいて、その家計を支える者は家庭の大きな「かなめ」であり、当人が子育てに怠慢があるとか、伴侶への不誠実があったのであれば、提訴の根拠も大きいと考えられるが、ここ数年前から夫妻の間で「宗教における考え方」がずれてきたということだけで以って、提訴されたり、さらにそれを「和解」の方向でなく「一方的な採決」に持っていくなど、私にはとても理解ができません。
全国いたる処に、夫婦間で「宗教心のずれ」を抱えている家庭は相当数あると思われます。それでもなお、子供が成人するまではなんらかの妥協点を見出し凌いでいくのが穏当なところであると、世間一般多くの者は判断すると思われます。
子供からすれば、「両親が揃った家庭」を願うのが普通であり、親権がどちらにあるかという基準を今現在の子供(18歳未満)の判断に求めるのは無理であり、あってはならないことでしょう。
幼い子供は母親と心理的に一体のものとして育っていくのが普通であり、まして、今回の場合には母親から創価問題でマインド・コントロールを受けている可能性が高いと考えられることから、子供の気持ちを土台として判断するのは妥当ではないと考えられます。子供に判断を求める方が無理なことであると考えるものです。
もしも、メモ帳の地方幹部への差し出し、中央幹部の取り上げとそれについての一方的な「査問」が無ければ、仮に家裁へ提訴があったにしても、「和解の調停」が普通であり、子供が成人するまでは、両者が協調して穏当に生きて行くことを家裁から求められるでしょう。
手帳の取り上げ、査問など他の宗教では起こる問題でしょうか。人権侵害も甚だしい。正にカルト宗教ならではの出来事です。
他の伝統仏教、神道宗派の家族においては、このような事案で離婚訴訟となることはまず考えられないと思われますが・・・?。
(カルト性の強い新興宗教、統一原理、顕正会などでは有り得ることでしょうが・・・)
まだまだ終わった訳ではありません。微力ながらできる限りの協力と応援をいたします。
一層の健闘を期待しております。益々健康にはご留意ください。
桃太郎 2011/11/06(Sun)15:48:35
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桃太郎様は、創価学会員ではありません。創価学会用語では「外部」と呼ばれる方です。この2年間近く、桃太郎様は創価学会のことを研究されて来られたとのことです。
私は、桃太郎様のコメントを拝読し、多くのことを学ばせて頂きました。また、とても励まされております。本当にありがたく感じています。
創価学会の問題を、「外部」の視点から分析されておられる桃太郎様のコメントをまとめてご覧になられることは、「内部」(創価学会員)の皆様にとっても有益なことではないかと存じます。そこで、投稿順に、桃太郎様のコメントをご紹介させて頂きます。
» 「乱脈経理」を読んでいます
10月20日、書店で「外から見た創価学会」(第三文明社 2008年刊)という本を購入し読んでみました。
インタビュー方式の編集で、次のような方が登場されていました。山折哲雄氏、玉野和志氏、松本健一氏、堀 幹夫氏、中島 誠氏、他12名の著名な方々で、それぞれに「創価学会」の功績を讃え、今後の期待を寄せての言説でした。
これだけを読むと、どんなに素晴らしい組織かと一般世間の人々は受け止めてしまうものでしょう。それだけに、知識人の言説は影響が大きく、公的に何かを評価するにあたっては抽象的な理念・精神だけでなく、実際には何が真実かということを把握してからの評価・言説でなければ、知識人としての見識が疑われてしまうのではないかと、深く考えさせられました。
そこで、参考とするために、「創価大学」の「建学の精神」もブログ検索してみました。そこには次のような素晴らしい基本理念が掲げられており、これまた、一般世間の誰もが「創価大学」は素晴らしいと受け止められるもので、創立者の存在を大きく示すに十分なものと感じられました。
> ①人間教育の最高学府たれ ②新しき大文化建設の揺籃たれ ③人類の平和を守る要塞地たれ <
今日10月23日、「乱脈経理」(矢野恂也著 10月20日出版)を購入して読んでいます。「黒い手帳」もショッキングなものでしたが、今度も大変なことが告発されています。この本では、高級官僚の実名が挙げられ、「創価学会」の経理・納税に関わっての「公明党・創価学会」の暗闇が描かれています。矢野書記長時代、ご当人が直接関与している事件ですから、嘘もデマもないでしょう。
また、私は、既に8月、「フロランス・ラクロワ」氏の論文で「創価学会、タブーの解剖」を読んでいました。様々な実地調査と聞き取りを踏まえての論文ということで、「創価学会」の抽象的な姿ではなく、裸のままの姿に近いものを見て取れると思われます。
これらのことから、「外から見た創価学会」の各氏の賞讃や創価大学の「建学の精神」との大きなずれを感じて、私は理解に苦しんでいます。
是非とも、国民の一人でも多くの方々にこれらを読んで比較し、「創価学会」の真実について考えて貰いたいものと願っています。
桃太郎2011/10/23(Sun)23:21:48 編集
» 勉強になりました
高倉様 20万ページビュー達成、おめでとうこざいます。
これからも、健康に益々ご留意ください。
ずいぶん遠いところから、外部の者ですが、微力ながら私にできる応援をやらせて貰っています。差し当たっては、外部の人々にもこのブログを紹介することぐらいですが・・・。大事なことかと思っています。
外部の方も結構このブログを見ているようです。コメントはできなくても関心は高いです。この裁判のことをとてもビックリして、「破門されたらなんでもやるのですね、まるでカルトではないですか」とのお話でした。
元々、破門される前から言論弾圧や選挙違反など、いろいろやっていますよ、トップや組織を批判すると、副会長幹部でも弾圧・除名されるという「全体主義」バンザイの「池田独裁カルト」ですよ、と私から「黒い手帳」の本の内容について補足説明をしてさしあげました。「矢野氏の事件では『いのち』まで脅され、今回の高倉氏も『いのち』を脅されての事件ですよ・・・・・」と。
彼女が云うのに、「これって脅迫罪で刑事事件ですよね、宗教に関係する人がすることなんですか、考えられない」との驚きでした。
愉快な創価学会さん、 「カルトの価値観」の説明、とても分かりやすくていいですね。外部の者には、創価学会が言っていることと、やっていることとがあまりにも違いすぎるので、なんで一般世間から嫌われるようなことを平気でできるのか、不思議でした。これらを読むと大いに理解できました。
選挙の時もひどいですから、独特の「価値観・考え方」を持っているのでしょうね。「宗教法人法」に違反しているのでは?「選挙違反」もバレなかったらなんでもOKなんでしょうか?こんなことをして「法戦」と云うそうですが、政教分離していないです。
>創価学会の教義では信者が勢力を広めることで、・・・・どのような手段を用いてもかまわない<
このことなんですね。
認知症になりかけのご老人や一人住まいのご老人を訪ねて、優しい声かけで接近し、新聞購読を頼みこみ、時を見て投票の依頼もさりげなくのぞけ、スキあらば折伏までも狙っての家庭訪問など、自分のやっていることが絶対に正しいと思ってのことでしょうかね?
病気がちの人、貧困家庭の社会的弱者を狙っての誘いこみ・唆し、なんと非人間的なやり口なんでしょう。「困っている庶民を救済してあげる」などという「思いあがり」・「独善的なやり方」がどれほど世間の人に迷惑で人間の尊厳を侵しているかが、彼ら・彼女らには理解できないのでしょうか?ね。
>創価学会の教義を信じる人間は最善の状態になり、信じない人間は最悪の状態になる<
これなんですね。
矢野氏や高倉氏への弾圧・攻撃は、どの教義にもとづいてのことかと思えば、次の教義によってのことなんですね。
>創価学会の教義では、教団の敵対者を糾弾する行為により信者は最高の状態になることができ、且つ、それが敵対者の為にもなる非常に良い行為である<
これこれ、これなんですよね。恐ろしい宗教です。
創価学会の教義、実践は絶対に正しく、絶対的真理であり、その他の宗教はすべて間違っており、創価学会の信者は特別に選ばれた人間で、庶民の救済、世界平和の実現のために、日々「師弟不二」を元に自らの生活すべてを捧げているのだ、・・・・・・と。
大変に勉強になりました。有難うございました。
桃太郎 2011/11/02(Wed)16:13:04 編集
» 無題
知識人とは何か?私にはその定義がどのようなものなのかよくわかりません。
定義というものはとても難しいもののように思われます。
世間一般・庶民感覚では、それぞれの専門分野において「信頼のできる言説」を持っておられる先生方という程度のことでしょうか?
・・・・ということにすれば、「大学の先生」だけではなく、「医師界」、「裁判官・検事・弁護士等の司法界」、「思想・宗教・哲学問題等の言論界」「政治・社会・経済問題等の言論界」等々、一定の専門的な言説を述べている方を挙げればきりが無いようです。
「政治家」「高級官僚」等々はどうでしょうか?庶民感覚ではどうやら「その範疇には入ってこない」のではなく『範疇にいれたくない』方々のようです。
世の中に「先生」と呼ばれている方々は各方面に種々多数居られますが、専門的な知識・技能の「才能」をお持ちであるがゆえの「庶民には見えないところでのご活躍」なども多いようで、その大部分は国民の利益を犯罪的に侵してしまって後に発覚するという、国民一人一人にとってはなんとも苛立たしいやら情けないやらの過去の出来事して葬られてしまいがちです。
「宗教人」、「宗教に関わって言説を述べられる方」も、俗に云う「先生方」とは違った意味で、又世の中に大きな影響を与える方々でしょう。
それは、事がことだけに内容が具体性を欠く「抽象的・観念的な問題」であり、極めて「主観的な感性」の問題であるだけに、何とでも言える言説であったり、又その言説の功罪を突かれた時に、何とでも言い逃れのできるものも多いようです。
客観的な事実が社会に知られた範囲での言説であれば、時としてそれに対する評価に一定の誤りがあったとしても、尚それはそれで外から見る人・読む人はその受け止め方を斟酌し勘案して臨めるのですが、事実を直接見ていない者に対して、他から一部を聞いただけの範囲で、さもそれが評価あるもののようにメディアを通じて述べられると、専門性のない庶民は騙されてしまいます。
オ―ム真理教の評価の時にもそうであったように、知識人たるものは、『創価学会の問題』においても、他の人から聞いただけで、思い込みや主観で物事を述べられてはならないでしょう。その時点で既に知識人ではなくなってしまいます。
客観的に事実を踏まえた発言でない時、その問題を実際よりも悪しく評価した時に比べて、事実よりも高く評価した時の世間一般への影響はどちらがより犯罪的なものになってしまうかということは自明なことです。間違った事実を覆い隠し高く評価するのですから、その評価の引き起こす犯罪性は計り知れないものとなるでしょう。それに関わった知識人はそれに関わったことについて自己洞察をなさっているのでしょうか? 疑問です。
「創価学会の問題」についての評価であっても、昭和25~45年頃、昭和45~63年頃、平成元年~23年頃、と三段階に区分しても大きく変わってきているはずです。それぞれの時期において「創価学会」の評論に関わって来られて、今現在ご健在の知識人の方々は、「原島嵩氏」の内部告発書『創価学会の真実』(2002年)、「矢野恂也氏」の『黒い手帳』などの真実を目にされて、内部の幹部としておられた重要な人物の発言に対して、それぞれの時期の評論をどう手直し修正されるのか、そのことについての見解を覗いたいものです。
名誉先生や現会長へのインタビューが「知識人」と称されている方によって行われているものを時に見かけますが、聞く側にその基となる事実の押さえがなく、又客観的に検証をしようとする視点が弱いことから、言われ放題であるように見えます。その云われ放題のことが、更にさも真実で正しいかのような錯覚を聞く人見る人に与えてしまのです。そのことは二重に罪が大きいと思われるのです。
この問題に全く素人の者が云うのも憚れるのですが、「曲がり角に立つ日本宗教」(2005年2月号)の『戦後の精神的空白と創価学会』で山折哲雄氏は「その空白を積極的に埋めようとしたのが創価学会であった」と述べられ、又、第三文明(2008年)では「創価学会は貧・病の問題を正面から受け止め、悩める多くの人をひき付け会員にし・・・人々に光を当てて救い上げたことは正しかったと思う。・・・・創価学会はやがて社会的な文化戦略へと方針を変えていったダイナミズムを持っていた」と高く評価されている。
これらは、上に挙げた「原島氏」の告発書を読まれてのことなのか、又学会内部の方がブログ等で悲鳴とも思える真実を発信されているものに目を通されての評論なのか、是非とも知りたいものです。一部を知っただけで全体を知っているかのように講釈をされることの問題の大きさをどう考えられるのか、聞いてみたいものです。
これとよく似た例として、「茂木健一郎と名誉会長の対談」(雑誌2010年4月中央公論)など、本当のところ直接に本人と対談しての言説なのか、書面交換での対談なのか、良く分かりません。直接対談しない形式であれば、茂木氏の質問に対してどのような対応・操作も可能となる答弁とされ、本人の「真実と本音」を聞き出していることにはならないのではないかと思われます。
「名誉先生」の対談の多くは、書面対談が多いということを聞かされたり、書籍の大半は「ゴーストライター」によって記述されたものだと聞かされたりすると、外部の者は、逆に何もかもが嘘ごと・創り事として捉えざるを得なくなってしまいます。
この点においても「知識人」は逆の加担をしていることにもなるのでは、と思ってしまいます。
「創価学会」の良いところだけを述べてそれがすべてかのように云うのではなく、併せて必ず問題とされていることを率直に述べなければ、それらの言説はすべて操作されたもの(お金に負けた言説)として断罪を受けるでしょう。
流れ星さん、お久しぶりです。お帰りなさい。
元気になられた様子で、とても嬉しく思います。貴女から私に初めてコメントを返して下さったことを思い返しています。今日は良い一日になりそうです。
聞くこと・見ること、そして考えること 2011/11/05(Sat)15:33:23 編集
» タイトルを間違えました
桃太郎です。
タイトルを「聞くこと、見ること、考えること」とするところを「名前」のところへ書いてしまいました。
失礼しました。
桃太郎 2011/11/05(Sat)15:58:11 編集
» まだまだ、これからです
地方(家庭)裁判所とは、こんなものでしょうから、残念とは思いたくありません。まだまだ、これからが大事です。
判決趣意書を見ていないので、私の憶測になりますが、「幼い子供を養育するのは母親が適切である」という一般論のレベルの判断、しかも、今回の離婚訴訟には背景として「創価問題」があり切り離せないということから逃げての判断かと、疑ってしまいます。
面倒になる判断は避けたいのでしょう。大きな視野で宗教絡みの事例に勇断を下すことは、地裁にとっても担当官とっても重たいもの、将来にとっても得策でないと・・・・。
子供さんがこれから立派に教育を受け、成人し自立されるまでにおいて、その家計を支える者は家庭の大きな「かなめ」であり、当人が子育てに怠慢があるとか、伴侶への不誠実があったのであれば、提訴の根拠も大きいと考えられるが、ここ数年前から夫妻の間で「宗教における考え方」がずれてきたということだけで以って、提訴されたり、さらにそれを「和解」の方向でなく「一方的な採決」に持っていくなど、私にはとても理解ができません。
全国いたる処に、夫婦間で「宗教心のずれ」を抱えている家庭は相当数あると思われます。それでもなお、子供が成人するまではなんらかの妥協点を見出し凌いでいくのが穏当なところであると、世間一般多くの者は判断すると思われます。
子供からすれば、「両親が揃った家庭」を願うのが普通であり、親権がどちらにあるかという基準を今現在の子供(18歳未満)の判断に求めるのは無理であり、あってはならないことでしょう。
幼い子供は母親と心理的に一体のものとして育っていくのが普通であり、まして、今回の場合には母親から創価問題でマインド・コントロールを受けている可能性が高いと考えられることから、子供の気持ちを土台として判断するのは妥当ではないと考えられます。子供に判断を求める方が無理なことであると考えるものです。
もしも、メモ帳の地方幹部への差し出し、中央幹部の取り上げとそれについての一方的な「査問」が無ければ、仮に家裁へ提訴があったにしても、「和解の調停」が普通であり、子供が成人するまでは、両者が協調して穏当に生きて行くことを家裁から求められるでしょう。
手帳の取り上げ、査問など他の宗教では起こる問題でしょうか。人権侵害も甚だしい。正にカルト宗教ならではの出来事です。
他の伝統仏教、神道宗派の家族においては、このような事案で離婚訴訟となることはまず考えられないと思われますが・・・?。
(カルト性の強い新興宗教、統一原理、顕正会などでは有り得ることでしょうが・・・)
まだまだ終わった訳ではありません。微力ながらできる限りの協力と応援をいたします。
一層の健闘を期待しております。益々健康にはご留意ください。
桃太郎 2011/11/06(Sun)15:48:35
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『livedoorニュース』 より 「創価」を含む記事抽出
http://news.livedoor.com/search/article/?word=%C1%CF%B2%C1&x=37&y=10
生の声
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/4069247.html
2ch 創価学会ってなにが悪いの? 2012年01月08日
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本名:髙倉良一(たかくらりょういち)
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大学教員
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思索と散歩と映画鑑賞
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HN:希望
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
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