山本哲也創価学会副会長が、私を名誉棄損で訴えた東京地方裁判所の判決に対する陳述書の続きをご紹介致します。
2007年12月29日(土) 午後5時46分 曇
野崎さんから、激励の電話がある。先輩とは、何とありがたい存在だろうか。内容は、これまでと変わらないが、ともかくも、あわてずに、どんと構えて置くとのアドバイスだった。深刻になった方が負けだとのことだ。
私が、学会本部からマークされた件は、佐々木さんまで問い合わせがあったことで、おそらく終わりだろうとの判断を示された。また、和美さんの突然の帰省は、多分、婦人部の幹部と打ち合わせ上でのことだろうと言われた。
2008年1月6日(日) 午後10時14分 晴
和田さんからも電話があったので、年末年始のことを伝えると、とても憤っておられた。動かずに題目を上げる以外にないと言われた。
野崎さんからも連絡があったとのことだ。野崎さんには、明日、きちんと電話しようと思う。
2008年1月9日(水) 午後5時53分 晴
昨日は、佐々木さんと数時間に渡って話した。その間、池田カルトのことを考えること自体、本当に馬鹿らしくなった。池田さんや学会学会のことを批判したり、和美さんを説得しようという感情を消失してしまった。この問題を卒業したと実感した。
昨夜は、こんな心境に到達したことが嬉しくなり、シャンパンで乾杯した。和美さんが、突然帰省してから2週間目に、池田カルトに対する様々な感情がふっ切れたのだ。
今日、この気持ちを野崎さんに話すと、これまでの告発者達は、本当の戦いをしていなかったからだと言われるた。竹入、矢野、山崎正友、原島という人々は、命懸けでやって来なかったから、こんな結果しか生じなかったと指摘された。
私も一成君も、殺されても良いという覚悟で行動して来た。本当にそのつもりで生きて来た。
その結果、野崎さんの言葉によれば、私は、本当に解放されたのだ。
中略
また、情報流出の件については、野崎さんから、私は灰色に留まって良かったと言われた。もし、黒だと断定されていたら大変だったと言われた。
私も、一成君も、人間として恥ずべき事柄は、何一つ行っていない。この一点で、私も一成君も、池田カルトの妄想集団を笑い飛ばすことが出来るのだ。
一成君は、携帯電話でブログを作ってなどいないのだから、池田カルトの手に、仮に、私の日記が渡り、徹底的に分析されても、調べれば調べる程、デマだということが明らかになるのだ。そして、逆に、こんな妄想を作り上げようとしている彼らの愚かさが証明されるのだ。
午後6時34分
野崎氏との電話でのやり取り
友岡氏からの警告を受ける以前から、私は、野崎氏とは緊密な電話連絡をしていました。
野崎氏と電話連絡した際に、原田稔創価学会会長の発言を聞きました。野崎氏は、自ら原田稔創価学会会長の携帯電話に連絡し、学会本部に赴いたとのことです。そして、私との関係を釈明した際に、原田稔創価学会会長が「髙倉の妻の実家は資産家だから、離婚したら困るだろう。」と発言したので、「私は、髙倉さんの奥さんの実家のことは知りません。」と答えたと、私に告げたのです。
原田稔創価学会会長の発言は、四国の創価学会幹部や、私と妻との実質的な仲人であった田村隆雄創価学会副会長からの詳細な報告を受けた上での発言だ考えることが合理的です。
もし、「その前後の文脈が必ずしも明らかではない」と判断するのであれば、原田稔創価学会会長と野崎氏の双方を証人として尋問すべきです。
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これまで義捐金を振り込まれた皆様方には、心より厚く御礼申し上げます。皆様方からの義捐金の振り込み通知が届く度に、私は涙が込み上げて参ります。ありがたい限りです。
なお、義捐金の収支に関しては、裁判がすべて終了した時点で明らかにさせて頂きます。
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大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。