「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」
後日、詳細はご紹介させて頂きますが、裁判の結果をお知らせします。
平成27年6月11日に、山本哲也創価学会副会長が、私を名誉棄損で訴えていた訴訟の判決が下されました。判決では、原告の山本哲也創価学会副会長の主張が一部認められました。被告である私は、山本副会長に55万円の賠償を命じられました。
平成27年6月23日には、私が、杜下裁判官と法務大臣を訴えていた国家賠償請求訴訟の判決が下されました。この判決は、私の請求を棄却するという内容でした。
平成27年6月30日には、私が、池田大作創価学会名誉会長らを訴えていた損害賠償請求訴訟の判決が下されました。この判決は、私の請求をすべて棄却するという内容でした。
以上の判決に関しては、すべて控訴致します。私の闘いは、これからです。ご支援ご鞭撻の程、心よりお願い申し上げます。
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ご承知のように、日本での裁判には多額の費用がかかります。今後の訴訟展開を考えると、訴状に添付する印紙代だけでも、かなりの費用が必要となります。大変恐縮ですが、皆様方のご支援を衷心よりお願い申し上げます。
これまで義捐金を振り込まれた皆様方には、心より厚く御礼申し上げます。皆様方からの義捐金の振り込み通知が届く度に、私は涙が込み上げて参ります。ありがたい限りです。
義捐金を振り込まれる際には、可能な限り、ご住所とお名前をお知らせ頂ければ幸いです。メールアドレスでも結構です。何卒よろしくお願い申し上げます。 白バラ運動支援義捐金の振替口座の番号は下記の通りです。1口300円です。ご協力の程よろしくお願い申し上げます。
記
1. 郵便局の振り込み用紙や、お手持ちのゆうちょ銀行の口座から振り込まれる場合
口座記号番号 01680-3-132288
口座名称(漢字) 白バラ運動支援義捐金
口座名称(カナ) シロバラウンドウシエンギエンキン
2. 他の金融機関から振り込まれる場合
店名(店番)一六九(イチロクキュウ)店(169)
預金種目 当座
口座番号 0132288
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» 自分の歩調でいいと思います
しばらく空梅雨だったのですが、やはり梅雨時期・雨模様の日々です。
髙倉様の体調はいかがかなぁ~と思っていました。
ブログ更新を拝見し、お元気だと拝察いたします。
髙倉様と同じ九州出身の方に彫刻家・北村西望氏がいます。
長崎平和祈念像を作った方です。
「わたしは天才ではないから、人より五倍も十倍もかかるのです。
いい仕事をするには、長生きをしなければならない」が口癖。
平和記念像を作るのにも昭和26年から約4年間をかけて完成させたそうです。
晩年、北村氏はきごうを頼まれると、よく「決心之大成」「洗心長寿」と書かれたとか。
ある朝、北村氏が自分の制作した平和記念像を見にいくと、足元に一匹のカタツムリがいました。
夕方もう一度像の前に行った時、なんと、そのカタツムリは9メートルもある像のてっぺんに登っていたのです。
可愛い角をだして、歩いているようですが、進むのはとてものろいです。
動きはあるようなないような・・・・・
それがいつのまにかてっぺんまで登っていたのです。
北村氏は目立たず、地味なカタツムリの持続エネルギーに驚愕しました。
そして生まれた座右の銘
「たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ」
北村西望氏の口癖
「決心之大成」「洗心長寿」というよく書かれてたきごう
同じ九州男児
私にはどうしても、髙倉様の生き様とダブって見えるのです。
北村西望氏の向こうに、111歳までは仕事をしようと決意されてる髙倉様が見えるのです。
髙倉様が新たに築こうとされてる「平和記念像」
晴天の日は少なく、雨風・はたまた暴風雨の中での労作業も多いと思います。
時には予期せぬ雹も降り、作りかけた像の一部が破損することも・・・・。
しかし髙倉様は歩みを止めず、たんたんと歩んでおられる。
尊敬の念を禁じ得ません。
梅雨の時期、カタツムリが小雨に打たれながら心地よさそうに緑の葉の上を散歩。
この季節、私もそんな光景を何度か見ました。
この時期に、この流れ・そしてこの光景。
大自然は意味深いメッセージを贈ってくれてる。
人智を超えた大自然の采配、私はそんなふうに思えてなりません。
昔、お前には絶対に無理だ!と言われながら始めた一人自営の営業職。
地味ながら、何とかそれで家族を養い・子供たちも成長していきました。
策や方法、計画は様々立てましたが、あまり上手くいきませんでした。
自分一人で静かに『こうあろう!』と思い、ただ地味ながら歩んできました。
おかげ様で今も何とか、家族で食べていけてます。
辛い事も多かったけど、今も辛いことや大変な事はあるけど、でも心から嬉しい笑いも少しはあります。
振り返れば、物事は殆ど想定外の事柄で開けてきた・・・・そう思います。
時代は変わりますし、森羅万象変化の連続です。
それでも地味でも静かでも、すごく不器用でも、ただ歩みを止めなければそれでいいと思います。
『こうあろう!』という着地点があれば、流れは自然に起ってきます。
歩みを止めなければいい、自分の歩調でいい。
「たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ」
私自身、この言葉を今、静かにかみしめています。
髙倉様の体調はいかがかなぁ~と思っていました。
ブログ更新を拝見し、お元気だと拝察いたします。
髙倉様と同じ九州出身の方に彫刻家・北村西望氏がいます。
長崎平和祈念像を作った方です。
「わたしは天才ではないから、人より五倍も十倍もかかるのです。
いい仕事をするには、長生きをしなければならない」が口癖。
平和記念像を作るのにも昭和26年から約4年間をかけて完成させたそうです。
晩年、北村氏はきごうを頼まれると、よく「決心之大成」「洗心長寿」と書かれたとか。
ある朝、北村氏が自分の制作した平和記念像を見にいくと、足元に一匹のカタツムリがいました。
夕方もう一度像の前に行った時、なんと、そのカタツムリは9メートルもある像のてっぺんに登っていたのです。
可愛い角をだして、歩いているようですが、進むのはとてものろいです。
動きはあるようなないような・・・・・
それがいつのまにかてっぺんまで登っていたのです。
北村氏は目立たず、地味なカタツムリの持続エネルギーに驚愕しました。
そして生まれた座右の銘
「たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ」
北村西望氏の口癖
「決心之大成」「洗心長寿」というよく書かれてたきごう
同じ九州男児
私にはどうしても、髙倉様の生き様とダブって見えるのです。
北村西望氏の向こうに、111歳までは仕事をしようと決意されてる髙倉様が見えるのです。
髙倉様が新たに築こうとされてる「平和記念像」
晴天の日は少なく、雨風・はたまた暴風雨の中での労作業も多いと思います。
時には予期せぬ雹も降り、作りかけた像の一部が破損することも・・・・。
しかし髙倉様は歩みを止めず、たんたんと歩んでおられる。
尊敬の念を禁じ得ません。
梅雨の時期、カタツムリが小雨に打たれながら心地よさそうに緑の葉の上を散歩。
この季節、私もそんな光景を何度か見ました。
この時期に、この流れ・そしてこの光景。
大自然は意味深いメッセージを贈ってくれてる。
人智を超えた大自然の采配、私はそんなふうに思えてなりません。
昔、お前には絶対に無理だ!と言われながら始めた一人自営の営業職。
地味ながら、何とかそれで家族を養い・子供たちも成長していきました。
策や方法、計画は様々立てましたが、あまり上手くいきませんでした。
自分一人で静かに『こうあろう!』と思い、ただ地味ながら歩んできました。
おかげ様で今も何とか、家族で食べていけてます。
辛い事も多かったけど、今も辛いことや大変な事はあるけど、でも心から嬉しい笑いも少しはあります。
振り返れば、物事は殆ど想定外の事柄で開けてきた・・・・そう思います。
時代は変わりますし、森羅万象変化の連続です。
それでも地味でも静かでも、すごく不器用でも、ただ歩みを止めなければそれでいいと思います。
『こうあろう!』という着地点があれば、流れは自然に起ってきます。
歩みを止めなければいい、自分の歩調でいい。
「たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ」
私自身、この言葉を今、静かにかみしめています。
» 大感激しました!
kan様
裁判は全て敗訴という状況の中で、私を激励して下さるコメントの第1号をkan様から拝受致しました。何と不思議なご縁でしょうか!私は、これまで一度もkan様にお目にかかったことはございません。
しかしながら、実に不思議なことに、とてもタイムリーにコメントを頂いています。ありがたいの一語に尽きます。心より厚く御礼申し上げます。
まさに、ピンチの裏にチャンスありです。現在、創価学会池田カルト一派を、文字通り、壊滅させる企画を準備しています。
プロジェクトの名前は、日本を変えて世界を変えるぞです。
私の入信記念日は、7月7日です。私の誕生日は、8月9日です。
まず、入信記念日に、複数の内容証明郵便を発送します。文書は、私の訴訟代理人の弁護士生田暉雄先生と私の合作で、すでに完成しました。間違いなく、創価学会池田カルト一派には大打撃を与えるはずです。
今度ともご指導ご鞭撻の程、くれぐれもよろしくお願い申し上げます。
裁判は全て敗訴という状況の中で、私を激励して下さるコメントの第1号をkan様から拝受致しました。何と不思議なご縁でしょうか!私は、これまで一度もkan様にお目にかかったことはございません。
しかしながら、実に不思議なことに、とてもタイムリーにコメントを頂いています。ありがたいの一語に尽きます。心より厚く御礼申し上げます。
まさに、ピンチの裏にチャンスありです。現在、創価学会池田カルト一派を、文字通り、壊滅させる企画を準備しています。
プロジェクトの名前は、日本を変えて世界を変えるぞです。
私の入信記念日は、7月7日です。私の誕生日は、8月9日です。
まず、入信記念日に、複数の内容証明郵便を発送します。文書は、私の訴訟代理人の弁護士生田暉雄先生と私の合作で、すでに完成しました。間違いなく、創価学会池田カルト一派には大打撃を与えるはずです。
今度ともご指導ご鞭撻の程、くれぐれもよろしくお願い申し上げます。
» 「古代史犯罪」
虚構の古代史と決別せよ
楽浪郡平壌説によって倭国が半島から消去されたため、つじつまを合わせるために高句麗は巨大な国家となってしまった。 対馬海峡の向こう側にいた倭国が半島国家群を属国にして、その強大な高句麗と朝鮮半島で覇権を争う事になったのである。 当の大和政権は巨大古墳の作成に夢中で、高句麗との戦争の記録が記紀に全く無いにも関わらず。 こうして荒唐無稽な虚構の古代史が出来上がっただけではなく、そのような偽歴史が教科書にまで書かれているのである。 定説は歴史教科書の朝鮮半島から倭国を消去する事には成功したが、歴史書の朝鮮半島の倭国までをも消すことができなかった。 ましてや、邪馬台国の移動先までは用意してはくれなかった。 定説に基づいて100年という長い期間、おびただしい数の人間が邪馬台国を探し続けたが誰にも見つけられなかった。 もちろん、未来永劫見つかる事はない。 邪馬台国とは夢の中にのみ存在する国家であり、現実において見つけ出す事は許されていないのだ。
見つからない邪馬台国、見つからない侏儒国、見つからない州胡、見つからない万里の長城、 裸国黒歯国の謎、倭国の半島支配の謎、夫余の楽浪郡攻撃の謎、玄菟郡の遼東移動の謎、 馬韓の玄菟郡攻撃の謎、百済の遼西支配の謎、北魏の百済攻撃の謎、文県と番汗県が離れすぎている謎、 朝鮮半島南西部から倭人系の墳墓が多数出土した謎、 日本国は倭国の別種だという謎、倭の五王や高句麗との戦争が記紀に記録されていない謎。 これらは全て謎などではない。 誤った定説に基づいて組み立てられた虚構の古代史の中で、どうしてもつじつまが合わせられない問題として一斉に噴出したものだ。 楽浪郡平壌説という壮大な嘘を否定するだけでこれらの謎は全て氷解し、 嘘で塗り固められた東アジアの古代史から解放される事だろう。 これまでに失われた膨大な時間はもう、取り戻すことはできない。 しかしせめて我々の次の世代だけにでも、真実の歴史を教える義務があるのではなかろうか。
4. 邪馬台国論争の真相(問題の真相へ)
参考資料
1):「平壌一帯楽浪墓に関する研究」李淳鎮(朝鮮社会科学院)
2):「卑弥呼の正体〜虚構の楼閣に立つ「邪馬台」国 〜」山形明郷
3):「概説-韓国考古学」韓国考古学会
4):「近世朝鮮時代の古朝鮮認識」矢木毅(京都大学)
5):「漢書地理志にみる楽浪郡の改革」
6):「主流歴史学界を撃つ」イ・ドギル(ハンガラム歴史文化研究所)
7):「山形明郷先生講演会」山形明郷
漢文資料:台湾中央研究院「漢籍全文資料庫」
「免費使用」(無料で使用)を選ぶ。次の画面で「先秦」、「秦漢」、「魏晉南北朝」のみをチェックすれば古代史書のみを検索するように設定できる。検索箇所に「楽浪」、「帯方」などを入力し、「捜尋」を押して楽浪郡や帯方郡がどこにあったのか、自分の手で調査してみよう。一般人が東大教授の過ちを指摘できる便利なツールだ。日本の大学は一般人に真実がばれないようにするためか、このような史書は公開していない。台湾という奇跡の存在に感謝すべきだろう。
著者紹介
暁美焔(Xiao Meiyan):学生時代に古田武彦氏の「邪馬台国はなかった」に出会い、邪馬台国論争の世界に入る。 その後長い空白期間を経た後、山形明郷氏の著作に出会い衝撃を受ける。 山形氏の説の真偽を確かめるために倭人伝以外の古代史書を読み始め、やがて魏志東沃沮伝を目にする。 そして古代中国人が日本列島を認識していなかった事に衝撃を受け、山形説の正しさを確信すると同時に邪馬台国の位置に関する数学的証明を思いついた。 理系的な感覚では反論のしようがない程の完璧な証明に思われたので、興奮して学会関係者数人にその証明を打診する。 しかしその全員から何の反論も無いまま「我々は文献だけでは物を言いません」とか「中国史料の翻訳が正しくないので翻訳し直しなさい」などと門前払いされる。 その時山形氏の心境を理解すると共に、邪馬台国論争が解けない真の理由は学問的な理由とは別の所に存在する事に気付く。 それは例えどのような混乱が発生したとしても日本人が自ら向き合い、日本人の手でいずれ解決しなければならない問題だ。 知らないまま永遠に放置して良い問題でもなければ、棚上げして不幸の再生産を繰り返して良い問題でもない。 そしてすぐに「邪馬台国論争の真相」の執筆を始め、現在に至る。 なお、山形明郷氏の著作は論争仲間の友人に貸し出したところ、立腹した上に返してもくれなかったので彼の著作は一度読んだのみである。 書き始めるまではあまり興味の無かった韓国であるが、気がつくと歴史、地理、文化、考古学、言語などあらゆる面で朝鮮半島の事ばかり勉強している。
ほむらの仮説:古代の朝鮮半島の倭国と九州島との関係は、福建省と台湾島の関係のようだったのではないか。 閩南民系が台湾原住民と混血しながらも文化的に優越な閩南語が台湾において支配的となったように、 朝鮮半島の倭人と九州人の言語がほぼ同じだったと仮定してみる。 朝鮮半島の倭国が滅亡した後も、新羅人が日本人の事を倭人と呼び続けたのも説明できる。 唐が百済の跡地を直接支配していた時期は倭と日本の違いを明確に認識していたが、唐が半島支配を放棄した後には違いがわからなくなったのも説明できる。 大和政権が九州を制圧して日本を統一する過程で、言語的に同一な朝鮮半島の倭地に執着したのも説明できる。 同族であるため、そして半島支配の正当性を主張するために、大和政権が朝鮮半島の倭人の歴史を日本の歴史の中に組み込んだ理由も説明できる。 半島の倭人が滅亡した後世においては、倭と日本が同一視されたのも、半島とは縁が切れたことも説明できる。 任那とは大和政権が半島に進出して支配した地ではなく最初からそこに住んでいた倭人の支配地であり、 日本書紀の記述は倭人がその故郷の地において滅亡していく過程を記録したものではなかったか。
謝辞:草葉の陰から常に無言の激励を送り続け、ついに邪馬台国論争の真相へと導いて下さった故山形明郷氏に感謝します。
あとがき:最近は嫌韓感情の高まりから、朝鮮半島の歴史を全て否定する者が増えている。高麗時代は軍事的にあなどれない国家だったし、技術的にも高麗製の船は中国製よりも丈夫だった。文化的にも仏教美術が盛んな時代であり、決して価値の無い国ではなかった。どうか現代人の民族感情という色メガネを通して過去の歴史を論じないでほしいと願っている。なお、倭人伝には倭国に猿がいたとの記述があるが現在の朝鮮半島には猿は生息していない。伝説の高麗産の猩猩毛筆を作るために乱獲してしまったのだろうか。また天孫降臨で天下りを先導した国津神とは実は侏儒国の縄文人で猿のような格好だったので猿田彦命と名付けられたのではなかろうか。
楽浪郡平壌説によって倭国が半島から消去されたため、つじつまを合わせるために高句麗は巨大な国家となってしまった。 対馬海峡の向こう側にいた倭国が半島国家群を属国にして、その強大な高句麗と朝鮮半島で覇権を争う事になったのである。 当の大和政権は巨大古墳の作成に夢中で、高句麗との戦争の記録が記紀に全く無いにも関わらず。 こうして荒唐無稽な虚構の古代史が出来上がっただけではなく、そのような偽歴史が教科書にまで書かれているのである。 定説は歴史教科書の朝鮮半島から倭国を消去する事には成功したが、歴史書の朝鮮半島の倭国までをも消すことができなかった。 ましてや、邪馬台国の移動先までは用意してはくれなかった。 定説に基づいて100年という長い期間、おびただしい数の人間が邪馬台国を探し続けたが誰にも見つけられなかった。 もちろん、未来永劫見つかる事はない。 邪馬台国とは夢の中にのみ存在する国家であり、現実において見つけ出す事は許されていないのだ。
見つからない邪馬台国、見つからない侏儒国、見つからない州胡、見つからない万里の長城、 裸国黒歯国の謎、倭国の半島支配の謎、夫余の楽浪郡攻撃の謎、玄菟郡の遼東移動の謎、 馬韓の玄菟郡攻撃の謎、百済の遼西支配の謎、北魏の百済攻撃の謎、文県と番汗県が離れすぎている謎、 朝鮮半島南西部から倭人系の墳墓が多数出土した謎、 日本国は倭国の別種だという謎、倭の五王や高句麗との戦争が記紀に記録されていない謎。 これらは全て謎などではない。 誤った定説に基づいて組み立てられた虚構の古代史の中で、どうしてもつじつまが合わせられない問題として一斉に噴出したものだ。 楽浪郡平壌説という壮大な嘘を否定するだけでこれらの謎は全て氷解し、 嘘で塗り固められた東アジアの古代史から解放される事だろう。 これまでに失われた膨大な時間はもう、取り戻すことはできない。 しかしせめて我々の次の世代だけにでも、真実の歴史を教える義務があるのではなかろうか。
4. 邪馬台国論争の真相(問題の真相へ)
参考資料
1):「平壌一帯楽浪墓に関する研究」李淳鎮(朝鮮社会科学院)
2):「卑弥呼の正体〜虚構の楼閣に立つ「邪馬台」国 〜」山形明郷
3):「概説-韓国考古学」韓国考古学会
4):「近世朝鮮時代の古朝鮮認識」矢木毅(京都大学)
5):「漢書地理志にみる楽浪郡の改革」
6):「主流歴史学界を撃つ」イ・ドギル(ハンガラム歴史文化研究所)
7):「山形明郷先生講演会」山形明郷
漢文資料:台湾中央研究院「漢籍全文資料庫」
「免費使用」(無料で使用)を選ぶ。次の画面で「先秦」、「秦漢」、「魏晉南北朝」のみをチェックすれば古代史書のみを検索するように設定できる。検索箇所に「楽浪」、「帯方」などを入力し、「捜尋」を押して楽浪郡や帯方郡がどこにあったのか、自分の手で調査してみよう。一般人が東大教授の過ちを指摘できる便利なツールだ。日本の大学は一般人に真実がばれないようにするためか、このような史書は公開していない。台湾という奇跡の存在に感謝すべきだろう。
著者紹介
暁美焔(Xiao Meiyan):学生時代に古田武彦氏の「邪馬台国はなかった」に出会い、邪馬台国論争の世界に入る。 その後長い空白期間を経た後、山形明郷氏の著作に出会い衝撃を受ける。 山形氏の説の真偽を確かめるために倭人伝以外の古代史書を読み始め、やがて魏志東沃沮伝を目にする。 そして古代中国人が日本列島を認識していなかった事に衝撃を受け、山形説の正しさを確信すると同時に邪馬台国の位置に関する数学的証明を思いついた。 理系的な感覚では反論のしようがない程の完璧な証明に思われたので、興奮して学会関係者数人にその証明を打診する。 しかしその全員から何の反論も無いまま「我々は文献だけでは物を言いません」とか「中国史料の翻訳が正しくないので翻訳し直しなさい」などと門前払いされる。 その時山形氏の心境を理解すると共に、邪馬台国論争が解けない真の理由は学問的な理由とは別の所に存在する事に気付く。 それは例えどのような混乱が発生したとしても日本人が自ら向き合い、日本人の手でいずれ解決しなければならない問題だ。 知らないまま永遠に放置して良い問題でもなければ、棚上げして不幸の再生産を繰り返して良い問題でもない。 そしてすぐに「邪馬台国論争の真相」の執筆を始め、現在に至る。 なお、山形明郷氏の著作は論争仲間の友人に貸し出したところ、立腹した上に返してもくれなかったので彼の著作は一度読んだのみである。 書き始めるまではあまり興味の無かった韓国であるが、気がつくと歴史、地理、文化、考古学、言語などあらゆる面で朝鮮半島の事ばかり勉強している。
ほむらの仮説:古代の朝鮮半島の倭国と九州島との関係は、福建省と台湾島の関係のようだったのではないか。 閩南民系が台湾原住民と混血しながらも文化的に優越な閩南語が台湾において支配的となったように、 朝鮮半島の倭人と九州人の言語がほぼ同じだったと仮定してみる。 朝鮮半島の倭国が滅亡した後も、新羅人が日本人の事を倭人と呼び続けたのも説明できる。 唐が百済の跡地を直接支配していた時期は倭と日本の違いを明確に認識していたが、唐が半島支配を放棄した後には違いがわからなくなったのも説明できる。 大和政権が九州を制圧して日本を統一する過程で、言語的に同一な朝鮮半島の倭地に執着したのも説明できる。 同族であるため、そして半島支配の正当性を主張するために、大和政権が朝鮮半島の倭人の歴史を日本の歴史の中に組み込んだ理由も説明できる。 半島の倭人が滅亡した後世においては、倭と日本が同一視されたのも、半島とは縁が切れたことも説明できる。 任那とは大和政権が半島に進出して支配した地ではなく最初からそこに住んでいた倭人の支配地であり、 日本書紀の記述は倭人がその故郷の地において滅亡していく過程を記録したものではなかったか。
謝辞:草葉の陰から常に無言の激励を送り続け、ついに邪馬台国論争の真相へと導いて下さった故山形明郷氏に感謝します。
あとがき:最近は嫌韓感情の高まりから、朝鮮半島の歴史を全て否定する者が増えている。高麗時代は軍事的にあなどれない国家だったし、技術的にも高麗製の船は中国製よりも丈夫だった。文化的にも仏教美術が盛んな時代であり、決して価値の無い国ではなかった。どうか現代人の民族感情という色メガネを通して過去の歴史を論じないでほしいと願っている。なお、倭人伝には倭国に猿がいたとの記述があるが現在の朝鮮半島には猿は生息していない。伝説の高麗産の猩猩毛筆を作るために乱獲してしまったのだろうか。また天孫降臨で天下りを先導した国津神とは実は侏儒国の縄文人で猿のような格好だったので猿田彦命と名付けられたのではなかろうか。
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プロフィール
HN:
本名:髙倉良一(たかくらりょういち)
性別:
男性
職業:
大学教員
趣味:
思索と散歩と映画鑑賞
自己紹介:
HN:希望
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
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