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「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」
 本日、ある方から裁判期日に関するご照会がありました。私の表記が誤解を生じさせるものになっていたと反省しております。

 まず、「創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その87」でご紹介した「次回の裁判は4月18日の予定です。」という裁判は、池田大作創価学会名誉会長らを訴えている裁判で、東京地方裁判所で行なわれます。

 しかし、この裁判は電話会議システムでなされます。私の訴訟代理人である弁護士の生田暉雄先生も私も出廷致しません。

 つぎに、「創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その84」でご紹介した裁判は、和田公雄氏を訴えた裁判です。この裁判は、4月25日(木)午後1時30分から東京地裁八王子支部で行なわれます。

 こちらの裁判は第一回目ですので、生田先生は出廷されます。私は出廷するかどうかを検討中です。

 裁判自体は第一回目ですので、すぐに終了します。しかし、もしご都合がよろしければ、東京地裁八王子支部で行なわれる裁判を傍聴して頂ければありがたい限りです。何卒よろしくお願い申し上げます。

*********************

 現在、創価学会池田カルト一派と闘うための裁判費用(白バラ運動支援義捐金)を募集しております。

 これまで義捐金を振り込まれた皆様方には、心より厚く御礼申し上げます。

 ご承知のように、日本での裁判には多額の費用がかかります。今後の訴訟展開を考えると、訴状に添付する印紙代だけでも、かなりの費用が必要となります。大変恐縮ですが、皆様方のご支援を衷心よりお願い申し上げます。

 義捐金を振り込まれる際には、可能な限り、ご住所とお名前をお知らせ頂ければ幸いです。メールアドレスでも結構です。何卒よろしくお願い申し上げます。 白バラ運動支援義捐金の振替口座の番号は下記の通りです。1口300円です。ご協力の程よろしくお願い申し上げます。

             記
1. 郵便局の振り込み用紙や、お手持ちのゆうちょ銀行の口座から振り込まれる場合

   口座記号番号 01680-3-132288
   口座名称(漢字) 白バラ運動支援義捐金
   口座名称(カナ) シロバラウンドウシエンギエンキン


2. 他の金融機関から振り込まれる場合

   店名(店番)一六九(イチロクキュウ)店(169)
   預金種目  当座    
   口座番号  0132288

 郵便局からの振り込みの手続きについては、以下のホームページをご参照下さい。
http://www.jp-bank.japanpost.jp/kojin/tukau/sokin/koza/kj_tk_sk_kz_tujo.html

******************
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» ”勲章と称号”と金権工作・・・その(2)
≪ 自己宣揚 と金権工作≫

◇創価学会・「政教新聞」では、池田氏に関する勲章や名誉称号などの顕彰を「民衆絶賛の証し」などと宣伝している。
しかし、実際には寄付行為をはじめさまざまな「金権工作」の結果であることは、すでに多くの創価学会幹部や関係者の証言によって明らかになっている。

☆昭和50年~54年頃、池田大作氏の右腕と称された「故・福島源次郎氏」は池田氏の「自己宣揚」に対して、次のように厳しく諫言している。
       (原文を一部短縮して転写します。)

『諫言の書』 より (昭和61年4月)

◆先生の言葉『私は栄誉は欲しくもありません。無関係な人間です』。このことを聞いた時、言い知れぬ感動に襲われました。・・・・。
機会あるごとに、『名聞名利を排せよ!』と先生はよく指導してこられました。私たちは、先生ほど『名聞名利』に無縁の人はいないと信じぬき、門下として私たちも名聞名利を叩き出そうと努力してまいりました。

昭和58年8月、新聞を見た私は、我が目を疑いました。先生が 「国連平和賞」を授与されたと大きく報道しているではありませんか。
そんなバカなことがある筈がないと思いました。しかし、事実です。その時の衝撃、その時の情けなさ、お分かりいただけるでしょうか。

仏法の指導者、広宣流布の最高指導者し自認する先生が、かかる栄誉を受けることは、一体どのように解釈すればよいのでしょうか。
「 私には名誉も称賛もいらない」と言い切ってこられた先生が、いともあっさりと名誉を受け、且つそのことを機関紙で大きく報道したのです。

「ノーベル平和賞」であろうと、「国連平和賞」であろうと、所詮、世俗世界の名誉の領域のものです。宗教者がその栄誉を受けるということは、その権威に屈するということを意味します。

日蓮正宗・創価学会の指導者が、いかなる理由があったにせよ世俗の栄誉を受けたということは、仏法が世俗の権威に屈し媚びている姿であり、信仰の堕落を意味するのではありませんか。まさしく「法」を下げたのです。

数多くの青年に「名聞名利を追うのは信心の堕落である」と指導してきたその本人が栄誉賞を易々と受け、更に各地に展示して会員はおろか外部の人にまで披露している、これ言行不一致以外の何物でもありません。

青年訓に曰く、『愚人にほめられるは、智者の恥なり、大聖人にほめられるは一生の名誉なり』と。
ほめられるのは、大聖人ただお一人からだけでよい。ーーこれこそ、学会精神の骨髄ではありませんか。時が変わり、移ろうとも、変えてはならぬ原則があります。これを安易に変え、時の都合に合致させるはまさに破廉恥の人と言わざるをえません。

友人のある官僚が、「国連平和賞を貰うなんて、池田大作という人も案外その程度の人物だったのだな。せいぜい『笹川良一』並みの人間でしかないね。君には悪いけど、見損なったよ」と酷評した時の口惜しさ、彼に先生のことを何度も語り、宣揚していただけに私の胸をえぐりました。

現在、霞が関筋では、「学会は国連に相当な金を積んで平和賞受賞の工作をした」、或いは、「ノーベ平和賞を貰えるように、あちこちに働きかけをしているようだ」ということが囁かれています。仏法を傷つける「乞食の如き行為」は、事実でないこを願うのみです。

先生の「平和行動展」・・・これも又同様です。心ある人々は、個人宣揚のイベント、或いは、デモンストレーションとしか捉えません。
先生だけが、各国元首や著名人と会ったり、歓待されている写真だけの展示を、どのような人が感銘をもって見るのでしょうか。普通の常識人なら、その意図があまりにも見え過ぎて嫌悪感を抱くのが当たり前と思うのです。

先生撮影の写真展においては尚更のこと、このような先生の意図ありありのイベントが、広宣流布の名のもとに多額の経費と労力を使って開催されるのはなぜでしょうか。
自己宣揚のイベントを、どのような理由にせよ容認し、促進させているという基本姿勢にこそ仏法指導者として大きい問題があると言わねばなりません。

又、池田講堂、池田墓苑、池田文化会館、等々「池田」を冠した建物がいくつもできております。今や、その数三十になろうとし、中には、先生自らが『ここに池田〇〇を作ってあげよう』と言って建設したものもあります。

世間の常識では、建物等の物件に人名を冠した名称をつけるのは、その人物の遺徳を偲び讃えて、縁有る人々が命名するものです。生存中には有りえないことです。
いわんや、本人自らが生存中に、自らの名を冠して命名するなど、全くあり得ないことです。もしあるとすれば、自己宣揚の異常欲望にかられた独裁権力者のみが為し得るところであります。

今、先生が命名なさるとすれば、牧口先生、戸田先生の名を冠することであります。
牧口先生、戸田先生を冠する建物も昭和50年前後数件に止まり、今は全て「冠池田」の建物ばかりです。

かかることは自分の権威を誇示し、自らの名を後世に残そうとする異常な「自己宣揚」行為と見なされてもやむをえません。
そう批判されても、中傷・誹謗と反撃できる根拠はもはや何もないことを認めざるをえないのです。

最期に、『人間革命』について触れておきたいと思います。『人間革命』の執筆の動機は、”戸田先生への報恩の誠”でありました。
それは第二巻のあとがきに、先生自ら「そのほかに他意はない」というものでありました。

この書の主人公は言うまでも無く、戸田先生であります。しかし、明らかに戸田先生と山本伸一の二人の主人公が存在し、弟子の山本伸一もいかにも偉大なる存在であったかが一貫して描かれています。次第にそのウエイトは大きくなっていきます。
戸田先生への言及、配慮は一往なされていますが、山本伸一の偉大さが戸田先生を超えて大きくクローズアップされていることは、一読で了解のことでしょう。

結論するに、この『人間革命』は恩師のことを語りながら、それを通して弟子である著者の偉大さを語り残そうという意図がいたるところに現われ、それがこの書の欠陥、限界となっているということは否定できないようです。

冷静に観察しますに、自らの偉大さを語るということは『人間革命』の中ばかりではなく、数多くの言動に見えているのであります。それは、慈愛の一念とは異なる、私たちを畏敬させ、随順させようとするがごとき一念の様相を持っています。

あるマスコミに従事している友人が語るには、「日本における自己宣伝の最たる人物は、政治家を除けば、一に「池田大作」、二に「笹川良一」というのが業界の通念だね」と。
これに対し、反論のしようもない現実が余りにも情けなく、ホゾを噛む思いでした。

このような壮大なる量と質の「自己宣揚」の現実の前には、広宣流布のためとか、学会を守るためとか、会員に自信を与えるためとかの弁明は一切通用しない状況になっていることを、しっかりと認識すべきです。

そして、仏法指導者として「自己宣揚の姿勢」そのものが基本的に誤りであり、そのことにより、どれほど仏法を汚し、世人に学会を軽蔑させてきたかを深く反省なさるべきです。◆





桃太郎 2013/03/28(Thu)00:30:02 編集
» 元オウム真理教最高幹部・現ひかりの輪代表上祐氏インタビューのポイントと創価問題に絡めた注釈その2
「犯罪の摘発というのは社会にとって必要なことですから、その仕組みを強化することには反対しません。ただ、すべての犯罪は社会の中から生まれるわけですから、どういう土壌が犯罪を生み出すのかという根本原因が探求されないと、問題の解決策がわからず、漠然とした不安感が高まっていきますよね。無意味で有害な監視活動が続いていく背景には、そういう事情があるのではないでしょうか。一方で、同じような原因を持ちながら形を変えた犯罪には、監視を強化させるだけでは対処できないのではないかと思います」
(注1)

「おそらく、多くの方々は17年前(地下鉄サリン事件など)の報道を強くご記憶されていて、その後のアレフやひかりの輪の活動をほとんどご存じないんですね。私で言えば、この17年間に麻原彰晃からの完全な脱却という方向に考えが変わってきたわけですが、その変化のプロセスは報道されていませんから、『今になって突然、前と違うことを言い出した』と受け取られる方が多くなる。やはり一般の皆さんはメディアを通じて情報を得る機会が圧倒的に多いので、そういう〝報道ギャップ〟みたいなものが生まれるのも仕方ないのかな、とは思います。ただ、その溝をなるべく埋めるためには、やはりいろいろな疑問に応えて情報を発信していくしかないでしょう」
(注2)

「報道機関も営利企業ですから、やはり購読率・視聴率がとれないニュースは採り上げないでしょう。受け取る側は、それでも公正な報道、充分な情報だと信じ込んで見てしまう。欧米などではそこのところ、もうちょっと送り手と受け手との関係がクールだったりしますよね。メディアのほうでも『うちはこういう方針だ』というように政党的偏りを鮮明にしたり、また読者・視聴者もそれを承知で報道に接しているところがあって、必ずしも不偏不党・公平公正は求められていないというか」
「そうですね。メディアと国民の関係がなかなか成熟していないのかもしれません」
(注3)

注1.
ある方の発言を引用させて頂きます。
「創価学会の問題を解決するには創価学会ばかりを見ていたら絶対にダメ。なんであのような大きなカルト集団が日本に定着してしまったのか?創価学会とは全く無関係な一般国民に目を向けて関心を持たせなきゃダメ」全く同感です。監視や適切な批判は大切です。しかしそれらを発信している媒体や反創価ライターやジャーナリスト達はいわゆる「アンチ本」や宗門系の機関紙等に偏り過ぎているが為に信仰に無関係な一般人とは明らかに認識に溝が生じます。例えば良く云われる「ニセ本尊」が典型的。日蓮系の信者以外は
創価学会のご本尊はニセ本尊だからインチキなんだ。と言われても「はて何のことですか?」で終わりですから。学会側はそれらをあえて煽り対立軸を単なる宗門と学会だけとし世間一般からの関心を遠ざける事に成功したのです。学会側にとつてこれほどの好都合はありませんから。根本的な原因を世間が追及するのを防ぐ事に成功もしたし宗門側も反創価ライター達も結果として学会のイメージ操作に加担した事になるのです。とても残念な事ですが。日本社会の変革を語る際に創価学会問題は避けては通れない理由がここにあります。この先の話しはまたいずれ。

注2.
大手マスコミ一般メディアは創価問題をスルーしタブー視しています。でも実態としての創価問題は多くの国民(市民)が自身の経験体験から個人差はありますが認識しています。聖教新聞の購読を進められた。座談会に誘われた。お守りを貰っただけなのにいつのまにか勝手に「会友」に登録されていた。等々、キリがないです。本当に迷惑だけど朝刊にはデカデカと池田大作の本の宣伝広告が掲載されているし、テレビではしょっちゅう聖教新聞のCMが流れるしバラティー番組のスポンサーにもなっているし・・・イメージ操作とのギャップが激しいのです。しかしネット上での学会叩きは止むことがありません。ネットメディアの方向性と発信力。そして受け手側の意識がうまく融合して行った時こそが転機です。学会側の思惑通りにはならないでしょう。私(もも)は発信媒体をSNSばかりに傾倒するのではなく空中戦(情報戦)と地上戦を機動性を持って展開する必要があると思うし、問題意識を共有する方たちとの連携連帯が不可欠だと考えています。どうしても「我こそはアンチの先鋒なり!」
と云う旗振り役がお好きな方たちが多く結局は独り相撲に終始してしまいます。これでは駄目です。

注3.
注1、注2と若干だぶりますが、今回コメントの総括として。大手マスコミが創価問題の真実を伝えないならば発信側を責めるばかりでは無く受け手側の私たちが賢明になればいいだけです。一方に偏った資料や情報に紛動することなく自分の目で見て耳で聞いて心で感じた事を疑わずまずは行動して見る。途中で間違っていた事に気が付いたら方向修正すればいいだけ。
またその勇気を持てばいいだけ。中々難しいですが。
発信側が世論誘導に長けているのならば、
受け手側の私たちも自身の「軸」をしっかりと持ち
自身の考えで行動し意思表示できれば成熟した社会にまたひとつ近づくと思います。
国民とメデイァの成熟した関係を早く構築できるといいですね。もうあまり時間がないので。私(もも)は華麗なる女性騎士団のお母様ちたと一緒に微力を尽くしたいと思います。

★つづく★

おまけ

野田成人氏の講の中で
「一神教=男性的」
「多神教=女性的」と云う発言がありまして
実は以前から私(もも)も同じ事を感じておりまして
視聴していてとても共感できたのです。
だから早くこちらの考察に移りたいのですが
上祐氏の発言も中々のものなのでもう少し丁寧に
創価問題と絡めて、ちゃちゃを入れて、いや違った、
注釈を入れたいです。





もも 2013/03/28(Thu)02:04:47 編集
» 誤字訂正
華麗なる女性騎士団のお母さまちたと⇒誤
華麗なる女性騎士団のお母さまたちと⇒正

野田成人氏の講の中で⇒誤
野田成人氏の講演の中で⇒正

失礼いたしました。

早速、お叱りのメールがコアメンバーのお母さまから
届きました・・・
でもこんな時間に起きているなんて
◎◎◎さん、何かあったのですか?

もも 2013/03/28(Thu)02:20:30 編集
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本名:髙倉良一(たかくらりょういち)
性別:
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大学教員
趣味:
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自己紹介:
HN:希望
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
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