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「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」
  「コメントに応えてシリーズ その17」にコメントを投稿して下さった、
  亡八(もも)様、流れ星様、ちゅらら様、ランボー様
誠にありがとうございます。心より厚く御礼申し上げます。
 
 現在、「準備書面書面作成のためのメモ―大阪の研究会に集ったメンバーについて―」を作成しています。明日の夜までには完成させなければなりません。本当に、忙しいの一語に尽きる生活をしています。
 
 さて、今回は、先日提出した準備書面「被告準備書面(2)(平成24年5月31日付)に対する各論的反論―その3― 創価学会主導の髙倉夫妻の離婚訴訟について ―」をご紹介致します。
 
 この準備書面の中に「被告池田や被告創価学会等は、原告夫婦の離婚訴訟の記録取寄せの申立もせずに、離婚訴訟の妻の本人調書、第1審判決書、第2審判決書を証拠として、平成24年5月31日提出した(乙第1号証、乙第2号証の1,2)。原告夫婦の離婚訴訟は、訴訟主体が全く別であるはずの東京の損害賠償訴訟と一体となっているとみるべき情況にある。この一事をもってしても、原告夫婦の離婚訴訟が、池田会長、創価学会が主導で起こしていることが明らかである。」との記載があります。
 
 なぜ、相手方の訴訟代理人が、離婚訴訟の記録取寄せの申立を行うこともなく、私と妻しか所持していないはずの離婚訴訟に関する記録を証拠として提出したのかが不可解でなりません。
 
 わざわざ、「原告夫婦の離婚訴訟は、訴訟主体が全く別であるはずの東京の損害賠償訴訟と一体となっている」ことを、相手方の訴訟代理人の方々が自白したようなものです。
 
                                  記 
 
平成23年(ワ)第413号、第29303号、第31387号
損害賠償請求事件
準 備 書 面 (17)
 
               原告 髙倉良一
               被告 原田 稔
                     外5名
 
 
                平成24年7月23日
 
               原告訴訟代理人
               弁護士 生田暉雄
 
東 京 地 方 裁 判 所  御 中
 
 
被告準備書面(2)(平成24年5月31日付)に対する各論的反論―その3
― 創価学会主導の髙倉夫妻の離婚訴訟について ―
 
 
                 記
 
第1、離婚訴訟関係
 
 1、原告及びその妻の夫婦関係は破綻しておらず、創価学会の路線に対する見解の相違があるだけである。
 
⑴ 原告夫婦の見解の相違は、創価学会の路線に対する各自の見解の相違にもとづくもので、宗教上の意見の相違であって、離婚訴訟の原因とはならないものである。
 
    原告及びその妻ともに熱心な創価学会の会員である。
 
    原告人は、平成17年ごろから創価学会が本来の草創期の創価学会の本旨から逸脱して、池田カルト化していると感じ始めた。
 
    そこで、妻を説得して、本来の創価学会に戻すための運動をしようとしたが、妻は3歳の幼少時からの創価学会の極めて熱心な会員であり、その上、池田会長を神様のように崇めている会員でもある。
 
    そこで原告は、平成19年10月に、創価学会が池田カルト化していることを書き連ねた本件日記を妻に手渡して、創価学会の現状の理解を妻にしてもらおうとした。
 
    これに極度に反発して、離婚訴訟に踏み切ったのが、形の上では妻である。実質上は、創価学会が池田カルトであると指摘されたことに怒った池田、創価学会が、原告夫婦を離婚させようとしたのである。
 
  ⑵ それまで、創価学会の路線の違い以外に、夫婦間に意見が分かれることも無く、夫婦仲も悪くも無かった原告ら夫婦は、本件日記を契機として、決裂した。
 
    そうだとすると、本件は、信仰上の理由による離婚事件として、法的解決には親しまない。
 
⑶ 現在、裁判所には創価学会会員の裁判官が約100名程居るといわれており、これらの裁判官は、創価学会の意向通りの裁判をする傾向があることは否定できない。
 
  また、学会員以外の裁判官においては、創価学会員の離婚訴訟等を嫌い、これを忌避する傾向があるといわれている。
 
⑷ そのような事情が相俟って、安易に原告ら夫婦の離婚訴訟が是認された傾向を否定できない。
 
⑸ 原告は東京地裁において、池田会長、創価学会等を被告として、原告を違法に査問したこと、殺人の予告を受けていること、拉致未遂、原告の離婚訴訟を創価学会が妻に代わって提訴していること、日記の違法奪取等を理由に、不法行為として損害賠償の訴を提訴している(東京地裁平成23年(ワ)第413,29303,31387号損害賠償請求事件)。
 
  その訴訟において、被告池田や被告創価学会等は、原告夫婦の離婚訴訟の記録取寄せの申立もせずに、離婚訴訟の妻の本人調書、第1審判決書、第2審判決書を証拠として、平成24年5月31日提出した(乙第1号証、乙第2号証の1,2)。
 
  原告夫婦の離婚訴訟は、訴訟主体が全く別であるはずの東京の損害賠償訴訟と一体となっているとみるべき情況にある。
 
  この一事をもってしても、原告夫婦の離婚訴訟が、池田会長、創価学会が主導で起こしていることが明らかである。
 
⑹ 原判決は、本件離婚訴訟が創価学会の主導で提訴、進行されていて、 このような訴訟があからさまに行われていることになれば、日本の司法の自殺行為といわざるを得ない。
 
 2、妻に離婚の意思が無いことは明白であること
 
   妻和美は、離婚を請求するまで、しばらくそっとしておいてほしいと言いながら、離婚調停、訴訟を提起していることの経緯と「自分の力ではどうしようもできなくなった」との調停での発言から、被告原田らが強要していることは明らかである。
 
なお、被告原田は訴外野崎に対して、髙倉の妻の実家は資産家だから離婚したら髙倉は困るだろう。」と明言した。
 
これらのことから被告池田の指示で、創価学会が離婚を主導していることは明らかである。
 
 
第2、結論
 
   以上のとおり、被告らの主導による離婚訴訟は違法である。
 
                                              以上
なお、書証に関しては、民事訴訟法では下記のように規定されています。ご参考までにご紹介致します。

           記

第五節 書証
(書証の申出)
第二百十九条  書証の申出は、文書を提出し、又は文書の所持者にその提出を命ずることを申し立ててしなければならない。
(文書提出義務)
第二百二十条  次に掲げる場合には、文書の所持者は、その提出を拒むことができない。
 当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。
 挙証者が文書の所持者に対しその引渡し又は閲覧を求めることができるとき。
 文書が挙証者の利益のために作成され、又は挙証者と文書の所持者との間の法律関係について作成されたとき。
 前三号に掲げる場合のほか、文書が次に掲げるもののいずれにも該当しないとき。
 文書の所持者又は文書の所持者と第百九十六条各号に掲げる関係を有する者についての同条に規定する事項が記載されている文書
 公務員の職務上の秘密に関する文書でその提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの
 第百九十七条第一項第二号に規定する事実又は同項第三号に規定する事項で、黙秘の義務が免除されていないものが記載されている文書
 専ら文書の所持者の利用に供するための文書(国又は地方公共団体が所持する文書にあっては、公務員が組織的に用いるものを除く。)
 刑事事件に係る訴訟に関する書類若しくは少年の保護事件の記録又はこれらの事件において押収されている文書
(文書提出命令の申立て)
第二百二十一条  文書提出命令の申立ては、次に掲げる事項を明らかにしてしなければならない。
 文書の表示
 文書の趣旨
 文書の所持者
 証明すべき事実
 文書の提出義務の原因
 前条第四号に掲げる場合であることを文書の提出義務の原因とする文書提出命令の申立ては、書証の申出を文書提出命令の申立てによってする必要がある場合でなければ、することができない。
(文書の特定のための手続)
第二百二十二条  文書提出命令の申立てをする場合において、前条第一項第一号又は第二号に掲げる事項を明らかにすることが著しく困難であるときは、その申立ての時においては、これらの事項に代えて、文書の所持者がその申立てに係る文書を識別することができる事項を明らかにすれば足りる。この場合においては、裁判所に対し、文書の所持者に当該文書についての同項第一号又は第二号に掲げる事項を明らかにすることを求めるよう申し出なければならない。
 前項の規定による申出があったときは、裁判所は、文書提出命令の申立てに理由がないことが明らかな場合を除き、文書の所持者に対し、同項後段の事項を明らかにすることを求めることができる。
(文書提出命令等)
第二百二十三条  裁判所は、文書提出命令の申立てを理由があると認めるときは、決定で、文書の所持者に対し、その提出を命ずる。この場合において、文書に取り調べる必要がないと認める部分又は提出の義務があると認めることができない部分があるときは、その部分を除いて、提出を命ずることができる。
 裁判所は、第三者に対して文書の提出を命じようとする場合には、その第三者を審尋しなければならない。
 裁判所は、公務員の職務上の秘密に関する文書について第二百二十条第四号に掲げる場合であることを文書の提出義務の原因とする文書提出命令の申立てがあった場合には、その申立てに理由がないことが明らかなときを除き、当該文書が同号ロに掲げる文書に該当するかどうかについて、当該監督官庁(衆議院又は参議院の議員の職務上の秘密に関する文書についてはその院、内閣総理大臣その他の国務大臣の職務上の秘密に関する文書については内閣。以下この条において同じ。)の意見を聴かなければならない。この場合において、当該監督官庁は、当該文書が同号ロに掲げる文書に該当する旨の意見を述べるときは、その理由を示さなければならない。
 前項の場合において、当該監督官庁が当該文書の提出により次に掲げるおそれがあることを理由として当該文書が第二百二十条第四号ロに掲げる文書に該当する旨の意見を述べたときは、裁判所は、その意見について相当の理由があると認めるに足りない場合に限り、文書の所持者に対し、その提出を命ずることができる。
国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ又は他国若しくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれ
犯罪の予防、鎮圧又は捜査、公訴の維持、刑の執行その他の公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれ
 第三項前段の場合において、当該監督官庁は、当該文書の所持者以外の第三者の技術又は職業の秘密に関する事項に係る記載がされている文書について意見を述べようとするときは、第二百二十条第四号ロに掲げる文書に該当する旨の意見を述べようとするときを除き、あらかじめ、当該第三者の意見を聴くものとする。
 裁判所は、文書提出命令の申立てに係る文書が第二百二十条第四号イからニまでに掲げる文書のいずれかに該当するかどうかの判断をするため必要があると認めるときは、文書の所持者にその提示をさせることができる。この場合においては、何人も、その提示された文書の開示を求めることができない。
 文書提出命令の申立てについての決定に対しては、即時抗告をすることができる。
(当事者が文書提出命令に従わない場合等の効果)
第二百二十四条  当事者が文書提出命令に従わないときは、裁判所は、当該文書の記載に関する相手方の主張を真実と認めることができる。
 当事者が相手方の使用を妨げる目的で提出の義務がある文書を滅失させ、その他これを使用することができないようにしたときも、前項と同様とする。
 前二項に規定する場合において、相手方が、当該文書の記載に関して具体的な主張をすること及び当該文書により証明すべき事実を他の証拠により証明することが著しく困難であるときは、裁判所は、その事実に関する相手方の主張を真実と認めることができる。
(第三者が文書提出命令に従わない場合の過料)
第二百二十五条  第三者が文書提出命令に従わないときは、裁判所は、決定で、二十万円以下の過料に処する。
 前項の決定に対しては、即時抗告をすることができる。
(文書送付の嘱託)
第二百二十六条  書証の申出は、第二百十九条の規定にかかわらず、文書の所持者にその文書の送付を嘱託することを申し立ててすることができる。ただし、当事者が法令により文書の正本又は謄本の交付を求めることができる場合は、この限りでない。
                         以上



 
 
 現在、創価学会池田カルト一派と闘うための裁判費用(白バラ運動支援義捐金)を募集しております。これまで義捐金を振り込まれた皆様方には、心より厚く御礼申し上げます。
 
 ご承知のように、日本での裁判には多額の費用がかかります。今後の訴訟展開を考えると、訴状に添付する印紙代だけでも、かなりの費用が必要となります。大変恐縮ですが、皆様方のご支援を衷心よりお願い申し上げます。
 
 義捐金を振り込まれる際には、可能な限り、ご住所とお名前をお知らせ頂ければ幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

 白バラ運動支援義捐金の振替口座の番号は下記の通りです。1口300円です。ご協力の程よろしくお願い申し上げます。

           記

1. 郵便局の振り込み用紙や、お手持ちのゆうちょ銀行の口座から振り込まれる場合

   口座記号番号 01680-3-132288
   口座名称(漢字) 白バラ運動支援義捐金
   口座名称(カナ) シロバラウンドウシエンギエンキン

2. 他の金融機関から振り込まれる場合

   店名(店番)一六九(イチロクキュウ)店(169)
   預金種目  当座
   口座番号  0132288

  郵便局からの振り込みの手続きについては、以下のホームページをご参照下さい。

http://www.jp-bank.japanpost.jp/kojin/tukau/sokin/koza/kj_tk_sk_kz_tujo.html
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» 動き始めた市民に「希望」
しんぶん赤旗 日曜版に
ノーベル賞作家 大江健三郎さんのインタビューが掲載されていました。ご紹介します。
改めて申し上げますが「もも」は、
特定の政党、宗教等には一切、与しておりません。


動き始めた市民に「希望」と題して。

(前略)
自分は市民運動の活動家ではないが、一市民として運動に入って、できるだけのことはしよう、と考えてきました。それがいま原発をなくす署名運動や集会につながっています。反原発集会の全体にかかわって、以前の運動と違うものを感じています。
「60年安保」「70年安保」の活動家の学生の
ジグザグデモは、「普通の市民」の参加を拒絶していました。その後、僕がヨーロッパで見たデモは、大きい数の「市民」が「主体」で広く並んで行進して、これにこそ「力」があると思っていました。
いま日本で起きている原発デモや集会は、
大きな数の市民の静かな「それ」です。
「特定の党派」が指導しているのではない、
経験のある「指導部」がいるのでもない。
僕もその1人の「呼びかけ人」ですが、
およそ誰も指導しないし、指導されもしない。
(中略)
参加者は中年から老年の人たちが多く(注①)
20代、30代の人たちと調和している。
デモが終わって三々五々帰っていく人たちがみな、本当に達成感をもっておられるのがわかります。
これが民社主義のデモだと思います。その一番の現われが、いま参加者が増えつつある、首相官邸前の集会でしょう。(注➁)
僕ら老夫婦もそこに加わって続けてゆきたい。それに実効があるとする僕は、その点、楽観主義者です。「オプティミズム・オブ・ウィル」、意思における楽観主義の人間です。
(中略)

「静かな市民の意思表示」
「日本を動かす民主主義」


意思的な楽観主義者とは何か。いまつらい状態で物事をやらなければならないが、しかしついには何とかなる、という信念を持っている。現状分析においては楽観はしないが、しかも積極的な意思を持ち続けよう、とサイード(注③)はいうのです。
(中略)
反原発集会での僕は、危機感が大きいゆえに、
楽観的です。
(中略)
この運動を、はじめ大きく取り上げなかった新聞も、そのうちに運動を評価する記事を出すようになった。集会に参加している「市民の表情」が報道の質を変えたんですよ。
今の政府に、財界、官僚にたいする抵抗力はない。いま、日本経団連という団体の会長ほど、こうした「市民」の意思に破壊的な発言をする人はいないですよ。しかも、経済力を何ものよりも上に置く、
こうした倫理観の人びとに、その態度を変えさせうるのか、僕は悲観的です。しかし、それをつくり変えなければ「次の世代のこの国はないだろう」
その危機に立った「何か」違ったものが、
「市民」のなかに動き始めているのは「確実」です。それに「希望」見いだす。このように多数の市民が動き始めるということは、
「新しい可能性意味します」
(後略)

注①⇒恐らく官邸周辺の立ち位置の差異だろうと推測します。大江さんの周辺に「若い世代」は近寄らないでしょう。畏れ多くて。
注➁⇒意図的な報道により誤解も生じているかと思いますが道路使用許可、デモ申請等々はしていないのですから「デモ」ではなく「自分たちの主張」をハンドマイク等で主張する多くの市民(国民)の集会です。
注③⇒サイード・エドワード。アメリカの批評家、学者。大江健三郎氏の友人。
晩年は「意志的な楽観主義」を信条とした。

もも

追伸

ちゅららさん
ありがとうございます。
残念ながら、妹尾河童氏ではありませんでした。
分かり次第、コメントします。
「亡八」のHNについては説明を怠った為に
ご心配をおかけてしまいました。
「悪と正義と道徳とシリーズ」のコメントのみ、
「亡八(もも)」を使用させて頂きます。
次回、シリーズその3の冒頭にてご説明させて頂きたいと思います。



もも 2012/08/05(Sun)20:34:24 編集
» 訂正です。
「新しい可能性意味する」⇒「誤」

「新しい可能性を意味する」⇒「正」

失礼いたしました。

もも

もも 2012/08/05(Sun)20:41:57 編集
» 訂正追加です。
「これが民社主義のデモだと思います」⇒「誤」

「これが民主主義のデモだと思います」⇒「正」

度重なる非礼を、深くお詫び申し上げます。

もも


もも 2012/08/05(Sun)20:52:51 編集
» 無題
創価学会のほとんどの人は(多分)左系アレルギーですので、いまのこの市民から湧き上がるデモにも誤解をし冷ややかなのではないかと思えます。

もしROM専のあなたも、そのような気持ちが少しでもあるようでしたら、もしかしたらMCの中に居るのではないのかな?とは言いすぎでしょうか。。

大江健三郎は、政府の原発再稼働に対して
「侮辱されたように感じる。。」と言われた言葉に。。
わたしも旦那も大いに同感でした。。

公明党は原発に対して未だに、はっきりNOとは言わず、数十年後に徐々にというような戯言を言い、多分、学会員には脱原発であるような姿勢を示すつもりでしょう。。
なんと姑息な。。
それでも、学会のおばちゃんたちは、上手く言いくるめられコロッと騙されて煽られて支援活動をしていくのでしょう。。
せっかく育ちつつある日本の民主主義を潰そうとしている。。
それは取り返しの付かないことではないかと畏れます。。

ちなみに、わたしも、ももさん同様、特定の政党は支持しておりません。。

もう、みんな。。いいかげんマインドコントロールから目を醒まそうよ。。

追記
ももさんの投稿が、このような真摯なものである限り支持いたします。。



流れ星 2012/08/05(Sun)22:55:20 編集
» 無題
ちなみに、福島原発廃炉作業に40年の時が必要だそうです。。
徐々に脱原発だなんて、推進派の戯言です。。

わたしは、ただ、いのちを守りたいから、つい発信してしまいます。。
流れ星 2012/08/06(Mon)00:30:59 編集
» 悪と正義と道徳とシリーズその3
亡八なるHNは「もも」の前に使用していたHNです。
今回の悪と正義と道徳とシリーズで紹介している、
哲学談義を、あちらこちらでしていた時に使用していました。今は無き掲示板とブログの数々が懐かしいです。「亡八」は、最も薫陶を受けた掲示板の
管理人さんへの「オマージュ」です。
「もも」=「亡八」です。
アドレスも携帯も、あの頃のままです・・・

なので今回の「あこぎな」シリーズのみ
「亡八(もも)」とさせて頂きます。
ちゅららさん、タバサさん、ご理解頂けると嬉しいかも?あ?やば、
またまた「おふざけ」の血が騒ぎ出した・・・
(やれやれ、本当に困ったものです)

「正義の中身」について。

「善」と呼ばれるもの「正当性」とも云ってよい。
「その2」でも語ったように「善」や「悪」は一面では相対的だが、利害の一致する間柄では共有される価値観である。だから、具体的に何が「善」か、
何が「正義の中身」なのか?に普遍性はない。
ただ、具体的な中身、何が「善」であるかが違っていても、どちらの立場にも、それぞれの「善」があり、それを「実現」しようとする、それぞれの
「正義」が存在する。「善」や「正義」という概念が存在することは普遍的であり、そして「正義」の本質が「善」を実現しようとする点にあることも、また普遍的なのである。ただ、立場によって何が
「善」か、何が「正義」かという中身が異なるに過ぎず、この「正義の中身」については
「正義という概念そのもの」をいくら精査しても、そこからは出られない。
なぜなら、これは「善」の本質として考えられるべき課題であるからです。
アメリカが自分たちを「正義」だと思って
中東の国を爆撃し、ミサイルを打ち込む。
中東の国にしてみれば、アメリカのほうが悪になってしまうことは「正義の概念」は実は「空っぽ」で、それぞれの立場をあてはめることによって、
それぞれの「正義」が存在していることに他ならないということです。
「正義」とは「信念」ですから。個々の社会によって「正義」は異なり、
その「正当性」をめぐって
人類は「ずっと」争いを続けているのです。

次回は「道徳」について語ります。

「亡八(もも)」



もも 2012/08/06(Mon)19:14:21 編集
» 無題
わたしは、悪とは個人の真っ当な生命、財産を脅かすものだと思っています。

そういったことから、高倉教授は創価学会から生命を脅かされ大切な家族もちりじりにされ、ある意味、兵糧攻めにも遭っている。。

これが悪でなくて、なんなのでしょうか。。
これを正義のためであるとまやかしの定義を通しても、正直、狂っているとしか想えない。。

いえ、これは、はっきり言って犯罪でしょう。。
違いますか。。?





流れ星 2012/08/06(Mon)20:50:51 編集
» 悪と正義と道徳とシリーズその4
「道徳」について

「道徳」それは人間関係における一種のルールだという事です。そしてそれは人間の行ないの善悪の基準であり「何々をすべし」と云う命令形、あるいは
「何々すべからず」といった禁止形で表現されます。それが掟や法律と異なるのは、通常は明文化される事もなく強制力も弱いという点にあります。
言い換えれば、それは個人個人が内面化している原理でもあります。電車の中で騒いではいけません。という法律はありませんが「人に迷惑をかけてはいけません」というのは当たり前でこれを疑う人はいません。ですから、電車の中で騒ぐ子供がいたら注意する人もいるのです。
しかし、「道徳」というと、あまり守りたくはない、押し付けられたくないものだと感じる人も多くいます。道徳や秩序は、「自由」と相反するものなりでは、と云う疑問を呈する人たちもいます。
相手に大容量のメールを送らないという不文律がネット上には形成されています。フリーズしてしまうメールを送ったら相手に迷惑をかけますが、これは、法律で決まっているわけではありません。あくまで不文律です。「必ずこうすべき」という強制力はありません。また「不倫」「同性愛」等は道徳上は許されないことですが、法的には明文化されていません。

さてさて、「秩序」と「自由」と云う言葉が出てしまいましたので、
次回は「悪と正義と道徳とシリーズ番外編」として「秩序」と「自由」について語ります。

亡八(もも)

亡八(もも) 2012/08/07(Tue)19:45:41 編集
» 無題
おまい(ら)が何者かなんて興味ないが 説明が必要なHNなど最初から使うなよ。
読者をどんだけ撹乱させてるか自覚ないみたい。
書くなら 1HN/人 で出てこいや。
(ら)~2号は複数らしいが総意で言ってんのか? ほら ぼけるだろ?

上から目線で小学校道徳レベルの自説を説かれてもウザイぞ。自ブログでやってちょ。

>「同性愛」等は道徳上は許されない

これは謝っとけ。
おまいに許されんでも道徳的なやつは大勢いる。
支那の企画 2012/08/08(Wed)11:46:50 編集
» ”平和の誓い”に思う
" 平和への誓い ”

『 67年前、一発の原子爆弾によって、広島の町は、爆風がかけめぐり、火の海となりました。
たくさんの人の尊い命が、一瞬のうちに奪われました。
建物の下敷きになった人、大やけどを負った人、家族を捜し叫び続けた人。・・・・・。

あの日のことを、何十年もの間、誰にも話さなかった祖父。ずっとずっと苦しんでいた。・・・でも、一生懸命話してくれた。

戦争によって奪われた一つ一つの命の重み。残された人たちの生きようとする強い気持ち。・・・・。伝えておきたいという思いが、心に強く響きました。

故郷を離れ、広島の小学校に通うことになった私たちの仲間。はじめは、震災のことや福島から来たことを話さなかった。
家族が一緒に生活できないこと、突然友だちと離ればなれになり、今も会えないこと。
でも、勇気を出して話してくれました。 「分かってくれてありがとう。広島に来てよかった。」
その言葉がうれしかった。

☆つらい出来事を、同じように体験することはできないけれど、
わたしたちは、想像することによって、共感することができる。
☆悲しい過去を変えることはできないけれど、
未来をつくるための夢と希望を持つことができます。

☆平和はわたしたちでつくるものです。身近なところに、できることがあります。
”違いを認め合い、相手の立場になって考えること”も平和です。

☆わたしたちは、平和をつくり続けます。仲間とともに、行動していくことを誓います。 』

【 2012年、8月6日 広島市立小学校代表「誓いの言葉」より 】

◇短い言葉ですが、聞き逃してはならない尊いメッセージが届けられています。
日本中の大人は、そして全国の子どもたちは、この小学生の「思い」「願い」をどのように受け止め、何を考えたのでしょうか?

◇祈りの言葉はありません。決して、一人ひそかに祈っているのではありません。
自分たちの未来を平和で安全なものとするために、子どもたちは、立ち上がろうとしています。

◇「平和への祈り」は、世界中いたるところで見られます。
しかし、祈っているだけでは平和は実現できないと、広島の子どもたちは考えています。

◇平和をつくり続けるため、仲間と共に、 ”思いを伝え合い、違いを認め合うこと”を大切にし、そして仲間と支え合って行動することを誓い合っています。

◇綺麗な言葉と空虚な実践、・・・・大人の欺瞞性を見抜き、告発するかのような熱く厳しいメッセージです。

〇今一度、私たち大人は、子どもたちに対して恥かしくないか、自らの生き方を問いただしたいものです。

※ 8月6日、全国の多くの国民がテレビ放映によるこの『広島・平和の誓い』を視聴されたことと思います。又、翌日の新聞各紙でも全文が掲載されていました。

毎年のように発せられる「宣言」ですが、今年の宣言は格別に胸に迫るものがあったように思われました。
そこで、心深く刻まれた呼びかけについて、抜粋掲載をいたしました。

子どもさんとご家族での対話に参考にしていただければ、幸いです。
最後まで、お読み下さりありがとうございました。



 
桃太郎 2012/08/08(Wed)15:33:13 編集
» 無題
>「同性愛」等は道徳上は許されない
これは謝っとけ。
おまいに許されんでも道徳的なやつは大勢いる。

ホンマやなあ~
難しい問題ではありますが、私はスタートレックのファンでジョージ・タケイ氏が同性婚をされました。
その時、ウィリアム・シャトナーは欠席されましたが、他のスタッフは出席して祝福していました。
私は、この時のウィリアム・シャトナー氏は狭量なのかなあ?と一ファンとしては残念な事でした。
こうした事から、時代の流れでしょうか?
考え方が変わっていくと思います。

ちなみに、霊的な立場から同性愛が許されない理由はありません。
何故なら、肉体的な関係はあくまでも仮の姿であり、魂同士が愛し合う事がいかに素晴らしいか?です。
その魂同士が愛し合い、その関係がたまたま同性であっただけの事です。
今もそうですが、これからの時代はスピリチュアルな理解が進みますのでご一考下されば幸いです。



>◇綺麗な言葉と空虚な実践、・・・・大人の欺瞞性を見抜き、告発するかのような熱く厳しいメッセージです。
〇今一度、私たち大人は、子どもたちに対して恥かしくないか、自らの生き方を問いただしたいものです。

そうですねえ。
子供だった頃は可愛らしかったのに、大人になるといかに醜くなるか?残念です。
私も自戒していかなければと思います。
アレックス 2012/08/08(Wed)18:09:45 編集
» 悪と正義と道徳とシリーズ番外編
「秩序」と「自由」について

「秩序」という言葉に反発する人は
「自由」と「秩序」は相反していて
「自由」のほうが大切ではないかと思ったりします。「秩序」は「自由」に何らかの制限を加えることなしには成立しない。この二つを秤にかけて
いずれかを取ると考えがちである。
しかし「秩序」を「個人の生命・身体・財産の保護」という意味に捉えた場合は「自由」の方が大切だから、身体を拘束されてもいい、という矛盾した考え方もあり得てしまう。つまりこの場合には
「秩序」と「自由」は相反するのでなく、
前者が後者の前提になっている。
前提の「秩序」がなければ、「自由」は単なる理念となり、実現の条件を満たす事はない。
「自由」は誰でもが求めるはずだから、
「秩序」もまた同時に求めるはずなのです。
逆に云えば「秩序」は「自由」の実現となりうる形で構築されなければならない、ということです。
「秩序」あっての「自由」だと云ってもいいでしょう。ですから、道徳や秩序は、人間の行動を制限規制するものではなく、むしろ、自由を守るために必要なものであると云えるのです。

亡八(もも)

亡八(もも) 2012/08/08(Wed)18:45:40 編集
» 1週間が速いですね。
今夜また「夜と霧」の2回めです。
1:50からは1回めの再放映があります。
ちゅらら 2012/08/08(Wed)19:23:59 編集
» カーク おまえもか!?
 アレックスさん

 私もそれ相応に長年のトレッキーです。 なんたってレナード・ニモイのファンですよ  時折見せる「感情の部分」が魅力でした。

 なるほど、タケイさんはそうでしたか。 ええと彼は、「カトウ」の役でしたっけ?

 カークの欠席の理由はね  これは「嫉妬」です。  きっぱり、そうです(笑)

 魂の結びつき、とは面白い視点でした。 確かに文字通り生産的ではないけれども、男女婚でも不妊はありますね。  作らない夫婦もいます。

 人と人の結びつきを環境やいろいろな条件のせいで否定することは簡単ですが、「それでも惹かれあう関係」などは山ほどあります。  ロミオ&ジュリエットもしかり。  

 こうしてみると、自由、や幸福というものの中身を考えていかないと人類はずっと足踏みのままでいないといけなくなります。

 日本でもかつては衆道や小姓、また寺の小僧さんの例もあります。

 判然としない世界に一定のルールを定めないと、世の中はたしかに成り立ちませんが、いずれの世界にも例外はある。

 私はこの「例外」のところに対処できるのが「いい世の中」なのではないかと思っています。

 IKD氏は自分以外のそれを嫌い ガッカイもそれを許さなかったのですよ。

 人間主義の名が泣くというもんです。

  そういうものはボロの補給艦で、宇宙の彼方へ放り出したい。  そう、ワープ9で。
ランボー 2012/08/08(Wed)19:31:46 編集
» ランボーさん
おお、貴方もトレッキーでしたか?
かく言う私は、STのエンプラの模型を作っては飾っております。
現在、NCC1701Eを鋭意建造中です。(笑)
電飾の予定ですが、それよりか塗装が大変です。(笑)

タケイさんは「カトウ」の役でしたねえ。

>魂の結びつき、とは面白い視点でした。 確かに文字通り生産的ではないけれども、男女婚でも不妊はありますね。  作らない夫婦もいます。

そうですねえ。
肉体的な視点で見ると見誤ってしまうのですよ。
ですから、霊的な視点で物事を見ていかないと本質を見られないと思います。
精神的レベルが上がってきますと、霊的な視点で物事を見ていくようになると思います。
だから、これからもスピリチュアルな理解が広がると良いなあと思います。

肉体的に生産的ではなくとも、「分霊」と言って新たに魂を生産する事がありますので心配いりません。

>私はこの「例外」のところに対処できるのが「いい世の中」なのではないかと思っています。

その通りです。
それが出来たら、おおらかな世の中になりますね。

>そういうものはボロの補給艦で、宇宙の彼方へ放り出したい。  そう、ワープ9で。

いやあ、そんな事より我々の方がエンプラに乗ってワープ9で宇宙の旅に出たいです。(笑)
アレックス 2012/08/08(Wed)20:59:05 編集
» 悪と正義と道徳とシリーズ最終回
「亡八」について(ほぼ100%引用)

昔、男性のお相手をする遊女さんを集める遊郭があって、そこの主を「亡八」といいました。
「仁・義・礼・智・忠・信・考・梯」の八つの
「徳」を捨てなければ、遊郭の主人など務まらない。と云う意味です。当時はこの八つの徳目が重要視されました。
「仁・義・礼・智・忠・信・孝・梯」という八つの徳目の内、「仁・義・礼・智・信」を
「五条の徳」と云いました。
「忠・孝・梯」は君臣、弟子、親子などを規定する
「道徳」ですが、それ以外の5つは、自分と相手の関係に限定されない「道徳」です。これは人としての守るべき道を表しています。
「道徳」は、単に「電車で騒いではいけません」等々の単純なものではなく、このように「高次元」のものも含まれます。
「道徳」には、法律のような「強制力」はありません。ですから「法律には穴がある。それをかいくぐって違法とならないようにすれば、どんなことをしてもいい」と言う人(組織)がいます。
そのような人(組織)こそが「亡八」なのだと思います。「道徳」は人間を縛るように見えますが、そうではなく、それを捨てた「亡八」のほうが、
自分の「金銭欲」「名誉欲」の奴隷になって、
人間らしさを失っていると云えるでしょう。

平成18年11月2日
埼玉県所沢市立東所沢小学校において
創価学会愛唱歌「母」が全校児童の前で歌われると云う「事件」が起きた。この「母」を歌った、当時の家庭教育学級の代表学級長は埼玉県選出の
公明党参議院議員「西田まこと」の妻であった。
(宝島社・池田大作と暴力団より)
この事件について、東所沢小学校の保護者から追及を受けた、公明党参議院議員「西田まこと」は、
「私の妻は、警察に捕まるような悪いことをしたわけではではない、犯罪を犯したわけでもない」、と
豪語したと伝えられている。

そりゃあ、法律には「公立の小学校で創価学会の愛称歌を歌ってはいけない」とは明文化されていないものな・・・

亡八(もも)

悪と正義と道徳とシリーズが終わりましたので
次回のコメントから「もも」に戻ります。

ありがとうございました。

亡八(もも) 2012/08/09(Thu)19:21:38 編集
» 訂正です。
「考」(誤)⇒「孝」(正)

「梯」(誤)⇒「悌」(正)

失礼いたしました。

もも

もも 2012/08/09(Thu)19:29:40 編集
» ご無沙汰してます。
ご無沙汰してます。シニフィエです。
思った以上にうつの症状が軽くはなかったようで
普段の生活さえ思うように行かない場面があり、
高倉先生にもお声かけいただいてはいたのですが
もうしばらく静かにしていたいと思っています。
とりあえずこの場で高倉先生へお詫び申し上げたいと思います。

ときどきはこのブログも目を通したりしますが
以前のように自分のブログの更新をする気にもなれず今に至っています。
ここしばらくはあまり焦らずにいたいと思っています。
 
それからひとつ気になったのですが、先日のももさんの書き込みの中で
自分の目を疑う表現がありました。ももさんを批判する気持はありませんが
下記の箇所の真意を伺えればと思います。

>また「不倫」「同性愛」等は道徳上は許されないことですが、法的には明文化されていません。

「同性愛」が道徳上許されないということをさらりと書かれている点には、どうしても違和感を覚えます。国や地域によっても違いますが「同性婚」は法的に認められているようですし、それ以前にこの文章では「同性愛」に対する認識があきらかに偏っていらっしゃるのではないかと思いました。
私はゲイではありませんが、ゲイの方たちの芸術文化に関する感受性や才能は特に素晴らしいものがあると思いますし、多くの芸術家が自分がゲイであることを表明しています。ゲイの社会的地位は今後ますます高まっていくことと思われますし、だいいちゲイのどこが道徳上許されないのか理解できません。たとえば性同一性障害の方の人権を否定することにもつながりはしないでしょうか。むしろ同性愛を認める社会は人間の自由を獲得するひとつの流れであると考えます。

>道徳や秩序は、人間の行動を制限規制するものではなく、むしろ、自由を守るために必要なものであると云えるのです。
 
ももさんのこの表現と「同性愛」は道徳的に許されないということと重ね合わせると、自由を守るためにゲイは排除されるべきであるという考え方につながりませんか?
「正義と秩序」のために「同性愛」が道徳として許されないということが明文化される社会とはどのような社会でしょう。
特に西欧の歴史の中で、コミュニストとユダヤ人と黒人とゲイはたいへんな差別と迫害を受けてきました。自由と平等を標榜する戦後のアメリカであっても、このぬぐい去れない差別の歴史はいまだに続いています。
また、中東ではイスラムの教えにもとづいて「不倫」は死罪になる地域があります。先日それで「石打ちの刑」で殺された女性のニュースが世界を巡りました。これは完全に政治的な陰謀によって見せしめとされた犠牲なのですが、このように「不倫」を許されないものとして政治的な暴力に利用されている現実があるということです。
 
「不倫」と「同性愛」を許されないもとと決めつけてしまうことは、自由を守る人間の歴史に逆行する考え方ではないでしょうか。私は学者でも何でもありませんから詳しいことはわかりませんが、それでも近頃はジェンダーという言葉がすでに一般化してきて、ゲイに限らず性の多様なありかたについてはすでに市民権を獲得しつつあるように思います。
よろしかったら皆様のご意見をお聞きしたいです。
 
シニフィエ 2012/08/09(Thu)20:13:07 編集
» 平和宣言
8月6日 8時15分、私たちの故郷は、一発の原子爆弾により灰塵に帰しました。帰る家や慣れ親しんだ暮らし、大切に守ってきた文化までもが失われてしまいました。・・・・・。
そして原爆は、かけがえのない人の命を破壊してしまいました。

< 警防団の人と一緒にトラックで遺体の収容作業にでる。少年の私は、足首を持つように言われ、掴むがズルッと皮がむけて握れない。覚悟を決めて指先に力を入れると、しずくが垂れた。臭い、骨が折れた。>

この当時13歳の少年の体験のように、辺り一面は、無数の屍が重なり、・・・・・、深い闇に突き落されたヒロシマ。
被爆者は、そのヒロシマで原爆を身を以って体験し、後遺障害や偏見に苦しみながら生き抜いてきました。

そして、自らの体験を語り、叱りや憎しみを乗り越え、核兵器の非人道性を訴え、核兵器の廃絶に尽力してきました。
私たちは、その辛さ、悲しさ、苦しみと共に、その切なる願いを世界に伝えたいのです。

あの忌まわしい事故を教訓とし、我が国のエネルギー政策について、「核と人類は共存できない」という訴えのほか、様々な声を反映した国民的議論が進められています。
日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください。・・・・。

私たちは、今改めて、・・・、被爆者の体験と願いを共有し、・・・、核兵器廃絶に向けリーダーシップを一層発揮して下さい。・・・・・・。
   
   【 8月6日 広島市長の平和宣言より抜粋】


◇日本は、核兵器廃絶を世界へ向けて声高々に叫ばねばならない立場にいます。
◇日本は、福島原発の事故を教訓とし、脱原発を世界に呼びかける使命が与えられています。

◇ヒロシマ・ナガサキからの全国に発信される『平和への誓い』を単なるセレモニーに終わらせてはなりません。

◇全国の主要都市では、原発再稼働へ反対のデモが広がっています。普通のお年寄り、主婦、若夫婦、若年労働者たちが、思い思いの看板を作って行進しています。

◇世界平和の実現、核兵器廃絶は、公明党の立党精神の根本であったと思い出しますが、公明党の最近の国会での対応は大丈夫でしょうか・・・・?
◇一般の学会員さんの願いと公明党さんのお考えが大きくズレているように感じられますが・・・・?

◇聖教新聞では、ヒロシマ、ナガサキの平和宣言をどのように紹介し、取り扱っているのでしょうか?
脱原発、大飯原発再稼働の問題について、聖教新聞ではどのように学んでいるのでしょうか?

◇公明党さんが政権に参画して以来、世界平和へ向け有効な政策の実現がなされましたか? 
又、大陸の大国、北の国への働きかけが見えてきませんが?・・・・平和戦略は大丈夫でしょうか・・・?

◇政権参加を目標にする政局のゆさぶりは、会員さんの頭を混乱させ、国会を混迷させることになります。万年野党として、政治、政権の監視役に徹してはいかがでしょうか?

〇昨今の公明党さんならば、なくてもよいように思われるのですが・・・。
桃太郎 2012/08/09(Thu)20:51:22 編集
» 無題
>よろしかったら皆様のご意見をお聞きしたいです。

コメントがない様なので私がコメントさせて頂きます。
「同性愛」が道徳上許されないということに対して、私も違和感を覚えました。
そう感じるのはシニフィエ さんだけではありませんのでご安心下さい。

近年、ジョンテ・モーニングさんが以前に来日されてジョンテのダンスステージを見た時は大変な衝撃を受けました。
彼はゲイなのですが、そのゲイをも凌駕している様な?男と女と言うものを超えている印象を受けました。
時代がそう言うスターを生み出した事に何かの意味があるのかなあ?と感じました。
彼を見た時は気持ち悪いと言うよりは、可愛い~っ!!とさえ思いました。
しかも、ダンサーとしてはダンスの神様と言われる位の実力を持っています。
彼からは結構学ぶ点は多いのですが、決して威張ることも無く大変フレンドリーで、その人柄を見るにつけ何か救われた様な気分になりました。
ビョンセが私が男に生まれるならジョンテの様になりたいと言わしめる程の魅力が彼にはあります。
そこに生きた答えがある様に思います。

>〇昨今の公明党さんならば、なくてもよいように思われるのですが・・・。

はい、そんな政党はいりませんです。はい!!
アレックス 2012/08/11(Sat)11:16:26 編集
» 無題
シニフィエさんの言われることに同感です。。
なんか違和感をずーっと感じていたのですが、シニフィエさんの話しから、そうそう、これよ、と納得。。
やっとスッキリしました。。
ありがとうございます。。

正義や秩序、道徳の名の下に排除はいけませぬ。。
みんなちがって。。みんないい。。


流れ星 2012/08/11(Sat)11:22:56 編集
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本名:髙倉良一(たかくらりょういち)
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大学教員
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自己紹介:
HN:希望
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
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