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「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」
 「池田カルト一派との裁判シリーズ その71」にコメントを投稿して下さった、
 
 ONNAME様、もも様、ちゅらら様、
 
 誠にありがとうございます。お名前を列記させて頂くだけの非礼をお許し下さい。
 
 現在、「準備書面作成のためのメモ-平成18年の創価学会の状況について」を執筆中です。私のメモを基にして、生田暉雄先生が、どのような準備書面を作成されるかが楽しみです。
 
 さて、先日、ランボー様が、今後のコメント投稿の指針となるようなコメントを投稿して下さいました。素晴らしい内容だと存じます。本当に、ありがたい限りです。
 
 また、もも様が、毎週金曜日に、国会周辺で行われているデモの模様をレポートされたコメントを投稿して下さいました。
 
 もも様のグループの方々が、私の裁判の模様を伝える「白バラ通信」を、このデモの参加者の皆様に配布されておられるそうです。本当に、御礼の申し上げようがございません。
 
 そこで、今回は、ランボー様のコメントと、そのコメントに共感された図書館にいこう様とアレックス様のコメント、ならびに、もも様のコメントをご紹介させて頂きます。

  なお、ガンの治療については、温熱刺激療法イトオテルミーをお調べになられて下さい。きっとお役に立つのではないかと存じます。


  
 
             記
 
 
 
» 雑感
争点はどこか。

 ブログの方向性 つまり教授にとって望ましいその基本的性格の確認。

 今の時点で言える(特筆すべきこと)のは、このブログが教授の身の保全、心の安寧に役立つということ。

 これを担保として、我々の「書く意味」に自信を与えたことは喜ばしい。

 しかし打席に立つも、三振ばかりでは得点は生まれない。

 ファウルでもダメ。 走者を塁に進めなければいけない。

 思うに得点圏にランナーはまだいない。(いや、教授だけが一塁にいる。)

 ベンチ前で円陣を組んで、気勢をあげていることは確かだが・・・

 しかも、ここにコーチもからんでくる。 ここで知りたいのは教授は監督なのか オーナー(フロント)なのかということ。これは課題として残る(私にとってのこと)

 現状では、指揮権を発動しまくるほど、教授は時間の余裕がない。そういうスタンスをとられてはいない。

 それならば、選手(入れ替わり、退団もある)おのおのが、「自分は今どうすべきなのか」をサインなしで判断し実行しなければ、このゲームは間違いなく負ける。

 状況を読むセンスでもって 勇気を持って有効打をめざすしかなかろう。

  思うにここは 全国から選抜されたエリート集団ではない。ひとりひとりの力量は千差万別である。私はきっとライトで八番、しかも初老の域にあり、ランニングホームランなぞも望めない。

 そうなると作戦だ。

 敵を知ることだ。

 弱点をあぶり出すこともある。

 ももさんたちは、その意味では3、4、5番打者で実績(ヒット)もある。

 選球眼もある。

 いいところは真似しよう。彼我の意識を捨てて、まとまろう。

 過去のデータに秀でたものはそれを語ろう。

 バントだけには自信があるものは、それに徹しよう。

 走塁に長けたものは、走ろう。

 評論家にだけはなるまい。予想屋もいらない。

 まして賭けに興じて、おのれの欲だけで見物している人をあてにすまい。



 今、読んでいるのは、乙骨正生氏の「司法に断罪された創価学会」(かもがわ出版)である。

 これは「事実関係」を述べている。

 有力な傍証になると思う。

 しかしデータだけでは人(学会員や世間)は動かぬ。

 人の多くは感情で生きているのだから。

 しかも学会員の信心のモチベーションの大きな一つは「自己愛であり、自己実現欲」ではないかと私などは考えている。

 あるいは、人生のドラマを一介の名も無き主婦が「演じたがって」いることだ。

 ドラマなのだから、波乱万丈でも動じない。

 少々の疑心や矛盾なども、人生につきものの事例として飲み込んでしまう。

 自己を否定する行為なぞ、誰が安易に選ぶだろう。

 学会を否定すること IKD名誉を否定することは、自己と人生と大聖人を否定することと等しいと思っている。

 ここにこの問題の難しさがある。

 功徳(プラス)を感じなくても、自分を肯定できるのが凡その信仰人の類似点だ。

 処女懐胎、復活、再生の矛盾を「信じてしまったひとたち」がキリスト教にたくさんいる。10億もいる。歴史の検証と試練に耐えてきた。

 論理では攻めきれない。学会員も然り。

  しかし  

 誰でも、ある日、ふと自省の心根が芽生える瞬間がある。

 ご破算で、願いましては。。。の瞬間がある。

 その大きなきっかけは、多分、直近ではIKD氏のX
 dayであろう。

  そういう狭間で教授は教授自らの戦に立っている。

 我々もことさらの興味と関心と支援の気持ちでここに来た。

 この原点に帰ろう。

 このこころざしに帰ろう。

 ここの立ち上げ当初からの方々の姿が見えぬ、と「ももさん」は嘆いていた。

 入れ替わり立ち代りがブログ(ネット)の宿命だとは思う。

 でも私なりにそのお気持ちは察せられる。

 野球の試合にサッカーのルールを持ち込むような人(私かもしれない)もいる。

 積み上げた実績や共通の理解が、灰塵に帰してしまうことは誰だって嫌だ。

 前に進もう。  

 ひたすら前に進もう。

 そういう自省も込めてここまで 実に偉そうに書きました。

 ご批判もあえてお聞きします。でも、前進感のないものごとは、すぐに潰えてしまうことを恐れます。

  創価は社会問題です。そしてここのコメンテーターも一定の社会を構成しています。

 自由であるべきネットではあっても、何事も責任の所在に無自覚であっては、なんの価値も意味もないと考えます。

 私はほぼ毎日、内外の人間に語って来ました。

 前に書いたように、ヘラヘラ笑いながら、「あんたも大変やのー・・」という感じの者も多いです。

 でも、心の深い部分に楔(くさび)を打ち込む思いで、語っています。

 同志であったはずの後輩などは、見事に二分しました。

 それ以来二度と拙宅を訪れなくなった圏幹部もいます。

 そんなものはどうでもいいことで、一喜一憂したり、いたずらに嘆いていたって、なにも生まれないらこそ、明日もそれをやり続けるでしょう。

  義母もあと一歩。 つくづくMCのすごさを思い知ります。

 長々の駄文 誠に申し訳なく、思います。

 読んでくださったかたには 心からお礼を申し上げます。

                   ランボー
  
         ランボー 2012/08/02(Thu)02:33:29 編集

» 無題
 
ランボー様

先の分析、情熱溢れるコメントを読ませていただきました。
私は、高倉教授の力になれる行動やコメントができないかと日々模索しています。
しかし、現実に私ができていることといえば義捐金参加のみでしょう。

I K D 氏の言葉しか心に響かない人間に対して、どう向き合ったらよいのか悩み傷つきながらの毎日にも疲れてきました。
作戦立て直しです。

突出して、ずば抜けて実践されているももさんたちは、私のようなさまよっている者のお尻をこれでもか!と叩いてくれます。

大切な人だから、この信心に縁してほしい。
大切な人だから、この信心と組織のおかしさに気づいてほしい。
 そんな相反する感情に共通する部分は、大切な人を守りたいという気持ちですね。

高倉教授のブログも その一点で、個の連帯が生まれ、大きな議論のうねりが四方八方に広がることを願います。
勉強になります。ありがとうございます。

                     図書館にいこう
 
      図書館にいこう 2012/08/02(Thu)08:32:11 編集
 
» 共感します
 
>人の多くは感情で生きているのだから。

そうですね。
ランボーさんのおっしゃる事が理解出来ます。
それでも、語り続けるしかないですね。

関係の無い話で申し訳ありませんが、私は、今 癌にかかっている親類の人にベンズアルテヒド療法を薦め語りかけています。
 
        アレックス 2012/08/02(Thu)08:41:24 編集
 
» でも、デモ。国家内国家。でも、もも。
 
毎週金曜日恒例のデモに参加した方、
もしくは、とりあえず行ってみた方ならば、
現場の雰囲気が報道されているものとは全く違う事に気付いてしまっています。

某右翼系ブログで云われている様な、
「60年安保を懐かしむ同窓会」的な
雰囲気は全く無い事に。

中心は「若者たち」「学生たち」そして、
子を持つ普通のお母さんたちです。

ほとんど報道されませんが、
子連れのお母さんたちが一同に集結している箇所があります。常に500~1000人規模で。

いくつかある主催者団体が、お母さんたちと子供たちの身の安全を図る為に、首相官邸からは少し離れた場所に集結するようにツイッター等で拡散しています。現場に来た子連れのお母さんたちを、その場所に誘導しているのも「若者たち」と「学生たち」です。一昔前の団体組織色を前面に出した抗議活動ならば、オルグ化する為に女性や子供を利用し、事が起これば身の危険に晒されるような場所に
「人間の盾」として立たせたはずです。しかし、
今の若者と学生を中心とした主催者は絶対にそんなことはやりません。自分たちが官邸前に陣取り、
シュプレヒコールの波を起こします。

でも、デモ、抗議活動がゆえに参加している方たちが、群集心理で「箍」が外れ、暴徒化する可能性も秘めています。それを期待しているのではと、勘ぐってしまう位に、警視庁の腕章をした方たちが
ほぼ、5メートル間隔でカメラを配置して抗議行動の参加者の様子を撮影しています。

あのように「煽って」暴徒化させ、抗議活動の取り締まり強化へ繋がる規制事実を作ろうとしているとの意見もあります。国家権力側の人間は体制維持の為には、手段を選びませんから。

車の上から「歩道を通行する方の邪魔になるから、立ち止まらず進みなさい」とマイクで叫ぶ
婦人警官が「馬鹿やろー、誰に向かって云ってんだぁ~納税者に対して失礼だろぉ~敬語を使え、敬語を」と、初老の男性に怒鳴られたとたんに、
「通行の邪魔になりますから、どうか、立ち止まらずに、ゆっくりとお進みください」と言い換えた時には、周囲の方たちから拍手喝采が起きていました。とても胸のすく思いでした。

宝島社「池田大作と暴力団」の中で
創価学会は、国家内国家であると云われています。
日本国と云う国家の中に「創価学会」と言う国家が存在しているだとの考え方に非常に共感しました。
創価学会と云う「国家」を守るためには権力を握り
行使し国家を堅持、維持する為の手段を講じる。
至極、当然のことです。

でも、ももは、すかさず、こう云います。

「ふざけるなよ、奴隷の如く、酷使される民の上に
成り立つ国家(創価学会)など、あってたまるかよ」

このレジスタンスは、
「自立」した「市民(国民)」が
声を上げ、立ち上がり、行動する事が大前提です。

もも

          もも 2012/08/02(Thu)23:25:15 編集
 
                   以上
 
 現在、創価学会池田カルト一派と闘うための裁判費用(白バラ運動支援義捐金)を募集しております。これまで義捐金を振り込まれた皆様方には、心より厚く御礼申し上げます。
 
 ご承知のように、日本での裁判には多額の費用がかかります。今後の訴訟展開を考えると、訴状に添付する印紙代だけでも、かなりの費用が必要となります。大変恐縮ですが、皆様方のご支援を衷心よりお願い申し上げます。
 
 義捐金を振り込まれる際には、可能な限り、ご住所とお名前をお知らせ頂ければ幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

 白バラ運動支援義捐金の振替口座の番号は下記の通りです。1口300円です。ご協力の程よろしくお願い申し上げます。

           記

1. 郵便局の振り込み用紙や、お手持ちのゆうちょ銀行の口座から振り込まれる場合

   口座記号番号 01680-3-132288
   口座名称(漢字) 白バラ運動支援義捐金
   口座名称(カナ) シロバラウンドウシエンギエンキン

2. 他の金融機関から振り込まれる場合

   店名(店番)一六九(イチロクキュウ)店(169)
   預金種目  当座
   口座番号  0132288

  郵便局からの振り込みの手続きについては、以下のホームページをご参照下さい。

http://www.jp-bank.japanpost.jp/kojin/tukau/sokin/koza/kj_tk_sk_kz_tujo.html
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» 悪と正義と道徳とシリーズその1
今から6年前の平成18年、
亡八(もも)の、今日(こんにち)に至るまでの
人生を大きく変えてしまった出来事が起きた。
その頃は、巨象に闘いを挑むべく
理論武装の目的で、
寝食を忘れて「本」を貪るように読み、
手当たり次第にネットに食らいついた。
「奴ら」と本気で闘う為だ。
最初は「私憤」だった。当然だ。
仲間を平気で欺く「かくれ学会員」がいたのだ。
そのせいで2人の女性は今も通院中だ。
許すつもりは絶対にない。
その当時から「敬愛」していた
元男性の女性がいる。
亡八(もも)が当時、最も薫陶を受けていた、
元男性の女性の哲学とそれらを批評していた方々の見解等を著作権に触れない程度に紹介して行こうと思う。平和の文化と子供展騒動シリーズのように。

「悪」について

「海のトリトン」というアニメがありました。
(個人的に大好きなので引用します)
今風に云うと「イケメン」の主人公のトリトンは、トリトン族の生き残りであり、彼らと対立するポセイドン族を「悪」、トリトンは「善」として描いていたために、トリトンが悪を滅ぼすストーリーに見えました。しかし最終回では、とても衝撃的な展開となりました。自分が正義と信じて闘ってきたトリトンが、ポセイドン族側から見ると「悪」であり、
ポセイドン族は自分たちの生活と家族を守る為の自衛の闘いをトリトン族としていただけで、争いには正義はないことを考えさせられた内容でした。
虐殺者だったのは「イケメン」の主人公だったのです。善悪とは相対的なもので、その現象を見る立場によって、どちらが「善」でどちらが「悪」か、変わってきます。桃太郎に攻められた「鬼」から見れば「桃太郎」のほうこそ「悪」に見えたと思います。つまり絶対的な「悪」も「善」も存在しないのです。
もうひとつ「悪」と云う概念が相対的なものであるとする考え方の一例として。
同じ組織団体の人間を傷つけ、ものを盗んだりすることは「悪」と呼ばれます。しかし敵対する組織団体と争い、相手を殺したり、財産を略奪して自身の組織に富をもたらした場合は、賞賛され褒め称えられるでしょう。その後、敵対していた組織団体と和解し共存の道が開けた場合は、自身の組織団体、和解した組織団体に与する人間を傷つけたり、彼らのものを略奪した場合も「悪」と呼ばれるでしょう。
このように「悪」の基準や価値観は側面では
相対的ですが、利害が一致する場合は共有される価値観であることが証明されます。
ですから、公共、共通の利益に反することや、誰もが「不快」だと思うであろうことは
「悪」だと云う評価が共有されることとなります。

続く

次回は「正義」について語ります。

亡八(もも)

亡八(もも) 2012/08/04(Sat)00:48:11 編集
» 無題
きょうは、昭和の香り漂うレトロな映画館で。。大林宣彦監督作品の。。『この空の花・長岡花火物語』を観てきました。。

テーマは。。”まだ戦争には間に合いますか”

新潟県長岡市は、戦時中B29の爆撃に遭い多くの市民が亡くなったそうです。
その鎮魂の想いから平和を願う想いから長岡の花火大会は行われているのだとか。。

以前、あの山下清も訪れた町。。
山下清のメッセージ。。”世界中にある爆弾が、みんなあのきれいな花火になればいいのに。。”

この映画では、いまもまだ戦争は終わっていない。。
いつまた戦争が始まるとも限らない。。というメッセージが込められているように想いました。
大林監督の渾身の作品です。。
監督の語っても語りつくせぬ想いが伝わってきました。。

わたしは、この映画を通して、いままで創価学会の、そして公明党の行ってきたことを考えてしまいました。
2001年、あのニューヨーク爆弾テロ事件のあと、ある報道番組で、公明党の議員は。。核搭載のアメリカの戦艦が日本沖に停泊するのを肯定する発言をしていました。
あのアメリカの正義の名のもとに行われたイラク戦争においても、公明党の冬柴議員は、人道復興支援とすり替えて、イラク戦争での日本の自衛隊の加担を肯定しました。。

生命尊厳、世界平和と謳う公明党と創価学会の言っていることと行動との大きな矛盾。。

”まだ戦争には間に合う”
そう日々行動しているでしょうか。。

わたしには、創価学会と公明党のやっていることは真逆としか思えないです。。
この日本の創価学会のおかげで、ようやく育ちつつある民主主義の芽が、いまも摘まれようとしている。。
わたしには、そうとしか思えない。。
MCを受けた無知な創価学会員に拠って、日本の国はどうなってしまうのでしょう。。
わたしは危惧し憂えます。。

話は変わって、高倉教授への義捐金は、日々小銭を貯金箱に入れて、毎月応援させていただいています。
わたしにはツイッターで拡散することと、このくらいしかできませんが。。

流れ星 2012/08/04(Sat)02:23:23 編集
» 悪と正義と道徳とシリーズその2
「正義」について

裁判所や弁護士事務所などには
「正義の女神」テーミス像(ユスティティア)が飾れらています。今ではすっかり時の人となった某氏が
何かの番組でこのテーミスに扮していたのは記憶に新しいです。右手に「剣」を左手に「秤」を持っています。「剣」は「法の厳しさ」を
「秤」は「法の公正さ」を表していると云われます。テーミスは「目隠し」をしています。
「目隠し」は司法の場において先入観や偏見を持たないで裁くことを表しています。
「正義の女神テーミス像」は司法における理想像を分かりやすく表現している人格的象徴なのです。
ドイツの法学者、ルドルフ・フォン・イェーリンクは著書「権利のための闘争」の中で「正義の女神」について「剣なき秤は法の無力、秤なき剣は単なる暴力」と云っています。テーミスが持つ剣は
「法の強制力・執行力」を意味するのです。
ですから正義には「強制力・執行力」が伴うことになります。

「正義の味方」「社会正義の実現」などが多用されるケースを検証していくと・・・

「正義」には「実現の手段」が伴う(または、伴うべきだとされる)ことに気がつきます。

「正義」を実現するための手段は、
「正義の女神テーミス像」が右手に持つ「剣」、
「剣」に象徴される
「強制力・執行力」なのだと云えるでしょう。

もう少し続けます。

アリストテレスは正義を「全体的正義」と「部分的正義」に分けました。これらの説明は長くなるので割愛しますが「部分的正義」についてだけ少し触れます。部分的正義は、それぞれの人間が地位や役割に応じて働いた結果、果たされた功績にしたがって配分される名誉や報酬と定義しました。アリストテレスの時代は、社会は人間に地位や立場の差があるのは当然とされていましたから。しかし、現代では人々は法の下(もと)では平等だと云う理念が一般的となっています。一方で悪平等、弱者が強者にと
いびつな現象を指摘する声も多いですがそれはまた別の機会に。戦争を始めるとき、たいていは
「正義のための聖戦」という形をとります。
民主的に実施されたと云われる国連決議の採択を
「錦の御旗」として掲げてアメリカと多国籍軍は
中東の国を爆撃します。古くは十字軍の遠征も。
「正義」と云う言葉ほど様々な場面で使われる言葉もそうはありません。

「学会正義」「絶対正義」「正義の闘い」
「正義の大勝利」等々、正義は乱用されます。

長くなりそうなので今回は
このあたりでやめておきます。

次回は「正義の中身」について語ります。

亡八(もも)


亡八(もも) 2012/08/04(Sat)10:49:52 編集
» ももさん
 やっぱり「もも」だけでは心許ないですか? 亡八なる名前をつけたのはどうしてかな。あ、お返事はいいです。高倉さんの裁判には関係ないことですから。
 妹尾河童は違いましたか?やっぱり。
ちゅらら 2012/08/04(Sat)11:58:17 編集
» 亡八
 悲しい名前を選ばれましたね。  創価との戦いには そこまでやらないと勝てないとのメッセージを感じます。

 正義についてのコメントには、皮肉なHNですね。

 大兄の悲しみと怒り 生易しくはないものを覚えました。
ランボー 2012/08/04(Sat)16:08:45 編集
» 無題
亡八(もも)さん。

もしかして、ももさんたちも個別にハンネをつけてくださいという要望を聞いてくださったんですか?

読み手に配慮していただきましてありがとうございます。
タバサ 2012/08/04(Sat)19:45:28 編集
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HN:
本名:髙倉良一(たかくらりょういち)
性別:
男性
職業:
大学教員
趣味:
思索と散歩と映画鑑賞
自己紹介:
HN:希望
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
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