はじめに
私の研究テーマの一つは、法教育です。2011年2月26日に、香川大学教育学部で「日本の根幹としての法教育の基礎とは何か-賢明な裁判員になるために必要なことは?組織のオモテもウラも知り尽くした3人が熱く語る」とのタイトルで開催した「講演とシンポジウム」は、研究の一環として企画したものです。
これから、このブログで、「あなたは裁判員になりたいですか-法教育講座シリーズ」を開講させて頂きますので、よろしくお願い致します。
なお、私が、創価学会池田カルト一派を、東京地方裁判所に訴えた裁判の訴状は、近日中にブログで公開致します。
法教育の定義とは
さて、法教育という言葉から、どんな事柄を連想されるでしょうか。難しいものではないかと感じられる方も、いらっしゃるかもしれません。大学の法学部や法律に関連する専門学校を卒業された方は、法学教育と法教育には、どんな違いがあるのだろうかと思われるかもしれません。
法教育に関するわが国の代表的な研究者の一人である江口勇治筑波大学教授は、「法教育という概念は、アメリカにおいて1960年代後半にはじまるLaw-related educationの翻訳語である。」(1)と述べておられます。
アメリカでは、「ロースクールでの法律家養成教育である法学教育(Legal Education)と区別される形で、1930年代から、市民の法や法制度に対する理解や法過程への参加を促す学校教育としての法教育が実践されるようになり」(2)、1978年に制定された法教育法では、Law-related educationとは「法律専門家でない人々を対象に法律、法(形成)過程、法制度、これらを基礎づける基本原則と価値に関連する知識と技術を身につけさせる教育」(3)と定義されました。
さて、平成15年7月29日に、わが国の法務省が発足させた法教育研究会は、「我が国における法教育の普及・発展を目指して-新たな時代の自由かつ公正な社会の担い手をはぐくむために-」との表題を附した報告書を公表しました。その後、平成17年5月に、この報告書を踏まえつつ、法教育を推進することを目的とした法教育推進協議会を発足させました。
この法教育推進協議会では、法教育を「法教育とは,法律専門家でない一般の人々が,法や司法制度,これらの基礎になっている価値を理解し,法的なものの考え方を身に付けるための教育をいう。」(4)と定義しています。
この定義は、アメリカの法教育の定義に基づいたものです。しかし、私は、法教育とは「学習者の法的実践力を育成する教育である」と定義し、法的実践力とは「法に関する知識・理解とその運用能力、ならびに、それらを批判し、是正・創造する能力である。」(5)と定義された井門正美秋田大学教授の見解の方が、以下の二つの理由から優れているのではないかと思います。
一つは、「法教育を一般市民の教育と専門家養成の教育に最初から分けてしまうのは市民の司法参加時代に逆行するように思われる。」(6)との井門教授の指摘は正しいと考えるからです。
一つは、「教員養成学部で、小学校や中学校の教員を志望する学生を対象として、彼らが、将来、児童や生徒に対して、生活に関係する法律の知識を教授できるようになるとともに、法的な考え方を教えられるようになることを目標とする」(7)教育実践を行ってきた私の考え方に即していると思われるからです。
(1)日本社会科教育学会編『社会科教育学辞典』(ぎょうせい、2000年)190頁。
(2)関東弁護士連合会編『法教育-21世紀を生きる子どもたちのために-』(現代人文社、2002年)11頁。
(3)同上11頁。
(4)法教育推進協議会 『私法分野教育の充実と法教育の更なる発展に向けて』(http://www.moj.go.jp/content/000004354.pdf、2009年)1頁。
(5)井門正美『役割体験学習論に基づく法教育-裁判員裁判を体感する授業』(現代人文社、2011年)24頁。
(6)同上24頁。
(7)髙倉良一「教員養成学部における法教育担当者養成の試み」全国法教育ネットワーク編『法教育の可能性-学校教育における理論と実践-』(現代人文社、2001年)143頁。
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大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。