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「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」
創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その60」に、コメントを投稿して下さった、
 
 一読者様、えりちゃん様kan様、NONAME様、図書館にいこう様、文責「もも」様、代筆「里芋」様、もも(ら)様、元創価班様、一読者様、ラカン様、迷惑を被った者様、桃太郎様、もも7号様、自由人様、peace2様、読者様、月光仮面様、ミッシェル様、unternehmer様、流れ星様、アレックス様、nnn様、北斗七星様、roco様、知盛13号様、タバサ様、宿坊様。
 
 誠にありがとうございます。特に、貴重なご提案をお寄せ下さった方々には、心より厚く御礼申し上げます。
 
 現在、新たな陳述書と準備書面の作成に追われています。私の力不足から、コメントを投稿された方々に、個別にご返事を差し上げるだけの余裕がありません。誠に申し訳ございません。
 
 今回の陳述書は、かなりの長文となります。そこで、3つに分割して掲載させて頂きます。
 
            記
 
陳述書
 
新宿での査問は原告に妻との離婚を決意させることにあった
 
                平成23年8月30日
                        髙倉良一
 
和田氏からの呼び出し電話
 
 和田氏が、創価学会本部で査問を受けた日から数日後の朝、和田氏から電話が架かって来ました。その内容は、創価学会の幹部から、私を東京に呼び出すようにとの指示を受けたので協力して欲しいというものでした。
 
 2月14日の夜遅くの和田氏からの電話で、創価学会本部の幹部達が、私を仏敵として糾弾する大キャンペーンを行うと告げられるとともに、高松の創価学会員たちが私の殺害を予告していると言われました。そこで、私は上京しなければならないと考えました。即座に上京すると答えました。
 
 すると、和田氏は、査問の場所と時刻を告げました。待ち合わせ場所は東京の京王プラザホテルのロビーで、時刻は正午とのことでした。
 
 和田氏は、査問の場所を、なぜ創価学会の会館ではなくホテルにしたかという理由を、以下のように説明しました。
 
 創価学会の会館は入館する際に身体検査をされるので、そのような検査をされないように場所をホテルにしたとのことでした。そして、私を査問する人間はヤクザのような人間ではなく、国立大学の教授を相手にするのに相応しい人物にして欲しいと頼んだと言われました。
 
 さらに、査問の前に、私と打ち合わせをしたいと言われました。相談した結果、査問前日の午後5時に、対応策を協議することにしました。私は、待ち合わせ場所として、新宿の紀伊國屋書店の哲学書コーナーを提案しました。その理由は二つあります。
 
 一つは、私は、東京に出張した際には、紀伊國屋書店の哲学書のコーナーを良く訪れていました。このコーナーは来店者が少ないので、すぐに分かると考えたからです。一つは、創価学会員の大半は哲学関係の本を読まないので、このコーナーであれば、創価学会員に出会うことはないと考えたからです。
 
知人の弁護士A氏のアドバイス
 
 私は、和田氏と食事をしながら打ち合わせをするつもりでした。しかし、もしかすると、待ち合わせ場所の紀伊國屋書店の哲学書のコーナーから移動する最中に、和田氏の知り合いの創価学会員に出会う可能性があると考えました。
 
  そこで、私は、高松でプリペイド式の携帯電話を2台購入しました。待ち合わせ場所では、和田氏にこの電話の1台を渡して、すぐに別れ、後は電話で打ち合わせをしようと考えたのです。
 
 和田氏は、自身と私の携帯電話が盗聴されているのではないかと言われることが度々ありました。プリペイド式の携帯電話であれば、盗聴される危険性はないだろうと考えたのです。
 
 このような準備をした後に、私は、知人のA弁護士に連絡し、どのような対応すべきかを相談しました。A弁護士は、和田氏は尾行されているに違いないので、事前に会うことは危険だと言われました。

 和田氏からは「尾行は振り切るから心配するな。」と言われたと述べると、A弁護士は、尾行から逃れることは絶対にできないと言われました。そして、和田氏に全く連絡することなく、この待ち合わせをキャンセルするようにと言われました。A弁護士は、打ち合わせをしないで査問に臨むことが最良の策だと言われました。
 
 このアドバイスを受けて、私は和田氏との待ち合わせをキャンセルすることにしました。そして、査問当日まで、和田氏には全く連絡をしないことにしました。プリペイド式の携帯電話も持っていかないことにしました。
 
 また、私は殺害される危険もあるので、どのような対応をすべきかもA弁護士に相談しました。刺殺されないようにするために、どのような服装を着用するかについての具体的なアドバイスも、A弁護士から受けました。
 
 さらに、ある検察庁の幹部であるB検察官にも相談すべきかどうかをA弁護士に尋ねました。すると、A弁護士は、B検察官に相談されることに賛成されました。そこで、私はB検察官にも相談することにしました。
 
 数日後、B検察官に査問の対応を相談しました。将来、査問に携わった人間を告訴するためには、どのような証拠を揃えて置くべきかに関するアドバイスも受けました。この相談の時には、私の友人にも臨席してもらいました。
 
エレベーターでの会話
 
 2008年2月24日の正午過ぎに、東京の京王ブラザホテルのロビーで、私は和田氏に会いました。和田氏は「昨日、待ち合わせをしていたのに、なぜ来なかったのか。」と厳しい口調で、私に尋ねました。さらに、「昨日、携帯に連絡したのに何で出ないの。」と言われました。
 
 実は、昨日の夕方に、和田氏から私の携帯に電話がありました。しかし、私が電話に出なかったところ、和田氏はメールを送って来ました。最初のメールは、私を待っているとの内容でした。その後、確か7時前後だったと思いますが、「帰ります。」とのメールが届きました。私は、これらのメールに対しても返事のメールを送りませんでした。
 
 私は、ロビーの周囲に盗聴器が仕掛けられている可能性があると考えました。もし、私が和田氏と事前に打ち合わせをする予定だったことが、付近に潜んでいるかもしてない創価学会員に知られると大変だと考えました。そこで、わざと「そんな連絡していないではないですか。」と答えました。
 
 エレベーターに乗ると、和田氏は険しい顔をしながら「優秀な人間を殺したくない。」と告げました。この発言を聞き、私は背筋がぞっとしました。和田氏が面と向かって、「殺したくない。」と発言するなどということは全く予想もしていなかったからです。査問の直前に、しかも、和田氏と私しかいないエレベーターの中で、このような発言をしたことを訝しく思いました。
 
 私は、査問の結果次第では、本当に殺されるのだと思いました。そこで、私は「殺したくないって何の話ですか。」と尋ねました。すると、和田氏は「あなたの書いたもの。」と発言しました。和田氏は、私の日記のことを言っているのだと思いました。今日、私の家族が来ているのかと質問すると、和田氏は「家族には会えない。」と答えました。
 
山本哲也副会長との出会い
 
  10階でエレベーターを出て、和田氏の指示した部屋に入りました。その部屋は角にあり、会議室のような感じがしました。部屋の中には、山本哲也氏(以下、山本氏と表記。)という創価学会の四国担当の副会長がいました。私は、山本氏が参加した会合に出席したことがあったので、すぐに、山本氏だと分かりました。
 
 私は、なぜ、山本氏がこの部屋にいるのかと尋ねました。すると、山本氏は自身の名前を名乗った後、「和田さんに話を聞いて頂いていると思うんですけれども」と発言しました。そこで、私は、和田氏に「何のことですか。」と尋ねました。
 
 すると、和田氏は「僕も良く分かんないだわ。あなたが書いた日記が、奥さんから外に出たみたいだ。創価学会のトップの方に。四国担当の山本氏も、その日記を読んだらしい。その中に私のことが書いてある。」と言われました。
 
 私は内心では、山本氏は、和田氏が受けた査問の内容を、私に連絡していることを前提にして査問しているのだと確信しました「国立大学の教授が、こんな日記を書いていたということは絶対に許すことができない。全四国と全九州の創価学会員を総動員して、髙倉を反逆者として糾弾する大キャンペーンを行う。徹底的に追い詰めて破綻させる。大学におられないようにしてやる。」との発言と、「高松の学会員は逆上して、髙倉を殺すと言っている。」との発言を、和田さんが私に伝えていることを前提にした発言だと思いました。
 
 さらに、エレベーターの中で、和田氏が、私に「殺したくない。」と告げたことも理解できました。山本氏は、自らは脅迫罪に問われないように細心の注意を払いながら、査問が始まる前に、和田氏に私を脅迫するように指示したのだと直感しました。
 
 そして、山本氏の判断次第では、私は査問直後に拉致され、最悪の場合には殺される可能性があるとの恐怖に駆られました。
 
なぜ、創価学会の会館で調べないのか
 
 私は、和田氏に、妻が「こちらから連絡するまではそっとしておいて欲しい。」とのメールを送信し、突然、帰省したので、私の家族に会わせてくれると思ったので、このホテルに来たのだと述べました。
私は、なぜ家族ではなく、山本氏がここにいるのかと不思議そうな顔をしながら質問しました。さらに、私は「なぜ日記のことをこんな所で話すのですか。信濃町の創価学会の会館で話さないのですか。」と述べました。
 
 すると、山本氏は「公式にしない方がいいと思っている。」と発言しました。さらに、創価学会の会館を利用すると、その記録が本部に残るとも言われました。
 
 この発言を聞き、私は、創価学会本部が組織的に関与していることを、山本氏は隠蔽しようと画策しているのだと思いました。今回の査問には、創価学会本部は全く関与していないという対応ができるようにしているのだと思いました。だからこそ、私の査問を創価学会の会館以外の場所でと述べた和田氏の提案を、創価学会本部が受け入れたのだと思いました。
 
 と同時に、創価学会の会館で査問をすれば、その記録を破棄することも可能なはずなのに、このようなホテルで査問を行えば、その記録を改竄することはできないはずなのに、間が抜けていると思いました。
 
 私は、「日記を読むようにと妻に渡したけれども、それが、どのようになったのかが分からない。」と述べました。そして、「香川大学の教授で、創価学会の学術部員である佐々木信行氏から、17,8時間近くも日記のことで問い質された。」と述べました。そして、なぜ、創価学会の会館で話さないのかと重ねて質問しました。
 
 すると、山本氏は、「和田さんのために、あえて、この場所にしました。」と発言しました。私が「何の話か分からない。」と述べると、山本氏は「何の話か分かって下さい。」と凄みのある声を出しました。この山本氏の発言は、和田氏が私に話をしていることを前提にしているとしか考えられませんでした。私は、巧妙な形で脅迫されているのだと痛感させられました。
 
 私が、重ねて信濃町にある創価学会の会館でと述べると、山本氏は「和田さんの名誉といろんな幹部の名誉もあるから駄目だ。」と発言しました。
 
佐々木氏の発言を紹介
 
 私は、香川大学教授で創価学会学術部員の佐々木氏の発言を紹介しました。佐々木氏から「2007年の12月末頃に、創価学会の四国の最高幹部から呼び出しがあり、日記の内容について査問するようにと依頼された。」と告げられたと述べました。そして、佐々木氏からは、私を調べた際に、もし、妻が日記を届けても、創価学会本部は相手にしないだろうと言われたことを伝えました。また、佐々木氏からは、元公明党の参議院議員の福本潤一氏(以下、福本氏と記述)に手紙を書いたかと聞かれたので、私は福本氏に手紙を書いたことは認めたと述べました。
 
 福本氏は公明党の参議院議員でしたが、2007年6月15日に公明党に離党届を出し、公明党と創価学会の関係を批判しました。すると、同年6月18日に、公明党は党紀違反を理由にして、福本氏を除名処分にしました。それから、福本氏は、創価学会からも除名されました。その後、福本氏は創価学会に対する批判活動を展開されるようになりました。
 
 私は、福本氏に、創価学会の改革に頑張るとの手紙をペンネームで出しました。しかし、内部情報の漏洩などは全く行っていませんでした。
 
映画『聖なる嘘つき』
 
 私は、映画『聖なる嘘つき』のことを話しました。この映画は、第2次世界大戦中に収容所に入れられていたユダヤ人が、周囲の人々に希望を与えるために、ラジオを持っていると嘘をつき、まもなく連合軍がナチスを打倒するという虚偽のニュースを話し続けたというものです。この主人公は公開処刑されたのですが、他のユダヤ人たちは殺される寸前に連合軍によって解放されたという映画です。
 
 実は、息子は小学2年生の時から創価学会のことをおかしいと感じ始め、3年生になって、妻から創価学会の少年部の合唱団に入れられた際に、創価学会は間違っていると確信したそうです。しかし、両親が創価学会の活動に参加しているので、ずっと黙っていたそうです。
 
 ところが、私と妻が創価学会の活動の捉え方に関して対立した結果、私の息子は、父親が創価学会に疑問を持っていることを知り、父親と協力して、母親を創価学会池田カルト一派の宗教的呪縛から解放したいと願うようになりました。その結果、創価学会の活動を強要する母親との対応に疲れ、とても神経質になってしまいました。
 
 そこで、私は映画『聖なる嘘つき』をヒントにして、息子のストレスを発散させるために、創価学会に反対している活動をしている振りをしたと説明しました。
 
日記を渡した目的
 
 それから、私が妻に日記を渡した目的は、妻が自分の頭で創価学会のことを考えるようにとのつもりだったと述べました。妻は、私に対して「池田先生に対する忘恩が許せないから離婚する」と発言して以来、私に創価学会の活動を強要していました。創価学会のことについて話し合う余地は全くないばかりか、池田大作創価学会名誉会長を批判することは絶対に許さないという態度を取り続けていました。
 
 しかも、週刊誌に書かれていることは全部嘘であるという創価学会の指導を信じ込んでいました。2007年2月6日に、創価学会に関する批判が週刊誌に掲載されていたと妻に伝えたことがあります。すると、妻は軽蔑した口調で「週刊誌を読むの」と尋ねました。そこで、私が「読んだ上で正しい判断をすることが大事なのに、創価学会が、最初から週刊誌を読むなと指導していることは間違っている。」と述べました。しかし、妻には全く通じませんでした。
 
 さらに、創価学会池田カルト一派は、週刊誌などの報道の一部の誤りを徹底的に糾弾し、他の部分までも全部嘘であると信じ込ませる手法を採用しています。インターネットについては、虚偽だから絶対に読むなという指導をしています。聖教新聞に、以下のような記事が掲載されたことがありました。
 
 「なかには、インターネットを使って、学会をデマで中傷をする連中もいる。」「正面きって学会に物を言えない。そんな勇気も確信も根性もないものだから、こそこそとインターネットに書き込む。」「ご苦労、ご苦労(大笑い)。それで何か自分が大きなことでもやった気になっている。おめでたいやつらだよ(爆笑)。『まともな人間じゃない』んだ(笑い)。」「そういうのに限って、真夜中や真っ昼間に、パソコンにかじりついて他人の悪口を書いている。通常の社会生活を営んでいたら、そんなヒマなんかあるわけがない(大笑い)。」
 
 このような教育を徹底された結果、妻は週刊誌という言葉を聞いただけで顔がゆがみました。そこで、日記には、私自身の考えや週刊誌などに書いてあった事柄を、いろんな人が発言したかのように書いたと述べました。
 
査問の目的の説明
 
 私は、かつて、和田氏とは家族全員で会ったことがあると述べました。すると山本氏は、目を輝かせながら「会ったんですね。」と確認しました。そして、山本氏は、新宿での査問の目的を説明し始めました。
 
 山本氏は「高松の幹部は苦しんでいるんだ。そして、いろんな動きをしている。今日のことは、高橋慎吾四国長、松下婦人部長、松下県長は知っている。髙倉さんも一成君(私の長男で当時小学6年生)も非常に厳しい状況に置かれている。」と言いました。そして、あえて非公式にしているとも言いました。
 
 この発言を聞き、創価学会本部は、四国の幹部と連絡を取っているのだと確信しました。佐々木氏が私を査問した際に名前を挙げた幹部と、山本氏が述べた幹部の名前が一致したからです。
 
 さらに、山本氏が、私ばかりか息子の名前まで挙げ、「非常に厳しい状況に置かれている。」と述べたので、私は驚愕しました。妻が子ども達を小倉に連れ去ってから、私には、息子からも娘からも全く連絡がありませんでした。おそらく息子は、厳しく追及されているに違いないと感じました。
 
 それだけに、山本氏の発言で、私は肝を冷やしました。山本氏は、息子のことを話題にすれば、私が大変なショックを受けることを計算し尽くした上で、このような発言をしたのだと考えたからです。これほどの陰湿な脅迫はないと感じました。
 
山本氏の卑劣極まる脅迫
 
 私は、佐々木氏の発言を再度紹介しました。佐々木氏は、創価学会の幹部が、私の日記を読むはずはないと述べていたからです。
 
 すると、山本氏は「そんなのは関係がない。」と、私を大きな声で一喝しました。そして、強い口調で「そちらのお母さんも噛んでいる。」と述べました。
 
 まさか、私の継母のことまで話題になるとは考えてもいませんでした。鹿児島に一人で住んでいる継母は、創価学会員ではありません。継母は、突然、私の妻が子ども達を小倉に連れ去ってしまったことを大変心配していました。創価学会員ではない継母にまでも、何らかの危害を加えようと考えているのだと思うと、絶望的な気持ちになりました。卑劣極まりない脅迫だと思いました。
 
 山本氏は、私の心の動揺を見透かすかのように、和田氏に対して「真意も含めて聞かないとえらいことになりますよ。」と畳みかけるように発言しました。
 
 「えらいことになる」という言葉は、和田氏が事前に私に伝えていた殺害予告のことをほのめかしたのだろうと思いました。継母のことに言及した直後に、このような言葉を発し、山本氏は言質を取られないような形で、私を脅したのです。直接殺すと告げる以上に、恐怖と絶望を与えるやり方だと感じました。
 
 そこで、私は、再度、創価学会の会館で話し合いたいと述べました。しかし、山本氏は「和田さんの名誉と日記に出て来るいろんな幹部の名誉もあるから駄目だ。」と断言しました。さらに、山本氏は「会館であれば、喜んで四国の幹部が来る。」と発言しました。四国の幹部が何をするか分からないぞとの口振りでした。
 
 私が「四国の幹部に日記のことで迷惑を掛けているのであれば、四国の幹部に対して正々堂々と話したいので会館に行こう。」と述べました。
 
 しかし、山本氏は全く応じようとはしませんでした。山本氏は、私が会館に向かう途中で逃げ出すのではないかと危惧したのではないかと思います。私は、これ以上会館に行くことに固執すると、かえって危険な事態が生じるかもしれないと判断しました。そこで、会館に行くことは断念して、「この部屋で結構です。」と発言しました。
 
日記に書いた和田氏の発言
 
 山本氏は、日記の内容について質問し始めました。和田氏が本当に発言したかどうかを確認すると述べました。
 
 私が、和田氏の発言として日記に書いたのは、池田名誉会長に関する事柄や創価学会の問題点、さらに、日本の政治の在り方など、多彩な内容でした。以下の「」内の発言は、すべて和田氏が私に語られたことです。
 
 「本部職員となって3ヶ月目に、新入職員の代表として池田氏と二人だけで2時間近く懇談した。その時に、創価学会の問題点などを話した。すると、全く回答がなく、池田氏は黙って聞いているだけだった。そして最後に一言、『もし戸田先生だったら、君に何と言われただろうか。』と告げられた。
 
 この発言を聞いて、池田氏は自分というものが何もない空虚な人間だと思った。この時点で、池田氏の本質を見抜いた。」
 
 「国際部に所属していた時に、何度も、池田名誉会長が外国の要人と会見する席に参加した経験がある。池田氏は、海外の要人に対して、家族のことや、今度生まれ変わるとすればどんな存在として生まれたいか等を質問する。すると、相手は池田氏の雰囲気に呑まれてしまう。そして、海外の要人が池田氏に何か質問をすると、池田氏本人は答えずに、周囲に待機している創価学会の幹部に回答させる。自分も、何度か池田氏に代わって答えたことである。
 
 すると、池田氏は、自分は分かっているけれども、あえて側近の幹部に回答させたという素振りをする。側近が要人の質問に答えると、さも池田氏本人が考えていることを、わざわざ代わりに答えさせたという態度を取る。」
 
 「池田名誉会長には、創価学会ドクター部に所属している大勢の医師が主治医となっている。池田氏は140歳まで生きるつもりであり、健康そのものだ。」
 
 「池田名誉会長の生活費は、第一庶務(池田氏の秘書集団)の経費などを含めると、年間400億円近くになる。これだけの額が、たった一人のために使われている。」
 
 「人間は有限な存在で未完成の存在であり、どんな行動をしても、必ず後悔する存在である。だからこそ、人間に絶対性を求めるのではなく、法を求めるのだ。個人崇拝は、仏法とは全く相反するものだ。人間は法の下に平等な存在であり、信者を階級化することは絶対に許されない。本来、精神的な価値は見えないものだ。見えないにもかかわらず、信者に序列をつけること自体が間違いである。
 
 妻帯せずに、一切捨てる物がない聖職者のみが人間の魂に触れることができる。仏の行為とは、代償を求めずに、隠れた善行を実践するように働きかけることであり、勝利に勝る敗北の人生を選び取ることだ。」
 
 「創価学会には、日蓮論も、本尊論も、教団論のいずれもない。」
「日本や海外で大事件が起きた時に、どのように報道するかという視点から聖教新聞を読む。このような視点を持つと、聖教新聞社には、いかに人材がいないかが良く分かる。」
 
 「本部職員が、創価学会の改革のために立ち上がることはない。」
 
 「日本全国の創価学会員の家庭では、財務(創価学会に対する寄付)の金額をめぐって、夫と妻が対立している。」
 
 「家庭不和を起している財務で集められたお金は、広宣流布(仏法を世界中に広めること)とは、全く関係のない池田大作名誉会長の自己顕示のために使われている。」
 
 「髙倉さんのところは、子どもが問題の本質を理解していることと、比較的経済的に豊かな方だから救われている。ほとんどの創価学会員の家庭では、子どもは学会活動に熱心な母親の側に立っている。」
 
 「日本の政治は、有権者と政治家の複合汚染だ。しっかりした判断力を持つ有権者が育っていないが故に、公明党のような政党に投票するのだ。」
 
 「現在の日本の混迷を生み出している責任は、創価学会にある。」
 
和田氏の発言かどうかの確認
 
 山本氏は、日記の中の「男は手駒、女は手篭め」という表現が和田氏の発言であると断定しました。このような表現は、和田氏の口癖と一致していると言われました。そして、日記の中に書いてある和田氏の発言は、すべて和田氏本人の発言であり、私が創作したものではないだろうと詰問しました。
 
 本当は、山本氏が「男は手駒、女は手篭め」という表現は和田氏の発言であるとの指摘は正しいものでした。私が日記に和田氏の発言として書いた事柄は、すべて和田氏が語ったことです。
 
 しかし、私は、これらの発言は何かの本に書いてあったものだと述べ、和田氏の発言ではないと否定しました。私は、和田氏のことを守り抜かねばならないと必死でした。
 
 すると、山本氏は、和田氏の発言として書いてあることは全部嘘かと確認しました。そこで、私は、一部は本当であると肯定し、日蓮論や教団論などは本当だと述べました。しかし、それ以外は、週刊誌などに掲載されていたことだと述べました。
 
 ところが、山本氏は、和田氏の名前が記されているのはなぜかと、険しい表情で追及しました。
 
 さらに、山本氏は、私の妻が「和田氏や野崎至亮氏(元創価学会副教学部長、以下野崎氏と記述)氏などの4人によって、夫の信心がおかしくなった。」と言っていると告げました。妻は、「この4人のせいで、夫と息子の信心がおかしくなり、夫は、創価学会は悪の巣窟であり、池田名誉会長はカルトの頭目であると述べるようになった。」と述べていると、山本氏は発言しました。
 
 この山本氏の発言を聞いて、私は、学会本部の管理下に妻が置かれているのだと思い、とても不安になりました。
 
 さらに、山本氏は、「日記を一冊しか読んでいないけれども、その内容は出版すればセンセーショナルなものでリアリティーのある内容だ。」と発言しました。
 
 この発言に対して、私は、日記は小説として書いたものだと述べました。私が和田氏と電話で打ち合わせをした際に、和田氏から「日記の内容はすべて創作したものであり、事実ではではないということにしなければならない。」と言われていたからです。
 
 私は、大学院の時代に、先輩から論文だけではなく小説も書くようにと言われたので、小説を書く勉強をしていたと述べました。私は、和田氏に危険が及ばないようにと、日記の内容は創作であると言い張りました。
 
話題を変える
 
 私は、何とかして話題を変えようと思いました。そこで、池田大作名誉会長との出会いや、創価学会の副会長である佐藤政春氏(以下、佐藤氏と記述)と田村隆雄氏(以下、田村氏と記述)のことを話しました。
 
 まず、池田名誉会長については、私にダイレクトに御本尊(信仰の対象としての曼荼羅のこと)のことを教えて下さった方だと述べました。それから、九州大学出身の本部職員で、当時九州男子部長だった田村氏と、創価学会本部から九州の創価学会青年部担当の最高幹部として派遣された佐藤氏との出会いを話しました。その内容は、以下のようなものでした。
 
 私は、佐藤氏から「創価学会は平和と文化と教育の団体であるとの看板を掲げているものの、その中身が明確ではないので、その内容を考えるように」と言われ、さらに、「将来必ず宗教連合という時代が来るので、その時に備えて宗教連合が可能となるような理論を考えるように」と言われため、とても悩みました。
 
 私は、自分自身の変革を願って日蓮正宗に入信し、創価学会で活動するようになりました。社会変革を願って入会したのではありませんでした。しかも、宗教連合という発想は、他の宗教を邪宗だと批判する日蓮大聖人の教えに反するものだと考えたからです。佐藤氏の発言は、私にとっては驚き以外の何物でもありませんでした。
 
 ちょうどこの頃、中国を訪問していた池田会長(当時、池田氏は会長でした)が福岡に立ち寄ることがありました。その時、九州大学の学生部に所属していた会員には、池田会長が出席する会合に参加するようにとの連絡がありました。
 
 私は、この会合に勇んで駆け付けました。そして、会合終了後、池田会長に「先生、先生に指導を受けたいことがあります。」と呼び掛けました。すると、池田会長は私の方を振り向いて、「そんなことは自分で解決しろ。」と言われました。
 
 その瞬間、確かに、社会の変革を目指して行動するかどうかということは自分自身で決めることだと閃きました。しかし、宗教連合のことに関しては、何としても池田会長の指導を受けたいと思いました。そこで、池田会長が移動された後を追い続けましたが、結局、指導を受けることはできませんでした。
 
 この日自宅に戻って、夜の勤行をしようと仏壇の前に座った瞬間に、「そんなことは自分で解決しろ。」という池田会長の指導は、私自身が御本尊を受持しているということを教えて下さったものだと思いました。御本尊に唱目を上げるならば、自分自身で問題を解決できるのだということを指導されたのだと感じたのです。いわば、信仰の核心を示されたのだと思いました。
 
 このように、池田会長の発言を捉えた結果、私は、ますます、創価学会の活動に熱心に取り組むようになりました。本当に無我夢中でした。
 
 ところが、野崎氏との出会いで、池田会長の発言は誤魔化しであったということが分かりました。野崎氏によれば、池田氏は、相手が自分では答えられない質問をしようとしていると感じると、先手を打って、「自分で解決しろ。」という言葉を連発するとのことでした。この言葉で、相手を誤魔化すのだと言われました。
 
日記を書いた理由
 
 山本氏は、佐藤氏と田村氏のことは知らないと否定しました。しかし、これは真っ赤な嘘だと思いました。特に、田村氏については、山本氏自身が、この後で「田村九州長の奥さんが、あなたに電話をして来ましたね。」と発言しました。田村九州長とは、創価学会副会長の田村隆雄氏のことです。
 
 私は、山本氏が平然と嘘をつくのに呆れました。そして、山本氏が、佐々木氏のことを知らないと発言していたことも嘘だと思いました。少なくとも、山本氏は、四国の最高幹部から佐々木氏のことを聞いていたに違いないと考えました。
 
 それから、私は、池田大作名誉会長のことについては、期待があるからこそ、日記には批判的に書いたのだと説明しました。
 
 この発言に対して、山本氏は「方法論を間違えましたね。」と述べました。さらに、和田氏から、なぜ、こんなことをしたのかと問われました。そこで、私は、日記を書いた理由を夫婦げんかのストレス発散のためだと述べました。
 
 すると、山本氏が「和田さんの質問に答えていない。」と大声を上げました。和田氏は、重ねて、なぜ日記を書いたのかと尋ねました。和田氏は「この日記で、誰も幸せになっていない。あなたは学会からも迫られた。」と言われました。和田氏の「学会からも迫られた。」との発言には、とても凄みがありました。
 
 私は、「日記を渡した理由は、妻が、日記を読んで、宗教のことで争うことはおかしいということに気がついて欲しかったからです。」と述べました。この発言に対して、山本氏は「奥さんは、日記の中にあなたの本音が書いてあり、しかも、その本音には、関わった人が多くいたと話している。」と述べました。さらに、山本氏は「池田先生の崇高な精神を分かっているか。」と問いました。
 
 私は、和田氏が日記を書くこと自体までも問題にしたことと、山本氏の「池田先生の崇高な精神」との発言に、内心では呆然としました。和田氏の発言は、人間の精神までも支配しようとしていることを意味するのではないかと思いました。また、山本氏が、発言と実際の行動が矛盾している池田氏のことを尊崇していることに驚きました。
 
 しかしながら、そんな素振りを見せると危ないと思いました。私は、佐々木氏から厳しい査問を受けた結果、池田名誉会長のことを尊敬するようになったと答えるとともに、佐々木氏の発言を紹介しました。佐々木氏は、四国の最高幹部である喜多青年部長が、私のことを創価学会の改革を一生懸命考えている人であると発言したと述べました。
 
                            つづく
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  6月1日付けで、被告佐々木信行氏の訴訟代理人から、被告佐々木準備書面(1)が送られて参りました。裁判所からは、電話会議システムでの裁判期日(6月4日午後4時)の一週間前までに提出するようにと求められていたそうです。
 
 この準備書面については、私の陳述書の連載が終了したらご紹介致します。佐々木氏は、私を「査問」したのではなく「激励」したとのことです。期日遅れで、なぜ、この程度の内容の準備書面を提出されたのでしょうか。私も生田先生も訝しんでいます。
 
 次回の裁判は、7月23日(月)午後1時30分から電話会議システムで行われます。
 
 以下、和田氏に関する陳述書を掲載させて頂きます。この文書は、和田氏からの電話を、私が記録したメモに基づいて作成したものです。
 
             記
 
陳述書 創価学会本部での和田氏に対する査問
 
               平成23年8月28日
                         髙倉良一
和田公雄氏からの電話
 
   2008年2月12日の午後、和田公雄氏(以下、和田氏と表記)から電話がありました。創価学会会長原田稔氏の名代と称する人物から、今度の金曜日に創価学会本部に出頭するようにとの連絡があったと言われました。その際、名代と称する人物は、和田氏に対して、私の日記のことで取り調べたいことがあると告げたとのことでした。
 
  和田氏は、創価学会本部は、自分の交友関係などを詳細に調査し情報の収集が終わったので、いよいよ和田氏本人を査問することにしたのだと言われました。和田氏は、このところ、ずっと尾行がついていたとも言われました。その声は、とても興奮されていました。
 
  創価学会本部は、私の日記の内容を徹底的に分析しているとも言われました。大がかりなプロジェクト・チームを結成し、毎日、私の日記の内容を検討していると言われました。
 
  しかし、自分は、日記の内容を全く知らないので、どんなことを書いていたのかを教えて欲しいと頼まれました。そこで、私は、日記の中で、和田氏に言及している箇所を全部読み上げて聞いてもらいました。
 
  すると、和田氏は、日記の中で和田氏の発言として書いた事柄は、「髙倉さんが全て創作した内容で、自分の発言ではない。そんなことを発言したことはないので迷惑千万だ。」と述べると言われました。
 
  しかし、日記の記述を全部否定すると、逆に、疑惑を招くので適当に話してもらうように依頼しました。そして、私と連絡を取り合っていたかという点については、「家庭の問題で、時々相談に応じていた。」という発言をするようにと頼みました。
 
  すると、和田氏は、書いた本人の了解もなしに、なぜ、個人の日記を資料として査問するのかを問題にすると言われました。そこで、和田氏には、私の日記の入手経路を聞いてもらうようにお願いしました。
 
  和田氏は、今回の査問の目的は、私の背後には和田氏がおり、和田氏の影響で、私が創価学会批判をするようになったことを確認し、和田氏と関係がある創価学会員を全て摘発することを目的としているのだろうと言われました。
 
  私は、香川大学教授で創価学会の学術部員である佐々木から査問を受けた際に、「四国の創価学会の幹部は、髙倉さんを白と認定した」と言われたと述べました。すると、私を追い詰めると、「窮鼠、猫を噛む」という結果になるので、今のところは静観することにしたのだろうと、和田氏は言われました。
 
殺害するとの予測
 
  和田氏は、「将来、髙倉さんが忘れた頃に、創価学会とは直接の因果関係が分からない者に、髙倉さんを殺させる工作をするはずだ。本体(池田大作創価学会名誉会長のことを意味する言葉)は、自分を批判した者は絶対に許さない。目と目を合わせた上で、すっ飛んで行って、相手を殺害するような人間が、創価学会本部には大勢いる。本体の取り巻きは、髙倉さんとその家族がバラバラになることを面白がっている。誰も、髙倉さんの家族の将来のことなど考えていない。」と言われました。
 
  和田氏の電話で、私の日記が学会本部にまで届けられていることを知った瞬間は、妻と離婚しようかと思いました。そう伝えると、和田氏は、「奥さんは無明(仏法用語で、真理を悟ることができない状態を意味する)なのだから」と言われ、「この問題で、家族がバラバラにされないことが勝利だ。」とも言われました。この和田氏の発言で、私は妻とは離婚しないとの覚悟が定まりました。
 
  私が、「今年の初めに、池田カルトと関わることが馬鹿馬鹿しくなった。」と述べると、和田氏は、「学会の方が、髙倉さんを絶対に放置しない。」し、さらに、「学会を改革しようとしている人間が、根こそぎ摘発されると暗黒時代が続く。」と言われました。
 
  和田氏からの電話の内容に、私は、大変驚きました。特に、私が忘れた頃に、創価学会本部の意向を受けた者が、私を密かに殺害するに違いないと断言されたので、大変なショックを受けました。この日は一睡もできませんでした。そして、翌日は、食事が全く咽喉を通りませんでした。
 
佐々木氏の再度の査問
 
  2月13日の午後4時過ぎに、佐々木氏から「昨日、四国の最高幹部である総県長から、髙倉さんの動向に変化がないかとの電話があった。変化はないとの返事をしたが、これから話したい。」との電話がありました。私が「予定があるので。」と断ると、佐々木氏からは「明日、話したい。」と言われました。
 
  もしもこの依頼を断ると、佐々木氏からどんな報告がなされるか分からないとの恐怖に駆られました。そこで、やむなく応じることにしました。
 
  翌日の14日、私は、佐々木氏から、約2時間に及ぶ査問を受けていました。その内容は、四国の最高幹部が、私に、創価学会に反対する活動を行っている東京在住の学会員のグループについての情報を提供して欲しいと望んでいるというものでした。私は、そのような活動をしているグループのことは何も知らないと答えました。
 
  私が情報を漏らしていると査問していたにも関わらず、今度は、東京在住のグループの情報を提供して欲しいとの申し出に驚愕しました。そして、創価学会池田カルト一派は、何を考えているのか分からないと戦慄が走りました。
 
和田氏の受けた査問の概要
 
  2月14日の夜遅くに、和田氏から電話が架かって来ました。和田氏は、その日の午後6時に創価学会本部に呼び出され、午後11時20分頃まで大勢の学会幹部達によって徹底的な査問を受けたとのことでした。
 
  和田氏の電話の内容を要約すると、創価学会本部の幹部達は、私を創価学会の内部情報を漏らした反逆者であると断定したとのことでした。そして、青年部の機関紙である創価新報に、私の日記を掲載し、私を仏敵として糾弾する大キャンペーンを行うと告げたとのことでした。さらに、高松の創価学会員達が私を殺すと言っているというものでした。
 
  以下、和田氏からの電話の内容をメモしたカードと、当時の記憶を手掛かりにしながら、和田氏からの電話の内容を再現します。
 
反逆者として糾弾する
 
  まず、和田氏は、つぎのように言われたそうです。
 
  「髙倉の日記に書いてある内容については、創価学会本部は髙倉を告訴する。四国創価学会の情報を、髙倉が週刊誌にリークしたのは間違いない。情報をリークした人間たちの顔ぶれは全部分かっている。元参議院議員の福本潤一が、民主党に情報を提供している。お前達のことは分かっている。」
 
  この幹部の発言に対して、和田氏はこう述べたそうです。
 
  「俺は、髙倉が日記を書いていたということなど知らない。日記の内容に関しても、全く関知していない。もし、個人の日記が学会本部に届けられたとしても、この日記はプライバシーに関わるものだから、学会本部ではお受けできませんのでお返しますというのが筋だ。それを、日記を受け取ったばかりか、日記の内容を分析して、日記の中に書いてあった人間を呼び出すなどということは、前代未聞の大変な人権侵害だ。こんなことは、戦前の特高警察ですらやらなかったことだ。」
 
  この和田氏の発言に対して、幹部達は「いずれにしても、この日記に書かれていることは創価学会に対する裏切りだ。日記の内容を創価新報に掲載する。国立大学の教授が、こんな日記を書いていたということは絶対に許すことができない。全四国と全九州の創価学会員を総動員して、髙倉を反逆者として糾弾する大キャンペーンを行う。徹底的に追い詰めて破綻させる。大学におられないようにしてやる。」と述べたとのことです。
 
和田氏の反論
 
  この幹部の発言に対して、和田氏は、以下のように反論したと言われました。
 
  「四国の創価学会の会館の中で、どんな話がなされたのかを社会に明らかにできないということ自体がおかしい。
 
  宗教団体の会館の中で、池田先生に喜んで頂くためにとか、選挙活動は功徳があるからと、公明党の候補に投票を呼び掛けているばかりか、民主党は仏敵だと演説していること自体が間違っている。
 
  世間に対して公表できないような活動をしていたこと自体が大問題だ。健全な市民社会の常識に反する活動をしていることがおかしなことだ。
 
  もし、髙倉教授を反逆者として糾弾するのであれば、世間の人々は皆、髙倉教授の側に付くはずだ。おかしなことをしているのは創価学会の方だ。こんな人権侵害が許されるはずがない。
 
  個人の日記の内容を、書いた本人の了解もなしに分析することなど絶対に許されない。その上、日記に書かれている人物を尾行調査し、本部に呼び出して査問することなどは、もの凄い人権侵害だ。犯罪だ。もし、髙倉教授を糾弾するキャンペーンを新聞でしたら、創価学会員は半減するぞ。」
 
髙倉を破綻させるとの発言
 
  すると、幹部は、和田氏に対してこう言い放ったそうです。
 
  「たとえ創価学会員が3分の1に減ったとしても構わない。言う通りにしなければ、髙倉を裏切り者として徹底的に叩いて追い詰める。自殺するように追い込んでやる。髙倉は絶対に許すことができない。こんな人間が、国立大学の教授であっていいはずがない。大学でスキャンダルをでっち上げることなど、簡単にできるんだ。血祭りにしてやる。和田、お前も良く知っているだろう。創価学会を批判した人間達を口封じしてきたやり方を。殺すことなんか簡単なんだ。」
 
  この幹部の常軌を逸した発言に驚いた和田氏が「それだけは止めてくれ。」と述べると、この幹部から「和田、お前は、なぜ、そんなに髙倉を庇うんだ。もし、髙倉と連携していないのであれば、お前は髙倉を庇う必要はないだろう。」と追及されたそうです。
 
  これに対しては、和田氏は「髙倉は鹿児島の人間だ。追い詰めると、何をするか分からない。正義感がとても強い男だ。」と述べたそうです。
 
  すると、この幹部は、「和田、お前が黒幕だろう」と追及し、さらに、「野崎(元創価学会副教学部長)と友岡(聖教新聞の記者)も髙倉の黒幕だ。お前達が髙倉にやらせたことは分かっている。」と発言したそうです。
 
  そこで、和田氏は「反創価学会の活動は一切やっていない。髙倉の日記は、本人が創作して書いたものだ。私と髙倉の間には何もない。創価学会の情報をリークしたことなど一度もない。」と発言しました。
 
和田、お前が処理しろとの発言
 
  すると、取り調べをした幹部は「はっきり言え。お前たちは福本とどういう関係だ。髙倉は香川大学の教授だ。福本は元愛媛大学の助教授だ。髙倉には、創価学会に敵対する行動は一切やりませんと一筆書いてもらう。和田、お前が髙倉に書かせろ。お前が全責任を取れ。髙倉が、創価学会本部を脅迫罪で訴えることができないように、お前が詫び状を書かせるんだ。学会本部が表に出ない形にして、一切を処理するんだ。
 
  和田、お前が全貌を明らかにするのであれば、髙倉は許してやる。そして、和田、お前が、今後は創価学会に敵対する行動は一切やりませんと髙倉に一筆書かせろ。
 
  そうでなければ、全四国と全九州の創価学会員を総動員して、池田先生に対する師敵対として、髙倉を徹底的に糾弾してやる。髙倉が自殺するように追い込んでやる。」と述べたとのことです。
 
  この発言に対して、和田氏は、「俺も髙倉もそんな活動はしていない。俺に免じて髙倉を許してくれ。」と述べたそうです。
 
徹底して叩く
 
  和田氏を査問した幹部は、「和田、髙倉がやっていないかどうかを証明しろ。髙倉には疑惑がある。高松の地区部長会での話が、元参議院議員福本に流れている。高松の創価学会では大騒動になっている。髙倉の背後には野崎と友岡もいるはずだ。お前達の人間関係は全部分かっているんだ。竹入(元公明党委員長)や矢野(元公明党委員長)よりも徹底して叩いてやる。和田、お前も責任を取れ。髙倉には絶対に連絡するな。連絡して髙倉と口裏を合わせるなよ。
 
  髙倉の女房からは、九州にいる母親を通して、日記が九州の最高幹部の田村(田村隆雄創価学会副会長)に渡った。そして、田村から四国の幹部に日記が届けられ、それが学会本部に届けられたんだ。
 
  髙倉の奥さんからは、まだ動かないで欲しいという連絡があった。髙倉の女房からOKが出たら、髙倉を徹底的にやる。人間として存在できないようにしてやる。」と言われたとのことです。
 
  この発言に対して、和田氏は再び、「髙倉の日記のことは何も知らない。チンプンカンプンだ。こんなことをすること自体が大変な人権侵害だ。こんなことが世間に明らかになったら、創価学会は大変なことになるぞ。」と反論されたそうです。
 
  しかし、幹部達は、この反論に全く耳を傾けることなく、髙倉の命を救いたかったら土下座しろと告げたそうです。さらに、「お前の責任で処理しろ。髙倉を東京に呼び出せ。」と怒鳴り付けたとのことです。
 
髙倉を殺すとの発言
 
  和田氏は根負けして「呼び出すのであれば学会本部ではなくて、どこかのホテルにして欲しい。そして、調べるのは二人か三人にして欲しい。今、俺を調べているようなヤクザみたいな男達が取っ替え引っ替え出て来て、取り調べるのだけは勘弁して欲しい。どうか説得力のある紳士的な幹部に、査問を担当させて欲しい。」と言われたそうです。
 
  すると、学会幹部は、「高松の学会員は逆上して、髙倉を殺すと言っている。一応は止めるけれども、彼らはいつ暴発するか分からない。高松の学会員が暴れ出したら、こちらも創価新報で大キャンペーンを張る。和田、お前は甘いんだよ。髙倉と女房の間には確執がある。九州と四国と東京で連携して、反創価学会の活動をしていたんだろう。和田、お前がその活動の発火点だ。」と断定したとのことです。
 
  この発言に対して、和田氏は「それは誤解だ。連携していない。反創価学会の活動などとしていない。俺は、これまで一度も学会の情報を外に漏らしたことはない。いつも、正々堂々と執行部に意見をして来ただけだ。俺が、内部情報をリークするはずがない。俺は、創価学会を守る側の人間だ。そんなことは、お前たちも良く分かっているはずだ。」と述べると、幹部はこう言ったそうです。
 
  「髙倉は内部情報を漏らしたんだ。髙倉の息子は違うことを言っている。父親に騙されたと言っている。今、息子は本心に戻って正しいことを言っているんだ。
 
  髙倉の人生は終わりだ。髙倉は池田先生に反逆した師敵対だ。創価新報で、髙倉を糾弾する大キャンペーンをする。髙倉の日記は、学会本部では大問題になっているんだ。髙倉には野崎もつるんでいるんだ。
 
  髙倉の女房は、和田と野崎が旦那をおかしくしたと言っている。女房は正義感が強い。髙倉の女房はしっかりと題目を上げている。女房は、髙倉は和田に嵌められたと言っている。
 
  黒幕は、和田お前だ。お前に責任があるんだ。和田、早急に髙倉を呼び出せ。」
 
和田氏との対話の内容
 
  その後、幹部達から、和田氏と私がどんなことを話していたかを追求されたので、主として哲学と倫理の問題について話し合っていたと言われたそうです。さらに、少年非行や教員養成学部の問題点や、これまで読んだことのある本の内容を話題としていたと言われたとのことです。
 
  そして、和田氏と私の対話の中では、「池田先生のことが話題になったことは一度もない。」と発言されたそうです。
 
  すると、幹部は、「日記の中には、お前との話の内容が克明に書かれている。聖教新聞の友岡の発言も書いてある。友岡に確認したが、その内容については友岡の発言と一致した。日記に書いてある和田の発言も本当だろう。」と述べたそうです。
 
  この追求に対して、和田氏は、「日記は、髙倉個人の考えを主観的に書いたものだ。俺の発言という部分は、俺が言ったことではない。髙倉の創作だ。」と反論されたそうです。
 
  この反論に対して、取り調べた幹部は、「髙倉の日記には、野崎の思想や学会の組織に関する情報も克明に書いてある。学会本部に就職した直後のお前の発言も書いてある。」と述べたそうです。
 
  この発言に対して、和田氏は、創価学会のことを部外者に話したことはないと強く否定されたとのことです。そして、こんな取り調べを  する幹部達のやり方は汚いと批判し、こんなことをすること自体、現在の日本では絶対に許されないことだとも述べたそうです。
 
  すると、幹部は、「周りの状況証拠からは、髙倉が情報を漏らしたことは明白だ。四国の学会幹部達も髙倉のことを信用していない。四国の幹部達は、髙倉を昔からマークしていたんだ。」と述べたそうです。
 
和田氏の反駁
 
  このように言われた和田氏は、以下のように、学会の幹部達を徹底的に批判したとのことです。
 
  「お前達のやっていることは、社会的には絶対に許されない犯罪だ。人権侵害だ。もし、髙倉の女房をけしかけて離婚裁判を起こしたら、髙倉は必ず、お前達学会の幹部から殺すと脅迫されたことを裁判で明らかにするはずだ。そうなったら、困るのは創価学会の方だ。
 
  個人の日記を、本人の承諾もないのに勝手にコピーして回覧したばかりか、その内容を分析して日記に書かれていた人間を呼び出して取り調べるなどということは、とんでもない人権侵害だ。創価学会の最高幹部達が、こんなことをやったということが明らかになれば、社会で大問題となるぞ。
 
  創価学会に批判的な日記を書いたことを理由にして、髙倉の家族を分断して破壊しようとすることなど絶対に許されない。お前達は大変な仏罰を受けるはずだ。創価学会は、ファシズム以上の犯罪者集団だ。」
 
  この反論に対して、幹部達は和田氏を、「髙倉と関係していないのであれば、なぜ、そんなに髙倉を庇うんだ。」と、再び大声で責め立てたそうです。そして、高松の学会員達が私を殺すと言っていることを繰り返し述べたそうです。
 
和田氏の土下座
 
  和田氏は、かつて、私の継母、妻、息子、娘と会ったことがあります。「髙倉を殺す。」と責め立てられている最中に、その時のことが脳裏に浮かんだそうです。そして、あの家族を破壊するようなことだけは何としても防がなければならないと思われたそうです。
 
  そこで、和田氏は、「髙倉を許して欲しい。」と再び発言されたとのことです。すると幹部達は、和田氏に再び土下座しろと要求したので、遂に和田氏は土下座されたそうです。和田氏は、私に、土下座したのは生まれて初めてのことだったと言われました。
 
  土下座した和田氏に対して、幹部達は、「お前の責任で髙倉が情報をリークしたかどうかを調べろ。そして髙倉が誰とつながっているかを明らかにしろ。髙倉には、やったことはやったと言わせろ。そして、今後は一切致しませんと言わせろ。そうしたら、この問題は完全に収めてやる。学会本部から、四国と九州に、学会員を暴徒化させないようにとの指示を出す。
 
  和田、お前の責任でケジメをつけろ。絶対に、学会本部が責任を問われるようなことは言うなよ。お前にも家族がいるだろう。生活があるだろう。お前の女房は本部職員だっただろう。お前の責任で、全部処理するんだ。絶対に、池田先生の名前を出すなよ。お前だって、ちゃんと、やり方は分かっているはずだ。髙倉を上手に処理するんだ。
 
  もし、お前が失敗したら、その時はその時だ。会員は、池田先生のことを信じているんだ。純粋なんだ。池田先生が仏敵だと言われたら、絶対に信じるんだ。もし、和田、お前が、ケジメをつけられなかったら、損得抜きでなりふり構わずに髙倉を攻撃する。髙倉とつながっている人間達も含めて全滅させてやる。学会員が半減したとしても、必ず総攻撃をしてやるからな。髙倉を殺すからな。」と告げたそうです。
 
創価学会による脅迫
 
  以上の内容は全て、和田氏が私に電話で伝えたものです。和田氏は、創価学会本部で約5時間半近くも査問され、とても疲れたので自宅に戻らずに学会本部近くのホテルに宿泊することにしたそうです。そして、このホテルの部屋から、和田氏は、学会幹部たちの取り調べの内容を携帯電話で克明に知らせてくれたのです。
 
  矢野元公明党委員長は、学会本部に呼び出されて取り調べを受けた際に、幹部達から土下座しろと言われたとのことです。家族を殺すということも仄めかされたとも証言されています。
 
  福本潤一元参議院議員も、学会幹部から、「殺しもあるからな。」と言われたと、その著書の中で証言しています。
 
  この二人に対してなされたのと同様の発言が、和田氏になされたのです。土下座を要求し、かつ、殺すとの発言は、学会幹部達が査問する時の常套文句ではないかと思います。
 
  和田氏の取り調べを行った幹部達は、和田氏が、私にその内容を伝えることを想定していたのは間違いありません。私は、間接的に創価学会の最高幹部達から殺すという脅迫を受けたのです。
 
  この取り調べの中で、幹部達は、私の妻和美と息子一成のことについても言及しています。妻和美も、私の日記が創価学会本部にまで届けられ、その内容が分析されていたということを認識していたことは間違いありません。ただし、妻和美は、学会の幹部達が私を殺すと脅迫したことまでは知らないと思います。

  和田氏からの電話の内容に、私は心の底から恐怖を感じました。創価学会は、これまで考えていた以上に、恐ろしいカルト団体であると確信しました。身震いが止まらず、背筋に悪寒が走りました。そして、この夜は一睡もできませんでした。
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 コメント、誠にありがとうございました。今回、お寄せ頂いたコメントの中には、今後の裁判戦術を考える上での手掛かりとなるものがありました。心より厚く御礼申し上げます。
 
 多くの方々が、私を激励して下さるばかりではなく、お互いにコメント欄で交流されておられることをとても嬉しく感じております。と同時に、個別に御礼を申し上げる余裕がないことを大変申し訳なく感じています。
 
 では、今回の陳述書も長文となりますが、ご高覧下さい。

 
                    記
 
陳述書 創価学会の命を受けた佐々木氏による離婚の慫慂
 
                平成23年8月27日
                       髙倉良一
気持ちの変化
 
 私は、佐々木氏の査問を受けてから、池田カルト問題から卒業したのだという気持ちになりました。池田カルトのことを考えること自体、本当に馬鹿馬鹿しくなりました。池田名誉会長や創価学会のことを批判したり、妻和美を説得しようという感情が消失してしまいました。
 
 このような気持ちになったことを野崎氏に電話で伝えました。すると、野崎氏は、私が苦果から脱したのだと言われました。苦果とは仏法用語で、過去の悪業の報いとして受ける苦しみのことです。
 
 さらに、野崎氏は、これまでの創価学会の告発者達は、本当の戦いをして来なかったから、中途半端な結果しか生まれなかったと言われました。竹入元公明党委員長、矢野元公明党委員長、山崎正友元創価学会顧問弁護士、原島元創価学会教学部長という人々は命懸けでやって来なかったから、そのような結果しか生じることができなかったのだとも言われました。
 
 私と息子一成は、妻和美が創価学会のマインド・コントロールから開放されるためには、創価学会の狂信的な信者から殺されても構わないという覚悟で対処して参りました。このような覚悟をした結果、野崎氏によれば、私は本当に解放されたとのことでした。
 
 妻和美の訴訟代理人は、私が、息子一成を精神的に追い詰めたと述べています。これは全くの言い掛かりです。私と息子は、創価学会池田カルト一派に洗脳されているとしか思われない妻和美を、何とかして自分自身の頭で考えられるような人間になるようにと必死で対応してきたのです。
 
  私も息子も、人間として恥ずべき事柄は何一つ行っていません。息子が携帯電話でブログを作った等というのは、真っ赤な嘘です。このような嘘をごまかすために、そして、妻の別居の理由が、創価学会の幹部達の強い指導の下になされたことを隠蔽するために、日記の中の一部を前後の脈絡を無視して問題にしているに過ぎません。
 
子ども達への連絡
 
 藤見先生を通じて、息子に連絡することが不可能であるということが分かったので、どのような方法で連絡を取るべきかを友人に相談しました。妻の実家に手紙を送ったとしても、息子と娘の手に渡らない可能性が高いと考えました。また、妻が、創価学会の幹部に、私の手紙の内容を報告する可能性もあると考えました。
 
 そこで、息子と娘が転校したと思われる小学校宛に、手紙を出す以外にないのではないかと考えました。息子と娘の在籍していた高松市の二番丁小学校の封筒で、かつ、担任の先生の名前で手紙を出すならば、確実に、子ども達に手紙が届くのではないかと考えました。
 
 このアイデアを述べると、私の友人は賛成されました。しかし、相談する間に、このような連絡方法は、1回しか用いることはできないという結論に達しました。しかも、二番丁小学校の封筒を入手する方法も思い浮かびませんでした。さらに、この方法は、私文書偽造として訴えられる可能性もあると考えました。
 
 結局、息子と娘には、玩具と勉強道具を郵送することにしました。そして、その中に手紙を入れることにしました。妻が、その手紙の内容を創価学会の幹部に報告しても仕方がないと考えました。
 
佐々木氏の査問
 
 1月17日の午後、佐々木氏から、突然、電話で呼び出されました。研究室が隣りですので、応じない訳には行かないと思い、すぐに研究室を訪ねたところ、2時間半近く査問を受けました。
 
 佐々木氏の目は、狂気を帯びていました。創価学会の独特な使命感に基づき、反逆者を許さないぞとの顔付きをしていました。私は、佐々木氏のただならない雰囲気を感じ、これまで以上に発言の仕方を慎重にしなければならないと感じました。
 
 最初に、佐々木氏は、1月8日以降、四国の幹部からは問い合わせはないと告げました。佐々木氏によれば、私を査問するようにとの依頼をした四国創価学会の幹部は、高橋慎吾四国長と松下総県長、喜多俊哉青年部長だとのことでした。佐々木氏は、四国池田文化会館ではなく、栗林公園近くにあるガストというファミリー・レストランで彼らと面会したと告げました。
 
 この3人に、佐々木氏が「池田先生の本を読み、池田思想を研究している。」と述べると、3人は皆「自分達は読んでいない。」と述べたとのことでした。
 
 この日は、私は、一言も池田大作名誉会長の批判はしませんでした。もしも一言でも批判めいた発言をするならば、佐々木氏は、私のことを反逆者だと断定すると考えたからです。そして、佐々木氏の報告に基づき、狂信的な創価学会員によって殺される可能性があるかもしれないと思ったからです。
 
 佐々木氏は、「『池田先生』との出会いは、強烈な体験であり、『池田先生』に関しては全く揺らいでおらず、もし、『池田先生』が『空虚』であると分かったら、学会の信心を止め、個人での信仰にする。」と述べました。そして、佐々木氏は「自分はマインド・コントロールされているかもしれない。」と発言しました。
 
 しかし、私は同調するようなことは一切述べませんでした。佐々木氏が、私から池田大作名誉会長批判の言質を取ろうと企んでいると考えたからです。
 
ブログを開設したとの疑い
 
 佐々木氏は、この日も、これまでと同様、私と息子が共同でブログを作り、内部情報を発信したと幹部がみなしており、その証拠もあると告げました。
 
 私は、ブログを開設したりはしていないので、とても驚きました。さらに、証拠もあると言われたので、私を、創価学会員を結束するための仏敵に仕立て上げるつもりだと感じました。
 
 佐々木氏は、私のことを守るような報告をしたと述べつつも、万が一、情報を漏洩していたら許さないぞとも述べました。佐々木氏は、創価学会と対立している日蓮正宗の機関誌に、私が何らかの投稿をしたら「髙倉さんは、もうおしまいだぞ。」と強い口調で発言しました。その目は怒りに満ち満ちたものでした。私は殺されるかもしれないとの恐怖を感じました。
 
 このように、佐々木氏は、私を厳しく取り調べるかと思えば、その一方では、私の味方であるというような発言もしました。この佐々木氏の対応に、私は試されているのだと感じました。
 
 私は、これまで以上に、極めて慎重に話しました。佐々木氏の報告次第で、どんな危害が私と息子に加えられるか分からないと考えたからです。
 
  査問が終わると、私は疲れ果ててしまいました。殺されるかもしれないとの恐怖を感じた結果、食事をしようとする気力も生じませんでした。
 
マンション購入の強要
 
 1月23日の午後、佐々木氏から、私の研究室に電話が架かって来ました。その第一声は「一昨日から何回も電話していたけれども、やっと、先生につながった。お話したいことがある。」というものでした。
 
 私は「研究室に伺います。」と返事をし、佐々木氏の研究室へ行こうとしたら「今、研究室に卒論指導を担当している学生がいるから。」と、佐々木氏は、いきなり私の研究室に入って来ようとしました。そこで、私は研究室のドア付近で対応しました。
 
 佐々木氏は、「こんな所で何ですが。」と前置きしながら、現在、彼が住んでいるマンションを、私に購入して欲しいと発言しました。佐々木氏は、自分は実家に引っ越すが、マンションの周囲に住んでいる学会員から、信心をしている方に売却して欲しいと要望されていると述べました。そして、「先生が、こちらでマンションを購入される予定があるのであれば、是非とも買って頂きたい。」と述べました。さらに、佐々木氏は「購入されたら、このマンションの一室を地区の拠点(創価学会の活動の打ち合わせをする会場)として提供して欲しい。」とも言われました。
 
 私は、即座にマンションを購入するつもりはないと断りました。そして、「無料であれば別ですが。」と言い添えました。冗談めかして、努めて明るい口調で断りました。
 
 しかし、内心では、猛烈な怒りと恐怖を感じました。佐々木氏は、節税対策の賃貸マンションを7、8室所有していると私に話したことがありました。賃貸マンションを用いた資産運用を自慢していました。
 
 佐々木氏は、私を査問しているという立場を悪用して、自分のマンションを売りつけようと企んでいるのだと思いました。しかも、そのマンションを創価学会の活動拠点として提供することに応じるかどうかで、私を試しているのだと思いました。
 
 佐々木氏が自分の立場を利用して、金儲けをしようとしていることに、私は呆然としました。と同時に、マンション購入を断ったことで、佐々木氏がどのような報告をするであろうかと脅えました。
 
妻の夢
 
 1月24日の明け方、妻和美の夢を見ました。その内容は、私が創価学会の座談会で体験発表をしようと準備していた原稿が改竄され、しかも、幹部達が私の原稿を勝手に発表しているというものでした。そして、このことで妻和美と口論しているというものでした。
 
 目が覚めると、変な話ですが、私は夢のことを反省しました。夢とはいえ、妻と口論するようではまだまだと思いました。夢の中でも穏やか口調で話せるようにならなければ、現実の場面での再会は、ほど遠いものだろうと思いました。
 
 とともに、夢の中でも激論していたのは、私が強いストレスにさらされているせいだと思いました。
 
佐々木氏による離婚の慫慂
 
 2月8日の午後、研究室に入るとすぐに、佐々木氏から、私と話したいとの電話が架かって来ました。おそらく、私が研究室に入室したのを確認した上での電話だと思いました。
 
 佐々木氏の研究室に赴くと「数日前に四国池田文化会館に勤務して居る喜多青年部長からメールと電話があったので、1時間半近く面談した。」と言われました。佐々木氏は、四国の幹部は、私を創価学会の改革派とみなし、完全に「シロ」と判定したと告げました。
 
 これまでは、四国の幹部は、私と息子がブログを作り、情報を流しているとの証拠を持っていると話していたそうです。しかし、証拠のことについては「今回は全く言及しなかった。」と佐々木氏は述べました。
 
 そこで、佐々木氏は「四国の幹部は、『証拠』を掴んでいなかったと判断した。ただし、その『疑い』は、奥さんが、日記の記述から情報を提供したことに由来するのだろう。」と述べました。
 
 私は、この発言から妻に渡したはずの日記が、いつの間にか創価学会本部にまで届けられ、その内容を詳細に分析されていたのだと確信しました。とともに、佐々木氏は、妻が日記を創価学会本部に提供したと告げることによって、私が離婚の決断を下すだろうと考えているのだと思いました。この時の佐々木氏の口振りは、私に離婚を慫慂するようなものだったからです。
 
 しかも驚いたことに、佐々木氏は、個人の日記を創価学会本部が、本人の同意も求めることなく調べるということについて、全く疑問を持っていないようでした。私は、佐々木氏は、創価学会の幹部が私に行っている人権侵害行為を是認し同調しているのだと思いました。
 
 この時もこれまでと同様に、佐々木氏は「情報を漏らしたら裏切り者だ。池田先生は、きちんとした弟子を育てているので、池田先生亡き後も、集団指導体制にはならない。」と発言しました。
 
 佐々木氏が裏切り者と発言した際には、私の目を注視し、憎悪に満ちた顔付きをしていました。私は全く反論せずに、佐々木氏の発言を聞き流しました。そうしなければ、危ないと直感したからです。
 
 この日も査問が終わると、ぐったりとなりました。私は、このような過酷な査問を続けている佐々木氏の目的は、精神的にも肉体的にも私を追い詰めて、発作的に自殺を図るように仕向けているのではないかということに思い至りました。佐々木氏の真意に気が付き、私は身体中に悪寒が走りました。この日は、一睡もできませんでした。
 
 翌朝、洗面所の鏡を見て、自分の顔の変化に驚きました。頬はげっそりとこけ、目は落ちくぼみ、真黒なくまができていました。
 
子ども達へのメッセージ
 
 2月10日の夕方に、息子一成と娘知絵に対して、玩具を送りました。息子一成には、自宅で使っていたピストルの玩具の中に、私のメッセージ・カードを潜ませました。このメッセージには、「お父さんは人間として何一つ恥ずかしいことはしていない。」と書きました。
 
 娘知絵には、以下のようなメッセージを送ろうと考え、私の友人に相談しました。
 
 「冬休みが終わっても、高松に帰ってこないので、お父さんはびっくりしました。知絵ちゃんも、友だちにお別れのあいさつもしないままの転校となってしまい、本当におどろいたことでしょう。
 
 お父さんは、人間として、まちがったことやはずかしいことは、何もしていません。知絵ちゃんも、もう少し大きくなったら、よくわかってくると思います。
 
 お母さんも小倉のおばあちゃんも、二人とも心が病気になっています。二人とも、自分の頭で考えることのできる人間になる日が来るまで、知絵ちゃんも、ガマンして下さい。
 
 お兄ちゃんとたすけあって、なかよくくらして下さい。」
 
 しかし、このメッセージを読んだ私の友人から、もう少し穏やかもものにした方が良いとアドバイスされました。そこで、以下のような文章にしました。

 「冬休みが終わっても、高松にもどって来ないので、お父さんはびっくりしました。知絵ちゃんは、友だちに転校のあいさつもできなくて、とても残念だったことでしょう。
 
 知絵ちゃんは、今、どこにいるのでしょうか。新しい学校では、友だちができましたか。元気に、高松に帰って来る日を楽しみにしています。」
 
 私は、娘がこのメッセージを読めば、妻が私に全く連絡していないということに気が付くはずだと思いました。また、妻がこのメッセージを読めば、自らの行為を考え直すかもしれないと思いました。
 
佐々木氏からの電話
 
 2月16日の夜、佐々木氏から電話がありました。その前々日の夜遅くに、和田公雄氏から、創価学会本部で徹底的な査問を受けたとの連絡がありました。その直後だけに、佐々木氏の電話に、私は何を言われるのかと身構えました。そこで、対応を考える時間を稼ぐために、佐々木氏には、今、手が離せないので電話を掛け直すと述べました。
 
 しばらくしてから電話すると、佐々木氏からは「四国の青年部幹部が、先生の研究室の電話番号を照会して来たので教えました。その幹部は、先生が『シロ』だと分かったので、創価学会を改革するための意見を求めに来ます。」と告げられました。
 
 この佐々木氏の電話に、創価学会の四国の幹部が、直接、私を査問することに決定したのではないかと思い、身震いがしました。この夜は一睡もできませんでした。私は、心の底から湧き上がってくる恐怖に脅えました。
 
野崎氏からの電話
 
 佐々木氏からの連絡の数日後、野崎氏から電話がありました。野崎氏は、創価学会本部によって自身の身辺調査がなされていることを知り、自ら創価学会の最高幹部の一人である原田会長の携帯電話に連絡を取ったとのことでした。
 
 すると、原田氏から創価学会本部に出頭するようにと命じられたので、野崎氏は学会本部に赴いて査問を受けたそうです。その査問の席で、野崎氏は、私の日記に書いてある事柄は、全て私の創作であり、無関係だと言い張ったそうです。ところが、原田会長から「髙倉と縁したこと自体が問題だ。」と言われ、詫び状を書かされたそうです。
 
 その際、原田会長は、「髙倉の女房の実家は資産家だから、女房から離婚されたら髙倉は困るだろう。」と発言したとのことでした。しかし、野崎氏は、私とは無関係だということを強調するために、「髙倉さんの家庭のことは何も知らない。」と述べたそうです。
 
 この電話で、野崎氏は「髙倉さんの奥さんのことは、田村氏から原田会長に報告がなされていたのでしょう。」と言われました。私は、創価学会の最高幹部である原田会長が、私と妻を離婚させようと画策していることを知り、大変驚きました。

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 5月31日付けで被告原田稔外4名の訴訟代理人から、6月4日にテレビ会議システムで行われる裁判に向けての文書が送付されて参りました。文書は、被告準備書面(2)と証拠説明書(1)です。
 
 これらの文書は、私の陳述書の掲載が終了した時点でご紹介致します。被告の訴訟代理人の文書は「語るに落ちた」内容のものでした。

   平成23年8月31日に、東京地方裁判所民事第12部に提出した下陳述書の一部を掲載させて頂きます。長文ですが、ご高覧の程お願い申し上げます。
            
            記
 
陳述書 妻と不仲になるように画策する創価学会
 
                平成23年8月26日
                       髙倉良一
弟とのやり取り
 
 私は、弟には、以下のような年賀のメールを送信しました。妻和美が、創価学会幹部の指示の下に、子ども達を連れ去った状況で、私が、どのような気持ちで年越しをしたかを述べたものです。
 
 「明けましておめでとうございます。年末年始にかけて、ご心配をお掛けしてしまい、大変申し訳なく感じています。
 
 さて、昨夜、気分を明るくしようと、紅白歌合戦のラスト4曲を歌手に合わせて歌いました。その際、『人は皆悩みの中』という一節で、涙がこみ上げて参りました。本日は、歌番組のラスト曲『上を向いて歩こう』の中の『一人ぽっち』の所でも、涙が出ました。
 
 しかしながら、このような境遇に置かれた結果、独居老人や様々な悩みで苦しんでいる方々の悲哀を、我がこととして、本当に感じることが出来るようになりました。こんな感情を懐くことが出来るようになったこと自体を、心の底から嬉しく感じています。
 
 現在のピンチを、人間として成長する糧にしようと思います。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。小林さんご一家(弟の妻の両親)にも、どうぞよろしくお伝え下さい。」
 
 翌日には、次のようなメールを送信しました。
 
 「おはようございます。メール、ありがとうございました!確かに、夜遅くメールすることは、健康には良くないようです。数日前に、そんなニュースが報道されていました。
 
 ところで、昨夜、お母さんに電話しました。信行君の電話のことも教えて頂きました。私の自宅の電話は、どうも盗聴されている可能性があるようです。これは妄想ではありません。池田カルトは、これまでも度々盗聴事件を起こしていますが、まさか、私が、その対象になるとは想像もしていませんでした。
 
 和美さんからも、子ども達からも、1日には全く連絡がありませんでした。新年の挨拶があるかと、微かな期待があったのですが、とても残念でした。年末には、一成に本を郵送し、また、元旦に届くように、坂本さんと和美さんに、年賀のお菓子を発送したのですが。全く連絡がなかったことから、和美さんが、学会幹部から『反逆者』と認定されている私と離婚するように『指導』されているとの私の推測は、まず間違いないと確信しました。学会幹部の狂信は、凄まじいの一語に尽きます。
 
 しかし、私は元気ですから、ご安心下さい。このような境遇に置かれたことを、人間として成長する糧にしようと思います。私が学会幹部や坂本さんに、何らかのアクションを起こすと、かえって、逆効果になると考え、少なくとも、子ども達の冬休み期間は静観するつもりです。
 
 なお、お手数をお掛けしますが、盗聴防止のためにも、メールでご連絡下さい。」(2008年1月2日)
 
 すると、この日の夜、弟から電話が架かって来ました。弟が妻の実家に連絡した際、私の子ども達と話したいと伝えると、妻和美は、子ども達は遊びに出掛けていると答えたそうです。弟は、妻和美の声の調子から、明らかに嘘をついていると感じたとのことです。子ども達と接触させまいという雰囲気だったと言われました。
 
息子への連絡
 
 私は、1月1日の午後、高松港に散歩に行きました。そして、携帯電話のカメラで、瀬戸内海をバックにして、自分の顔写真を撮影しました。この写真を、息子一成と娘知絵に、「お父さんです。」というタイトルをつけ、「新年おめでとう。」というメッセージを添えて送信しました。
 
 息子も娘も、携帯電話を取り上げられている可能性が高いとは思いました。しかし、私は、もしかすると、子ども達は、メールだけは見ることが許されているのかもしれないと思いました。そこで、私が元気であることを伝えようと考えて、写真を送信したのです。
 
 ところが、このメールには、息子からも娘からも返事はありませんでした。
 
私の失敗
 
 1月3日に、小多仁伯著『池田大作の品格』(日新報道、2007年)読了しました。この本を読み、創価学会の本部職員の多くは、池田大作名誉会長の本質を認識しながら、池田カルトを支えていることが良く分かりました。池田大作氏は酷い人物だと思いますが、それを支えている本部職員も極めて悪質だと感じました。
 
 とともに、この本を読み、妻和美に、私が日記を渡したことは間違いだったと痛感させられました。マインド・コントロール状態に置かれている妻にとっては、逆効果だったのだと感じました。
 
 日記を妻に渡し読んでもらうことは、息子一成と協議し、かつ、野崎氏にも相談した上で実行したことです。当時は、これしかないと考えた上での行動でした。
 
 妻和美は、2006年3月中旬以降、私が、創価学会の活動の在り方や池田名誉会長のことを批判したことを徹底的に糾弾していました。とても話し合いができるような雰囲気ではありませんでした。
 
 そこで、私と息子の心情を理解してもらうべく、私は、日記を渡したのです。日記の中には、創価学会に対する論理的な批判が数多く書かれていました。そして、私と息子も、日蓮に対する信仰は揺るがないものの、創価学会と池田名誉会長は間違っているとの結論で一致していることを書いていました。
 
 私は、妻が冷静な気持ちで、私の日記を読めば、「池田名誉会長に対する批判が許せないから離婚する。」と述べたことが誤りだったと気が付くと考えたのです。
 
 しかし、判断が甘かったのだと反省しました。妻は、日記の内容を読み、私の創価学会批判を許せないと考えるとともに、私が、息子一成を洗脳していると信じ込んだのです。
 
住民票の移動を確認
 
 2008年1月6日の午後、もしかすると、妻和美が住民票を移動させているかもしれないと思い、確認してみました。すると住民票には私以外の家族の名前は記載されていませんでした。
 
 私は、大変なショックを受けました。妻和美が、私に全く相談することなく、子ども達を転校させるつもりなのだと気が付いたからです。
 
 当時、息子は小学校6年生で、小学校の卒業を控えていました。息子も娘も、小学校を転校させられるとは全く考えてもいなかったはずです。子ども達が、どんな心境なのかということを考えると、私は、絶望的な気持ちになりました。
 
 この日、和田公雄氏(元創価学会海外相談部長、以下和田氏と表記。)から電話が架かって来たので、年末年始のことを伝えました。和田氏は、とても憤っておられました。妻和美に、このような行動を取るように指示した創価学会の幹部達は絶対に許せないと言われました。
 
 和田氏からの電話の直後、私は、妻和美に頑張って欲しいという想いが湧き上がって参りました。おそらく、妻は、四国の創価学会の幹部から、私と離婚するようにと言われ、とても悩んだ結果、「そっとして欲しい。」とのメールを残して、実家に戻ったのだろうと思いました。そう考えると、妻和美のことが不憫でならなくなったのです
 
佐々木氏による査問
 
 1月8日の午後、私が大学の研究室に入るや否や、佐々木氏から電話が架かって来ました。私の研究室を訪ねたいとの内容でした。佐々木氏の研究室は、私の隣に移転していましたので、私の気配を感じて電話して来たのだろうと思いました。
 
 もし、佐々木氏を私の研究室に招き入れると、私の隙を見て、盗聴器を仕掛ける可能性があるのではないかと考えました。創価学会は、敵対する人間を尾行し、電話を盗聴するなどの違法な活動をしていると聞いていたからです。そこで、私の方から、佐々木氏の研究室に赴くことにしました。
 
 佐々木氏の研究室に入ると、佐々木氏は大変な形相で「幹部は、四国の会合情報が漏れたことに、髙倉さんが関与していることは間違いないと考えている。」と告げました。この発言に、私は内心ではびっくりしました。しかし、表面的には平静な態度を保ちました。
 
 すると、佐々木氏は「息子さんが、同時中継中(創価学会は、池田大作名誉会長が出席する会合の内容を録画編集し、衛星放送で中継しています。)に、メールや音声を送信したとの目撃情報と、10月に、息子さんの携帯料金が2,3万円になっていた。息子さんが情報をブログに送信していたという証拠もあると言われた。」と怒気を込めた声で述べました。さらに、佐々木氏は「これらの情報は、髙倉さんの奥さんから提供されたものだと幹部から言われた。」と述べました。
 
 佐々木氏は目をつり上がらせ、私を絶対に許さないという雰囲気でした。そこで、私は「人間として恥ずべきことは、一切行っていない。」と述べました。少しでも脅えた様子を見せると、佐々木氏が厳しく追及してくると感じたからです。
 
 佐々木氏は、私の目を見据えながら徹底的に追及する発言を繰り返しました。しかし、私は、佐々木氏の狂気に満ちた発言を聞いているうちに、創価学会を卒業したという気分になりました。
 
 池田大作名誉会長や創価学会のことなどは、本当にどうでも良いという気持ちになりました。そこで、私は、柔らかい口調で、池田大作名誉会長や創価学会のことで議論したくないと、佐々木氏に伝えました。
 
 このような話をしたのは、ともかくも佐々木氏を落ち着かせなくてはならないと考えたからです。内心では、大変な恐怖に駆られながらも、私は冷静な調子で話をしました。
 
佐々木氏の提案
 
 佐々木氏は、さらに語気を強め、私に、妻と直接話し合うべきだと発言しました。さらに、佐々木氏は、自分も同行するので、妻の実家がある小倉に行くべきだと述べました。
 
 佐々木氏は、執拗に、私に小倉に行くようにと迫りました。しかも、私が頼みもしないのに、佐々木氏が同行するからとの発言を繰り返しました。どのような意図から、そのようなことを言っているのかと思案するうちに、私は、佐々木氏の真意に気が付きました。
 
 佐々木氏は創価学会の幹部から、私を小倉に向かわせるようにとの指示を受けているのだと感じました。そして、小倉の実家で大騒ぎをさせようと企んでいるのだと思いました。
 
 そこで、私は、佐々木氏に「そっとしてほしい」との妻からのメールを見せるとともに、息子にとっての最善の利益とは何かを判断基準に据えて考えていると伝えました。
 
 さらに、なぜ、息子が私に連絡して来ないのかを考えているとも話しました。「現時点では、息子の担任だった先生に、転校先の小学校に連絡してもらい、息子の気持ちを確認した上で、今後の行動を考えたい。」と述べました。
 
 すると、佐々木氏は、私を睨みつけながら「息子さんではなく、奥さんを相手にしなければいけない。」と厳しい口調で言われました。さらに、威迫するような感じで「第三者に様子を見に行くように頼んでは。」と言われました。
 
 佐々木氏が、このように発言を変えたのは、小倉に行かないという私の意思が変わらないと感じたためだと思います。そして、今度は、第三者を関与させることで何らかの騒動を起こさせ、私を離婚に追い込もうと考えたのではないかと思いました。
 
四国の幹部からの照会電話
 
 この査問の最中に、四国創価学会の最高幹部である喜多青年部長から、佐々木氏の研究室に電話が架かって来ました。佐々木氏は、私の目の前で査問の内容を報告していました。私は、心底驚きました。
 
 この電話が終わると、喜多青年部長から、私が参加していた大阪の研究会のことを尋問するように指示されたと言われました。そして、大阪の研究会のことについて問い質されました。
 
 この電話のやりとりで、私は、佐々木氏が四国の創価学会の最高幹部との間で緊密な連絡をとり合いながら、私を査問しているのだと気が付きました。
 
 私は、佐々木氏に対して、冷静な口調で、かつ、明るい調子で話しました。時には、冗談めかした発言もしました。佐々木氏の報告次第では、私は狂信的な創価学会員に拉致され、暴行を加えられる可能性があると危惧しました。
 
 査問が終わると、私は、猛烈な脱力感に襲われました。この日は、肉体的にも精神的にもくたびれ果てたにもかかわらず、夜は一睡もできませんでした。 
 
息子の担任の先生への連絡
 
 1月10日の夕方、息子の担任だった藤見先生に電話しました。息子のことで相談したいと伝えると、とても動揺した声となりました。私が面会して欲しいと頼むと、これから出かけようとしているところだと言われました。さらに、明日以降も私に会うことは難しいと言われました。そこで、息子に連絡を取って欲しいと依頼しましたが、それも断られてしまいました。転校のことについては、12月21日に、妻から祖母の具合が悪くなったからとの連絡があり、転校の手続きをしたと言われました。
 
 私は、妻から何か事情を聞かされていないでしょうかと、藤見先生に尋ねました。すると、藤見先生は、何も聞いていないと答えました。
 
 私は、息子の最善の利益を考えて欲しいと述べたのですが、藤見先生は、私には全く関わりたくないという対応に終始されました。藤見先生には本当に失望してしまいました。
 
 2007年の3月と7月に、藤見先生に息子一成のことを相談していました。藤見先生は、私と妻和美が創価学会の活動の在り方を巡って対立していることを理解して下さい。また、息子一成が、創価学会の活動を強要する母親に対して、内心では、とても反発していることも理解して下さいました。
 
 妻の陳述書では、藤見先生が息子の転校に関して、積極的に協力したように書かれています。しかし、真実は、異なっているのではないかと思います。
 
 実は、2007年の7月に藤見先生に相談した内容を、妻和美の友人が立ち聞きしていたようです。妻は、この友人を通じて、私が相談した事柄を知ったようでした。このことは、2007年の10月中旬に、息子一成が「お母さんは、お父さんが藤見先生に相談しているということを知っていた。」と、私に話したことからも明らかです。
 
 妻和美は、私の食事を作るようになっのは、娘知絵の誕生日からだと述べています。しかし、実際に、妻が私の食事を作るようになったので、藤見先生に相談に行った翌日からのことです。
 
 私は、7月に息子一成のことを相談した時と、今回の電話をした時の対応が、がらりと変わったので本当にびっくりしました。藤見先生は、何かに脅えているような印象を受けました。
 
 なぜ、藤見先生の対応が、このように変わったのかについては、今にして思えば、妻和美を指導していた四国の創価学会の幹部達から、何らかの脅迫をされたからではないかと思います。単に、妻からこのような対応をするようにと頼まれていただけではないと感じています。
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 皆様方に心より厚く御礼申し上げます。とともに、個別にご返事を差し上げることができない非礼を衷心よりお詫び申し上げます。
 
 今回、初めてコメントをお寄せ下さった方々に置かれましては、これからも気軽にコメントを投稿して頂ければと存じます。
 
 また、この方々からのコメントに対して、丁寧な対応をなさって下さった皆様方に、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
 
 なお、億劫様のご質問については裁判の中で明らかになると存じます。
 
 では、平成23年8月31日に、東京地方裁判所民事第12部に提出した陳述書の一部を掲載させて頂きます。
 
             記
 
陳述書 情報漏洩を疑われ、妻との仲を裂かれる
 
                平成23年8月25日
                       髙倉良一
弟への協力依頼
 
 12月31日の夕方、私は弟に、近況を報告するとともに、妻和美に連絡を頼む以下のような長文のメールを送信しました。内容が、これまでの記述と重複している箇所が多いのですが、ご紹介致します。
 
 「鹿児島で、楽しい年の瀬を過ごしておられることと存じます。ご心配をお掛けするので、黙って置こうかと考えていました。しかし、とても気がかりですので、現状をお知らせします。とともに、お力添えの程、衷心よりお願い申し上げます。少し長くなりますが、ご覧下さい。内容は、信じられないかもしれませんが、全て真実です。
 
 以下の事柄を腹に収めて、何も知らないという態度で、年末年始の挨拶という雰囲気で、和美さん達に連絡して頂けないでしょうか。現在、一成と全く連絡が取れない状況です。どうやら、一成は、携帯を取り上げられているようです。一成は、年末年始に、友達に携帯でメールすると話していましたので、その時だけは、携帯を使うことが可能ではないかと考えています。その際、一成には、和美さん達の目を誤魔化して、私に連絡するようにと伝えて頂けないでしょうか。くれぐれもよろしくお願い申し上げます。
 
 さて、12月24日の夜は、家族で忘年会をし、和美さんは、夏の私の誕生日に何もしなかったからと、クリスマスプレゼントとして、ワイシャツとネクタイをくれました。ところが、25日、私が大学にいる間に、事前には全く何も言わずに、子ども達を連れて実家に帰省しました。
 
 この日、私は、次のような手紙を和美さんに渡して出勤しました。
 
『今年も残り少なくなって参りました。これまでの人生の中で最大の試練に直面した一年となりましたが、おかげさまで、家族全員、元気に過ごしていますので、とてもありがたいことだと感じています。
 
 さて、額の怪我とぎっくり腰のことでは、大変お世話になりました。小倉のお母さんの具合が悪い時期と重なり、何かとご心配をお掛けしました。和美さんには、心より感謝しています。本当にありがとうございました。少しですが、『てもみん』のチケットを同封しますので活用して下さい。
 
 ところで、日記のコピーをお渡ししてから、二ヵ月半が過ぎました。今にして思えば、もっと良く考えるべきだったと反省しています。突然のことで、しかも、内容が内容なので、和美さんも、さぞ、悩まれたことでしょう。
 
 あの日以来、現在に至るまで、和美さんは、とても良く頑張っておられると思います。一成君も、最近は、気分が楽になったとのことです。本当にありがとうございます。
 
 これからは、かつてのように、いろんな事柄を自由に話し合えるようになりたいと念願しています。そして、楽しいお正月を迎えましょう。何卒よろしくお願い申し上げます。
 
 追伸 今週の月曜日に、大変な難問に直面しました。このところ、生活が不規則になったのは、そのせいです。いずれ問題を整理してお伝えします。
 
 それから、そろそろ、日記を家に持ち帰って下さい。よろしくお願いします。』
 
 この手紙は、事前に、一成にも読み聞かせたもので、多分、和美さんも目を通したと思います。この手紙を読んでもらい、年末のスケジュールを相談するつもりでした。そろそろ、帰宅しようと思っていた矢先に、私に、メールで、『小倉に出発しました。』との連絡がありました。私が、『なぜ、何も言わずに、急に出発したの?』とメールすると、『びっくりさせてごめんなさい。おばあちゃん待ってるから。』との返事がありました。
 
 そこで、『いくら何でも非常識だよ。何を考えているの?今から帰ろうとしていたら、びっくりしました。帰宅するのが6時頃と言った時に、和美さんが6時と呟いたのは、それまでに小倉に出発しようと考えたから?こんなことをして、子ども達に対しても、恥ずかしいとは思わないかい?ところで、鹿児島には行きますか?』とメールしました。
 
 夏休みの時と同じように、車も、どこかに隠したようです。子ども達のランドセルもありません。これまで帰省する際に、ランドセルを背負わせたことはありませんので、1月から転校させるつもりだろうかと考えたりもしています。夏休みに帰省する際には、一成から連絡があったのですが、今回は、一成からも連絡がありませんでした。
 
 私が、『車で帰省したの?』『年賀状は、どうしますか?』とのメールを送信したら、和美さんからは、『こちらからメールなどするまでそっとしていてほしい。年賀状は任せます。印刷して送って下さい。そっとしていてほしい。』との返事がありました。
 
 そこで、私が、『メールありがとうございました!了解しました。和美さんも苦しいだろうけれども、必ず、私と一成君のことを理解できる時が来ると思います。自分の頭で考え抜くことです。では、どんなスケジュールで動いたら良いかを近日中に連絡して下さい。』とメールすると、和美さんからは、『気持は理解はしているつもりです。ですから財務はしておりません。スケジュール等含めてそっとしていてほしい。鹿児島へは先になって落ち着いてから落ち着いて必ず参ります。だからこの年末年始は良一さんが行ってお墓参りしてください。そっとしていてほしい。』との返事がありました。
 
 財務というのは、創価学会に対する寄付金のことです。一昨年は、私の信心がおかしくなったことを理由に500万円しました。昨年は、父の供養にもなるからと100万円しました。今年は、どの位にするか、私は何も言っておりませんでしたので、『財務はしておりません』とのメールには驚きました。
 
 さて、和美さんが、何を考えているのか全く分からなかったのですが、28日に、教育学部の同僚である佐々木さんという学会員から連絡がありました。佐々木さんに対して、私が、創価学会に関して、どのような言動をしているかという問い合わせが、香川県の学会幹部からあったとのことです。
 
 実は、12月初め、ある会員から、私が、公明党を除名された元参議院議員と連携して活動しているとマークされ、私が、かつて、大阪の研究会に行っていた時のメンバーの身辺調査がなされているから用心するようにとの連絡がありました。私に関する情報は、婦人部から報告があったとのことで、学会本部が、私を監視しているとのことでした。私は、元参議院議員とは、彼が愛媛大学助教授だった時に、それも14、5年前に一度会っただけなので、びっくりしました。大阪の研究会も、もう2年近く行っておりませんので、呆れてしましました。
 
 私に、この情報を知らせた会員は、この件は、奥さんには秘密にして置くようにと言われました。もし、この話をすると、誰が、その情報を教えたかが詮索されるとともに、私が、元参議院議員と連携していると見做されるとのことでした。嘘のような本当の話です。
 
 さて、同僚の佐々木さんに対しては、29日、創価学会の幹部から、再三に渡って、私のことで面談したいとの連絡があったそうです。そこで、佐々木さんが、30日の午前中に会館に赴いたところ、副会長や青年部長など数名が面談したとのことです。
 
 内容のメインは、私と一成が二人でブログを作成し、内部情報を発信しており、その情報が創価学会を批判しているジャーナリストに渡っているとのことでした。ブログは『白バラ何とか』であり、一成が携帯で作成しており、その証拠に、先月の一成の携帯料金が9千円近くなっていたと言われたそうです。さらに、和美さんや幹部は、私が一成を洗脳していると考えているようです。
 
 それから、和美さんは、3ヶ月前から、私のことで、県の婦人部長の『指導」を受けており、今回の私の調査は、和美さんからの情報に基づくもののようです。
 
 実は、今年の10月6日、私の日記を、一成と連名の手紙を添えて、和美さんに渡しました。和美さんは、誰かに日記を預けたので、とても気になっていました。どうやら、学会の幹部には渡していないようですが、私と一成のことで、婦人部の幹部に『指導』を受けていたようです。和美さんが、日記の表現を、中途半端に『指導』を受けている婦人部長に話し、その報告を、学会幹部がいろんなことと結び付けて考えているようです。
 
 日記には『白バラ通信』とか『白バラの活動』という表現はしていますが、具体的な内容は全く書いていません。もちろん、親子でブログを開設などもしておりません。ブログの開設は、一成がマークされるからと反対していましたし、何よりも、私には開設するだけのノウハウはありませんので。
 
 佐々木さんは、ブログなどのことは、その場で否定されたとのことです。そして、佐々木さんは、幹部に対して、私に直接会って話すようにと伝えたそうですが、幹部達は乗り気ではなかったとのことです。ただし、和美さんが実家に帰省していることを『心配』していたとのことでした。
 
 さて、一成の携帯料金が高くなったのは、先月、一成が着メロと画像を大量に受信したからです。一成の携帯料金が、情報を漏らしているという根拠になっていることには呆れました。携帯料金も、和美さんが婦人部の幹部に話したのでしょうが。こんな話になっているとは驚きました。
 
 以上の佐々木さんからの情報で、おそらく、和美さんが『そっとしていて欲しい』とのメールを送って来たのは、私を反逆者だと考えているからではないかと推測しています。多分、婦人部長から、そんなことを言われたのではないかと思います。そして、『反逆者』とは離婚するように『指導』されたのではないかと推測しています。
 
 現在、一成からは、全く連絡がありません。一成のことがとても気掛かりです。一成には、『一成君なりに考えるところがあって、お父さんに連絡しないのだと思います。お母さんのことを頼みます。お母さんからは、『そっとしていてほしい』とのメールがありました。もしかすると、精神的に不安定になっているのかもしれません。一成君が、お母さんをしっかりと支えて下さい。お父さんは、昨夜、愚痴をこぼしましたが、お母さんを見捨てることはありません。離婚するつもりは全くありません。一成君に心配をかけるような愚痴をこぼしてしまい、ごめんなさい!』とのメールを送ったのですが、おそらく、読んでいないようです。
 
 以上、楽しく年の瀬を送っておられるところに、このようなメールをお送りし、誠に申し訳ありません。この問題を相談している私の先輩からは、ともかく動じないことだとのアドバイスを受けています。深刻になった方が負けだとも言われています。
 
 今、北朝鮮に拉致された家族のことや、昨日の火事で、妻と子供が焼死された方のことを、我が身に起きた事件のように感じています。このような状況の中で、悪い方向に考えずに、明るく、高松での年末年始を過ごすことが出来るように努力しようと思います。一人だけの年末年始は、恥ずかしながら、生まれて初めてですが。では、鹿児島の皆さんに、どうぞよろしくお伝え下さい。これから、買出しに出掛けます。」
 
 さらに、夜になってから、以下のような二通のメールを送りました。
 
 「今晩は。夕方は、長文のメールで失礼しました。内容が内容ですから、とても驚いているのではないかと思います。申し訳ありません。しかし、あのメールを書いている間に、気持ちが落ち着いて参りました。その直後、これまでも妻のことを話している友人から、『正しいことをされているのだから、自信を持ってお進みください。』とのメールを頂きました。このメールで、心が奮い立ちました。そうだ、私は、人間としての良心に従って、正しいことをしているのだと気が付きました。勇気が沸き上がって参りました。間違ったことは、何一つ行っていない、人間として恥ずかしいことは何もないと思うと、何とか、この状態に耐えられそうです。以上が、現在の心境です。本年の最後になって初めて、私の先輩からいつもアドバイスされている『デーンとして、深刻にならずに』という心境になりつつあります。もし、和美さんから離婚云々という話があっても、和美さんは一種の精神病だからと聞き流して下さい。また、一成にも『お父さんも一成君も正しいことをしているのだから』と、また、私への連絡で無理しないようにと伝えて下さい。それでは、明年も何卒よろしくお願い申し上げます。」
 
 「今夜は、精神が高ぶって、なかなか眠れそうにありません。多分、眠るのは明け方近くになることでしょう。そんな訳で、誠に申し訳ありませんが、私への連絡は夕方以降にお願いします。分割して送信したメールをご覧になり、私の頭がおかしくなったかと心配されるかもしれませんが、私は正常ですのでご安心下さい。池田カルトは、オウムよりも、はるかに悪質な団体だと痛感しております。昨夜、『現在の心境』というタイトルでメールを送信しましたが、どうにか、今後、どんな展開になっても、和美さん達を池田カルトから奪還すべく、その時が来るまで、決して焦ることなく、忍耐強く頑張ろうという覚悟が出来ました。年末年始にかけて、大変ご心配をお掛けしておりますが、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。」
 
妻は精神病との記述
 
 弟へのメールの中で、「和美さんから離婚云々という話があっても、和美さんは一種の精神病だからと聞き流して下さい。」と書いているのは、妻が宗教的呪縛状態に置かれていることを念頭に置いて交渉してもらうためです。妻が、創価学会の幹部の指導を正しいと信じ込んで行動していることを前提にし、妻の言葉を真に受けないようにと願ってのことです。
 
 妻とその訴訟代理人は、私が、娘知絵に対して「お母さんは病気だから」と述べたことを問題視しています。しかし、このような表現は、妻を侮辱していたからではありません。
 
 私は、大学や専門学校で教育に携わっている体験を通じて、学生に理解してもらえるように伝えることが、いかに難しいかということを痛感させられています。
 
 そこで、当時、小学校の低学年だった娘知絵が、母親のことを理解できるようにとの思いから、私は、「お母さんは病気」との表現をしたのです。
 
 私の日記の前後の文脈を無視して、この表現のみを問題にし、私が妻を軽蔑していたなどと述べている妻和美の訴訟代理人の底知れぬ悪意を感じます。
 
弟からの返事
 
 これまでも、弟には、妻和美と私が創価学会の活動の在り方を廻って対立していることに関しては、何かと相談していました。弟は、私のメールを読んで、私の状況を理解してくれたようでした。
 
 弟は、私のメールに対して、「新年おめでとうございます。応答を遅れてすみません。鹿児島で弘子さん(私の妹)やお母さんとお兄さんのメールを読み、大変だねえと言いつつ、他方、こんなに夜いろいろ書いては良くないのにねえとも話してました。映画にもなったがばいばあちゃんの言葉に、悲しいことは夜話してはいけないという主旨のものがあるそうです。眠れなくなるといけません。規則正しい生活がとりわけ大事な状況と思います。今日はぜひもう就寝しましょう。昼前には小倉に何気ない感じで電話もしました。そちらには明日電話しますね。ではまた。」との返事が届きました。
 
野崎氏とのやり取り
 
 大晦日に、私は、野崎氏に対して、以下のようなメールを送信しました。私が、頻繁に野崎氏に連絡したのは、野崎氏からの激励が唯一の支えだったからです。
 
 「今晩は。夕方、弟に、最近の状況をメールで詳細に伝え、年末年始の挨拶にこと寄せて、妻の実家に電話をするようにと頼みました。私の一族では、例年、年末年始に連絡を取り合っていますので、私からの情報は全て腹に収めて、挨拶のやり取りの際、息子に、何とか私に連絡を取って欲しいとの伝言を依頼しました。
 
 現在の時点で、弟からは何も連絡がありません。内容が内容ですから、とても驚いているのではないかと思います。弟には、これまでも相談はしていますが、私の頼みに応えてくれるかどうかは自信がありません。
 
 しかし、弟にメールを書いている間に、気持ちが落ち着いて参りました。その直後、これまでも妻のことを話している友人から、『正しいことをされているのだから、自信を持ってお進みください。』とのメールを頂きました。このメールで、心が奮い立ちました。
 
 そうだ、私は、人間としての良心に従って、正しいことをしているのだと気が付きました。勇気が沸き上がって参りました。間違ったことは、何一つ行っていない、人間として恥ずかしいことは何もないと思うと、何とか、この状態に耐えられそうです。以上が、現在の心境です。
 
 本年は、細やかなアドバイスを賜り、本当にありがとうございました。野崎さんのご指導がなければ、精神的に潰されていました。本年の最後になって初めて、野崎さんからいつもアドバイスされている『デーンとして、深刻にならずに』という心境になりつつあります。
 
 仮に、弟が連絡してくれなくとも、息子から連絡がなくとも動揺することはないと思います。逆に、弟から離婚云々という情報がもたらされても、妻は一種の精神病だからと聞き流すつもりです。それでは、明年も何卒よろしくお願い申し上げます。」(2007年12月31日午後9時30分)
 
 すると、野崎氏からは、次のようなメールが送られてきました。
「大変だったと思います。来年もよく連絡をとりあいましょう。」(2008年1月1日午前1時5分)
 
 「新年おめでとう。年賀の贈答品ありがとうございました。寂しい正月でしょうが、必ず大笑いする時を一緒にもたらしましょう。」(2008年1月1日午後5時15分)
 
 私は、野崎氏の「必ず大笑いする時を」との文言にとても励まされました。
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本名:髙倉良一(たかくらりょういち)
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大学教員
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自己紹介:
HN:希望
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
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