昨日に続いて、京都乃鬼新聞に「「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)として掲載された記事をご紹介致します。
この記事の中の「※印」は、京都乃鬼新聞社が補足説明として記入されたものです。
この記事には、関係者が実名で記載されています。
しかしながら、ブログ「白バラ通信パンドラの箱」では、創価学会名誉会長池田大作氏以外の人物は、全員匿名とさせて頂きます。
記
「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編) 第15回(※印は弊社解説)
池田先生は、2000年以降、夏の軽井沢、冬の沖縄以外は地方指導に行かれなくなりましたね。
2007年、久しぶりに関西へ来られた。
その時一番私が驚いたのは、全てが会長決済、●●会長を通さないと先生に伝わらなかった事でした。
年に2回も3回も関西に来られていた時なんかは、関西は先生直結だったので、先生は皆の顔も覚えておられるし、特別な警備もなくノーチェックで部屋にも入れて、なんでも率直に池田先生に言えたんですよ。
先生の方から「おー、よく来たな!」とか言われてご挨拶ができた。
ところがこの2007年の時は、先生の周りの警備は関西の金城会や関西の日光警備ではなく、東京の●●●さんの管轄だった長城会(創価大出身者のみによる警護係の●●氏、●●氏ら)が就いていたんです。
だから誰が先生を訪ねに行っても「接遇へ行ってください」と冷たく言われて接遇に回されたんです。
私はそれを見て「あー、全部信濃町本部(※執行部)のコントロール下に置かれてしまったな」と思いました。7年間で全く変わってしまったとも思いました。
ちょうどその頃から、先生が衛星放送で、「歯が悪いから、しゃべりずらいんだよ」ということをおっしゃるようになりましたね。
皆も憶えていると思いますが、あれはそうではなくて、実は、本番当日に、原稿が先生に出されるようになったからなんです。
先生は本番その場で、初見でスピーチを読まなければならなくなったんです。
(※2003年5月、軽度の脳梗塞を発症され、後遺症として口の周りが動きずらくなったのも原因)
2000年までの地方指導の時では、マーク記者が必死で翌日の紙面の面建てを先生の所に持っていき、先生とともに打ち合わせをし、見出しや、フリガナや、写真の扱いまで先生から細かい指示が出されていました。
スピーチの原稿は、先生と何度もやり取りをして、なおかつ前日には、先生はスピーチの練習までされていたんです。
それがある時から、本番原稿をドンと机の上に置かれているだけです。
どこに力をいれて話すか、どこを省くか、全く先生にも判断ができない。酷いもんですよ。
だから、先生はアドリブを多く入れたんでしょうね。
ですが、その先生のアドリブは執行部に全部カットされちゃった。執行部にとってよほど都合が悪かったのでしょうね。
つづく
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記
「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)第14回(※印は弊社解説)
話を元に戻して、時代が進み2009年、衆議院議員選挙で公明党は大敗しました。(※31議席から21議席)
民主党政権になり、自公連立は解消かと思われました。と同時に、飛ぶ鳥も落とす様な勢いがあった●●一派はカットされました。
これで私には一瞬希望が見えたんです。
●●とその一派によって「学会指導」という名の下でおこなわれるパワハラは、それはそれはひどいものでした。
飲み会の席でも、仲間の盗聴をしたりして、●●一派に連なる幹部へのグチや批判めいた事でも言おうものなら徹底的に査問されていました。
精神を病む者や自殺未遂者が出たほどだった。
(※本部そばの精神科医院には、パワハラを受けた若手職員が沢山罹っていたのは事実)
●●一派における金の着服問題もありました。
まあ、金の問題だけなら、●●●社から分かっているだけで500万円で、●●●●社も合わせると噂では6000万くらいでしたかね?
そんな金額はかわいいもので(笑)、関西の大幹部に比べたら2桁くらい小さい話だけど。(笑)
また、関西と言えば男子部幹部に火のついたタバコを手に押し付けたり、靴を投げつけたりする元関西青年部長もいましたが、それが今や●●(元全国男子部部長、女性問題で解任される)とともに査問の中心者ですから。(笑)
(※●●チームが切られたのは、選挙敗北によって●●●氏をはじめとして、自民党の後ろ盾を失ったのが一番の原因だったと言う人達もいるが、これは正確ではない。)
(弊社では、長年の独自情報により、●●一派が切られたのは、彼らの存在自体が●●、●●、●●、●●ら先輩大幹部達の立場を脅かすまで強大な勢力になったからだと分析する。)
(※2009年迄の●●氏は、創価学会本部、聖教新聞社、外郭団体や公明党及び地方の創価学会組織に至るまで、月刊誌 ●「池田大作の軌跡」の取材活動を通じて全国に闇のネットワークを作っていたのだ。)
(※一部の幹部は「●●は●●以上」と言っていた。)
(※今では考えられないが、当時は「●●第7代会長誕生」もあり得た勢いだった事は、●●氏とその取り巻きならば、知っているはずである)(鬼笑)
(※このことに危機感を抱いた人々が、●●氏とその周辺の不透明な金の流れをリークして処分したのが実態に近いだろう)
(※当時、パワハラ問題だけならば乗り切れると高をくくっていた●●一派だったが、さすがの●●●氏、●●氏、●●氏などでも、●●氏の金銭問題は根が深く、守り切れなかったようだ。)
(※しかし、まだ彼らのうち何人かは、●●氏が復権する事を狙っている者もいる)
また話を戻しますが、当初は公明党は衆議院小選挙区は撤退、黄金の三年で行こうとなっていたんです。
(※●●会長の下で初めて行われた2007年参議院議員選挙では選挙区で3人落とす。【これが原因で●●●副会長は政治担当から外された】)
(※また2009年衆院選では8小選挙区で全敗するなど大惨敗、●●執行部は参議院議員選挙に続く2回連続の大惨敗となった。)
(2010年参議院議員選挙(7月)でも比例区得票で伸び悩み、改選議席を2つ落とし事実上の3連敗。●●会長は就任から4年間で、選挙戦において合計15議席を落としたことになる。)
(※これらは「●●元会長がある意味、仕込んだ事」とは、ある情報筋より。)
(※●●氏は選挙情勢や分析、対策をする上で非常に重要な要素を占める彼独自の情報網や人脈をあえて●●会長に禅譲しなかった。)
(※選挙情勢が厳しくなっても、黙っていた。何故ならば、負けさせる事で●●体制の失脚か弱体化を狙えるからだ。)
(※それであわよくば彼が自らの復権を勝ち取ることが出来るか、または●●会長体制を傀儡化させて、裏で操作する事が出来ると思っていたからだとその情報筋は教えてくれた。)
(※案の定、池田先生から「やはり選挙は●●の力が必要だな」となり、●●氏が再度、選挙全般に絡むようになっていったのである)
そして追い討ちをかけるように、ここで●●●●●さん(※当時関西婦人部部長)が要らぬ活躍をしてしまったんです。
どうしても選挙でリベンジをしたいと強く主張して、小選挙区撤退の流れを止めてしまったんですよ。
それで死んだはずの●●●副会長が復権する因ができてしまったんです。
(※この事で●●氏は●●●副会長を政治担当に戻しやすくなり、引退していた●●●●氏も党務に戻した)
(※一旦は息の根を絶たれた反池田勢力が蘇生した瞬間である。)
(※ある時期、会内で権威を失墜して孤立し、宗門行きまで企てていた●●氏は、自分を追い越す勢力だった●●一派の排除にも成功したので、池田先生に対する反撃の画策を始める)
(※●●氏達は2010年5月に池田先生が脳梗塞で再度倒た事で、【選挙戦に弱い●●会長を一気に取り込み、池田包囲網を作りあげた】とは、ある内部情勢筋。)
(※2010年、参議院選挙後、夏の最高会議は、池田先生不在の中で●●一派らが小選挙区撤退を主張する。)
(※しかし、他の幹部達は、関西婦人部長が「リベンジしたい、リベンジしたい」と鼻息が荒い事に目をつけ、それを上手く利用し、小選挙区に候補擁立する事が決まり、これで創価学会執行部は、自民党と離れられなくなってしまったのだ。)
※【参考】(公明党の議席数、得票数の推移)
(参議院のカッコ内は【選挙当時の改選議席】の増減を表す。なおその後の繰上当選や辞職などで前回の当選者数と数字が違うがその比較ではない)
(※2012年以降の【●●】とは●●前会長が本格的に選挙に携わった時代の意味。●●●●氏が2010年1月に党顧問に復帰する事から、この時期より●●体制という人達もいるが、弊社では、2012年の選挙で本格稼働としたと【認定】する)(鬼笑)
議席数 得票数(万)
衆2003年 34 873 ●●
参2004年 24(+1) 862 ●●
衆2005年 31 898 ●●
参2007年 20(-3) 776 ●●
衆2009年 21 805 ●●
参2010年 19(-2) 763 ●●
衆2012年 31 711 (●●)
参2013年 20(+1) 756 (●●)
衆2014年 35 735 (●●)
参2016年 25(+5) 756 (●●)
衆2017年 29 697 (●●)
※(講評)
●●体制から三連敗後、得票数自体は伸びていないが、●●体制になり、議席数は増加している。これは●●前会長の手腕によるものが大きいと考えられる。「選挙上手」であることの現れである。但し、前回衆議員選挙は自民党の一人勝ち、同じ与党の公明党は敗北した。●●マジックもそろそろ限界か?(鬼笑)
つづく
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記
「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)第13回(※印は弊社解説)
ま、そういことで、●●という男は、宗門座談会を利用して先生を動かしたと言えるでしょうね。
先生は、本当に人が良すぎるぐらいに良い方なんですよ。
だからこう言うと誤解を招くかも知れませんが、先生はある意味では、側近幹部の育成に失敗したのかも知れませんね。
●●や●●なんかもそうですが、彼らは上手に先生の庶民感情や正義感につけ込んで、先生の全面的な信頼を勝ち取ったんです。
そして先生を騙し陥れた。当然ですが、先生は全く悪くない。先生は真っ白な心なんです。だから直ぐに相手を信頼しちゃうんですよ。
ま、話を戻して、先程も言いましたが、先生が「宗門はこんなこともしていたのか!この記事を皆に見せなさい!」と言うと、それを●●●さんがこれを持ってきて、いろんな幹部に対して「●●君の言うことを全部きくんだ!」とやるんです。
結局、●●は単なる編集局長だけではなく、信濃町(※創価学会本部)の上の方にも君臨していましたね。●●●とともにね。
例えば社説なんかに“平和”とか”人権“とか、誰か記者が書くと、何故か●●に査問されるんです。
「それは、先生が宣伝のために使う言葉だ!池田先生は、平和とか人権とか大っ嫌いなんだ。先生は弱い人間なんか大っ嫌いだよ!」というのが●●の口癖であり信条だったからなんです。
なぜかといえば、先生は●●個人に対して「負けてはいけない!もっと強く行くんだ!」と指導されていたんですね。
●●への個人指導なのに、それを彼は曲解したのか、敢えて彼がそうしたのかは分かりませんがね(笑)
実はこのように先生の指導が曲解された例は頻繁にあるんです。
面白い話があります。
かつて池田先生から「百六箇抄」講義を受けて副会長になった一人に●●さんと言う方がおられたんです。
京大を出て建築関係の仕事をして、統監も担当された事もあったんですが、その●●さんが定年になって、ご家族の一人の方がフィリピンに行くことになり、一緒に行く事の報告を先生と会食した席でされたんです。
そこには●●さんの他に、●●さんたち方面幹部も同席していたんですが、●●さんが「これからフィリピンに行って、無役職で、一会員としてやっていきます」と報告した。
すると先生は「●●、えらいなー」と言ったあと、「フィリピンはいいなー、選挙がなくて。選挙は福運を消すんだよ」と仰った。
で、パッと●●さんの方を向かれて、当時少し心臓を病んでいた●●さんに、「お前は選挙を戦っていないから病気になるんだ」と言われた。
一見180度反対のことを言われた。これが先生なんです。
つまり、●●さんがやっていたのは、会員を集めて、号令かけて、票読みをして、分析するだけ。
しかし、先生が言われる●●さんがするべき選挙活動というのは、先生が昭和31年、32年にやった、自転車に乗って、バイクの後ろに乗って、一軒一軒、激励に回る。それをやれということだったんですね。
●●さんという人は選挙が大好きで、今までやりすぎるほど選挙をやり、選挙と財務でのし上がった人です。
その●●さんに「選挙をやれ!選挙を戦わなかったら病気になるよ」と言われたのは、一人一人の所に行きなさいという意味だったんですね。
それを●●さんは関西へ戻って、県長会議で「選挙を戦わないと病気になる」と指導してしまった(笑)
それをまた婦人部幹部が広める。
全く違った意味で先生の言葉が利用されちゃう。こういうことが頻繁に有ったんですよ。
つづく
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昨日に続いて、京都乃鬼新聞に「「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)として掲載された記事をご紹介致します。
この記事の中の「※印」は、京都乃鬼新聞社が補足説明として記入されたものです。
この記事には、関係者が実名で記載されています。
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記
「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)第12回(※印は弊社解説)
話はダーティーチームの事に戻りますが、彼らが寺のゴミ箱から漁ってきたような内容を記事にすると、池田先生は生粋の江戸っ子ですから、「なんだ、あすこの坊主はこんな悪さをしているのか!会員がかわいそうじゃないか!」となるんですね。
坊主に虐められている会員を守りたいという先生の心を利用して、そうしたダーティーな記事を毎日、バンバンと先生の所に入れた。
この宗門座談会で矢継ぎ早に記事を書くと、先生が「●●はすごいじゃないか!」と言われたのも事実です。
またその記事を●●●さん(※当時は第一庶務室長、現在は理事長)が持ってきて、全国の婦人部に「宗門座談会を一番に読みなさい」と流してしまう。
これが当時の創価学会上層部の状況だったんです。
やがて●●は聖教新聞編集局長になるのですが、●●が局長の時(2008年~2009年秋迄)は、僕は原稿を一枚も書かせてもらえなかったんです。
それまではよく“名字の言”を書かせて貰っていたんですがね、●●局長の時は全然書かせてもらえなくなったんです。
ですが、ある意味、自分にとってラッキーだったけど。仕事しなくていいんですから。(笑)
そのぶん、ホームレスの方々とハンセン病の方々の支援を思う存分できましたし。
(※「●●は優秀です」と先生に一番最初に報告したのは、●●●●●とともに●●●●●氏【副会長、第一庶務】で、この二人の尽力もあり●●氏はこの時期に編集局長になれたともいえる)
(※●●氏と●●氏は、ある時期、ある事で、完全に結託していたのを、京都乃鬼は知っている)(鬼笑)
ま、それはそれでよかった。なぜなら僕は“名字の言”は大っ嫌いなんです。何故かというと最終チェックが●●●さんだったから。(笑)
いつでも●●●さんがイチャモンつけるんですよ。
「君の記事を見ていると、ボランティア活動が良いように見える。学会活動よりボランティア活動の方に会員を向けていく」とか「君がやっている事は小善なんだよ!」と。
これで何回も首を切られそうになったことか分かりません。
つづく
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しかしながら、ブログ「白バラ通信パンドラの箱」では、創価学会名誉会長池田大作氏以外の人物は、全員匿名とさせて頂きます。
記
「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)第11回(※印は弊社解説)
そういうことで、自民党と連立を組む1999年ごろより、これまで先生と綿密に打ち合わせをしていたスピーチライターチームが排除されて、それまでダーティーワークをしていたチームがスピーチチ-ムになりました。
(※ライターが変更されてからは、この事情をよく知る本部幹部の口々から「最近の記事の質が悪くなったね」との陰口が囁かれる様になった。)
(※一方でこの頃より「同時中継」とは名ばかりで、後日に編集して内容を放映し出した。)
(※特に池田先生が平和や師弟に関するスピーチは「編集やカット」されていた印象が強い。)
(※アフガニスタン空爆やイラク戦争に積極的に支持する国家権力に対する配慮なのか、昭和54年問題に触れられたくない幹部達のためか、何れにせよ学会執行部にはとても都合が良い「スピーチ選集」に編集された「同時中継」となる)
(※当時の創価学会職員の多くには、名誉会長は理想論、会長は現実論という雰囲気があったと証言するのは、あるベテラン現役職員の言葉)
(※そして時代が進むにつれ、スピーチ映像から先生のアドリブ部分を削除した結果、代わりに●●●氏らが延々と原稿を代読して、それを池田先生が横で黙って聞いているという、何とも奇妙な光景になっていったのである)
(※敢えてダーティーチームが用意した原稿を読むのではなく、池田先生は意図的に大幹部を揶揄するアドリブを沢山入れたのだが、編集でこのアドリブ部分をカットしたのは、会員の前では執行部の恥部を公表したくなかったからだ)
(※もともと池田先生には昭和54年問題【弟子の裏切りの歴史】の真実を会員の前では「黙ってて欲しい」学会幹部達の本音と連立政権の運営において池田先生を「黙らせたい」政治家達の利害が一致していたのである。)
(※国家権力と利害が一致した創価学会執行部は、自民党幹部の申し出を断る理由が無いのだ。時間をかけて、少しずつ「池田大作を黙らせた」のである。)
(※そして現在では、「黙らせる」だけでなく、池田先生の名を語る記者たちが、好き勝手な文章を聖教新聞にタレ流しているし、また過去のスピーチや書物さえも「改ざん」している事に、賢明なる読者は気付いている事であろう)
それと共にね、当時の会の中では、先生と●●さんとの確執があったんですが、その時には既に●●さんが組織における全ての実権を先生から奪っていましたから、先生に人事権なんてありませんでしたよ。
(※先生が具体的な人事検討に携わらなかったのは事実だ。)
(※特に職員人事は●●会長が全権を握っていた事は、創価学会職員ならば誰でも知っている事である。)
(※当時を知る定年退職した職員は「あの時代はね、口では【先生を中心に】とは言ってはいたけれども、腹では【●●会長が中心】だったんですよ」と後悔の念を込めて語ってくれた。)
(※一般的に組織人というモノは、人事権を握られると、実に弱くて儚い生き者なのである)(鬼笑)
(※●●会長は、先生寄りの人間を一人一人排除し、自分の息のかかった人間を着々と登用して、組織も本部機構も完全に掌握したと教えてくれた職員の友人もいる。特に「総合センター」は●●会長の牙城であったとの事。)
(※「●●会長解任前の池田先生の地盤は第一庶務だけだった。他はほとんど無かった。だから先生中心の創価学会に戻そうと反●●派でまとまり●●を会長に担いだんだが、、、」とある本部幹部)
(※続けて「でも今では【●●を中心】に変わっただけだ。職員の本質は、あの時と何も変わっとらんよ」と嘆く。)
皆がもっと驚くと思いますが、各地に建設される会館の命名権さえも●●さんにあったのですよ。
表では「先生に名前を付けて頂いて」と言いながら、実は●●さんが命名したんですよ。
受け取る側がそれを先生の言葉としていい方に受け止めることは決して悪いことではないんですが、でも先生が全部指示しているなんてことはないんです。
一方で、先生が地方指導に行かれた時は、上の幹部を通じてでは無く、現場の幹部が先生に直接モノを言えた時代でしたね。
特に●●(※総関西長)さんなんかは上手くて、●●さんに言ったら絶対に通らなかった人事案を、「先生と●●さんに言いましたよ」ってやるんですよ。
例えば、先に●●さんに先に言って通らなかった人事案なんかを、「実はこういう人事を考えていまして」と池田先生に言うんですね。
でも実際の人事権は●●さんにある。
それを聞いた先生は皆の前で「●●、これでいいだろ」とやる。すると秋谷さんは皆の手前、「人事権は私にある」とは言えないから呑まざる負えないんです(笑)
そんなことで、先生は地方へ行くことで、いい意味で組織をかき回していた。
「私中心の同心円なんだ!ピラミッドじゃないんだよ」とも仰っていましたね。
更に、「関西は本部の言うこと聞くんじゃないよ」と、しょっちゅう言っておられた。なんでみんなあの頃の事を忘れてしまうんだろう。
つづく
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KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。