本日2020年3月1日から3日までのブログには、香川大学教育学部教員組合の機関誌に投稿させて頂いた文章を掲載させて頂きます。
飛翔する者からのメッセージ
髙倉良一
昭和61(1986)年10月1日に、私は、香川大学教育学部助手に採用されました。教授会が開催された第3会議室で行った自己紹介のことを、昨日のことのように思い起こします。
当時、教育学部の教官は147名だったと記憶しています。所属する社会科教育講座は、法政社経、哲学倫理、歴史、地理の4 つの教室に別れており、所属する教官は24名でした。この人数は、法学部の教官数よりも多かったような気がします。
以下、教育学部教員組合に対して、お詫びと2つの提案を述べることにします。
まず、お詫びとは、数年前に退職された岡晋平先生が組合の委員長をされておられた時に、岡先生からのご依頼をお断りしたことです。
依頼されたことは全て引き受ける方針で生きて来た私は、一番多い時には、年間7つの非常勤講師を担当したことがあります。高松市や香川県からの要請に応じて、自転車問題、放置自動車、児童虐待などに関する審議会の委員や座長も担当しました。
そんな私が、唯一お断りしたのが、岡先生から要請された教育学部教員組合の委員長就任です。
なぜ、これまでの方針に反して、岡先生のご依頼をお断りしたのかは、私が帽子を着用していることと、2020年2月15日に行なった最終講義の際に配布した記念誌に寄せられた私の想い出に関する文章を、全てペンネームでの執筆とさせて頂いたことと深く関連しています。
香川大学教育学部8号館6階にある研究室で1回、居住している昭和町宿舎で2回、私は110番通報をしたことがあります。平成19(2007)年12月26日からから令和2(2020年)年2月27日現在まで、私は宿舎に戻る時が一番緊張します。宿舎の駐車場などに、私を襲うべく誰かが潜んでいないかと警戒するからです。
帽子を被っている理由は、大学構内で、他の方々が私と間違えられて襲われないようにとの配慮からです。私の想い出を執筆された方々全員に、ペンネームでとお願いした理由は、執筆された方々に危険が及ばないようにとの配慮からです。
岡先生からのご依頼を受けたのは、殺害するとの脅迫を受けた直後でした。「髙倉先生しか居ない」と言われた岡先生に対して、理由を明らかにしないままお断わりしたことを、今でも心苦しく感じています。殺害予告を受けていた私は、自分自身の生存を最優先し、組合の委員長としての職務を遂行する余裕は全くありませんでした。
このことに関しては、私が開設しているブログ「白バラ通信パンドラの箱」(http://wrpandora.blog.shinobi.jp)をご高覧頂ければ幸いです。
ちなみに、このブログは、内閣情報室、公安調査庁、自衛隊情報保全隊、警視庁公安部の方々もご覧になっておられるようです。2020年2月27日午後9時53分現在で、アクセス数は1,685,266です。
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これまで義捐金を振り込まれた皆様方には、心より厚く御礼申し上げます。皆様方からの義捐金の振り込み通知が届く度に、私は涙が込み上げて参ります。ありがたい限りです。
なお、義捐金の収支に関しては、裁判がすべて終了した時点で明らかにさせて頂きます。
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大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。