創価学会池田カルト一派との闘いを開始して以来、どれほどの歳月が過ぎ去ったことでしょうか。
新宿のホテルに呼び出され、エレベーターの中で、「ここには誰も居ないからね。優秀な人間を殺したくない。」と告げられてから、どれほどの時間が経過したことでしょうか。
大学宿舎の郵便箱を燃やされ、研究室の入り口のドアノブにタバコを置かれ、110番通報をし、パトカーで駆けつけた警察官の方々に現場検証をしてもらってから、どれほどの年月が経ったでしょうか。
「香川大学始まって以来のことです。教授が給料を差し押さえれらたのは」と告げられ、大学の事務職員5名から事情聴取を受けたのは、いつのことだったでしょうか。創価学会の副会長から、給与を差し押さえられた大学教授は、おそらく、日本、そして世界でも存在しないことでしょう。
「髙倉さんは、給料の大半を創価学会との裁判費用に費やすことになるでしょう。」と、私の訴訟代理人となられた弁護士さんから告げられたのは、昨日のような気がします。
以下、このような状況で生き抜いている私が、現時点で考えていることを申し述べたいと存じます。
「人間が、自分自身が人間であることを自覚し、人間として生きようと決意し、人間らしく生きることができる社会」の建設を目指す「メダカの学校」を創設し、300年計画で、日本と世界を変えたいと考えています。
「スズメの学校」は、第二次世界大戦前に作成された歌です。「すずめの学校の先生は、ムチをふりふりチイパッパ」と、教える者と教えられる者が固定化され、しかも、「ムチ」という暴力が前提とされています。
第二次世界大戦後に作られた「メダカの学校」は、「めだかの学校は川の中、・・・めだかの学校のめだかたち、だれが生徒か先生か」と書かれています。
お互いに切磋琢磨しながら、日本を変え、世界を変えるべく、「明るく、楽しく、元気よく」、「共に学び、共に考える」ための学問共同体である「メダカの学校」を創設しようと決意致しました。
この宇宙が誕生してから138億年、この地球が誕生してから38億年、何か一つでも欠けていたら、お互いに、人間として出会うことはなかったはずです。そのことだけでも、今、人間として生きているのは、宇宙最大の奇跡であると存じます。
人間は、自分自身の体内では、全くエネルギーを生み出すことは出来ません。食物連鎖の頂点に位置している人間は、常に、他の生命体の存在を犠牲にして、すなわち、食べ物として摂取することによってしか、自らの生存を維持することは出来ません。
しかも、人間は、自らの意思で生きているという錯覚を持った存在でもあります。例えば、自律神経で動かされている心臓を、自分自身人の意思のみで数兆分の1秒でも瞬間的に止めることは出来ません。
人間が、「自分自身が人間であることを自覚する」とは、人間は唯一無二の存在であり、大宇宙の中で生かされているという事実を認識することです。
つぎに、「人間として生きようと決意する」とは、自分自身の中に、善悪の両面が含まれていることを認識した上で、「善き生き方を志す」ことです。
具体的に述べるならば、ユダヤ人を絶滅しようとしたヒトラーを、自分とは全く異なる人間であるとは考えないことです。すなわち、自身の中にも、ヒトラー的な要素があることを自覚した上で、そんな生き方はしないと決意することです。オレオレ詐欺をやろうとすれば出来るけれども、そんなことはやらないと決意することです。
悪いことをする人間と、自分は異なっていると考えているならば、足をすくわれてしまいます。やろうと思えば、もっともっと残虐なことができるけれども、自分は、そんな生き方はしないと決意していなければ、人間悪に対抗することはできないのではないかと存じます。彼と我れとの違いは、悪行に着手しているかどうかだけだと考えなければ、悪人に対抗することは不可能ではないかと存じます。
誤解を招くような表現かもしれませんが、創価学会名誉会長池田大作氏と創価学会池田カルト一派の方々は、自分とは異なる人間であると糾弾するのではなく、自分自身の中にも、池田大作氏や創価学会池田カルト一派の方々と同じ要素を持ち合わせていると認識することです。その上で、彼と我れとの違いは、悪行をなしているか、いないかの違いに過ぎないと考えることです。
その上で、「人間らしく生きることができる社会の建設」を目指すとは、例え、どのような境遇に置かれたとしても、お互いに協力し助け合う社会制度を構築することです。絶望的な事態に遭遇しても、なおかつ、生きること自体に感謝できるような人間関係を維持できる社会制度を創出できるようになることです。
1260年の日蓮による立正安国論、1862年のアメリカの奴隷解放宣言、1789年のフランスの人権宣言、1948年の世界人権宣言」から、どのくらいの歳月が過ぎ去ったでしょうか。未だに、世界各地で戦乱が続いています。この日本でも自殺者は絶えることがありません。
「人間らしく生きる社会の建設」は、かなりの時間が必要となります。300年計画は、これまでの人間の歴史を踏まえたものです。
目指すべき目標は、すでに文書として存在します。いかにして、上記の文書で示されている「希望の未来」を現実化すべきか、智慧の限りを尽くして実践に取り組む人々を結集する「メダカの学校」を創設すべく、精進して参る所存です。
昨年の今頃は、私は、すべてを燃やし尽くして焼身自殺をしようとまで追い詰められました。4月末から5月の連休の間は、宿舎から外に出ることなく、文字通り寝込んでおりました。
しかしながら、人間は変化するものです。現在、意気軒昂です。ありがたい限りです。
現在、「希望の未来」を創出するための環境整備に取り組んでおります。今後とも、皆様のご指導ご鞭撻を心よりお願い申し上げます。
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これまで義捐金を振り込まれた皆様方には、心より厚く御礼申し上げます。皆様方からの義捐金の振り込み通知が届く度に、私は涙が込み上げて参ります。ありがたい限りです。
なお、義捐金の収支に関しては、裁判がすべて終了した時点で明らかにさせて頂きます。
「目指すべき目標は、すでに文書として存在します。いかにして、上記の文書で示されている「希望の未来」を現実化すべきか、智慧の限りを尽くして実践に取り組む人々を結集する「メダカの学校」を創設すべく、精進して参る所存です。」
高倉先生が、ここまで精神が昇華するまでには、並々ならぬ自己との闘いがおありになられたのでしょう。
普通レベルの体験からはなかなか出てこない、深い生命の次元からほとばしる言葉です。
人は、悪い事は他人に丸投げする傾向性がありますが、悪を追求するときは、内省も同時に行う事は日蓮が教えているところです。
その上で、命をかけても悪を徹底的に追求
することは、まさに高倉先生が身を通して実践されている事です。
お体に気をつけられて、これからも希望を持ち続けて頑張って下さい。
いつも心から応援しています。
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大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。