今から何年前だっただろうか。高松のお寺で開催された愛媛教科書裁判の報告会に参加したことがある。その時、この裁判を起こした原告の1人である僧侶が、自己紹介で述べた発言が耳にこびりついている。
「私の趣味は裁判、特技は敗訴。」
ニコニコしながら住職が語ったこの言葉に、私は心底驚いた。私の人生では、直接、裁判に係ることはないと考えていたからである。しかも、負けることを全く苦にしていないことに感銘を受けた。
しかし、人生とは本当に不思議なものである。現在、自分でもいくつの訴訟に関わっているかを忘れるほど、多くの裁判に係っている。
家庭裁判所における調停や裁判、東京地方裁判所、東京高等裁判所、そして、最高裁判所と様々な裁判所での訴訟当事者となっている。そして、これまでのところ、その結果はすべて敗訴なのである。
これらの裁判で、裁判官の忌避を申し立てたことはもちろん、裁判官を相手にした国家賠償請求訴訟を起こしたこともある。
また、私が損害賠償請求訴訟を起こした相手側から、いわゆるスラップ訴訟を起こされたばかりか、給料の差し押さえまで受けたことがある。
これらの裁判に関しては、私の命の大恩人である弁護士の生田暉雄先生が、そのすべての訴訟代理人となっておられる。
裁判を開始した直後に私が書いた陳述書に関して、5W1Hがはっきりしないと、生田先生から指摘されたことがある。「自信満々で書いたのでしょうが、あなたの書いた陳述書の内容は、弁護士が書くものです。当事者は、裁判官の心情に切々と訴えかけるような文章を書かなければなりません。」と言われて、生田先生から陳述書を突き返され、1ヵ月間、全く文章が書けなくなったこともあった。
ところが、人間は成長するものである。
「この準備書面を書いたのは、あなたでしょう。」
昨年1月末に、東京地方裁判所で行われた証人尋問の席で、相手方の訴訟代理人弁護士からなされた質問に、私は心底驚くとともに、呆れ返った。
準備書面は、訴訟代理人である弁護士が作成するものである。「この陳述書を書いたのは」ではなく、相手方の弁護士は、準備書面をかざしながら質問したのである。
こんな質問をする弁護士を訴訟代理人としている団体には、いかなる意味においても未来はないと確信したものである。
「裁判を弁護士に任せきりにしてはなりません。当事者も、裁判の展開と共に成長しなければなりません。」
この生田先生のお言葉は、国民が裁判を武器として活用する上での至言だと感じている。
裁判の船長は当事者である。弁護士は水先案内人なのだ。そう考えるならば、当事者と弁護士との関係は変わるべくして変わるに違いない。その結果、日本の裁判制度自体が変わることだろう。
なぜ、生田先生は、「共に成長」と言われているのか。その理由は明解である。生田先生は単なる「弁護士」ではないからだ。生田先生は、日本の土壌を根底から変えようと志されている「教育家」だからだ。「革命家」でも「教育者」でもない。厳しい修行を自らに課されている「教育家」なのだ。
偉大な「教育家」である生田暉雄先生から、文字通り叱咤激励されながら裁判闘争を展開している私は、何と運が強く恵まれていることかと感じる今日この頃である。本当にありがたいの一語に尽きる。
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大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。