太郎様が、「 『 DHCスラップ訴訟 』から何を学ぶか。」とのコメントを投稿して下さいました。
山本哲也創価学会副会長が、私を「名誉棄損」で訴えた訴訟は、まさに典型的な「スラップ訴訟」だと考えております。
記
『 DHCスラップ訴訟 』から何を学ぶか。
6月末、ブログ『 澤藤統一郎の憲法日記 』で、解釈改憲問題について検索をしていたところ、7月13日:「 DHCスラップ訴訟 」の記事を目にした。
その後、継続的にブログ記事に注目していくにつれ、これは一般市民にとっても見逃すことのできない、極めて重要な問題であることが分かってきた。
8月20日、東京地裁 『 DHCスラップ訴訟』裁判( 澤藤氏及び、光前弁護団長の意見陳述)、更に8月31日のブログ記事から、これは傍観できない、少しでも多くの方に拡散すべきであると・・・・。
先ずは、『 DHCスラップ訴訟とは何か 』について澤藤氏のブログ記事により要点を整理したい。
◇ 裁判を起こしたのは、化粧品・サプリメントのメーカーDHCの吉田嘉明会長。訴えられたのは、政治・憲法をめぐる問題について意見を書き続けている澤藤統一郎弁護士である。
事の起こりは、週刊新潮4月4日号に掲載された吉田氏の手記。2010年7月の参議院選挙と2012年12月の衆議院選挙の直前に、渡辺氏に8億円を貸したことを暴露。
この吉田氏の手記を読んだ澤藤弁護士はブログに取りあげて次のように書いた。
< 要するに自分の儲けのために、しっぽを振ってくれる矜持のない政治家を金で買ったのだ。ところが、折角エサをやったのに、自分の意のままにならないから斬って捨てることにした。渡辺喜美氏のみっともなさもこの上ないが、DHC側のあくどさも相当なもの。両者への批判が必要だ。>
( 3月31日ブログ「 DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判より )
◇ 一方吉田氏は手記の中で、厚労省の規制の煩わしさを述べ、「 官僚機構の打破、・・・・それを託せる人こそが、私の求める政治家 」などと、渡辺氏を支援してきた理由を書いている。
澤藤弁護士は、ブログ第2弾 「 DHC8億円事件ー大旦那と幇間(太鼓持ち)」において、次のように渡辺党首の弁明の論法を追及している。
< 渡辺氏がDHCから借りた金を、党の政治資金や候補の選挙運動資金として貸し付ければ、その段階で、借り入れた側に、借入金として報告義務が生じる。この点はどうしても逃げきれない。8億円の金がどう流れたのか、辻褄が合うかどうか検討を要する。>
◇更に、大口スポンサーと政治家との関係について次のように批判している。
< 金を貰う時のスポンサーへの矜持のなさは、さながら大旦那と幇間との関係である。渡辺は、「幇間にもプライドがある」と、DHC吉田嘉明のやり口の強引さ、あくどさを語って尽きない。>
< 大衆消費社会においては、・・・・、スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、安全性点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金を貰ってそのその見返りに、スポンサーの儲けの部隊を整える。それが規制緩和の正体ではないか。>
◇ また、ブログ第3弾 「政治資金の動きはガラス張りでなければならない」では、澤藤弁護士は、マスコミが渡辺喜美氏を批判するが、金を提供していた吉田氏への論評がないことについて、次のように批判している。
< もの足りないのは、巨額の金を融通することで、「みんなの党」を陰で操っていたスポンサーに対する批判の言が見られないこと。・・・、金を持つ者がその金の力で政治を自らの利益を図るように誘導することを許してはならない。>
< DHCの吉田嘉明は、・・・・、もっと儲けるためには、消費者保護の規制が邪魔だ。・・・・、その本音を、「官僚機構の打破」にカムフラージュして、みんなの党に託したのだ。
自らの利益のために、金で政治を買おうとした主犯が吉田。その使い走りをした意地汚い政治家が渡辺。渡辺だけを批判するのは、この事件の本質を見ないものではないのか。>
◇更に、澤藤弁護士は、「制度の不備」についても言及し、次のように言っている。
< 仮に、今回の「吉田・渡辺ケース」が政治資金規正法に抵触しないとしたら、それこそ法の不備である。政治献金については規制するが、「政治貸金」の形となれば、一切規制を免れてしまうことの不合理さは明らかである。
巨額の金がアンダーテーブルで政治家に手渡され、「貸金」であれば公開の必要がなくなるということは到底納得し得ない。明らかに法の趣旨に反する。
透明性の確保に関して、献金と貸金での取扱に差を設けることの不合理は明らかではないか。>
◇ これに対して、DHCの吉田氏は4月16日、ブログの記事は、同氏の社会的評価を低下させ、著しく侮辱する 「事実」を示したものとして、2000万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求める裁判を起こしたのである。
大企業の経営者が、規制緩和を旗印に掲げる政党党首に、選挙前に不透明な形で巨額の資金提供をしていたことが発覚。それを市民がブログで 「政治を金で買った」と批判することは、論評として許容される範囲なのか、それとも、名誉毀損にあたり許されないものなのか・・・・・。
吉田氏の告訴は 「正当な告訴」と言えるものなのか、それとも、「スラップ訴訟」として法の裁きを受けるべきものなのか、愈々今後、裁判から目が離せない。
桃太郎 2014/09/06(Sat)14:54:43
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昨今の日本における訴訟状況を見渡す時、「スラツプ訴訟」という「訴訟のあり方」が、極めて緊急な対策を必要とする社会問題となっているようである。
そこで、「スラツプ訴訟とは何か」について整理し、次に「スラツプ訴訟はなぜ緊急な社会問題となってきたのか」について考えるため、スラツプ訴訟例を具体的に見ていきたい。
『 スラップ訴訟の定義 』について
< もともとこの言葉は、1984年に訴訟の研究を始めた、デンバー大学のプリング教授とキャナン教授が作り出した造語である。
公に意見を表明したり、請願や提訴を起こしたり、政府・自治体の対応を求めて動いた人々を黙らせ、威圧することを目的として起こされる報復的な民事訴訟のことで、恫喝訴訟とも言われている。> ( スラップ訴訟情報センター )
< 経済的に力のある団体が原告となり、対抗勢力を被告として恫喝的に行うことが多い。被告となった反対勢力は、法廷準備費用や時間的拘束等の負担を強いられるため、仮に原告が敗訴しても、主目的となる 「いやがらせ」は達成されることになる。そのため、原告よりも経済的に力の劣る個人が標的にされやすい。> ( ウィキペディアより )
< 典型的なスラップでは、ただ単に、憲法で保障されている権利を行使する動き (ビラ配布、デモ、意見投稿など )だけで、「不法行為の疑いがある」として民事訴訟を起こされる。
標的にされる社会問題で特に多いのは、「公害・汚染」、「環境破壊」、「公人の行動」、「反対の強い土地利用」等に意見を表明するなど多岐にわたる。
ターゲットにされるのは、個人又はジャーナリスト、消費者や労働者、女性や少数派( 人種、マイノリティー)などの権利のために公的に働く、個人や市民団体が狙われることが多い。> ( スラップ訴訟情報センターより)
『 スラップ訴訟の10項目の条件 』について、デンバー大学の両教授は定義をもとに次のように示している。
〇 刑事裁判に比べて、裁判化が容易な民事訴訟。
〇 公的問題が公の場所で論争になっている。
〇 訴訟の原告と被告はその公的論争の当事者である。
〇 公的な問題について発言した者、批判者や反対者が提訴される。
〇 提訴する側は、資金・人材・組織などの資源を持ち、比較的強者。
〇 提訴される側の者は、資金・組織・人材などを持たない、比較的弱者。
〇 経済的、精神的負担といったコストを被告に負わせ苦痛を与える。
〇 提訴によって苦痛を与えることで、被告の公的発言を妨害・阻止する。
〇 訴えられていない潜在的な発言者も提訴を見て発言を躊躇するようになる。
〇 提訴した時点で批判者に苦痛を与えるという目的は達成されるので、提訴側は裁判の勝敗を重視しない。 ( スラップ訴訟情報センターより)
『 スラップ訴訟の傾向 』
〇 経済的な格差を利用する。(原告が明らかに被告よりも経済的に優位)
〇 訴訟のターゲットが限定的。(他の対象には訴訟を起こさない)
〇 訴訟額が法外に大きい。(訴訟費用の負担を大きくし沈黙させる)
〇 公益性に関わることの指摘に対する訴訟。 (指摘内容には異議がある)
『 過去のスラップ訴訟例 』
A 「幸福の科学」スラップ訴訟
〇 1996年、宗教法人「幸福の科学」の元信者が 「多額の献金を強制された」と賠償請求訴訟を提起したところ、「幸福の科学」側が名誉毀損だとして翌年、8恩円の請求訴訟を起こした。
これに元信者の代理人の山口弁護士が不法行為だと反訴したところ、東京地裁は 「批判的言論を威嚇する目的であり」、「請求額は到底容認できず」、「著しく相当性を欠き違法である」として、「幸福の科学」の訴訟に対して請求棄却とした。
B 「 オリコン」スラップ訴訟
〇 2006年、月刊誌「サイゾー」に掲載された『オリコンとジャニーズの蜜月』という記事で、オリコン社が、ジャーナリスト烏賀陽弘道氏のコメントに名誉毀損されたとして、5000万円の賠償を求める民事訴訟を提起した。オリコン側は 「謝罪するなら提訴を取り下げる」と公言。
07年、これに対し烏賀陽氏は、「提訴は請求以外の目的に使った訴権の濫用」と主張し、オリコンに1100万円の損害賠償を求める訴訟を提起した。
08年、一審で烏賀陽氏に100万円の支払い命令があったが、烏賀陽氏はすぐさま控訴。
09年、東京高裁で和解案が提示され両者が調印。オリコンは請求を放棄した。
朝日新聞はこの結末について論評し 「実質的な逆転勝訴」と報じた。
烏賀陽氏の弁。< 33か月間は生活の大半を裁判準備にとられ、弁護士費用と収入減を合計すると約1000万円。その間に過労で病気にもなったし、ストレスで不眠症、抑うつにもなった。>と。
C 「 原発フィクサー」スラップ訴訟( 田中龍作ジャーナル、木星通信、他 )
〇 2011年12月16日発売、「週刊金曜日」に掲載された『最後の大物フィクサー』と題する記事で、ジャーナリストの田中稔氏が、警備会社社長を中心にした「原発の利権構図」をリポートした。
会社側の白川司郎社長は 田中氏だけを告訴し、6700万円の損害賠償を請求した。掲載した「週刊金曜日」は告訴しなかった。
白川氏の提訴の理由は、一つには「 フィクサーと表現されたこと」、もう一つは、「 東電利権に関係していると書かれたこと 」の2点が名誉毀損にあたるとした。
かつての名誉毀損は媒体とライターの両方を訴えるのが普通だった。経済力のないライターだけを狙い撃ちにするのが「スラップ」の特徴だ。
訴えられた田中氏の肩に途方もない金額が重くのしかかり、苦闘が始まった。法廷闘争に注がなければならない労力も生活を圧迫した。
「 証言集めや裏付け作業に追われ、心身ともに疲れ果てた」「 仕事にも身が入らず、職場の同僚に迷惑をかけた」「 家族にも心配をかけた」 と、田中氏は苦闘の表情を浮かべながら話した。
原告の白川氏は 「ニューテック」(原発警備会社)の会長。これは、警視総監の経験者の集まりで発足したもの。原発施設をテロから守るというもので、警察官僚の天下り先と原発施設が固く結びついている事が分かってきた。
だが、背水の陣で臨んだ田中氏の地道な努力は報われる。フィクサーとされる社長側が裁判を取り下げたのである。8月19日に予定されていた本人尋問の直前だった。原告は知られたくないことがあったのか。本人が法廷に立ち証言することもなく、裁判を取り下げたのである。( 田中龍作ジャーナル、「原発フィクサー」訴訟の会 より)
< 田中氏は意見陳述の最後に、パリに本部を置く 「国境なき記者団」 がこの訴訟を「言論妨害事件」として世界に発信し、この裁判は 「世界のメディアが厳しい視線を注いでいる 」と裁判官に訴えました。 ( 木星通信 @Irakusa )
< 裁判を取り下げた背景について、「朝日」が、東電と「原発フィクサー」こと白川氏の疑惑について一面トップに報じたのは、7月16日のことだった。「朝日」は7月と8月の2回にわたって、『 原発利権を追う』と題した連載を行った。その中で、貯蔵施設建設にゴーサインを出した元市長と、原発誘致の前町長の親族企業への、「西松建設」からの3億3千万円の融資疑惑が取り上げられていた。
提訴されることを恐れて大手マスコミは及び腰。報じても実名報道は皆無で、真正面から切り込んだのは今回「朝日」が初めてだろう。それだけに、白川氏が危機感を持ったのは間違いない。> とブログ「日々独学」は指摘している。
◇ また、 マイニュース・ジャパンは、『 原発スラップ被害者が法廷で明かした実名 』と題し、次のような情報提供をしている。( 林 克明:記事)
〇 12月10日の第5回口頭弁論で、被告田中氏は、白川氏が各界の有力者をつなぐ仲介役であることを示す、新事実を次のように陳述した。
≪ 平成24年9月2日、群馬県内のゴルフ場で、ニューテツクグループによるコンペが行われ、招待者には次のような人物が含まれていました。パチンコ機器メーカーの熊取谷市、元警察庁生活安全局長の黒澤氏、元特許庁長官の吉田氏などです。・・・。
吉田氏は原発政策の推進官庁である資源エネルギー庁の総務課長も歴任していました。つまり、この3人と白川氏を関連づけるキーワードは、「特許」、「パチンコ」、「原発」です。≫ と。
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。