桃太郎様が、『 戦時体制と創価学会 』というテーマで興味深いコメントを投稿して下さいました。多くの方にご覧頂けるように、「コメントに応えてシリーズ」でご紹介させて頂きます。
なお、次回のブログからは証人尋問に関する反訳の掲載を再開させて頂きます。
記
『 戦時体制と創価学会 』
桃太郎 2014/08/16(Sat)
毎年、8月15日が近づくと、テレビ報道のインタビューで、15日がなんの日か分からない若者の姿が報道されています。
また、近年、戦時体制がどのようなものであったか身を持って語ることのできる世代も急激に減少してきています。
一方、戦後再出発から60年が経過した創価学会ですが、その組織体質について的確な理解ができている者は、よほど創価学会に関心のある者でない限り、外部の者では、それほど多いとは考えられません。
聖教一致の選挙活動を信仰にし、違反すれすれのF票集めをしている学会員の姿を見かけても、「平和の党」 「庶民の味方」などの耳触りの良い宣伝で、後ろに控えている創価学会の「真の姿」はブロックされているからです。
『 創価学会批評ブログ 』という、特に前々から注目しているブログがあります。このブログの記事は、学会員さんの身近な話題を多方面から取り上げ、焦点を絞って簡潔に、しかもユーモア一杯に紹介されています。とりわけ外部の者にとっては大変適当な学習教材として有効なものです。
折よく、終戦記念日にあたって、このブログで、戦時体制と比較することによって、創価学会の組織体制の体質を分かり易く示されている記事を見かけたので、その共通点としているところの要点を列記してみたいと思います。
≪ ① 大本営発表と同じように情報操作をし、都合の良い事だけを発表し、都合の悪い事は発表しない、あるいは嘘の報道をする。
② 「お国の為」という大義を盲目的に信じて戦闘に突き進むように、敵対者に対し「闘争しろ」「戦え」と幹部から戦意高揚をそそのかされ。「呪いの題目」唱える狂信者などはその典型である。
③ 戦争に疑問を抱き声高に叫び主張すると非国民扱いされ弾圧されたように、学会に疑問を抱いている者のほうが多いのだが、声高に主張できず、不承不承組織に従っている者が多い。
④ 戦時体制下では、国家による国民の意識誘導、「洗脳・マインドコントロール」が行われていたが、創価学会でも、情報操作による信者の意識誘導、「洗脳」が行われている。
⑤ このように思考を圧迫して戦闘や活動に動員する手法は同じで、創価学会も 「仏法民主主義」などと謳っていても、その実態からは、上から一方的に命令を下す「全体主義的な組織」である。そのいずれも犠牲者が出て、どちらも幸福になれないという事も共通している。
⑥ 小説「人間革命」の冒頭に 「戦争ほど残酷なものはない、悲惨なものはない」とあるが、「創価学会ほど残酷なものはない、悲惨なものはない」、と言い換えうるのである。= 以上要約 (詳しくは、当ブログ『戦時国家と創価学会の共通点』をご覧下さい)
◇ まだ他に悲惨なこと、奇妙なことが沢山あるのでしょうが、これだけを見てもとんでもない組織・団体であることが分かります。それにしても、この団体が仏教とはとても考えられません。
少しでも学会組織へ対して疑問・批判を呈すると、役職の高い者ほど人権抑圧を激しくされていることは、原島氏、竹入氏、矢野氏など、学会の副会長や公明党トップへの弾圧に見られるとおりです。
高倉氏が家族間で学会批判を行ったことに対して、プライベートな日記の「とりあげ」、信心指導と称しての「査問」、それをもとにした「脅しと殺人予告」、離婚への巧妙な「そそのかし」等々、人権抑圧的体質は、正にこの創価組織の「全体主義的体質」から来るものでしょう。
更に、組織・体制の過ちを認めず反省することのない独善的・ファッショ的体質が、自ら崩壊に導いているということに気づきにくくしていること、このことも戦時体制の特質と似た、創価組織の特質であると言えそうである。
創価学会が、情報操作による意識誘導を改め、全体主義的体質を廃棄し、収奪も人権抑圧もない、開かれた「真の信仰」のみによる組織・団体に徹底的に改革しない限り、いつまで経っても、世間一般から嫌われ、認められることはないでしょう。
また、創価学会が、有り余る「財力」を背景にメディアの創価批判を封じ込め、同時に会員に選挙活動を煽って公明・自民を操作し、権力に浸透して行政並びに司法までも操作するという「悪の政治主義」を破棄しない限り、宗教法人としては認められないでしょう。
学会員が一個人として、ある面まじめで人が良いとしても、財務・寄付によって集められた「お金」が果たしている役割と、上からの指示で投じる一票が果たしている影響を考える時、こうした創価組織の体質の一端を支えているという責任から逃れられるものではないでしょう。
かつて我が国の堕落した宗教界を浄化することさえ一部に期待されていた面が創価学会にあったことを考える時、池田教と化した腐敗ぶりとその社会悪の現状から、改革は遠く及ばないものになり果て、もはや宗教団体としては崩壊への道を突き進んでいるようで、因果応報と言えばそれまでのことですが、至極残念なことにも思われます。
以上
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船瀬俊介さんの動画です。
権力は腐敗し→隠蔽→弾圧するという3構造を説明しています。
学会もその様な、状況なのでしょう。
『 死者の声に耳傾けたい』 元広島市長:枚岡 敬
≪ 69年前の夏、私は学徒動員により北朝鮮・興南の化学工場で働いていた。8月9日、ソ連が参戦。・・・・大勢の避難民が、北から逃げて来た。死を覚悟したが、突然戦争は終わった。・・・・。
9月末に引き揚げると、郷里広島は、原爆で壊滅していた。
戦争を生き延びた日本人には、その数だけの戦争体験がある。その体験に共通する思いが「戦争はゴメンだ」であった。戦前の桎梏から解放された人々は、飢えに苦しみながらも、新しい憲法のもと、平和な世界を夢見て、日本再建に汗を流した。
しかし、いま私たちの目の前には、荒涼たる光景が広がっている。
かつて焦土に生きる日本人の希望であった憲法は、邪魔者扱いである。米国に従属する戦後政治の流れの中で、先の戦争は明確な過ちであったということを認めようとしない人々が権力を握り、非憲法的な手段によって国の行方を大きく変えようとしている。
特定秘密保護法に続く集団的自衛権の行使容認は、自衛隊が米軍と一体にになって海外で戦争する道を開いた。・・・・・。
国家財政の危機、格差の拡大、米軍基地の恒久化などが、国民の暮らしに暗い影を落とす。ヒロシマ・ナガサキを忘れて原発再稼働を目指し、原発輸出に狂奔する政治には、国民の安全を守る姿勢は見えない。
さらに中国、韓国との対立を激化させている現状は、いやでも戦前の歴史を想起させる。戦後がいつの間にか新たな戦前になってしまった。
それはなぜなのか。日本が歴史と向き合うことなく、戦争の責任を追及せず、すべてを曖昧にしてきたからではないか。
歴史を学ぶのは、失敗を繰り返さないためである。失敗を認めたくないという心理は、言葉でのごまかしにつながる。「 敗戦」を「 終戦」と言い、「 武器輸出」を「 防衛装備移転」と言い換えて、真実を隠そうとする。
過ちを反省せず、現実から目を背けて問題を先送りし、責任を回避する日本政治の体質はフクシマでも明らかになった。
私たちは議論のない議会や平然と嘘をつく政治家を数多く見て来たが、国と地方を問わず、最近の政治家の言動は醜悪である。・・・・・。
私は、目先の利潤追求に走り、戦争の悲惨を実感できない人々が、安全保障を論ずる危うさを痛感している。
安全保障は軍事力だけではない。近隣諸国との信頼醸成と相互依存関係の強化が、日本の安全を確かなものにする。軍事力に頼って失敗した過去から学ぶべきことは、外交による平和構築である。海岸に原発を並べた日本が、戦争などできるはずはない。
アジア・太平洋戦争での日本人の死者は300万人、アジアの人たちの犠牲は2000万人と言われている。・・・・。 死者一人一人の無念と、生き残った人間の戦争体験こそ「 肝要な部分」であり、歴史の土台である。
それ故、私は自らの体験に固執し、戦争への動きを拒否する。敗戦時に民を身捨てた国の本性を見たからでである。
戦争に負けた日本は、本当に生まれ変わったのか。生き残った人間は、死者の訴えに耳を傾けてきたのか。
転機に立つ私たちは、非業の死を遂げた死者の声を聞いて、日本の未来を考えなければならない。
巡りくる敗戦の日が、そのことを私たち問いかけている。 = 以上転載
◇ 私は、戦争を知らない世代の者です。しかし、戦争の歴史については小学生のころから強い関心を抱いて育ってきました。
それは、私の母の兄(伯父)が太平洋戦争で昭和20年5月に戦死しているからです。幼いころ、亡くなった母から伯父の出征について何度も聞かされて育ちました。
伯父は、子どたち6人を残して奄美大島の近海で撃沈され、戦わずして海の藻くずとなりました。いまだに、遺骨は帰ってきていません。白木の箱が帰って来ただけでした。
残された妻と6人の子ども達の戦後の生活は、それは悲惨なものでした。12歳であった長男は中学を出ると父親代わりに身を粉にして働いたのです。弟・妹たちの学資を農業と出稼ぎで支えたのです。
このことは、全国どこにでも見られる光景であったと思われます。
現在、その長男は82才、脳梗塞でベット生活です。私が戦争の話をすると、すぐ涙が出てきます。自分の家族を支え戦って生きたことの苦しさで涙が出るのではない、と言います。
命日には必ずお墓にお参りし、自分の姿を見せに行っていたと言います。あと半年早く戦争が終わっていたら、母親と弟妹の悲しみと苦しみは無かったものをと・・・・、よほど悔しかったのでしょう。
戦後、その長男から日本の戦争責任の問題を詳しく聞いたことがありませんでした。周りにたくさんの戦死者があり、中には二人の戦死者を出している家もあるからでしょうか。
それでも、長男は、「なんで日本はバカな戦争をしたものか」と、涙しながら一言ポツリと・・・。
なぜか、昭和20年代、戦争責任の問題が日常の話題にはなりにくかったと、その長男は言います。
日本国民はみんな総懺悔しなければならないという、今考えると、可笑しな雰囲気が日本全国にあったのでしょう。
最近、数少なくなってきている戦争体験者の「生の声」が新聞紙上に掲載されています。これまで、語りたくなかった人が、悲惨な体験を生々しく語り始めています。
これまで以上に日本が危うい方向、変な方向に行って欲しくないと感じてのことでしょう。
安倍総理とその周辺の人には、これらの記事をしっかり見て欲しいものです。
非業の死を遂げた『 死者の声 』に耳傾けて欲しいものです。
私は、終戦の日を迎えると必ずテレビ放映や新聞記事に注目しています。
特に今年は、「 特別秘密保護法」の強引な採決、「集団的自衛権の行使容認」の自民・公明による閣議決定が強行になされたこともあって、全国紙とテレビ特集番組を取り分け丁寧に目を通しています。自民党の憲法改正草案にも目を通しています。
明治時代の日清戦争、日露戦争から昭和の太平洋戦争まで日本は戦争の歴史でした。
なぜ日本は長い戦争の歴史を繰り返すことになったのか、なぜ他国への侵略を避けることができなかったのか、日本国民は、近代と現代の日本の歴史から深く学ばなければならないのです。
そして、今こそ私たちは、日本国憲法は与えられたものではなく、私たち日本国民の心からの願いを書き止めたものであることを確認し、その学びを広めていかねばならないのです。
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。