津村信一氏による大江戸仏教瓦版の続きを掲載致します。
記
お釈迦さんはクシナガラで入滅する時、弟子達が嘆き悲しんでいるのを目の辺りにした。彼等はこう言っていたのです。
「今までは仏が師匠だった。しかし亡くなられたら、いったい誰を師匠としたらいいのか」
そこで仏はこう言った。
「生きている時は、私が師匠だった。しかし死んだら、遺した教えがお前達の師匠となるのである」
皆さんがよく知っている「」ですね。法によって、人によらざれと覚えているはずですが、いかに法が大切であるかがよく分かるはずです。だから日蓮聖人は曼荼羅に善悪の法を認めたのです。プーチンの気分次第で戦場に送られる人治国家の悲惨さがよく分かるでしょう。だから正しい法によって修める法治国家の必要性をよくかみしめてください。本来は仏法と王法・世間法は一体だと納得できるでしょう
「よく法を体現した人生という言葉を聞きますが、そにれはどんな生活をしたらいいんでしょうか」
ーー世間法の道理を極め尽くした言動をするなら、それが仏法の全体を体現した人生になるということです。あくまで自己の過失や悪をよく抑え、正しく逞しく全うすることが生まれてきた目的ですから。
「清くも美しくもありませんが」
ーーいや、正しく逞しく生きるのは、周囲からするとカッコよくて、輝いて見えるんですよ。
「もう金ピカですか」
ーーそうです、金ピカそのもの。ところで『清く正しく美しく』は宝塚歌劇団のうたい文句ですが、あそこはヘドロそのものですよ。これは1971年冬のことですが、あまり売れないB級の美人団員が、美人局をやった事件が大々的に報道されてました。彼女はさる若手経営者の誘いを受けて交際していたわけですが、暴力団員の愛人だったんです。経営者が何度もその男に脅されたから警察に行き、事件が明るみに出た。歌劇団は大変な騒ぎでした。夢を売り物、いや、食い物にしてるわけだから、非難が絶えないのは当然でしょう。隠蔽体質を身につけてしまっているから、今後もスキャンダルは続くんですよ。
それはさておき、人生には過去世の因縁もあるし、そうでないものもあります。また現世で殺人などの悪事を働くなら、たとえ逮捕されても被害者の恨み、憎しみは消えない。それが現世で氷解すれば、加害者は来世において、憎しみを何らかの形で受けることはない。報復を受けることもないでしょう。だから現世で悪い因縁・悪業を造ってはならないのです。
つづく
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KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
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