津村信一氏による大江戸仏教瓦版の続きを掲載致します。
記
わが滅度の後をもって、また疑惑を生ずるを得ることなかれ。当来の世に、教道滅尽すとも、われ慈悲を持って哀愍し、特にこの経を留めて、止住すること百歳ならしめん。それ、衆生ありて、この経に値わば、意の願うところに随いて、みな得度すべし。
念仏者はこの経典を〃大経〃と呼称し、非常に尊重しています。当来世(未来世)に仏の教えが全て滅ぶことがあっても、慈悲によって救済したいため、特にこの経を百年をもって世に留めおこう。そして人がこの経に会えば、願いにしたがって救済するだろう。
念仏者はこの経典を〃大経〃と呼称し、非常に尊重しています。そして1052年が末法初年ですから、その前の951年より1051年までが、阿弥陀仏の救済有効期間だったわけです。それ以降はいくら念仏を称えても、救済はありません。だから真剣に祈るほど、気力が萎えてきます。絶対成仏できません。例えば太平記や承久記のような軍記物を読んでごらんなさい。敵に捕らえられて斬首される時、ほとんど西に向かって正座し、念仏を称えてますね。だから念仏は絶望の教えなんですよ。
「1051年で念仏が滅んだという現証はありますか」
ーーインド仏教が滅んだのは、1203年です。この年にイスラム教徒がインド仏教の最後の拠点ヴィクラマシラー大寺院を略奪破壊し、炎上させました。僧や僧尼は捕らえられて虐殺され、一部はチベットやネパールへ逃亡しました。もし法然や親鸞がその有様を知っていたら、日本で念仏を弘めることはなかったかもしれません。念仏の教えが滅んだというのは、この現証がもっとも雄弁に語っているじゃありませんか。
ところで法華経には、末法に入っても阿弥陀仏の救済があることが説かれています。
、若し人有って、是の薬王菩薩本事品を聞かん者は、亦、無量無辺の功徳を得ん。若し女人有って、是の薬王菩薩本事品を聞いて、能く受持せん者は、是の女身を尽くして、後に復受けじ。若し如来の滅後、後五百歳の中に、若し女人有って、この経典を聞いて、説の如く修行せば、此に於て命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏の、大菩薩衆の囲繞せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん。
第二十三章薬王菩薩本事品ですが、後五百歳(後の五百歳と読む、つまり未来世)に女性が法華経を正しく信仰すれば、次に生まれ変わるときは女性の身を取らず、阿弥陀仏が大菩薩に囲まれて説法する座に生まれることになっています。この未来世というのが、無量寿経でいう〃経道滅尽〃の時代、つまり末法現代です。
「しかし現在の日本では、阿弥陀信仰と法華信仰は不倶戴天の怨敵同士になってますが」
ーー日蓮聖人が念仏を最悪の邪法として排撃しましたから、当然です。念仏の開祖法然(1133ー1212年)は親鸞(1173ー1262年)の師匠になります。親鸞は法然の足りない教学部分と阿弥陀信仰を徹底して推し進めた。だから二人は結果的には同じですが、共に法華宗の比叡山で長年学んだにもかかわらず、法華経の奥義は体得できなかった。つまり釈迦如来が法華経薬王菩薩本事品で後五百歳と言ったのは、法華経以外は全て滅んだ末法の時代を指すのであり、その時代は戦争・悪質な伝染病・天然の大災害・農業の不振などにより、生存に困難な状況になってくる。立場の弱い女性を救うためにーー薬王菩薩本事品で法華経というーー法の信仰による阿弥陀仏の救済を説いたことが分からなかったのです。末法になったら、阿弥陀仏を礼拝しても阿弥陀仏の浄土(安養世界)に往生できないが、法華経なら往生できるというわけです。
つづく
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