「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」
明日2月7日(月)午後10時25分から、NHKのEテレ「100分de名著」で、「日蓮の手紙」が放映されます。本日、上記のテキストを一気に読了しました。
この書の根底には、現在の創価学会池田カルト一派に対する激烈な批判が込められていると感じました。
ただし、創価学会に関する記述は全くありません。
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ご承知のように、日本での裁判には多額の費用がかかります。今後の訴訟展開を考えると、訴状に添付する印紙代だけでも、かなりの費用が必要となります。大変恐縮ですが、皆様方のご支援を衷心よりお願い申し上げます。
これまで義捐金を振り込まれた皆様方には、心より厚く御礼申し上げます。皆様方からの義捐金の振り込み通知が届く度に、私は涙が込み上げて参ります。ありがたい限りです。
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義捐金を振り込まれる際には、可能な限り、ご住所とお名前をお知らせ頂ければ幸いです。メールアドレスでも結構です。何卒よろしくお願い申し上げます。 白バラ運動支援義捐金の振替口座の番号は下記の通りです。1口300円です。ご協力の程よろしくお願い申し上げます。
なお、義捐金の収支に関しては、裁判がすべて終了した時点で明らかにさせて頂きます。
なお、義捐金の収支に関しては、裁判がすべて終了した時点で明らかにさせて頂きます。
記
1. 郵便局の振り込み用紙や、お手持ちのゆうちょ銀行の口座から振り込まれる場合
口座記号番号 01680-3-132288
口座名称(漢字) 白バラ運動支援義捐金
口座名称(カナ) シロバラウンドウシエンギエンキン
2. 他の金融機関から振り込まれる場合
店名(店番)一六九(イチロクキュウ)店(169)
預金種目 当座
口座番号 0132288
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» 古い時代の創価はヒットラーを賛美し、戦争を称賛していた!
誰も知らなかった「昭和初期」創価学会の本当の姿 ⇒ ●"狸"祭り ●
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54727?page=2
牧口の一番弟子である戸田城聖(当時は城外と名乗っていた)は補習塾だけでなく出版業にも乗り出していた。1940年には小学生向け雑誌を創刊したが、そこでは
★ 海軍特集を組むなど軍国少年の育成に一役買っていた。 ★
★ 総会はいつも皇居に向かっての遥拝で始まり、会の終わりには軍歌がうたわれた。牧口や戸田にとって天皇中心の国体観念やその下での対外拡張政策は当然のことだった。 ★
創価教育学会の会員が戦死
⇒★ 戸田:「信心が足りなかったから死んだ」といった趣旨の発言をしていた ★
「狸祭り事件」:老僧・小笠原に対する集団吊し上げ事件
当時、『聖教新聞』や『大白蓮華』といった 機関紙誌は
『 暴力的な場面も含め事件の詳細を大々的に報じていた。』
今日、創価学会は「反戦・平和の団体」を標榜し、世間からもそう見られることが多い。 初代会長の牧口は治安維持法違反・不敬罪で特高警察に検挙された末の1944年、巣鴨拘置所で獄死している。
創価学会はそれを軍部政府と対決した末の壮烈な最期としており、反戦・平和のシンボリックな出来事として祭り上げている。 しかし、封印された機関紙誌などから立ち現れてくる実像はそれとはまったく異なる。
戦前の「特高警察」との接近
前身の創価教育学会が左翼運動取り締まりに血道を上げていた治安当局と極めて良好な関係にあったという事実である。
牧口らは治安維持法による左翼思想取り締まりを当然のことと考えていた。
創価教育学会は「赤化青年の完全転向は如何にして可能なるか」といったパンフレットを発行し、治安当局との蜜月ぶりを会員獲得に向けた宣伝材料とした。
牧口や元教員たちは警視庁特高課員と酒を酌み交わし
そんな体制べったりの創価教育学会が一転して特高警察の弾圧を受けることとなったのは1943年のことだ。 ただしそれは創価教育学会が軍部政府に対し反戦・平和を訴えたからではない。 日蓮正宗の原理主義的な信仰活動が行き過ぎたからである。
共産党を壊滅させた後、治安当局が重点取り締まり対象としたのは宗教運動だった。
その数年前『価値創造』は1941年10月の第3号でヒトラーの『我が闘争』の紹介に大きく紙面を割いていた。
その頃、ナチスドイツは宿敵フランスを屈服させ、さらにソ連にも深く侵攻し首都モスクワの目と鼻の先まで迫っていた。いわば絶頂期にあった頃だが、そんなヒトラーを『価値創造』は見出しにおいて「現代の転輪聖王」と持ち上げ、理想的な君主とみなしたほどだった。
さらに日本軍が南方で緒戦の勝利に次ぐ勝利を重ねていた1942年ともなると、創価教育学会の幹部たちからは勇ましい発言が相次ぐようになる。
『価値創造』の後継誌として出された小冊子『大善生活実証録』(同誌は国立国会図書館に覆刻版の所蔵がある)によると、こんな具合だ。
「陛下の御稜威の下、我が陸海軍将兵が緒戦以来、赫々たる戦果を挙げている事は、吾等の衷心より感激に堪えない次第である……我国としても、もう寸毫の妥協も許されず、勝つか負けるかの一時のみ、否、断じて勝つの一手あるのみである
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54727?page=2
牧口の一番弟子である戸田城聖(当時は城外と名乗っていた)は補習塾だけでなく出版業にも乗り出していた。1940年には小学生向け雑誌を創刊したが、そこでは
★ 海軍特集を組むなど軍国少年の育成に一役買っていた。 ★
★ 総会はいつも皇居に向かっての遥拝で始まり、会の終わりには軍歌がうたわれた。牧口や戸田にとって天皇中心の国体観念やその下での対外拡張政策は当然のことだった。 ★
創価教育学会の会員が戦死
⇒★ 戸田:「信心が足りなかったから死んだ」といった趣旨の発言をしていた ★
「狸祭り事件」:老僧・小笠原に対する集団吊し上げ事件
当時、『聖教新聞』や『大白蓮華』といった 機関紙誌は
『 暴力的な場面も含め事件の詳細を大々的に報じていた。』
今日、創価学会は「反戦・平和の団体」を標榜し、世間からもそう見られることが多い。 初代会長の牧口は治安維持法違反・不敬罪で特高警察に検挙された末の1944年、巣鴨拘置所で獄死している。
創価学会はそれを軍部政府と対決した末の壮烈な最期としており、反戦・平和のシンボリックな出来事として祭り上げている。 しかし、封印された機関紙誌などから立ち現れてくる実像はそれとはまったく異なる。
戦前の「特高警察」との接近
前身の創価教育学会が左翼運動取り締まりに血道を上げていた治安当局と極めて良好な関係にあったという事実である。
牧口らは治安維持法による左翼思想取り締まりを当然のことと考えていた。
創価教育学会は「赤化青年の完全転向は如何にして可能なるか」といったパンフレットを発行し、治安当局との蜜月ぶりを会員獲得に向けた宣伝材料とした。
牧口や元教員たちは警視庁特高課員と酒を酌み交わし
そんな体制べったりの創価教育学会が一転して特高警察の弾圧を受けることとなったのは1943年のことだ。 ただしそれは創価教育学会が軍部政府に対し反戦・平和を訴えたからではない。 日蓮正宗の原理主義的な信仰活動が行き過ぎたからである。
共産党を壊滅させた後、治安当局が重点取り締まり対象としたのは宗教運動だった。
その数年前『価値創造』は1941年10月の第3号でヒトラーの『我が闘争』の紹介に大きく紙面を割いていた。
その頃、ナチスドイツは宿敵フランスを屈服させ、さらにソ連にも深く侵攻し首都モスクワの目と鼻の先まで迫っていた。いわば絶頂期にあった頃だが、そんなヒトラーを『価値創造』は見出しにおいて「現代の転輪聖王」と持ち上げ、理想的な君主とみなしたほどだった。
さらに日本軍が南方で緒戦の勝利に次ぐ勝利を重ねていた1942年ともなると、創価教育学会の幹部たちからは勇ましい発言が相次ぐようになる。
『価値創造』の後継誌として出された小冊子『大善生活実証録』(同誌は国立国会図書館に覆刻版の所蔵がある)によると、こんな具合だ。
「陛下の御稜威の下、我が陸海軍将兵が緒戦以来、赫々たる戦果を挙げている事は、吾等の衷心より感激に堪えない次第である……我国としても、もう寸毫の妥協も許されず、勝つか負けるかの一時のみ、否、断じて勝つの一手あるのみである
» 『歴史は終わっていない』
1989年の夏、ひとつの論文が発表された。フランシス・フクヤマによる「歴史の終わり」である。
この論文は、ソ連邦を筆頭に共産圏が息も絶え絶えの状況下において発表され、自由主義陣営の「勝利宣言」として世界に受け止められたものである。発表直後に東欧諸国が民主化へと進み、1911年には、ソ連邦が姿を消した。フクヤマは「歴史が終わった後の世界」を次のように分析している。
< 冷戦後の世界では国家間の対立というものはなくなり、それは経済的分野のみ存在するようになり、人々は安堵と退屈のうちに、『最後の人間』へと至る 。さらに、各地において宗教や民族といった違いを中心に紛争が起こるかも知れないが、民主・自由主義が一番合理的な政治体制であるという事実はゆるがない>と。
このソ連邦崩壊後の「社会主義は敗北し、資本主義が勝利した」との言説は、その後の歴史を見るとき、果たして妥当であったかどうかは真に怪しい。その妥当性は今回の「ソ連のウクライナ侵攻」の問題においても問い直されている。
すなわち、1990年以後の東欧をどう安定させるかという長期的視点を欠いた欧米先進国の思いあがり・傲慢さが、「世界の安定化」への道筋を破綻させたと思われるからである。
少なくとも、バルト三国、ベラル-シ、ウクライナについては、概ね 2000年ころには、「中立国」として{NATO」からも「ロシア」からも緩衝地帯として「白紙化」すべきであることが欠かせなかったはずである。
戦略核の保有数が米国と対等以上の「ロシア」に対する判断が甘かったのであり、それが現在の惨劇に至る原点を生んだのである。この点において、米・英・仏の世界指導者としての責任は重い。
さらに、日本は、アジアへの侵略戦争責任と原爆被災国としての反省から、世界平和のリ-ダ-として鋭意努力すべきであるが、その存在感を世界に示せない状況である。「制裁」をどうするかという、「尻馬に乗る」程度で、金儲けだけが得意な国でしかない姿は惨めである。根本的な「世界平和」への道すじを説き続けることこそ、日本に求められている責任と考えるのだが・・・、虚しい思いでしかない。
「イラクのクエ-ト侵攻」への米国の独善的な攻撃、その後の「フセイン打倒のイラク戦争」の結末がどれほどの悲惨なイスラム・中東問題を残したかなど、世界平和の礎を築く上でも、何を持って「正義」と捉えるかは、甚だ疑問である。
「共産主義憎し」の価値観でもって都合よく手なずけられた、1989年以降の東欧諸国が、二度と「全体主義」の専制政治、人民抑圧の政治は許されないとの価値観を共有し、国家存立の保障を「NATO」の加入によって図ろうとしたにしても、欧米一辺倒の国家形成では、国家百年の方向づけにおいて慎重さを欠く判断ではなかったか?
「人種・民族」の違いや、「政治的価値判断」の違いに対する「世界市民的な寛容さ」「人類愛」がどの国のリ-ダ-・政治家、そしてすべての人民にも問われている。
世界平和は、「制裁」や「平和の呪文」だけでは手にすることはできないのだ。
この論文は、ソ連邦を筆頭に共産圏が息も絶え絶えの状況下において発表され、自由主義陣営の「勝利宣言」として世界に受け止められたものである。発表直後に東欧諸国が民主化へと進み、1911年には、ソ連邦が姿を消した。フクヤマは「歴史が終わった後の世界」を次のように分析している。
< 冷戦後の世界では国家間の対立というものはなくなり、それは経済的分野のみ存在するようになり、人々は安堵と退屈のうちに、『最後の人間』へと至る 。さらに、各地において宗教や民族といった違いを中心に紛争が起こるかも知れないが、民主・自由主義が一番合理的な政治体制であるという事実はゆるがない>と。
このソ連邦崩壊後の「社会主義は敗北し、資本主義が勝利した」との言説は、その後の歴史を見るとき、果たして妥当であったかどうかは真に怪しい。その妥当性は今回の「ソ連のウクライナ侵攻」の問題においても問い直されている。
すなわち、1990年以後の東欧をどう安定させるかという長期的視点を欠いた欧米先進国の思いあがり・傲慢さが、「世界の安定化」への道筋を破綻させたと思われるからである。
少なくとも、バルト三国、ベラル-シ、ウクライナについては、概ね 2000年ころには、「中立国」として{NATO」からも「ロシア」からも緩衝地帯として「白紙化」すべきであることが欠かせなかったはずである。
戦略核の保有数が米国と対等以上の「ロシア」に対する判断が甘かったのであり、それが現在の惨劇に至る原点を生んだのである。この点において、米・英・仏の世界指導者としての責任は重い。
さらに、日本は、アジアへの侵略戦争責任と原爆被災国としての反省から、世界平和のリ-ダ-として鋭意努力すべきであるが、その存在感を世界に示せない状況である。「制裁」をどうするかという、「尻馬に乗る」程度で、金儲けだけが得意な国でしかない姿は惨めである。根本的な「世界平和」への道すじを説き続けることこそ、日本に求められている責任と考えるのだが・・・、虚しい思いでしかない。
「イラクのクエ-ト侵攻」への米国の独善的な攻撃、その後の「フセイン打倒のイラク戦争」の結末がどれほどの悲惨なイスラム・中東問題を残したかなど、世界平和の礎を築く上でも、何を持って「正義」と捉えるかは、甚だ疑問である。
「共産主義憎し」の価値観でもって都合よく手なずけられた、1989年以降の東欧諸国が、二度と「全体主義」の専制政治、人民抑圧の政治は許されないとの価値観を共有し、国家存立の保障を「NATO」の加入によって図ろうとしたにしても、欧米一辺倒の国家形成では、国家百年の方向づけにおいて慎重さを欠く判断ではなかったか?
「人種・民族」の違いや、「政治的価値判断」の違いに対する「世界市民的な寛容さ」「人類愛」がどの国のリ-ダ-・政治家、そしてすべての人民にも問われている。
世界平和は、「制裁」や「平和の呪文」だけでは手にすることはできないのだ。
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HN:
本名:髙倉良一(たかくらりょういち)
性別:
男性
職業:
大学教員
趣味:
思索と散歩と映画鑑賞
自己紹介:
HN:希望
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
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