ありがとうございます。ようこそ、「白バラ通信 パンドラの箱」にお越し下さいました。
【管理人自己紹介】
本 名:髙倉良一(たかくらりょういち)
性 別:男性
出生地:鹿児島市
職 業:大学教員
趣 味:思索と散歩と映画鑑賞
習い事:書道とヨガと水彩画
資 格:温熱刺激療法イトオテルミー療術師
マインドマップ・アドバイザー(申請中)
座右の銘:「賢聖は罵詈して試みるなるべし」(日蓮の言葉)
「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」
“Dream as if you’ll live forever. Live as if you’ll die today.”
(ジェームズ・ディーンの言葉)
さて、人類にとって希望は存在しているかと問われたら、あなたは、どのように答えられますか?
かつて私は、希望は存在しないと考えたことがあります。
これまでの歴史において、人間の尊厳を守る社会を実現しようとして、どれ程多くの人々が殺されたことでしょうか。にもかかわらず、21世紀を迎えた現在でも、夥しい人々が戦乱や自然災害による飢餓で苦しんでいるからです。
しかし、私は、希望は存在すると考えるようになりました。
なぜならば、絶望的な状況の中で、人間の尊厳を実現すべく、真剣に生き、かつ、殺された方々に対して、希望が存在しないと考えることは、失礼であり傲慢の極みだと考えるようになったからです。
そして、このような状況の中でも、希望を実現すべく真剣に生きておられる方々が存在しているということ自体が、人類にとって希望が存在している証拠だと思うようになりました。
このブログでは、人間ばかりではなく、地球環境そのものを大切にしようと世界各地で奮闘しておられる方々と連帯すべく、私のささやかな思索と実践を綴って参ります。どうぞよろしくお願い申し上げます。
将来、このブログは、大幅に加筆修正を加えた上で出版しようと考えています。その際、皆様方から寄せられたコメントを掲載することは致しません。どうか、安心して、気軽に、そして、自由にコメントを投稿して頂ければ幸いです。
ただし、ブログの本文の中で、コメントの一部を学術論文の引用形式で取り上げた場合に限り、掲載させて頂くことがあるかもしれません。
それから、ハンドルネームを明記されない方からのコメント投稿はお断り致します。もし、「NONAME」でコメントを投稿された場合には、大変残念ですが非公開とさせて頂きます。
コメントをされる際には、相手方の名誉を棄損したり、侮辱するような表現がないように熟慮なさいますように心よりお願い申し上げます。
また、このブログを潰そうとの意図や、ブログの流れを歪曲しようとの目的で投稿されたコメントに対しては、「挑発」されることがないようにお願い申し上げます。
なお、品位を書くようなコメントは速やかに削除させて頂きます。
では、ブログの本文をご覧になる前に、まず、2011年2月26日に掲載した
「闘争宣言」をご参照下さいますようお願い申し上げます。
2011年2月26日に、全日本法教育研究会創設準備委員会が「日本の根幹としての法教育の基礎とは何か」とのテーマで開催した講演会とシンポジウムの模様は、以下の岩上チャンネルで視聴することができます。
私の「闘争宣言」をご覧になられたら、つぎに、「創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その3」に掲載されている訴状をお読みになられて下さい。
それから、この講演会とシンポジウムの動画をご覧下さい。私は、講演会の部で司会を担当しています。
なお、しばらくして都合によりURLが変更となる場合がありますのでご注意下さい。
前半(休憩前) http://www.ustream.tv/recorded/12946888
後半(休憩後) http://www.ustream.tv/recorded/12949008
講演会の講師とシンポジストは、三井環氏(元大阪高検公安部長)、天木直人氏(元駐レバノン日本国特命全権大使)、仙波敏郎氏(元愛媛県警巡査部長、元阿久根市副市長)、生田暉雄氏(元大阪高裁判事、現弁護士)です。竹原信一氏(元阿久根市長)も飛び入り参加されました。
三井環氏は、検察庁の裏金作りの実態を、テレビで実名告発しようとした寸前に口封じのために逮捕された方です。
天木直人氏は、小泉内閣のイラク戦争支持に反対する公電を2回打った結果、外務省から実質的な解雇処分をされた方です。
仙波敏郎氏は、警察の裏金作りを実名で告発し、その後の圧力に屈することなく職務を全うされた方です。
生田暉雄氏は、最高裁判所の裏金作りの問題を追及されておられる方です。私が、創価学会池田カルト一派を訴えた裁判の代理人でもあります。
この講演とシンポジウムの紹介記事が、元外交官の天木直人氏のブログに掲載されました。ブログのアドレスは、下記の通りです。
http://www.amakiblog.com/archives/2011/02/23/#001838
それから、創価学会に関する事柄が原因で、家族間で紛争が生じている場合には、その相談に応じます。メールで、その詳細をご連絡下さい。
私には、創価学会池田カルト一派の脅迫に屈しない優秀な弁護団もついております。法的な対処法などについては、弁護士の皆さんをご紹介致します。
当サイトはリンクフリーですが、その際には、下記のアドレスまでご連絡下さい。
また、個別にご連絡されたいことがございましたら、同じアドレスにメールなさって下さい。
r08091016@yahoo.co.jp
←ブログランキングに参加しています。ご協力下さい。
にほんブログ村
津村信一氏による大江戸仏教瓦版の続きを掲載致します。
記
「日蓮聖人の御本尊にも、当然お祓いのようなことをするんでしょう」
ーーそうです。神社ではないから、お祓いとは言いませんけどね。聖人の言葉は次のようなものです。
日蓮が魂を墨にそめながして書きて候ぞ。信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。(経王殿御返事)
あまりにも有名な言葉だから、日蓮門下なら知らない人はいないでしょう。そんな法魂が籠められた不可思議な曼荼羅を、僧侶でもない無資格な在家信徒が、遠慮なく焼却処分した。だから三界の善神が怒りのままに鉄槌を振るったわけですよ。
罪を憎んで人を憎まずは、仏様だ。我々は神だ。たった一度でも憎いんだ。
学会員には、そんな神の言葉は聞こえなかったようです。
「それで阪神淡路大震災が起きたわけですか」
ーー朝夕御本尊を礼拝しているくせに、『若有悩乱者 頭破作七分』の意味が分からなかったようですね。日蓮正宗にお返しすれば、痛い目を見ずにすんだものを。学会員も日蓮法華の信仰を辞める人も、聖人の言葉とこの事実には目を留めた方がよろしいでしょう。日蓮曼荼羅を粗雑に扱ったから、日本国全体に〃特級呪仏〃が祟ったんですね。もう学会員は何を拝んでも、祟り本尊になる。日蓮聖人直結をいう創価学会が、聖人の曼荼羅を焼却処分するなんて、自語相違はずいぶん高くついたようです。
「それが北海道南西沖地震や阪神淡路大震災になったわけですか」
ーーそうです。善神達は地上の反学会運動だけでこれ以上学会に打撃を与えることはできないと判断したからなんですよ。1977年の正信会、1988年の大橋さんによる池田打倒運動、1990年の日蓮正宗宗門による池田大作破門と続きましたが、それでも学会は独自曼荼羅を発行し、宗門の曼荼羅大量焼却処分を行った。ことここに至っては、もう日本国全体を治罰するしかないでしょう。1992年はバブル経済崩壊の年ですが、この頃はちょうど宗門と創価学会の抗争が盛んで、開信寺の住職夫人と娘さんが、創価学会生年部員に刺殺された事件があり、北海道でも住職が学会員の運転するトラックに衝突され、事故死した事件がありました。
「僧侶の殺害は、仏法ではどういう規定があるんですか」
ーー規定などありません。ただ仏は、仏法僧の三宝は世間の供養を受け、尊敬を受けるべき存在であると定めました。末法の僧侶がどれほど悪質であっても、在家が手に掛けていいとは認めてませんね。ただし悪僧が聖僧を殺害して正法を滅ぼそうとする時、悪僧等と斬り合い、斬り結ぶことは認めています。でも現在の日本は文明国で、いちおう法治国家ですから、宗門に手を付け入ることができるのは、仏・法華経の四大菩薩・諸天善神だけです。
かねがねうちの御住職は、創価学会が悪くなったのは、宗門が原因だと言ってます。
「それは創価学会の数々の悪事を免罪にするものではないでしょう」
ーーもちろんです。だから公明党が身の置き所がなくなっているじゃありませんか。かって公明党と手を結んだ民社党、社会党はいずれも滅んでしまいました。今は自民党が大打撃を受けてますね。政治家でも田中角栄は憤死させられましたし、小渕恵三は不可解な死を遂げました。安倍晋三は言うまでもないでしょう。参院選でも選挙区は公明党と議席の奪い合いになっている。埼玉・東京・神奈川・愛知・大阪・兵庫・福岡の7選挙区の自民党候補は、もう創価学会などいらないと言うでしょう。仮に当選しても、素直に喜べない。
「市場から退場を迫られているので、賞味期限が切れたら汚物扱いになります。果たして学会は滅びるんでしょうか」
ーー『人ひさしと言えども百年には過ぎず。その間のことは、一睡の夢ぞかし』ですから、
2030年の創立百周年前には、日中戦争という壊滅的打撃を受けるでしょう。なんせ彼等は日本人のくせに、〃中日友好〃です。〃日中友好〃ではないんですよ。日中戦争が始まったら、沖縄や九州の学会員は避難のためにどれほどの苦労を背負うんでしょうかね。北海道の自衛隊でもロシア軍との二正面作戦に緊張してますから、学会員の緊張はあると思いますよ。2023年5月には、宮古島で自衛隊ヘリが墜落して、師団長や駐屯地司令が死亡してます。そして10月には北海道士幌町で自衛隊機がレーザーを照射されてます。これに関しては警察が捜査していますが、その後何の発表もありません。そして池田はロシアと中国のような敵性諸国からの勲章を多く抱えてますから、日中戦争でも始まってくれれば、〃国賊〃になる。
つづく
ランキングに参加していますので、クリックをお願い致します。
にほんブログ村
これまで義捐金を振り込まれた皆様方には、心より厚く御礼申し上げます。皆様方からの義捐金の振り込み通知が届く度に、私は涙が込み上げて参ります。ありがたい限りです。
なお、義捐金の収支に関しては、裁判がすべて終了した時点で明らかにさせて頂きます。
記
ーーそうです。消火用の水が確保できず、積極消火できなかった。地中で水道管が断裂し、停電のために送水ポンプが作動しなかった。加えて消火水栓と消防ポンプの規格が合わなかったために、繋げられなかったことも原因の一つにはなっています。水上艇や他都市からの消防ポンプ車が中継を重ね、海水を汲み上げて鎮火に成功できると思った。ところが消防ホースが交通量の多い国道を横切るため、車に踏まれて破損する。度々交換するから、消火活動もその都度中断せざるをえない。だから鎮火に時間がかかった。燃えるに任せたわけじゃありませんが、長田区の被害は他区より突出し、復興が一番最後になったわけです。
神戸市の一番小さい区が、一番被害が酷かった。創価学会も同じです。午前5時46分の地震発生時は、大半の人が在宅です。学会もここで4支部が壊滅したから、学会員の死者は一千人ではすまないでしょう。思い当たることといえば、1月2、3日に創価学会神戸文化会館で、会員から回収した日蓮正宗の御本尊多数を焼却処分したことくらいですかね。ずいぶん罰当たりなことをしたもんです。ある時うち(本門法華堂)の御住職にこんな質問をしたことがあります。
ーー創価学会の御本尊なんて偽物だから、破って捨ててもいいんでしょう。
「何をバカなことを考えているんだ。仮にも日寛上人の御本尊だぞ。あんたにどんなことがあっても、責任もてん」
ーーつくづく父親の御本尊を日蓮正宗にお返ししてよかったと思いました。
「御本尊の処理はどうしているんですか」
ーー御住職は言葉を濁されましたが、本堂の御本尊の前に据えて、謝罪の礼拝をするんだと思います。そんな儀式を数回でも行い、そしてお焚き上げになるでしょう。もしくは知り合いの大寺院の宝物庫に保管してもらうんでしょうね。いずれにしても、最終的にはお焚き上げになると思います。
人形供養で知られる中位クラスの神社に、ライターが取材に行った。ところが今日は受け付けられないから、帰ってくれと言われたそうです。それなら何かあるだろうと思い、こっそり本殿裏の広場に回り込み、背後の森に潜んで様子を探っていた。しばらく経って本殿裏から神官達が人形を数体抱え、井桁に組んだ段の中に入れている。そして点火した。神社のお焚き上げです。彼はその一部始終をカメラに収めていたところ、見つかってしまった。神官達は、それなら事情を話すしかないかと打ち明けてくれた。
「すぐにはお焚き上げしないんですか」
ーーできないんです。寺や神社に持ち込まれて供養を依頼されたものは、信徒や所有者の念が籠もっている。人形や絵馬でもそれは同じです。中には強烈な怨念の籠められた特級の呪物もある。例えばその人の肉体の一部である毛髪、爪、血液、あるいは他人を傷つけたり殺害したりして得た相手の肉体の一部などを用いて呪物を造る。もうそうなったら呪物どころか、あなた、〃呪仏〃ですよ。〃祟り神〃ですよ。三界の悪念を全て集めた〃魔〃そのものになっている。さんざん使用して怨念の相手は全員死んだが、今度は身近な人まで祟り殺すようになった。このままそばに置いておくと、家族や自分の命まで危なくなる。だからみんな神社やお寺に持ってくるんですよ。ある神社はこれを祓ってくれと持ち込まれたが、一目見てあまりの邪念の強烈さに気圧されてしまい、とても私どもでは祓えませんと言って受取らなかった。そんな特級呪物のお祓いには、神官や住職の命を削る作業が必要になる。そして因縁が深ければ深いほど邪気が強い。悪の気配を全部抜くには、五年十年、あるいはもっと時間を要することもあります。自分のところでは手に負えないと判断した場合、他の寺社から応援を依頼して行う場合があります。
「ほう、それで人畜無害になるわけだ」
ーーそうとも限りませんよ。お寺の場合には本山に、神社なら総本社に預ける場合だってあります。また持ち込まれた当の神社の判断で、それこそ人跡稀な山奥に小さな神社を造り、簡単に開けられぬよう工夫を凝らし、封じ込めてしまうんです。あるいは洞穴を利用することもあるでしょう。その前に注連縄が張ってあれば、もう間違いなく封印されてますね。たまさかに神官らが訪れ、封印を確認することもあるようです。まあ山奥は人外魔境ですから、いくら登山が好きで偶然発見しても、近寄らぬ方が身のためです。
つづく
ランキングに参加していますので、クリックをお願い致します。
にほんブログ村
これまで義捐金を振り込まれた皆様方には、心より厚く御礼申し上げます。皆様方からの義捐金の振り込み通知が届く度に、私は涙が込み上げて参ります。ありがたい限りです。
なお、義捐金の収支に関しては、裁判がすべて終了した時点で明らかにさせて頂きます。
津村信一氏による大江戸仏教瓦版の続きを掲載致します。
記
さて、日蓮聖人のいう即身成仏を金ピカの仏になることではなく、現世一代で全ての悪業を断絶してしまうということなら、転重軽受を即身成仏だと考えてもいいと思います。もし金ピカの仏になりたいと思ったら、何度生まれ変わっても、常にその世代で法華経を多くの人に説き、救済に励む必要があります。お釈迦さんと同じですね。
さて、日蓮聖人のいう即身成仏を金ピカの仏になることではなく、現世一代で全ての悪業を断絶してしまうということなら、転重軽受を即身成仏だと考えてもいいと思います。もし金ピカの仏になりたいと思ったら、何度生まれ変わっても、常にその世代で法華経を多くの人に説き、救済に励む必要があります。お釈迦さんと同じですね。
一度で全てに応えられません。それに恰好の例が明らかになれば、先生も認識を新たにするでしょう。2025年参院選が終わって結果が出るまで、沈黙していたわけです。
さて、日蓮聖人の曼荼羅は法曼荼羅です。『本尊とは法華経の行者の一身の当体なり』と言われてますから、正しく信仰すればするほど言動が正しく理想的になり、周囲の人から慕われるようになる。お釈迦さんと同じですね。もちろん我々は在家ですから、僧侶のように多くの人と知り合い、法門や自己の知識や教養を伝授して救うことはできない。限られた人に対してのみ可能です。しかしそれに励んだ人は〃本有の尊形〃となり、現世でその内証が即身成仏するのです。その場合は、法本尊の『有供養者。福過十号』になります。
「池田大作でも慕う人間が大勢いましたが」
ーー以前『朝まで生テレビ』という番組がありまして、創価学会の広報部長だった西口副会長が出演してました。その中でこう言ったんです。
創価学会を辞めた人は、一千万人いる。
週刊誌でそれを知りまして、改めて驚きました。
1977年(昭和52年)の『正信会』 ……三百万人
1988年(昭和63年)の大橋敏雄さんの決起 ……四百万人
199〇年(平成2年)からの宗門との破門による抗争 ……三百万人
それぞれの末尾の数字は、推定の脱会者数です。また199〇年2月は衆院選がありまして、前回の公明党の議席数は56議席でしたが、それが45議席に激減しているのです。
私も末端で活動に参加しましたが、改めて驚いたものです。
しかし特筆すべきは、ほぼ一周遅れで国難が殺到するようになったことです。1992年にバブル経済崩壊があり、翌1993年7月に北海道南西沖地震のため、奥尻島南部が壊滅しています。このときは大陸から、島の南から、北海道からの反射によって殺到した3方面からの津波により、島の南部の青苗地区が大打撃を受けたわけですが、出動した自衛隊員に顕正会員がおり、顕正新聞に手記を寄せていました。
それによると、青苗地区は所帯数約五百戸のうち半数が創価学会でした。全島で死者・行方不明者が198人ですが、青苗地区では109人に上っています。
「そんなに被害が悪化した物理的原因はなんですか」
ーー火災が起きたんですよ。彼の手記では、沖合に流された漁船が発火し、それが津波に乗って上陸し、他宗の寺の本堂に乗り上げた。折しも四方から風が吹き寄せ、八方に火が飛んだ。漁業で飯を食っている所だから、各所に漁業用燃料油が大量に保管してあった。それに燃え移り、一気に火災が悪化した。地図で見ると青苗地区には空港や様々な施設などがあり、島でもっとも栄えていた。そして半数が学会員だったとのことです。
さらに1995年1月17日には阪神淡路大震災がありました。朝日新聞と西日本出版社の記事を参考すると、もっとも被害が激しかったのは、もっとも面積が小さい長田区です。下町で木造住宅が密集している。加えてここは神戸市の重要産業ケミカルシューズの中心地だった。ケミカルシューズはゴム製品だけに燃焼しやすく、火災が悪化した原因の一つにもなっています。一万平方メートル以上の火災が、隣接する須磨区と併せて14箇所もあった。火災がそれだけ大規模だったわけです。
「しかし理由はそれだけじゃないんでしょう」
つづく
ランキングに参加していますので、クリックをお願い致します。
にほんブログ村
これまで義捐金を振り込まれた皆様方には、心より厚く御礼申し上げます。皆様方からの義捐金の振り込み通知が届く度に、私は涙が込み上げて参ります。ありがたい限りです。
なお、義捐金の収支に関しては、裁判がすべて終了した時点で明らかにさせて頂きます。
記
白米一俵御書 五九歳 一五四五頁
の道は世間の事法にて候。金光明経には「し深く世法を識れば、即ち是仏法なり」ととかれ、涅槃経には「一切世間の外道の経書は、皆是仏説にして外道の説に非ず」と仰せられて候を、妙楽大師法華経の第六の巻の「一切世間のは、皆実相とせず」の経文に引き合はせて心をあらわされて候には、彼々の二経は深心の経々なれども、彼の経々は未だ心浅くして法華経に及ばざれば、世間の法を仏法に依せてしらせて候。法華経は然らず。やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候。
の経々の心は、心より万法を生ず。譬へば心は大地のごとし、草木は万法のごとしと申す。法華経は然らず。心すなわち大地、大地則草木なり。爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、心の清きは花のごとしと申す、法華経は然らず。月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。此をもってしろしめせ。白米は白米にはあらず。すなわち命なり。
Ⅰ 日蓮聖人の曼荼羅は特級呪物か(2)
撰時抄
第七の巻に第五の五百歳闘諍堅固の時を説いて云はく、「悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等其の便りを得るなり」と。
大集経に云はく「我が法の中に於いて闘諍言訟せん」等云々。
法華経の第五(の巻)に云はく「悪世の中の比丘」。又云はく「或は阿蘭若に有り」等 云々。又云はく「悪鬼其の身に入る」等云々。
文の心は第五の五百歳の時、悪鬼の身に入れる大僧等国中に充満せん。その時に智人一 人出現せん。彼の悪鬼の入れる大僧等、時の王臣・万民等を語らひて、悪口罵詈・杖木 瓦礫、流罪死罪に行はん時、釈迦・多宝・十方の諸仏、地涌の大菩薩等に仰せつけ、大 菩薩は梵・帝・日月・四天等に申しくだされ、其の時天変地夭盛んなるべし。
国主等其のいさめを用ひずば、隣国にをほせつけて彼々の国々の悪王悪比丘等をせめらるるならば、前代未聞の大闘諍一閻浮提に起こるべし。
「先回の会合では、聖人の曼荼羅が特級だということについて確たる返事がもらえませんでしたが」
ーー聖人の曼荼羅には、人を呪う呪禁が入っている呪物だという認識しかない人がいる。まあそんな人は呪物ではなく、呪仏だというでしょう。日蓮曼荼羅は法曼荼羅・法本尊であるという真実を理解していないと、浅はかな先入観のままで終わってしまうのです。そんな人に対する一面的な回答をしただけです。
ところで、親鸞には「南无阿弥陀仏」という名号本尊があるのをご存じですか。无は無の古字です。阿弥陀仏という仏名だけ書かれているから、単なる人本尊です。十字架上のイエス像と同じです。法が具わっていない。つまり名号本尊には、時間と空間を超える法力がないのです。だからいくら南无阿弥陀仏と称えても、阿弥陀仏の安養浄土(極楽浄土)に往生できないのです。阿弥陀仏の世界に往生できたというのは、あくまで法を体現したお釈迦さんーーというよりも釈迦如来ーーの保障があったからです。ここ人間の娑婆世界では、お釈迦さん以外の仏が法を説くことはありません。その資格があるのは、あくまで娑婆世界の教主である釈迦如来のみです。先回でも言いましたが、これは重要な問題ですから、一重立ち入って答えましょう。
親鸞の弟子唯円の回想録『歎異抄』に興味深い記述があります。第二条です。全文を挙げましょう。
おのおの十四箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たずねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にもゆゆしき学生たちおほく座せられて候ふなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべらん、また地獄におつる業にてやはんべるらん、総じてもつて存知せざるなり。たとえ法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。その故は、自余の行もはげみて、仏に成るべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。親鸞が申すむね、またもってむなしかるべからず候ふか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなりと云々。
親鸞は晩年に京で著述に専念していました。理由は先回でも言いましたが、布教するにしたがって善導や法然の教えだけでは、念仏を一般に浸透させる根拠に乏しいと気が付いたからです。そこで『教行信証』などの執筆に励んでいたところ、多数の信徒がはるばる東国から数多の国境を越え過ぎて来訪してきたわけです。相当な苦労があったと思われますが、どうしても晴らしたい疑問があったからに他なりません。詰まるところ、念仏以外に往生できる道を知っているか、またその法が説かれたものを知っているのではないかと、親鸞に問いただしたわけです。それについて親鸞の回答が始まります。
あなた方のその考えは大いなる誤りです。それなら京都奈良の大寺院にも優れた学問僧が多数居られるから、その人々にお会いして、浄土往生の肝要な法門をよくよく聴かれたらよろしいでしょう。
私親鸞は、ただ念仏して、弥陀仏に助けられて往生させていただくべきであると法然上人の仰せを受けて信ずるだけであって、他の理由などありません。念仏は本当に浄土に生まれる大本なのか、また地獄に堕ちる行になるのか、全く知るところではないのです。たとえ法然聖人に騙され、念仏して地獄に堕ちるようなことがあっても、後悔などありません。
なぜなら他の修行にも励んで仏になるこの身が、念仏を称えて地獄に堕ちたというなら、騙されたという後悔もあるでしょう。しかしどんな修行も全うできないこの身だからこそ、地獄はすみかにふさわしいのです。
阿弥陀仏の本願が真実なら、それを解き明かしてくださった釈尊の教えが空言のはずがありません。釈尊の教えが真実ならば、善導の解釈は嘘ではありません。善導の教えが真実ならば、法然上人の仰せはどうして嘘偽りになるのでしょうか。それならば親鸞の申し上げることは、戯言ですますことはできないと思いませんか。有り体に言えば、浅はかなこの身の信仰はこのようなものです。この上は念仏の信仰を崇め奉ろうとも、また捨てようとも、皆さん方一人一人のお考えにお任せします。
つづく
ランキングに参加していますので、クリックをお願い致します。
にほんブログ村
これまで義捐金を振り込まれた皆様方には、心より厚く御礼申し上げます。皆様方からの義捐金の振り込み通知が届く度に、私は涙が込み上げて参ります。ありがたい限りです。
なお、義捐金の収支に関しては、裁判がすべて終了した時点で明らかにさせて頂きます。
| 10 | 2025/11 | 12 |
| S | M | T | W | T | F | S |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | ||||||
| 6 | 7 | 8 | ||||
| 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
| 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
| 30 |
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。